売上原価の見積計上と虚偽申告(1)

 

 

 

【事件番号】 水戸地方裁判所判決/平成4年(わ)第700号、平成4年(わ)第751号

 

【判決日付】 平成11年5月31日

 

【掲載誌】  最高裁判所刑事判例集58巻7号813頁

 

 

について検討します。

 

 

 

 

 

       

 

 

 

主   文

 

 被告人Y1を懲役二年六月に、被告会社株式会社Y2を罰金五〇〇〇万円に、同株式会社A1を罰金五五〇〇万円にそれぞれ処する。

 

 被告人Y1に対し、この裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。

 

 訴訟費用は、被告人Y1及び被告会社株式会社Y2の連帯負担とする。

 

       

 

 

 

理   由

 

 

 

(罪となるべき事実)

 

 第一 被告会社株式会社Y2(旧Y2’株式会社、平成二年一月二日商号変更、以下、「被告会社Y2」という。)は、茨城県牛久市(以下略)に本店を置き、不動産の売買等を目的とする資本金二四〇〇万円の株式会社であり、被告人Y1(以下、「被告人」という。)は、昭和四六年ころから平成四年四月ころまで、同会社の代表取締役としてその業務全般を統括していたものであるが、被告人は、被告会社Y2の業務に関し、法人税を免れようと企て、不動産取引に関し、架空の造成費・支払手数料を計上するなどの不正な方法により所得を秘匿したうえ、

 

 一 昭和六一年一〇月一日から昭和六二年九月三〇日までの事業年度における被告会社Y2の実際所得金額が二億九一〇九万〇一七二円(別紙一の1の修正損益計算書参照)、課税土地譲渡利益金額が一億〇九八一万八〇〇〇円(別紙一の2のほ脱税額計算書参照)であったにもかかわらず、同年一一月三〇日、同県竜ヶ崎市川原代町一一八二番地の五所在の所轄竜ヶ崎税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が八四四八万四一九五円、課税土地譲渡利益金額が六七九六万六〇〇〇円で、これらに対する法人税額が四六三六万六二〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって、不正の行為により、被告会社Y2の右事業年度における正規の法人税額一億四一五一万一一〇〇円と右申告税額との差額九五一四万四九〇〇円(別紙一の2のほ脱税額計算書参照)を免れ

 

 二 昭和六二年一〇月一日から昭和六三年九月三〇日までの事業年度における被告会社Y2の実際所得金額が三億四六九五万八二九五円(別紙二の1の修正損益計算書参照)、課税土地譲渡利益金額が一億五〇八〇万四〇〇〇円(別紙二の2のほ脱税額計算書参照)であったにもかかわらず、同年一一月三〇日、前記竜ヶ崎税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が二億一〇六〇万九〇九五円、課税土地譲渡利益金額が四九七九万七〇〇〇円で、これらに対する法人税額が一億〇二一二万九二〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって、不正の行為により、被告会社Y2の右事業年度における正規の法人税額一億八八七六万四四〇〇円と右申告税額との差額八六六三万五二〇〇円(別紙二の2のほ脱税額計算書参照)を免れ

 

 三 昭和六三年一〇月一日から平成元年九月三〇日までの事業年度における被告会社Y2の実際所得金額が四億一二八一万三二二三円(別紙三の1の修正損益計算書参照)、課税土地譲渡利益金額が二億〇九四八万四〇〇〇円(別紙三の2のほ脱税額計算書参照)であったにもかかわらず、同年一一月三〇日、前記竜ヶ崎税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が二億九二五五万五一二三円で、課税土地譲渡利益金額が八七四九万八〇〇〇円で、これらに対する法人税額が一億四六四六万六八〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって、不正の行為により、被告会社Y2の右事業年度における正規の法人税額二億三三五七万一〇〇〇円と右申告税額との差額八七一〇万四二〇〇円(別紙三の2のほ脱税額計算書参照)を免れ

 

 第二 被告会社株式会社A1(以下、「被告会社A1」という。)は、同県土浦市(以下略)に本店を置き、不動産の売買及び金融等を目的とする資本金五〇〇万円の株式会社であり、被告人は、昭和五八年ころから平成四年四月ころまで、同会社の代表取締役としてその業務全般を統括していたものであるが、被告人は、被告会社A1の業務に関し、法人税を免れようと企て、受取利息の除外、不動産取引に関する架空の造成費・支払手数料の計上などの不正な方法により所得を秘匿したうえ、

 

 一 昭和六二年四月一日から昭和六三年三月三一日までの事業年度における被告会社A1の実際所得金額が七四一八万五二九七円(別紙四の1の修正損益計算書参照)、課税土地譲渡利益金額が五二四七万一〇〇〇円(別紙四の2のほ脱税額計算書参照)であったにもかかわらず、同年五月三一日、同県土浦市城北町四番一五号所在の所轄土浦税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が四一八万五二九七円、課税土地譲渡利益金額が二七三万九〇〇〇円で、これらに対する法人税額が一八九万五九〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって、不正の行為により、被告会社A1の右事業年度における正規の法人税額四〇七八万五六〇〇円と右申告税額との差額三八八八万九七〇〇円(別紙四の2のほ脱税額計算書参照)を免れ

 

 二 昭和六三年四月一日から平成元年三月三一日までの事業年度における被告会社A1の実際所得金額が二億五三三四万八七八一円(別紙五の1の修正損益計算書参照)、課税土地譲渡利益金額が二億〇八二六万六〇〇〇円(別紙五の2のほ脱税額計算書参照)であったにもかかわらず、同年六月一日、前記土浦税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が一四三四万七六五三円で、課税土地譲渡利益金額はなく、これに対する法人税額が五〇四万三三〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって、不正の行為により、被告会社A1の右事業年度における正規の法人税額一億六七九〇万三六〇〇円と右申告税額との差額一億六二八六万〇三〇〇円(別紙五の2のほ脱税額計算書参照)を免れ

 

 三 平成元年四月一日から平成二年三月三一日までの事業年度における被告会社A1の実際所得金額が六〇五六万六五二四円(別紙六の1の修正損益計算書参照)であったにもかかわらず、同年五月三〇日、前記土浦税務署において、同税務署長に対し、その所得金額が三二三四万二六二四円で、これに対する法人税額が一二〇二万四〇〇〇円である旨の虚偽の法人税確定申告書を提出し、そのまま法定納期限を徒過させ、もって、不正の行為により、被告会社A1の右事業年度における正規の法人税額二三三一万三六〇〇円と右申告税額との差額一一二八万九六〇〇円(別紙六の2のほ脱税額計算書参照)を免れ

 

たものである。

 

 

 

(証拠の標目)省略

 

 

 

(補足説明)

 弁護人らは、検察官は、被告会社らの各事業年度における実際総所得金額ないし課税土地譲渡利益金額に関し、収益の実現とみるべきでないものについて、これを益金として計上し、あるいは費用等の損金があるのに、これを損金として計上しないで、ほ脱税額を算定したものであるから、検察官のこれらの益金ないし損金額の認定、ひいてはほ脱税額の計算には誤りがあるなどと主張するほか、架空経費として計上するなどの方法により所得を偽った事実そのものは争わないものの、これに見合う金額が損失として確定していたといった事情もあり、このような事情は、被告会社Y2ないし同A1に脱税による利益が会社に留保されていなかったことを示すものであるから、量刑に当たって考慮すべきであるなどとして、種々主張しているので、以下、主要な点について検討する。以下、括弧内の弁の番号は、証拠等関係カード中の弁護人請求証拠の番号を示す。

 

 

 

 第一 被告会社Y2関係

 一 昭和六二年九月期における雨水排水路改修工事費用一億四六六八万円について

 1 弁護人らは、茨城県牛久市刈谷町(以下略)等の土地(以下、「刈谷東物件」という。)の宅地造成区域外の、雨水排水路改修及び通学路設置のための工事負担金一億四六六八万円は、当時の牛久町の行政指導により、刈谷東物件の宅地造成に伴う公共施設の整備負担金として、被告会社Y2が負担することを承諾した債務であるから、昭和六二年九月期に売り上げられた右物件の原価と認めるべきである旨主張する。

 2 まず、被告人(第八、第九、第二〇及び第二一回公判)並びに証人B1(第三及び第四回公判)、同C1(第五回公判)、同D1(第六回公判)、同E1(第七回公判)、同F1(第三三回公判)の公判調書中の各供述部分、被告人(乙六ないし八)、F1(甲八)、G1(甲二五)、E1(甲二六)、H1(甲二七)の検察官に対する各供述調書、住宅地図(写)(弁三)、公図(写)(弁一三)、写真二葉(写)(弁一四)、刈谷東法面部平面図(写)(弁四五)、株式会社I1ほか一名作成の土地売買契約書(写)二通(弁一、二)、稲荷川土地改良区ほか一名作成の土地売買契約書(写)(弁一二)、J1株式会社ほか作成の不動産売買契約証書二通(写)(弁一五)、茨城県稲敷郡牛久町作成の「牛久町公共下水道基本計画(常南流域下水道関連)計画説明書」と題する書面の一部(写)(弁一六)、牛久市長作成の「昭和六三年度牛久市一般会計予算」と題する書面の一部(写)(弁一八)、牛久市長作成の「昭和六三年度牛久市一般会計補正予算(第四号)」と題する書面の一部(写)(弁一九)、茨城県稲敷郡牛久町作成の牛久町都市計画法開発行為公共施設基準(写)(弁三四)、牛久市作成の牛久市開発行為指導要綱(写)(弁三五)等の各証拠によれば、次の事実が認められる。

 

 

 

 

 (一) 刈谷東物件の宅地造成を計画した被告会社Y2は、昭和五六年春ころから、多数の地権者からその土地の買入交渉を行うなどして、同物件の開発に着手することとなったが、当時の牛久町都市計画法開発行為公共施設基準(弁三四)によれば、雨水の排水に関し、「事業区域内外にわたり、流末排水路、河川等への排水については、町と協議するとともに宅地開発の原則第八項に基づき管理者及び利用者の同意を得ること。」、「流末下水路は周辺集水量を含め事業区域内外の排水可能地点までに事業者の負担により施行するものとする。」旨定められていた(なお、牛久市開発行為指導要綱にも、公共公益施設整備基準として同趣旨の規定がある。)。そして、牛久町では、右基準のうち、流末排水路施設については、開発区域内外を問わず整備すべきことを常に指導し、このような指導に開発業者が従わない場合、開発許可申請を茨城県知事に申達しないという取扱いをしていた。

 (二) 被告会社Y2と当時の牛久町は、右の基準に基づき、刈谷東物件の開発に関して事前協議を行い、同被告会社は、同町から、刈谷東物件内の雨水が、同物件の北端に接して流下する農業用水路(以下、「本件雨水排水路」という。)へ排水されることから、本件雨水排水路の改修工事を行うようにとの行政指導を受けた。

 (三) 前記事前協議では、直径二メートルのヒューム管で本件雨水排水路を改修し、ヒューム管を埋設した上部に通学用道路を造るという方向で協議が行われ、被告会社Y2では、右のような改修等を行った場合の採算性について検討したところ、予定している開発面積では採算がとれないことが分かったため、開発面積を当初の予定より三倍くらいに広げることにし、牛久町に対して、将来、開発面積を拡大するため、開発行為の変更許可を受けることになる旨の説明をし、その了解を得たうえで、右改修工事に応じることにした。

