公正証書による贈与契約の贈与時期(1)

 

 

 

贈与税決定処分取消請求事件

 

 

 

【事件番号】 名古屋地方裁判所判決/平成9年(行ウ)第7号

 

【判決日付】 平成10年9月11日

 

【判示事項】

(1) 不動産を贈与する場合に公正証書を作成することの意義

      

(2) 納税者と贈与者の嘱託により作成された公正証書に不動産を贈与する旨の記載があるとしても、①所有権移転登記をできない事情が存しなかったこと、②右公正証書は、不動産の所有権移転登記をしても納税者が贈与税を負担しないように作成されたものであることなどから、直ちに右公正証書の記載の時期に贈与があったと認定することはできないとされた事例

      

 

 

【掲載誌】  税務訴訟資料238号126頁

 

 

について検討します。

 

 

 

主   文

 

 一 原告の請求を棄却する。

 二 訴訟費用は原告の負担とする。

 

       

 

事実及び理由

 

第一 請求

   被告が、原告に対し、平成七年七月五日付けでした平成五年分の贈与税決定及び無申告加算税賦課決定を取り消す。

第二 事案の概要

   本件は、被告が原告に対し不動産の贈与を受けたことを理由に贈与税決定処分及び無申告加算税賦課決定処分をしたのに対し、原告が、右不動産の贈与を受けたのは右処分よりも約八年前であるから同処分は課税時期を誤った違法な処分であると主張して、右処分の取消しを求めた事案である。

 (争いのない事実等)

 一 原告の父である李萬基こと加藤万喜(以下「万喜」という。)は、昭和六〇年三月一四日当時、別紙不動産目録記載の不動産(以下「本件不動産」といい、同目録記載一の土地を「本件土地」、同目録記載二の建物を「本件建物」という。)を所有していた。

 二 原告と万喜の嘱託により、名古屋法務局所属公証人鈴木信男は、昭和六〇年三月一四日、昭和六〇年第五九〇号不動産贈与契約公正証書を作成した(甲一、以下「本件公正証書」という。)。

   本件公正証書には、次の記載ある。

  第壱条 昭和六〇年三月一四日贈与者(加藤万喜)李萬基は、その所有にかかる後記不動産を受贈者(加藤)李悦男に贈与し、受贈者は、これを受託した。

  第弐条 贈与者は、受贈者に対し前条の不動産を本日引き渡し、受贈者はこれを受領した。

  第参条 贈与者は、受贈者から請求があり次第、本物件の所有権移転の登記申請手続をしなければならない。

  第四条 前条の登記申請手続に要する費用は、受贈者の負担とする。

 三 原告は、平成五年一二月一三日、万喜から、本件不動産について、昭和六〇年三月一四日贈与を原因として、所有権移転登記を受けた(以下「本件登記手続」という。)。

 四 被告は、原告に対し、平成七年七月五日付けで、平成五年分の贈与税金一億九三五万二三〇〇円の決定処分及び無申告加算税金一六四〇万二五〇〇円の賦課決定処分(以下「本件処分」という。)をした。

 五 原告は、平成七年八月三一日、被告に対し、本件処分について異議申立をしたが、被告は、同年一一月三〇日、右異議申立を棄却する決定をした。

 六 原告は、国税不服審判所長に対し、本件処分について審査請求をしたが、同所長は、平成九年一月二九日、右審査請求を棄却する裁決をし、原告は、同年二月七日裁決書謄本の送達を受けた。

 (争点)

  万喜が、原告に対し、本件不動産を贈与したのは、平成五年一二月一三日であるか否か。

 (被告の主張)

 一 相続税法基本通達は、贈与税の納税義務の成立要件である贈与による財産の取得の時期(国税通則法一五条二項五号)について、「書面によるものについてはその契約の効力の発生した時より、書面によらないものについてはその履行の時」(相続税法基本通達一・一の二共-七)としているが、これは、通常右のような行為がなされれば贈与による財産取得があったと推定できることから、贈与による財産取得時期の認定方針を示したものであり、法律行為の内容を合理的に判断するための原則を定めたものにすぎない。

   したがって、たとえ書面が存在していても、その真実性に疑問が多く、むしろその他の事情を総合するならば、その内容が租税回避等の目的によりなされた仮装の行為にすぎず、真実の贈与は別の時期になされたとみるのがより自然かつ合理的であるような場合には、真実の贈与の内容に従った認定が行われるべきである。

