秋田市国民健康保険税事件

 

 

国民健康保健税賦課処分取消請求控訴事件

 

 

【事件番号】 仙台高等裁判所秋田支部判決/昭和54年(行コ)第1号

 

【判決日付】 昭和57年7月23日

 

【判示事項】 国民健康保険税条例において、税率を定率ないし定額によつて定めず、課税権者に課税総額の確定を委任し課税権者が右課税総額を基礎に税率を決定する旨規定することが、憲法92条、82条に違反するとされた事例

 

【参照条文】 憲法30

       憲法84

       憲法92

       地方税法3

       地方税法703の4

       秋田市国民健康保険税条例(昭53条例16号による改正前のもの)2

       秋田市国民健康保険税条例6

 

【掲載誌】  行政事件裁判例集33巻7号1616頁

 

 

について検討します。

 

 

主   文

 

 本件控訴を棄却する。

 控訴費用は控訴人の負担とする。

 

       

 

事   実

 

第一 当事者の求めた裁判

(控訴人)

 一 原判決を取り消す。

 二 被控訴人らの請求をいずれも棄却する。

 三 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの連帯負担とする。

(被控訴人ら)

  主文と同旨

第二 当事者の主張

   当事者双方の主張は、次のとおり付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(被控訴人ら)

  請求原因四項(本件条例の違憲性)の主張を、次のとおり補充する。

 一 租税条例主義の意義

   憲法八四条が定める租税法律主義は、地方税については、その課税要件、手続規定等を条例によつて定めることを要するという趣旨においてその適用があるというべきで、この意味での租税条例主義は憲法上の要請である。

   そして、租税条例主義の重要な内容をなす課税要件条例主義(課税要件法定主義)からすれば、課税要件に関する定めをなすことを行政庁の命令に委任することは、ほかの事項に阻する場合とちがい特に最小限度にとどめられなければならないのであり、委任立法には明示の具体的個別的委任が必要であるとの要請は、課税要件に関する委任立法には特に厳格に適用されなければならない。したがつて、条例が明示の委任規定もなしに重要な課税要件の決定を一般的白紙的に課税権者に委任するこどが、憲法上許されないことは明らかである。

 また、同じく租税条例主義の重要な内容をなす課税要件明確主義からは、課税権者の恣意的な課税を排し、国民の財産権が不当に侵害されることを防止するとともに、国民の経済生活に法的安定性と予測可能性を与えるために、課税要件は、その税額を算定するについて課税権者の恣意的な裁量を容れる余地がなー、かつ、納税義務者がある程度に自己に賦課される税額を予測することができ、不当または違法な課税処分に対し、行政上の不服申立、訴の提起をなすべきか否かについて合理的判断ができる程度に一義的かつ明確に規定されることが要請されるのが当然である。

  なお、学説・判例において、公平負担の要請から複雑多様な私経済取引の実態とその変遷に対処するため、換言すれば、租税回避行為防止の見地から、不確定概念の形で課税要件を定めることは必ずしも租税法律主義に反しないとされているが、これらは課税物件、課税標準、税率などの課税要件の基本的、積極的要件が法律によつて明確に定められていることを前提とし、これらの課視要件を充足しないような法形式を選択して課税を免れようとすることを防止するための規定、すなわち、租税回避行為を防止するどいういわば消極的課税要件、ないしは、課税要件基本規定に対する「別段の定め」について、ある程度の概括規定は憲法に反しないと論じているにすぎないのであつて、しかも、この概括規定は、解釈によつてその内容を明確にすることができるものであることが必要であるとされているのである。したがつて、この議論を拡張したとしても、公平負担の要請とは無縁な、しかも税率という基本的課税要件にかかわり、その規定の解釈によつてもその意義、内容を確定することが不可能な課税要件を定めることは、右のような課税要件明確主義の緩和によつても、合憲とする余地は全くないというべきである。

二 本件条例二条、六条は租税条例主義に違反する。

 1 課税総額に関する控訴人の主張の動揺性と不明確性

  本件条例において、課税総額はそれ自体税額を決定する課税要件をなすものであるのに、その意義及び確定方法について条例上は全1明らかにされておらず、その意義及び確定方法於いかなるものであるか、かかる課税総額規定が租税条例主義に反しないかが本件訴訟の最大の争点である。しかるに、控訴人の課税総額に関する主張は二転、三転し、なお不明確である。

  すなわち、控訴人は、原審においては、課税総額とは、国保会計予算に計上された現年課税分を収納率で除した金額(予算上の調定額)に、(イ)課税限度額を超える額、(ロ)低所得者に対する軽減額、(ハ)擬制世帯主に対する軽減額(昭和五〇、五一年度のみ)を合算したものであると、内容的に定義づけ、これが各年度の当初予算の可決成立と賦課期日の到来とにより自動的に確定し、控訴人がその後に行うのは既に客観的に確定した課税総額の顕出作業にすぎないと主張していた。ところが、当審においては当初原審での主張を多少修正のづえ維持するかにみえたが、その後、原審においての主張は、課税総額に相当する具体的数値は特別の事情のない限り右金額とするのが最も合理的と認められるので、本件各年度分については右金額をもつて具体的税率の算定作業を行つたことを主張したまでだとして、条例二条の課税総額の意義について税率算定の基礎数値であるとの自明の性質を指摘するのみで、その積極的定義づけを放棄してしまつた。そして、課税総額の確定方法についても、予算と条例との混同、確定にあたつての課税権者の明白な裁量の存在を指摘されて、当審では、条例二条は「百分の六十五に相当する額以内」との制限内で具体的課税総額をいくらとするかの判断を課税権者に委ねたものであり、課税権者は右の唯一の制限があるほかは、その自由な裁量により課税総額を丙部的に決定することができると主張するに至つた。したがつて、予算上の数値を用いたそれまでの主張は、課税権者がその裁量権を恣意的に行使していないこと、恣意的裁量をする余地がないことの事実上の一根拠としての意義しかもたないことになつたのである。

2 本件条例二条、六条の「課税総額」について

 (一) 課税総額規定は不確定概念以前の欠陥規定である。

  (1) 課税総額の意義

  本件条例二条に規定する課税総額は、同条例六条により税率を算出するための基礎となる課税要件であるが、その意義、確定方法について全く規定がなー、これを、常識的解釈によつて、納税義務者に対する国民健康保険税(以下保険税という。)の課税額の総額と解するときは、条例三条但書及び一二条の減額規定があるため、これをもとに条例六条により算定した税率で賦課すると、これに上り賦課される課税額の総額は、右総額よりも必然的に少なくなつてしまうから、右の常識的な解釈は成立しない。しかし、だからといつて課税総額についての一般的定義づけを放棄するような控訴人の前記主張も、地方税法七〇三条の四第二項の標準課税総額が明らかに保険税の課税額の総額という実体をもつたものとして前提されていることに対比すれば、明らかに誤りである。また、条例二条は、納税者側の負担を療養諸費の保険者負担分に対する一定割合によつて制限しよづとするものであることが明白であるが、控訴人らが本件処分のときにしたように前記1項の(イ)、(ロ)、(ハ)、等のその負担外のものを納税者側の負担分に加算すると、その立法趣旨に反して同条は意味のない死文と化してしまうことになる。さらに、条例六条は応能割と応益割とに一定の割合で保険税を負担させようとするものであるところ、課税総額に右(イ)、(ロ)、(ハ)等を加算すると、その立法趣旨に反し、現実の賦課割合は、右条例上の割合とは異なつたものとなつてしまう。

 結局において、本件条例二条、六条の課税総額とはいかなる概念であるのかは、解豕によつては明らかにできず、もちろん通常の判断能力を有する一般人がその内容を理解することは到底不可能であつて、したがつて、それは解釈によつて補うことの是非が問われるべき不確定概念以前の問題であり、そもそも法の体裁をなさない欠陥規定というベきである。

(2) 課税総額の確定方法

  本件条例は、誰が、いかなる形式で条例二条の課税総額の金額を確定するかについて全く規定しておらず、他方、これが自動的に確定するものでないことは明らかである。

  そして、現実には、ある年度の課税総額を確定するには、次のような手続が必要である。すなわち、条例二条の「保険税の課税総額は、当該年度の初日における療養の給付および療養費の支給に要する費用の総額の見込額から療養の給付についての一部負担金の総額の見込額を控除した額の百分の六十五に相当する額以内とする。」との規定により、第一に、右二つの「見込額」を算出しなければならず、第二に、この見込額を基礎とする右の「百分の六十五に相当する額以内」において課税総額を決定しなければならないのである。

 右第一の点は、医療費が政治・経済の動向や自然現象によつて予測困難な変動を示すことに照らせば、右「見込額」というのはあまりに不明確なものといわざるをえず、かかる「見込額」に課税要件をかからしめることは許されないというべきであり、仮に許されるとしても、条例に、その「見込額」の算出方法を具体的に規定すべきは当然である。

 右第二の点は、「百分の六十五に相当する額以内」という規定の仕方自体が課税要件規定として不確定であることを示しており、また、控訴人主張のように、課税権者に対し、右制限内で、その自由な裁量により課税総額を決定することが委任されたものとは到底解することはできない。なお、控訴人は罪刑法定主義が支配する刑罰法規においてすら、刑罰について一定範囲の幅がある定め方がなされていることをもつて、課税要件たる課税総額についても幅のある定め方が許されるかのように主張するが、罪刑法定主義と対比するなら、刑法における構成要件の明確性の要請こそが課税要件明確主義と対比されるべきであり、しかも、刑の量定を立法、行政から独立した裁判官が行うことと、課税要件たる課税総額の決定を課税権者自身が行うこととの間には人権保障の見地からも格段の、質的な差異がある。

 ところで、控訴人は不確定概念を使用した租税法規を課税要件の明確性の要請を緩和することにより許容する学説、判例を引用して、本件条例の不明確な課税総額規定も許容されるかのような主張をするが、すでに前記一で述ベたように、本件とその引用にかかる事例とは、全1場面を異にするものというべきであり、不確定概念の使用を租税負担の公平確保の視点以外の見地から合憲とする学説、判例は存在しないのである。ましてや、本件条例の「課税総額」のように、どのような解釈論、解釈技術をとつてみても、その意義、概念を確定しえないものは不確定概念とすらいえず、これを課税要件明確主義の緩和により合憲とすることなどは論外である。

 (3) 結び

   以上のとおり、条例二条、六条における課税総額規定は、その意義が全く不明確で、これを、誰が、いかなる形式で確定するのかについての規定を欠き、さらに、その算出基準も、二つの「見込額」や「相当する額以内」との規定で、あまりに不明確であり、また、それ自体不確定である。そして、かかる規定の不備、不確定は解釈によつて補うこともできないのであつて、課税総額規定は、不確定概念以前の欠陥規定というほかない。

(ニ) 課税総額規定には、課税庁の恣意的裁量の余地がある。

 (1) 課税庁の恣意的裁量が可能な理由

   本件条例二条、六条の課税総額規定が右のような欠陥規定であるため、課税庁はこれをどのようにでも定義づけることが可能であり、また、その確定の形式も課税庁が「合理的」と認めるいかなる方法によることも可能である。さらに、課税総額の金額は、条例の規定上も不確定であるため、課税庁が「必要」と認める金額がそのまま課税総額とされ、これを基礎に税率が決定される可能性がある。このように課税総額規定は、課税庁に無制限ともいえる広範な裁量を加える余地を与えその恣意や乱用をまねくおそれがある。

   しかも、唯一の制約とみられる「百分の六十五に相当する額以内」という規定も、現実には、法律上の拘束としては実質上無意味である。というのは、地方税法七〇三条の四第二項が「百分の六十五」との標準課税総額を定めるにあたつて前提とした国民健康保険事業特別会計(以下国保会計という。)の標準モデルに比し、秋田市では、任意給付費及び保険施設費が極端に少ないこと(標準モデルが、療養の給付及び療養費の支給に要する費用の二〇パーセント相当とみたのに、秋田市ではその一〇分の一(二パーセント)未満)、標準モデルが挙げていない国、県や一般会計からの補助金が若干存在し、この二つの要因により、修正したうえで、標準モデルと同様に療養諸費保険者負担分に対する国保税の課税総額の割合を算出すれば、標準モデルでは「百分の六十五」のところが、「百分の三十五」程度の低い割合で足りることになるのである。したがつて、控訴人がいかに課税総額を恣意的に増額させても、これを倍増させるようなことがないかぎり、条例二条の「百分の六十五に相当する額以内」との規定には違反することはないのである。