 (四) 被告会社Y2と牛久町は、昭和五八年四月一日付けで、協定書を作成した。その内容は、「通学路は二・五メートルとし、コンクリート舗装とする。当開発区域は、都市下水路が計画されているため、その計画に合致するよう牛久町と十分協議して被告会社Y2が施工するものとする。」というものである。そして、刈谷東物件に関する開発行為許可申請書が同日付けで牛久町で受け付けられ、これが同町を通じて茨城県知事に申達され、同年六月二三日、同県知事から右開発行為についての許可が出された。

 (五) 被告人は、昭和五六年五月一六日、本件雨水排水路の改修に備え、同排水路に沿った同排水路西側の土地を株式会社I1をして稲荷川土地改良区から購入させ、同年一〇月三日、右土地の南側にある本件雨水排水路に隣接する土地を被告会社Y2をしてK1から購入させた。また、造成工事を開始した昭和五八年九月ころから、将来の工事の際、重機の搬入ができるように、本件雨水排水路周辺の軟弱地盤改良工事を行い、その後、昭和六二年秋までの間に、同排水路の浚渫を行った。

 (六) 被告会社Y2は、刈谷東物件の開発面積を拡大する変更許可申請を牛久市に提出するとともに、両者間で、牛久市開発指導要綱中の公共公益施設整備基準に基づく事前協議が行われ、昭和六〇年三月七日付けで「通学路は幅員二・五メートルとし、コンクリート舗装の斜路付き階段とする。なお、当開発区域は都市下水路が計画されているため、その計画に合致するよう牛久市と十分協議し被告会社Y2が施工するものとする。」旨の協定書を取り交わした。そして、被告会社Y2から出された刈谷東物件に関する開発行為変更許可申請書は、牛久市から茨城県知事へ申達され、同月二七日、右開発行為の変更が許可された。被告会社Y2による刈谷東物件の造成工事は、昭和六一年三月一九日に完成し、同年七月三日、茨城県知事から右工事について検査済証が交付された。

 (七) 被告会社Y2では、昭和六二年五月ころ、同物件をL1株式会社に売却できる見込みとなったことから、被告人からの申出で、当時の担当者であった牛久市下水道課長E1(以下、「E1」という。)らとの間で、本件雨水排水路の改修工事に関する具体的な内容についての協議が行われた。その際、同人からは、牛久駅西側の再開発が進んで本件雨水排水路に流入する雨水の量が増加したこと、付近の耕作者から本件雨水排水路を開渠にしてほしい旨の要望があったこと、牛久市が策定した公共下水道計画でも開渠によるとされていることを理由に、これまでの協議で予定されていた改修工事の内容を変更して、水路幅四メートルの開渠によって施工し、水路上に設置される予定のメンテナンス道路兼通学路については右開渠の横に設置するようにとの指導を受けた。これに対し、被告人は、開渠による工法は、直径二メートルのヒューム管による工法に比して約三倍の工費がかかることから、全額の負担はできない旨申し入れたところ、E1としても、これまでの経緯や公共施設の整備を全部開発業者に負担させることが地価の高騰を招き好ましくないという建設省の指導を受け自治体も一定の負担をする方向に変わってきていたことから、被告人による右申出を受け入れるのもやむを得ないと考えた。そして、同年八月ころ、結局、被告会社Y2が、ヒューム管による工事に要する費用の範囲内で開渠による工事を行って、その部分を牛久市に引き渡し、牛久市が、その残部の工事を公共工事として行うという話になった。

 (八) そこで、被告会社Y2は、昭和六二年九月ころ、株式会社M1に対して、ヒューム管による工事の見積りをさせたところ、同建設による見積額は、一億四六六八万円であった。その際に作成された書面としては、右M1作成の見積書のほかには存せず、また、そのころ、同会社との間で契約書等の書面が作成されたこともなく、さらに、右工事の具体的内容、施工の時期と方法等を示す設計図、仕様書等の書面も作成されなかった。ところが、同年一〇月ころ、E1は、牛久市財政課から、本来、市が施工すべき公共下水道について、開発業者が施工することは、監督、検査が十分に行えないなどの問題がある旨指摘されたため、再度被告人と交渉し、その結果、本件雨水排水路工事の全区間を牛久市が公共工事として発注・施工し、被告会社Y2が、その工事費のうち、同被告会社が本来工事を行うこととされていた部分の工事代金を負担するということになり、その金額は前記見積額の一億四六六八万円とされた。

 (九) 牛久市は、昭和六三年度から三年計画で本件雨水排水路の工事を実施することとし、被告会社Y2に対して、初年度及び次年度に各五〇〇〇万円を、最終年度に四六六八万円を負担させることにした。そして、昭和六三年度一般会計予算において、歳出の部に都市下水路費として初年度工費八〇〇〇万円を、歳入の部に被告会社Y2による都市下水路(刈谷川)整備負担分として五〇〇〇万円をそれぞれ計上し、右予算案が市議会において議決成立した。しかし、右予算成立後も被告会社Y2と牛久市との間において、本件雨水排水路改修工事に関する両当事者の権利義務関係を明確にする協定書その他の書面は作成されなかった。

 (一〇) その後、牛久市は、本件雨水排水路の下流に同市が計画していたポンプ場の建設について、住民からの反対運動が起こったことから、本件雨水排水路の工事についても同様の運動が起こることが懸念されたため、同工事を当分の間見合わせることとし、平成元年三月補正予算において、いったん予算に計上された右の歳出及び歳入部分が削られた。その後、牛久市は、本件雨水排水路の工事を開始することはなくそのまま放置し、また、そのことについて被告会社Y2との間で協議を持つこともなく、同被告会社が負担することになった前記工事代金についても放置されたままで、その金額を同被告会社に請求したような状況もない。

 

 

 

 

 

 3 以上の事実関係をもとに、検討すると、確かに、前記のとおり、茨城県知事に対する土地開発の許可申請は、開発業者と牛久町との事前協議を経て、同町を通じて同県知事は申達される運用がなされており、被告会社Y2と牛久町との間の事前協議が整わなければ、刈谷東物件についての開発許可申請の申達がなされることはないと考えられていたこと、右開発許可申請に際してなされた事前協議では、牛久町から、同物件の流末排水路にあたる本件雨水排水路を被告会社Y2がその負担において改修するようにとの指導が行われ、被告会社Y2もこれに応じることにしていたことが認められる。そして、右開発許可申請の際には、本件雨水排水路の改修は直径二メートルのヒューム管を埋設する方法で行うことについても被告会社Y2及び牛久町の間において一応の了解ができ、また、昭和六二年五月ころから、本件雨水排水路改修工事について、その工事の時期、方法等について被告会社Y2と牛久市との間で協議がなされたことも否定できない。

 

 

以上のような事情に徴すると、被告会社Y2は、少なくとも昭和六二年九月期において、牛久町に対して、本件雨水排水路改修工事を行うべき法的義務を負担するに至ったとする弁護人らの主張もあながち理解できなくはない。

 

 しかし、以下に述べるような事情を総合すれば、昭和六二年九月期において、被告会社Y2が牛久町に対し、本件雨水排水路改修工事に関する法的義務を負ったものとは認め難いといわなければならない。

 

 

 (一) 前記のとおり、被告会社Y2が前記M1に行わせることを予定した本件雨水排水路改修工事は、昭和六二年九月期において、何ら具体的な内容を伴ったものでないことは明らかであり、同期において、被告会社Y2と同建設との間で、右工事に関する契約が成立していたとは認められず、また、牛久市との関係をみても、被告会社Y2の負担する工事内容について担当者との間で折衝が行われていたに過ぎず、いまだ、牛久市内部における調整等がなされていなかったことは、その内容が同市財政課から問題点を指摘されて変更されていること、牛久市が実施する本件雨水排水路改修工事のための予算が計上されたのは、昭和六三年度の一般会計予算においてであり、昭和六二年九月期末においては、右工事に対する予算措置は全く講じられていなかったこと等からみても明らかである。

 (二) 前記認定のとおり、被告会社Y2は、昭和六一年七月三日、茨城県知事から本件宅地造成工事につき検査済証の交付を受けているところ、遅くとも前記牛久市との協定書が交わされた時点において、本件雨水排水路改修工事が牛久市に対する法的義務として成立していたというのであれば、開発行為者が負担すべき義務については、その開発行為が完了し、その検査済証の交付を受ける段階に至っても、全く本件雨水排水路改修工事の着手がなされていないというのは不自然といわなければならない。被告会社Y2が右工事の義務を負っていたというのであれば、前記牛久市との協定書が交わされた時から昭和六二年九月期までの約二年六か月間、牛久市側から、被告会社Y2に対し、右工事の施工を求めるなどの手だてを講じるはずであるのに、そのようなことはなく、かえって、工事内容の変更についての指導がなされるなどして、右工事が施工されないままに終わったことが明らかである。また、被告会社Y2においても、前記のとおり、県の検査済証の交付を申請する段階になっても右工事を履行せず、あるいは右工事のための具体的計画の策定等をしていないのは、被告会社Y2において、同期においてこれを義務として考えていなかったことを示すものである。弁護人らは、水田耕作者からヒューム管による工事に対して異議が出ていたことから工事できなかったと主張するが、右工事が義務であれば、検査済証の交付を受けられないと危惧するのも当然と考えられるのであるから、この点について関係機関に確認するか、右工事の方法について、牛久町ないし牛久市と協議して義務内容を変更するなど、義務の履行に支障が生じないような手だてを講じるはずであり、右の異議の点は前記認定を左右するものではない。さらに、右工事が被告会社Y2の義務であれば、その履行に要する費用は土地取得原価に含まれ、それらを基礎として売却金額を算出したうえで、売買契約の交渉に当たるとも考えられるのに、前記認定のとおり、刈谷東物件の売却後の昭和六二年九月に至って本件工事の見積りが行われているのも不合理であるといわざるを得ない。以上のように、被告会社Y2や牛久町ないし牛久市の対応等に照らせば、被告会社Y2が本件雨水排永路改修工事を行うことにつき、両者の間で一応の了解はできていたものの、その時期、方法等についてなお未確定な部分があり、さらに協議をしたうえでなければ、実際には履行し得ない状態にあったことが明らかである。

 (三) 前記のとおり、牛久町ないし牛久市との間の事前協議においては、本件雨水排水路の改修方法等の具体的内容について、一応の了解はあったものの、同町ないし同市との間の各協定書にはその旨が明記されていないのであるから、かかる協定書の存在から、同工事を被告会社Y2が同町ないし同市に対して法的義務として負っていたものと推認することはできないばかりか、この点は、逆にかかる工事がいまだ明確に義務としてまで成立していないことを示すものというべきである。なお、弁護人らは、牛久町との前記協定書が作成された時点において、既に当時の牛久町と被告会社Y2との間で、本件雨水排水路工事に関し、権利義務関係が確定していたと主張するようでもあるが、同協定書が作成されて間もなくのころ、改修工事の説明会において水田耕作者から開渠の必要性が明らかにされたにもかかわらず、昭和六二年五月ころまで、この点についてはそのまま放置され、牛久町においてこの点についての対策を検討した形跡もなければ、被告会社Y2との間で、本件雨水排水路改修工事の方法について、協議を行ったような形跡も全くないのであり、これらの事情に徴すれば、右の時点で同工事が被告会社Y2の義務として確定していたとは到底認められない。