 二 本件においては、公正証書を作成する必要性が認められない。

   本来、公正証書は、法律行為や事実関係について強い証明力を得るために作成するものである。しかし、不動産の贈与の場合、所有権移転登記を経由するのが所有権を確保するための最も確実な手段であるから、公正証書は、贈与が行われたにもかかわらず何らかの事情により登記を得られないときや、登記のみでは明らかにできない契約内容などが存在するときに初めて作成する意義を有する。

   本件公正証書の記載内容は、公正証書作成日に贈与がなされ、その履行も即日終了したことになっている。本件不動産の贈与に係る特段の負担などの記載もない。したがって、仮に係る内容の贈与契約が実際になされたのだとすれば、あえてこの契約の内容を公正証書にする意義は全くない。

 三 原告及び万喜が昭和六〇年三月一四日から平成五年一二月一三日まで、約八年九か月間にわたって所有権移転登記をしなかった合理的理由も存在しない。

  1 昭和六〇年当時、万喜と原告には、所有権移転登記手続を妨げる何の事情もなく、真に贈与がなされたのであれば、速やかに所有権移転登記手続をなして当然であった。

  2 万喜は、昭和六一年及び同六二年に、名古屋市天白区天白町大字植田字三七原八番四一〇所在の山林の持分を原告の兄である訴外加藤鐘斗(以下「鐘斗」という。)及びその妻である訴外加藤和代に贈与し、平成四年及び同五年に、名古屋市天白区天白町大字植田字三七川原八一の九二所在の山林の持分を鐘斗及び鐘斗の長男である訴外加藤丈博に贈与したが、いずれの贈与も、公正証書を作ることなく速やかに持分登記を行い、しかも、万喜自身が贈与税の申告を代行するなど積極的に申告行為をしている。これに対して、本件不動産の贈与については、万喜は確実な所有権移転登記をすることなく公正証書によって贈与を表象し、贈与税の申告も行っていないが、万喜が家族に対する贈与についてこのような差を設けなければならなかった理由は見当たらない。

  3 原告は、本件不動産の贈与を受けたにもかかわらず、長期間にわたってその所有権移転登記をしなかった理由として、万喜が提起した名古屋地方裁判所昭和五一年(行ウ)第三四号所得税更正処分取消請求事件(以下「前訴」という。)の経緯に触れ、本件不動産は、昭和六〇年当時、右所得税の滞納処分(以下「前訴滞納処分」という。)のため差し押さえられて差押登記を経由しており、「万喜は、本件不動産の贈与について直ちに登記をすれば、滞納国税との関係で詐害行為の疑いをかけられたり、あるいは差押えに基づいて公売を強行されるなどのことによって、原告への贈与の趣旨が覆されるのではないかと心配であった。」と主張している。

    しかし、差押登記が経由された後、所有権移転登記手続をしたとしても、詐害行為の疑いがかけられないことは、登記の優先関係という単純かつ明瞭な理由によるものであり、金融業者である万喜が誤った認識をもっていたことは到底考えられない。また、差押えに基づく公売の点についても、滞納者が国税債権額を争って訴訟を提起している場合には、訴訟の終了を持った上で確定判決に従った徴収行為をなすのが通常であり、特段の事情がない限り、訴訟係属中に滞納者の意思に反して公売が行われることはない。

  4 原告は、平成五年一二月一三日付けで本件不動産の所有権移転登記をした理由として、「平成五年には滞納税額は附帯税だけとなり、それについても納付見込みは立ててあって分割納付をしていたので、本件不動産の贈与について登記をしても、詐害行為と疑われたり、公売を強行されるおそれはなくなったものと判断した」こと及び「平成五年秋ころ日本国への帰化を申請するに当たって、所有する財産の状況を明確にしておいた方がよいと考え、登記手続を父親に依頼した」ことを主張している。

    しかし、原告がいう「附帯税だけになった時期」は、平成五年ではなく平成元年であり、帰化許可申請に当たっては、申請者の所有不動産の内容を明らかにすることが求められるが、同不動産が未登記の場合は、不動産の評価証明書を提出すればよい取扱いとなっている。

    したがって、原告の主張は、いずれも長期間放置していた本件不動産の所有権移転登記を突然行った理由とは認め難い。

  5 なお、原告は、これまで被告所部係官に対し、公正証書の作成に関与したことは認めながら、不動産の贈与を受けた場合に、それに伴う登記や税申告の必要性を全く認識していなかったかのような供述をしているが、十分な教育を受け、医師という高い社会的地位にあった原告の経歴からすれば、原告がそのような認識しか有していなかったとは、到底認めることができない。