(2) 恣意的な課税総額の決定の実態

  控訴人は、本件各年度の課税総額の決定について、国保会計予算(税率算定時の現計予算)の現年課[分を基礎に、これを収納率で除した金額(調定額)に、(イ)限度を超える額の総額、(ロ)低所得者に対する軽減額の総額、(ハ)擬制世帯主に対する軽減額の総額(昭和五〇年度のみ)を加算して、これを課税総額とした。しかし、収納率の導入及び右(イ)、(ロ)、(ハ)の加算自体に根拠がないばかりか、その適用収納率の決定、右加算の要否の決定も恣意的である。

  しかも、算定の基礎とした「現年課税分」の金額についても、本件条例二条が明らかに単年度主義をとつており、条例上なんらの処理規定も存在しないのに、前年度の赤字、黒字の繰り入れを行い、そのうえ、原審でも述べたように、右赤字、、黒字の繰入れ額を恣意的に増減したのである。また、現年課税分を基礎として課税総額を定めるということは後記6項で詳述するように、誤つた国保会計の収支均衡論により、控訴人の恣意的裁量や政策的判断によつて、ほぼ無制限に課税総額の範囲を拡大できることを意味している。

  さらに、控訴人は、昭和五〇年度については被保険者の減少を理由として、昭和五一年度については七月一日の調定額に対する決算時の調定額の増加を理由として、それぞれ調定額を減額する措置を講じているが、このような特殊事情を考慮して課税総額を変更することは何ら法的根拠がないばかりか、このような特殊事情に対応するための課税庁内部の基準、方針も一定せずに全く便宜的な処理がなされており、課税庁の広範な恣意、裁量を許す結果となつているのであつて、それが、たまたま納税者の利益となつたからといつて合理化できるものではない。

  さらに、控訴人は、条例二条の「見込額」についても、昭和五〇年度においては当初減額計上した国庫負担金の処理に関連して、昭和五一年度においては予算編成時に明らかに見込まれた前年度の黒字分の繰越金不計上に関連して、いずれも明らかに予算とは異なる「見込額」、つまり医療費の改訂による増額を見込んだ「見込額」を用いていたものであつて、条例二条の「見込額」規定の不備、不明確が原因で、「見込額」についても恣意的な取扱いがなされていたのである。

 (3) 以上のとおり、本件条例二条、六条の課税総額規定には、課税庁の恣意的裁量の働く余地があることは明白である。しかも、課税総額規定は条例六条により直接に税率を規定する課税要件であるから、本来課税庁によるいかなる裁量の余地もあつてはならないのであり、したがつて、税率が課税庁の裁量によつて決定されるなどということは近代租税法においてありうべきことではないのであるから、以上の恣意的裁量の働く余地があるとして指摘した点が、仮に恣意的とまではいえないものとしても、許されない裁量であることには全く変りがないというべきである。課税総額の確定及びそれに基づく税率の確定は、種々の政策的判断を含むものであつて、その決定は議会によつて行われるべきであり、たとえ、その政策的判断が恣意的とまでいえないとしても、課税庁の決定のみに委ねられてはならないのである。

   また、控訴人が課税総額についての一般的見解を主張することをやめて、本件各年度においてはかきの如く課税総額を取扱つたという形での主張にとどめたのは、課税庁の主張として無責任であり、右の各年度の取扱いとしての主張は、控訴人の一般的見解の主張として評価されなければならない。

(三) 控訴人主張の課税庁への委任論について

 (1) 委任立法の限界

   憲法上許容される委任立法は、法律の補充的規定、法律の具体的規定及び法律の解釈的規定に止まるものであつて、広範な一般的委任は許されず、また法律自体に明示の委任規定がなければならない。しかも、委任立法は適式に成立した成文規定でなければならない。そして、国民の権利を制限し、国民に義務を課す事項について、法律が行政庁に対し法規定立行為ではなく行政行為をなすことを委任することは、委任立法論によつても許容されるものではない。すなわち、委任立法は、国民の権利・義務に関して本来法律で規定すべき事項を、例外的に行政庁に委任して、行政機関による法規の定立を許しているのであり、これと本質的に異なる行政行為が法規範たりえないことは当然であつて、法規範によらずに国民の権利を制限し、義務を課すことは憲法上許されるものではないのである。

(2) 本件条例二条、六条は課税要件条例主義に違反する。

  控訴人は、前述のように、当審において本件条例は、「百分の六十五に相当する額以内」という範囲内で具体的に課税総額をいくらとするかについて、課税庁による決定に委ねているとの主張をする。

  しかし、本件条例中にはその旨の授権規定は存在しないのであつて、課税要件条例主義のもとで、税率を直接規定する重要な課税要件を定めることが明示の具体的、個別的な委任規定もなしに課税庁に委任されるということはありえない。このことは、本件条例中には右のような委任立法の制定手続や成文規定(文書)の形式等についての何らの規定も存しないことからも明白である。しかも、本件条例上、課税総額は毎年変動することが予定されているのであるから、その決定を一般的、包括的に課税庁に委任する授権規定があるはずはない。したがつて、控訴人は、条例上なんらの委任がないのに、課税権者h決定という形態での立法行為を授権されたとして権限行使をしたものであつて、これが違憲であることは明白である。

  そして、仮に、明文の委任規定が存在しないにもかかわらず、本件条例上は課税総額の決定が課税庁に委任されていると解したとしても、本件においては、委任立法と目されるべき何らの成文規定(文書、書面)も存しない。つまり、控訴人は、単に内部的に課税総額を「決定」しているにすぎないのであつて、かかる内部的な「決定」が税率についての委任立法の一種として住民に対して法的効力をもつというようなことはおよそありえない。しかも、課税総額は毎年度変更されることが不可避であり、かつ、その意義は前述のとおり課税庁たる控訴人にも定かではなー、その確定手続も条例上何ら規定されていないのであるから、控訴人の主張する委任は、課税総額の決定を一般的、白紙的に委任したものとならざるをえないことになる。したがつて、本件条例が控訴人に対し課税総額の決定を委任していると解するときは、明らかに委任立法の限界を超え、課税要件条例主義(課税要件法定主義)に反するものであるといわざるをえない。なお、控訴人は法律(条例)が法規定立行為ではなく、具体的処分内容の決定を行政庁に委任されることも許容されるとして、判例を挙げるが、それらは明示の委任条項が存在し、しかも、それには一定の決定の基準が示されているのであつて、本件のような明示の委任条項が存在せず、何ら明確な基準内容のない場合とは異なつている。

    ところで、右委任論にたてば、各年度の課税総額の金額は、控訴人の決定を要するのであるから、それまでは、右課税総額は潜在的にも、抽象的にも確定しないことが明白であり、課税要件の法定とは、賦課期日現在において法定されていることが必要であるのに、いつかわからないが、課税庁が内部的に決定した時点で法定されるなどというのは、課税要件条例(法定)主義に反することが明白である。

 (四) 結び

   以上のとおり、税率の決定が課税庁の裁量行為に委任されるなどということは、租税法律主義の否定、議会の自殺行為であつて、ありうべくもないことであるから、本件条例二条、六条の課税総額規定は、このような委任論を主張せざるをえないことにも象徴されるように、課税要件条例主義及び課税要件明確主義の双方の要請に違反するものである。

3 本件条例六条による課税標準の総額、総数

(一) 控訴人の客観的数値論の批判  、

 控訴人は、課税標準の総額、総徹は確定された客観的数値であつて控訴人の裁量が働く余地など全くないと主張するが、控訴人が昭和五〇年度、五一年度の税率算定に用いた基礎数値には、その「試算表」(乙第三号証)と控訴人作成の「秋田市の国保」(乙第一五号証)、「税率積算表」(乙第六号証)と「課税状況調、県への報告」(甲第一〇号証の二)をそれぞれ対比すると、その客観性に重大な疑問が生ずる。これを具体的に例示すると、昭和五〇年度については試算表と秋田市の国保とでは、「(前年度に)所得のない者」の数が、前者が九一一八世帯(一万九五一三人)、後者が四一三二世帯(七七二六人)となつており、その作成時期(前者は賦課期日、後者は年度末)を考慮しても、その差があまりに大きすぎるし、昭和五一年度については、積算表と県への報告とでは、課税所得総額が、前者で一五〇億九六四七万円、後者が一六一億九三二八万円で、その差が一一億円余もあつて、前者が四月一日現在を六月中旬に把握したものであり、後者が四月一日現在を一〇月に把握したものであるとの事情を考慮しても、その差はあまりに大きすぎるというべきで、このような食い違いは資産税額、被保険者数、世帯数についても、それぞれみられる。このことは、税率算定に用いた基礎数値が著しく実態から離れた合理性のないものであること、そして、控訴人の前記主張が実態を無視したものであることを示している。しかも、控訴人は、その基礎数値が客観的数値に符合することを立証することは、守秘義務などの関係から不可能なのである。

(二) 所得割課税標準の総額規定に関する不備、不明確

  課税標準の総額、総数の各数値は税率の算定に用いる基礎数値であるから、観念の世界において抽象的に確定しているというだけでは足りず、条例の規定上、現実にその金額、人数、世帯数を課税庁の裁量を許さず明確に確定できるものでなければならない。

 ところが、「条例四条に規定する課税標準の総額」は、現実には所得税法による更正決定処分、修正申告などや、課税庁の調査に基づく本件条例一五条の申告額の変更決定などにより、変動を続けるものである。したがつて、賦課処分後にも総所得金額などは変動するから、その都度税率算定をやり直す必要があり、事実上税率算定は不可能というべきものであつて、これを避けるには条例上でその後に総所得金額などが変動した場合の手当規定が必要であるはずであるのに、本件条例には、いかなる時期に把握された数値をもつて条例四条の課税標準の総額とみなすかについての規定はな

(三) 資産割課税標準の総額規定に関する不備、不明確

  「条例五条に規定する固定資産税額の総額」とは、課税庁による税額確定処分によつて確定された税額の総額であることが明らかであるが、賦課期日後も課税台帳の登録事項の誤りに基づく課税処分の是正などにより、それは随時変動するものであるから、右(ニ)項で述べたのと同様な問題がある。

  しかも、右総額の確定について、控訴人は秋田市資産税課において、固定資産税の課税資料としてコンピューターに入力したものから被保険者の氏名コードをとりだして行つている。ところが、資産税課では共有財産について、共有者のうちの一名に対し、同人「他〇〇名」で課税をするので、コンピユーターの入カコードも右代表者「他〇〇名」となつており、このコードにしたがつて被保険者を検索すると、「他○O名」の中にいる被保険者の持分に対する資産税額は集計されないし、右代表者が被保険者である場合でも、その持分が誤つて集計される(控訴人は税額を共有者数で除して集計している。)そして、その集計結果は当然に条例の予定する「五条に規定する固定資産税の総額」とは異なつたものとなり、個々の納税義務者に対する資産割額の算定の誤りともなる。条例によれば、秋田市に所在するすべての共有財産について、その共有者名とその持分を調査してこれを把握する必要があるが、それには多大な労力と経費を要するため、控訴人の行つているような恣意的な確定方法をもたらすことになるのであり、このような複雑な作業によつてしか確定できない「五条に規定する固定資産税額の総額」というような規定は、必然的に課税庁の恣意的裁量をもたらすめである。

  また、本件条例には、五条の固定資産税額に納税義務者が他の市町村に有する固定資産についてのそれを含むか否かの規定がなく、不明確である。

(四) その他の問題

  納税義務者は賦課期日後もつねに変動し、それに応じて所得割、資産割の各課税標準の総額も変動するのに、条例六条は、いかなる時期の納税義務者についての課税標準の総額であるのかについて何ら規定しておらず、時期を特定しないで単に右総額で除するという条例六条の規定は、抽象的な意味においても、その基礎数値を確定していない不備規定である。

  また、控訴人が主張し、現に行つている課税総額の決定方法をとるときは、条例六条による税率算定の分母にあたる各数値の恣意的決定は、必然的に、同時にその分子にあたる課税総額の恣意的決定をもたらすことに留意すべきである。