 (四) さらに、前記のとおり、本件雨水排水路改修工事に関して、昭和六二年八月ころ、被告会社Y2が、ヒューム管による工事に要する費用の範囲内で開渠による工事を行って、その部分を牛久市に引き渡し、同市が、その残部の工事を公共工事として行うという話になったが、その後、同市財政課において、右のような施工方法は好ましくないとしてE1に是正するよう求め、これに従って、E1は再度被告人と協議し、同年一〇月、両者間で、全区間同市が公共工事として施工し、被告会社Y2がその工費のうち、ヒューム管による工事によって施工した場合の工費分相当額として前記見積額一億四六六八万円を負担することに変更されたことが認められるが、被告会社Y2と同市との間では、同年一〇月の協議結果について協定書等の書面さえ交わされた事実はないばかりか、それまでに本件雨水排水路改修工事の内容が変転していること等からみれば、被告会社Y2においても、同市においても、同年一〇月になされた協議内容どおりの方法による工事を最終的に確定したものと認識していたとは認められない。このことは、同年一〇月以降の牛久市の本件雨水排水路改修工事に対する態度に照らしても明らかである。すなわち、牛久市は、被告会社Y2が負担金を支払うことを前提とする本件雨水排水路改修工事の予算を昭和六三年三月成立させた後においても、被告会社Y2との間で協定書等を作成して権利義務関係を明確に確定させようとはせず、また、平成元年三月には、牛久市の一方的な判断で、被告会社Y2の負担金及び本件雨水排水路改修工事の予算を撤回する補正予算を成立させており、また、これに対しては、被告会社Y2においても何ら問題にしていないのであり、これらの経過は、いずれも、被告会社Y2と牛久市との間に同工事に関して権利義務関係が成立していなかったことを示すものというべきである。

 (五) 結局、牛久市が被告会社Y2に対して行った前記のとおりの事前協議やその後の指導、話合い等は、自治体の持つ許認可権を背景とした行政指導と認められるのであって、被告会社Y2が行政指導に応じることにしたとしても、そのことから直ちにこれに従うことが義務づけられる性質のものではなく、また、その具体的状況に応じて迅速的確に対応するため、その時々においてその指導内容が変わることもありうるものであり、同市と被告会社Y2との間において、本件雨水排水路工事が最終的に権利義務として確定するためには、その内容が具体性を持って確定し、これを双方において明確に確認したことを示す状況がなければならないというべきである。しかし、前記のとおり、本件雨水排水路の改修については、牛久町ないし牛久市からの指導内容が変遷し、結局、牛久市の行政上の事情の変化から、工事が中止され、その後は、右工事が中止されたことについて、牛久市から被告会社Y2に対して何らの話もなく、そのまま放置されているのであり、このような状況から見れば、牛久市における被告会社Y2に対する右工事についての要請はいまだ行政指導の域を出ていなかったことを示すものといわざるをえない。

 

 

 以上のような事情を総合すれば、被告会社Y2が施工することとなった本件雨水排水路改修工事は、昭和六二年九月期末において、被告会社Y2の牛久市に対する法的義務として成立していたと認めることはできない。

 

 

 

 4 これに対し、弁護人らは、右のような義務内容の明確性の問題は、原価に関する金額の適正な見積りの問題であると主張している。

 

 

確かに、一般的には、権利義務の具体的内容について必ずしも一義的に確定しないまま契約を締結して権利義務関係を発生させ、その義務の内容については、その後に適宜当事者の合理的な意思解釈を通じて具体化していく場合も考えられなくはない。そして、法人税法上、かかる場合には、当事者の合理的な意思解釈を通じて確定し、合理的に見積もりうる限り、いまだ支払われていないものを費用として認める取扱いをすべて排斥しているわけではない(売上原価等が確定していない場合の見積りに関する法人税基本通達2-2-1参照)。

 

 

しかし、前記通達も、法的義務の成立を前提としているところ、本件においては、前記のとおり、本件雨水排水路改修工事につき、いまだ被告会社Y2が牛久市に法的義務として負うに至っているとは認められないのであるから、弁護人らの主張はその前提において失当というほかない。

 

 

 5 以上のとおりであるから、弁護人らが主張する本件雨水排水路改修工事にかかる費用は、これを同物件の売上原価として、昭和六二年九月期における損金と認めることはできず、弁護人らの主張は理由がない。

 

 

 

 

 

 二 昭和六二年九月期におけるN1との千代田村産業廃棄物処理場共同事業に関する損失について

 

 1 弁護人らは、「被告会社Y2が、十王町高原の物件と船橋市二和の物件の費用として、N1(以下、「N1」という。)名義の架空経費を計上した事実は認めながら、「被告会社Y2は、昭和六〇年ころから、N1とともに、茨城県新治郡千代田村地内において、産業廃棄物処理事業(以下、「本件産廃共同事業」という。)を行うため、N1と共同で産業廃棄物処理場用地の賃借権を取得し、同処理場設置について県知事の許可を得るため、地元との交渉等を行い、右賃借した土地についてO1によって仮囲いや整地等の工事をさせるなどし、そのための資金として被告会社Y2が四九八一万円を負担した。しかし、昭和六一年一〇月ころ、県から本件産廃共同事業の許可申請取下げの勧告を受けてこれを取り下げたため、同事業は確定的に失敗したところ、右事業の損失については、実質的に被告会社Y2が負担することになっていたのであるから、右事業遂行のため、N1に対して支払った前渡金は、損失として確定したというべきである。また、賃借地については、整地工事等により固定資産である事業用地の設備を取得したものの、右決算期中に仮囲い等の設備を撤去して地主に返還したものであるから、固定資産の滅失として損失に当たる。」旨主張している。

 

 2 そこで、検討すると、まず、第一一、第二一及び第二七回公判調書中の被告人の各供述部分、被告人(乙一一ないし一四)及びF1(甲九)の検察官に対する各供述調書等の証拠によれば、次の事実が認められる。

 (一) 昭和六〇年ころ、被告人は、N1から、茨城県新治郡千代田村地内において、開業資金を被告会社Y2が出資するということで、本件産廃共同事業の話を持ちかけられたため、昭和六〇年九月七日、被告会社Y2において、事業用地の賃貸借契約が成立した場合には賃借料にあて、成立しないときは貸付金とすることを条件に、N1に対して前渡金として一〇〇〇万円を交付するとともに、同年九月二八日、同人との間で、地主に支払うべき賃料三六〇〇万円を被告会社Y2において負担することで合意に達し、右賃料のうち、一八〇〇万円は契約締結時に、残金一八〇〇万円は県知事の許可後三〇日以内に支払うことになった。

 

 (二) 昭和六〇年一〇月一七日、事業用地について、被告会社Y2及びN1は、共同して賃借人となり、地主三名との間で、「賃借期間を四年、四年間の賃料総額三六〇〇万円、契約成立と同時にそのうちの一八〇〇万円を支払い、残金を事業に対する茨城県知事の許可後三〇日以内に支払う。右許可を得ることができなかった場合には、支払済み賃料は全額返還する。」旨の賃貸借契約を締結した。右地主三名に対する賃料のうち、前記前払された一〇〇〇万円を除く残金八〇〇万円は、同年一〇月一六日、被告会社Y2からN1に対して前渡金として交付された。そして、N1は、右一八〇〇万円のうち、一二〇〇万円を右地主三名に対して支払い、残金六〇〇万円はそのまま着服した。

 

 (三) 県知事への本件産廃共同事業の許可申請に当たって、N1が事業用地周辺住民からの同意の取付けを担当し、そのために要する費用を被告会社Y2が負担することとなり、そのため、被告会社Y2は、N1に対し、昭和六〇年一〇月二一日に九〇〇万円、同年一一月二二日に五〇〇万円、昭和六一年二月二五日に六〇万円、同年三月二一日に二一万円、同年四月一八日に二〇〇万円、同年六月三〇日に五〇〇万円を交付し、これらをいずれもN1に対する前渡金として計上した。このうち、同年四月一八日及び同年六月三〇日に交付した合計七〇〇万円については、同年九月期の法人税の申告において費用として計上した。

 

 (四) 昭和六一年一月一〇日、被告会社Y2とN1の間で本件産廃共同事業に関する合意が成立し、千代田産業廃棄物処理場共同事業協定書が作成され、同月一六日、「産業廃棄物処理施設の設置にかかる事業計画書」が茨城県に提出されて受理された。右共同事業協定書によると、①処理場の建設工事関係費用は被告会社Y2が負担すること、②建設工事業者はN1が選定すること、③被告会社Y2が負担した建設工事関係費用は、処理場売上金から分割して被告会社Y2が支払を受けること、④処理場運営の必要経費はその売上金から支払うものとし、不足金が生じた場合には被告会社Y2が立替え払いすること、⑤売上純利益は被告会社Y2が六〇パーセント、N1が四〇パーセントの割合で分配することとし、N1は被告会社Y2から支払を受けること、⑥処理場運営に要する人員は、被告会社Y2及びN1の双方から派遣すること、⑦茨城県の許可後一か月以内に、五〇〇〇万円を右事業の利益の前払金として被告会社Y2がN1に支払い、被告会社Y2は右前払金を毎月のN1に対する利益の分配金の二〇パーセントの割合による金員から回収すること、⑧その他協定書に定めのない事項は双方で協議するという内容であった。

 

 (五) 昭和六一年二月八日、被告会社Y2は、前記共同事業協定書に基づいて、N1が選定したO1株式会社(以下、「O1」という。)との間で、請負代金の総額を六五五〇万円とする産業廃棄物処理場の工事請負契約を成立させるとともに、右代金中第一期工事分として一七〇〇万円を支払い、O1が、昭和六一年九月ころまでの間に、第一期工事として、事業用地の抜開、仮囲い、堰堤工事等を行った。被告会社Y2は、右工事代金を昭和六二年九月期の期初に未成工事支出金として計上した。

 

 (六) 昭和六一年一〇月ころ、千代田村議会は、右産業廃棄物処理場建設反対の決議を行い、これを受けた茨城県は、前記事業計画書の取下げを被告会社Y2らに勧告したため、被告会社Y2らは、同年一一月ころ、これを取り下げ、結局事業は失敗に帰したため、地主らの求めに応じ、同月ころまでに、右事業用地上の仮囲い等の工作物を撤去し、同土地を地主に返還した。そして、被告人は、N1に対して、被告会社Y2が事業のために負担した金員の返還を求めたが、右負担分だけの仕事はしたなどとしてその返還に応じず、また、事業用地の地主三名に対しても、支払済みの賃料の返還を求めたがこれを拒絶された。

 

 (七) 被告人は、昭和六二年九月期末に至り、被告会社Y2のN1に対する前渡金やO1に支払った工事代金をN1から回収をすることは困難であり、また、これらの負担を損失として計上すると、社長としての自分の失策が明るみに出て、社員の志気にかかわるうえ、将来、N1からの回収が不可能であることが確定した年度に被告会社Y2の決算が赤字になれば、銀行に対する信用を落とすことにもなりかねないとして、利益の出ている当期に処理することとし、経理担当者であるF1に対し、売却によって利益の出ていた十王町高原の物件と船橋市二和の物件に、N1名義の架空経費を計上して、N1に対する前渡金の処理を行うように指示した。また、O1に支払った工事代金についても、前記のとおり期首において未成工事支出金として棚卸資産に計上していたものを、期末には未成工事支出金の勘定科目から除外した。

 

 (八) その後、被告人は、N1に対して、前記前渡金(昭和六一年九月期に費用として計上して損金処理した七〇〇万円及び地主に対して支払うべき賃料として交付した一八〇〇万円を含む。)及びO1に対して支払った前記工事代金の合計五六八一万円を被告会社Y2に返還するように請求するとともに、地主三名に対しても、支払済みの賃借料一八〇〇万円を被告会社Y2に返還するように請求した。なお、その際、地主に支払ったはずの一八〇〇万円のうち六〇〇万円についてはN1が着服していたことが判明した。

