SNS上で知り合った男から覚せい剤

 

 

覚せい剤取締法違反,関税法違反被告事件

 

 

【事件番号】 千葉地方裁判所判決/平成28年(わ)第2271号

 

【判決日付】 平成29年11月2日

 

【判示事項】 被告人が営利の目的でスーツケース内に隠匿された覚せい剤を日本へ持ち込んだとされる覚せい剤取締法及び関税法違反の事案につき、密輸組織関係者が関与したものであることを認めた上、被告人が気付かないうちに覚せい剤がスーツケース内に隠匿され、税関検査まで異常に気付く機会がなかったとの被告人の主張を排斥することができないなど、違法薬物の存在につき同人が認識していたと認めるには合理的な疑いが残るとして、無罪が言い渡された事例

 

【参照条文】 覚せい剤取締法41-2

       関税法109-1

       関税法69の11-1

 

【掲載誌】  LLI/DB 判例秘書登載

 

 

について検討します。

 

 

 

 

主   文

 

 被告人は無罪。

 

       

 

 

理   由

 

 

第1 本件公訴事実

 本件公訴事実は,「被告人は,氏名不詳者らと共謀の上,営利の目的で,平成28年11月25日(現地時間),マレーシア所在のクアラルンプール国際空港において,マレーシア航空第70便に搭乗する際,茶色紙等で包まれた覚せい剤2981.6グラムを隠し入れた紺色スーツケースを機内預託手荷物として預けて同航空機に積み込ませ,同日,千葉県成田市所在の成田国際空港内の駐機場において,同空港関係作業員に,同スーツケースを同空港に到着した同航空機から機外に搬出させ,もって覚せい剤取締法が禁止する覚せい剤の本邦への輸入を行うとともに,同日,同空港内の東京税関成田税関支署第2旅客ターミナルビル旅具検査場において,同支署税関職員の検査を受けた際,関税法が輸入してはならない貨物とする前記覚せい剤を携帯しているにもかかわらず,その事実を申告しないまま同検査場を通過して輸入しようとしたが,同職員に前記覚せい剤を発見されたため,これを遂げることができなかったものである。」というものである。

 

 

第2 争点

 本件公訴事実のうち,被告人がマレーシアから機内預託手荷物として預け入れて日本に持ち込んだ紺色スーツケース(以下「本件スーツケース」という。)内に覚せい剤が隠匿されていたことは争いがなく,証拠上も明らかである。検察官は,被告人が本件スーツケース内に覚せい剤等の違法薬物が隠されている,あるいは,隠されているかもしれないことを知っており,共謀も営利目的も認められると主張するのに対し,弁護人は,被告人の知らないうちに本件スーツケース内に覚せい剤が隠匿され,被告人は本件スーツケースの異常に気付けないまま日本に本件スーツケースを持ち込んだのであって,被告人には検察官が主張するような認識や疑いを持っていた事実はないとして被告人は無罪であると主張している。そうすると,本件の主要な争点は,被告人に本件スーツケース内に覚せい剤を含む違法な薬物が隠匿されているとの認識があったか否かである。

 当裁判所は,被告人が本件スーツケース内に覚せい剤を含む違法な薬物が隠匿されていることを認識して本件スーツケースを日本に持ち込んだと認めるには合理的な疑いが残ると判断したので,以下,その理由を補足して説明する。

 

 

第3 前提事実

 

 関係証拠によれば,以下の事実が認められる。

 1 被告人の身上,渡航経緯等

  (1) フィリピン国籍を有する被告人は,平成13年5月頃までに日本人男性と婚姻して,日本人配偶者の在留資格により日本で生活するようになった。本件当時は,夫と別居し,飲食店従業員として稼働しながら,単身で千葉県松戸市内に居住していた。

  (2) 被告人は,SNS上で知り合ったAと名乗る男性(以下「A」という。)と,遅くとも平成28年10月24日(以下,日付はいずれも平成28年である。)から被告人がマレーシアに渡航する11月21日までの間,ほぼ毎日,多数回のメッセージをやり取りしており,被告人が日本に帰国した11月25日にも同様にやり取りしていた。

