信教の自由と租税

 

 

奈良県条例無効確認・特別徴収義務者指定処分無効確認各請求事件

 

 

 

【事件番号】 奈良地方裁判所判決/昭和41年(行ウ)第2号、昭和41年(行ウ)第7号

 

【判決日付】 昭和43年7月17日

 

【判示事項】 1、奈良県文化観光税条例は無効確認の訴えの対象となるか

       2、奈良県文化観光税条例は憲法第20条に違反するか

       3、奈良県文化観光税条例は憲法第14条に違反するか

 

 

【掲載誌】  行政事件裁判例集19巻7号1221頁

 

 

について検討します。

 

 

 

主   文

 

  昭和四一年(行ウ)第二号奈良県条例無効確認請求事件につき、原告の訴を却下する。

  昭和四一年(行ウ)第七号特別徴収義務者指定処分無効確認請求事件につき、原告の請求を棄却する。

  訴訟費用は原告の負担とする。

 

       

 

事   実

 

第一、当事者双方の申立

 

 一、原告

 (昭和四一年(行ウ)第二号事件について)

   「被告が昭和四一年三月五日公布した奈良県文化観光税条例(昭和四一年三月奈良県条例第一八号)は無効であることを確認する。訴訟費用は、被告の負担とする。」 との判決を求める。(昭和四一年(行ウ)第七号事件について)

   「被告が昭和四一年三月五日になした、奈良県文化観光税条例第六条第一項の規定により東大寺金堂に係る文化観光税の特別徴収義務者として原告を指定する旨の処分は無効であることを確認する。」 との判決を求める。

 二、被告

  (昭和四一年(行ウ)第二号事件について)

 (一) 本案前の申立

     「原告の訴を却下する。訴訟費用は原告の負担とする。」 との判決を求める。

  (二)本案の申立

     「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」 との判決を求める。

  (昭和四一年(行ウ)第七号事件について)

    「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」 との判決を求める。

 

 

 

第二、原告の主張

(昭和四一年(行ウ)第二号事件について)

 一、被告は、昭和四一年三月五日附奈良県公報をもつて、同年同月奈良県条例第一八号奈良県文化観光税条例を公布し、さらに同日附奈良県公報をもつて、同年同月奈良県条例第一九号奈良県文化観光税条例の一部を改正する条例を公布した。一部改正後の奈良県文化観光税条例(以下本件条例という。)は別紙記載のとおりである。

 二、本件条例第二条は、別表に定める寺院に対価を支払つて入場するものに文化観光税(以下本税という。)を課すると規定し、さらに、本件条例第六条は、別表に定める寺院に所在する文化財の所有者を本税の特別徴収義務者とする旨規定している。ところで、本件条例の別表には、東大寺金堂(大仏殿)及び法隆寺西院が掲げられているところ、東大寺金堂(大仏殿)並びにその内部の銅造毘盧舎那仏坐像その他の文化財の所有者は原告であるから、原告は本件条例第六条により当然に本税の特別徴収義務者と定められ、その租税債務を負担させられたことになる。つまり、本件条例は、原告を名宛人とする行政事件訴訟法上の公権力の行使に当る行為である。

   もし本件条例第六条が被告の指定がなければ特別徴収義務者が特定しないことを定めているものとすれば、右条項は地方税法第二七五条第一項に違反し無効である。

三、ところで、本件条例は以下に述べる理由により無効である。

 (一)無効理由その一 (信教の自由の侵害)

   本件条例は、宗教行為である参詣並びに宗教団体たる仏教教団及び伽藍の維持費に課税するものであり、原告及びその参詣者の信教の自由を侵害するものであるから、憲法第二〇条に違反し無効である。

  (1) (原告の歴史及びその現状)

   (イ)原告は、奈良朝時代の天平勝宝四年に聖武天皇により鎮護国家のため建立された寺院であり、常に国土の安穏と国民の幸福とを祈願してきたのであるが、同時に諸宗の研究を積み八宗兼学の道場といわれて仏教の綜合大学的な役割をはたし、明治初年に華厳宗を名乗るまで華厳と三論とを研究してきた。現在、華厳宗は、原告を本山とし、十数個の原告の塔頭寺院のほか数十の末寺とこれに附属する教会を有するのみであるが、南都仏教の伝統は今日に至るまで承継されている。

   (ロ)今日において一般に、仏教寺院とは死者の埋葬儀式、墓地管理、年忌法要をこととするもののように考えられているが、南都仏教の諸大寺院は、死者の追善供養として法要を行なうことがあつても、埋葬儀式とか墓地管理には関係がなかつたので、徳川時代に檀家制度が実施されたときも檀家を持たなかつた。政府の建立した仏教寺院は、経済的にも政府の保護を受け寺領や荘園を領有してきたので、学問寺として純粋の道場たる伝統を維持できたのである。明治政府は神道を国粋的に高揚する目的から、混合されていた神仏を分離し仏教寺院に対して大弾圧を加えた。これが歴史上有名な廃仏毀釈であり、これによつて仏寺、仏像、経巻などが多数破壊されたのである。この廃仏毀釈により仏教寺院は苦難時代を迎え、原告も寺領の田畑山林を政府に没収され、経済的に大打撃を受けた。現在においても、檀家のない原告の年間収入は、大宗派の収入の一ケ月分に及ばないのである。

   (ハ)宗派又は教団を維持するには生活物資が必要であり、伽藍の維持にも資金が必要である。原告は、大仏殿の修理をはじめとして、諸堂、各塔頭寺院の修復その他の工事が必要であつたけれども、明治の廃仏により財産と収入とを失つていたからその資力がなかつた。そこで、原告は、金堂すなわち大仏殿の内部を公開して参詣者から布施(入堂香華料)を収受することとなつたのであるが、その後この収納金によつて多数の堂字及び塔頭寺院を修復し、収蔵庫及び図書館を新築あるいは増築することができた。原告は、現在、学校法人東大寺学園を設立して高等学校、中学校、女子学院及び幼稚園を設置運営しているほか、社会福祉法人東大寺福祉事業団を設立して東大寺整肢園を運営し、また、財団法人東大寺旋薬院を設立した。今後も、原告は、これら施設の維持費及び関係者の生活費を確保する必要があるほか、諸堂における諸法要、聖武天皇祭、修二会その他の年中行事のための経費から境内の整備清掃、防火設備などの費用に至るまで実に莫大な出費が要求されており、これらはすべて右入堂香華料をもつて充当するほかないのが現状である。つまり原告が参詣者から収受している入堂香華料は、その宗教活動にとつて必要不可欠の資金なのである。

(2)東大寺金堂(大仏殿)は、原告が所有、管理する伽藍の中心的部分であり、本尊毘盧舎那仏坐像(大仏)が安置せられている場所である。原告は前叙のような次第で、入堂香華料を収受して右金堂を公開しているのであるが、金堂を公開することは、本尊の毘盧舎那仏坐像を公開することに他ならない。そもそも、仏像は偉大な仏陀に対する畏敬の念から出発し、崇拝の対象として建立されたものである。仏像は絶対的な精神を表現したものといわれており、仏像の持つ雰囲気は人間に対し精神の安静を与えるものである。未だ信仰のない人間であつても、仏像を観照することによつて、仏教に帰依する契機となりうるものであるし、いわんや信者にとつて、本尊は信仰の対象そのものである。すなわち、原告がその金堂を公開することは、信者に対して本尊礼拝の機会を与えるばかりでなく、未だ信仰に至つていない人間に対して信仰への門戸を開放することであり、原告にとつては、布教活動以外の何ものでもない。

  そして、東大寺金堂内の毘虐舎那仏坐像を信仰する者は、全国に多数存在している。右金堂の公開が文化財を観覧に供しているような外観を呈していても、原告としては、文化財を観覧させることが目的でないし、また、右金堂に入堂する者の外観を観察しただけで、入堂者が文化財の観賞のみを目的とするかの如く判断することは、認識を誤るものである。そもそも、信仰とは内心における心理的又は意思的な事実であつて、本人の告白がなければ信仰の有無を認識することは絶対にできない。仮りに、東大寺金堂へ信仰のない者が多少入堂することがあつても、信仰のある参詣者の信仰がなくなるわけではないのである。

   以上に述べたとおり、本来信心(信仰)の場である東大寺金堂へ入場参詣する者に対し本税を課することは、宗教行為である参詣並びに布教活動に課税するものであり、原告及びその参詣者の信教の自由を侵害することは明らかである。

 (3)さらに、原告は、その出家僧の生活並びに伽藍の維持管理のために相当の資金を必要とするが、これは、現在信者その他援助者からの出捐によつて取得した金銭又は物資を充てるほかに手段がないことは前述したとおりである。出家僧は霞を食つて生きることはできないし、経文を読んで伽藍を維持していくこともできない。仏教教団は、外部からの出捐によつてのみはじめてこれを維持することができるのである。憲法第二〇条の信教の自由は、内心における信仰の自由のみでなく、信仰を発表する自由、宗教を宣伝する自由、さらには信仰のために礼拝し、集会し、結社を作る宗教的行為の自由をも含むものであるが、仏教においては、礼拝及び集会のための物的施設並びに信仰を継続させるための宗教結社の綜合体が寺院であるから、寺院の創立及び存続は、信仰に必要不可欠の要件である。そして宗教的行為の自由は、その目的のため財産を醵出する自由を含むものである。したがつて、仏教教団たる原告に対する財産の出捐に対し、本税を課することは、原告の宗派及び寺院の維持費に課税して、その諸活動を妨害することに他ならず、原告及びその参詣者の信教の自由を侵害するものである。

(二)無効理由その二(差別課税)

  本件条例は、その入場が有償である多数の寺院神社、文化施設等の入場者のうち、東大寺金堂及び法隆寺西院の入場者のみを理由なく差別して本税を負担させるものであるから、憲法第一四条に違反し無効である。

 (1) (憲法第一四条第一項の趣旨)

   憲法第一四条が、法の下における平等の原則を宣明し、すべての国民が差別的取扱を受けない旨規定したのは、人格の価値がすべての人間について平等であることを前提とし、先天的素質、宗教、職業、社会的身分その他の差異に基づいて、あるいは特権を有し、あるいは特別に不利益な待遇を与えられてはならないという大原則を示したものに他ならず、右原則は実定法規の適用における平等を意味するにとどまらず、法の定立作用においても平等であることを要求し、立法、行政、司法のあらゆる国政のうえにおいて、すべて国民を平等に処遇することを要求するものである。ただ、国民の各人には、先天的、社会的又は経済的な差異があり、その差異から不均質性が生ずることは否定できないところであるが、憲法第一四条は、それらの差異による不均質性の存在することを前提としながらもなお国民を政治的、経済的又は社会的関係において原則として平等に取扱うべきことを規定したものであつて、例外的に現実の差異による不均等な取扱いをすることがありうるとしても、それは一般社会観念上、合理的根拠のある場合に限られるのである。すなわち、憲法第一四条第一項による原則的禁止の例外として差別取扱いが許されるためには、まず、差別取扱いの対象について現実に明瞭な差異が存在すること、次いで、その差異に基く差別取扱いについて一般社会観念上合理性の存在することが要求されるのである。

(2) (差異のない者に対する差別課税)