 

 (九) 昭和六三年春ころになって、主として地主三名が態度を変え、同年六月一三日、合意解除に関する覚書により、地主三名が受領した賃借料一二〇〇万円については被告会社Y2に返還することとなった。また、N1との間でも、前記前渡金合計五六八一万円のうちN1が着服した六〇〇万円及び地主らから返還を受ける一二〇〇万円を除いた分の半額である一九四〇万五〇〇〇円及び前記六〇〇万円の合計二五四〇万五〇〇〇円をN1が被告会社Y2に返還するということで話合いがなされ、その旨の準消費貸借契約書の原稿も作成されたが、結局、N1は、その準消費貸借契約書に署名しなかった。

 

 (一〇) 被告会社Y2は、前記地主三名、被告会社Y2及びN1との間で合意された、地主三名から直接被告会社Y2に返還すべき賃借料一二〇〇万円をN1が自ら取り立てていたため、同人に対して厳しくその返還を迫り、平成元年四月ころ、当時、N1が代表取締役を務めていたO1振出しの額面一二〇〇万円の約束手形を受け取ったが、その後は、N1との損失分担を断念し、N1に対して何らの請求もしていない。

 

 

 3 以上の事実関係をもとに、被告会社Y2とN1との本件産廃共同事業について見ると、両者によって合意された前記共同事業協定書によれば、開業費用は、被告会社Y2において拠出し、これを共同事業の売上金から同被告会社が分割して回収すること、運営費用は、原則として共同事業の売上金によってまかない、不足金が生じた場合には被告会社Y2において立替払をすることと定められていたことから、同被告会社が立替払をした分は、共同事業の売上金から返済されることが予定されていたと推認されること、共同事業による利益は、毎月被告会社Y2とN1とで分配する約束になっていたこと等が認められる。

 

 そうすると、本件産廃共同事業は、同事業体が主体となり、その会計処理も同事業体が主体となって、被告会社Y2の会計処理とは別個に、独立して行うことが予定されていたものと認められる。

 

この点は、被告会社Y2では、同被告会社が右共同事業のために負担した前記金額のうち、O1に支払われた一七〇〇万円及び昭和六一年九月期に費用として計上した七〇〇万円を除く三二八一万円について、N1に対する前渡金に計上しながら、その後右前渡金が賃料その他の種々の用途に使用されたにもかかわらず、これらの具体的支出に応じた勘定科目に振り替える会計処理を行っていないことからもうかがわれる。

 

したがって、被告会社Y2が本件産廃共同事業のためにした支出(前渡金)は、同事業体のための立替払ないし同事業体のための出資(資金の提供)と認められるものであるから、同事業の失敗によって直ちにこれが損金となるものでないことは明らかである。

 

 そこで、本件産廃共同事業が計画段階で中止となった場合のこれら立替払ないし出資金の取扱いについて検討すると、これらの立替払金等は、本来直ちに出資者ないし立替払をした者の負担となるものではなく、具体的な精算の定めがある場合にはこれに基づき、このような定めがない場合には、共同事業体の清算をまってその負担も最終的に確定されるものと考えられる。

 

被告会社Y2とN1との間では、共同事業の清算に関して何らかの合意がなされた事実はなく、したがって、両者の本件産廃共同事業の清算に関する合意をまってその損失も具体的に確定されることになるというべきである。

 

本件産廃共同事業は、昭和六一年一一月ころに許可申請が取り下げられ、事業の継続は不可能な状態に至ったものであるが、前記のとおり、平成元年四月に至るまでN1との間で損失分担の協議を継続していたことが認められ、しかも昭和六二年九月期末において、いまだその協議が整っていなかったことが明らかである。

 

そうすると、本件産廃共同事業のために被告会社Y2が支出した部分は、同期末においては、いまだ損失として確定していなかったというべきである。

 

 また、右損失分担に関する交渉の経過に徴すれば、N1個人にはさしたる資産がなく、仮に損失分担の協議がまとまったとしても、N1の負担部分につき、その全額を回収することができなくなる可能性が存することは否定できないが、前記のとおり、被告会社Y2では、平成元年四月ころ、N1から一二〇〇万円を回収しているのであって、そのころ、N1が前記O1を経営していたことに照らせば、なお、N1負担分の回収可能性は残されていたものと認められる。したがって、被告会社Y2の前記前渡金等は、平成元年九月期末においても、損失として確定していなかったというべきである。

 

 4 これに対し、弁護人らは、本件産廃共同事業は、労務の一部をN1が負担し、資金及び労務の大部分を被告会社Y2が負担する態様の共同事業であるから、右共同事業が失敗に帰した場合の損失は、被告会社Y2が負担すべきものであった旨主張する。しかし、資金の負担をN1が一切していないことから直ちに損失の全部を被告会社Y2が負担するということにはならないばかりか、前記認定のとおり、本件産廃共同事業についての協議からその実施のための準備の過程において、右共同事業が失敗に終わった場合の損失分担に関し、被告会社Y2がその損失の全額を負担するという合意がなされた事実は認められず、かえって、前記のとおり、同被告会社において、N1に対して再三にわたりその損失の分担に関する協議を求めているのであるから、当然に被告会社Y2が右損失を負担すべきであるとの弁護人らの主張は失当である。

 

 

 

 

 三 昭和六三年九月期及び平成元年九月期におけるP1に対する貸付金の受取利息の除外について

 1 弁護人らは、「被告会社Y2は、昭和六三年九月期に売却した茨城県牛久市牛久町富士山地内の山林の原価として株式会社P1(以下、「P1」という。)に対する架空造成費三三四七万円を、同じく茨城県龍ヶ崎市貝原塚地内の山林の原価としてP1に対する架空造成費七二五三万円をそれぞれ計上しているが、右の実態は、株式会社Q1(以下、「Q1」という。)振出しの額面一億〇六〇〇万円の約束手形を担保としたP1への貸付金九六〇〇万円であるところ、検察官は、いずれも右貸付金に関する担保手形の書き替えの際に交付された手形又は小切手の額面合計金額が貸付け元金を超過する部分を機械的に合算し、これを昭和六三年九月期における合計三〇〇〇万円及び平成元年九月期における合計二〇〇〇万円の受取利息と主張する。しかし、これらの手形等は、昭和六三年九月二二日に受領した小切手六〇〇万円を除き、一切決済されず、実際の入金が全くないのであるから、受取利息と評価しうる収益の実現がない。」旨主張する。

 

 

 2 そこで、検討すると、被告人の第一二、第二二及び第二七回公判調書中の各供述部分、被告人(乙一五ないし二〇)、F1(甲一〇ないし一二)、R1(甲三一)、S1(甲三二)、T1(甲三三)の検察官に対する各供述調書及び大蔵事務官作成の受取利息調査書(甲四〇)によれば、次の事実が認められる。

 (一) P1の代表取締役S1(以下、「S1」という。)は、昭和六三年夏ころ、Q1から、茨城県牛久市小坂地内のいわゆる地上げ依頼を受け、その資金繰りのため、被告会社Y2に対し、短期間の資金繰りのためということで約一億円の借入れの申込みをしたところ、同被告会社は、Q1振出しの約束手形を同被告会社に差し入れることを条件に承諾し、同年八月三〇日、Q1振出しの支払期日が昭和六三年九月一五日、額面が一億〇六〇〇万円の約束手形と引き替えに、九六〇〇万円を融資し、帳簿上、昭和六三年九月一日付けで、P1に対する一億〇六〇〇万円の貸付金と天引き利息一〇〇〇万円を計上した。

 (二) P1は、右約束手形の支払期日である同年九月一五日までに右貸付金を返済することができず、また、Q1も同期日までに右約束手形を決済することができなかったため、同月一六日、被告会社Y2に対し、右各約束手形のいわゆるジャンプを依頼し、前記約束手形につき、支払期日を昭和六三年九月二二日とする同額の約束手形と差し替えるとともに、Q1振出しの支払期日を同月二二日とする額面一〇〇〇万円の約束手形を被告会社Y2に交付した。

 (三) その後、P1及びQ1は、右各約束手形の支払期日である同月二二日、同被告会社に、Q1が現金四〇〇万円と額面六〇〇万円の小切手を交付するとともに、前記各約束手形の合計額である一億一六〇〇万円を券面額とする支払期日が同月二八日の約束手形と差し替えた(被告会社Y2は、右小切手については受取利息として帳簿処理したが、受領した現金四〇〇万円については帳簿に記載しなかった。)。

 (四) 同月二八日、右約束手形は、さらに同額の小切手ないし約束手形と差し替えられ、同年一〇月七日、右小切手ないし約束手形は、Q1において、利息として被告会社Y2に現金五〇〇万円を支払い、利息として四〇〇万円を上乗せした合計一億二〇〇〇万円の券面額で支払期日が同月二五日の約束手形に(なお、右現金五〇〇万円は帳簿に記載されていない。)、同月二四日、右約束手形は、利息分三〇〇万円を上乗せしたうえ、額面六三〇〇万円及び六〇〇〇万円の小切手二通に、同年一一月七日、右二通の小切手は、額面二〇〇〇万円(二通)、六三〇〇万円及び二七〇〇万円(額面合計一億三〇〇〇万円)の小切手四通に、同月二四日、右四通の小切手は、額面六五〇〇万円及び額面白地の小切手二通に(その際、P1は、被告会社Y2に対し、さらに一〇〇万円を利息として上積みして支払うことを約束した。)それぞれ差し替えられた。

 (五) Q1は、約束手形等の決済に行き詰まり、昭和六三年一二月二〇日、銀行取引停止処分を受けた。

 

 

 

 3 以上の事実によれば、被告会社Y2が貸し付けた元本額は一億〇六〇〇万円であり、右貸付けの際天引きされた一〇〇〇万円は利息と認められ、その後、右貸付金を返済期日までに返済できなかったため、約束手形等を差し替えることで、その支払期日を延期し、その際、一部現金や小切手等で右貸付金に対する利息が支払われたほか、現金ないし小切手等で支払われなかった支払利息分については、これに元金を加えた券面額で約束手形等に差し替えられたことが明らかである。

 

そうすると、前記利息の天引き分の一〇〇〇万円、昭和六三年九月一六日に約束手形差し替えの際、交付された額面一〇〇〇万円の約束手形、同月二二日にQ1から交付された現金四〇〇万円と額面六〇〇万円の小切手、以上合計三〇〇〇万円については、昭和六三年九月期における受取利息と認めるのが相当であり、また、昭和六三年一〇月七日Q1から支払われた現金五〇〇万円及び約束手形に差し替えられた際の上乗せ分四〇〇万円、同月二四日の小切手二通と差し替えられた際の上乗せ分三〇〇万円、同年一一月七日の小切手四通の額面額合計と差し替え前の額面額との差額七〇〇万円及び同月二四日に右小切手四通を額面額六五〇〇万円及び額面額白地の小切手二通に差し替えられた際に支払を約束された一〇〇万円の合計二〇〇〇万円については、平成元年九月期の受取利息と認められ、特段の事情がない以上、それぞれの期において収益として実現されたものというべきである。

 

 

