海外渡航の自由

 

 

旅券返納命令及び渡航先制限取消請求事件

 

 

【事件番号】 東京地方裁判所判決/平成27年(行ウ)第462号

 

【判決日付】 平成29年4月19日

 

【判示事項】 シリアへの渡航計画を理由に,国から旅券返納命令等の処分を受けた原告が,報道取材・海外渡航の自由を侵害し,外務大臣の裁量権の範囲を逸脱濫用するもので,違憲・違法であるとして各処分の取消しを求めた訴訟。裁判所は,憲法がいかなる場合も国民の生命・身体より報道取材の自由を優先して保護すべきとは解されないとした上,本件各処分当時のシリア情勢は紛争状態を呈し邦人が狙われる可能性があったので,同所への渡航は生命身体に危害が及ぶおそれが高いと外務大臣が判断したことは合理的であり,渡航中止させ旅券返納の必要があるとの判断も,裁量権の範囲の逸脱濫用に当たらないとして,請求をいずれも棄却した事例

 

【掲載誌】  LLI/DB 判例秘書登載

 

 

について検討します。

 

 

 

主   文

 

 1 原告の請求をいずれも棄却する。

 2 訴訟費用は原告の負担とする。

 

       

 

 

事実及び理由

 

 

第1 請求

 1 外務大臣が平成27年2月6日付けで原告に対してした一般旅券の返納命令(以下「本件第1処分」という。)を取り消す。

 2 外務大臣が平成27年4月7日付けで原告に対してした一般旅券の発給処分(以下「本件第2処分」という。)のうち,渡航先をイラク共和国(以下「イラク」という。)及びシリア・アラブ共和国(以下「シリア」という。)を除く全ての国と地域(以下「本件渡航先」という。)に制限する部分(以下「本件制限部分」という。)を取り消す。

第2 事案の概要

   本件は,ジャーナリストである原告が,トルコ共和国(以下「トルコ」という。)とシリアとの国境付近に渡航し,現地を取材した上でその成果を発表する計画を有していたところ,外務大臣から平成27年2月6日付けで旅券法19条1項4号の規定に基づく一般旅券の返納命令(本件第1処分)を受け,その後,原告が同年3月20日付けで一般旅券の発給の申請(以下「本件申請」という。)をしたところ,外務大臣から同年4月7日付けで一般旅券の発給処分(本件第2処分)を受けるに当たり,同法5条2項の規定に基づき,その渡航先を本件渡航先とする制限を受けたことから,上記各処分(本件第2処分については本件制限部分)が,いずれも原告の報道及び取材の自由(憲法21条1項)並びに海外渡航の自由(憲法22条2項)を侵害し,外務大臣の裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用するものであり,また,憲法31条に由来する行政手続法13条1項の規定に基づく聴聞の手続を経なかったものであるから,違憲かつ違法であるとして,その各取消しを求める事案である。

 1 本件における関係法令の定めの概要

  (1)ア 一般旅券の発給を受けようとする者は,所定の書類及び写真を,国内においては都道府県知事を経由して外務大臣に,国外においては最寄りの領事館の長である領事官に提出して,一般旅券の発給を申請しなければならない(旅券法3条1項本文)。外務大臣又は領事官(以下「外務大臣等」という。)は,この申請に基づき,外務大臣が指定する地域以外の全ての地域を渡航先として記載した有効期間が10年の数次往復用の一般旅券を発行する(同法5条1項本文)。

   イ 外務大臣等は,旅券の名義人の生命,身体又は財産の保護のために渡航を中止させる必要があると認められる場合において,旅券を返納させる必要があると認めるときは,旅券の名義人に対して,期限を付けて,旅券の返納を命ずることができる(旅券法19条1項4号)。

     外務大臣等は,一般旅券の返納を命ずることを決定したときは,速やかに,理由を付した書面をもって当該一般旅券の名義人にその旨を通知しなければならない(旅券法19条4項)。この場合において,当該旅券の名義人の所在が知れないときその他通知をすべき書面を送付することができないやむを得ない事情があるときは,通知をすべき内容を外務大臣が官報に掲載することをもって通知に代えることができ(同法19条の2第1項),この場合においては,その掲載した日から起算して20日を経過した日に,通知が当該旅券の名義人に到達したものとみなされる(同条2項)。

     なお,返納を命ぜられた旅券は,上記の期限内に返納されなかったとき,又は外務大臣等が,当該返納された旅券が効力を失うべきことを適当と認めたときにはその効力を失う(旅券法18条1項7号)。

   ウ 旅券の発給を受けた者は,その旅券が有効な限り,重ねて旅券の発給を受けることができない(旅券法4条の2本文)。ただし,外務大臣等がその者の保護又は渡航の便宜のため特に必要があると認める場合は,この限りでない(同条ただし書)。そして,この場合,外務大臣等は,その発行する一般旅券につき,渡航先を個別に特定して記載し,又は有効期間を10年未満とすることができる(同法5条2項)。

  (2) 行政庁は,不利益処分(行政庁が法令に基づき特定の者を名宛人として直接にこれに義務を課し又はその権利を制限する処分をいう(行政手続法2条4号)。ただし,申請に基づき当該申請をした者を名宛人としてされる処分は除かれる(同号ロ)。)のうち,名宛人の資格又は地位を直接にはく奪するものをしようとするときには,当該不利益処分の名宛人となるべき者について,聴聞の手続を執らなければならない(同法13条1項1号イ,ロ)。ただし,公益上,緊急に不利益処分をする必要があるため,聴聞の手続を執ることができないときは,この限りでない(同条2項1号)。