  (3) 被告人名義口座には11月18日に「B」という友人から10万円の送金があり,被告人は,同月21日に同口座から10万円を出金し,また,出国の数日前には,被告人の勤務先の飲食店経営者C(以下「C」という。)から給料の前借りとして5万円を借り入れた。なお,被告人には,本件当時,このほかにも,少なくともCから8万円,友人であるD(以下「D」という。)から3万円の借入れがあった。

  (4) 被告人は,11月21日に成田国際空港から日本を出国して,翌22日(現地時間),マレーシアのクアラルンプール国際空港に到着した。

 

 

 

 2 帰国の経緯および覚せい剤の発見状況

  (1) 被告人は,11月25日(現地時間),クアラルンプール国際空港において,本件スーツケースと紺色ソフトスーツケース(以下「ソフトスーツケース」という。)を機内預託手荷物として預け入れた上で同空港を出発し,同日,成田国際空港に到着した。

  (2) 被告人は,成田国際空港において,本件スーツケースを受け取り,旅具検査場において,E(以下「E」という。)らによる税関検査を受けたが,その際,本件スーツケース内から覚せい剤2981.6g(以下「本件覚せい剤」という。)が発見された。

 

 

 

 3 本件覚せい剤の隠匿状況

   本件覚せい剤は,本件スーツケースのキャリーが取り付けられている蓋(以下「下蓋」といい,スーツケースキャリーが取り付けられていない蓋を「上蓋」という。)収納部の内張りファスナーを開けた内側の,ねじ止めされたスーツケースキャリーの下の底側に,黒色厚紙で覆われ,さらに,銀色の包み紙等に包まれた状態で隠されていた。覚せい剤の包みの大きさは,縦約37cm,横約35cm,厚さ約5cmであった。なお,本件スーツケースには,衣類合計19点,食品17袋およびおもちゃ1点が詰められていた。

 

 

 

第4 判断

 1 本件スーツケースの異常性について

  (1) 検察官の主張の要旨

    検察官は,本件覚せい剤の隠匿態様やその量に照らせば,本件が密輸組織が関与する犯行であることは明らかであるとした上で,本件スーツケースの外見や中の状態からすれば,事情を知らない者が本件スーツケースを開けたり持ち運んだりすれば,確実に本件スーツケースの異常に気付く状態であり,警察に通報するなどして,覚せい剤が回収不能になるリスクが高い,したがって,密輸組織としては,覚せい剤を確実に回収するために,運搬者である被告人に事前に本件スーツケースに隠匿物があるという事情を告げるはずであり,隠匿物の存在を告げられた被告人としては,その隠匿物が覚せい剤を含む違法薬物かもしれないと分かったはずである,と主張する。

 

 

  (2) 検討

   ア 密輸組織の関与

     前記第3の3記載の本件覚せい剤の隠匿態様やその量に照らせば,本件が複数の密輸組織関係者が関与した犯行であると認められる。そこで,検察官が主張するとおり,密輸組織関係者が,被告人に対し,事前に本件スーツケース内に隠匿物が存在するという事情を告げていたと認定できるかについて検討する。

 

 

 

   イ 本件スーツケースの異常性

 

    (ア) 本件スーツケースを持ち運んだ際に気付き得る異常性について

 

     関係証拠(甲35)によれば,下蓋側の内容物の重量は本件覚せい剤を含めて約8kg,上蓋側の内容物の重量は約4.9kgである。確かに本件覚せい剤に相当する重量差があると認められるが,本件スーツケースについて想定される運搬態様についてみると,本件スーツケースにはキャスターが付いているから,キャスターを利用して移動するのが通常であり,このような運搬態様を前提とすれば,前記重量差に確実に気付くとは考えにくい。また,本件スーツケースを持ち上げるなど,キャスターを利用しないで運搬した場合であっても,衣類,食品等の内容物を含めた本件スーツケースの総重量が約17kg(甲35)であることも踏まえると,上蓋側と下蓋側との約3.1kgの重量差を明らかな違和感として感じるほどのものであるというには大きな疑問が残る。特に,被告人が女性であり,本件スーツケースのほかにもソフトスーツケース等の荷物を持っていたことに照らすと,被告人が本件スーツケースを持ち上げて運ぶ機会が多かったとは考え難く,なおさらその重量差に気付く機会は限定されていたと考えられる。

 

 

    (イ) 本件スーツケースを開けるなどした際に気付き得る異常性について

 