 4 弁護人らは、これらの約束手形や小切手がいまだ決済されておらず、入金もないことから、収益として実現しているとは認められないと主張しているが、前記認定のとおり、被告会社Y2は、昭和六三年九月期である同月二二日には、利息として現金四〇〇万円及び小切手六〇〇万円を、同年一〇月七日には、同様の趣旨で現金五〇〇万円をそれぞれ受領していることが明らかであるばかりか、P1について、昭和六三年九月期及び平成元年九月期を通じて、法的な整理手続が開始された事実はなく、むしろ、被告会社Y2は、本件貸付けの前後を通じてP1と活発に取引を継続しており(例えば、P1がU1名義で買い入れた牛久市中根町字一里塚地内の物件(以下、「牛久市一里塚物件」という。)や龍ヶ崎市長山前地内の物件(以下、「龍ヶ崎市長山前物件」という。)についての取引参照)、その過程で、被告会社Y2において、P1に対し、金銭債務を負担しており、これらの金銭債務は、P1に対する貸付金の元本や利息と相殺することが可能であったと認められるのに、相殺することなくこれらの金銭債務をP1に対して履行していること等の事情に徴すれば、右各期において、前記貸付金について受取利息の回収が不可能な状態にあるなどの特段の事情が存するということはできない。

 

 

 

 

 

 四 平成元年九月期の厚生費の額について

 1 弁護人らは、被告会社Y2が、昭和六三年一〇月一一日、被告会社Y2の社員に対する同社の創立二〇周年記念品代(以下、「記念品代」という。)として支払ったのは総額四〇二万円であるから、その全額を厚生費として認容すべきである旨主張する。

 2 しかし、第二七回公判調書中の被告人の供述部分、第三三回公判調書中の証人F1の供述部分、被告人(乙二一)、F1(甲一三)及びS1(甲三四)の検察官に対する各供述調書等の証拠によれば、被告会社Y2は、昭和六三年九月から一〇月にかけて、同社の二〇周年記念に同社社員に対して記念品としてネックレス等の貴金属を配布することを計画し、これらの物品をW1宝飾に対して注文し、直接被告人方に納品させ、これらの記念品を、被告会社Y2の社員に配布したこと、同月一一日、被告会社Y2は、W1宝飾に対して記念品代二八八万円を小切手で支払ったが、右金額は、牛久市城中字梶久保地内の土地をめぐるP1と被告会社Y2との紛争の解決金として簿外で一〇〇〇万円を支払った際、被告人において、P1とは別にS1が経営していた株式会社V1名義の領収証を複数枚発行させ、これを利用して前記V1に対し造成工事代金を支払ったかのように仮装して処理したことが認められる。

 この点に関し、被告人は、W1宝飾の在庫が不足していたため、前記二八八万円分の貴金属のほか、W1宝飾の従業員に、その不足分の取り寄せを依頼し、同人の要請に従って、昭和六三年九月二二日ころ、被告人が経理担当者に指示して一一四万円を出金させ、右W1宝飾の従業員に対して交付したもので、記念品代合計四〇二万円は、前記牛久市牛久町富士山所在の山林について、前記V1に対する一四〇二万円の架空造成費として処理したなどと供述しているが、前記二八八万円の支払の事実以外に記念品代が必要であったこと、被告人主張の記念品が実際に配布されたことをうかがわせる証拠がなく、右供述は信用することはできない。

 したがって、前記二八八万円を超える一一四万円について、記念品代として支払った事実は認められないから、弁護人らの主張は失当である。

 

 

 

 

 五 平成元年九月期の株式会社Z1に対する架空許可費用について

 

 1 弁護人らは、茨城県龍ヶ崎市若柴町字馬場台地内の土地に関し、株式会社Z1(以下、「Z1」という。)に対する農地転用許可手続の費用として計上された三〇〇〇万円が架空の費用であることは認めたうえ、被告会社Y2において、平成元年七月末ころ、A2の紹介により、Z1に対し、茨城県北相馬郡守谷町大山新田地内の物件(以下、「守谷町大山新田物件」という。)の農地転用許可申請手続等のために、前渡金として、A2を通じて三〇〇〇万円を支払ったが、Z1の代表取締役B2(以下、「B2」という。)が同金額を受領して間もなくの同年八月ころ夜逃げしてしまっているのであるから、同金額を同人から詐取されたことが明らかであり、したがって、右金額は、詐欺被害による損失として、平成元年九月期において、損金処理をすることができる旨主張している。

 

 2 そこで、検討すると、第一〇、第二一、第二六回公判調書中の被告人の各供述部分、被告人(乙二二、二三)、F1(甲一四、一五)及びC2(甲三六)の検察官に対する各供述調書によれば、次の事実が認められる。

 (一) 被告会社Y2は、平成元年四月ころ、A2と共同で、守谷町大山新田物件の宅地開発事業を行うことになったが、右物件は、市街化調整区域で、農地も多く、既存宅地確認や農地転用許可のための手続や開発行為許可申請手続が必要であったことから、A2に対し、これらの事務を行う業者の紹介を依頼し、A2からは、以前から同社と取引があり、これらの手続を専門に行っていたZ1を紹介され、同社に、農地転用や開発行為に伴う許認可手続等を委託することにし、同年七月三一日、その費用としてZ1に支払うべき三〇〇〇万円をA2に預けた。Z1は、翌八月一日、依頼者を有限会社A2、引受者をZ1とする依頼引受契約書を作成して右各手続の事務を引き受け、A2から右三〇〇〇万円を受領した。

 (二) A2は、昭和六三年一一月、被告会社Y2から牛久市一里塚物件を購入し、平成元年一月に、パチンコ店の営業許可を取ることを条件にこれをD2に売却したが、右契約履行のため、パチンコ店の許可取得の事務をZ1に依頼した。また、A2の代表取締役であるC2(以下、「C2」と言う。)が代表取締役を務める株式会社E2(以下、「E2」という。)は、平成元年一一月ころ、被告会社Y2から龍ヶ崎市長山前物件を購入し、Z1にパチンコ店の営業許可取得の事務を依頼した。牛久市一里塚物件及び龍ヶ崎市長山前物件について、パチンコ店の営業許可を取ることは、もともと被告会社Y2において、右各物件を取得した当時からその予定にしていたところであったが、A2やE2が買い受けた際、買主である両社においてその手続をすることになった。

 (三) しかし、Z1は、被告会社Y2から引き受けた既存宅地確認や農地転用許可等を一切とれないまま、平成二年二月ころB2が所在不明になって、事実上倒産した。そのため、A2は、牛久市一里塚物件についてパチンコ店の営業許可を取ることができず、契約条件を果たせなかったため、平成二年ころ、D2からこれを買い戻し、また、E2は、龍ヶ崎市長山前物件についてパチンコ店の営業許可が取れなかったため転売できずに在庫として抱えることになった。

 (四) 被告会社Y2は、B2が所在不明になったことを知り、右許可等がとれず、三〇〇〇万円の返還も受けられない責任はA2にあるとしてA2に返済を求め、A2は、やむなく、守谷町大山新田物件の開発行為により売却ができたときに、その利益の中から返済すると約束し、平成三年四月ころ、その担保として三〇〇〇万円の小切手を振り出して被告会社Y2に差し入れた。

 

 

 3 以上の事実によれば、Z1は、引き受けた業務について、何らの成果も上げないまま、同社の代表取締役であるB2が所在不明になったことは明らかであるが、そもそもその時期が三〇〇〇万円の受領後間もなくの平成元年八月ころではなく、平成二年二月ころであったと認められるうえ、同社は前記のような業務を行ってきたものであり、本件においても、A2との間で契約書面を締結するなどの手続を経て三〇〇〇万円を受領しているのであり、しかも平成元年八月以降も、約半年間、パチンコ店の営業許可等の取得の業務をA2等から受託し、営業活動をしていた事実を認めることができるのであるから、B2において、前記三〇〇〇万円を受領するに当たって、委託された手続を行う意思もその能力もなかったなどとは到底認められない。したがって、Z1によって三〇〇〇万円をだまし取られたことを前提とする弁護人らの主張はその前提において失当である。

 

 もっとも、被告人は、B2が所在不明となった時期に関し、三〇〇〇万円の受領後間もなくの平成元年八月ころ(公判廷での供述)とか、何か月もしないうちに所在不明になった(同人の検察官に対する供述調書(乙二三))などと供述し、また、F1もZ1の代表者がいなくなったことからA2との間で話合いをしたのは、平成元年九月ころではなかったかと思う(検察官に対する供述調書(甲一四))などと供述している。しかし、C2は、B2が所在不明になった時期が平成二年二月ころと供述し(検察官に対する供述調書(甲三六))、この供述は、C2において、前記2(二)のとおり、かねてZ1に対して、同種の手続等の依頼をしていた経過があり、B2が所在不明になった点に関し、一連の経過に即して具体的に供述していることなどに徴してその信用性には疑いの余地がなく、被告人らの右供述は、C2供述と対比しても、また、被告人及びF1らが検察官に対する各供述調書においては、いずれも、B2が所在不明になった時期について、明確に供述していないこと等に照らしてもそのまま信用することはできない。

 

 

 

 六 平成元年九月期の有限会社F2に対する架空仲介料について

 1 弁護人らは、被告会社Y2が、前記馬場台物件に関し、有限会社F2(以下、「F2」という。)に対する仲介手数料として計上した三〇〇〇万円は、同物件の費用としては架空であることを認めたうえ、右三〇〇〇万円の実態は、平成元年三月八日に同被告会社がF2に貸し付けた地主に対する手付け資金であるが、同農産の代表取締役のG2(以下、「G2」という。)は、地主に対して手付けを支払う意思はなく、また、これを同被告会社に返済する能力もなかったのであるから、詐欺被害にあったものであり、したがって、平成元年九月期において、右三〇〇〇万円は損失として確定していたものである旨主張する。

 

 

 2 そこで、検討すると、第一〇、第二一及び第二六回公判調書中の被告人の各供述部分、被告人(乙二二、二五)、F1(甲一六、一七)の検察官に対する各供述調書、売買契約書(写)(弁二四の一ないし一二)、F2ほか作成の不動産売買契約書(弁三三)によれば、次の事実が認められる。

 

 

 (一) 被告人は、平成元年二月二七日ころ、F2の代表取締役であるG2から、同農産が購入しようとしている茨城県つくば市大字鍋沼新田地内の複数の土地(以下、「鍋沼新田物件」という。)の買入資金として、二億円の融資を依頼されてこれを断ったところ、G2から被告会社Y2においてこの物件を買い入れるように頼まれたため、農業生産法人の登録を受けていれば、農地の売買が自由に行え、農地転用も容易である旨を司法書士を通じて確認し、G2が真実、農業生産法人の登録を受けているかを同人に確かめたうえ、右融資に応じることにして、同日、地主とF2との右土地に関する売買契約書を預かったうえ、同農産名義の預金口座に二億円を振り込み、同年三月八日、売買代金を二億四一一三万七五〇〇円とする同年二月二七日付けの右売買契約書を作成した。

 (二) 被告人は、同年三月二日、G2から新たに土地買入資金の借入れ申込みを受け、右土地についての地主とF2との売買契約書を速やかに持参すること、右土地を買い入れた際には、右土地を被告会社Y2が買い受け、右貸付金を右売買代金の一部に充当することを同人に約束させて、被告会社Y2からF2の預金口座に三〇〇〇万円を振り込んだ。

 (三) 被告人は、G2が(二)の売買契約書を渡さなかったことから、事実関係の調査をしたところ、同年四月一〇日ころになって、F2側から、土地買入のために手付金を右貸付金から支払ったとする売買契約書一二通が被告人に渡された。被告人は、これらはいずれも筆跡が同じで、印影もすべて三文判であったことなどから、不審を抱き、右の売主らに確認したところ、いずれも手付金を受領していなかったばかりか、契約さえ交わした事実がないことが判明したことから、G2にこの点を問いただしたところ、同人は、これらの契約書が偽造であることは認めなかった。