 四 昭和六〇年三月一四日に本件不動産の贈与が行われたとは認められない事情

  1 当時、原告と万喜の親子関係は良好で、家族の間に特段の争いごとがあったわけでもなく、また、原告は本件不動産の贈与以前から本件不動産に居住していたのであるから、昭和六〇年当時にあえて本件不動産の贈与をする必要性自体がなかったものである。

  2 なお、原告は、本件公正証書作成当時に、本件不動産を贈与をした理由として、原告の縁談のためであると主張しているが、原告は、万喜からそのような説明を受けたことはないと供述しているのであるから、右主張には理由がない。

  3 前述したように、原告は、本件公正証書作成当時、本件不動産が公売されるおそれがあったと認識していたと主張しているが、仮に万喜が右のような懸念を有していたのだとすれば、そもそもこのような不動産を他人に贈与すること自体が極めて不合理である。特に、万喜と原告は財産関係に争いのない親子の間柄にあったのであるから、親は、滞納国税債権の納付についての帰すうをはっきりさせ、差押登記を抹消した上で、子に贈与しようと考えるのが自然であり、あえてこのような時期に、後日失われるかもしれない不動産の贈与をしなければならなかった理由は見当たらない。

  4 本件不動産の贈与に係る贈与税は、本税のみでも一億一〇〇〇万円に及ぶところ、原告は、昭和六〇年当時、到底右のような贈与税を納付し得る経済力は有していなかった。また、原告は、不動産を担保としても贈与税相当額の融資を受けることもできない状況にあった。さらに、万喜自身も、当時、原告に対して、贈与税相当額の融資を行ったり、融資の保証人となることは極めて困難であったと推測される。このような状態において、原告が、本件不動産の贈与を受けたとは考えられない。

  5 本件公正証書には、公正証書作成日である昭和六〇年三月一四日に本件不動産の引渡が終了したことになっているが、原告以外の万喜の家族が本件不動産を退去したのは、同年末であった。このように本件公正証書には事実と異なる記載がされているのであり、このことからも、本件公正証書が、贈与契約の外形を作出するためだけの虚偽の証書であったことが分かる。

  6 原告は、昭和六一年三月七日以降、納税管理人として固定資産税を納付しているが、納税義務者、すなわち本件不動産の所有者とみなされるべき者は、依然万喜のままであった。

  7 万喜は、原告に本件不動産を贈与したとしながら、その一方で印鑑証明などを原告に渡さず、原告が本件不動産を譲渡したり、担保を設定するなどの行為ができない状態に置き、移転登記の時期は専ら万喜の意思により決定することとしていた。実際に贈与が行われたのであれば、せめて移転登記をなし得ない事情が原告に説明されてしかるべきであるのに、これも全くなされていないというのであるし、そもそも原告は、昭和六〇年当時には、本件不動産の登記簿さえみていない旨の供述している。

    以上のことからすると、平成五年一二月一三日の所有権移転登記までは、本件不動産の実質的支配権はいまだ万喜にあったとみるべきである。

 五1 原告は、昭和六一年ころから、本件不動産に一人で居住し、次第に公課その他の必要経費を支出するようになったが、原告は従前から本件不動産に住み続けており、その状態を継続していたというにすぎないこと、本件不動産の所有者は原告の実父であり、自己の所有不動産を息子に使わせるのは自然な行動であること、父が仕事を持つ一人前の息子に対して、居住に関わる必要経費等の支出を求めるのは当然であること、万喜やその他の家族が本件不動産を退去したのは昭和六〇年末ころであり、公正証書作成時に必ずしも合致するわけではない上、万喜が居宅を新築したという事情によるものであること等の事情に照らせば、右居住事実をもって、本件不動産の贈与があったと認めることもできない。

  2 原告は、「租税回避の意思」をもって本件公正証書作成時には本件不動産の贈与を行ったかのような主張をする。

    しかし、原告は、歯科医師としての免許を有し、順調に歯科医業に従事していた。贈与税を脱税して歯科医師としての品位を損ね、特に罰金以上の刑に処せられた場合には、免許を取り消され、又は停止されるおそれがある(歯科医師法七条二項、四条)。ことに、前記贈与税額の規模に照らすと、本件不動産の贈与に係る贈与税をほ脱することにより脱税犯として処罰される可能性は高いというべきである。そうすると、脱税が発覚して医師の免許が取り消される危険を冒しまでして、あえて昭和六〇年時に本件不動産の贈与を受けたとは考えられない。