  ところで、奈良県内には、多数の寺院神社その他宗教団体があり、その中には、本堂、本殿その他の礼拝施設等への入場に対し、参詣料を受領しているものが相当数あり、その数は三十を超えるところ、本件条例は、入場者より参詣料を受領しているこれらの寺院、神社等のうち、特に東大寺金堂及び法隆寺西院への入場者についてのみ、本税を課税せんとするものである。しかしながら、これは、以下に述べるように何ら差異のない者を理由なく差別して納税義務を賦課するものである。すなわち、

(イ)前記の寺院、神社の本堂、本殿その他の礼拝施設へ同額の金銭を支払つて入場参詣する者は、担税力その他すべて同一の事情にあつて、これらの者の間に差別取扱いの基礎となるべき差異は何もない。強いて挙げれば、本件条例で課税されるのが、華厳宗大本山東大寺及び聖徳宗大本山法隆寺の本堂に礼拝のため入場する参詣者であり、課税を免れているのが、それ以外の宗派及び宗教に属する礼拝施設に礼拝のため入場する参詣者であるという事実である。これは間違いなく信条の相異による差別というほかない。

 (ロ)仮りに、信仰の問題を捨象して観察してみても、奈良県内には、国宝又は重要文化財に指定されている建造物、彫刻その他の美術工芸品を一般に公開し、その修理、保存等の経費に充てるため入場料を徴収している施設は、前記寺院、神社等の外にも相当数存在するが、これらの施設へ同額の金銭を支払つて入場する者は、担税力その他すべて同一の事情にあるのであり、その間には、差別取扱いの基礎となるべき差異は何もない。従つて、その中で、特に東大寺金堂及び法隆寺西院を拝観するものだけが他の文化財施設への入場者が負担しない租税をたとえ一円でも負担すべき理由は全くないといわねばならない。

(3) (甚だしく非常識な差別取扱い)

  さらに、奈良県内には、文化財施設のほかに、動物園、植物園、水族館、図書館、遺跡その他の教養施設、境内地、庭園、遊園地その他の観景施設、野球場、庭球場、水泳場、滑走場その他の運動施設があり、回転木場、滑走車、空中車、豆列車、端艇、仮装船その他の遊戯施設がある。一般市民はそれぞれ教養、休養、体育又は娯楽のためこれらの施設に入場し、又はこれを利用しているのであるが、いずれも料金を支払つている。これらの料金について、現に課税されているものがないことは注目しなければならない。地方税法に娯楽施設利用税の定めはあるけれども料金一〇〇円までは課税されないことになつているため、奈良ドリームランド、生駒山遊園地その他の遊戯場を経営する企業は、娯楽施設利用税の特別徴収義務者であるが、遊戯施設の利用料金を一〇〇円以下に定めることによつて、課税を免れているのである。試みに、大人が子供連れで奈良ドリームランドヘ遊びに行つてみるとしよう。遊戯場入口で入場料金として合計金五五〇円徴収される。場内では遊戯施設の利用一回ごとに料金を徴収される。料金はいずれも一人一回一〇〇円以下であるが、一回の時間は短いので数時間を過すためには、二人で合計一、〇〇〇円以上必要となる。場内の食堂で飲食するならば、退場するまで容易に二、三千円の消費が行なわれる。もし子供二人連れの夫婦が一日滞在したならば、四、五千円の消費が行なわれることは間違いない。これで一円の税金も徴収されないのである。一方、東大寺金堂及び法隆寺西院の入堂料は、いずれも大人五〇円、子供三〇円である〇子供二人連れの夫婦でも合計一六〇円のみであり、右両寺へ行つても合計三二〇円にすぎない。そして、その院内に入れば、古い文化と融和した信仰の場において、気宇宏大な我々の祖先が残した千数百年前の文化遺産に接し、平和で爽快な精神を感得することができる。しかも、入堂料の一部は、この我々に残された雄大な文化遺産を維持し、更に我々の子孫に伝達するために充当されるのである。ところが、本件条例は、この三二〇円の拝観料に更に六〇円の税金を課して三八〇円を支払わせるというのである。我々の常識をもつて、これらの消費行為を比較するならば、まず、遊戯施設の利用に対する課税が先行すべきであり、次いで、運動施設、観景施設、教養施設の入場又は利用に対する課税が続くべく、文化財施設に対する課税は、文化財保護法の精神からしても、教養施設と同時かこれに後行するのが当然である。しかるに、本件条例は、他の文化施設はもとより、教養施設、観景施設、運動施設さらには遊戯施設にすら課せられていない租税を僅か金五〇円又は三〇円の消費行為に対して課するものである。従つて、本件条例は、一般社会観念上甚だ非常識な差別取扱いを定めるものであつて憲法第一四条に反すること明らかである。

(三) 無効理由その三(入場税法違反)

 本件条例は、文化財保護法の規定により助成の措置を講ぜられた文化財のみを公開する場所への入場について、文化観光税という名の入場税を課するものであるから、入場税法第九条の規定に反するものであるとともに入場税法が国の事務として留保した領域を蚕食侵犯するものであるから、憲法第八四条、第九四条及び地方自治法第一四条に違反し無効である。

(1)東大寺金堂とは、原告の境内にある本尊格納用の建造物のことであり、大仏殿とはもともと金堂のみを指すのであるが、広義では金堂並びに同所にある中門、東西楽門及び東西廻廊を含む各建造物に囲まれた部分を指す。金堂の内部には本尊すなわち銅造毘盧舎那仏像を格納し、前庭の中央には金銅八角燈籠一基がある。各物件は、すべて国宝に指定されており、東大寺が所有し且つ管理している。

(2)前述の各物件は、国宝として、文化財保護法により管理、修理、保存等につき政府或いは地方公共団体から監督及び保護を受けているものである。従つて、東大寺金堂は、文化財保護法により助成の措置を講ぜられた文化財のみを公開する場所にほかならない。

(3)本件条例は、東大寺金堂及び法隆寺西院への入場を課税物件として本税を課するものである。本税は、本件条例第二条の規定からも明らかなように、自由には立入れないが対価を支払えば立入つて内部に存在する文化財を観覧できる場所(寺院)への入場について賦課される租税である。これは財政上入場税と呼ばれるものである。

(4)(イ)入場税は、現行の入場税法(昭和二九年法律第九六号)が施行された昭和二九年五月一八日までは、地方税法中に道府県税として規定されていた。すなわち、改正前の地方税法第七五条は、映画、演劇、演芸、観物、競馬競輪その他これに類する催物の場所(第一種の場所)、展覧会場、博覧会場、遊園地その他これに類する場所(第二種の場所)及び舞踏場、まあじやん場、たまつき場、ゴルフ場、スケート場、つりぼり、貸船場その他これに類する施設(第三種の施設)を取げて、道府県税を課する旨規定していた。そして、同法第七七条第一項は税率を定めるものであるが、同項但書により、第二種の場所へ入場する者の場合にも、もつぱら交響楽、器楽、声楽等の純音楽、純オペラ、純舞踊、雅楽、文楽もしくは能楽を研究発表する会場へ鑑賞のため入場する者の場合にも、低減税率を適用されることになつていた。その他に、同条第四項は、道府県は文化財保護法の規定により助成の措置を講じられた文化財を公開する場所への入場に対しては当該道府県の条例の定めるところによつて入場税を課さないことができると定めていた。なお、この当時の入場税は特別徴収の方法により徴収されていた。

 (ロ)ところで、地方税法の改正と同時に施行された入場税法は、前記の第一種及び第二種の場所への入場について国税たる入場税を課することを定めたものである。旧地方税法第七七条第一項但書による低減税率の定めは、入場税法第四条第一項第二号及び第二項に移し変えられた。旧地方税法第七七条第四項の非課税にできる旨の規定は、入場税法第九条により、文化財保護法の規定により助成の措置を講ぜられた文化財のみを公開する場所への入場については、入場税を課さない旨の断定的な規定に代つた。入場税法は、昭和三七年の改正により、第二種の場所について課税する規定が削除され、同時に、旧入場税法第四条第二項が削除されて同項により低減税率の適用を受けた場合の一部が入場税法第九条の非課税規定に加えられた。これが現在の非課税規定であつて、「文化財保護法の規定により助成の措置を講ぜられた文化財」という文言は、一貫して変更がなかつたことは事実である。

(5) (入場税法の先占領域侵害)

  つまり、前記の第一種及び第二種の場所その他これに類する場所について課税することは、地方自治法第二条第二項にいう国の事務となつたから地方公共団体の処理できる事項ではない。地方税法第七五条第一項に掲げる施設以外の場所について課税することは、地方自治法第一四条第一項にいう事務に含まれず、もつぱら国の権限となり国が法律をもつてのみ規定すべき事項となつたのである。そして入場税法の制定にあたり国が自らの判断によつて課税の範囲より除外し課税を留保した場所について条例をもつて課税することは、入場税法及び文化財保護法と矛盾牴触するものである。娯楽施設については、地方税法第七五条第一項第七号により、道府県の条例で定めれば広義の入場税たる娯楽施設利用税を課することができるけれども、娯楽施設とは性格を異にし旧第二種の場所に類すべき寺院神社への入場について条例により課税することは、入場税法及び文化財保護法の領域を侵すものである。しかも、旧第二種の場所はもちろんのこと、寺院神社についても、広義の入場税を課さないことが入場税法、文化財保護法、地方税法その他の法令の趣旨であること明らかである。従つて、本件条例は、法律の定めない税を創設することにより、入場税法が国の事務として留保した領域を蚕食侵犯し、かつ、国の法令が課税を留保した趣旨と矛盾牴触するものである。この点において本件条例は、憲法第九四条及び地方自治法第一四条により許された範囲を超え無効であることが明らかである。

(6) (入場税法第九条違反)

(イ) のみならず前述した如く、入場税法第九条は、「文化財保護法の規定により助成の措置を講ぜられた文化財」の公開施設場所への入場については入場税を課さないと規定している。この文化財とは、入場税法に定義規定がないばかりでなく文化財保護法を引用した規定の文言であるから、当然のこととして同法の文化財と同意義である。文化財保護法でいう文化財とは、同法第二条に定義されている如く、同法の有形文化財、無形文化財、民俗資料及び記念物のすべてを指すものである。従つて、入場税法第九条は、いかなる種類の文化財の公開場所にも適用されるのであり、旧第一種の場所に限定される理由はない。すなわち、旧第二種の場所であろうが博物館又は寺院神社であろうが入場税が課せられる場合には、すべてに適用があるのである。

 (ロ)現在、入場税法第九条の適用される例は、旧第一種の場所に限られているが、しかし、その理由は、現に課税されるのは旧第一種の場所に限られているから、課税の可能性のない場所に非課税規定の適用が無用だということに過ぎない。しかも、旧第一種の場所においては稀に無形文化財が公開されるだけだろうから、適用の機会は非常に少ないであろう。有形文化財及び民俗資料の公開は、博物館若しくは寺院神社又は旧第二種の場所において行なわれるが、入場税の課せられる場合はないので、入場税法第九条を適用する機会はないわけである。旧第二種の場所についても課税されていた時代には、その場所において入場税法第九条に該当する文化財の公開が行われたならば、当然その適用が認められた。今後、博物館又は寺院神社への入場に課税することになるとすれば、同条は当然に適用される。すなわち入場税法第九条が博物館又は寺院神社に適用されるか否かは、旧第一種の場所として同法第一条に該当するか否かに関係なく、同法第九条に該当する文化財を公開しているか否かにより決せられる。入場税法第一条がどのように改正されようとも、同法第九条がある限り、国は同条に該当する場所への入場に課税できない。このように国が法律を以つて課税することを定めてすら非課税とされる行為について、条例のみによる課税が許される筈はない。本件条例は、入場税法第九条に反する条例である。本件条例は、この点においても、無効というほかはない。