 2 前提事実(争いのない事実,顕著な事実,掲記の証拠及び弁論の全趣旨により認められる事実)

  (1) 原告は,平成20年9月16日,外務大臣から,外務大臣が指定する地域以外の全ての地域を渡航先として記載した有効期間が10年の数次往復用の一般旅券(以下「本件旅券1」という。)の発給を受けた(乙2の2,弁論の全趣旨)。

  (2) 外務省領事局海外邦人安全課職員は,平成27年2月5日,原告がシリアに渡航する計画を有していることを知ったことから,原告に対し,シリアへの渡航を中止するよう求めたが,原告は,シリアへ渡航する意思を変えるつもりはない旨述べて,上記渡航中止の要請に応じなかった。

  (3) 外務大臣は,平成27年2月6日付けで,原告に対し,旅券法19条1項4号の規定に基づき,本件旅券1の返納命令(本件第1処分)を発出した(甲1の1,乙1)。

  (4) 外務省領事局旅券課職員は,平成27年2月7日午後7時30分頃,上記返納命令を執行し,同日午後7時40分,原告から本件旅券1の返納を受けた(甲1の2,甲19,乙2の1,2)。

  (5) 原告は,平成27年3月20日,外務大臣に対し,新たな旅券の発給申請(本件申請)をした(乙3の1,2)。

  (6) 外務大臣は,平成27年4月7日,旅券法4条の2ただし書,5条2項の規定に基づき,原告に対し,渡航先を本件渡航先に制限する有効期間が3年6か月の数次往復用の一般旅券(以下「本件旅券2」という。)を発給した(本件第2処分。甲2の1,2,乙4)。

  (7) 原告は,平成27年7月30日,本件訴えを提起した。

 3 争点

  (1) 本件第1処分の実体法上の違憲性・違法性(裁量権の逸脱・濫用)

  (2) 本件第1処分の手続上の違憲性・違法性(聴聞の不実施)

  (3) 本件第2処分の本件制限部分に係る実体法上の違憲性・違法性(裁量権の逸脱・濫用)

  (4) 本件第2処分の本件制限部分に係る手続上の違憲性・違法性(聴聞の不実施)

 4 当事者の主張

  (1) 争点(1)(本件第1処分の実体法上の違憲性・違法性)について

   (原告の主張)

    原告は,平成27年2月27日にトルコに渡航した上,トルコ国内に拠点を置きつつ,シリアに入国し,トルコとの国境付近のコバニに限って取材を行うことを計画していたものであるところ,当時のコバニは,武装したクルド人民兵組織の管理下にあり,同組織においてジャーナリストを対象としたプレスツアーが催行され,朝日新聞をはじめとする報道機関の記者等も実際にこれに参加し,無事に取材を終えていたこと,原告としてはあくまで現地で安全と判断できた場合に限って取材を行う意向であったこと等からすれば,原告が渡航することにより,原告の生命や身体に危害が及ぶ具体的危険性は存在せず,旅券法19条1項4号に規定する事由は存しなかったというべきである。それにもかかわらず,外務大臣は,先に生じていた邦人の拘束,殺害事件に関して政権が批判を受けていたところ,更に同様の事件が生じることをおそれ,政権の保身を目的として首相官邸の主導で本件第1処分をしたものであって,かかる処分は,原告の報道の自由,取材の自由及び海外渡航の自由を侵害し,裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用するもので違憲かつ違法である。

   (被告の主張)

    原告が渡航しようとしていた当時のシリア国内の情勢は,各地で反政府勢力や過激派武装勢力による武力衝突や襲撃,拉致等が発生しており,原告が取材先であると主張するコバニにおいても情勢はなお安定していなかったというべきである上,原告の取材先はコバニに限定されたものではなかったこと,原告については,その渡航時期や取材ルート等を明らかにした顔写真付きの記事が報道されており,過激派組織がインターネット等を通じ,この情報を踏まえて原告の拉致等を企てるおそれも否定できない状況にあったこと等に照らせば,原告がトルコやシリアに渡航すれば,その生命・身体に危険が及ぶおそれが高く,渡航を中止させる必要性が強く認められた。また,原告は外務省領事局職員から渡航を中止するよう繰り返し説得されたにもかかわらず,これに応じず,その渡航意思は強固であったことからすれば,旅券を返納させる以外の手段によって原告の渡航を中止させることは困難であったから,旅券を返納させる必要性も認められた。したがって,外務大臣は,原告について旅券法19条1項4号に規定する事由が認められ,旅券を返納させる必要があるとして本件第1処分を行ったものであって,その判断が裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとはいえない。

  (2) 争点(2)(本件第1処分の手続上の違憲性・違法性)について

   (原告の主張)

    外務大臣は,名宛人の資格又は地位を直接にはく奪する不利益処分に該当する本件第1処分を行いながら,憲法31条に由来する行政手続法13条1項の規定に基づく聴聞の手続を執っていない。

    そして,外務大臣は,平成27年2月6日付けで本件第1処分をしているところ,それから原告が本邦を出国する予定日としていた同月27日まで,3週間程度の期間があったこと等からすれば,本件第1処分をするに当たり,行政手続法13条2項1号に規定する公益上,緊急に不利益処分をする必要があるため,聴聞の手続を執ることができないときであったとする余地はない。

    以上のように,聴聞の手続を執っていないことは,重大な手続上の瑕疵であって,それのみをもって,本件第1処分は違憲かつ違法なものとして取消しを免れない。

   (被告の主張)