    また、原告は、当時、未だ外国籍を有しており、将来は帰化することも念頭に置いていたと考えられるところ、法務大臣は、日本で生まれた外国人であっても、素行が善良であると認められない者に対しては、帰化を許可することができない(国籍法五条一項三号、六条二号)。巨額の脱税が発覚し、処罰されることが、右素行の判断に大きな影響を与えることは考えるまでもないから、この点からみても、脱税が発覚して帰化し得なくなる危険を冒してまで、昭和六〇年時に本件不動産の贈与を受ける意思を有したことは認め難い。

    これに加えて、原告には、右のような危険を冒しても、昭和六〇年当時に本件不動産の贈与を受けておかなければならなかった事情は存しない。贈与の相手方は実父である万喜だったのであるから、贈与の時期は、万喜との間でいかようにでも決められたはずであり、納付資金ができた段階、又は融資を受け得る状況になった段階で本件不動産の贈与を受けることは十分可能であった。

 六 以上より、本件公正証書は、万喜及び原告が、租税の負担を免れるための方策として仮装して作成したものにすぎず、本件公正証書の内容に基づいて贈与の時期を認定することはできない。

 七 ただし、万喜は、昭和六一年ころから、鐘斗等の親族に対して、自己の財産を順次贈与し始めていること、昭和六〇年ころに新築した居宅には、鐘斗が経営する診療所が併設されており、万喜は、鐘斗に新居を相続させる意思を有していたと思われること、万喜は、結果からみると、本件不動産を原告に贈与する心積もりをしていたものと推測されるが、前述のとおり、当時本件不動産の贈与はなし得ない状況にあったことからすると、本件公正証書作成当時、万喜が、兄弟間の紛争などを避けるため、原告に対しても、将来は本件不動産を与える意思を示し、本件不動産の贈与の予約をなしたものと解することは可能である。

   そして、平成五年当時には、本件不動産の差押えの被担保債権である租税債権は大部分が納付済みとなり、国により本件不動産を公売に付されるおそれはなくなった。それに伴って、万喜が贈与税の融資を行い、あるいは融資の保証人となることも可能な状態になったと解される。また、原告は、既に三六歳となり、勤務経験は一一、一二年を数え、社会的な信用も形成されていた。

   また、原告は、平成六年に帰化を果たしているところ、帰化を許可するためには、申請者等の資産又は技能によって生計を営むことができることが要件とされているから(国籍法五条一項四号)、原告が、帰化許可申請に当たって、速やかに帰化許可を得るために、自己の居住する本件不動産の所有権を得て生活基盤の安定を立証しようと考えたのであれば、これは極めて自然な成り行きである。

   したがって、本件不動産の贈与は、平成五年一二月一三日に本件不動産の所有権移転登記が経由されたと同じころに行われたものと解するのが相当である。

 (原告の主張)

 一1 万喜は、昭和三三年に本件土地を買い受け、昭和三八年に本件建物を新築し、昭和六〇年一二月までは家族全員が同建物に同居していた。

  2 万喜、昭和五九年に名古屋市天白区植田に居宅兼診療所として使用する建物を新築し、鐘斗に歯科診療所を開業させた。原告も、昭和五六年に歯科医師の国家試験に合格していたので、同時に鐘斗の診療所で働くことになった。

  3 万喜としては、天白区の建物が居宅用に整備されれば万喜夫婦と長男家族はそちらへ転居し、将来右土地建物は鐘斗に取得させる予定であった。そこで、本件不動産を原告に取得させることとした。

    そのころ、原告は満二七歳になっており、縁談も出始めていたので、万喜は、昭和六〇年三月一四日、原告と同道して公証人役場に赴き、本件不動産を直ちに贈与する趣旨の公正証書を作成し、帰宅した後本件不動産の登記済み権利証を原告に手交した。これによって、民法上、贈与は履行されたのである。

  4 さらに、本件建物に同居していた家族のうち、原告を除く五名の者は、昭和六〇年一二月までに天白区の建物に転居して、本件建物には原告だけが居住することとなった。したがって、遅くともこのときまでに本件不動産の現実の引渡がなされたのである。

  5 このような贈与について、移転登記をすることは、民法上も、税法上も義務付けられていない。公正証書による契約をして、登記をしないで放置されると、課税庁として事実の調査が困難であると言うのは、事実上の問題にすぎない。そのために税務職員には強力な質問検査権が与えられているものと解すべきである。