(五) 結び

  以上のとおり、本件条例六条の課税標準の総額、総数規定にもあまたの不備、不明確があり、それが欠陥条項であることは明白であつて、控訴人に対し右規定の解釈と運用に広範な裁量の余地を与えることになり、現実にも恣意的裁量が行われているのである。したがつて、本件条例における各課税標準の総額、総数規定は、税率を直接規定する課税要件規定であるにもかかわらず、課税要件条例主義及び課税要件明確主義の双方の要請を充たしていないことが明白であつて、憲法三〇条、八四条、九二条、九四条に違反し無効である。

4 本件条例と税額の予測可能性

  租税法律(条例)主義の重要な目的の一つは課税庁の恣意的な課税を排し、国民の経済生活に法的安定性と予測可能性を付与することにあるのに、本件条例によつては、納税者が自己に賦課される税額を予測することが不可能であることは、条例二条、六条を一見すれば明らかである。この点について、控訴人は、税率はほぼ課税総額の変動に比例して変動するものであり、課税総額の変動は国保事業に必要な費用の額の変動によつて生ずるのだから、前年度と当該年度の国保会計の予算額を比較するなどの方法により、当該年度に賦課される税額を大よそ予測できるはずであると弁解するが、これは、本件条例に基づく予測を放棄し、国保会計の予算書の比較に問題をすりかえた不当なものであるばかりでなく、右弁解自体が実態に反する無責任なものである。すなわち、昭和五〇年度から五四年度までの歳入・歳出予算の総額及びそのうちの現年課税分の各推移と右各年度の所得割、資産割の税率、均等割、平等割の税額の推移とを対比しても、みるべき対応関係は何もないのであり(たとえば、予算総額の増加率が二四・二四パーセントともつとも高い昭和五三年度をとつてみると、所得割、資産割の税率は逆に低下しており、均等割、平等割の税額も、それぞれ一于九四パーセント、一・五三パーセントとわずかな増加にとどまつている。)、右弁解は全く根拠がない。また、控訴人は定率、定額方式をとつても予測可能性という点では実質的差異はないと弁解する。しかし、第一に、個々の課税処分と条例(毎年改正されることを前提として。)とを比較するのは不当であり、第二に、定率、定額方式{毎年税率改正が必然であるかのようにいうのは実態に反するものであり、第三に、条例改正という手続をとればその経過は住民に公開され、マスコミにも大きく報道されて、住民は税率変更の理由・内容や経過について直ちに理解できるのであるから、右弁解は全く不当なものというべきである。そして、とくに、控訴人が当審で主張するように、課税総額の確定が控訴人の自由裁量に基づく決定に委任され、控訴人はこれを内部的に決定すればよいということであれば、納税者が本件条例によつて課税総額を知るということは絶対的に不可能であり、税率及び具体的税額について予測することも全く不可能であることは明白であつて、本件条例の租税条例主義違反は、この点でも明白である。

5 本件条例と不服申立権の行使可能性

 違法な租税の賦課、徴収に対して納税者が争訟を提起し、自己の権利の保護を求めうることも、租税法律(条例)主義の一要素である。ところが、本件条例において、二条、六条の課税総額が全く不明確であり、さらに、六条各号にいう「課税標準の総額、総数」の把握に誤りがないか否かを納税者において知ることができないから、本件保険税の所得割、資産割の各税率の決定が適法であるか否か、均等割、平等割の各金額が適法に算出されているか否かを検証することは全く不可能であり、課税処分に対する不服申立において、本件課税要件の中核をなす税率算定の法適合性を争つことは不可能ないし著しく困難である。この点について、控訴人は税率、税額が定率、定額で定められている場合には、その税率の当否自体を不服申立の理由にできないから、不服申立の点については、現行制度下におけるのと差異はないと反論するが、この反論は全く的外れであつて、税率の適法性などが問題となるのは本件の如き欠陥条例だからこそであつて、それが適法に算出されたか否かを検証できないということは、きわめて重大な問題である。控訴人の主張が、その決定した税率をただ信じさえすればよいとの趣旨であるとすれば、控訴人は専制者になろうとしているというべきである。

  このように本件条例は、その欠陥のために納税者の不服申立を阻害する結果を招来しているから、この点からみても、憲法三〇条、八四条、九二条、九四条に違反し無効というべきである。

6 控訴人の目的税論及び収支均衡論に対する批判

(一) 目的税論について

   控訴人ぼ国保税が国保事業に要する費用を賄うために賦課される目的税であるから、本件条例のような程度の規定方法もやむをえず、むしろ定率、定額によるよりも合理的であると主張するが、目的税であろうと、税という形式をとる以上は租税法律(条例)主義が適用されるのは当然であつて、控訴人の主張は、結局、必要なものは税法に合致しなーとも賦課徴収するという徴税側の便宜のみを根拠とするものであつて、到底とりえない。

(ニ) 収支均衡論について

   控訴人は右目的税論を発展させて、国保制度、国保税制度の趣旨にそつたいわば収支均衡論ともいうべき主張を展開する。すなわち、国保会計の収支均衡を至上目的とし、その実現のためには、定率、定額方式はきわめて不合理であり、条例二条の「百分の六十五に相当する額以内」というような規定の仕方は十分合理性を有するというのである。

   しかし、地方税法七〇三条の四第二項が国保税の標準課税総額を「百分の六十五に相当する額」と規定するにあたつて前提としたのは、医療費を中心とする保険給付に要する費用、それも当該年度分についての収支均衡をはかるということであつて、控訴人の主張するような国保会計全体(それには、(1)過年度の赤字、黒字の処理、(2)医療費以外の総務費、(3)その他控訴人の政策判断に基づき国保会計で処理することとした施策の費用などを含む。)の収支均衡を考えているものではない。また、控訴人は右主張の前提として、国保会計が独立採算制であり、国保税以外の収入、支出が固定、不動のもののように主張しているが、国民健康保険法七五条からも明らかなように、市町村は一般会計からの繰り入れを増減することにより保険税を増減させられるのであつて、その運用には市町村長の政策判断が介在するのであり、他方、国保事業は一般会計との共通領域を多くもつており、たとえば、保険婦活動などの保健施設費を右両会計のどちらでどれだけ処理するかなどは市町村長の政策判断に委ねられているのである。このように、国保会計の収支均衡という場合の収入、支出とも、市町村長の政策判断によつて変化するものなのであつて、保険税によつて、このような収支均衡をはかることがあたかも制度上当然であり、かつ、それには控訴人の政策判断は無縁であるかのような控訴人の主張は誤つているし、右主張は、結局、租税法律主義という憲法上の保障原則を無視しても、自分が必要と認めた財源はなんとしても確保するという素朴な発想に外ならない。

  また、このような素朴な発想を根拠に、課税総額の決定には、裁量の余地がないなどというのも全く理由がなく、控訴人がいかに恣意め余地のある広範な裁量を行いうるかは、すでにみたとおりである。

   なお、控訴人が定率、定額方式は不合理であつて、税率の計算作業等に極めて困難なことを強いると述べている点は、自らも毎年同じような作業をしており、条例改正の要否のみが異なるのであるから、要するに、控訴人は条例改正について議会の議決をうることが極めて困難であると感じているのに外ならず、かかる発想には反論の必要もない。

7 結論

  以上に検討した結果を総合すると次のようにいうことができる。

(一) 税率の構成要件(要素)でもある課税総額について、これを納税義務者に対する保険税の課税額の総額という当然といえる意義に解すると、本件条例二条にいう課税総額は、条例三条但書(限度額規定)及び一二条(減額規定)の規定により、「課税総額であつて課税総額でない」という自己矛盾に陥る。したがつて、本件条例二条、六条は統一的解釈が不能であり、結局税率欠損に帰し、租税条例主義に違反し無効である。

(二) 次に、右主張が容れられないとすれば、課税総額規定は不確定概念以前の欠陥規定に帰し、そのため、課税庁による恣意的裁量の余地があるのはもとより、課税総額の決定を事実上課税庁に委ねた結果を招来し、課税要件条例主義と課税要件明確主義に違反し無効である。

 (三) 課税総額の決定について、条例二条に黙示の委任の趣旨が含まれると仮定した場合についても、右(ニ)と同様の結論になる。

  (四) また、同じく税率の構成要件(要素)である条例六条所定の各課税標準の総額、総数規定も、多数の不備、不明確のある欠陥規定であつて、そのため、課税庁による恣意的な裁量の余地があり、右規定も課税要件条例主義、課税要件明確主義に違反し無効である。

  (五) さらに、本件条例二条、六条の規定によつては、納税者に税額の予測可能性が全くなく、また、税率及び賦課税額について、これが適法に算出されたものか否かについて検証することも全く不可能であつて、課税処分に対する不服申立権の行使も阻害されるから、これらの点でも、本件条例二条、六条は租税条例主義に違反し無効である。

  (六) そして、控訴人主張の目的税論、収支均衡論も、右租税条例主義違反を免れる論理にはならない。

  (七) したがつて、本件条例二条、六条は、租税条例主義を定めた憲法三〇条、八四条、九二条、九四条に違反し無効である。

(控訴人)

一 本件条例違憲論に対する反論を次のとおり補足する。

 1 憲法八四条の意義

  (一) 憲法八四条と租税法律主義

    憲法八四条は、憲法八三条が国会中心財政主義(政府の財政処理の権限は国会の議決に基づいて行使しなければならないことこを明らかにしているのをうけて、いわゆる租税法律主義をうたつたものであつて、租税法律主義は、法律という法形式による立法機関の承認(法律による授権)なくしては、行政機関は国民から歳入の大宗である税金を賦課徴収してはならないことを本質的内容とするものであり、課税要件法定主義とそのコロラリーとしての課税要件明確主義を含むと解せられる。しかし、それは、いずれも租税正義実現のための形式的手段であつて、それのみが絶対の原則であるわけではなく、租税の公共性とか租税負担の公平とかの原則などと調和しうるように理解すべきものである。

  (ニ) 課税要件法定主義と委任立法の限界

 課税要件法定主義は、課税要件のすべてと租税の賦課・徴収の手続は法律によつて規定されなければならないことを意味すると説かれているが、それは、課税の具体的な諸条件を一般的に法律以外の政令・省令などに委任することが許されないことはもちろんであるが、合理的な理由がある場合の例外まで一切これを許さない趣旨ではない。すなわち、課税要件に関する具体的、個別的な定めをすべて法律に規定しなければならないわけではなく、この点について、立法権が行政権に委任することも課税要件法定主義に反するものではない。

 判例(最高裁判所昭和四九年一一月六日大法廷判決など)は委任立法の限界につき、法律の合理的な解釈によつて、法律がいかなる事項について、いかなる内容の定めを行政機関に委任しているかが特定される限り、委任は合憲であるとの判断をしている。すなわち、委任立法が白紙委任として違憲とされるのは、立法機関が立法作用の本質的部分を放棄して他の機関にこれを移譲したと認められる場合であり、その立法作用の本質的部分とは、処理すべき問題は何か、及びその問題をどのような種類の方法で解決すべきかという二点であるから、法律によつて問題と解決方向が特定されたうえで行政庁に委任がなされた場合には、受任機関がその具体的内容を決定することは立法機関が意図し、予定した立法内容の具体化にすぎないものであり、しかも、問題と解決方法の具体的な指示は委任規定自体に定められている必要はなく、法律(条例)全体の趣旨、文言などから合理的に導き出すことができれば足りるのである。そして、この理は、法律が行政庁に法規制定の委任をする場合だけではなー、法律が行政庁に対して行政による決定を委任し、当該行政行為が法律の実質的内容として、法律と一体となつて国民の権利義務を規制する場合についても同様である。なぜならば、委任立法の限界理論は、立法機関自らが決定すべき範囲すなわち他の行政機関への委任の許されない範囲を画するものであり、行政機関に立法(法規定立行為)を委任する場合と具体的処分内容の決定を委任する場合で、その限界につき別異に解すべき理由はないからである。そして、判例(最高裁判所昭和五〇年九月三〇日第三小法廷判決など)も法律が行政機関の裁量行為に委任することを合憲としている。

 そして、租税賦課の根拠となる法律、条例において、行政機関と課税要件の認定、確定をどの程度委任できるかも、右の委任立法の限界理論によつて決すべきである。なぜならば、委任立法の限界理論は、課税要件法定主義が要請する立法機関が自ら洗定すべき範囲いかんの限定についても、当然適用されるべきだからである。したがつて、租税賦課の根拠となる法律、条例の中に、委任立法の限界理論に従い、立法機関が自ら決定すべき事項、内容が規定されておりさえすれば、ぞの余について行政機関の具体的認定、決定に委ねることは課税要件法定主義に違反するものではないのである。換言すれば、課税要件法定主4、行政機関の恣意的徴税を排除し、国民の財産的利益が侵害されないようにするという目的に反しない限度で、法律が行政機関に対して課税要件に関する定めを具体的、個別的に委任することを許容しているのである。