四 無効理由その四(租税法律主義違反)

 本件条例は、課税の対象たる入場の場所を固有名詞をもつて条大寺金堂及び法隆寺西院に限定するものであるが、これは、租税法律主義の原則に反するものであり、憲法第八四条、第一四条に違反し無効である。

(1)本件条例第二条は、文化観光税の納税義務者を定めるに当つて、「別表に定める寺院」のみを取り上げ、「当該寺院に入場する者に課する」旨規定する。そして、別表においては、「東大寺金堂」と「法隆寺西院」とを固有名詞をもつて列記しているから、第二条は東大寺金堂と法隆寺西院とにのみ適用される。十なわち、文化観光税は、固有名詞で列記された東大寺金堂及び法隆寺西院にのみ限定して課せられる入場税類似の租税である。

(2)国民に課税することは、国民の自由及び権利を制限するのみならず、国民に負担を賦課し国民の財産を徴収することであるから、近代国家においては行政権による専断が許されない。日本国憲法は、国会の議決に基かなければならないことを定めるばかりでなく、法律によらなければならないことを定めている。課税が法律によらなければならないという原則は、課税の基礎となる国会の議決が或る程度まで具体的個別的であることを要求すると同時に、負担の平等を期する目的から或る限度まで一般的抽象的でなければならないことを要求する。いわゆる租税法律主義(憲法第八四条)の内容は、課税要件が国会で議決した法律によつて定められなければならないことを意味するとともに、課税要件を定める法律の規定から、一方において不定性多義性を排除し、他方において特定性断定性を排除することを意味するのである。権力の行使が法律の定めるところによらなければならないということは、法律の本質的に一般的抽象的な性質を利用して権力の行使の平等性合理性を担保するものであるから、法律の規定は一般的抽象的でなければならず特定性断定性は排除されなければならない。従つて、課税要件を定めるにあたつても、特定のもののみを指定することは絶対に許されない。課税要件を定める法律の規定が特定的断定的であることは、負担の一般性を全く排除しているから、法律の規定の形態そのものが法の下の平等の欠除していることを表明しているのである。

(3)課税要件を定める規定の中に固有名詞がある場合には、その名によつて指定されたものだけが課税物件となり或いは納税の義務を負担するものであり、特定的断定的な規定の典型である。その名によつて指定された行為又は状態についてだけは担税理由が欠除しているにもかがわらず常に課税され、また、その名によつて指定された者だけは担税能力が欠除しているにもかかわらず常に課税される。それ以外のものは、担税理由が存在し担税能力が充分であつても絶対に課税されない。このように、固有名詞による規定は負担の公平及び合理性を欠く危険ないし可能性を本質的に包含するものである。

(4)本税は、入場に伴う租税法的な意味の消費行為を課税物件とするものである。現行の入場税法であつても、特定の場所ヘ入場する者にだけ入場税を課する法律であるならば、そのこと自体によつて他の点を論ずるまでもなく憲法に反し許されない。例えば、興業場の集中している代表的な地域として東京及び大阪の二地区を選び最も座席数の多い劇場への入場につき料金の如何を問わず課税することが憲法第一四条に反することは言うまでもないが、その法律中に課税する場所として東京の「国際劇場」及び大阪の「梅田コマ劇場」の名を列挙したとすれば、そのこと自体が憲法第八四条に反することなのである。しかるに、本件条例は、課税の対象たる入場の場所を固有名詞により東大寺金堂及び法隆寺西院と指定した。本件条例は、以上の説明で明らかな様に、課税の場所を狭く二カ所に限定したばかりでなく、課税要件を定めるため固有名詞をもつて寺院名を列記したこと自体によつて、憲法第八四条、第一四条に反し無効である。(昭和四一年(行ウ)第七号事件について)

 一、被告は、昭和四一年三月五日、本件条例第六条第一項の規定により、東大寺金堂(大仏殿)に係る文化観光税の特別徴収義務者として、原告を指定する旨の処分をした。

 二、しかしながら、右特別徴収義務者指定処分は、その根拠である本件条例が前記のとおり憲法及び法律に反し無効であるから、右指定処分も当然に無効である。本件条例が憲法及び法律に反し無効である理由は、すべて昭和四一年(行ウ)第二号事件において主張したとおりであるからこれを援用する。

第三、被告の答弁及び主張

 一、昭和四一年(行ウ)第二号事件についての被告の本案前の主張

  (1)行政事件訴訟の対象として裁判所に審判を求めうるのは、特定の者の具体的な法律関係や法律上の利益に影響を及ぼす行政庁の処分その他公権力の行使に当たる行為に限られており(行訴法第三条)、抽象的な法令自体を対象として行政事件訴訟を提起することが許されないことは、すでに確立した判例である。しかるに、本件条例無効確認の訴は、行政事件訴訟の対象となりえない抽象的な法規である条例自体について、無効確認を求めているものであるから、不適法な訴である。

  (2)ただ、形式上は法規の定立という立法作用の形をとりながらも、その実質は特定人に具体的な法律効果を生じさせるような場合には、例外的に、法規たる条例を行政事件訴訟法第三条の処分に包含すると解する余地のあることは否定できない。しかしながら、本件条例は、拝観者の納税義務及び文化財の所有者等の特別徴収義務のいずれについても、条例自体によつて当然に特定の者に対し、具体的な法律効果を生じさせるものではない。すなわち、本税についての納税義務は、個々の拝観者が現実に東大寺金堂に対価を支払つて入堂(入場)するときにはじめて成立し確定するに至るものであり(本件条例第二条)、また、本税の特別徴収義務者たる地位も、本件条例が文化財の所有者をただちに特別徴収義務者とすると規定しているのではなく、右所有者を含むがこれとその他本税の徴収につき便宜を有する者の中から、被告が指定したものを特別徴収義務者とする旨規定しているのであり、被告の指定行為をまつて、はじめて個別具体的に定まるものである(本件条例第六条)。したがつて、本件条例は、その実質においても、法規の定立であり、これを行政処分の性格を有するものと解する余地は全くないから、条例自体の無効確認を求める本件訴は不適法として却下さるべきものである。

 (3)原告は、地方税法第二七五条第一項の規定は、条例自体において特別徴収義務者を特定すべき旨を定めたものと解すべきであるとし、したがつて、原告は、被告知事の指定をまつまでもなく、本件条例第六条第一項前段によつて特別徴収義務者に指定されたものであると主張する。

   しかし、地方税法の右規定は、原告主張のように、条例が、一定の基準ないし範囲を示して、それに従つて特別徴収義務者を具体的に指定することを執行機関たる知事に委任することまで禁止し、必ず条例自体において特別徴収義務者を特定しておくべきことを要求しているものとは考えられない。ある税の徴収について、誰が最も便宜を有しているかは、一概には決められない問題であり、これを常に条例自体において一義的に決定しておくことは、抽象的な法規である条例には親しみ難い事柄であるばかりか、不可能ですらあるからである。

   したがつて、本件条例第六条が、一定の範囲の者を示して、そのなかから被告が特別徴収義務者を指定すると規定しているのは、決して地方税法第二七五条第一項に反するものではない。

二、昭和四一年(行ウ)第二号及び第七号両事件についての被告の本案に対する答弁並びに主張

(一) 右両事件についての原告の主張各一の事実はこれを認める。

(二)本税創設の趣旨

(1)奈良は、かつては飛鳥朝、奈良朝の歴代の首都として栄え、当時における政治と宗教の強い結びつきから、法隆寺、東大寺などの壮大な堂塔、伽藍が建立され、これら寺院を中心とする宗教的色彩の濃い土地柄であつた。しかし、その後時代の変遷とともに、往時における人と宗教との素朴な結びつきはしだいに薄れ、それらの堂塔、伽藍も宗教的な尊崇の対象としてよりも、むしろ、観光、観賞の対象として関心が抱かれるに至つた。

  特に最近では、国内だけではなく諸外国からも多数の人々が、観光のために県内各地の社寺、史跡、名勝、文化財等を訪れるようになり、しかもその大部分は、修学旅行その他の集団的な観光客によつて占められている。そのなかでも、東大寺と法隆寺とは、世界最大、最古の木造建築物として特に有名であり、奈良県観光の二大中心となつている。

(2)そこで、奈良県では、早くから観光行政を重要施策の一つとしてとりあげ、文化財の保護、史跡の保存、道路その他の施設の整備等に努力を重ねてきたのであるが、いまだ十分とはいえず、しかも、これらの財政需要は、近年ますます増加する傾向にあり、昭和三九年度において観光関係のために要した行政支出額をみるに、県民一人当り全国平均が四九円であるのに対し、奈良県は二九五円という実に六倍もの額に達している。しかも、これらの行政支出の大部分は、県民固有の利益のために活用されるというよりも、むしろ、県外よりの多数の観光客の利便のために支出されている現状である。

   しかるに、その財源は、一部分は国庫の補助金等によつて賄われているが、大部分は、本来県民へのサービスに向けられるべき一般財源の中から、これが支出を余儀なくされている。特に近時における交通機関の発達、観光ルートの整備は、県内宿泊施設の貧弱なことと相まつて、奈良を完全なる通過観光地とした感があり、県内では、観光客の宿泊、飲食等の消費がほとんど行なわれない状態である。その結果、観光客よりの収入の大宗である料理飲食等消費税についても、昭和三九年度決算において全国最下位から二番目の収入しかなく、世界的な観光地である奈良県としては、全く信じられないような状況となつている。いいかえれば、観光行政については、歳出と歳入との間に極端なアンバランスがみられるのである。

(3)しかしながら、世界に誇るべき幾多の文化財、史跡、観光地を有している奈良県としては、これらの内外人のいだく期待と需要とには、当然こたえねばならない責務を負つているといつても過言ではなかろう。しかるに、従来遺憾ながら、財政上の理由から、道路、公園をはじめ観光諸施設の充実も思うにまかせず、また、県内に散在する文化財、美術工芸品等を広く内外に紹介展示する施設の如きも皆無であつた。のみならず、国際的観光地と目されながら、参集する内外人のための会議場すらこれを建設する余裕がなかつた。

  しかし、世界的観光地としての奈良県に対する要望は、今日、国際的規模の集会に可能な文化観光会館の建設を求めており、あわせて同会館の中に前述した諸施設を設け、観光客への直接の利便の増進をはかることを緊急に必要とするに至っているのである。

(4)そこで、その費用の捻出が考えられなければならないわけであるが、それには前記のような奈良県の特殊事情から考えて、全部を県民の負担にせず、その一部について、観光客に些少の負担を求めることはまことにやむを得ないところということができよう。