 二 万喜と原告が、本件公正証書を作成しつつ、本件登記手続を直ちにしなかったことには、以下の理由がある。

  1 万喜は、前訴が係属し、前訴滞納処分により本件不動産が差し押さえられていたので、本件不動産の贈与については直ちに登記をすれば、滞納国税との関係で詐害行為の疑いをかけられたり、あるいは差し押さえに基づいて公売を強行されるなどのことによって、原告への贈与の趣旨が覆されるのではないかと心配であったので、移転登記は時機を見て実行することとしたのである。

    その少し前に、税に関する講演会で、ある公認会計士が、「贈与をした場合、その登記をしなくても、公正証書を作っておけば、後からでも贈与の時期を証明することができる。」と説明するのを聞いていたことも、本件公正証書を作成したことの動機の一部であった。

    なお、万喜が、鐘斗等への贈与については直ちに所有権持分移転登記をしているのは、持分の贈与については、引渡等によって、その事実を明確にすることができないからである。

  2 万喜は、課税処分取消訴訟の継続中にも、順次納税を続けて、平成五年には、滞納税額は附帯税だけになっており、それについても納付見込みはたててあって分割納付をしていたので、本件不動産の贈与について登記をしても、詐害行為と疑われたり、公売を強行されるおそれはなくなったものと判断した。

  3 一方で、原告は、平成元年四月に結婚し、その後二児を設けて、本件建物に継続して居住しているのであるが、平成五年秋ごろに本邦への帰化を申請するにあたって、所有する財産の状況を明確にしておいた方がよいと考え、登記手続を父親に依頼した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第三 争点に対する判断

 

 一 まず、争いのない事実等記載のとおり、本件公正証書には、万喜が原告に対し本件不動産を昭和六〇年三月一四日に贈与する旨の記載があるので、本件公正証書が真に贈与の事実を明らかにするために作成されたものであったか否かを検討する。

 

  1(一) 本来、不動産の贈与の場合、所有権移転登記を経由するのが所有権を確保するためのもっとも確実な手段である。したがって、贈与が行われたにもかかわらず何らかの事情により登記を得られないときや、登記のみでは明らかにできない契約内容などが存在するときに、あえて公正証書を作成する意義があるものと解される。

 

   (二) しかしながら、争いのない事実等記載のとおり、本件公正証書記載の贈与契約は、公正証書作成日に贈与がなされ、不動産の引渡義務の履行も即日終了したことになっており、贈与に係る特段の負担などの記載もないのであって、典型的な贈与契約であるから、登記のみでは明らかにできない契約内容は認められない。

 

   (三) また、万喜と原告との間で贈与が行われたにもかかわらず登記をすることができなかったことをうかがわせる事情も認められない。

 

     なお、原告は、万喜と原告との間で贈与が行われたにもかかわらず登記をすることができなかったことの事情として、

 

前訴滞納処分により本件不動産に差押登記がなされていたため、

 

所有権移転登記をすれば、詐害行為の疑いをかけられたり、公売処分をされると万喜が考えていたからと主張している。

 

しかしながら、万喜は、陳述書(甲一二)及び当法廷における証人尋問において、原告がそのような主張をしたのは、後記のように「節税(贈与税納付義務が時効消滅すること)」を意図して公正証書を作成したと主張することが、露骨すぎて反感を持たれるかも知れないとの代理人弁護士の意見を考慮して主張したにすぎないと陳述し、証言しているのであって、本件不動産が前訴滞納処分によって差し押さえられていたために贈与登記をすることができなかったものとは認められない。

 

 

   (四) したがって、本件公正証書記載の贈与であれば、本来、所有権移転登記をすれば足りるのであり、あえて公正証書を作成する合理的な必要性はなかったものと認められる。

 

 

  2 本件公正証書記載のとおり昭和六〇年三月一四日に贈与されたとすると、贈与税の法定納期限は昭和六一年三月一五日であるところ、本件登記手続がなされたのは平成五年一二月一三日であるから、本件登記手続は、本件公正証書記載の贈与時期を基準にすれば、贈与税の徴収権が時効消滅した後になされたことが認められる。

    万喜は、前記陳述書及び証人尋問において本件公正証書を作成しながら、所有権移転登記をしなかったのは、贈与税の負担を免れるためであったとして、次のとおり、陳述し、供述している。

 