 (四) 平成元年五月ころ、鍋沼新田物件を売主からF2へ所有権を移転させるためには、G2の説明と相違して、農業委員会の許可が必要であることが判明し、また、鍋沼新田物件の一部については、地主との契約さえ成立していないことが判明した。

 (五) そのため、被告人は、G2のこれらの行為を詐欺であるとして同人を追及したところ、同人は、鍋沼新田物件のうち、既に地主とF2との売買契約が成立している分については、F2において条件付所有権移転仮登記を行い、さらにこれを被告会社Y2に移転する付記登記をすることと、G2がF2の代表取締役を辞任し、被告人側から代表取締役を派遣することに同意した。そこで、被告人は、被告会社A1の社員H2をF2の代表取締役に就任させるとともに、F2に条件付所有権移転仮登記をさせたうえ、被告会社Y2が右仮登記について条件付所有権移転の付記登記を行った。

 (六) G2は、そのころ所在不明となったが、平成二年四月一六日、改めて、F2の代表取締役となり、同年五月二九日、水戸地方裁判所土浦支部に被告会社Y2の右付記登記について処分禁止の仮処分申請をした。なお、F2には、以上のほか、めぼしい資産は見当たらなかった。

 

 3 以上の事実によれば、確かに、弁護人らが主張するように、前記三〇〇〇万円の貸付金は、F2のG2において、被告人に対し、事実関係と異なる説明をして被告人から貸付けを受けたものとして、詐欺被害にあったとの可能性は否定し難いところである。しかし、右のような詐欺被害にあったからといって、これが直ちに損失と認められるものでないことはいうまでもない。そして、被告人は、鍋沼新田物件のうち、F2において地主らと売買契約を締結した分について、被告会社Y2の権利を保全すべく、前記のとおり、F2の代表取締役をG2からH2に交代させ、かつ、同農産名義の条件付所有権移転仮登記及び被告会社Y2の右条件付所有権移転の付記登記を行って、鍋沼新田物件に関する被告会社Y2の条件付所有権の権利保全措置を講じ、その後、鍋沼新田物件に関するF2の所有権移転許可申請は、農業委員会の取下げ勧告を受けて取り下げられた結果、所有権移転のための農業委員会の許可条件が不成就となり、その時点では、F2において、地主に支払った売買代金の返還を求めることが可能となり、被告会社Y2としては、右の債権を被保全権利として右代金返還請求権を仮に差し押さえるなどしてその保全を図ることが可能であったといわなければならない。以上に加え、平成元年九月期の前後を通じて、F2が取引停止処分を受けるなど倒産したと見られる事情が生じていないこと、G2は、平成二年四月、F2の代表取締役に復帰し、被告会社Y2に対して民事訴訟を提起するなどして活動を再開していること等の事情に徴すれば、平成元年九月期末当時において、右債権の実現が事実上困難な状態に立ち至っていたものとは到底認められない。

 

 

 

 第二 被告会社A1関係

 

 一 昭和六三年三月期及び平成元年三月期における新利根村沼物件をめぐるP1に対する貸付金の受取利息の除外について

 

 1 弁護人らは、「茨城県稲敷郡新利根村(以下略)の土地(雑種地、一四四五九平方メートル)、同村(以下略)の土地(雑種地、八七五一平方メートル)(以下、右二筆の土地を「新利根村沼物件」という。)及び茨城県土浦市(以下略)所在のクラブハウス(鉄骨造スレート葺二階建、床面積合計三四一・七六平方メートル、以下、「クラブハウス」という。)に関する取引に関し、検察官は、被告会社A1が昭和六二年九月にP1に交付した合計一億円は、被告会社A1のP1に対する貸付けであり、これに対する受取利息につき、昭和六三年三月期に一五〇〇万円、平成元年三月期に九〇〇〇万円、合計一億〇五〇〇万円を除外した旨主張している。しかし、①被告会社A1は、昭和六二年九月一七日、I2有限会社(以下、「I2」という。)から、新利根村沼物件を被告会社A1の社員J2(以下、「J2」という。)名義で、クラブハウスを同社社員H2(以下、「H2」という。)名義でそれぞれ取得し、I2に対してその代金として一億円を支払ったものであり、被告会社A1が取得した一億〇五〇〇万円は右各物件の売却利益の分配金である。②昭和六三年三月期中に受領した約束手形及び小切手額面合計一五〇〇万円のうち、決済された小切手二五〇万円を除く約束手形合計一二五〇万円は、支払期日が同期末後であり、しかも、同期日に不渡りになり、同期末までに収益として実現したものでないから、昭和六三年三月期に属する収益は二五〇万円であり、その余の一億〇二五〇万円が平成元年三月期の収益に属するものである。③被告会社A1は、新利根村沼物件及びクラブハウスの売買代金一億円のうち、八五〇〇万円をK2株式会社(以下、「K2」という。)から借り入れたところ、その返済をした平成元年三月期において、同社に対し、支払利息として四五二万八六八九円を支払っており、これは、右の収益に対応する損金である。④①の収益のうち、③の支払利息を控除した分についても、被告会社A1は、平成元年四月にP1に対して利益分配金として、二五〇〇万円、被告会社Y2に対する利益分配金七五四七万円余を支払っており、被告会社A1の前記利益はすべて流出しているから、実質所得は存しない。」旨主張する。

 

 

 

 

 2 そこで、検討すると、まず、第二九、第三〇及び第三一回公判調書中の被告人の各供述部分、第三四回公判調書中の証人J2の供述部分、被告人(乙三六ないし三八)、J2(甲五八)、C2(甲七八)、S1(甲七四、七五)及びL2(甲七七)の検察官に対する各供述調書並びに常陽銀行茎崎支店作成の「株式会社P1の不渡りについて下記のとおりである」との書き出しで始まる書面(弁八九)等の証拠によれば、次の事実が認められる。

 (一) P1は、昭和六二年ころ、同社名義の新利根村沼物件及びS1が代表取締役をしていた株式会社M2(以下、「M2」という。)名義のクラブハウスを担保にI2から六〇〇〇万円を借り入れたが、同年八月五日、不渡りを出し、S1は行方をくらました。そこで、I2は、右貸付金の回収を図るべく、L2に融資の肩代わり先を探させた。

 (二) 被告人は、右L2から、新利根村沼物件及びクラブハウスの所有権を被告会社A1に移転する代わりに、P1のI2に対する借入金とその支払利息の肩代わりを求められた。そこで、被告人は、同年九月一七日、被告会社A1が調達した八五〇〇万円、被告会社A1の手持ち資金五〇〇万円及び被告人の手持ち資金一〇〇〇万円の合計一億円をI2に支払い、そのころ、新利根村沼物件についてはJ2名義で、クラブハウスについてはH2名義でそれぞれ所有権移転登記がなされた。その際、被告会社A1では、帳簿上、右一億円のうち九〇〇〇万円について、「L2(P1の人)に対する貸付金」として記帳した。なお、P1は、同月一四日に二回目の不渡りを出して、銀行取引停止処分を受けた。

 (三) S1は、被告人に対し、昭和六三年二月ころ、右一億円を被告会社A1に返済するので、新利根村沼物件やクラブハウスを処分しないように申し入れ、同年三月二日、被告会社A1とP1のほかL2、M2の四者で、右一億円が被告会社A1のP1、M2、L2に対する貸付金で、貸付けの日が昭和六二年九月一七日であること、同日から昭和六三年三月一七日までの六か月分の利息として一五〇〇万円を有限会社N2(以下、「N2」という。)振出しの約束手形二通(額面六〇〇万円で支払期日が昭和六三年五月二五日のもの及び額面六五〇万円で支払期日が同年六月三日のもの)及び現金二五〇万円で支払い、その後の利息は年利三〇パーセントの割合で計算し、毎月一七日に支払うこと、貸付金一億円のうち、三〇〇〇万円は昭和六三年五月三一日までに返済し、返済された場合には、被告会社A1がクラブハウスの所有権を放棄すること、残金については昭和六三年八月三〇日までに返済することなどを合意した。

 (四) 右の合意に基づき、被告会社A1は、昭和六三年三月二二日ころ、N2振出しの額面二五〇万円の小切手を受け取り、そのころ、右小切手は決済され、帳簿上、一億円の貸付金の元本の一部弁済として処理したが、そのころ前記合意に基づき受け取った約束手形二通については帳簿上の処理はせず、その後、いずれも不渡りとなった。

 (五) 被告会社A1は、昭和六三年四月二六日ころ、P1から元本の一部弁済として五〇〇〇万円を、また、同年三月一八日から四月一七日までの一か月分の利息として二五〇万円をそれぞれ受領し、いずれも帳簿上、元本の一部弁済として処理したうえ、同年五月二日、前記の合意に基づき、クラブハウスのH2名義の所有権移転登記を抹消したが、以後、残元本五〇〇〇万円とこれに対する利息については支払われないまま前記三月二日の合意の期限である同年八月三〇日を経過した。

 (六) 一方、P1に対して約一億二〇〇〇万円を貸し付けていたA2の代表取締役であるC2は、新利根村沼物件のことを聞き、これを処分した利益から被告会社A1とともにP1に対する貸付金の回収を図ろうと考え、同年一〇月下旬ころ、同物件を処分して右貸付金の回収をすることについてS1の了解を得た。そして、平成元年一月下旬ころ、C2は、被告人に対し、同物件を処分してA2と被告会社A1のP1に対するそれぞれの貸付金を清算することを提案し、そのために新利根村沼物件の処分をC2が経営するE2にゆだねるように申し入れて、被告人もこれに同意した。そのころ、被告人は、C2から、新利根村沼物件等を他に売却しないようにとの趣旨で二〇〇〇万円を預かった。

 (七) E2は、平成元年三月六日ころ、新利根村沼物件を株式会社O2の代表取締役であるP2に売却し、売却にかかる手数料や右物件の抵当権者である常陽銀行に対するP1の二億円の債務等を差し引いた残額について、P1の被告会社A1に対する債務の弁済として一億五〇〇〇万円をP1が被告会社A1に支払い、また、P1のA2に対する債務に対する弁済としてP1がA2に一億三〇〇〇万円を支払うことを、被告会社A1、A2、P1の三者で合意し、同月二九日ころ、新利根村沼物件の売買に関する代金の決済が行われた。その結果、被告会社A1は、C2から預かっていた二〇〇〇万円を除いた一億三〇〇〇万円を小切手で受領した。

 

 

 3 以上の事実によれば、被告人ないし被告会社A1としては、当初は、L2から持ちかけられた融資の肩代わりにつき、P1の借入金を同被告会社において立替払をし、その対価として、新利根村沼物件とクラブハウスの所有権を取得したものの、その後、P1のS1から、これらの物件の所有権を他に移転しないように申し入れられ、結局、昭和六三年三月二日、被告会社A1、P1、L2、M2の四者で、貸付け日を昭和六二年九月一七日、貸付金を一億円とし、これに対する利息を約束手形等で支払うことを内容とする合意が成立したことが明らかである。そうすると、当初の趣旨はどうであれ、昭和六三年三月二日の時点においては、P1との間で右の一億円を貸付金とし、昭和六二年九月一七日に遡って利息を付すことを合意していると認められるのであるから、N2振出しの前記額面六〇〇万円及び額面六五〇万円の各約束手形と額面二五〇万円の小切手は、右貸付金に対する受取利息と認められる。そして、右のうち、約束手形二通は、いずれも不渡りとなっており、被告人の公判供述によると、N2は、昭和六三年四月ころ、銀行取引停止処分を受けたことが認められるが、これらの約束手形にはS1やL2が裏書をしているのであるから(被告人の検察官に対する供述調書(乙三六)添付の約束手形参照)、これら裏書人に担保責任を問うことができるばかりか、N2が銀行取引停止処分を受けたことから、直ちに右約束手形受領の当時、同工務店が無資力であって、これらが受取利息としての実質を欠くということにはならない。