     検察官は,①本件スーツケースの下蓋側収納部の浅さや②本件スーツケースの破損等を指摘する。

 

 

     ①の下蓋側収納部の浅さについてであるが,本件覚せい剤が隠匿された状態での本件スーツケースの上蓋の厚さが0.5cmであるのに対し,下蓋の厚さが5cmであり(甲35),注意して観察すれば,その不自然さに気付く可能性があることは否定し難い。しかし,下蓋には上蓋と異なり,スーツケースキャリーが取り付けられており,その存在により,下蓋の底側に凹凸がある状態であることから,下蓋側収納部が浅くなっていても殊更違和感を抱かなかった可能性も十分考えられ,検察官が主張するような異常なものと評価するのは困難である。

 

     次に,②の本件スーツケースの破損等についてであるが,スーツケースキャリー右下部がねじで止められていないこと,上蓋側収納部の内張りの布の一部のはがれや下蓋側収納部の糸のほつれ,スーツケースキャリーの収納口のひび割れなどについては,その破損箇所や破損の程度に照らして,一見して気付くような異常なものとまではいえない。

 

また,たとえこれらの破損等に気付いたとしても,検察官が主張するような,その異常さから本件スーツケース内に何らかのものが隠されているかもしれないとの疑いに結びつくようなものともいい難い。

 

 

他方,下蓋部の車輪側近くにあるひび割れ(以下「本件ひび割れ」という。)については,その部位および程度からすると検察官が指摘するとおり,一見して異常に気付く破損であるといえる。

 

したがって,本件ひび割れが本件スーツケースに荷物を詰めるまでに形成されていたならば,被告人は当然にこれに気付くことができたといえる上,さらに,本件ひび割れに気付けば,本件スーツケース内の隠匿物に関して何らかの疑念が生じる可能性があることは否定できない。

 

もっとも,関係証拠上,本件ひび割れが形成された時期を特定することはできず,被告人は,荷物を詰めた際には,本件スーツケースには破損等がなかったと供述するので,本件ひび割れに被告人が気付く機会があったかどうかを検討する。

 

 

   ウ 覚せい剤の隠匿時期(本件ひび割れに被告人が気付く機会があったか否か)について

 

    (ア) 前記第3の3記載の覚せい剤の隠匿態様に照らせば,本件スーツケースに本件覚せい剤を隠匿するには,ねじ止めされたスーツケースキャリーを一度外した上で覚せい剤を隠匿するなどの作業が必要であると認められ,そのねじ止めの位置等に照らすと,本件ひび割れは,本件スーツケースの下蓋側の底に覚せい剤を隠匿するための作業をした際に形成された可能性が相当に高いといえる。

 

      そして,検察官は,被告人が本件スーツケースに荷物を詰めた後に,本件スーツケースに覚せい剤を隠し入れる加工をしたり,既に覚せい剤が隠し入れられたスーツケースとすり替えたりするのは困難であるから,本件スーツケースに覚せい剤が隠匿された状態で被告人が荷物を詰めたと推認できると主張しており,この検察官の主張によれば,被告人は,本件ひび割れが既に存在した状態で荷物を詰めたということになる。

 

      これに対して,弁護人は,被告人が本件スーツケースに荷物を詰めた後に,密輸組織関係者が本件スーツケースに覚せい剤を隠匿したり,事前に覚せい剤を隠匿した別のスーツケースと被告人が荷物を詰めたスーツケースとをすり替えることが可能であり,覚せい剤が隠匿された後は,被告人がクアラルンプール国際空港で本件スーツケースを預け入れるまでのほとんどの間,Aが本件スーツケースを運搬したため,被告人には本件スーツケースの破損等に気付く機会はなかったと主張する。

 

      そこで検討すると,前記認定のとおり,本件は,複数の密輸組織関係者が関与した犯行であるところ,被告人の供述を含む関係証拠によれば,Aが被告人のマレーシアへの渡航に大きく関わっていることや,

 

現地においてAの知人らと接触している状況にあったことが認められ,これに反する証拠は存在しない。

 

 

このような事情を前提とすれば,Aやその知人は,本件覚せい剤の密売に関与した密輸組織関係者であることが強く推認される。

 

 

