譲渡所得の意義(1)

 

 

 

所得税課税金額に対する更正決定取消等請求事件

 

 

 

【事件番号】 熊本地方裁判所判決/昭和34年(行)第23号

 

【判決日付】 昭和38年2月1日

 

【判示事項】 所得計算についていわゆる現実収入主義によるのが相当であるとされた事例

 

 

【掲載誌】  行政事件裁判例集14巻2号257頁

      

 

について検討します。

 

 

 

 

 

主   文

 

被告が原告に対し昭和三十四年五月四日にした亡赤星セツの昭和三十三年度所得税額を金六百七万一千八百九十円とする旨の更正を取消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

 

       

 

 

事   実

 

 

 

原告訴訟代理人は、主文同旨の判決を求め、請求の原因および被告の主張に対する答弁として、つぎのとおり述べた。

 

(一)、原告の被相続人赤星セツは、昭和三十三年十一月二十七日、株式会社鶴屋百貨店に対し、熊本市手取本町三十四番地所在の土地建物を代金三千五十五万二千円で売渡し、代金は手附金として即日金百万円、残金を同年十二月から毎月金五十万円ずつ支払をうける旨約し、即日金百万円を受領したが、翌十一月二十八日死亡した。原告は、セツの相続人の代表者として、被告の指示にしたがい、昭和三十四年三月十六日、 セツの昭和三十三年度の譲渡所得額を右売買代金全額金三千五十五万二千円として同年度所得税額を算出して被告あて申告した。

 しかし、セツが現実に同年度中に取得し得べき金額は金百五十万円だけなので、原告は右申告を誤りとして昭和三十四年四月七日被告あて更正の請求をしたところ、被告は、これを却下したうえ、同年五月四日右所得税について譲渡所得額金一千三百四十七万九千八百四十一円、所得税更正額金六百七万一千八百九十円とする旨の更正(以下本件更正という。)をした。

 これに対し、原告は熊本国税局長に審査請求をしたが、同年九月十六日これを棄却された。

(ニ)、本件更正は、つぎの理由で違法である。

(1)、セツと株式会社鶴屋百貨店との間の売買契約(以下本件売買契約という。)は無効であつた。

(イ)、セツは、本件売買契約当時まで長らく心臓性喘息のため病床に伏し、右契約が成立した翌日には死亡する程度の重症であつたのであるから、本件売買契約当時意思能力を有していなかつた。                     (

(ロ)、かりにセツに意思能力があつたとしても、セツは右のように長らく病床にあり、思考能力が劣り正当な判断をすることもでき難い状態にあつたものであり、本件売買契約はセツの思慮浅薄に乗じてされた契約であるから、公序良俗に違反する。よつて、セツの相続人である原告と原寛は、本件売買契約の無効を主張して、熊本簡易裁判所に株式会社鶴屋百貨店を相手方として調停の申立をし、昭和三十四年十二月五日に成立した調停において原告らは本件売買契約を追認した。

 それゆえ、本件売買契約は同日から追認により有効となつたものであり、所得税の課税基準日も右同日である。

(2)、本件売買契約が有効であつたとしても、セツの昭和三十三年度の本件売買契約による譲渡所得は金百五十万円である。

 本件課税対象の所得は所得税法(以下単に法という。)第九条第一項第八号所定の譲渡所得である。同号は資産の譲渡による所得はその年中の総収入金額から当該資産の取得価額等を控除した金額と規定し、その総収入金額とは法第十条第一項においてその収入すべき金額の合計金額による旨規定されている。この規定からすれば、譲渡所得とは、その年中に収入すべき金額の合計額すなわちその課税年度内に現実に収入し得ることになつている金額の合計額を言うと解せられるのであつて、 これを数年度に亘つた場合においても収入する権利の確定した金額の合計額と解しなければならないとする根拠はない。

 権利が確定しただけのものまでも含むと解するとすれば、本件のように契約成立(権利確定)時を含む年中に現実に収入する金額は全額の約二十分の一に過ぎない金百五十万円であり、全額を現実に取得することができるのは五年後になるような場合に、全額を課税基準として現実に取得した金額以上の税金額を納付しなければならないようになつて極めて不合理であり、かつ、苛酷と言わなければならない。

 セツは、老弱で他に収入とてなく本件売買代金を生計費にあてるほかなく、 これに右のような課税をされては、納税できないばかりではなく生計を維持することさえできなくなる。法は納税人の負担能力を超え、生計の維持をも不可能にするような課税を要求するものではない。