 

 また、前記のとおり、C2から預かり、平成元年三月六日ころ、被告会社A1が弁済を受けることになった一億五〇〇〇万円の一部にあてることとされた二〇〇〇万円、及び右弁済を受けるべきことになった一億五〇〇〇万円から右二〇〇〇万円及び残元本五〇〇〇万円を差し引いた八〇〇〇万円は、いずれもP1に対する貸付金に対する対価(受取利息)としての性質を有するものと認められる。

 

 さらに、K2に対する支払利息として弁護人らが主張する点についてみると、被告会社A1の総勘定元帳(第一六期)(甲一〇二)中には、K2から八五〇〇万円を借り入れた旨の記載があり、K2株式会社作成の平成元年三月期の法人税確定申告書抄本(弁九六)には、被告会社A1からの受取利息として四五二万八六八九円が計上されていることは認められる。しかし、J2の検察官に対する供述調書(甲五八)によると、K2からの借入金は、昭和六三年四月一日付けでK2へ返済し、新たに関連会社である共同食品から借り入れたことにするという帳簿上の処理がなされたものの、実際の現金の移動は全くなされておらず、また、右借入金の金利、返済期間、返済方法等についてこれを明らかにする帳簿類は存せず、さらには、K2及び共同食品は被告人が実質的に経営する被告会社A1の関連会社であったことなどに徴すると、右の帳簿記載が実態を反映しているとは認め難い。したがって、前記支払利息に関する弁護人らの主張も理由がない。

 

 二 昭和六三年三月期における△△ハイツ物件の取得原価について

 1 弁護人らは、昭和六二年八月ころ、被告会社A1がQ2から取得した、茨城県つくば市(以下略)の土地及び建物(以下、これらを「△△ハイツ物件」という。)、同市(以下略)の土地(以下、「駐車場物件」という。)のうち、Z2に売却された△△ハイツ物件の取得原価の算定につき、検察官が未売却の駐車場物件の取得原価として主張する七九九〇万一一二八円は、駐車場物件と△△ハイツ物件の敷地部分の取得原価をそれぞれの面積比により機械的に按分して算出したもので、両物件の地目、土地の間口等の宅地価格の算定における重要な要因を全く無視したものであるから、右算出による駐車場物件の取得原価の算定(したがって、△△ハイツ物件の敷地部分の取得原価の算定)には合理性がない旨主張している。

 

 2 そこで、検討すると、確かに、不動産鑑定士40R2作成の不動産鑑定評価書(弁六五)によれば、昭和六二年六月六日当時の△△ハイツ物件の敷地部分の価格が、一平方メートルあたり一五万〇一九〇円、同じく駐車場物件の同様の価格が一〇万三五九六円が適正であり、二億二〇〇〇万円の仕入原価は、これをもとに、△△ハイツ物件の敷地部分七二・五、駐車場物件二七・五の割合で配分するのが適正であるとし、△△ハイツ物件の敷地部分の仕入れ原価を一億五九五〇万円と評価したことが認められる(なお、右鑑定は、売買代金二億二〇〇〇万円だけを△△ハイツ物件の敷地部分及び駐車場物件の取得価額の基礎とし、A3に対する仲介手数料四二〇万円については取得価額の基礎に加えていない。)。

 

 しかし、同鑑定によれば、△△ハイツ物件の敷地部分と駐車場物件は、ともに同一町内にあり、いずれも、地勢平坦で、地盤、日照、通風、乾燥等の自然的要因は一般的であり、第二種住居専用地域、第二種文教地区の公法上の規制があるほか、両土地の周辺は、共同住宅地を中心とする住環境の良好な住宅地であり、地域的要因による差もないが、駐車場物件については、南側に接する八メートルの市道があるという増価要因がある一方、雑種地であり、標準画地に比して間口が狭く、賃借権による期間利益の喪失という減価要因も存するというのであり、両物件は、形状、間口の広さ等については差異があるものの、自然的要因、公法上の規制、地域的要因等の客観的な条件についての格差はほとんどないことが認められる。一方、被告人は、△△ハイツ物件の敷地部分や駐車場物件の取得に当たっては、その取得価額を算定する基準として、それぞれの物件の個性に着目するなどの個別かつ詳細な事情を考慮した形跡は認められないばかりか、B3工業等の要求に応じる形で同社等との間で行われる予定であった△△ハイツ物件の利益分配金の計算に当たっても、△△ハイツ物件の敷地部分と駐車場物件との仕入れ原価の按分の際、△△ハイツ物件の建物の仕入れ原価を差し引くことなく両土地の面積に応じて△△ハイツ物件と駐車場物件との原価を計算するなど、△△ハイツ物件の売却後も、△△ハイツ物件の敷地部分と駐車場物件との適正な仕入れ原価の配分について意を払ってはいなかったことが明らかである。そうすると、検察官が前記のような事情に着目して、△△ハイツ物件の敷地部分と駐車場物件の取得原価の算定において、前記のような両土地の面積の比率に応じて按分する方法を採用したことは、合理的なものと認められる。

 

 これに対して、弁護人らは、前記の鑑定結果を援用して、△△ハイツ物件の敷地部分の取得原価は、一億五九五〇万円(一平方メートルあたり一五万〇一九〇円)が適正である旨主張しているが、取得原価の算定は適正かつ合理的な方法で行うことができるのであり、必ずしも不動産鑑定士による鑑定評価を経なければならないものではない。のみならず、不動産鑑定士による鑑定評価といえども、その性質上、一義的に適正価格が算定されるものではなく、ある程度の幅があることは明らかであって、これと異なる方法による取得原価の算定も当然に許容されるところであり、そうすると、前記のような両土地の立地条件等の状況からみて、その面積の比率に応じた按分によって、それぞれの取得原価を算定した点を不合理として、これを排斥すべき理由は存しないというべきである。

 

 

 

 三 平成二年三月期のS2に対する貸付金の受取利息の除外について

 1 弁護人らは、被告会社A1が、S2有限会社(以下、「S2」という。)に対して三億五〇〇〇万円を貸し付けて、その利息として六〇〇〇万円を受領し、そのうちの二〇〇〇万円を預り金に振り替えて利益から除外した事実は認めたうえ、右の三億五〇〇〇万円は、S2が千葉県松戸市内の物件(以下、「松戸物件」という。)を買い受けるのに必要とした資金を、有限会社T2(以下、「T2」という。)の仲介により被告会社A1が提供したもので、実質的には、同被告会社とS2との松戸物件売買の共同事業に対する資金として提供したものであるから、前記六〇〇〇万円はS2から同被告会社に対する共同事業の利益分配金と評価されるものであり、また、被告会社A1とT2との間には、互いに協力して行う不動産取引に関して、利益分配をする旨の契約があり、右二〇〇〇万円は右契約に基づく同被告会社からT2に対する利益分配金であるから、結局、同被告会社が右二〇〇〇万円を利益から除外したことは正当である旨主張する。

 

 

 

 2 そこで、検討すると、第一九、第二五及び第三一回公判調書中の被告人の各供述部分、被告人(乙五一)、J2(甲六四)、U2(甲八八)の検察官に対する各供述調書、被告会社A1ほか一名作成の協約書(写)(弁七五)、T2代理人作成の内容証明郵便(写)(弁七九)、被告会社Y2の総勘定元帳抄本(貸付金、普通預金科目)(弁九九)によれば、次の事実が認められる。

 (一) S2は、平成元年一月二七日、松戸物件を代金三億四〇〇〇万円で買い入れ、手付金として二〇〇〇万円を手持ち資金で支払ったが、残代金の手当のため、融資先を探していた。S2の非常勤取締役で、T2の代表取締役でもあるV2(以下、「V2」という。)は、S2の依頼により、残代金の融資の可能性について被告会社A1の意向を打診したところ、同被告会社がこれに積極的な意向を示したことから、S2の代表取締役U2が被告会社A1との交渉に臨み、被告人に対し、平成元年五月か六月には売れる見通しであり、その際の売買代金には三割くらいの利益を上乗せしようと思うなどと話したうえ、転売後に融資の見返りとして被告会社A1に対して二〇〇〇万円を支払うことなどを申し出て、被告人も右の申入れを承諾した。

 (二) 被告会社A1は、平成元年四月一四日ころ、S2に対して、三億五〇〇〇万円を融資したが(以下、右融資を「本件融資」という。)、その際に作成された借用証書には、元金の返済時期、返済の方式、利率、利息支払の方法等については記載がなかった。そして、被告会社A1は、右三億五〇〇〇万円を貸付金として帳簿に記上した。

 (三) S2は、右融資金で松戸物件の残代金を支払い、平成元年六月二七日、同物件を株式会社W2に五億一七〇〇万円で売却した。右売却代金の支払は、右土地からの排水に関する周辺地権者との調整ができた後とされていたところ、右地権者との調整に手間取り、平成元年一一月二日に代金が決済されることになった。そのころ、前記U2は、被告会社A1から、V2を介して、当初の説明に比して返済時期がかなり過ぎているなどとして貸付け元本のほかに、六〇〇〇万円の支払を求められ、同被告会社の要求は過大であると考えたが、当初の説明に比して転売に手間取り、返済の約束の時期を守れなかったことから、やむなくこの要求に応じることにした。

 (四) 同月二日、松戸物件売買の代金の決済が行われ、S2は、融資を受けた三億五〇〇〇万円のほか、六〇〇〇万円を被告会社A1に支払った。被告会社A1は、三億五〇〇〇万円の領収証のただし書に貸付金返済と記載し、六〇〇〇万円の領収証のただし書に貸付金利息と記載してこれらをS2に交付するとともに、同日付で、帳簿上、右三億五〇〇〇万円の貸付金が返済され、六〇〇〇万円の利息を受領した旨記載した。

 

 

 3 以上認定の事実、すなわち、被告会社A1がS2に融資の話を持ちかけられた状況、右の融資に当たり同被告会社とS2との間で作成された契約書や同被告会社がS2からその返済を受けた際に作成して交付した領収証の記載内容、融資を行った際とこれの返済を受けた際に同被告会社が記帳した帳簿内容等に徴すれば、被告会社A1がS2に交付した三億五〇〇〇万円は、同不動産に対し、同不動産の松戸物件購入資金として融資したものであることが明らかであり、したがって、右三億五〇〇〇万円は被告会社A1のS2に対する貸付金であると認められる。もっとも、前記借用証書には、通常取り決められるべき元金の返済時期、返済の方式、利率、利息支払の方法等についての記載がないことは明らかであるが、融資の目的が前記のとおりであり、また、松戸物件の転売による代金の決済の時を返済期限とし、その期限もおおよそ平成元年五月か六月ころとされ、その際におおよそ二〇〇〇万円が被告会社A1に支払われるという程度には合意されていたことが認められるのであり、借用証書の記載が右のとおりであったとしても、右の認定を左右するものとはいえない。

 

 そうすると、被告会社A1がS2から受領した前記六〇〇〇万円についても、その際に作成された領収書の記載をまつまでもなく、前記貸付け元本に対する受取利息というべきであり、したがって、右六〇〇〇万円のうち、二〇〇〇万円を預り金に振り替えた処理は、収益である受取利息を負債である預り金に振り替えることによって利益を圧縮したものといわなければならない。

