共済組合法の「配偶者」の概念(3)

 

 

遺族年金却下取消請求事件

 

 

【事件番号】 最高裁判所第1小法廷判決/昭和54年(行ツ)第109号

 

【判決日付】 昭和58年4月14日

 

【判示事項】 戸籍上届出のある妻が農林業団体職員共済組合法(昭和46年法律第85号による改正前のもの)24条1項にいう配偶者にあたらないとされた事例

 

 

【掲載誌】  最高裁判所民事判例集37巻3号270頁

 

 

について検討します。

 

 

 

 

主   文

 

 本件上告を棄却する。

 上告費用は上告人の負担とする。

 

       

 

 

理   由

 

 上告代理人安西義明の上告理由第一点について

 

 所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができる。論旨は、違憲をいう部分を含め、独自の見解に立つて原審の法令の解釈の不当をいうものであつて、採用することができない。

 

 同第二点について

 農林漁業団体職員共済組合法(昭和三九年法律第一一二号による改正後、昭和四六年法律第八五号による改正前のもの。以下「本件共済組合法」という。)二四条一項の定める配偶者の概念は、必ずしも民法上の配偶者の概念と同一のものとみなければならないものではなく、

 

本件共済組合法の有する社会保障法的理念ないし目的に照らし、これに適合した解釈をほどこす余地があると解されること、

 

また、一般に共済組合は同一の事業に従事する者の強制加入によつて設立される相互扶助団体であり、組合が給付する遺族給付は、組合員又は組合員であつた者(以下「組合員等」という。)が死亡した場合に家族の生活を保障する目的で給付されるものであつて、

 

これにより遺族の生活の安定と福祉の向上を図り、ひいて業務の能率的運営に資することを目的とする社会保障的性格を有する公的給付であることなどを勘案すると、

 

右遺族の範囲は組合員等の生活実態に即し、現実的な観点から理解すべきであつて、

 

遺族に属する配偶者についても、組合員等との関係において、互いに協力して社会通念上夫婦としての共同生活を現実に営んでいた者をいうものと解するのが相当であり、

 

戸籍上届出のある配偶者であつても、その婚姻関係が実体を失つて形骸化し、かつ、その状態が固定化して近い将来解消される見込のないとき、すなわち、事実上の離婚状態にある場合には、もはや右遺族給付を受けるべき配偶者に該当しないものというべきである。

 

 

 これを本件についてみるのに、原審が認定した本件の事実関係は、次のとおりである。

 

(1) 上告人は、昭和五年九月四日当時警視庁巡査の職にあつたAと結婚(同日婚姻届出)し、子供四人をもうけたが、昭和二七年五月頃からAがBと親密な関係を結び、家庭を顧みなくなつた結果、夫婦の仲が険悪となり、上告人とAは昭和二八年七月一三日に協約書(乙第四号証の一二)を取りかわし、Aは上告人のもとを去りBと同棲するに至つた。

 

(2) 右協約書は、上告人ら夫婦間において愛情の破綻を来したので、Aは家庭を出て単独別居し、今後、双方とも相手方の生活に一切客喙しないこと、子供達は上告人が引き取り養育するので、Aは養育料を上告人に支払い、Aが受給資格を有する警察恩給を上告人に分与すること、戸籍上の地位は現在のまま持続し両名の生活上の所持品は持分により区分すること、などの条件により別居生活をすることを協議決定したものであつた。

 

(3) その後、上告人は昭和二八年九月一〇日離婚調停の申立てをし、同年一二月不調となつたが、その頃、Aは上告人のもとへ帰り、再び、上告人及び子供達と同居するようになり、昭和二九年八月には府中市aの都営住宅に家族全員で引越したが、この間もAと上告人との間に夫婦の性関係はなく、Aは家庭内では孤立し、外泊することがたびたびであつた。

 