  かくて、このたび奈良県では、同県にふさわしい文化観光会館の建設を計画し、その建設費の一部を賄うため、法定外普通税(県税)として文化観光税を創設し、かたがた、これによつて節約できる一般財源を県民へのサービスの向上に資し(ちなみに、本税によつて獲得しうる財源は、徴税費を差し引いて実質約一億五千万円程度と予測されているが、この結果、県民サービスに還元しうることとなつた一般財源を国庫補助事業に充当するとすれば、これに数倍する事業を実施できるのであつて、その意義はまことに大きいものがある)、観光奈良県の真価をいやが上にも充実せしめんと希求しているのである。

(5)本税は、右のような趣旨にそつて、次の諸点に特に留意して創設された。

 (イ)観光客としての一定の消費行為が大量に行なわれ、かつ、容易に判別できるものであること。

 (ロ)観光客の負担が軽徴であり、極端な負担感をいだかしめないこと。

 (ハ)文化観光会館の建設費の一部を賄う程度にとどめ、その需要を満たす以上に「多々益々弁ず」式の徴収はこれを慎しむこと。

   すなわち、本税創設の趣旨は、奈良県への観光客から前述の如き文化観光会館建設のための財源の一部(観光客に奈良県の文化財、美術工芸品等を展示紹介するなどの諸施設建設に要する費用分約一億五千万円を想定している)を得ることにあるのであり、それを最少の負担の限度で、観光客に、県内の主要な観光消費が行なわれる東大寺金堂(大仏殿)、法隆寺西院への入堂にさいして負担してもらおうと考えたものである。

(6)しかして、いうまでもないが、本件条例は、地方公共団体の条例制定権に基づき、県民を代表する県議会において審議可決せられ、自治大臣の許可を経て、公布施行したものである。なおその間の経過は、次のとおりである。

  昭和四〇年 三月二六日 奈良県文化観光税条例の可決

  同   年一〇月一二日 奈良県文化観光税条例の一部を改正する条例の可決

  同   年同 月二九日 右両条例に対する自治大臣の許可

  昭和四一年 三月 五日 本件条例の公布

  同         日 本件条例の施行

   同   年同 月二五日 本件条例第六条第一項、第九条、第一一条および第一二条以外の規定の適用

(三)本件条例は信教の自由を侵害するものではない。

 (1)原告は、本件条例は原告および参詣者の信教の自由を侵害し、憲法第二〇条に違反すると主張する。しかし、本件条例が課税の契機としているものは、文化財の所在する寺院における有償観賞行為(消費行為)にほかならない。そのことは次の諸事実からも極めて明白である。

  (イ)原告には檀家ないし信徒がないにかかわらず、年間数百万にもおよぶ人が訪れる。これら来訪者の多くは、バスを連ね「○○観光団」 「○○旅行会」等と表示した標旗等をかかげ、しかも観光シーズンともなれば奈良県営駐車場等に殺到する。のみならず、東大寺金堂(大仏殿)は、奈良交通株式会社の名所遊覧定期観光バスのコース(Aコース公園名所めぐり、Dコース奈良・法隆寺めぐり)に指定され、下車拝観場所となつている。

  ところで、これらの人々の入堂から退堂に至るまでの行為の実態をみるに、南大門を経て中門廻廊に至ると、正面からの入門は柵をもつてさえぎられ、左側入口にみちびかれる。そこには、「入堂大人一人五〇円、小人一人三〇円、ADMISSION 50 YEN」としるされた入堂料金表が掲げられている。そして、その入堂料の支払いと引換えに、「入堂券(ADMISSION TICKET)一人一枚(切り取り無効)」が渡され、何人もこの入堂券なくしては堂内に入堂することは禁止されているのである。また、団体入場については、「入堂学校団体三〇名以上、一般団体五〇名以上」の告示板が掲げられていて、以上の人数に達した団体入堂者については、前記一般入堂者に比し、割安の入堂料(割引額 学校団体高校以上三〇円、中学三〇円、小学一〇円 一般団体四〇円)を支払えば、入堂することができる仕組となつている。また、日本交通公社の発行する周遊券(クーポン券)による観光には、東大寺金堂(大仏殿)も含まれている。かくして、入堂券を購入した入堂者が中門廻廊内側を進めば、改札口よろしく柵が設けられ、ここで寺側の改札員により右の入堂券を切り取られ(自ら切り取ることは許されず、もし切り取れば無効とされる)、入堂を許されることとなる。そして、中門正面から大仏殿へ進むわけであるが、堂内では寺僧の姿もみられず、それによる布教活動もみることができない。いなむしろ、バスガイド又は案内業者が大声で(最近では拡声器の使用は禁止されている)、東大寺金堂(大仏殿)の規模、構造、建築様式、大仏造顕の由来や国宝金銅八角灯籠の文化財的価値などをユーモラスに説明しながら案内している。観光ルートの時間的な制約もあつてのことであろうが、入堂後大仏の周りを一巡して退堂するまでの所要時間はおおむね二○分程度である。そして金堂内の入口に、おみくじ、線香、模尊像、絵葉書、写真、念珠、観光スタンプ帳等を販売している所が一カ所、退堂出口附近にさらに一カ所の販売所が設けられており、入堂者はこの販売所において土産品を買い求めて退堂する。

  以上が、入堂の一般的な実態であり、これはまさしく文化財の有償観賞行為にほかならないのであつて、寺僧の訪問や、その布教行為を求めることもない。

   そして、いわゆる観光シーズンとその他の季節との間に入堂者数に甚だしい差がみられるのも原告への来訪が観光を目的とすることの一証左だといえるであろう。

 (ロ)されぱこそ、全国各地から原告に修学旅行の団体が参集し、以上の一般ルートに従つて、東大寺金堂(大仏殿)に入堂し、有償観賞を行なつているのである。もし、右金堂への入堂行為が宗教行為であるとするならば、これらの修学旅行団の入堂は憲法第二〇条第三項及び教育基本法第九条第二項に違反するおそれなしとしない。しかるに、このような児童、生徒の修学旅行が何らの抵抗なく世諭に受け入れられているのは、右金堂への入堂が宗教行為ではなく、民族文化財の観賞であり、修学の目的にそうものとみとめられているからにほかならない。

 (ハ)のみならず原告の境内には、大仏を始め、燈籠、大仏殿の建物、廻廊等国宝或いは重要文化財として指定せられているものが数多く存在している。そして、これらの文化財に対しては、現在国および地方公共団体から補助金の交付その他の保護が加えられている。もし、それらの公開が宗教行為であるというならば、国又は地方公共団体は憲法第八九条に違反して公金等を宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のために支出しているのではないかとの疑いさえなくはない。しかし、そのような非難は未だ聞かないのである。

(2)このように原告は、同寺を訪れる人達に対し、入口で一律に、定額の入堂券を発行して、これを買い求めない人の入堂を認めていない。されば、この入堂料はまさしく前記文化財の観賞に対する対価であり、原告は、入堂料を徴して金堂(大仏殿)所在の原告所有の文化財を公開しているものにほかならない。もつとも、原告の拝観者のなかには、仏像の礼拝のために参詣するものもあることは否定できない。

  しかしながら、本件条例は、前記のとおり東大寺金堂への入場が文化財を公開している場所への有償入場にあるという面のみを対象として、課税しようとしたものにすぎない。すなわち、原告が聖武祭(春の祭、五月二日)、大仏奉讃法要(秋の祭、一〇月一五日)に奈良市内の聖武講講員らが入堂する場合といわゆる優待入場の場合のほかはすべて拝観料を支払わなければ何人にも入場を認めないという入堂拝観の実態(このこと自体は本質的に宗教と関係があるとはいえない。もし、定額の香華料または賽銭、お布施が宗教の名においてその出捐を強いることができるとするなら、それは当該宗教からのいわば背理といわれても過言ではなかろう)にもとづき、かかる入堂拝観者に対し、税額にして最低額の僅か一〇円ないし五円の負担を求めんとするのが、本件条例にほかならないのである。

  したがつて、本件条例は、東大寺金堂に入場する拝観者について、その内心ないし信仰または宗教的活動にまで立ち入つて関心をもとうとするものでは全くないのであり、また直接信教の自由を抑制することを目的とするものでないことはもちろんである。それゆえ、仮りに本件条例にもとづく課税が、結果として宗教上の信仰をもつ僅少の拝観者に対し何らかの影響を与えることがありうるとしても、それは、拝観行為が単に拝観者の文化財を公開する場所への有償入場であるという面のみを対象とし、税額にして最低限の僅か一〇円という課税の結果、間接的に惹き起されるにすぎない極めて軽度のものであつて、憲法第二〇条がかかる軽度のものまでをも排斥しようとする趣旨とは到底解せられないところである。

  さらに、信教の自由が布教の自由を含むことは明らかであり、伽藍特に金堂の参観が信仰の動機を形成することのありうることはもちろん否定しないが、前述のごとく原告の一般の有償拝観者に対する取り扱いをみるならば、金堂を有償拝観をさせていることが即布教活動であるとは到底いうことはできないのである。しかも、拝観者一人一回一〇円ないし五円の本税の負担が拝観者に東大寺金堂への入場を思いとどまらしめるものとは到底考えられないばかりでなく、この税を支払つて入堂した拝観者が、そのために信仰の動機形成を妨げられるとも考えられない。かかる信仰の動機形成ないし宗教心の発揚は、あくまでも拝観者の個々人の内心の自由の問題としてこれにゆだねられ、本件条例はそこにまで立ち入つてこれを妨げようとするものではないのである。したがつて、この意味においても、本件条例は信教の自由を害するものということはできない。

(3)さらに、原告は、本税の課税により仏教教団たる原告に対する出捐が妨害され、原告の内外の活動が妨害されると主張するが、本税は、前述の如く、東大寺金堂(大仏殿)の入堂者に対して課するものであつて、宗教団体たる原告に対して課税せんとするものではない。原告は、特別徴収義務者たる地位において、入堂者からその入堂にさいし本税を徴収して、奈良県に対し納入すれば足るものであつて、本件条例は、仏教教団及び伽藍の維持費に課税せんとするものでないことは明らかである。また、本件入堂料のほかに一〇円ないし五円の本税を課することによつて入堂者が減少するとも考えられないから、いずれにせよ本件条例が仏教教団たる原告に対し財政上の圧迫を加えることはないものといわねばならない。

四 本件条例は差別課税を定めるものではない。

(1)原告は、入場参詣料を収受している奈良県内の多数の寺院、神社等のうち、特に華厳宗大本山東大寺及び聖徳宗大本山法隆寺の本堂に礼拝のため入場する参詣者に対してのみ本税を課するのは、信条による差別課税で、憲法第一四条に反するものであると主張する。

   しかしながら、本件条例は何らかの宗教もしくは特定の宗教への信仰、または何らかの宗教もしくは特定の宗教にかかわる宗教上の行為(礼拝、参詣等)を対象とし、これに課税せんとするものではなく、前述のとおり県内の観光の拠点と目される東大寺金堂(大仏殿)及び法隆寺西院への有償入場行為を課税客体としているものにほかならない。したがつて、文化財が有償で公開されている県内の多数の場所のうち、華厳宗及び聖徳宗という宗教宗派の寺院を選択し、これへの有償入場行為を課税客体とすることにより、宗教、特に仏教、なかんずく華厳宗及び聖徳宗の寺院や、そこへの有償入場者につき、信教の自由を抑制しようとすることにあるものでないことは明らかである。されば、本件条例は、いかなる意味でも信条による差別課税を行なうものではない。