    旅券法19条1項の規定に基づく旅券の返納命令については,原則として行政手続法13条1項の規定に基づく聴聞の手続を執ることが必要とされるものの,本件では,原告が渡航時期を早めてシリアに渡航したり,所在不明となり,本件第1処分に係る通知や執行に支障が生じ,原告の出国を止めることができないおそれがあったことからすれば,本件は,同条2項1号に規定する公益上,緊急に不利益処分をする必要があるため,聴聞の手続を執ることができないときに該当し,聴聞の手続を執っていないことに違法はない。

  (3) 争点(3)(本件第2処分の本件制限部分に係る実体法上の違憲性・違法性)について

   (原告の主張)

    外務大臣は,本件第1処分を原告のシリアへの渡航を制限する目的で行ったところ,本件第2処分をする際にも,同様に,原告のシリア(及びイラク)への渡航を阻止する目的でこれを行ったものであるといえ,本件第1処分と本件第2処分は連続的・一体的なものとして行われたものであるというべきであるから,前記(1)(原告の主張)のとおり,本件第1処分が裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用して行われた違憲かつ違法なものである以上,本件第2処分もまた裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用して行われた違憲かつ違法なものであるというべきである。

    仮に,本件第2処分だけを検討したとしても,原告の本件申請には,原告がシリア又はイラクに渡航するという意思は一切表れていないにもかかわらず,外務大臣は具体的必要性を吟味することなくシリア,更には原告が何ら渡航計画さえ有していなかったイラクへの渡航までも制限しているところ,これは明らかに過剰な制限であって,本件第2処分は裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用した違法なものであるというべきである。

   (被告の主張)

    本件第1処分により原告が返納に応じた旅券は,いまだその効力を失っていないため,原告の本件申請は,旅券の発給を二重に受けようとするものであるところ,旅券の二重発給は例外的に認められるにとどまり(旅券法4条の2),外務大臣は,旅券の二重発給を行うときは渡航先等を限定した旅券を発給することができるところ(同法5条2項),外務大臣は,本件第1処分により原告の海外渡航が全面的に制約される結果となっていたことから,原告の渡航の便宜のため特に必要があると認めて旅券の二重発給を認めつつ,シリアやイラクの情勢その他の事情に鑑みて,新たに発給する旅券の渡航先からイラク及びシリアを除き,有効期間について,原告から返納を受けた旅券の残存有効期間を下回ることがないよう,おおむね同じ期間とした一般旅券を発給したものであって,その判断が裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとはいえない。

  (4) 争点(4)(本件第2処分の本件制限部分に係る手続上の違憲性・違法性)について

   (原告の主張)

    前記(3)(原告の主張)のとおり,本件第2処分は本件第1処分と連続的・一体的に行われたものである上,全世界の全ての地域を渡航先とし,いまだ有効な本件旅券1との比較でいうと,本件第2処分はシリア及びイラクを渡航先から除く本件旅券2を発給するものとなっており,その実質においては原告の海外渡航の自由を制限するものである。

    したがって,本件第2処分は,原告の権利を制限する処分に当たるというべきであり,憲法31条に由来する行政手続法13条1項に基づき聴聞の手続を執らなければならないものであった。にもかかわらず外務大臣はかかる聴聞の手続を執らなかったのであって,本件第2処分は違憲かつ違法である。

   (被告の主張)

    本件第2処分は,そもそも行政手続法上の不利益処分に該当しない(同法2条4号ロ)から,処分を受ける原告に対して聴聞の手続を執る必要はなく,およそ同法に違反する余地はない。

 

 

 

 

 

 

第3 当裁判所の判断

 1 認定事実

   前記前提事実,掲記の証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実を認めることができる。

  (1) シリアの情勢等

   ア シリアの国内情勢

     シリアでは,複雑な宗派・民族構成や長年の圧政の存在を背景として,2011年(平成23年)初めに中東・北アフリカ諸国を席巻した民主化要求運動の影響を受け,同年3月以降,各地で反政府デモが発生し,当局と反政府勢力との間の暴力的衝突が激化した。

     首都ダマスカス周辺,アレッポ,ダラア,ハマ,ホムス,イドリブ等の主要地方都市や,北部のトルコ国境付近,東部のイラク国境付近,ゴラン高原のイスラエル国との境界付近等において,反政府勢力に過激派武装勢力等も加わり,反政府勢力と治安部隊との衝突や武装勢力による襲撃,爆弾攻撃等が発生しており,2015年(平成27年)8月3日時点までのシリア全土での死者の数は22万人以上にのぼっている。2012年(平成24年)8月20日には,シリア北部の都市アレッポにおいて日本人ジャーナリストが取材中に銃撃を受け,死亡する事件が発生している。

     2014年(平成26年)6月頃の時点においては,政権側,自由シリア軍その他の反体制組織,ISIL(イラク・レバントのイスラム国)その他のイスラム過激派勢力及びクルド人勢力等が活動し,紛争状態を呈していた。

     (以上につき乙5~7の2)

   イ ISILの活動状況とシリア情勢への影響等

     ISILは,2004年(平成16年)10月に設立したとされるイスラム教スンニ派過激組織であり,カリフ制国家の建国等を活動目的に掲げ,主としてイラク国内で活動していたが,2013年(平成25年)以降はシリア国内にも活動地域を広げた。

     ISILは,シリア及びイラクにおいて,2014年(平成26年)9月時点で2万人から3万人の戦闘員を擁しているとされ,政府,治安部隊,親政府系民兵組織,クルド人勢力,イスラム教スンニ派以外の宗派及び宗教の住民,外国人を含むジャーナリスト等を標的とした拉致や襲撃等のいわゆるテロ行為を行っており,これまでに邦人を含む多数の死傷者が出ている。