(三)、よつて、本件売買代金全額を所得としてされた本件更正の取消を求める。

(四)、本件更正が被告主張の理由によりされたこと、被告主張の日に本件売一貝に基く所有権移転登記がされたことは認める。

 そのほかの被告の主張は否認する。

 被告指定代理人は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁および主張として、つぎのとおり述べた。

(一)、原告主張(一)を認める。

 同(ニ)の(1)のうち、原告らと株式会社鶴屋百貨店との間に調停が成立したことは認める。そのほかの事実は否認する。

 同(ニ)の(2)は否認する。

(ニ)、原告は確定申告をするにあたり、法第十五条の三による老年者控除と法第十五条の四による寡婦控除とをしておつたので、被告は、寡婦とは老年者でないものを言うのであるから寡婦控除をしたことは誤りであるとして、法第四十四条第一項にしたがい本件更正をしたものである。

(三)、法第九条第一項第八号所定の総収入金額とは、法第十条第一項においてその収入すべき金額(金銭以外の物または権利をもつて収入すべき場合においては当該物または権利の価格)の合計額によるべきことと規定されている。

 この規定は、所得の計算はその発生した時をもつてし、かつ所得には金銭収入だけでなく現物収入または権利による収入をも含んでいることを明らかにし、現金の授受には関係なく現金その他現金等価物の対価を請求することができる権利又は支払わなければならない義務が確定した時期をもつて損益発生の時としているものと解せられるのである。

 そこで、税務上、収入金額とは収入すべき金額を言い、収入すべき金額とは収入する権利の確定した金額をいうものとし、その確定の時期は、売買、競売、公売、交換、収用、出資等によりその所有権その他の財産権の移転するときによるものとし、その移転の時期が明らかでないものについては当該譲渡契約が効力を生じたときとして取扱つているのである。

 これを売買契約による資産譲渡の場合についてみると、売買による権利義務の関係は、その売買契約の効力発生と同時に、売主に担保責任から生ずる義務が、買主に売買代金を支払うべき義務が双務的な関係において確定するものであるから、売買に伴う売主の損益(1)売買契約の効力発生の時をもつて確定するものと言えるのである。しかしながら、実際には効力発生の時を基準とすることは判定が困難なことが多いことから、所有権その他の財産権が移転したときを第一の基準とし、それが明らかでないときは第二に契約の効力発生のときをもつて権利確定の時期として、損益帰属の時期を決定しているのである。

 本件売買契約において目的不動産の所有権が移転したのは、その所有権移転登記が昭和三十三年十一月二十七日にされていることから、右同日と認めることができるのであつて、したがつて本件譲渡所得の総収入金額(売買代金債権額)が確定した時期は前同日である。よつて、譲渡所得の発生する年度は昭和三十三年である。

(四)、法第十条第一項に言う収入すべき金額とは、原告が主張するように、その年中に支払をうけるべき金額のみを指すと解しなければならない理由はない。

 譲渡所得の発生原因は、売買、競売、公売、交換、収用、出資、遺贈、贈与、低額譲渡等であり、 これらの性質内容からして、譲渡の原因、事情、性格の如何および対価の有無、種類を問わない。したがつて、原告が主張するような代金支払をうけるべき事情には関係がない。

 また、原告主張どおりに解するとすれば、つぎのような不合理が生ずる。

(1)、所得の計算については、収入に対応する経費を収入から控除する方式いわゆる収益費用対応の原則にしたがうこととして、譲渡所得の算出において経費として当該資産の取得価格等を控除することになつている。この経費は譲渡資産の対価に対応するものなのである。いま、原告主張どおりの所得と解すると、経費が収益に対応するものでなくなり、また各年度にわたり取得価格等の経費を控除することになり租税負担の公平を失することになる。

(2)、譲渡所得額算出についての方式を毎年やることになれば、特別控除額金十五万円が重複することになり、また累進税率をとつている関係上所得の分散により税率が低くなり租税負担の公平を欠くことになる。さらには、納税義務者が所得税の負担を考慮して殊更に売買代金の支払を長期に分割する方法をとることによつて不当に租税負担を免れようとすることになる。

 以上のことから言つても、原告の主張どおり解することはできない。

(証拠省略)

 

       

 

 

 

 

 

 

理   由

 

 

 

 