(三) 課視要件明確主義と不確定概念

  課税要件明確主義の原則は、法律またはその委任のもとに政令や省令において課税要件及び租税の賦課、徴収の手続に関する定めをなす場合に、その定めはなるべく一義的で明確でなければならないとする原則であるが、租税法といえども、法の執行に際して具体的事情を考慮し、租税負担の公平を図るためには、不確定概念を用いることもある程度は不可避であり、また必要でもあるのであつて、問題はどの程度に明確でなければならないかである。たとえば、同族会社等について、その行為又は計算でそれを容認した場合には「税負担を不当に減少させる結果となる」と認められるときは、その行為又は計算にかかわらず税額を計算することができる旨の規定があるが(所得税法一五七条、法人税法一三二条、相続税法六六条)、税負担の回避を防止し、その公平を維持するためにはかかる規定が必要であり、「税負担を不当に減少させる」という不確定概念を用いることも必ずしも不合理ではないのであつて、判例(東京高裁昭和四九年一〇月一七月判決など)もこれを合憲としている。その他にも「不相当に高額」(法人税法三四条一項、三六条)、「相当な賞与」(同三五条二項)、「不適当であると認められる」(所得税法一八条)、「相当の理由」(同法一四五条二号、一五〇条一項三号)、「必要があるとき」(同法二三四条一項)、「正当な理由」(国税通則法六五条二項、六六条一項、六七条一項)等、不確定概念をもつて課税要件その他の法律要件を定めている例が少なくないが、このようにその必要性と合理性が認められる限り、不確定概念を用いることも必ずしも租税法律主義に違反すみものではないのである。そして、このような課税要件明確主義の緩和が許されるのは、租税負担の公平確保という要請がある場合に限定されるものではなく、それ以外の場合でも、課税要件を一義的かつ明確に規定することが立法技術上不可能ないし著しく困難な場合には、租税法律主義のそもそもの目的が害されない程度、すなわち、当該租税法規を合理的に解釈すれば、課税庁の恣意的な租税の賦課、徴収が不可能と認められる程度に、課税要件が明確に規定されていさえすれば足りるというべきなのである。

  仮に、右見解とは異なり、憲法八四条によつて要求される課税要件明確性の程度を、一般的には、当該租税法規自体から納税義務者が自己の納付すべき税額を計算できるまでの明確さが必要という考え方をとつたとしても、課税要件をその程度まで明確に規定することが当該租税の性質上立法技術的に不可能ないし極めて困難であり、かつ、税率の定め方として定率、定額によらない規定方法の方がむしろ合理的と認められるような特別の事情が存する場合には、課税庁の恣意的な租税の賦課、徴収が不可能と認められる程度に課税要件が明確になつていさえすれば足りると解すべきである。

  以上のとおり、租税法規はできるだけ明確に定められるべきであるとはいつても、ある程度の不確定概念の使用は避けられず、かえつて、その方が合理的であるという場合もあるのであつて、不確定概念の使用は一切許されないと解すべきものではない。そして、当該租税琺規が単に抽象的であるとか、わかりにくいというだけで、租税法律主義に反するものということはできず、法規の目的を的確に把握し文言にとらわれることなくその経済的、実質的意義を考慮し立法技術をも勘案しながらその意図するところを合理的、客観的に解訳し、その法規が租税の種類、課税の根拠、要件を定めた規定として一般的に是認しうるものであれば、課税要件明確主義には反しないと解すべきである。

2 本件条例の合憲性

(一) 本件条例の制定経過(国民健康保険税の性格)

  保険税制は、従来は保険料のみが賦課されていた国民健康保険費用の被保険者分担部分について、相互扶助の精神の徹底化と国保財政の確立をはかるために昭和二六年の地方税法の一部改正によつて創設された目的税であつて、秋田市は昭和三四年一月の現行国民健康保険法の施行に伴い、厚生省通達(国民健康保険条例準則)に沿つて、同年三月秋田市国民健康保険条例及び本件条例を制定した。

(ニ) 本件条例の内容と税額確定の仕組み

  本件条例(ただし、昭和五三年条例第一六号による改正前のもの)の内容は別紙(一)に記載のとおりである。

  本件条例に基づき本件各年度の課税額がどのようにして決定されたかは原審ですでに主張したとおりであるが、本件条例における税額決定の仕組みの大要は次のとおりである。

 (1) 課税額の算定

   個々の納税義務者に対する保険税の課税額は、「被保険者の属する世帯主(一条一項の世帯主を除く。)およびその世帯に属する被保険者につき算定した所得割額、資産割額、被保険者均等割額および世帯別平等割額の合算額」(三条本文)であり、この合算額が一七万円を超える場合には、課税額は一七万円とするとされている(同条但書)し、条例一二条により同条の規定に該当する納税義務者に対して課する保険税の額は、同条所定の額が減額される。

   そして、右各割額は、次のとおりに算定される。

 (1) 所得割額 条例四条により、賦課期日の属する年の前年の所得に係る総所得金額及び山林所得金額の合計額を課税標準とし、これに条例六条の所得割の保険税率を乗じた金額

 (2) 資産割額 条例五条により、当該年度分として納付した又は納付すべき固定資産税額のうち、土地及び家屋に係る部分の額に条例六条の資産割の保険税率を乗じた金額

 (3) 被保険者均等割額 条例六条の被保険者均等割の税額

 (4) 世帯別平等割額 条例六条の世帯別平等割の税額

 (2) 税率の算定

   右の税額算出に必要な税率は、条例六条で、次のとおり定められている。

 (1) 所得割 課税総額の百分の六十五を条例四条の課税標準の総額で除して得た数

 (2) 資産割 課税総額の百分の十を条例五条の固定資産税額の総額で除して得た額

 (3) 被保険者均等割 課税総額の百分の十四を当該年度の初日における被保険者総数で除して得た数

 (4) 世帯別平等割 課税総額の百分の十一を当該年度の初日における被保険者の属する世帯総数で除して得た額

 (3) 税率算定の基礎どなる課税総額の算定

   右税率算定上の計算の基礎となる「課税総額」については、条例二条で、「保険税の課税総額は、当該年度の初日における療養の給付および療養費の支給に要する費用の見込額から療養の給付についての一部負担金の総額の見込額を控除した額の百分の六十五に相当する額以内」と規定されている。

(三) 本件条例二条、六条の合憲性

 (1) 課税総額の意義、確定方法(条例二条の解釈)

 条例二条及び六条に規定する各「課税総額」の意義は、条例の規定方法からみて、二条と六条とで「課税総額」という文言の意味が異なるとは読めないから、二条の「課税総額」とは、税率算定の基礎数値であることがその規定自体から明らかな条例六条の「課税総額」を指すと解され、したがつて、当然のことながら、それは個々の納税義務者に賦課される具体的税額の総合計を指すものとは解されない。そして、各年度分の具体的穂率を算定するについて、その計算の基礎とすべき右「課税総額」に相当する具体的数値は、特別の事情のな串かぎり、「予算に計上された現年課税分を収納率で除した金額(予算上の調定額)に、(イ)条例三条但書の制限を超え枦額の総額、(ロ)条例一二条の低所得者に対する軽減額の総額(五一年度までは、さらに(ハ)条例一二条の擬制世帯主に対する軽減額の総額)を加算した金額」とするのが最も合理的と認められるので、本件各年度においては、控訴人は右金額を基礎として具体的税率の算定作業を行つたのであるが、控訴人は、条例二条の「課税総額」とは右金額を指すものであるとまで主張するものではない。

  そして、条例二条は、右課税総額の制限金額を定めているだけで、そこに定められた制限金額の範囲内で各年度の具体的税率算定の基礎とする数値をいくらとするかは、課税庁の裁量に委ねられていると解すべきである。

  もとより、課税庁が右具体的課税総額を算定するにあたつては、恣意的裁量が許されるものではなく、その裁量の幅には自ずから限界があるのであつて、この点については後記(3)項で詳述する。

(2) 条例二条にいう「見込額」の意義

  条例二条は地方税法七〇三条の四第二項の枠内で規定されたものであつて、「課税総額」を地方税法の「標準課税総額」山汗とした点が異なるのみである。

  ところで、保険税は、国民健康保険に必要な経費を賄うために、それを被保険者に税の形式で分担させることを目的として賦課徴収される目的税である。市町村は特別会計を設けて国民健康保険にかかる収入支出を行うのであり、これを他の行政目的に使用することはできない。換言するならば、収支均衡が理想であつて、右経費を充足する金額を賦課徴収することが必要である反面、それを超えて課税する必要もない。そして、地方税法は課税額の限度額(七〇三条の四第四項但書)、低所得世帯の減額措置(七〇三条の五)を定めているから、現実に条例の規定において税率を定率、定額で定めようとすれば、その税率によつて各納税義務者に課税し実際に徴収できる税額の総額が当該年度の国保会計の収支を均衡のとれたものとするのに適する額となるように税率を定めるためには、単に当該年度において各納税義務者から現実に徴収すべき税額の総額及び予想される収納率のみならず、各納税義務者ごとの所得割額及び資産割額の各課税標準並びに当該年度の初日における被保険者数及び世帯数の各数値をも把握する必要があるのであつて、これらの数値がすべて確定しない限り、税率の具体的算定は不可能である。そして、右の各数値は、抽象的に考えれば、当該年度の初日にすべて確定するものであるが、実際に各数値を課税権者である控訴人がすべて把握できる時期は、事務手続上、早くても当該年度の六月半ばころで、必要な計算作業すべて終えて所定の手続を経て条何中に定率(定額の税率を規定しようとすれば、物理的にそれが可能となるのば当該保険税の賦課処分の直前である。、したがつて、この時期に毎年具体的税率を条例中に規定することを強いることは、事実上極めて困難なことを強いるもので、合理的でもないといわねばならない。また、税率の算定を推計数値を用いるなどの簡便な方法で行い、あらかじめ定率、定額で条例中に規定するという方法も考えられるが、その方法によると、当該年度の徴収税額と実際に必要とされる国保税収入との間に相当な開きを生ずることが避けがたく、国保会計の収支面に不合理な結果を招来するおそれが大きい。以上のとおり、あらかじめ条例中に税率を定率、定額で規定することは極めて困難であるばかりか、かえつて、不合理な結果を招来しかねないのであるから、秋田市においては、税率に関し、本件条例二条及び六条の規定のとおりの定め方をしたのである。

  もつとも、右「見込額」という用語を用いた規定は、具体的数額を示した規定に比べれば明確でないことは否定できない。しかし、右にいう「見込額」は、、当該条例の趣旨に従い、過去の実績等当該年度の初日までに把握可能な資料に基づいて、できるだけ当該年度め実額に近い数値が得られるような合理的な推計方法を用いて算出されるべきことは当然であり、条例二条の各「見込額」とは、右のようにして算出された合理的数値を指すと解すべきである。そして、本件各処分に関していえば、「療養の給付に要する費用の見込額」として当該年度の予算に計上された「療養給付費」の金額に七分の一〇を乗じたものを、「療養費の支給に要する費用の見込額」として右予算に計上された「療養費」の金額を、「療養費の給付についての一部負担金の総額の見込額」として右予算に計上された「療養給付費」の金額に七分の一〇を乗じた金額の一〇分の三を、それぞれ充てており、これらは右各「見込額」としてそれぞれ最も合理的なものというべきである。したがつて、これらの見込額の具体的な数値の合理性が問題となることはありうるとしても、見込額の決定について課税庁の恣意的裁量を許すものではなく、各「見込額」という用語を用いた右規定は憲法八四条が採用している租税法律主義の要請を充たす程度には十分その明確性を有するというべきである。

(3) 条例二条にいう「百分の六十五に相当する額以内」の意義

 前述のとおり、条例二条は「課税総額」を地方税法七〇三条の四第二項の標準課税総額でなく、その額「以内」と規定しているが、右の規定は次に説明するような意義を有するものであつて、課税権者の恣意的な裁量を許すようなものではない。