 (2)原告は、仮りに信仰の問題を捨象して観察してみても、奈良県内には東大寺金堂及び法隆寺西院以外にも、国宝又は重要文化財に指定されている建造物、彫刻その他の美術工芸品を一般に公開し、その対価として拝観料等を徴収し、これをその修理、保存のための経費等に充てている社寺等が多数存在しているにもかかわらず、それらの拝観(入場)者には文化観光税を課さないで、東大寺金堂及び法隆寺西院を拝観する者にだけ課税するのは、何らの差異もない者を差別して取り扱うものであり、憲法第一四条第一項の平等の原則に反する立法であると主張する。

   ところで、奈良県内の社寺等で文化財等を公開してその対価として拝観料を徴収している社寺等の数が三十を超えることは原告のいうとおりであるが、原告の右主張は、本件条例の創設の趣旨を理解せず、誤つた前提のもとにいたずらに形式的な論理を展開しているにすぎないものである。

 まず、本税創設の趣旨が、奈良県の観光行政のために要する財政支出と奈良県を訪れる観光客からの県税収入との極端なアンバランスに根ざすものであることは、すでに記述したとおりであり、このような支出と収入との不均衡を回復するために、その一部を東大寺金堂(大仏殿)及び法隆寺西院の拝観者によつて代表される奈良県への観光客に負担してもらおうというのが本税にほかならない。

 そこで、本県観光の実態をさらに詳しく検討してみるに、奈良県を訪れる観光客の観光の目的が、県内各地の社寺、史跡、名勝、文化財等の観光に向けられていることは多言を要しないところであるが、本件条例制定当時の各社寺の年間推定拝観者数は、

  1 東大寺金堂(大仏殿)  二六〇万人

  2 法隆寺   一〇〇万人

  3 唐招提寺      五〇万人

  4 薬 師 寺       五〇万人

  5 長 谷 寺       四〇万人

  6 興 福 寺(国宝館)   二〇万人

  7 室 生 寺       二〇万人

  8 春日大社(宝物殿)    六万人

  9 談山神社         一万七千人

  10 慈 光 院         一万三千人である。五位の長谷寺は牡丹の季節に、七位の室生寺は新緑、紅葉の季節に、それぞれ近在近郷の行楽客が集まるものが多く、これらは他の社寺観光等とは著しくその趣を異にしており、六位の興福寺(国宝館)及び八位の春日大社(宝物殿)は、東大寺とあわせ回遊する人達が多く、また九位の談山神社、一〇位の慈光院以下についてはその拝観者数も極めて少ないことが知られている。また、観光客が利用する貸切バスの集中量の分布の度合いは、全体の七一・四パーセントが東大寺を中心とした奈良地区、法隆寺を中心とした斑鳩地区および西の京地区に集中しており、残りのものも、その七・三パーセントが生駒山遊園地を中心とした信貴生駒地区(信貴生駒スカイラインと金剛生駒国定公園)、四・六パーセントが橿原神宮、藤原飛鳥遺跡を中心とした橿原飛鳥地区、四・四パーセントが天理教本部のある天理地区、二・六パーセントが談山神社、三輪大神神社、長谷寺を中心とした桜井地区、二・四パーセントが花の吉野山、人造湖津風呂ダムを中心とした吉野山地区その他にそれぞれ分布しているにすぎない状況であり、いずれも前記三地区に比すればはとんどとるに足りないものである。

 しかも、一位の東大寺、二位の法隆寺及び王、四位の唐招提寺、薬師寺(唐招提寺と薬師寺とは徒歩で約五分位の極めて近接した場所にあり、西の京地区を訪れる観光客の殆んどは、この両寺をあわせて拝観するのがその実態である)が、それぞれ所在する奈良地区(東大寺)及び斑鳩地区(法隆寺)と西の京地区(唐招提寺、薬師寺)との関係を調べてみると、県内にあるバス会社の貸切バスを利用して西の京地区だけを訪れた観光客の数(昭和三九年一〇月一日から翌四〇年九月三〇日までの一年間)はごく僅かである。また奈良交通株式会社の奈良名所定期遊覧観光バスのうち、唐招提寺、薬師寺で下車できるものの総台数が年間一、三五九台あり、そのうち九九四台(七三・一パーセント)は東大寺および法隆寺の両寺とあわせて右西の京地区の唐招提寺、薬師寺を回遊できるようにダイャが編成されており、西の京の観光は、一般に東大寺及び法隆寺拝観の一環として、いわば副次的に行なわれているにすぎないことが明らかである。

 このように、西の京地区の観光は、奈良地区または斑鳩地区観光の副次的な観光コースであるとみられるから、結局東大寺及び法隆寺を中核とする奈良地区及び斑鳩地区に多数の観光客が集中することこそが、本県がその財政規模に比し、他の都道府県にはみられない過重な負担(一般の財源によつては賄いぎれないような財政負担)を強いられる原因となつているのである。そして、前記のような歳入と歳出との極端な不均衡をいくらかでも回復するために、これらの観光客に些少の税負担を求めることは、決して不当な措置ではないことはいうまでもない。

 本件条例は、以上のような基本的な考え方に立脚しながら、さらに、

(イ)東大寺金堂(大仏殿)及び法隆寺西院の両寺拝観の機会に課税すれば、奈良県を訪れる観光客の大半を捕捉することができるばかりでなく、一般の財源によつては賄うことのできない財政需要をほぼ賄うという。前記のような本税創設の趣旨にかなうものであること。

(ロ)税額が一〇円(児童、生徒は五円)であるということは、今日では常識的にも、また手数からいつても最低限の税額であるということができ、観光客の負担をできるだけ軽少ならしめうること。

(ハ) 一方、観光客に大した負担感ないし不快感を抱かしめないで負担してもらうことのできる税額は、せいぜい二〇円までであろう。しかるに、拝観する社寺ごと、また場合によつては、同じ社寺内(たとえば東大寺金堂(大仏殿)以外に法華堂(三月堂)及び戒壇院や、法隆寺の西院のはか宝物殿および東院(夢殿))においてすら、そのたびごとに一〇円づつの税金を徴収することになれば、観光客にかなりの負担感ないし不快感を抱かせることとなり、本県の観光政策の上からも好ましくないこと。

(ニ)拝観者の比較的少ない社寺にまで課税の範囲を拡げることは前記のような本税の趣旨にもとるばかりでなく、徴税効率の上からいつても決して得策とはいえず、また財政上、それ以外の多数の社寺の拝観者にまで課税を及ぼすほどの必要性もないこと。

 などの諸事情も考慮し、それに本税が特別徴収という方法によつて徴収することが最も適切な税種であるということをも配慮して、別表所定の寺院すなわち東大寺金堂(大仏殿)及び法隆寺西院の有償入場者に文化観光税として、今日では常識的にみて最低限度といえる一人一回一〇円ないし五円の税負担を負わしめんとしたものである。かくて本件条例は、県議会の議決を経て、自治大臣の許可を受け公布され、あわせて被告知事は、原告及び法隆寺が従前から拝観料の徴収について、永い経験を有し、専従職員も常置して、拝観券の発売口ないし改札口から退堂口に至るまでの施設や拝観券の発行、金銭の収納、帳簿の整備等の収納機構が整備されている実情に照らし、税徴収の確実なことが期待されたので、本件条例第六条第一項に基づき、特別徴収義務者として指定したのである。

   ところで、憲法第一四条が何らの合理的な理由もなく不平等な取扱いを内容とする法を定立することを禁止するものであることは、被告としても否定するものではない。

   しかし、以上縷述したように、奈良県への観光客は、東大寺金堂(大仏殿)及び法隆寺西院の(有償)拝観者によつて代表されるものであり、両寺に集中する観光客こそ本税を創設せざるをえない原因を作り出しているものであるから、右両寺の拝観者をもつて本税の納税義務者とすることは、まことに本税の創設の趣旨によりよく合致するものであるばかりでなく、これ以外には、本県に一般の財源では賄いえないような財政負担を生ぜしめている観光客を捕捉し、それらの観光客に格別の負担(不快)感を与えないで、必要な税額を効率的に徴収しうる合理的かつ実際的な方法はないのであるから、結局本件条例は合理的なものというべく、原告主張のように、いわれのない差別を定めるものでは決してないのである(教師に引率される義務教育諸学校の生徒は免税とし、またこれに該当しない生徒は五円その他は一〇円とするのは、形式的には差別取扱いではあつても、社会観念上許されるものであることは、何人も首肯するところであろう)。

 (3)次に、原告は、奈良県内には、社寺等のほかにも、たとえば奈良ドリームランドのような相当の料金を支払わなければ利用することのできない施設等もあるにもかかわらず、これの利用については殆んど全く何らの課税が行なわれていないことを指摘し、これは甚だしく非常識な差別取扱いであり、その意味でも本件条例は憲法一四条に違反していると主張する。

   しかし、原告のこの主張は、本来その間に平等ということが問題となりえない文化財の有償観賞と娯楽施設等の利用という全く性質の異なる問題ないし事柄を、その性質の相違を抜きにして同一に論じようとするものであり、それが誤りであることはあえて詳論するまでもないところである。

(五)本件条例は入場税法に違反しない。

(1)原告は、本件条例は、法律の定めない税を創設することにより、入場税法が国の事務として留保した領域を蚕食侵犯し、且つ、国の法令が課税を留保した趣旨と矛盾牴触するものであると主張するが、これは、地方税ないし地方自治の意義を解さない議論である。

  すなわち、地方公共団体は法律によつてはじめて課税権を与えられたものではなく、地方自治の本旨を実現するために自治権を有しており、その一つに課税権がある。したがつて、地方公共団体には、本来的にそれぞれ独自の税体系がありえてもよいわけであるが、国民の税負担あるいは国家経済全般の立場から一定の地方税体系およびその基準を定めているのが地方税法である。なかでも、地方税法に定める法定外普通税の制度は、いわばこの地方税体系からすれば本来の地方自治における自主財政を表明したもので、最も地方公共団体の自主性を尊重した税制度であり、国税としてある種の税が課されている場合においてさえ、道府県が同一の事実に対して法定外普通税を新設しうることは、地方税法第二六一条第一項の規定からも明らかである。ましてや本件条例は、なんら国税と重複して課税することを定めるものではないから、この意味でも違法な点は存しないのである。

(2)さらに、原告は、本件条例は文化財のみを公開する場所の入場につき、入場税を課さないとする入場税法第九条に違反する旨主張する。

 (イ)しかしながら、右の規定は、民俗的な演劇、演芸等の重要無形文化財等のうち、その保存のために文化財保護法の規定により助成の措置を講ぜられた文化財のみを公開する場所への入場については、入場税を課さないという趣旨であつて、このことは昭和三八年三月四日付国税庁長官の入場税法基本通達においても明らかにされている。