そして,被告人は,本件スーツケースの購入経緯や,荷造りの状況について,「現地時間11月23日(以下,この段落における日時はいずれも現地時間。)にマレーシアで購入した自分のお土産や,日本に住んでいるいとこに渡してほしいとAから頼まれたお土産の量が多くなり,日本から持ってきたソフトスーツケースには荷物が入りきらなくなったため,

 

Aの提案で,翌24日にAと一緒に新品のスーツケースを購入した。

 

 

帰宅後,後でもう一度整理し直すつもりで取りあえずスーツケースにお土産を詰めた後,同日午後6時から7時頃にAと一緒に外食に出かけた。

 

 

外食先ではAの知人2名と食事をしたが,その一人は遅れてやって来た。同日午後10時から11時頃にAの家に帰ってきたが,普段より酔った感じがしたので荷物を整理し直さないまま寝てしまった。

 

翌朝目が覚めた時には,空港の搭乗手続まで時間が迫っていたため,荷造りし直すことなく,前日に荷物を詰めた状態のままで本件スーツケースを持って空港に向かったが,Aの家を出てから空港で本件スーツケースを預け入れるまで,本件スーツケースはAが運んでくれた。」などと供述しており,

 

 

この被告人供述に反する事実は証拠上認められない。

 

被告人の前記供述を前提とすると,被告人が本件スーツケースに荷物を詰めた後に,被告人がAと外食している間や被告人が寝ている間等に,Aの指示や連絡の下,他の密輸組織関係者と協力するなどして,Aら密輸組織関係者が被告人の荷物に覚せい剤を隠し入れたり,覚せい剤が隠匿されたスーツケースとすり替える機会は十分にあったといえる。

 

 

この点について,検察官は,覚せい剤を調達し,本件スーツケースに覚せい剤を隠し入れ,あるいは,被告人が荷造りをしたスーツケースを覚せい剤の隠匿された別のスーツケースとすり替えるには,膨大な作業が必要であるところ,出国前日の夜に荷物を詰めた後,隠匿作業が行える時間は長くても10時間程度であり,限られた時間で行うのは現実的ではなく,また,被告人に気付かれずに行うのも困難であると主張する。

 

 

しかしながら,密輸組織としては,被告人の渡航が決まった段階で,事前に覚せい剤の調達を行っておくことが可能であるから,実質的な作業の内容は,被告人のスーツケースの荷物を取り出した上で,覚せい剤を隠し入れ,その荷物を詰め直すといった程度であり(すり替えの場合でも,被告人らが購入したスーツケースと同じスーツケースを入手することさえできれば,実質的な作業の内容はそれほど変わらないと考えられる。),

 

 

数時間のうちに作業を終えることは十分可能であるといえる。

 

 

また,仮に予定よりも作業に時間がかかってしまった場合であっても,被告人は外食時を含めてほとんどの時間をAと行動を共にしているのであるから,Aが帰宅時間を調整するなど,被告人の行動を一定程度コントロールすることが可能であった。

 

 

そうすると,検察官の指摘を踏まえて検討しても,Aら密輸組織関係者が,被告人が荷物を詰めた後に,覚せい剤を隠し入れ,あるいは,覚せい剤が隠し入れられたスーツケースとすり替えるなどの作業を被告人に気付かれずに行うことは十分可能であったといえる。

 

 

以上によれば,被告人が荷物を詰めた後に,密輸組織関係者によって,被告人に気付かれないうちに本件スーツケースに覚せい剤が隠匿され,その後,税関検査時まで被告人には本件スーツケースの異常に気付く機会はなかったとの弁護人の主張を排斥することはできない。

 

 

    (イ) なお,検察官は,本件スーツケースに被告人の荷物も詰められていることに照らすと,本件スーツケースの回収までに被告人が本件スーツケースを開けることを密輸組織は想定しているはずであり,その際に被告人が異常に気付いた場合のリスクを密輸組織が冒すはずがなく,そのリスクを回避するためには,被告人に事前に情報を告げたと考えるのが合理的であるともいう。

 

 

しかしながら,マレーシアを出発するまでは,前記のとおりAが本件スーツケースを管理するなどしてそのリスクを回避することが可能であるし,日本への帰国後においても,速やかに本件スーツケースを回収するための連絡手段が存在し,

 

現に,被告人の搭乗便の帰国予定時刻頃,Aが被告人に対して多数のメッセージを送信していた(甲38メッセージ履歴(50))。

 

 