  国民健康保険事業の費用のうち、保険税として賦課徴収する金員によつて賄われるべき部分は、各種国庫負担金、国庫補助金及び財政調整交付金等の諸収入金を充当してなお不足する分であるから、当該年度において税率算定の基礎とすべき具体的課税総額は、当該年度の国民健康保険事業の総費用のうち当該年度の保険税収入によつて賄うべき金額を確保できると見込まれる額でなければならないと同時に、その額を超える必要もない。換言すれば、具体的課税総額は、当該年度の国保会計が収支均衡を保つに必要と認められる合理的な額でなければならないのである。そして前述のとおり、条例二条は地方税法の標準課税総額をそのまま課税総額の上限としたものであるが、右標準課税総額規定も課税総額は当該年度の国保会計が収支均衡を保つに必要と認められる額でなければならないとの考え方に立つて定められたのである。

  そして、地方税法が標準課税総額を前記各見込額の差額の「百分の六十五に相当する額」としたのは、医療費を百とした場合、一部負担金として患者が三十を負担するから、残り七十から国庫負担金四十と調整交付金五を差引いた二十五が保険税によつてまかなわれるべき部分となるが、国保事業には医療費のほかに助産費や葬祭費などの現金給付があり、保健婦活動を中心とする保健施設費も必要であるから、この現金給付と保健施設に要する費用をそれぞれ十として、合計二十を前記医療費のうち保険税でまかなわれるべき部分二十五に加えると四十五になるので、この保険税の総額の医療費の保険者負担分七十に対する割合は七十分の四十五で約百分の六十五になる、という考え方にたつてのことである。ところが、現実の国保事業会計は、常に右標準モデルのとおりではなく、右モデルが想定しない国庫補助金などの収入があり、他方、各十と想定した現金給付、保健施設費も、実際に常にそれだけの費用を必要とするものではないから、前記各見込額の差額の百分の六十五を保険税の課税総額としなければ、右事業会計が赤字になつてしまうというものではなく、右事業会計が収支均衡を保つようにするには、課税総額を地方税法の定める右額以内の一定の数値とすれば足りるのである。そこで、本件条例は事業運営に必要な税収の確保という考え方から、課税総額の上限は地方税法中の「百分の六十五」という割合で規定し、各年度ごとに現実に課税する保険税については、各年度ごとの実際の収支見積りに合わせた「百分の六十五」よりも少ない割合での課税総額による課税が可能となるようにとの配慮から、特に、「百分の六十五に相当する額以内」という規定のしかたをしたものと理解できるのであつて、前述の保険税の趣旨に照らせば、このような規定のしかたは十分合理性を有するものである。そして、本件条例が「百分の六十五に相当する額」とせずに「百分の六十五に相当する額以内」と規定したことは、具体的な課税額の決定において、多少とも各納税義務者に有利になることはあつても、決して不利になることはないのである。

  以上のとおりであるから、本件条例二条が課税総額を「百分の六十五に相当する額以内」と規定されているといつても、その課税総額は本件条例の趣旨に従い、前述のような諸事情を考慮して合理的に算定されるべきであることは当然であり、右以内であれば恣意的な裁量によつて決定できるなどと解すべきではないのであつて、右のような規定の仕方が租税法律主義に反すると評価することは妥当でない。

  ちなみに、罪刑法定主義(憲法三一条)から、租税法規における以上に明確性が要求される刑罰法規にあつてすら、その大部分の規定において刑罰について一定範囲の幅のある定め方をしており、各事件ごとに被告人に科される刑罰はその範囲内で裁判所が一切の事情を考慮して最も適当と認める刑罰を科するということになつているが、これをとらえて、刑罰法規として不明確であり、被告人が科刑の程度を予測できず極めて不利益であるとか、裁判官の恣意的裁量を許すとか言つて、罪刑法定主義に反するなどと評価する者はなく、特定の種類、程度の刑罰のみに限定する規定よりも合理的であると解されているのである。

(4) まとめ

   以上のとおり、本件条例二条及び六条の規定は、決して具体的税率の決定について課税権者である控訴人の恣意を許すものではなく、また、右規定において税率が定率、定額で定められていないことについては十分合理的な理由が存し、しかも、右規定の合理的解釈として、課税要件は憲法八四条によつて要請される程度には明確に規定されていると言いうるものであり、また、税率が定率、定額で定められていないことによつて各納税者が法律上不当に不利益な立場に置かれているどは認められないのであるから、本件条例は「課税要件法定主義」にも「課税要件明確主義」にも違反するものではなく、本件条例が憲法八四条に違反するとの被控訴人らの主張は理由がない。

(四) 補足

 (1) 被控訴人の予測可能性、不服申立権行使可能性論について確かに、納税者が課税処分前に本件条例の規定のみから自己に賦課されるべき具体的税額を知ることは不可能であるが、すでに述べたように、税率を条例中に定率、定額で定めようとしても、それが物理的に可能となるのは当該賦課処分の直前であり、現在定率、定額方式をとる青森市などでも、、条例改正時期は賦課処分の直前であるのが実態であるから、各納税義務者が賦課処分よりも前に自己に課されるべき税額を知るということは事実上無理な情況にある。したがつて、定率、定額方式をとつても、「国民の経済生活に法的安定性と予測可能性を付与する」という点に関しては、現行制度との実質的差異はないというべきである。

   そして、課税総額の変動は、国保事業に必要な費用の額の変動によつて生じるものなのであるから、各納税義務者は、課税処分前に正確な税額は知れ得ないにしても、前年度と当該年度の国保会計の予算額を比較する等の方法によつて、ある程度当該年度に自己が負うべき保険税が前年度の税額と比較してどの程度のものになるかの大よその予測は可能なはずである。

   また、「不当または違法な課税処分に対し、行政上の不服申立、訴の提起をなすべきか否かについての合理的判断」が可能かという点についても、仮に条例の規定中に税率を定額、定率で定めたとしても、そのことによつて、各納税義務者が、行政上の不服申立や訴め提起との関係で必ずしも現行制度の下におけるよりも有利な立場に置かれるということにはならない。なぜならば、定率、定額方式の場合には、当然のことながら、各納税義務者は税率の当否それ自体を不服申立等の理由とすることはできないのであり、当該課税処分の違法事由として主張できるのは、自己の課税標準についての認定の誤り、税額計算の誤り及び当該課税処分手続の違法に限定されるのであつて、これらの点については、現行制度の下においても十分不服申立等の機会は付与されているからである。

(2) 被控訴人の恣意的裁量論について、

  本件条例二条、六条の規定が租税法律主義を定めた憲法八四条に違反するか否かは、その規定自体の合理的解釈によつて、それが課税総額の決定について課税庁の恣意的裁量を可能としているものか否かによつて判断すべきであるのに、被控訴人の主張は、実際に行われた課税総額の決定方法を恣意的なものであるとし、その実態からすれば、右条例の規定は課税総額及び税率の決定について課税庁の恣意的な裁量を可能としているから違憲であるとするものであつて、法令の解釈方法を誤つている。

  しかも、本件各年度に実際に行われた課税総額及び税率の決定についても、被控訴人が恣意的裁量を行つたとして主張する各事実は、いずれも控訴人が保険税制度の趣旨に沿つて合理的に裁量権を行使したのである。なお、被控訴人が指摘する課税総額決定についての前年度の赤字、黒字分の処理について付言すれば、各年度の具体的税率算定の基礎とする課税総額を定めるに際し、前年度の赤字、黒字額をも考慮することは、十分合理性がある。すなわち、独立採算性をとる国保会計において、前年度の決算で生じた赤字又は黒字分を当該年度の予算に繰入れて計上し、当該年度において収支が均衡するようにはかるのはむしろ当然の措置であつて、実質的にみれば、赤字を繰入れるということは、前年度において納税義務者から徴収し足りなかつた分を当該年度において保険税額の増額という方法で追徴し、黒字を繰入れるということは、前年度において納税義務者から徴収し過ぎた分を当該年度において保険税額の減額という方法で還付するということであつて、非常に合理的な方法といえるのである。もし、前年度赤字分を当該年度の課税総額に算入しなければ、その赤字補填は一般会計からの繰入金に頼らざるをえず、これは、保険制度の趣旨に反して、その事業費用の一部を被保険者でない他の市民が負担させられることであつて、決して合理的とはいえない。なお、被控訴人は条例が単年度主義をとつているというが、これは全く根拠のない主張である。

     なお、控訴人が条例二条の制限内で決定する具体的課税総額は、これによつて算出される税率を適用して保険税を賦課して現実に徴収可能な税収が当該年度の国保会計収支を均衡させるものでなければならないのであるから、右決定にあたり、現実に控訴人に許される裁量の巾というものは、極めて小さなものであつてほとんどなきに等しい。

二 本件各課税処分の適法性について、次のとおり補足する。

 1 本件課税処分において税率算定の基礎とした具体的課税総額の算定方法の合理性

 (一) 基礎数値に現計予算の「国民健康保険税・現年課税分」の金額を用いた点について

    右「現年課税分」の金額は、当該年度の国保会計予算の歳出の部に計上された国保事業の運営に必要な諸費用を賄うべき歳入予算の合計金額のうち、当該年度の保険税収入として各納税義務者から実際に徴収しなければならない金額として予算に計上されたものであり、いうまでもなく、予算は控訴人の一存で決定されるものではなく、その編成作業は県から示された予算編成要綱に基づき過去の実績等を勘案した合理的方法で行われるのであり、また、予算原案は秋田市国民健康保険運営協議会に諮問した上で、市議会に提出され、そこで、慎重に審議された後可決成立したものであるから、右金額は課税総額の算定基礎とするには最も適する金額である。そこで、本件各年度とも、控訴人は右金額を基礎にしたのであつて、その合理性に疑いの余地はなく、右金額を無視して課税庁が独自に課税総額の算定をするなどというのは相当でない。

   なお、秋田市においては、予算それ自体も、当該予算に計上された「現年課税分」の金額が、そのまま保険税の税率算定の基礎として用いられることを当然の前提として編成作業、市議会審議が行われてきており、形式的には条例の規定と予算とは別のものとはいえ、実際は両者は密接不可分の関係にある。また、当初予算成立後、税率確定までの間に、現年課税分を増減する補正予算がくまれたときは、当然に、右補正後の現年課税分に基づいて税率確定作業が行われている。

(ニ) 「現年課税分」を収納率で除した点について

   「現年課税分」の金額を当該年度において各納税義務者の負担すべき保険税の総額としてこれを各納税義務者に賦課しても、納税義務者の倒産、転居先不明、保険税の滞納等の事由により、賦課した保険税の総額を一〇〇パーセント収納することは現実に不可能であり、そうすれば、必然的に国保会計は毎年歳入欠陥をもたらし、その結果、事業運営に重大な支障を及ぼすこととなるから、税率算定の基礎となる具体的課税総額が当該年度において必要とする当該年度分の保険税収入金額を実際に確保しうるものであるようにするためには、当該年度において見込まれる収納率(控訴人は、この具体的数値を毎年三月に開催される定例市議会における予算審議の際、議会に対し説明し、承認を受けている。)を考慮して計算する必要がある。そこで、控訴人は、右収納率の考慮として、右「現年課税分」の金額を収納率で除することとしたのであつて、これは十分合理性を有するものである。

(三) 条例三条但書の限度額を超える額等の総額相当分を加算した点について条例三条但書の限度を超える額及び一二条の軽減額はいずれも条例三条所定の計算方法によつて算出された課税額から減じられるのであるから、仮に右(ニ)の金額をそのまま税率算定の基礎となる具体的課税総額として税率を算定して各納税義務者に対し賦課すると、各納税義務者に対する実際の賦課額の総額は、条例の規定上当然に右限度を超える額及び軽減額の総額相当分だけ右(ニ)の金額を下回ることになり、国保会計に歳入不足を生ずることになるから、最終的に前記予算に計上された保険税の現年課税分相当額を現実に確保できる額となるようにするため、右(ニ)の金額に更に右限度を超える額及び軽減額の総額相当分を加算したものて、これも十分合理性を有するのである。

  ところで、右限度を超える額及び軽減額の総額相当分を算出するためには税率を必要とし、その税率を算出するには右限度を超える額及び軽減額の総額相当分を含む課税総額を必要とするという関係にあるが、その計算は、それにより得られた数値を税率算定の基礎とすべき具体的課税総額として各納税義務者に対する保険税の賦課額を算出すれば、その総額が右(ニ)の金額と同額もしくはほぼ同額となるようその計算を行うものであつて、その計算作業の課程において控訴人の裁量が働く余地などは全くないのである。また、右の計算に用いられた所得割課税標準の総額、固定資産税額の総額、被保険者数及び世帯総数の各数値は、いずれも条例の規定に基づいて確定された客観的数値であつて、控訴人の裁量が働く余地など全くないものであることはいうまでもない。