   すなわち、右基本通達第四八条には、「助成の措置を講ぜられた文化財」について定義がなされており、それによれば、この「助成の措置を講ぜられた文化財」はいずれも無形の文化財や民俗資料である。さらに同条第三項では、「これに該当する文化財であるかどうかについては、随時国税庁から通報する資料に基づいて、具体的な判定を行なうものとする」と規定し、ついで国税庁長官は、昭和三八年四月一一日付の「入場税法第九条に規定する文化財の一覧表の送付について」と題する通達をもつて、「文化財保護法の規定により助成の措置を講ぜられた文化財一覧表」を送付しているが、これらに明らかにされている文化財というのは、いずれも無形の文化財や民俗資料である。

  (ロ)そして、入場税法第一条と第九条中の「入場税」という概念は、同一に理解すべきものであり、第九条により非課税とされている入場も、第一条に該当する入場に限ると解すべきものである(第九条が若し原告が主張する趣旨であるならば、右非課税規定はむしろ立法技術上、文化財保護法において規定さるべき性格のものであろう)。

    しかるに、仏堂伽藍への入場は、同法第一条のいずれの号にも該当するものでないことは一見明瞭であるから、本税は、同法第九条とは何らの関係も有しないものである。

    なお、入場税法第九条が新設せられた当時(昭和二九年)には、現行入場税法第一条各号に該当する「場所(旧第一種)」のほかに、「展覧会場、博覧会場、遊園地(旧第二種)」への入場についても入場税が課されていたが、神社、仏閣等の営造物は「旧第一種の場所」はもとより「旧第二種の場所」にも該当しないものとされていたのである。

    したがつて、旧法時代から、入場税法は、本件の如き寺院への入場を課税の対象とはしていなかつたものである。

 (3)さらに、東大寺金堂(大仏殿)に関しては、金堂、中門、廻廊および東西楽門は文化財保護法の規定により助成の措置を講ぜられたことがあるが、その他のものについては、助成の措置は講ぜられていない。

   したがつて、入場税法第九条の「助成の措置を講ぜられた文化財のみを公開する場所」に、東大寺金堂(大仏殿)及び法隆寺西院は当らないので、入場税法第九条の規定の趣旨が、本件条例に適用せられるべきか否かを論ずるまでもなく、本件条例は、入場税法第九条に違反しないものであることは明らかである。

(六) 本件条例は租税法律主義に反するものではない。

 原告は、本件条例が、課税の対象たる入場の場所を固有名詞で東大寺金堂及び法隆寺西院のみに限定して課税するのは租税法律主義の原則に違反する旨主張する。

  しかしながら、原告の右主張は、これまた、本件条例の制定の趣旨を正解しないものといわざるをえない。

    本件条例は、再再述べるように、原告及び法隆寺に納税義務を課するものではない。したがつて、固有の特定人を挙げて、納税義務者を法定したわけではなく、あくまでも、課税要件を定めるに当つて、東大寺金堂(大仏殿)及び法隆寺西院の場所的限定を定めたものにすぎない。すなわち、本税の課税客体は、県内の文化財の有償公開・入場のうち、右二寺への有償入場行為のみをとりあげることを明らかにするとともに、この両寺への不特定多数の有償観賞者に納税義務を課さんとするものである。そして、この両寺における有償観賞行為を、他のそれ以外の文化財公開場所への有償観賞行為と区別した理由については、すでに詳述したとおりであり、それ自体には十分の合理的理由を有するものである。

    ところで、租税法律主義の実質的意義は、租税に関する要件(課税主体、課税客体、課税標準、納税義務者、税率等)が、常に例外なく法律(または条例)によつて定められていることにより、法が国民のいかなる行為またはいかなる物件に対して、課税当局がいかなる課税をしようとするのか(または課税しないこととするのか)を国民が明確に認識できるよう、議会の承諾のもとで合理的に定立されるべきことを意味する。

    さすれば、可能な限り具体的な規定を設けることが、租税法律主義の意義にかなつたものであるということができる。しかし、反面租税法規は、複雑化、流動化した現代の経済活動をもれなくとらえ、これを仔細に条文に表現することは、立法技術上不可能に近い。したがつて、抽象的な形で一般的な条文形式をとらざるを得ないのが現実の姿である。

    したがつて、要は、個々の具体的租税法規の定立にあたつて、いかに明確に課税要件を規定するか、また、いかに負担の公平ないし課税の合理性を担保するかということが問題なのであつて、その要件事実の中に、特定の固有名詞を用いたこと自体から、直ちに負担の公平および合理性を欠く危険性ないし可能性を本質的に包含しているものということはできないのである(実定法上固有名詞により課税している例もある。地方税法第七四条第一項、同第四六四条第一項)。

    故に、本件条例は、その規定全体からみて、立法上合理性を有するものであつて、合憲の条例というべきであり、原告の主張は、本件条例の趣旨を曲解するか、あるいは租税法律主義の意義を正解しない主張といわざるをえない。

第四、証拠(省略)

 

       

 

 

理   由

 

 

 

 

第一、昭和四一年2第二号事件に対する判断

 

(本件条例無効確認の訴の適否)

 

 (一)原告主張の第二の一の事実は当事者間に争がないところ、およそ裁判所の司法作用は、特別の規定のない限り常に法律上の争訟の解決を通じて行われるべきものであるから、行政処分無効確認の訴を含む抗告訴訟の対象となるのは、個人の具体的な権利義務に影響を及ぼす行政庁の処分その他公権力の行使に当る行為(以下処分という)に限られることは明らかである。

 

ところで普通地方公共団体の制定する条例は、通常、その規定内容が一般的抽象的で、その効力の存否が法律上の争訟に該当しないため、無効確認の訴の対象とならないが、例外として規定の内容が特定的、具体的で、特定の個人の権利義務に直接具体的な影響を与えるときには、右処分としての要件をみたすこととなり、無効確認の訴の対象となりうる。

 

(二)右の観点から本件条例について、その処分性を検討するに、本件条例は、その第二条において「文化観光税は別表に定める寺院に所在する文化財の所有者が、当該文化財を公開している当該寺院への入場について、拝観料その他何らの名義をもつてするをとわず対価を徴収している場合において、当該対価を支払つて当該寺院に入場する者(以下「拝観者」という。)に課する。」 と規定し、さらに第六条第一項において、「文化観光税の特別徴収義務者(以下「特別徴収義務者」という。)は、第二条に規定する文化財の所有者又は文化観光税の徴収について便宜を有する者で知事が指定したものとする。」 と規定し、「別表」には、「1、東大寺金堂(大仏殿)、 2、法隆寺西院」と規定しており、これらが前示特定的具体的な規定に当るかどうかが問題となる。

 

  まず、本件条例第二条について見ると、同条の規定上、本税の課税物件は、対価を支払い入場するという拝観者の行為であり、納税義務者もまた拝観者であつて、文化財の所有者において入場の対価を徴収する行為を課税物件とするものでないことは明らかである。

 

  また、同条並びに同条例別表により、課税物件たる行為のなされる場所を前記二個の寺院に特定していることは明らかであるが右行為場所たる寺院が特定されているからといつて、その課税が当該寺院に対しなされた場合と同視してこれをその寺院に対する処分と見ることはできない。

 

  従つて、右条例にいう文化財の所有者が原告であるとしても、右第二条は直接原告に義務を課すものではなく、その他原告の権利義務に直接具体的な影響を与えるものではない。

 

  さらにこれを拝観者について考えても、本税についての納税義務は、拝観者が現実に対価を支払つて東大寺金堂及び法隆寺西院に入場するときにはじめて発生確定するに至るもので、条例自体によつて当然に特定の者に対し具体的な法律効果を生ざさせるものではない。

 

  次に、前示同条例第六条第一項は、その規定上、「第二条に規定する文化財の所有者」または「本税の徴収について便宜を有する者」の両種のうちから知事が別に指定した者が特別徴収義務者となる趣旨であると解されるから、右条項は直接特定個人の具体的権利義務に影響を与えるものではない。

 

この点につき、地方税法(昭和二五年法律第二二六号)第二七五条第一項は「道府県法定外普通税を特別徴収によつて徴収しようとする場合においては、当該道府県法定外普通税の徴収の便宜を有する者を当該道府県の条例によつて特別徴収義務者として指定し、これに徴収させなければならない。」 と規定しているが、同条は条例が一定の範囲の者を特定しその中から、特別徴収義務者を具体的に指定することを執行機関たる知事に委任することまで禁止する趣旨とは解されないから、本件条例第六条第一項が前示のように知事の指定をまつてはじめて特別徴収義務者が具体的に定まる趣旨の規定であることをもつて地方税法第二七五条第一項に違反するということはできない。

 

   そして、本件条例中右第二条、第六条第一項のほかには、同条例が立法の形式をとりながら実質上は特定の処分であるとみられるような条文は存在しないから、同条例は無効確認訴訟の対象たる処分性を有しないというべきである。従つて本件条例無効確認の訴は不適法として却下を免れない。

 

 

第二、昭和四一年(行ウ)第七号事件に対する判断

 一、昭和四一年(行ウ)第二号事件についての原告主張の第二の一の事実及び被告知事が、昭和四一年三月五日、本件条例第六条第一項に基づき本税の特別徴収義務者として原告を指定したことは当事者間に争がない。

 二、ところで、原告は右特別徴収義務者指定処分はその根拠である本件条例が憲法及び法律に違反して無効であるから同処分もまた当然無効である旨主張するので、以下原告が本件条例の無効理由として主張するところに従つて、順次判断を加えることとする。

 三、無効理由その一 (信教の自由の侵害)の主張について

(一) 原告は、まず東大寺金堂(大仏殿)を公開することは本尊毘盧舎那仏を公開することであり、原告にとつては布教活動以外の何ものでもなく、本来信心(信仰)の場である金堂へ入場参詣する者に対し本税を課することは原告及びその参詣者の信教の自由を侵害するものであると主張する。

  (二)よつて、この点について検討するに、成立に争いのない甲第一号証の一、二、第二号証の二、第四〇及び第四一号証の各一、第六〇、第六一号証、第六二号証の一ないし四、乙第六号証の各一ないし三、第一〇号証の一、二、第一一号証、第一三号証の一、第一六号証の一、三、第二〇号証の一、二、第二六号証、原告代表者本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二号証の一、第五八号証、証人藪田忠昭の証言により真正に成立したものと認められる乙第二ないし四号証、第一二号証、第一九号証、その方式及び趣旨により真正な公文書と推定すべき乙第二二号証、東大寺金堂(大仏殿)における観光客の入堂から退堂までの写真であることに争いのない乙第七号証の一、同じく修学旅行団等の入堂から退堂までの写真であることに争いのない乙第七号証の二、奈良公園名所めぐりの写真であることに争いのない乙第七号証の三、大仏殿退堂出口販売所における販売品目の写真であることに争いのない乙第八号証、金堂内の詰所兼販売所における販売品の一部であることに争いのない乙第九号証の一ないし三、証人清水公照、同東郷豊治、同吉本準、同藪田忠昭の各証言、原告代表者本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定を左右するに足る証拠はない。