その上,被告人は,本件スーツケース内に在中した土産品を日本にいるAのいとこに渡してほしいと依頼され,

 

しかも,本件スーツケースの代金はAが支払ったというのであるから,Aの依頼に応じて本件スーツケースごと土産品を渡すことも十分考えられる。

 

 

したがって,被告人の帰国直後,密輸組織関係者がAのいとこを名乗って直ちに接触するとともに,Aがその人物にスーツケースごと土産品を渡すよう被告人に依頼すれば,相当程度の確実性をもって,被告人に異常に気付かせないままに本件スーツケースを回収することは十分可能であるといえるのであって,覚せい剤を確実に回収するためには,密輸組織が被告人に事前に隠匿物が存在する旨の情報を告げていなければ本件スーツケースを回収できなかったとも断定できない。

 

 

   エ 小括

     以上検討したところによれば,検察官が指摘する本件スーツケースの異常性については,その指摘する異常な状態のほとんどが,そもそも本件スーツケースの運搬者においてスーツケースの中に何らかの隠匿物が入れられているかもしれないとの疑念を抱かせるような事情であるといえるか大きな疑問が残る上,そのような疑念の契機になり得る異常についても,被告人においてこれに気付く可能性がなかったとの合理的な疑いが残る。

 

そして,本件においては,被告人に隠匿物が存在することを事前に告げなければ密輸組織において確実に覚せい剤を回収することが困難であるともいい難い。そうすると,本件スーツケースの異常性を前提とすると,密輸組織が覚せい剤を確実に回収するために,被告人に本件スーツケース内の隠匿物の存在を告げたはずであるというには合理的な疑いが残り,検察官の主張は,採用することができない。

 

 

 

 2 被告人の渡航目的について

 

  (1) 当事者の主張の要旨

 

    検察官は,被告人とAはSNSで知り合っただけで人的関係が希薄であることや被告人の本件当時の経済状況に照らせば,被告人が単にAに会いに行くためだけにマレーシアに渡航することは考え難く,

 

それなのに被告人がさらなる借金をしてまで渡航したのは,本件渡航により何らかの報酬が得られる見込みがあったからである,

 

そして,本件で報酬を得られる理由としては本件スーツケースの日本への持込み以外に考えられない,

 

したがって,被告人は,本件スーツケースの中には,日本に持ち込むことで報酬が得られる対象物として容易に想起される覚せい剤を含む違法薬物が隠されていることを認識したはずであると主張する。

 

これに対し,弁護人は,被告人は,Aからの「愛している。」,「会いたい」とのメッセージや航空券を誕生日のプレゼントに贈るから会いに来てほしいとの甘言に乗せられ,Aに会いに行くためにマレーシアに渡航したにすぎないと主張する。

 

 

 

  (2) 検討

    前記のとおり,被告人は,本件渡航までにAと多数回のメッセージのやり取りを行っていたことが認められるが(甲38),

 

その主な内容は,互いに「愛している」,「会えなくて寂しい」とのメッセージを交換するものであり,

 

中には,Aが被告人に求婚する内容のメッセージや,Aから被告人に対し,あなたのために航空券を購入する,早くビザを手に入れてマレーシアに来てほしいなどというものもあり,

 

その内容自体,被告人はAに会うためにマレーシアに行ったにすぎないとの弁護人の主張に沿う内容である。

 

 

また,そのようなメッセージのやり取りの経緯に照らすと,被告人が供述するように,誕生日に航空券をプレゼントするというAの提案に応じて,Aに会うためにマレーシアに渡航したとしても,不自然とまではいえない。

 

 

他方で,Aから被告人に対して何らかの仕事を頼みたいとか,報酬を支払うといった,報酬目的で渡航したことをうかがわせるような内容のメッセージは一切送られていない。

 

 

また,被告人が帰国時に所持していた現金の額は約8万円であり(甲36),被告人が渡航前に借り入れた現金の額よりも少なく,被告人がマレーシアでAら密輸組織関係者から報酬を受け取ったことを裏付ける所持金も存在しない。

 

 

 

    この点について,検察官は,

 

①被告人とAのメッセージの内容は希薄であり,渡航目的を偽装するための表面的なやり取りである,

 