    金融業をしていたところ、東京のある会場で行われた税務問題のセミナーで、

 

公認会計士から

 

「不動産の売買や贈与については、

 

取引を完結した後で、登記をしないでおいて、

 

ある程度の年数がすぎると不動産取得税や贈与税がかけられなくなる。

 

そのためには、売買や贈与による者の引渡を済ませ、

 

そのことを公正証書にしておけばよい。」

 

という説明を聞いたことがあり、

 

本件不動産の贈与税を「節税」しようと考えた。

 

    以上の事実からすると、本件公正証書は、将来原告が万喜から本件不動産の所有権移転登記を受けて、被告が本件不動産の贈与の事実を覚知しても、原告が贈与税を負担しなくても済むようにするために作成されたものであることが認められる。

 

  3 したがって、本件公正証書に、本件不動産の贈与時期が、昭和六〇年三月一四日と記載されていることをもって、直ちに、同日、万喜が原告に対し、本件不動産を贈与したと認定することはできない。

 

  4 ところで、本件公正証書は、右に認定したような目的で作成されたものであるが、

 

証拠(甲一一、一二、乙一ないし五、証人万喜、原告本人)によれば、

 

本件公正証書の作成は、万喜が積極的に行ったと認められること、

 

原告が、本件公正証書を利用して贈与税を脱税し、公訴時効期間内に起訴された場合には、

 

罰金以上の刑に処せられ、その結果原告が有している歯科医師の免許を取り消され、又は停止される可能性があり(歯科医師法七条二項、四条)、

 

そのことを原告は十分に認識できたはずであること、

 

そのような危険性を犯してまで、本件公正証書を右に認定したような目的で作成する動機は原告に認められないことからすると、

 

原告は、少なくとも本件公正証書作成当時は、本件公正証書の作成目的が、

 

将来原告が万喜から本件不動産の所有権移転登記を受けて、被告が本件不動産の贈与の事実を覚知しても、

 

原告が贈与税を負担しなくても済むようにするために作成されたものであったということを知らなかったものと認められる。

 

 

 

 二 前記認定のとおり、本件公正証書の存在のみをもってしては、本件贈与が昭和六〇年三月一四日になされたと認定することはできない。

 

   そこで、原告が、その時期に贈与がなされた事情として主張する原告の本件不動産に対する使用・管理状況等について、検討する。

 

 

  1 証拠(甲一二、原告本人)によれば、原告は、昭和六〇年一二月ころから、本件不動産を単独で使用し始め、固定資産税及び水道料や電気代の公共料金を負担していることが認められる。

 

    しかし、証拠(甲一二)によれば、原告が、昭和六〇年一二月ころから、本件不動産を単独で使用し始めたのは、それまで本件建物には万喜夫婦、鐘斗夫婦、原告及び万喜の二女が同居していたが、鐘斗に子供が生まれることになり、本件不動産が手狭になったことと、北斗の営んでいた診療所への通勤が不便なため、原告以外の家族が昭和五九年終わりころに新築された名古屋市天白区所在の住居に転居することになったためであることが認められる。

 

    原告自身は、本件不動産に対する従前からの使用状態を継続していたにすぎない。そして、所有者である万喜が、歯科医師として収入があり、単独で使用している原告に、本件不動産の固定資産税や公共料金を負担させることは不合理ではなく、これをもって直ちに贈与により原告の所有になったことの表れであるということはできない。

 

    証拠(原告本人)によれば、原告は、平成元年ころから、公共料金の名義を変更していることが認められるが、証拠(原告本人、乙一一)によれば、原告がそうしたのは、平成元年六月一二日に結婚したのを機に同料金を銀行の口座引落としにするためであったことが認められるのであって、必ずしも自分が所有者であるからという理由で名義変更をしたわけではない。

 

  2 なお、証拠(乙五、原告本人)によれば、原告は、本件公正証書作成後本件登記手続までの間に、本件不動産のトイレや風呂を改装し、庭に玉砂利を敷いていることが認められるが、その程度では、いまだ所有者でなければできないような行為をしたとまで解することもできない。

 

  3 既に判示したように、

 

万喜は、本件公正証書を、贈与税の負担回避のために作成したのであり、

 

本件公正証書作成時において、万喜としては、本件公正証書記載の贈与日時から贈与税の徴収権が時効消滅するまでは、

 

本件不動産の登記名義を原告に移転する意思はなかったものと認められる。

 