 

 これに対し、弁護人らは、本件融資は、T2代表取締役であるV2の関与によって行われたものであるところ、T2と被告会社A1との間には、本件土地販売共同事業の契約が存したのであるから前記三億五〇〇〇万円は貸付金ではなく、共同事業の出資金であり、また、前記六〇〇〇万円のうち二〇〇〇万円は右契約に基づくT2に対する利益分配金である旨主張し、被告人も、公判廷において、S2との間では、融資の際、松戸物件の転売による利益の折半の約束をしていた旨の供述をしている。そして、前記の各証拠によれば、被告会社A1とT2の間で、平成元年二月一六日、物件取引に対する協約書が作成されているが、その内容は、被告会社A1が購入し、転売する不動産について、これに要する売買代金や造成工事等の資金、その他諸費用を被告会社A1が提供し、T2がその労務を提供すること、仕入れ物件の選定、販売金額、販売時期等の決定権は、被告会社A1にあり、利益の分配については、被告会社A1が負担した資金、諸費用に加えてそれらに年率一〇パーセントを乗じた金利を加算した合計を総原価として利益を計算したうえ、その利益を被告会社A1が六〇パーセント、T2が四〇パーセントの割合で分配するというものであり、平成五年五月二四日、T2は、被告会社A1に対し、右松戸物件の取引に関し、右の合意に基づき、利益分配金の支払を請求し、同被告会社において、平成九年一月二二日、右二〇〇〇万円をT2宛に振り込み送金したことが認められる。

 

 しかし、右融資の際に作成された借用証には被告人の供述するような特約の記載はなく、また、右融資の際の交渉経過は、前記認定のとおりであって、かかる経過について供述するU2の検察官に対する供述調書(甲八八)中にも、融資の際に被告人から転売の利益の折半の要求があった形跡はうかがわれない。なお、右U2の供述調書によれば、S2が松戸物件の取引の労務を提供し、被告会社A1が本件融資により資金を提供するという共同事業のような側面もあったというのであるが、S2と被告会社A1との分配額が転売によって同不動産が得た利益をもとに決定されたといった事情は認められず、むしろ、前記認定のとおり、同不動産が被告会社A1へ返済するまでの期間が当初の見込みに比して長期に及んだという事情を考慮して、右の融資に対する対価ないし見返りの額が決められているのであり、本件融資が共同事業に対する出資金であったと認めることはできない。また、前記六〇〇〇万円について見ると、被告会社A1とT2の間でなされた前記物件取引に対する協約書によれば、T2による取引物件や転売先の紹介、右物件に対する造成工事等の労務の提供を受けて、被告会社A1において、取引物件の選定、売買金額の決定、転売先、転売額等の決定を行うという事業形態であるが、松戸物件の取引は、S2が専ら仕入れ物件の選定、仕入れ金額、転売金額、転売時期等の決定をし、手付金もS2が手持ち資金で支払っており、被告会社A1は売買残代金にあてるための資金の提供を行ったに過ぎず、また、V2の労務の内容は、残代金の資金の融資先として被告会社A1をS2に紹介し、融資の見返りとして受け取る金額として六〇〇〇万円を被告会社A1の意を受けてS2に要求したというものである。そうすると、松戸物件に関し、被告会社A1は、何ら取引物件の選定、売買金額の決定、転売先、転売額等の決定に関与しておらず、T2も物件や転売先の紹介、造成工事等の労務の提供をしていないのであるから、松戸物件に関する取引は、前記協約書に基づく被告会社A1とT2との土地販売共同事業には該当しないというべきである。この点について、弁護人らは、本件土地販売共同事業は、広く、T2と被告会社A1が互いに協力して行う取引すべてに適用されるとも主張するが、本件土地販売共同事業において、共同事業の内容、特に各自の負担する義務の内容と利益分配の方法、割合とは密接に関連していると認められ、T2が何らかの関与をしたすべての取引について、利益分配を予定したものとは考えられない。さらに、被告会社A1は、平成二年五月ころ、決算の打合せの際に、被告人がJ2に対して右二〇〇〇万円を預り金に振り替えるよう指示をするまでの間、六〇〇〇万円を受け入れた平成元年一一月から五か月間もT2への利益分配金を計上しないまま放置し、右協約書に従った利益分配金の計算はなされていないこと、前記のように、T2が、平成五年に至って、突然、支払を催告するに至った経過はいかにも唐突であり、これに対して被告会社A1も平成九年一月に至るまでその支払に応じなかったのも不自然である。そして、これらの事情は、右二〇〇〇万円が共同事業の利益分配金でなかったことを示すものであり、また、被告人において、松戸物件に関する取引が本件土地販売共同事業に該当しないこと、したがって、T2に対する利益分配金を支払うべき義務のないことを認識していたことを示すものというべきである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(法令の適用)

 一 罰条

 1 被告人

   いずれも法人税法(平成一〇年法律第二四号附則一二条により同法による改正前のもの。以下同じ。)一五九条一項

 2 被告会社Y2及び同A1

   被告会社Y2の判示第一の各所為、被告会社A1の判示第二の各所為につき、それぞれ法人税法一六四条一項、一五九条一項、二項(情状により、罰金額はいずれもその免れた法人税の額に相当する金額以下とする。)

 二 刑種の選択

   被告人につき、いずれも懲役刑を選択する。

 三 併合罪の処理

 1 被告人

   刑法(平成七年法律第九一号附則二条一項本文により、同法による改正前のもの。以下同じ。)四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情の最も重い判示第二の二の罪の刑に法定の加重をする。)

 2 被告会社Y2及びA1

   被告会社Y2の判示第一の各罪、被告会社A1の判示第二の各罪につき、それぞれ刑法四五条前段、四八条二項

 四 執行猶予

   被告人につき、刑法二五条一項

 五 訴訟費用の負担

   刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条(被告人及び被告会社Y2の連帯負担とする。)

(量刑の事情)

 本件は、不動産売買、建築工事請負等を目的とする被告会社Y2及び金融、貸しビル業等を目的とする被告会社A1の各代表取締役として、右各被告会社の業務全般を統括していた被告人が、被告会社Y2について三年間で税額合計二億六八八八万四三〇〇円、被告会社A1について三年間で税額合計二億一三〇三万九六〇〇円をほ脱したという事案である。

 各犯行の動機は、支出の相手方の都合でやむを得ず支出した裏金を費用として計上するため、あるいは貸倒れになることが見込まれる貸付けによる損失を、それが貸倒れであることを隠すためといったように、ほ脱のために不正な操作をした個々の勘定科目ごとにそれぞれの経緯があり、その多くが直接にはほ脱した税額を利得する意図でなしたものではないとはいえ、結局は、各被告会社の事業は好、不況の波が大きく、損益がそれに大きく影響を受けるため、業績好調で多額に及ぶと予想された納税額を圧縮しようとしたものであって、その動機は同情の余地に乏しい。被告会社らのこのような会計処理は、課税の前提となる所得の正確・適正な捕捉を困難ならしめるものであり、国家の課税権を軽視し、会社の社会的責任を放棄するものであって、厳しい非難を免れない。また、犯行態様をみると、翌期以降の費用ないし損失とみるべきものを前倒ししたり、解除された契約を有効なものとして取り扱ったり、受取利息を元本に計上したりするなど、ほ脱に利用した科目及びほ脱の手段が複雑・多岐にわたり、ここには、被告人の税務処理に対する無責任な姿勢がうかがわれるばかりか、ほ脱の手段として、取引先の者に架空の契約書や領収書を作成させたり、たまたま自己の手中にあった取引先の代表者印等を利用したりするなどしてほ脱のための関係書類を整えるなど巧妙なところも認められるのであって、その態様はよくない。その結果、ほ脱した税額は、前記のとおり二社合計で四億八一九二万三九〇〇円という極めて多額なものであり、また、ほ脱率を見ても、被告会社Y2にあっては、平均四七・七パーセント、被告会社A1にあっては平均で九一・八パーセントにのぼるものであり、その結果も重大といわなければならない。以上の事情を総合すれば、被告人及び各被告会社の刑責には重いものがある。

 一方、個別の勘定科目中で、ほ脱に利用した費用の額が最も多い牛久市刈谷東物件の雨水排水路改修工事費用についてみると、牛久町ないし牛久市との交渉経過からすると、開発業者としては行政指導に従って負担する意思を表明しなければ開発行為の許可が下りなかったという事情があり、また、右改修工事が実施されなかったのは主として牛久市側の時々の方針の変更により被告会社Y2の負担すべき内容が変更され、また、牛久市における部内での手続を経る必要等により負担が確定しないまま推移していたという経過も認められる。そして、被告会社Y2においては、右工事実施を前提とした工事や準備作業等を実際に行っており、いったん、牛久市側の交渉担当部署である牛久市下水道課長との間では合意をみて、その工事内容につき見積りを実施したうえ、それが高額すぎるとしてそのやり直しをさせていたことからすれば、被告会社Y2において、右改修工事を実施すべきものと認識していたことも明らかである。そうすると、被告会社Y2において計上した前記改修工事費用は、前記認定のとおり、いまだ同物件の費用とは認められないものの、以上のような経緯、事情のもとにおいて、昭和六二年九月期において、被告会社Y2が右改修工事費用を計上するという会計処理をしたことには無理からぬ面もあったというべきであり、この点は、被告人の量刑及び被告会社Y2に対する罰金額の算定に当たっては、相応の考慮を要するものと認められる。また、前記千代田村産廃共同事業、Z1及びF2関係に関する被告会社Y2の支出については、いずれも損失にならないことは前記のとおりであるが、前記認定のとおりの債務者の態度、その事業や資産状態等に照らすと、支出の目的を達することが不可能となり、支出した資金の回収の見通しも十分には立っておらず、現にその後も全くあるいはほとんど回収されることなく推移してきていること、弁護人が指摘するC3食品に対する被告会社A1の貸付金については、一部は抵当権付き債権であり、残部についてもC3食品からその工場等の所有権を無償で取得し、右不動産からの賃料等を取得していたのであるから、右所有権の取得は一種の譲渡担保というべきものであって、貸倒れの状態にあったと認めることはできないものの、その金額、債務者の資産状態、事業を引き継いだ会社の経営状態に照らすと、いずれはその全額の回収ができない事態に立ちいたることも予想され、現にその後ほとんど回収することができなかったことが認められるのであって、いずれも、積極的にほ脱金額を会社に留保することを意図したものとまでは認められず、また、全体を通じて各被告会社の代表取締役の地位にあった被告人において、ほ脱によって内部留保された利益で私腹を肥やしていたといった事情も存しない。以上に加え、被告人及び両被告会社において、本件後、本件各犯行にかかる延滞税及び重加算税を納めるとともに、本件各犯行にかかる決算期以後の適正な申告と納税に努めていることが認められること、被告人は、大筋においてはほ脱の事実を認め、また、本件についての責任を取るため、右各被告会社の代表取締役の地位を辞任したほか、長年の努力に対する社会的評価として得た牛久市商工会理事等の役職をも辞任するなどして、反省の情を示していること、被告人には、傷害の罰金前科一犯が、被告会社A1には売春防止法違反の罰金前科一犯があるほかには、前科がないことなどの被告人及び各被告会社のために有利に斟酌すべき事情も認められる。

 そこで、以上の事情を総合考慮し、被告人らに対し、それぞれ主文の刑を量定するとともに、被告人に対してはその刑の執行を猶予することとした。

 よって、主文のとおり判決する。

(水戸地方裁判所刑事部)