(1)原告は、奈良時代の天平年間鎮護国家の祈願のため当時の総国分寺として建立せられた寺院であり、じ来いわゆる八宗兼学の学問寺としてその伝統を維持し来つたが、明治維新後すべての寺院は各仏教宗派に包括せられて一寺一宗を標傍しなければならなくなつたため、以後前記八宗の一である華厳宗を唱えることとなつたものである。華厳宗は現在十数個の東大寺塔頭寺院のほか数十の末寺を有するのみであるが(昭和三一年版の文部省「宗教年鑑」によれば華厳宗系の信者数は約五万とされている)、原告はその大本山として今日に至つている。

(2)ところで、原告は前記とおり鎮護国家の祈願のため創立せられた寺院であつた関係上、一般の仏教寺院のように死者の埋葬儀式、墓地管理、年忌法要等を一切行なわず、従つて檀家あるいは檀信徒なるものもなかつたため、明治維新当初のいわゆる廃仏毀釈により国からの経済的な保護を断絶されると、その収入の途を失なうこととなり、寺院の存続及び伽藍等の維持、管理上多大の支障をきたすこととなつた。そこで、明治年間に行なわれた大仏殿等の大修理の際に、財源を得る等の目的から大仏殿を一般に公開し、その入場者から一定の金員を徴して以来、原告はその後も引きつづき大仏殿を公開し、入堂者より一定額の金員を収受して今日に至つている。そして、原告が右大仏殿の入場者から得る金員(入堂香華料)は、現在年間一億円以上にも達し、原告の歳入予算の八割以上を占めており、原告が教団及び伽藍等を維持、管理してゆく上に必要不可欠の財源となつている。

(3)ところで、大仏殿は世界最大の木造建造物、またその内部に安置せられている本尊銅造毘盧舎那仏坐像(大仏)は世界最大の金銅仏であつて、その中門、東西楽門、廻廊及び金銅八角燈籠等とともに、いずれも国宝叉は重要文化財に指定されており、その存在は古都奈良の象徴として奈良市近郊斑鳩町に存在する世界最古の木造建築物たる法隆寺とともに奈良県を代表する二大寺院としてその名は遠く海外にまでも知れ渡つている。そのため大仏殿への入場者は年間約三百万人、法隆寺西院への入場者は年間約百万人の多数にのぼり、特に、大仏殿に至つては春、秋の観光シーズンには一日に二万人もの入場者を数えることもある。そして、前記の通り原告にはいわゆる檀家あるいは檀信徒がないため、これらの入場者の内華厳宗固有の信者は極めて少なく、その殆んどは原告又は華厳宗と直接関係のない人達であり、その中には外人観光客も相当多数含まれている。そしてそのかなりの部分は観光バス等を連ねてくる全国各地の旅行会や観光団あるいは修学旅行生等の団体であるが(この点は法隆寺西院も同じ)、奈良をはじめて訪れる観光客で大仏殿へ入場しない者は殆んどないといつて過言でない。

 

 

(4)そこで右大仏殿への入場者の入場から退堂に至るまでの一般的な実態についてみるに、まず、中門(これは柵で閉鎖されている。)横の大仏殿入口附近に設置されている入堂券発売所には、「入堂大人一人五〇円、小人一人三〇円「ADMISSION 50YEN」と記載のある入堂料金表及び「入堂学校団体三〇名以上、一般団体五〇名以上」と記載のある団体割引の看板がそれぞれ掲げられており、入場者は、信者又は信仰の有無の如何を問わず何人も、同所で所定の金員(なお、右団体入場者については、小学生一〇円、中学生以上三〇円、一般団体四〇円の割引料金が定められている。) を支払つて、原告の発行する入堂券(ADMISSION TICKET)を購入しない限り、大仏殿への入場を許されないこととなつている。入場者は、右のとおり入堂券を購入した後、前記入口の奥に設けられてある改札口で、原告の従業員にこれを呈示し半券(なお、半券には、一人一枚切取り無効なる表示がある。)を切り取られて、はじめて大仏殿へ入場することができるのである。そして、前記中門正面を参道を経て金堂内に至ると、堂内正面には、本尊毘盧舎那仏坐像(大仏)が脇仏である如意輪観音像及び虚空蔵菩薩像とともに安置せられており、その各正面には祭壇、香炉、賽銭箱(賽銭箱はそのほか中門のそとにも置かれている)等が設けられているが、堂内では通常寺僧の姿を見かけることはなく、金堂の出口附近にお守り、線香、念珠、絵葉書等の販売を兼ねた詰所がありそこに原告の従業員が詰めているのみである。大仏殿の入場者のかなりの部分を占める団体入場者の場合は、バスガイドや案内業者等が旗などをもつてこれを先導し、大仏殿等の由来や特色等について説明を加えながら一巡するが、その所要時間は観光バス等の時間的な制約もあつて比較的短かい。以上に述べた大仏殿入場者の入堂から退堂に至るまでの実態は、入場者の信仰心の有無は別として、通常の文化観光とさして異なるところはない。

 

 

(5)次に、被告が本税を創設した趣旨、目的についてみるに、奈良はかつては飛鳥朝、奈良朝の歴代の首都として栄えたところで、今も県内各地には古い社寺、史跡、名勝、文化財などが数多く存在し、ここを訪れる観光客は、逐年増加の一途をたどつている。そこで、同県では早くより観光行政を重要施策の一つとして取り上げてきたが、これに要する財政負担すなわち文化財、史跡等の保存並びに道路、公園、駐車場その他の観光関係施設の整備管理等のための財政支出は観光客の増大とともに近年ますます増加する傾向にある。例えば、昭和三九年度の「都道府県決算状況調」 (自治省編)に計上されている同年度における奈良県の観光行政費の支出額は、総額二億四千万円余にもなり、同年度における人口一人当りの全国平均支出額が四九円であるのに対し、同県の場合は二九五円とその六倍もの額に達し、全国最高である(なお、右統計に記載されている各都道府県の観光行政費は、全国共通の一般的な観光行政費の費目が集計せられたものであつて、奈良県の場合は、さらにこれ以外に、例えば奈良公園の整備管理費のような同県特有の観光行政費として同年度に一億七千万円が支出されている。)。一方、観光客よりの収入の大宗と考えられる料理飲食等消費税については、同県内の宿泊施設、遊興施設等の貧弱なこと等も原因して、同県の昭和三九年度における同税収入は二億八百円にとどまり、税収額としては全国での最下位から二番目の低額である(もつともこれを人口一人当りの税額にすれば、全国での最下位から九番目である。)。

 

 このように、観光行政についての収入と支出との間に不均衡があり、しかも前記の観光行政費は実際上同県外よりの多数の観光客の利便のために支出されているものであるにかかわらず、これに充てられる財源は、その大部分が本来県民へのサービスに向けられるべき一般財源の中から支出されているものであることにかんがみ、右観光行政のための経費の一部を観光客にも負担を求めることにより、前記財政の不均衡をいくらかでも是正するとともに、本税の課税によつて得られる財源を、現在建設中の奈良県文化会館の建設費の一部に充てる(具体的には、奈良県の文化財、美術工芸品等を展示紹介するために同会館内に展示室を設置する費用として一億五千万円を想定している。)趣旨の下に、地方税法第四条第三項に基づく法定外普通税(県税)として本税が創設されることになつた。

 

   そして、被告において奈良県内の観光の実態を種々の角度から検討した上、後に無効理由その二の主張に対する判断で述べるように、同県を訪れる観光客の大部分はいわゆる社寺観光を目的とするものであり、一般的に云つて特定の社寺の拝観に固定されてはおらず、同一拝観者がいくつかの社寺の拝観を同一の機会又は別の機会に併せ行なつていること、しかも右社寺観光の中心となつているのが、東大寺金堂(大仏殿)及び法隆寺西院であつて、右両寺を訪れる観光客が引きおこす財政需要が同県に前記の過大な財政負担ひいては財政の不均衡をもたらす原因となつていること、その他観光政策上の見地、徴税効率及びその確実性等の諸点を併せ考慮された結果、これら観光客の文化財を公開する右両寺への有償入場行為のみを課税客体として本件条例が制定されるに至つた。

 

 

(三)ところで、信仰は人の内心の心理的意思的事実であるから、その者の告白がなければその有無を知ることができない。したがつて、大仏殿や法隆寺西院への入場者についてもその本来の目的が参詣礼拝にあるか否かはその外観よりこれを判断する外はないところ、前記認定の事実によれば、右両寺への入場者の大多数は少なくとも外観上は両寺が公開する文化財を観賞するのがその本来の目的であるとみられる。そして右両寺への入場者は、その入場の本来の目的が参詣、礼拝にあるか否かに拘らず、すべて入場に際し一率に五〇円(小人三〇円)を支払わなければ入場を許されず、右金員を支払つた場合にはじめて入場を許されるわけであるから

 

入場者の右出捐をお賽銭又はお布施とみるのは無理であつて右入場の対価とみるのが相当であるところ、右両寺が入場者の礼拝に対して対価を徴しているとは考えられないから、右入場の際に支払われる対価は文化財観賞の対価とみる外はない。そして、本件条例が入場者のかかる有償入場行為に担税力を認めてこれに課税せんとするものであることは前記認定の事実から明らかである。

 

 

 ところで、法律はつねに憲法の各条章に適合する合理的なものであることを要するから、憲法第三〇条、第八四条に基づき国民の納税義務を規定したものであつても、それが特に宗教的行為を対象としこれを規制するものである場合には、憲法第二〇条の「信教の自由」を侵害するものとして無効のものというべきである。

 

しかしながら、本件条例は、課税の趣旨、目的、課税対象の性質、宗教との密着性、課税額(一回につき大人一○円、小人五円)、納税義務者の範囲等に関しさきに仔細に認定した諸般の事実を総合判断すると、特に宗教を対象としこれを規制したものとは認め難いから、これを憲法第二〇条に違反する条例であるということはできない。

 

 

 もつとも本件条例は、前記の通り課税要件を定めるに当りその場所を大仏殿と法隆寺西院の二カ所と指定しているところ、右二カ所は、いずれも文化財を公開している場所ではあるが、両寺院の本尊を安置する寺院の中心的な場所でもあり、まさに宗教行為の場でもあるわけであるから、参詣礼拝が同所への入場の本来の目的である者の存在することは否定できない。かかる者にとつては、本税を賦課されることは、あたかも宗教的行為に対して課税されたのと同じような結果になるが、憲法第一四条に「すべて国民は信条によつて差別されない」とあることは、特に宗教を対象としてこれに規制を加える法令をすべて違憲とする反面、何人も自己の信条を理由として宗教を対象としない一般的国法(例へば国民の納税義務を規定した税法)の適用を免れ得ないことを示すものと解すべきであるから、入場の本来の目的が参詣礼拝にある者といえども、同じく対価を支払つて入場する限り本件条例の適用を受けるのは当然である。もし、これを反対に解すると、同じく対価を支払つて入場するのに拘らずその者は信条を理由として免税の特権を与えられることになり、右憲法の規定に牴触すること明らかである。

 

  よつて、この点に関する原告の主張はこれを採用することはできない。

 

 

 

(四) 次に、原告は、仏教教団たる原告への財産の出捐に対し本税を賦課することは、教団及び伽藍の維持費に課税して、その諸活動を妨害することに外ならず、原告及びその参詣者の信教の自由を侵害するものである旨主張する。