そして、証拠(甲一一、一二、乙一ないし五、証人万喜、原告本人)によれば、本件不動産の登記名義をいつ移すかということは、専ら万喜の意思にかかっていたものと認められる。

 

    したがって、本件登記手続時まで、原告が、本件不動産を担保に供したり、他人に譲渡することは事実上不可能な状況にあったわけであり、本件不動産を自由に使用・収益・処分しうる地位にはなかったものである。

 

  4 以上より、原告の本件不動産に対する使用、管理状況等の点からも、直ちに本件公正証書作成時ころに、贈与があったとは認められない。

 

 

 三 万喜が原告に対し、昭和六〇年三月一四日当時、本件不動産を贈与する動機があったかについて検討する。

 

  1 既に判示したように、本件公正証書作成当時、本件不動産には、前訴滞納処分により差押登記がなされており、証拠(乙一二)によれば、本件公正証書作成当時、右差押登記にかかる滞納税額は未確定なものもあわせて金六七二五万七〇九八円であり、その内本税は金一八〇九万五二九八円であったことが認められる。

 

そして、証拠(乙七、一五)によれば、万喜が本税分を納付したのは本件公正証書作成時からほぼ四年半後の平成元年九月一二日であることからすると、

 

本件公正証書作成時には、その納付の目途が立っていたとはおもわれず、そうすると、万喜は、差押えに基づく公売がなされるおそれがあることを認識していたものと認められる。

 

なお、右滞納税額は、国税通則法六三条五項の延滞税の免除規定を適用せずに算定した額であるが、同項は任意規定である上、証拠(乙七)と弁論の全趣旨によれば、万喜には、昭和四九年一一月一日、昭和四四年分の所得税完納により、延滞税金六三二万三六〇〇円が発生しているが、

 

その際、同項規定の免除はされていないことが認められることからすると、本件公正証書作成当時、万喜は、延滞税の免除が受けられると思っていなかったものと認められる。

 

    そうだとすると、万喜が、原告に対し、昭和六〇年三月一四日当時、本件不動産を贈与したとしても、本件不動産は公売され贈与が無意味となってしまう可能性があると、万喜は認識してたことになるが、そのような認識の中で、あえて万喜に本件不動産を原告に贈与したいと思わせるほどの特段の事情があったとは認められない。

 

 

  2 この点、原告は、万喜が引っ越した天白の土地建物は鐘斗に取得させる予定であったため、本件不動産は原告に贈与することにしたと、子供それぞれに自己の財産を分与させることを動機として主張しているが、

 

仮に、万喜が右事情により本件不動産を原告に贈与しようと思ったとしても、家族に万喜の意思を明らかにする必要があっただけであるから、

 

贈与の予約をすれば十分であり、贈与するというのであれば、少なくとも公売のおそれがなくなった時点で、本件不動産を贈与する方が自然であり、あえて公売の危険性のある時期に万喜が原告に本件不動産を贈与したいと思わせるほどの特段の事情であったとは認められない。

 

 

  3 また、原告は、本件公正証書作成当時本件不動産を原告に贈与した動機として、原告に縁談があったと主張し、万喜も、縁談がまとまるようにするため本件不動産を原告に贈与したと供述しているが、

 

原告自身は、縁談や結婚の際に、自分が本件不動産を所有していることを言ったことはないと供述していることからすると、万喜の右供述を信用することはできず、原告の右主張を認めることはできない。

 

  4 なお、証拠(甲一二、原告本人)によれば、万喜は、原告が歯科医師の国家試験に受かった昭和五九年当時から、原告に対し、本邦に帰化するように積極的に勧めており、万喜は、不動産を所有していた方が帰化の許可が早く下りるという世間の話を聞いて、親として原告に何とか不動産を所有させたいと考えていたことが認められる。

 

    しかしながら、証拠(乙一一、原告本人)によれば、原告が、帰化の許可を受けるために申請手続をとり始めたのは本件登記手続きがなされたところであり、帰化が許可されたのは平成六年三月二八日であるとみとめられるから、帰化のために昭和六〇年三月一四日に贈与がなされたものとは認められない。

 

  5 以上のとおり、万喜が原告に対し、本件公正証書作成時期に本件不動産を贈与する動機は薄弱である

 

 