     また,ISILは,2015年(平成27年)1月末から2月にかけて,シリアに入国していたとみられる2名の邦人を殺害したとする映像を公開していた上,その映像の中で,今後も邦人の殺害を継続すると表明していた。

     (以上につき乙7の10,7の19,乙8)

   ウ シリア全土に対する退避勧告の発出等

     外務省は,本件第1処分及び本件第2処分がされた頃,シリア全土について退避勧告の危険情報を発出していたほか,イラクの大半の地域やトルコにおけるシリア国境付近についても退避勧告の危険情報を発出するなど,報道機関関係者も含めた邦人に厳重な注意を呼びかけていた。

     危険情報とは,渡航・滞在に当たって特に注意が必要と考えられる国・地域に発出される情報であり,その国の治安情勢やその他の危険要因を総合的に判断し,それぞれの国・地域に応じた安全対策の目安を知らせるもので,4つのレベルに分かれており,退避勧告はその中で最も注意が必要とされる国・地域に発出され,その国・地域に滞在している全ての邦人に対して,その国・地域からの退避を勧告するとともに,新たな渡航を延期するよう勧告する内容となっている。

     また,我が国は,シリアの治安情勢の悪化に鑑み,2012年(平成24年)3月21日から現在に至るまでの間,在シリア日本国大使館を一時閉館して在ヨルダン日本国大使館に退避しており,外務省の職員もシリアには滞在していない。

     (以上につき乙7の1~7の21,乙9の1~乙11)

   エ コバニの情勢等

     トルコ国境に程近いシリアの街コバニでは,2015年(平成27年)1月下旬,クルド人勢力がISILから同地を奪還した旨を宣言した。この宣言に関し,米国国防総省は,クルド人勢力がコバニの90パーセントを奪還した旨を発表していた。同地では,クルド人勢力による外国人記者を対象としたプレスツアーも開催され,朝日新聞の邦人記者も同月30日にこれに参加し,その結果を同月31日に記事にしている。

     他方で,上記宣言が出てからも,2015年(平成27年)1月から2月にかけて,クルド人部隊が,コバニ南東部,南西部等でISILと衝突しており,コバニ近郊では,米国主導の対ISIL連合による空爆が継続して行われていた。

     (以上につき甲12,乙12)

   オ トルコにおけるシリアとの国境付近の情勢等

     シリアと接するトルコの国境地域にあるハタイ県レイハンル地区においては,2013年(平成25年)2月,国境検問所付近で爆破によるテロ行為があったほか,同年5月にも自動車爆弾を使用したテロ行為が発生し,50名以上が犠牲になっていた。

     また,シリアと接するトルコの国境地域においては,2015年(平成27年)1月末頃に発生した前記イのISILによる邦人2名の殺害事件を受けて,取材活動を行うために邦人記者が集結していたところ,その様子が個々の記者が特定できる写真付きでインターネット上に配信されていた。これに対し,外務省は,ISILは,インターネット等のメディアを密にモニターしているとされているところ,これらのメディアを利用して邦人の存在を知ったISILが,トルコ国境周辺において,邦人を狙った拉致等のテロ行為に及ぶことが懸念されるとしていた。

     (以上につき乙7の14)

  (2) 原告に係る個別事情及び本件第1処分に係る経緯(甲27,原告本人)

   ア 原告は,職業ジャーナリストとして,1994年(平成6年)以降,世界の多くの紛争地域等を取材し,2012年(平成24年)及び2013年(平成25年)には2度にわたってシリアに渡航して同地を取材した経歴を有している。また,2014年(平成26年)10月にもトルコに渡航し,同国からシリアに入国を試みたが,これを断念したことがある。

   イ 原告は,平成27年1月上旬頃,再びトルコにおけるシリアとの国境付近からシリアに入国して現地の取材を行うことを計画し,同年2月4日頃までに,同月27日に本邦を出国し大韓民国を経由してトルコに至る大韓航空の航空券(8万8200円)を取得した(甲16の1,2)。

   ウ 原告は朝日新聞から取材を受け,平成27年1月25日付けの朝日新聞新潟版の朝刊において,原告の実名及び顔写真と共に,原告が同年2月,取材のためシリアを目指すこと,紛争地では命を守ることが第一であると考えていること,昨年10月もトルコからシリアに入ろうと試みたが,国境付近でトルコ軍から止められたことがあること等が報じられた(甲14)。

   エ 原告は新潟日報から取材を受け,平成27年2月4日付けの新潟日報の朝刊において,原告の実名及び顔写真と共に,原告が同月27日,取材のため日本を出発し,トルコを経由してシリアを目指すこと,1週間から10日ほど現地に滞在し,難民キャンプなどを取材する予定であること,情勢は刻々と変わるのでシリアに入れるかどうか分からないが,危険を見極めながら行動したいと述べていること等が報じられた(甲15)。

   オ 外務省領事局海外邦人安全課職員は,上記エの記事を受けて,平成27年2月5日,原告に架電し,シリアに渡航する予定の真偽等について尋ねたところ,原告は,同月27日に日本を出国した後,大韓民国を経由してトルコに入国し,シリアとの国境に近いキリスに滞在する予定であり,既に航空券を購入済みであること,キリス周辺において,クルド人難民の取材等をするほか,「A」なる現地の既知の人物と連絡を取り,同人の案内でキリスから国境を越えてシリアに入国し,シリア国内でも取材活動をするなどして同年3月12日に帰国する予定であると述べた。同課職員は,シリア国内は危険であり,外務省から退避勧告が発出されていることなどを伝え,渡航を思いとどまるよう申し向けたところ,原告は,滞在中の拠点はシリア国内ではなくトルコのキリスであること,身の安全についても十分配慮するつもりであることなどを挙げた上で,心配してもらう必要はなく,渡航の意思を変えるつもりはない旨を述べた。

