恩師でもあり恩師の恩師でもある偉大な思想家がなくなりました。
ご冥福を祈ります。
師の私塾のあと、私は師に新宿の酒場で酔った勢いでけんかを吹っかけてみました。
現代にはない精神の高揚に筆者がすこしあこがれていた、青臭い学生運動を全否定してみたのです。
無謀な若造に対し、師の目にはかつての闘争家の光が戻りました。
師の人間観には絶対的な「暴力」が根底にあると感じたのはその時です。
人類の最大の敵は「ヒト」であり、Homo sapiens、ラテン語で「賢い人間」は決して「賢くはない」との認識なのかもしれません。
そこで師は生き続ける言葉、語幹や語源の有する隠れた思想にヒトの英知を感じ取ろうとしていたはずです。
「人は必ず死ぬ。時代は必ず変わる。その避けようのない行程の中で、何かを求めて何事も得ずに死んでいく人々の膨大な思い出の数々、それが歴史を支えるのである。」(『保守の神髄』2017年)
師の諦観は死を自裁死と選び取ることにあり、「死に方は生き方」とするものである。
そして、師の言葉は「死」という「中心線」を超えて生きている、そして生き続けるのだろう。