   なお、控訴人が被保険者の固定資産税額の把握について、被控訴人ら主張のような方法によつていることは認める。

 (四) 特殊事情を考慮した点について

   控訴人は昭和五〇年度及び同五二年度については、具体的課税総額の算定に際し、右(ニ)の金額に更に予算においては考慮されていない右各年度の特殊事情を考慮して若干の補正(減額)を加えて、納税義務者の負担軽減を図るなどの措置をしたが、これらは、いずれも保険税の課税総額が収支均衡を目途として、より合理的かつ適切な金額になるようにするための配慮に基づくものであり、条例二条の趣旨に適合するものである。しかも、右各配慮は、各納税義務者にとつては利益にこそなれ、決して不利益となるものではないから、この点をとらえて、本件条例二条の規定やこれに基づく本件処分を違法・不当と非難するのは当たらないといわなければならない。

2 具体的課税総額が条例二条所定の上限以内であることについて

  条例二条は課税総額の上限について、前記のとおり「保険税の課税総額は、当該年度の初日における療養の給付および療養費の支給に要する費用の総額の見込額から療養の給付についての一部負担金の総額の見込額を控除した額の百分の六十五に相当する額以内とする。」と定めているところ、本件各課税処分においては、右「療養の給付に要する費用の総額の見込額」として、当該年度予算の療養給付費を〇・七で除した数値(予算の療養給付費は保険者負担の七割分のみで被保険者負担の三割分を含んでいないため)を、右「療養費の支給に要する費用の総額の見込額」として、右予算の療養費を、右「療養の給付についての一部負担金の総額の見込額」として、右予算の療養給付費を〇・七で除した数値に更に〇・

   三(被保険者負担分)を乗じた数値をそれぞれ用いたものであり、これが合理的であることは前述したとおりであつて、本件各課税処分に用いられた具体的課税総額が、右のようにして得られた課税総額の上限以内であることは、原判決添付別表(三)の記載により明らかである。 ?

第三 証 拠(省略)

 

       

 

 

 

理   由

 

 

 

第一 本件賦課処分の存在などについて

   請求原因一、二、三項の各事実(当事者、本件賦課処分の存在、不服申立の前置)は、当事者間に争いがない。第二 本件条例の違憲性について

   被控訴人らは、本件条例が、租税条例主義を定めた憲法三〇条、八四条、九二条、九四条に違反し無効であると主張するので、これについて判断する。

 一 租税条例主義

 

   思うに、いわゆる租税法律主義とは、行政権が法律に基づかずに租税を賦課徴収することはできないとすることにより、行政権による恣意的な課税から国民を保護するための原則であつて、憲法八四条の「あらたに租税を課し、又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要とする。」との規定は、この原則を明らかにしたものと解されるが、

 

地方自治に関する憲法九二条に照らせば、地方自治の本旨に基づいて行われるべき地方公共団体による地方税の賦課徴収については、住民の代表たる議会の制定した条例に基づかずに租税を賦課徴収することはできないという租税(地方税)条例主義が要請されるというべきであつて、この意味で、憲法八四条にいう「法律」には地方税についての条例を含むものと解すべきであり、

 

地方税法三条が「地方団体は、その地方税の税目、課視客体、課税標準、税率その他賦課徴収について定をするには、当該地方団体の条例によらなければならない。」と定めているのは、右憲法上の要請を確認的に明らかにしたものということができる。

 

 

そして、右地方税条例主義の下においでは、地方税の賦課徴収の直接の根拠となるのは条例であつて、法律ではないことになり、地方税法は地方税の課税の枠を定めたものとして理解される。

 

 

 そして、租税法律(条例)主義は、行政権の恣意的課税を排するという目的からして、当然に、課税要件のすベてと租税の賦課徴収手続は、法律(条例)によつて規定されなければならないという課税要件法定(条例)主義と、その法律(条例)における課税要件の定めはできるだけ一義的に明確でなければならないという課税要件明確主義とを内包するものというべきである。

 

 

 しかし、課税要件法定(条例)主義といつても、課税要件のすべてが法律(条例)自体において規定されていなければならず、課税要件に関して、法律(条例)が行政庁による命令(規則)に委任することが一切許されないというものではなく、ただ、その命令(規則)への委任立法は、他の場合よりも、特に最小限度にとどめなければならないとの要請が働くものとして理解されるべきであるし、

 

また、課税要件明確主義の下でも、課税要件に関する定めが、できるかぎり一義的に明確であることが要請されるのであるが、

 

租税の公平負担を図るため、特に不当な租税回避行為を許さないため、課税要件の定めについて、不確定概念を用いることは不可避であるから、

 

かかる場合についても、直ちに課税要件明確主義に反すると断ずることはできないし、

 

その他の場合でも、諸般の事情に照らし、不確定概念の使用が租税主義の実現にとつてやむをえないものであり、恣意的課税を許さないという租税法律(条例)主義の基本精神を没却するものではないと認められる場合には、

 

課税要件に関して不確定概念を用いることが許容される余地があるというべきである。

 

 

ただし、立法技術上の困難などを理由に、安易に不確定、不明確な概念を用いることが許されないことはとより当然であり、また、許容されるべき不確定概念は、その交法趣旨などに照らした合理的な解釈によつて、その具体的意義を明確にできるものであることを要するというべきで、

 

このような解釈によつても、その具体的意義を明確にできない不確定、不明確な概念を課税要件に関する定めに用いることは、結局、その租税の賦課徴収に課税権者の恣意が介入する余地を否定できないものであるから、租税法律(条例)主義の基本精神を没却するものとして許容できないというべきである。

 

 

二 本件条例の違憲性

 

 1 本件条例の内容と各年度の課税の仕組

 

   本件条例(但し、昭和五三年条例第一六号による改正前のもの)の内容は別紙(ハ)に記載のとおりであり、これに基づく各年度の課税の仕組については、当裁判所の認定も原判決理由説示二項(原判決四四枚目表三行目から四六枚目表一行目)と同一であるからこれを引用するが、これによれば、まず「課税総額」が決定され、・この課税総額を所得割総額、資産割総額、被保険者均等割総額、世帯別平等割総額に、六五、一〇、一四、一一の割合で四分し、次いで各割ごとに税率が定められるが、その税率は、所得割、資産割については、それぞれ各割総額を各課税標準の総額で除して得た数、被保険者均等割、世帯別平等割については、それぞれ各割総額を、それぞれ当該年度初日における被保険者総数、被保険者の属する世帯数で除して得た額によるのであり、これを適用した各割税額を合算して課税額とするというのである。したがつて、右税率、課税額の算定の基礎は、「課税総額」にあるということになり、その確定なしに税率の算定をすることは不可能であつて、右「課税総額」は税率という重要な課税要件の基礎として、それ自体が重要な課税要件であるというべきである。

 

 2 本件条例二条の解釈(「課税総額」の意義、確定方法)

(一) 本件条例二条は「保険税の課税総額は、当該年度の初日における療養の給付および療養費の支給に要する費用の総額の見込額から療養の給付についての一部負担金の見込額を控除した額の百分の六十五に相当する額以内とする。」と規定するが、本件条例中には、右「課税総額」の意義及び確定方法を定めた何らの規定も存在せず、ただ、各割ごとの税率算式を定めた条例六条が、「課税総額」の一定割合を被除数として用いているだけである。そして、常識的に考えれば、「課税総額」とは納税義務者に賦課されるべき課税額の総合計額を指すものと解しうるが、このように理解した金額を前提に条例六条により税率を算定し各納税義務者に賦課するときは、条例三条但書による限度を超える額及び条例一二条の低所得者に対する軽減額(なお、昭和五二年六月一三日条例第二三号による改正以前は、右改正前の本件条例一二条によるいわゆる擬制世帯主に対する軽滅額も)の各総合計額に対応する金額だけ、現実に賦課される課税額の総合計額は少なくなり、常に必然的に徴税不足が生ずるという不合理な結果を招来する(なお、地方税法七〇三条の四第二項は「標準課税総額」を「当該年度の初日における療養の給付及び療養費の支給に要する費用の総額の見込額から療養の給付についての一部負担金の総額の見込額を控除した額の百分の六十五に相当する額」と規定しているが、同第三項は「標準課税総額」を所得割総額、被保険者均等割総額などの合計額によるとし、同五項は各納税義務者に対する所得割額は、右所得割総額を課税標準たる所得額にあん分して算定するものとし、同九項は、同じく資産割額は資産割総額を固定資産税額(全部又は一部)にあん分して算定するものとしているが、同四項では課税額の限度額を、同法七〇三条の五では低所得者に対する被保険者均等割額又は世帯別平等割額の減額を、それぞれ規定しているから、これにより現実に各納税義務者に賦課される課税額の総合計額は、必然的に右標準課税総額(右百分の六十五に相当する額)より少なくなることになるから、右「標準課税総額」も現実に賦課される課税額の総合計額を意味するものとは解されない。)。

 

  したがつて、右のような不合理な結果にならないよう、しかも条例六条の「課税総額」と同義に二条の「課税総額」を理解しようとすれば、これに基づき条例六条により税率を算定して条例にしたがい現実に各納税義務者に賦課できる課税額め総合計額が、当初賦課を予定した額に不足を生じないような数値をもつて「課税総額」と解するのほかはなく、したがつて、右「課税総額」は、現実に納税義務者に賦課される課税額の総合計額に、現実には納税義務者に賦課されることのない前記超過額及び軽減額の総合計額に相当する金額を加えたものからなることになり、このような「課税総額」を積極的に定義づけることは困難というべきである。

 

(二) そして、条例二条は、このように税率算定の基礎となる「課税総額」について、「保険税の課税総額は、当該年度の初日における療養め給付および療養費の支給に要する費用の総額の見込額から療養の給付についての一部負担金の総額の見込額を控除した額の百分の六十五に相当する額以内とする。」と規定することにより、右二つの見込額の差の百分の六十五によつて、課税総額の上限を画しているが、右見込額がいかなる方法で算定されるべきかについては何らの規定もなく、また、右範囲内でだれがいかなる基準、手続により課税総額を確定するかについても、何らの規定もない。

 

  しかし、本件条例は、課税権者たる控訴人が納税義務者から保険税を賦課徴収するための根拠となるべく制定されたものであるから、その規定内容の解釈は、その制定目的に照らしてできるだけ合理的に行うべきであり、この見地からすれば、課税総額の確定方法を全く規定していない条例二条は欠陥規定であつて無効であると解するのではなく、同条は、右上限を画する見込額の算定、及び右上限内での課税総額の確定を課税権者たる控訴人に委任したものと解すべきである。

 

3 そこで、まず見込額の算定、したがつて、確定されるべき課税総額の上限設定を控訴人に委ねることの意義、及びこれと租税条例主義との関係について検討する。

 条例二条ほ見込額を把握すべき時点として「当該年度の初日」と規定しているから、控訴人は、右時点までに入手しうる資料により、?可能なかぎり合理的な計算方法によつて、当該年度に現実に支出が予測される療養の給付および療養費の支給に要する費用、療養の給付についての一部負担金の総額にそれぞれ最も近似しうる各見込額を算定することを義務づけられているのであり、右各見込額の算定にあたり、控訴人が政策的考慮を加えることは許されないことはもちろんであつて、反面控訴人がその算定について恣意を介入させる余地も殆んどないというべきであり、この意味で右各見込額の意義も不確定なものとはいえないから、控訴人が算定する各見込額をもつて課税総額の上限を画することは、租税条例主義(とくに課税要件明確主義)の点からも特に問題とすべきものではないというべきである(見込額の算定にあたつて、控訴人がことさら政策的考慮を加えて、その時点における資料から合理的計算方法によつて算定される見込額とは異なる見込額を採用したとしても、それは、控訴人が本件条例違反の見込額の算定をしたという問題であつて、そのことが、直ちに本件条例二条が見込額算定を控訴人に委ねたことが課税要件条例主義ないし同明確主義に違反することを基礎づけるものとはいえない。)。

 

4 次に、このように算定された見込額から導かれる上限内でガ課税総額の確定を控訴人に委ねることの意義及びこれと租税条例主義との関係について検討する。

 