   カ 外務大臣は,平成27年2月6日付けで,原告に対し本件第1処分を発出し,外務省領事局旅券課職員は,同月7日午後7時30分頃,原告の自宅において,本件第1処分を執行し,同日午後7時40分,同所で原告から本件旅券1の返納を受けた。その際,本件第1処分に係る命令書中の返納期限の記載部分には,当初,「平成27年2月 日午 時 分」と日時について一部空欄があったところ,同課職員が上記の執行に当たり,「平成27年2月7日午後7時40分」と空欄を補充した。

  (3) 本件第2処分に至る経緯

   ア 本件第1処分により原告が返納に応じた旅券は,いまだその効力を失っていない。

   イ 原告は,本件第1処分を受けた後,平成27年3月20日,新潟市パスポートセンターにおいて,外務大臣に対し,新たな旅券の発給申請(本件申請)をしたところ,その際,今後,仕事として海外で写真撮影を伴う取材を行うために旅券が必要であるとしつつ,半年又は1年くらい,様子をみるため渡航はしないつもりである旨を記載した書面を提出していた(乙3の2)。

   ウ 外務大臣は,平成27年4月7日,旅券法4条の2ただし書,5条2項の規定に基づき,原告に対し,渡航先を本件渡航先に制限した本件旅券2を発給した。

 

 

 

 

 

 2 争点(1)(本件第1処分の実体法上の違憲性・違法性)について

 

  (1) 国民の海外渡航の自由は,憲法22条2項によって保障された基本的人権であるが,公共の福祉のために合理的な制約に服するものと解されるところ

 

(最高裁昭和29年(オ)第898号同33年9月10日大法廷判決・民集12巻13号1969頁参照),

 

旅券法19条1項4号は,外国に渡航中の邦人又は外国に渡航しようとしている邦人で種々の事情からその生命,身体又は財産に重大な危険が及ぶ事態に立ち至ったものをその危険から保護することを目的とするものであり,

 

またその手段において,当該邦人に旅券を発給した外務大臣等に対し,上記の目的を達成するために当該邦人に渡航を中止させる必要があると認められ,

 

かつ,旅券を返納させる必要があると認められる場合に限り,

 

その旅券の返納を命ずることができる権限を付与するものであって,

 

公共の福祉のためにする国民の海外渡航の自由の制限として一般的な合理性を有するものということができる。

 

 

    そして,外務大臣等の旅券返納命令が適法であるというためには,上記のとおり,対象者について,その生命,身体又は財産の保護のために渡航を中止させる必要があると認められ,

 

かつ,

 

旅券を返納させる必要があると認められなければならないところ,

 

これらの必要性については,個別の事案ごとに,対象者の渡航目的,渡航先の情勢,対象者の渡航計画や安全対策の内容,渡航意思の程度,旅券を返納させることなく対象者の渡航を中止させることの可能性等の諸々の事情を考慮して判断せざるを得ないものであるが,

 

こうした判断は,専門的な知識や知見を基にして渡航先の国・地域の情勢を含む国際情勢等を正確に分析し,時宜に応じて的確に行われる必要がある上,旅券法19条1項の規定文言上も「旅券の返納を命ずることができる」とされていることからすれば,

 

外交を専門的に担当する外務大臣等の裁量に委ねられているというべきであって,

 

 

外務大臣等の旅券返納命令が違法となるのは,その判断が,上記の諸事情に照らし,その許される裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したと認められる場合に限られると解するのが相当である。

 

  (2)ア そこで前記1の事実を踏まえて検討するに,本件では,原告はトルコにおけるシリアとの国境付近からシリアに入国して現地の取材を行うことを計画していたものであるところ,本件第1処分がされた当時,シリアの情勢は,政権側,自由シリア軍その他の反体制組織,ISILその他のイスラム過激派勢力及びクルド人勢力等が相乱れて活動し,紛争状態を呈し,各勢力による衝突,襲撃や拉致等が発生して多数の死傷者が出ており,その中には取材中の邦人のジャーナリストも含まれ,このため,外務省は,シリア全土について退避勧告の危険情報を発出し,その職員も撤収させた上,報道機関関係者等も含め,厳重な注意を呼びかけていた。特に2015年(平成27年)1月末から2月にかけては,ISILがシリアに入国していたとみられる2名の邦人を殺害したとする映像を公開し,その映像の中で,今後も邦人の殺害を継続すると表明しているという状況にあった。

    また,トルコにおけるシリアとの国境付近の情勢も,過去に爆破によるテロ行為により犠牲者が出るなどしていたところ,外務省は,退避勧告の危険情報を発出していたほか,上記の邦人殺害事件を受けて取材活動を行うために邦人記者が集結していた際,その様子が個々の記者が特定できる写真付きでインターネット上に配信されていたため,インターネット等のメディアを利用して邦人の存在を知ったISILが,トルコ国境周辺において,邦人を狙って拉致等に及ぶことが懸念されるとして厳重な注意を呼びかけていた。

 