  しかしながら、本税は既に述べたように、大仏殿への有償入場行為自体を課税の客体として、その入場者に課せられるものであつて、宗教団体たる原告に課せられるものでないことはもちろん、その教団及び伽藍の維持費に課税せんとするものでもない。また本税はその課税額(一回につき大人一〇円、子供五円)からみても本税の賦課により特に大仏殿や法隆寺西院への入場者が減るとも思われない。したがつて原告の右主張も理由がない。

 

 

四、無効理由その二(差別課税)の主張について

(一)原告は、入場参詣料を収受している奈良県内の多数の社寺のうち、とくに華厳宗大本山東大寺及び聖徳宗大本山法隆寺の本堂に礼拝のため入場する参詣者についてのみ本税を課することは、まさしく信条による差別課税であり、仮りに信仰の問題を捨象しても何ら差異のないものを理由なく差別するもので憲法第一四条に反する旨主張する。

 

 (二)憲法第一四条が保障する法の下の平等の原則が単に法を不平等に適用することを禁止するだけではなく、差別すべき合理的な理由もなく不平等な取扱いを内容とする法(条例)の定立をも禁止するものであることは、原告の主張するとおりである。

 

(三)そこで、この点につき検討するに、前掲甲第五八号証、乙第二二号証、証人藪田忠昭、同吉本準の各証言及び原告代表者本人尋問の結果を総合すれば、次の事実を認めることができ、この認定をくつがえすに足りる証拠はない。

 

  すなわち、奈良県内には、東大寺金堂(大仏殿)及び法隆寺西院以外にも、国宝又は重要文化財に指定されている建造物、彫刻等を一般に公開し、その対価として一人五〇円乃至一〇〇円の拝観料等を徴収している社寺が多数存在し、その数は約三〇か所にも達している。そして奈良県を訪れる観光の目的は主にこれらの社寺、文化財の観賞に向けられているところ、これら社寺観光客は一般的に云つて特定の社寺の拝観に固定化されてはおらず、同一拝観者がいくつかの社寺の拝観を同一の機会又は別の機会に併せ行なつていること、そして、右社寺のうち観光客の数の最も多いのが東大寺大仏殿(年間約三百万)で、次いで多いのが法隆寺西院(約百万)であり、三位の薬師寺、唐招提寺になるとその数は法隆寺西院の半数以下となり、薬師寺以下の全社寺の入場者の数を合計しても東大寺一カ寺の入場者数に及ばないこと、結局東大寺と法隆寺は正に同県内における社寺観光の二大中心地となつており、右両寺院及びその周辺の右両地区に多数の観光客が集中することが、前述のように同県の観光行政上過大な財政負担ひいては財政の不均衡をもたらす要因となつていること、本件条例は、かかる財政の不均衡を是正する趣旨の下に、同県の観光客をいわば代表すると考えられる右両寺院の拝観者(有償入場者)に対し本税を賦課せんとするものであり、これによつて、同県下の観光客の大半を捕捉し得るものと考えられること、さらに前記拝観料等を徴収している社寺ごとに本税を徴収することとすれば、奈良県を訪れる観光客に著しい負担感あるいは不快感等を与えることとなつて、同県の観光政策上好ましくないこと、また、本税は特別徴収の方法によつて徴収されるのが最も適切な租税であるが、拝観者の比較的少ない社寺にまで右特別徴収義務を課することは、徴税効率の点から必ずしも得策とはいえず、また徴税の確実性の点から云つても、原告及び法隆寺は拝観料の徴収に永年の経験を有し、専従職員も常置して収納機構(拝観券の発行、金銭の収納帳簿の整理等)も整備されているのに反し、右両寺院を除く各社寺については必ずしもこれが整備されているとはいえずその確実性を期し難いこと。

 

 以上の事実が認められ、これらの事実を総合勘案すれば、本件条例が課税客体の場所を右両寺院の二か所に限つたことは、必ずしも妥当を欠く措置ということはできず、これを不合理な差別課税或いは信条を理由とする差別課税とみることはできない。

  よつて、原告の右主張は理由がない。

 

(四)、次に、原告は、本税は本来の観光消費である遊戯施設等の利用による消費を対象とする娯楽施設利用税においてすら免税とされているわずか五〇円又は三〇円の消費行為に対して課するものであり、これは社会観念上甚だしく非常識な差別取扱いを定めるもので憲法第一四条に反する旨主張する。

  しかしながら、本税は既に繰り返し述べたように、文化財を公開している寺院への有償入場行為を課税の客淋とするもので、原告主張の諸施設への有償入場行為とはその性質を異にするものであり、本来その間に平等、不平等ということは原則として問題となりえない性質のものである。もつとも娯楽施設利用税においてすら免税とされているような僅かな教育的文化的消費に対し課税することは一般的に好ましくないと云えるが、さきに述べた奈良県における観光行政の特殊性と本税が文化会館建設に伴なう財政需要を契機とした期間を五カ年とする限時立法であることなどを考慮すると、本税が著しく妥当を欠く課税であるということはできないから、原告の右主張も失当である。

 

五、無効理由その三(入場税法違反)の主張について

 

 (一)本件条例は、別表に定める寺院(東大寺大仏殿と法隆寺西院)に対価を支払つて入場する行為を課税物件とするものであり、入場税法(昭和二九年法律第九六号)が課税物件とするものもまた特定場所への入場行為であるため、同法との関係において本件条例の効力を検討する必要がある。

 

   ところで普通地方公共団体は、憲法第九四条、地方自治法第一四条に示すとおり、法律の範囲内で、および法令に違反しない限りにおいて条例を制定しうるものであるから、本件条例の課税物件と同一の物件に対し法律たる入場税法がすでに入場税を課していて二重課税を許していないと解すべき場合、あるいは同法が、右条例に規定する入場行為に対し課税することを禁止していると解すべき場合には、地方自治法第二条第一四項、第一五項により、本件条例は無効のものとなる。

 

 (二)(1)そこで、まず入場税法による課税範囲を見るに、同法第一条は「一、映画、演劇、演芸、音楽、スポーツ又は見せ物を多数人に見せ、又は聞かせる場所、二、競馬場及び競輪場、三、前二号に掲げる場所に類する場所で政令で定めるもの(即ち入場税法施行令(昭和二九年政令九七号)第二条の小型自動車競走場、モーターボート競走場)」への入場には入場税を課するものと定めており、本件条例にいう文化財を公開する寺院への入場は右に列記のうちのいずれにも該当しないこと明らかである。

 

  (2)ところで、原告は、入場税法は同法第一条に規定するところにとどまらず対価支払の伴う入場行為一般を国税の規制対象とする趣旨のもので、このためすべて入場税の実質を有する課税は専ら国の事務として留保されており、条例によつてかかる入場行為に賦課することはできない旨主張する。

 

しかしながら、前示入場税法第一条の規定自体からは原告主張のような趣旨は到底これをうかがうことはできない。却つて入場税は、古くは観覧税として地方税とされていたところ、昭和一三年国税に移管されたが同二三年再び地方税に移管されたのち同二九年さらに国税に移管されて現在に至つているものであるが、右昭和二九年の国税移管前の地方税法(昭和二五年法律第二二六号)第七五条によれば、入場税の課税範囲は、「第一種、一、映画、演劇、演芸、演奏(歌唱を含む)又は観物(すもう。野球その他の競技で公衆の観覧に供することを目的とするものを含む)を催す場所、二、競馬場及び競輪場、三、前二号に掲げる場所に類する場所。第二種、博覧会場、展覧会場、遊園地その他これらに類する場所」への入場行為および「第三種、一、舞踏場、まあじやん場及びたまつき場、二、ゴルフ場及びスケート場、三、つりぼり及び貸船場、四、前三号に掲げる施設に類する施設」の利用行為であり、この各種行為への課税はいずれも実質上も入場税たる性質を有すると考えられるのにかかわらず、右第三種に属するものは昭和二九年改正において地方税中に残置され、現在もこれと同種のものが道府県普通税たる娯楽施設利用税として地方税法第七五条以下に規定されており、さらに前示第二種に属するものはその後の改正により国税たる入場税の課税範囲からも除外され、結局入場税法は第一種に属するもののみを規定するにとどまつている。以上の事実から考えると、入場税法は実質上の入場税のすべてを国の事務とする趣旨のものとは解されず、むしろ各種の実質上の入場税のうち同法に明示するものだけを国の事務として規制し、その余については関与しない趣旨をうかがうに足り、またかように解することは憲法第九二条に規定する地方自治の本旨にも合うものと考えられる。

 従つて、本件条例の課税物件が入場税法第一条列記のいずれにも該当しないこと前示のとおりである以上、本件条例が入場税法の先占領域を侵し、あるいは重複課税であるとの原告主張は理由がない。

 

 (三)次に、本件条例の別表に定める寺院(東大寺金堂及び法隆寺西院)に所在する文化財には、既述の国宝等の外、文化財保護法(昭和二五年法律第二一四号)上の有形文化財が多数含まれていることは公知の事実である。入場税法第九条は、文化財保護法の規定により助成の措置を講ぜられた文化財のみを公開する場所への入場につき入場税を課さない旨定めているのであるが、右規定は、入場税法上の非課税規定であると解すべきところ、一般に、当該租税範囲外の物件について特に非課税の特則を定める必要はないのであるから、右規定もまた同法の課税範囲のもののうち一部につき例外を定めたものと解するのが当然である。

   ところが本税の課税物件は、入場税法第一条の課税範囲の外にあり、従つて同法上原則的に課税されるものではないこと前段に判示のとおりであるから、本件条例による課税が入場税法第九条に牴触する問題は生ずる余地がない。

  従つて、その余の点を判断するまでもなく同条例が入場税法第九条に違反する旨の原告の主張は理由がない。

 

 

 

六、無効理由その四(租税法律主義違反)の主張について

 

 租税法律主義とは、憲法第三〇条、第八四条に規定するように国民は法律の定めるところにより納税の義務を負い、新たに租税を課しまたは現行の租税を変更するには法律または法律の定める条件によることを必要とするとの原則をいうのであり、さらにそれは租税の種類および課税の根拠にとどまらず、課税物件、課税標準、税率、納税義務者等もすべて法律の定めに基づくことを要求するものであるが、元来右原則は、「代表なければ課税なし」との標語によつて示されて来たように、

 

個人は、公権力による恣意的な課税を免れるため、自己の代表機関たる議会を通じ、課税根拠あるいは課税要件等を明確に定める租税立法の形式によらなければ租税を負担させられないとするところにその伝統的な意義があり、この限りにおいてはむしろ立法上可能な限り具体的特定的に課税要件を規定すべきものということができる。

 

 

従つて必要に応じ租税立法中に課税要件を特定する目的で固有名詞を使用することは少しもこれを妨げないというべきである。ところで本件条例は、課税要件を定めるにあたつて「東大寺金堂及び法隆寺西院」なる固有名詞を使用して場所的限定をしたのであるが、前記の通りそのことだけで憲法第八四条第一四条に違反するわけではないから、この点に関する原告の主張も理由がない。

 

 

 結語

 以上に述べたところにより原告の本件条例無効確認の訴は不適法であるからこれを却下し、本件条例が無効であることを前提とする本件特別徴収義務者指定処分無効確認の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。

 

 (裁判官 谷野英俊 加藤光康 森下康弘)