 四 昭和六〇年三月一四日に、原告が本件不動産の贈与を受ける動機があるかについて検討する。

   既に判示したように、原告は、本件公正証書作成当時、本件公正証書の作成目的が贈与税の負担回避にあることを知らなかったものと認められるから、本件公正証書作成当時に贈与があったとすると、原告は、右贈与により贈与税を納付する義務が生じることを認識したと認められるが、その贈与税の額は決して少額ではなく、当時兄の経営する歯科医院の勤務医をしていた原告にとって容易く納付できる金額ではなかったと思われるし(原告本人)、万喜も前訴滞納額の支払いに追われていた時期で原告を援助することができなかったと思われるのであって、納付の見通しがあったとは認め難い。

 

   しかしながら、原告が、そのような贈与税の負担をしてまで、本件公正証書作成当時に、本件不動産の贈与を受ける動機は認められない。

 

   逆に、昭和六〇年三月一四日に贈与を受けたと認識していたのであれば、前記のとおり贈与税の税額は多額であるから、その納付をどのようにするかについて万喜と相談したはずであるのに、原告と万喜でそのような話し合いがなされた形跡は認められないことからすると、原告には贈与を受けたという認識がなかったということになる。

 

   なお、原告は、当法廷において、贈与を受けた場合には贈与税が発生することを知らなかったと供述しているが、原告は歯科医師であり高等教育を受けた者であること(甲一二、原告本人)、原告は、当法廷において、不動産の所有権が移転した場合に登記することを知らなかったと明らかに不合理な供述をしていることからすると、原告の右供述を信用することはできない。

 

   以上のとおり、昭和六〇年三月一四日に、原告に、本件不動産の贈与を受ける動機は認められない。

 

 

 五 本件公正証書を作成した後に、万喜と原告が本件不動産に関してどのような行動をといっていたかについて検討する。

 

  1 既に判示したように、万喜は、本件公正証書記載の贈与日時から贈与税の徴収権が時効消滅するまでは、本件不動産の登記名義を原告に移転する意思はなく、本件不動産の登記名義をいつ移すかということは、専ら万喜の意思にかかっていたものと認められるところ、証拠(乙九)によれば、万喜は、平成四年九月一〇日、万喜が本件不動産から名古屋市天白区内に引っ越したことを理由に、本件不動産の登記の登記名義人表示変更をしていることが認められる。

 

  2 他方、既に判示したように、原告は、少なくとも本件公正証書作成時においては、本件公正証書が、贈与税負担回避のために作成されたものであるということは知らなかったものと認められるところ、本件公正証書には、原告の請求があり次第万喜は所有権移転登記をする義務があるとの記載があったにもかかわらず、証拠(原告本人)によれば、原告は、本件登記手続時まで、一度も万喜に登記の移転するよう請求すらしなかったことが認められる。なお、万喜は、当法廷において、原告が一度だけ登記を移転するよう請求したと述べているが、右供述は曖昧で信用することができない。

 

 六1 以上の事実からすると、本件公正証書は、将来原告が帰化申請する際に、本件不動産を原告に贈与しても、贈与税の負担がかからないようにするためにのみ作成されたのであって、万喜に本件公正証書の記載どおりに本件不動産を贈与する意思はなかったものと認められる。

 

他方、原告は、本件公正証書は、将来、本件不動産を原告に贈与することを明らかにした文書にすぎないという程度の認識しか有しておらず、本件公正証書作成時に本件不動産の贈与を受けたという認識は有していなかったものと認められる。

 

    よって、本件公正証書によって、万喜から原告に対する書面による贈与がなされたものとは認められない。

 

  2 そうすると、万喜が、原告に対し、本件不動産を贈与したのは、書面によらない贈与によるものということになるが、書面によらない贈与の場合にはその履行の時に贈与による財産取得があったと見るべきである。

 

そして、不動産が贈与された場合には、不動産の引渡し又は所有権移転登記がなされたときにその履行があったと解されるところ、

 

本件においては、既に判示したように、原告は本件不動産に従前から居住しており、本件証拠上、本件登記手続よりも前に、本件不動産の贈与に基づき本件不動産の引渡しを受けたというような事情は認められないから、

 

本件登記手続がなされたときをもって本件不動産の贈与に基づく履行があり、その時点で原告は、本件不動産を贈与に基づき取得したと見るべきである。

 

 七 よって、平成五年一二月一三日を本件不動産の贈与時期と認定した本件処分は適法であり、その他に本件処分が適法でないことをうかがわせる事情はないから、主文のとおり判決する。

 

 

    名古屋地方裁判所民事第九部

 

        裁判長裁判官  野田武明

           裁判官  佐藤哲治

           裁判官  安永武央