    以上からすれば,外務大臣において,少なくとも本件第1処分がされた当時,シリア及びトルコにおけるシリアとの国境付近の情勢からすれば,原告が同所に渡航すれば,その生命・身体に危害が及ぶおそれが高いと判断したことは,合理的なものであったといわざるを得ない。

 

   イ(ア) これに対し,原告は,トルコ国内に拠点を置きつつ,シリアにおけるトルコとの国境付近のコバニに限って取材を行うことを計画していたものであるところ,当時のコバニは,武装したクルド人民兵組織の管理下にあり,同組織においてジャーナリストを対象としたプレスツアーが催行され,朝日新聞をはじめとする報道機関の記者等も実際にこれに参加し,無事に取材を終えていたこと,原告としてはあくまで現地で安全と判断できた場合に限って取材を行う意向であったこと等からすれば,原告が渡航することにより,原告の生命や身体に危害が及ぶ具体的危険性は存在しなかった旨を主張する。

 

    (イ) この点,確かに,前記1のとおり,2015年(平成27年)1月下旬,クルド人勢力がISILからコバニを奪還した旨を宣言し,原告が主張するようなプレスツアーが行われ,邦人の記者もこれに参加していたことが認められる。

 

      しかしながら,そもそも,原告は,本件第1処分がされた後の平成27年2月12日に開いた外国人特派員協会での記者会見において,コバニのほかに自由シリア軍が支配する地域での取材も考えていたなどと発言しており(原告本人),シリア国内での訪問先としてコバニのみを予定していたとは認められない。また,前記1のとおり,コバニ自体,クルド人勢力が完全に管理下に置いたものではなく,その一部では武力衝突が続いていた上,ISILにとって,トルコとの国境地帯に位置するコバニは,戦闘員の勧誘や石油密輸の拠点として,戦略上重要な地域であるとされており(乙8,17の1,2),戦略上,一時的に撤退したとしても再び侵攻する可能性があったほか,ISILと他の勢力による武力衝突等に至らないとしても,ISILによる報道機関関係者等に対するものを含めた襲撃や拉致等のテロ行為を行う可能性は相当程度あったものというべきである(乙8,14)。

 

    (ウ) また,原告は,あくまで現地で安全と判断できた場合に限って取材を行う意向であった旨を主張し,この主張に関連して,これまでもシリアを含めた紛争地域を取材した経験があること,過去,トルコからシリアに入国を試みたが,これを現に断念したことや,今回,過去のシリア取材に同行していた既知のシリア人のガイドと現地で連絡がついた上で安全と判断できた場合に初めてシリアでの取材を行うつもりであった旨を供述する(甲27,原告本人)。

 

      しかしながら,原告が過去にシリアを含む紛争地域を取材した経験を有するとしても,地域や時期に応じて情勢等は異なるというべきである上,原告が過去にシリアへの入国を断念したのは,前記1によれば,トルコ軍に制止されたことが大きな要因であったということを指摘せざるを得ない。シリア人のガイドについても事前に連絡がつくのか確定していなかったことがうかがわれる上,2014年(平成26年)以降,トルコ・シリア国境地域では,地元住民らが,金銭と引き替えにイスラム過激派勢力等による外国人の拉致・拘束等に協力・関与する事案も発生しており(乙14),現地において地元住民と接触し,その者の案内でシリアへの入国を試みることが直ちに安全につながるともいい難く,上記供述が原告の渡航における安全対策等が十分なものであったことを裏付けるものとはいい難い。

 

      そして,本件全証拠を検討しても,原告は,政府や法人その他の団体や,あるいは他のジャーナリスト等と連携して,出国前に,通常の邦人以上に精緻な情報収集をし,危険性を分析していたものとは認められず,現地でもその状況は変わらなかったものと推測せざるを得ない。原告が,上記のクルド人勢力によるコバニを奪還した旨の宣言を知ったのも,平成27年1月30日の一般的なテレビ報道によるというのであり(原告本人),詰まるところ原告は,現地の情勢につき,通常の邦人が個人でするのとほぼ同等の情報収集しかしておらず,その分析も原告個人で行う域を出ていなかったものである。

 

      さらに,前記1のとおり,ISILは,インターネット等のメディアを密にモニターしているとされており,これらのメディアを利用して邦人の存在を知ったISILが,シリアとトルコの国境に近い地域において,邦人を狙った拉致等のテロ行為に及ぶことが懸念され,特に2015年(平成27年)1月末から2月にかけて,ISILによる2名の邦人の殺害事件が生じていた頃においては,その懸念が強く生じていたというべきところ,そのような状況下でシリア及びトルコにおけるシリア国境付近に渡航し,取材を行うというのであれば,取材を行う者の人定やその渡航等の計画や時期に関わる情報については,その秘密保持を特に徹底すべきであったというべきであるにもかかわらず,原告は,前記1のとおり,これらについて一般の新聞による取材及び報道を受け,インターネット等のメディアを通じ,善意・悪意,言語を問わず配信され,拡散するおそれがある状況に陥っており,その上で,なお,平成27年2月27日からの渡航計画を中止ないし延期する意向を示していなかったのであるから,その安全対策について,外務大臣が重大な疑義を持ったとしてもやむを得ない。

 

   ウ 以上に加え,原告は,前記1のとおり,外務省領事局海外邦人安全課職員から平成27年2月5日に渡航中止の要請を受けたにもかからず,シリア等への渡航の意思を維持していたものであることを踏まえれば,外務大臣において,原告については,その生命・身体を保護するためにシリアやトルコにおけるシリアとの国境付近への渡航を中止させる必要があり,かつ,そのためには旅券を返納させる必要があると認められると判断したことが,裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとは認められないというべきである。