(4) その後、Aは昭和三一年六月頃当時熱海市に住んでいたCと知り合い、親密になつた。そして、同年一一月二一日頃再度家を出ることを決意した。その際、Aの兄D及び上告人の弟E両名が間に入つて説得を重ねたが、結局、Aの家を出る決意は固く、上告人とAは「いずれ別れよう」「そうしよう」という趣旨の応酬を重ね、到底同居の見込がなかつたので、別居の前提として、末子Fが一八歳になるまでのAによる養育料の支給等が協議された。その後、Aは府中市の家を出て、都内文京区b町のG方に身を寄せ、同月二八日妻との性生活の長年にわたる欠如、家庭内の不和、虐待等を理由に離婚を希望する旨の「離婚に関する調停の御願い」と題する書面(乙第四号証の二四)を作成したが、その翌々日に当たる同月三〇日自己の警察恩給を同日以降昭和三九年一一月三〇日まで上告人が直接受領することを承諾する旨の承諾書(乙第五号証の二)を作成して上告人に交付した。そして、その頃、子供が一八歳になるまで養育料の仕送りをすることを約した。やがて、AはCと同棲を始め、死亡する昭和四三年八月四日に至るまでCとその連れ子であるH、Iと共に生活し、その間、一度も上告人のもとに帰り宿泊することはなかつた。

 

(5) Cと同棲を始めた後、Aは上告人との前記約束に基づいて、養育料の仕送りを続けたほか、警察恩給は昭和三一年一一月以降上告人に全額受領させており、また、昭和四三年八月四日のAの死亡後は右恩給はなくなり、その約五分の三に当たる額が上告人に対する扶助料として現在も引き続き支給されている。なお、上告人及びその子供達(J、F)は、昭和三五年八月一七日付をもつてAの健康保険の被扶養者及び税法上の扶養親族から削除され、代つてCとその連れ子であるH、Iが同年一二月一四日付をもつてその対象となつている。

 

(6) Cは昭和三二年頃からAと熱海市で同棲生活を始め、約二年後の昭和三四年夏三鷹市に、次いで昭和三九年一一月立川市にそれぞれ移り住んだがその間CはAの上告人に対する前記送金を助けるため内職、派出婦等をして共に働き、二人協力して前記送金をしていた。また、前記のとおり、Aの勤務先の健康保険や税法上の扶養親族の関係ではそれぞれ妻として取り扱われていた。昭和三九年二月頃、AはCを静岡県袋井市の自己の郷里に伴い、実母や親戚に対し、同人を新しい妻であるとして紹介した。また、昭和四〇年七月五日Aが上告人との間に偽造の離婚届を提出した後には、C及びその子供達とAとの間に婚姻及び養子縁組の届出がされている。Aの葬式はC側で行われ、遺骨もCによつて手厚く葬られた。

 

(7) 上告人は、昭和三一年一一月二二日頃Aと別居して以来、その子供達と生活を共にし、Aに対し毎月の仕送りを求める等の経済的要求を行つてはいるものの、Cとの関係を清算して再び正常な婚姻関係に復させるべく何らの働きかけもしていないばかりか、Aの勤務先の上司であつたKが昭和三七、八年頃上告人に対し、Aを引き取り同居して旧に復してはどうかとの助言をしたが言を左右にしてこれに応ぜず、結果的にはこれを断つており、また、上告人は昭和一五年Aから性病を感染させられてから再三発病していたところ、昭和二六年頃再発した際、医師から今後発病したらもはや治療の方法がないと言われ、Aとの別居をすすめられて以来、Aの申出を拒否し、上告人とAとの性関係は昭和二六年頃から全くなかつた。

 

 原審は、以上の事実関係に基づき、

 

(1) 上告人とAは、事実上婚姻関係を解消することを合意したうえ別居を繰り返しており、

 

(2) Aの上告人に対する前記経済的給付はいずれも事実上の離婚給付としての性格を有していたとみられ、

 

(3) 更に、上告人としては昭和三一年一二月の別居以後は共同生活を伴う婚姻関係を維持継続しようとする意思がなかつたと認められる旨を認定したうえ、これらを総合すると、上告人とAとの間の婚姻関係は、昭和三一年一二月以降は事実上の離婚状態にあつたものといわざるをえず、Aが死亡した昭和四三年八月四日頃にはその婚姻関係は実体が失われて形骸化し、かつ、その状態が固定化していたものというべきである旨判断している。

 

 原審の以上の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして正当として是認することができ、その過程に所論の違法があるとすることはできない。そうすると、上告人は本件共済組合法二四条一項にいう遺族給付を受けることのできる配偶者には該当しないものと解するのが相当であり、これと趣旨を同じくする原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

 

 よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

 

    最高裁判所第一小法廷

        裁判長裁判官  和田誠一

           裁判官  団藤重光

           裁判官  藤崎萬里

           裁判官  中村治朗

           裁判官  谷口正孝