②被告人が送ったメッセージの中には,被告人がマレーシアに行くことへの不安を示すメッセージがあり,これは犯罪行為へ加担することの不安の表れではないかなどと主張する。しかしながら,まず,②の犯罪行為加担への不安の表れとの点についてみてみると,

 

 

弁護人の主張を前提としても,被告人は好意を持っているとはいえ,SNSで知り合っただけで詳しい素性を知らない男性に会うために単身で海外渡航することとなるのであるから,漠然とした不安を示したとしても何ら不自然ではない。

 

 

むしろ,前記メッセージの内容に照らせば,被告人が不安を示したのに対し,Aが被告人に対して「あなたを愛しています。」,「私のことを怖がらないで。」,「信頼してください。」などと,

 

犯罪行為に関わるような具体的な不安を払しょくし得る内容とはいえないメッセージを送った直後,

 

被告人は「私は信じます。私はそちらへ行きます。」などと不安が解消されたかのようなメッセージを送っていることなどに照らすと,

 

被告人は,マレーシアに渡航することに関する漠然とした不安を抱いていたにすぎないとみるのが自然である。また,

 

 

①の渡航目的を偽装するための表面的なやり取りであるとの点は,メッセージの内容には,前記のような被告人の自然な心情を吐露すると思われるメッセージも含まれていることに加え,相互にやり取りしたメッセージの頻度が著しく,また,被告人が勤務時間と思われる時間帯にも多数のメッセージを送信しており,その際に送信したメッセージの内容等に照らしても被告人の生活実態に即したものであるとうかがわれることなどに照らすと,被告人とAとのメッセージのやり取りが,検察官が主張するような偽装工作であると認めるには合理的な疑いが残る。

 

    また,被告人の経済状況について検察官が主張する点についても,確かに,被告人は,前記第3の1(3)で認定したとおり本件当時複数の借入れがあったほか,

 

被告人自身,当公判廷において,その借金のほかにも自らが借り入れ,又は保証人になっているものも含めると約100万円ほどの借金があると述べているものの,

 

借入先が証拠上明らかな借金は,前記の被告人の友人や勤務先からのもので,いずれも被告人に返済を催促しておらず,

 

それどころか,被告人は,今回の渡航に当たり,容易にCや知人から借入れをすることができている。

 

 

さらに,被告人が述べるその他の借金についても,証拠上,被告人が返済に迫られていたとはうかがわれない。

 

 

そうすると,被告人が高額の報酬目当てに犯罪行為に加担しなければならないほど借金の返済に窮していたとはいえないし,Aからの航空券をプレゼントするのでマレーシアに来てほしいとの誘いに応じて,被告人が更なる借金をして海外渡航をしたとしても不自然とまではいえない。

 

むしろ,被告人が報酬約束のある犯罪行為に加担するために海外に渡航するのであれば,わざわざ借金をしてまで渡航するのは不自然であるともいえる。

 

 

    さらに,検察官は,被告人はそれまで夫以外の男性との交際をCやDに隠していなかったのに,

 

Aに会いに行くための渡航については,被告人が両名に対し,夫を熱海に連れて行くなどと虚偽の事実を述べて隠していたことから,

 

単にAに会いに行くためではなく,他人に言えないような渡航目的があったのではないかとも主張する。

 

 

しかしながら,弁護人の主張を前提としても,被告人は夫以外の男性に会いに海外に行くためにCから借金をしたり,仕事を休むなどしていたのであるから,その後ろめたさから本件渡航を知人に内緒にしていたとしても不自然とはいえない。

 

    その他,検察官が縷々指摘する点は,いずれも被告人に報酬目的があったことを積極的に推認させるような事実とはいえない。

 

  (3) 小括

 

    以上によれば,被告人のメッセージの内容や帰国時の所持金などの客観的証拠により認められる事実は弁護人の主張に沿うものである上,検察官が指摘する事実は,いずれも被告人に報酬目的があったことを推認させる事実とはいえない。したがって,本件渡航時に被告人に報酬目的があったと認定するには合理的な疑いが残り,検察官の前記主張は,採用することができない。

 

 

 

 

 3 税関検査時の言動

 

  (1) 当事者の主張の要旨

    検察官は,被告人の税関検査時の言動は,本件スーツケース内に覚せい剤等の違法薬物が隠されているかもしれないと認識していたことを裏付ける言動であると主張している。これに対し,弁護人は,被告人の税関検査時の言動は,むしろ前記のような認識がないものの言動と考えるのが自然であると主張している。