 

   エ(ア) なお,原告は,本件第1処分は,原告の海外渡航の自由のほか,報道及び取材の自由を侵害し,違憲かつ違法である旨を主張する。

 

      しかしながら,ジャーナリストである原告にとって,本件第1処分は,海外渡航の自由のみならず,報道の自由及び取材の自由に対する制約にもなるものの,前述した事情の下で,原告の報道の自由及び取材の自由よりも原告の生命・身体の安全の方を優先して保護しようとした外務大臣の判断が不当であるということはできない。身命を賭してでも取材及び報道を遂げようとする姿勢は誠に崇高なものというべきであるが,我が国の憲法がいかなる場合にも国民の生命・身体よりその報道及び取材の自由を優先して保護すべきものとしているものとは解されない。そして,そのことに加え,本件第1処分によって返納された旅券は直ちに失効するわけではなく,渡航先の情勢次第では原告に返還される可能性もあった上,返還がされないとしても,原告は,旅券法4条の2ただし書,5条2項の規定に基づき,新たな旅券の発給を受けることは可能であり,原告の海外渡航が全面的に制約されることにはならないものであったことも踏まえれば,外務大臣が裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したとは認められず,本件第1処分が違憲かつ違法であるとはいえないというべきである。

 

    (イ) また,原告は,本件第1処分は政権の保身を目的として首相官邸の主導でされたものであるから違法である旨を主張する。

 

      しかしながら,前述したとおり,本件第1処分がされるに当たっては,原告の生命・身体の保護のために渡航を中止させる必要があり,かつ,旅券を返納させる必要があるとした外務大臣の判断の合理性を支える客観的な事情が存したのであるから,本件第1処分が専ら政権の保身を目的としたものであったということはできないし,仮に首相官邸の意向を踏まえたものであったとしても,そのことによって本件第1処分が違法となるものではない。

 

    (ウ) さらに,原告は,本件第1処分に関し,外務省領事局旅券課職員から旅券を返納しなければ逮捕される可能性がある旨を告げられ,恐怖を感じて本件旅券1の返納に応じざるを得なかったことや,本件第1処分が執行された後,返納の期限まで約10分程度というごくわずかな時間しかなかったこと等をもって,本件第1処分が違法であるかのようにも主張する。

 

      しかしながら,逮捕される可能性を告げられたことについては,旅券返納命令を受けてその期限内に旅券を返納しなかった者は5年以下の懲役若しくは300万円以下の罰金に処し,又はこれを併科する旨の罰則の規定(旅券法23条1項6号)がある以上,虚偽の事実を告げられたことにはならない上,仮にその告知が原告に恐怖を感じさせたとしても,そもそも本件第1処分がされた後,返納に至るまでの事情であって,本件第1処分の適法性自体に影響するものではないというべきである。

 

また,旅券返納命令に係る返納期限については,旅券法19条1項が期限を付けて旅券の返納を命ずることができるとした趣旨は,旅券の名義人が,書面による旅券返納命令の通知を受けた後,実際に旅券の返納を履行するに当たっての時間的猶予を与えたものと解されるところ,本件では,原告の手元に旅券があり,旅券の所在確認や旅券の保管場所までの移動に時間を要しない状況にあったと認められる以上(甲27,弁論の全趣旨),返納期限を一般旅券返納命令書の提示から10分後程度と設定したことに違法性はないというべきである。

 

 

    (エ) その他,原告の主張するところを検討しても,前記判断を左右するものはないというべきである。

 

 

 

 

 3 争点(2)(本件第1処分の手続上の違憲性・違法性)について

 

  (1) 旅券返納命令は,名宛人である旅券名義人の資格又は地位を直接にはく奪する不利益処分であり,原則として聴聞の手続を経ることが必要である(行政手続法13条1項)と解されるが,聴聞の手続は,公益上,緊急に不利益処分をする必要があるため,これを執ることができないときは,省略することができるものである(同条2項1号)。

 

 

    そこで,前記1の事実を踏まえて検討するに,本件では,外務大臣において原告がシリア渡航を計画していることを平成27年2月5日に把握してから,原告が本邦を出国する予定日としていた同月27日まで,3週間程度の期間があった。

 

    しかしながら,他方で,原告は,報道機関等に対してシリアに渡航する意思を明示し,外務省領事局海外邦人安全課職員から渡航中止要請を受けてもその意思に変わりはないことを表明していたものであり,かかる原告に聴聞の手続を実施するとした場合,原告において,聴聞に係る通知(行政手続法15条1項)により旅券返納命令が予定されていることを知り,新たな航空券を購入するなどして渡航予定日を繰り上げて出国する可能性が皆無であったとはいえず,外務大臣としてもそのような事態を想定した対処が求められていたものというべきところ,外務大臣において,聴聞の実施まで上記のような繰上出国を確実に阻止する手段はなかったものと認められる。また,旅券返納命令が予定されていることを知った原告が自己の所在を隠す可能性も皆無であったとはいえず,その場合には,以後の聴聞の手続を中止して直ちに旅券返納命令を発出し,原告への通知に代えて官報に掲載する方法(旅券法19条の2第1項)を採ることで,旅券の効力を失わせる(同法18条1項7号)ことが考えられるが,官報に掲載した日から20日を経過しなければ同命令の通知が原告に到達したとはみなされないことからすれば(同法19条の2第2項),残された期間に鑑み,このような方法によっても原告の渡航を中止させることは困難であったというべきである。

 