(一) 前述のように、右上限内での課税総額の確定は、本件条例上、課税権者たる控訴人に委任されていると解すべきであるが、本件条例にはこれを明示する委任規定はなく、委任に基づき課税権者が課税総額を確定するにあたつてのよるべき基準及びその確定手続を定めた規定も一切存在せず、しかも、委任に基づき確定した課税総額を何らかの形で公表すべきことを定めた規定も存しないから、本件条例は、課税権者に課税総額を、その自由な裁量により内部的に決定することを委任した趣旨と解する他はない。

 

  しかし、本件条例二条における課税総額は、課税要件たる税率算定の基礎となる、それ自体重要な課税要件であるから、その確定を課税権者が自由な裁量によつて内部的に決定すればよいとする委任は、租税条例主義(とくに課税要件条例主義)の見地からは多大な疑問があるといわなければならない。

 

そして、もとより条例二条をその目的に照らし合理的に解釈するときは、同条は前記上限内で課税権者が国保制度の目的、国保会計の収支状況などの諸般の事情に照らして、合理的な数額を確定すべき旨を定めたものと解すべきことは当然であるが、このように解しても、前述したとおり、本件条例自体には右確定にあたつて課税権者がどのような事情をどのように考慮すべきかについてのよるべき基準は何ら明示されていないから、これを一般的に考えれば、右確定にあたつて課税権者には広汎な裁量の余地があり課税権者は自己が制度目的などに照らして合理的と思うところの種々の政策的判断を重ねたうえで課税総額を決定できるとみることができるのであるから、前記租税条例主義の見地からの疑問は何ら渡殺されるものではない。

 

 

(ニ) ただ、本件条例における課税総額の確定過程で、どのような点で裁量が働くものであるか、また、その裁量の幅がどの程度なものであるかについて、本件各年度における具体的な課税総額確定過程を素材として検討することにより、その裁量の幅が一般的に考えられるほどには大きいものでないと評価できる場合には、本件条例二条の課税総額規定は課税要件条例主義に反しないとみる余地も生ずるので、本件各年度の課税総額確定の過程を、このような見地から検討し、右課税総額規定が課税要件条例主義に反しないかどうかを、さらに吟味する。

 

 (1) いずれも成立に争いのない甲第四ないし第六号証、同第一〇号証の二、三、同第一八号証の二、同第四五号証の二、乙第三ないし第一〇号証、同第二三ないし第二七号証、同第二九、第三〇号証、同第四五号証、同第五〇号証の一ないし三、同第五一号証の一、二、同第五九号証、及び原審証人斎藤一郎、同井筒豊、同藤沢謙治郎、同石川安民、同川口良治の各証言によれば、次の各事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

 

  (イ) 控訴人は本件各年度の課税総額を、賦課期日(四月一日)以降に、当該年度の国保会計予算の中の保険税現年課税分(以下現年課税分という。)を基礎として、この額を過去の収納実績に照らして決定した見込収納率で除して調定額を定め、この金額に、課税限度額を超える額、低所得者に対する軽減額、擬制世帯主に対する軽減額(ただし、昭和五〇年度のみ)の各総計額を加算したものをもつて課税総額として取扱い、その確定作業を六月中旬ころまでに行つて、税率を決めて、七月一日付で各納税義務者に納税通知書を送付している。

 

  (ロ) ただし、本件条例によると、右超過額、軽減額の各総計額がいくらになるかは、各割の税率、税額を必要とし、他方、右税率、税額の決定には課税総額が必要となるという関係があるため、控訴人は、資料にもとづき各割の課税標準総額、総数(課税所得の総額、資産税額の総額、被保険者総数、被世帯総数)を把握したうえ、過去の実績に照らし、仮定的に数個の税率をあてはめて、仮定的な課税総額を数個算出し、これにより算定される超過額、軽減額の総計額を差引いた数額が前記の調定額に最も近似したものとなる仮定的な課税総額をもつて、本件条例二条の課税総額と決定している。

 

(ハ) 現実の収納実績は、昭和四七年度九一・三七パーセント、同四八年度九一・三二パーセント、同四九年度九二・〇六パーセント、同五〇年度九一・一〇パーセント、同五一年度九一・〇一パーセントであるのに対し、控訴人は、本件各年度の課税総額確定にあたり見込収納率として、昭和五〇年度については収納率の大幅向上をはかるという前提で九五パーセントを、昭和五一年度については過去の実績に忠実に九二パーセントを、昭和五二年度については過去数年の実績の最低値をとつて九一パーセントを、それぞれ採用した。

 

(ニ) 控訴人は、昭和五〇年度については、予算編成時に想定した被保険者数よりも賦課期日時における被保険者数が八三〇名減少していることが四月中旬ころ判明したため、前記の調定額を右想定被保険者数で除した額の八〇〇倍を右調定額から減額して、これを調定額として、以後の課税総額確定作業を行つた。

 

(ホ) また、控訴人は、昭和五二年度については、例年、課税総額確定時に課税所得把握もれがあつたことなどが原因で、その当時に前提とした調定額よりも決算時の調定額が約五パーセント程度増額になるという傾向があることを考慮して、前記の調定額の三パーセントを減額した金額をもつて、課税総額確定の前提たる調定額とした。

 

(ヘ) 控訴人は、昭和五一年度において、所得割の課税標準所得総額に擬制世帯主の所得額を含めなければ、課税総額に擬制世帯主に対する軽減額を含めなくても、結果として得られる税率に殆んど差異は出ないと考えて、条例上は何ら規定の改正はないのに前年度までとは異なり、前記調定額に課税限度を超える額及び低所得者に対する軽減額の各総額だけを加算したものをもつて課税総額とした。

 

(ト) 控訴人は、昭和五〇年度において、前年度の赤字約三〇〇〇万円が見込まれるとしてその処理のため当初予算において国庫から支出される療養給付費負担金を現実に支出される金額より三〇〇〇万円減額して計上し、これに対応して保険税現年課税分を三〇〇〇万円多く計上したが、その後の賦課期日後の課税総額・税率の決定作業中に、国から前年度赤字分充用のためさらに三〇二〇万円の療養給付費負担金が支出されることになつたので、六月に補正予算をくんでその処理をしたが、これによつて、前記不計上された三〇〇〇万円は当初の目的を失いその不計上の理由はなくなつたのであるから、これを計上して右同額分の現年課税分を減額することが考えられるのに、同年度中に医療費の値上げも予想されるとの理由から、右のような補正予算措置をしなかつた。

 

  なお、控訴人は、昭和五〇年度当初予算においては、前年度から県からの補助金が支出されていたが、その額が必ずしも明確でないとの理由で、全くこれを歳入として計上しなかつた。

 

(チ) 控訴人は、昭和五一年度においては、当初予算編成時点ですでに前年度の黒字が一億円以上になることが予測できたのに、当初予算にこれを繰越金として全く計上せず、しかも、その後の課税総額・税率の決定作業中にはその黒字額が一億三四〇〇万円にのぼることが明確になつたのに、これを繰越金として計上してその分だけ現年課税分を減額する補正予算措置を全くしなかつた(ただし、一二月の補正予算で歳入に繰越金一億四七一七万円を計上し、他方、歳出にこれを上まわる療養給付費を計上した。)。

 

(リ) 控訴人は、昭和五二年度においては、前年度に大幅な黒字が生ずるとの予測に基づき、当初予算で五〇〇〇万円の繰越金を計上したが、課税総額・税率決定作業中にはその黒字が二億三〇〇〇万円にのぼることが明確になつたので、六月に補正予算をくみ、さらに、一億五三〇〇万円の繰越金を追加計上し、右同額だけ現年課税分を減額した。

 

   なお、昭和五二年度め決算では、右のような措置をしたにもかかわらず、三億七四〇四万円の黒字が生じた。

 

 

(2) 以上の認定事実に基づき課税総額確定過程の問題点を順次検討する。

 

 (イ) 現年課税分を基礎とすることについて

 

   市議会で議決された当初予算において保険税の現年課税分として一定の金額が計上されているのであるから、その金額に何らの拘束力はないとはいえ、控訴人が右金額を基礎に課税総額確定作業をすすめることは、一応合理的なことといいうる。しかし、当初予算における現年課税分の決定について控訴人が事実上行使しうる裁量権はしばらく措くとしても、右当初予算における現年課税分は、右にみたとおり、その後の補正予算により増減しうるものであり、具体的にこれをみれば、昭和五〇年度においては、赤字処理のための必要がなくなつたのに現年課税分を減額せず、昭和五一年度においては、黒字がはつきりしてもこれを繰越金として計上して現年課税分を減額することをせず、これに対し、昭和五二年度においては、!黒字処理のため繰越金を追加計上する補正予算をくんだが、その計上額はほぼ確定していた黒字額をかなり下廻るものであつたという前記認定事実から明らかなように、当初予算議決後に生じ、あるいは判明したいかなる事情をとらえて補正予算をくむか、また桧の補正予算内容をどうするかは、

 

  控訴人が、その政策的判断に基づく裁量により決しており、また決しうるところであるというべきである。

  したがつて、控訴人が予算の現年課税分を基礎として課税総額を確定するとはいつても、その現年課税分の金額は、当初予算の議決によつて直ちに確定するというものではなく、控訴人は、それ以降においても、前年度の赤字・黒字処理、他の歳入金の計上、歳出の増額などについて補正予算をくむか否かの権限の運用により、右現年課税分の金額を増減しうるものであつて、このように控訴人は、右補正予算の提出権限め運用を通じて、課税総額確定作業の基礎である現年課税分の決定について広汎な裁量の余地を有するというべきである(このことは、右権限の運用が適正であつて、課税総額確定作業時の現計予算の現年課税分の金額が合理的数額であるか否かとは自ら別個の問題である。)。

 

(ロ) 見込収納率を考慮して調定額を定めることについて

 

  賦課税額が現実にすべて収納しうるものではないから、過去の収納実績に照らして、当該年度の見込収納率を決め、これで現年課税分を除して調定額とすること自体は不当とはいえず、このことを徴税不能分を他の納税義務者に負担転嫁するもので許されないとの非難はあたらないが、前記認定の本件各年度における見込収納率の決定事情からも明らかなとおり、過去の収納実績を考慮するといつても、それをどのように考慮するかは、その飛躍的向上を目ざして高く見込むか、確実なところで過去の最低値を見込むかというような政策的判断が介在するものであつて、過去の実績からほぼ自働的に決定されるとか、過去の実績があるから右見込収納率決定にあたつての裁量の幅はせまいとかいうことはできない。

 

  なお、原審証人川口良治、同井筒豊の各証言中には、控訴人は当初予算編成時にすでに当該年度の見込収納率を決定しており、これを右予算案の審議される市議会の委員会で口頭で報告している旨の部分があるが、これを裏付ける何らの書証も提出されておらず、その証言内容自体からもその信用性に疑問の余地があるばかりか、仮にそれが措信できるとしても、何のためにその時期に決定し、どんな目的で委員会へ報告するのかは全く不明確であつて、調定額算出にあたつての見込収納率の決定について市議会が何らかの統制機能を有するものとは到底評価できない。

 

 

(ハ) 特殊事情による調定額の減額措置について

  前記認定のとおり、控訴人は、昭和五〇年度と昭和五二年度とにおいて、それぞれの事情により、現年課税分を見込収納率で除してえられた金額をさらに減額し、これを調定額として課税総額の確定作業をすすめているが、これらの減額措置はそれ自体としては国保税制度の目的からみて合理的で適切なものであつたとしても、反面からみれば、他の年度においては、被保険者数の増減や例年生じていた決算上の調定額の増加傾向を考慮して調定額を修正することをしなかつたこととなり、その合理性が問われる余地があり、しかも、このことは控訴人が諸般の事情をみて合理的であると判断すれば、現年課税分を見込収納率で除してえた金額をさらに修正しうるということをも示すものであつて、控訴人は、この点でも調定額決定について政策的判断に基づく裁量の余地があるというべきである。

 

(ニ) 調定額に加算すべき金額の決定過程について

 

  すでに認定したとおりの課税総額の確定作業においては、そこで採用された各課税標準の数値が正確に把握されているか否かも、確定される課税総額に影響を与えるところ、いずれも成立に争いのない乙第三号証と乙第一五号証、乙第六号証と甲第一〇号証の二をそれぞれ対比すれば、各課税標準の数値は、その把握時点、把握資料によつて相当に差異がありうることが認められ、このことから、各数値の正確性の程度は、控訴人の資料収集などの努力いかんに負う部分も少なくないともみれるのであつて、調定額決定後の裸税総額の確定作業も、単純な計算過程であつて、だれがこれを担当しても同じ金額になるといつた性格のものではないことは明らかである。