 

 

  (2) 検討

    被告人の税関検査を行ったEの証言によれば(なお,Eは,税関検査業務の経験が十分にあり,本件当時も職務として税関検査時の被告人の言動を注意深く観察していたと考えられる上,特に虚偽の供述をする動機もないことに照らすと,その証言内容は十分信用することができる。),

 

被告人は,税関検査時に,他人から運搬を依頼された物は持っていない旨の記載をした携帯品・別送品申告書や他人から預かったスーツケースや土産品はない旨記載した確認書を提出していること,

 

Eが検査室での検査において,被告人に対して本件スーツケースのエックス線検査を求めると,それまで終始笑顔であった被告人が急にうつむいて表情がくもり,エックス線検査を直ちには承諾しなかったこと,

 

エックス線検査後,本件スーツケースを解体して,下蓋側の内張りファスナーを開けた内側にある黒色厚紙の下から銀色の包みが見えると,中身がまだ見えない段階で,包みの中身について,何かわからないがドラッグかもしれないと述べたこと,

 

現行犯逮捕の前後に,被告人が「マレーシアにいる友達を捕まえてほしい」,「住所や連絡先,名前を教える」などと発言したことなどの事実が認められる。

 

 

    前記事実のうち,携帯品・別送品申告書や確認書の記載内容については,被告人は,本件スーツケースは被告人がAと一緒に購入したものであるし,Aに運搬を依頼された土産品も食料品や衣類にすぎない上,被告人自身が荷造りを行ったのであるから,特に問題ないと思い,他人から預かったものがあるとわざわざ申告しなかったと説明している。

 

 

Aから預けられた経緯やその物品の価値等に照らし,この被告人の供述内容が特段不自然・不合理であるとまではいえない。

 

 

また,エックス線検査を求められた際の被告人の言動は,検査台から検査室に移動を求められ,本件スーツケースを開披しても検査が終わらず,エックス線検査まで求められた者の戸惑いや不安の表れとみることもできるし,

 

包みの中身が見えない段階でドラッグかもしれないと発言したという点も,このような発言がなされた経緯や本件スーツケースについて別室での検査やエックス線検査が行われ,

 

被告人自身が本件スーツケースに明らかな異影があることを確認した後の発言であるから,

 

税関検査の過程で初めて本件スーツケース内にドラッグが隠されているかもしれないとの疑いを持った者の発言としても十分説明できるものである。

 

 

確かに,現行犯逮捕の前後に直ちにマレーシアの友達を捕まえてほしい旨発言したとの点は,やや唐突な感が否めず,不自然さがないとはいえないが,

 

被告人がマレーシアで行動を共にしていたのは主にAなのであるから,マレーシアから帰国した直後,仮鑑定までなされたり,逮捕する旨告げられれば,それらの時点で,Aに騙されたことに思い至ったとしても,本件スーツケース内に違法薬物が隠匿されていることを知らなかった者の行動としてあり得ないとはいえない。

 

 

その他,検察官が指摘する被告人の言動は,いずれも被告人の認識を推認させるようなものではなく,被告人の言動全体をみても,本件スーツケース内に覚せい剤が隠匿されていることを知っていた者の言動としか評価できないものであるとはいえない。

 

  (3) 小括

    以上によれば,税関検査時の被告人の言動が,本件スーツケース内に覚せい剤等の違法薬物が隠されているかもしれないと認識していたことを裏付ける言動であるとの検察官の主張は採用できない。

 

 

 

第5 結論

 以上のとおり,検察官が主張する各事情を検討しても,被告人が日本への入国時に本件スーツケース内に覚せい剤を含む違法薬物が隠匿されていることを認識していたことを強く推認させる事情は見当たらず,被告人にそのような認識があったと認めることには合理的な疑いが残るというべきである。

 

 結局,検察官が主張するその余の点について判断するまでもなく,本件公訴事実については,犯罪の証明がないから,刑訴法336条により,被告人に対して無罪の言渡しをする。

 

(求刑 懲役13年および罰金500万円,覚せい剤1袋没収)

 

  平成29年11月2日

    千葉地方裁判所刑事第5部

        裁判長裁判官  市川太志

           裁判官  本間明日香

           裁判官  米満祥人