    以上からすれば,本件では,国民の生命・身体の保護という旅券法19条1項4号が目的とする公益を図る上で,緊急に不利益処分としての旅券返納命令をする必要があるため,聴聞の手続を執ることができないときに該当するというべきである。

 

  (2) また,前記2のとおり,原告の本件訴訟における主張及び立証を勘案しても,外務大臣が原告の渡航を中止させる必要性及びそのために旅券を返納させる必要性を認めた判断について,その裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとは認められないから,仮に原告について聴聞の手続を執っていたとしても,これによって本件第1処分が行われない可能性があったものとは認め難い。

 

  (3) したがって,原告に対し,本件第1処分に係る聴聞の手続を省略したことにつき,本件第1処分の取消事由となる手続上の瑕疵はないというべきであり,本件第1処分の手続上の違憲・違法をいう原告の主張は採用することができない。

 

 

 4 争点(3)(本件第2処分の本件制限部分に係る実体法上の違憲性・違法性)について

 

  (1) 本件第1処分により原告が返納に応じた本件旅券1は,いまだその効力を失っていないため,原告の本件申請は,旅券の発給を二重に受けようとするものである。

 

    そして,旅券の発給を受けた者は,原則として,その旅券が有効な限り,重ねて旅券の発給を受けることができないが(旅券法4条の2本文),例外的に外務大臣等がその者の保護又は渡航の便宜のため特に必要があると認める場合は旅券の二重発給を受けることができ(同条ただし書),この場合,外務大臣等は,その発行する一般旅券につき,渡航先を個別に特定して記載し,又は有効期間を10年未満とすることができる(同法5条2項)ところ,上記の必要性や旅券の二重発給における渡航先等の限定の内容についての判断は,外務大臣等が,旅券の名義人が旅券の申請に及んだ理由や旅券の必要性,想定される渡航先の情勢を含む国際情勢等の諸事情を考慮して行う専門的な判断である上,二重発給が例外的な処分であること,旅券法の規定文言上も「渡航先を個別に特定して記載し,又は有効期間を10年未満とすることができる」(同法5条2項)とされていることからすれば,外務大臣等の裁量に委ねられているというべきであって,外務大臣等が一般旅券の二重発給をするに当たり,渡航先等に付した限定が違法となるのは,外務大臣等の判断が,上記の諸事情に照らし,その許される裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したと認められる場合に限られると解するのが相当である。

 

  (2) そこで,前記1の事実を踏まえて検討するに,本件では,原告が本件旅券1を返納したことによって,原告については,新たに旅券が発給されない限り,海外への渡航が全面的に制約されることになるものである。

    他方で,本件第2処分において,渡航先が本件渡航先に限定され,イラク及びシリアが除外されていたことについては,本件全証拠を検討しても,前記1のシリアの情勢が,本件申請がされた平成27年3月下旬頃の時点において安定化していたとは認められず,また,外務省はシリア及びイラクの両国について退避勧告の危険情報を発出していた上,原告自身においては,本件申請に当たり,今後仕事として海外で写真撮影を伴う取材を行うために旅券が必要であるとしつつも,半年又は1年くらい様子をみるため渡航はしないつもりである旨を記載した書面も提出しており,イラク及びシリアに渡航する意向及び必要性等を具体的に示していなかったものである。また,今後の旅券の申請に及ぶ理由や旅券の必要性,渡航先の情勢等によるところであるものの,原告としては,本件第2処分を受けた後も,旅券法9条の規定に基づき,渡航先の追加を図る余地が全くないものではないことも指摘できる。

 

    以上からすれば,外務大臣が,原告について,新たな旅券を発給する特別の必要があるものと判断する一方で,イラク及びシリアへの渡航の便宜を図ることが真に必要であるとはいえないものと判断し,旅券法5条2項の規定に基づき,新たに発給する旅券の渡航先をイラク及びシリアを除く本件渡航先に限定したとしても,その裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとは認められない。

 

 

  (3) 原告は,本件第2処分は本件第1処分と連続的・一体的なものとして行われたものであり,本件第1処分が実体法上違憲かつ違法なものである以上,本件第2処分も実体法上違憲かつ違法なものである旨を主張する。

    しかしながら,本件第1処分が実体法上違憲・違法なものでないことは前記2のとおりであるから,原告の上記主張はその前提を欠くものとして失当である。

 

 

 

 5 争点(4)(本件第2処分の本件制限部分に係る手続上の違憲性・違法性)について

 

  (1) 本件第2処分は,申請に基づき当該申請をした者を名宛人としてされる処分であって,行政手続法の明文上,不利益処分に該当しないとされている処分である(同法2条4号ロ)から,処分を受ける原告に対して聴聞の手続を執っていないことに違法はない。

 

  (2) これに対して,原告は,本件第2処分は本件第1処分と連続的・一体的に行われたものであるなどとして,本件第2処分について聴聞の手続をとらなければならないものであった旨を主張するが,旅券法19条1項4号の規定に基づき本件旅券1の返納を命ずる本件第1処分と,原告の本件申請に基づき,本件旅券2を新たに発給する同法5条2項の規定に基づく本件第2処分とでは,その要件及び効果,処分の時点や前提とする事情等が異なるあくまで別個の処分であるから,原告の上記主張は違憲をいう部分を含めて採用することができない。

 

 6 以上の次第で,原告の請求はいずれも理由がないから,これらを棄却することとして,主文のとおり判決する。

 

    東京地方裁判所民事第3部

        裁判長裁判官  古田孝夫

           裁判官  大畠崇史

  裁判官南宏幸は,転補のため,署名押印することができない。

        裁判長裁判官  古田孝夫