 

  (ホ) 以上、検討したところによれば、現年課税分を基礎として課税総額を確定するとはいつても、その過程において控訴人によるさまざまな政策的判断が積み重ねられるのであり、その各政策的判断がそれー体として国保税制度の目的に照らして合理的なものであるとしても、その各合理的とみうる判断には、それぞれ一定の幅がありうるのであるから、それが積み重なつて確定される課税総額の金額の幅も自ら相当に大きなものとなるのであつて、その確定において働かせうる控訴人の裁量の余地は現実にも広汎なものとなつていることは明らかである。

 

(三) なお、控訴人は、保険税が目的税であつて条例二条の課税総額はこれによつて算出される税率を適用して保険税を賦課して現実に徴収可能な税収が当該年度の国保会計収支を過不足なしに均衡させうる数額でなければならないのであるから、右課税総額の確定にあたつて現実に控訴人に許される裁量の幅は極めて小さく、なきに等しいと主張するが、右(ニ)項で判断したとおり、課税総額確定にあたり、現実に控訴人が行使し、又は行使しうる裁量の幅は相当に広いのであつて、控訴人が主張する国保会計の収支均衡という点は、控訴人が右(ニ)項において認定したような政策的判断を積み重ねるに際しての重要な指針・基準となすべきであり、また指針・基準となさざるをえないものといいうるにすぎない。そして、前示乙第九、第一〇号証、同第二六号証、原審証人石川安民の証言及び弁論の全趣旨によれば、国保会計予算の編成は療養給付費を中核とする歳出に対し、法令上固定的な国庫負担金などの歳入を計上し、その歳入不足額を保険税の現年課税分として計上する取扱いになつていること、歳入には一般会計繰入金などのように控訴人の政策的判断によつて増減しうる項目もあることがそれぞれ認められ、また、前記認定のとおり控訴人はその政策的判断によつて、前年度の赤字処理に関して歳入項目たる国庫負担金の一部を不計上にし、前年度の黒字処理に関して歳入項目たる繰越金を全く計上せず、あるいは少なく計上するなどの措置もとりうるのであつてみれば、予算編成にあたり国保会計の収支均衡を判断基準として現年課税分の金額を決定するのだからその決定には控訴人の裁量の余地は殆んどないとはいえないことが明らかである。また、前示乙第二九、第三〇号証、甲第四五号証の二、乙第九、第一〇号証、同第二六号証によれば、本件各年度において控訴人は国保会計の収支均衡、すなわち、赤字、黒字が生じないように考えて現年課税分を決めて予算編成をしたはずであるのに、右各年度の国保会計決算は、昭和五〇年度は一億四七一八万円、昭和五一年度は二億三六七七万円、昭和五二年度は三億七四〇四万円と、それぞれ当初予算合計額の約五パーセントないし八パーセント、当初予算の現年課税分の約一四パーセントないし二五パーセントにものぼる黒字を生じたことが認められ、このことは本件各年度の予算編成時の現年課税分の計上、あるいはその後の課税総額確定にあたつての裁量権行使について、控訴人が国保会計がどうすれば収支均衡するかという点での判断を誤つたということを示すにとどまらず、そもそも国保計の収支均衡ということを基準として政策的判断をするにしても、客観的にはすでに存在し、あるいは将来発生すると見込まれる諸要因のうち、どの点をどのように考慮するかによつて、その判断には相当に差異が生じうるものであつて、そこで行使される裁量の幅は大きいものであることをも示すものというべきである。

 

  さらに、保険税が目的税であるということは、控訴人において国保会計上歳入増加の必要性もないのに際限なく保険税を賦課する必要はなく、課税総額、税率の確定をその裁量に委ねても際限のない課税総額の拡大、税率の上昇のおそれは少ないといいうるにすぎず、目的税であることから右確定に際して控訴人に裁量の余地がなきに等しいとか、裁量に委ねることが渫税要件条例主義に違反しないとかいつた結論を導き出すことはできない。

 

(四) ただ、前記認定のような政策的判断の積み重ねにより確定される課税総額が、結果としてほぼ必然的に「百分の六十五に相当する額」という上限をこえ、あるいはこれにきわめて近似した金額になるものであるとすれば、右上限額の機能により、現実的には控訴人が裁量の結果として確定しうる課税総額の金額の幅は狭く、右裁量の余地自体も狭いとも評価する余地があるので、本件各年度の実態に照らしてこの点を検討するに、前示乙第五、第六号証、同第九、第一〇号証、同第二四号証、同第二六号証によれば、控訴人が確定した本件各年度の課税総額は、昭和五〇年度が一五億一九二九万円、昭和五一年度が一八億二一〇〇万円、昭和五二年庫が一九億四三八七万八〇〇〇円であつて、「当該年度の初日における療養の給付および療養費の支給に要する総額の見込額から、療養の給付についての一部負担金の総額の見込額を控除した額」の、昭和五〇年度は約百分の五五、昭和五一年度は約百分の五九、昭和五二年度は約百分の五三に、それぞれ相当する額であつて、前記上限額をいずれもかなり下廻つていることが認められ、しかも、成立に争いのない乙第六二号証、甲第八一号証によれば、地方税法七〇三条の四が標準課税総額を「百分の六十五に相当する金額」と定めた際には、モデル国保会計として、療養の給付及び療養費の支給に要する費用のそれぞれ一〇パーセント程度の保健施設費(主として保健婦設置費)及び任意給付費(助産費や葬祭費など)が計上されるものと想定したことが認められるのに、前示甲第九、第一〇号証、同第二六号証によれば、秋田市の国保会計予算においては、とくに保健施設費が極めて低額(本件各年度については右モデルの一〇分の一以下-療養の給付及び療養費の支給に要する費用の(一パーセント未満)しか計上されておらず、任意給付費も高額療養費を含めても右モデルよりもかなり低額にとどまつていることが認められ、これが確定した課税総額が前記上限額をかなり下まわる大きな原因になつているとみることができ、したがつて、余程過大に課税総額を確定しないかぎりは、右上限額が課税総額確定について現実的に機能する余地は乏しいものというべきで、この上限額の機能によつて、課税艙額確定についての控訴人の裁量の幅が狭いとの判断は成立しない。

 

(五) 以上検討したとおり、本件条例のもとでの控訴人記よる課税総額の確定についで、本件条例にはその際によるべき基準は何ら規定されてはいないから、控訴人は自由な裁量によつて種々の政策的判断の積み重ねによつてこれを行いうるものと解するのほかはなく、保検税が目的税であることや、国保会計の収支均衡を無視しで課税総額を確定できないということも、右裁量の幅を狭いものとするとはいえず、また条例二条の上限額の定め自体が右裁量の余地を大きく減殺する機能を果すともいえない。したがつて、重要な課税要件たる課税総額の確定をこのように広汎な裁量の余地のあるままに控訴人に委ねた条例二条の課税総額規定はやはり課税要件条例主義に反するといわざるをえない。

 

(六) しかも、本件条例上は右のように確定した課税総額について、控訴人がこれを規則として制定すること、あるいはこれを公示することを義務づけた規定は存在しないから、前述したとおり控訴人はこれを単に内部的に決定レ、これに基づき税率を決定すればよいことになる。ところが、納税義務者は税率決定の基礎となつた課税総額がどのようにして確定されたかはもとより、確定された課税総額の金額すらも明らかにされないのであるから、たとえ税率だけが明示されても課税総額及びそれに基づく税率の決定が本件条例に基づいて正しくなされたか否かについて全く検討することが不可能であることは明らかである。そして、本件条例においても控訴人が課税総額の確定にあたつて行使する裁量は合理的なものでなければならず、この点については保険税賦課処分に対し納税義務者の提起する行政不服審査、行政訴訟において、行政審査、司法審査をうけ、これにより課税権者による恣意的課税抑止の機能が期待されるわけであるが、右のように本件条例上は納税義務者にとつて課税総額の確定過程、その確定金額、さらにそれに基づく税率確定過程が本件条例に適合するか否かを全く検討する余地がないということは、右の不服申立をすべきか否かの判断をきわめて困難なものにするというべきであつて、右不服申立制度によつて恣意的課税を抑止するという機能も現実には著しく減殺されてしまうというべきである。したがつて、この点からも、本件条例二条の課税総額規定が課税要件条例主義に違反することを根拠づけることができる。

 

(七) さらに、条例二条の「課税総額」は前記のとおり積極的に定義づけることは困難な概念であり、その金額については、同条において上限が規定されているだけで、その範囲内での確定は控訴人に委ねられているというのであるから、同条の規定が一義的に明確でないことも明らかであり、同条の解釈によつても、それを明確にできるものでもないから、同条の課税総額規定は課税要件明確主義にも違反するというべきである。

 

 控訴人は、保険税については条例において定率・定額で税率を規定することが立法技術上困難であり、合理的でもないから、本件条例のような税率決定の方式は(したがつて、その基礎となる条例二条の課税総額規定も)、課税要件明確主義を緩和することにより、これに適合するものと解すべきであると主張するが、

 

成立に争いのない甲第七二号証、原審証人丸山高満の証言によれば、全国で保険税を賦課している地方公共団体約三〇〇〇のうち、昭和五五年一二月末に国保税条例で定率・定額方式をとらないのはわずか二五にすぎないことが認められるから、

 

右立法技術上の困難という主張が失当であることは明らかというべきであり、

 

また、本件条例のような課税方式の方が合理的であるというのは、要するに、定率・定額方式では毎年議会において税率改訂のための条例改正の審議、議決を要するために国保会計の歳入確保に支障を生ずるおそれがあるというものであつて、

 

皮面からいえば、税率改訂について議会の審議・議決を経ることが不合理であるというこどであつて、このような主張は恣意的な課税を排するという租税法律(条例)主義の根本精神とは全ぐ相容れない考え方であつて、到底採用できない。

 

 

(八) なお、控訴人は刑事法における罪刑法定主義との対比において、刑罰法規においても刑罰について一定範囲の幅のある定め方をするのが大部分であるのにこれを罪刑法定主義に反すると論ずるものはいないのであり、これと同様に租税条例主義の下でも本件条例二条のような課税総額の定め方は是認されると主張する。

 

しかし、罪刑法定主義はもともと絶対的法定刑を要請するものではなく犯罪構成要件が法律によつて明確に定められるべきことを要請するものであり、

 

これに対し、租税条例主義は前述のとおり課税要件の法定を要請するものであるから、

 

一定の幅で刑罰を規定することが許容されることとの対比において、課税要件たる課税総額、税率について一定の幅で規定することが許容されると論ずることはできず、

 

犯罪構成要件が法定されしかも明確でなければならないこととの対比において、課税要件の法定、明確性が考えられるべきである。

 

これを実質的に考えても、一定の幅のある法定刑の中から裁判官が宣告刑を形定することと、一定の限度内の金額、割合の中から課税権者が課税総額を決定することとの間には質的にも大きな差異があることは明白であり、一定の枠さえ定めれば、その枠内で課税権者がその裁量により税率・課税額を決定できるということが、租税法律(条例)主張の下において是認されるとすれば、課税権者の恣意的課税を排するという同主義の目的は全く失われてしまうというべきである。

 

 

したがつて、罪刑法定主義との対比において、本件条例二条の課税総額規定が租税条例主義に反しないと論ずる控訴人の主張は採用できない。

 

   (九) したがつて、本件条例二条の課税総額規定は、上限内での課税総額の確定を課税権者に委ねた点において、課税要件条例主義にも課税要件明確主義にも違反するというべきであつて、憲法九二条、八四条に違反し、無効といわざるをえない。

 

  5 そして、右のような課税総額を基礎として税率を決定する点において、本件条例六条もまた、ぞの余について判断するまでもなく、憲法九二条、八四条に違反し、無効であるというべきである。

 

 

第三 結 論

   したがつて、このように違憲無効な本件条例二条、六条に基づいてなされた本件各賦課処分は違法であつて取消しを免れないというべきであるから、被控訴人らの本訴請求を認容した原判決は正当であつて本件控訴は理由がないのでこれを棄却することとし、控訴費用の負担について民訴法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

 

(裁判官 福田健次 武田多喜子 小林克已)

 

別紙(省略)