一、原告の被相続人赤星セツが、昭和三十三年十一月二十七日、株式会社鶴屋百貨店に対し、熊本市手取本町三十四番地所在の土地建物を代金三千五十五万二千円で売渡し、代金は手附金として即日金百万円、残金を同年十二月から毎月金五十万円ずつ支払をうける旨約し、即日所有権移転登記手続をして金百万円を受領したこと、セツは同年十一月二十八日死亡したため、原告がセツの相続人の代表者として、昭和三十四年三月十六日、セツの昭和三十三年度の譲渡所得額を右売買代金額金三千五十五万二千円として所得税額を算出して被告あて申告したこと、被告が、昭和三十四年五月四日、セツの所得額を右売買代金総額とする前提で、右申告のうち老年者控除および寡婦控除のふたつをしたことは誤りであるとして本件更生をしたことは、いずれも当事者間に争いがない。

 

 

 

二、そこで、本件更正の可否について判断する。

 

 

(一) まず、原告は、右売買契約は無効であると主張する。

 

公務員が作成したものであるから真正に成立したものと認める乙第十号証によれば、セツは本件売買契約成立当時心臓性喘息にかかつていたことを認めることができ、セツが本件売買契約成立の翌日に死亡したことは当事者間に争いがないところである。

 

しかしながら、セツが本件売買契約締結当時意思能力がなかつたと認められる証拠はなく、かえつて前記乙第十号証、証人中原裕の証言(第一、二回)によれば、セツは当時意識が正常であつたと認めることができるのであり、また本件売買契約がセツの思慮浅薄に乗じてされたと認めることができる証拠もない。

 

よつて、原告のこの主張は理由がない。

 

(二) つぎに、原告はセツの昭和三十三年度の所得額は金百五十万円であると主張する。

 

法第九、十条によれば、

 

 

資産の譲渡による所得については、

 

その年中の総収入金額から取得価額、設備費、改良費及び譲渡に関する経費を控除した金額の合計金額から金十五万円を控除した金額の十分の五に相当する金額が課税標準の基礎とされ、

 

右総収入金額とはその収入すべき金額

 

(金銭以外の物又は権利を以て収入すべき場合においては、当該物又は権利の価額)の合計金額によるものとされており、

 

この規定等からすれば、法は所得を把握するのに、原則として、金銭、物、権利を現実に取得できたときでなく、金銭、物、権利を取得できる地位即ち権利を取得したときをもつて損益発生のときとしているものと言うことができる(いわゆる権利確定主義)。

 

この建前からすれば、売買により資産を譲渡したときは代金債権を取得したときに譲渡所得が発生したものとみるべきことになる。

 

 

(三) いま前記原則にしたがい本件をみれば、本件売買契約が成立し目的不動産の所有権移転登記がされたのは昭和三十三年十一月二十七日であるという当事者間に争いがない事実から前同日に代金債権も発生したものとみるべきであるから、一応セツの譲渡所得は同日生じたものと言わなければならないことになる。

 

しかしながら、右の権利確定主義によるとの原則も常に絶対的なものではなく、衡平の見地から所得の実態に即応してその適用をゆるめ更には現実収入主義による方が妥当であると考えられる場合もあろうから、そのような場合には例外的に右原則の適用を排除すべきものと考える。

 

本件について、右原則をそのままに適用してよいかどうかについて考えてみる。

 

 

(1) 納税人の負担能力の面からみると、営業的な継続収入のある場合は格別、本件のように単に一回限りの資産譲渡の場合には現実に取得できる金額より高額な税金を払わなければならないようなまことに不合理なことが生じることが考えられる。

 

また、前記のとおり法が権利の実現年度(履行期)を問題にしていないとみられるとしても、本件のように数年の長期にわたらなければ完全に履行し終えないような異例なものまでを予相しているものとは考えられない。

 

(2) 数年にわたらないと現金化できない権利と即時あるいは発生年度内に全部が現金化できる権利とでは、たとい債権額が同額であつても当該発生年度における実質的価格はおのずから差異が生ずべきものであるから、

 

本件のように数年にわたり分割されて履行期が来る権利についてその額面どおりの価格をもつて所得全額の基礎とすることは所得を過重評価する結果となり公平を失することになる。

 

 

(3) 前記当事者間に争いのない事実によれば、

 

 

本件売買は、支払条件の点を除き、典型的、単純な一回限りの資産譲渡であり、かつ、その契約内容、各年度における収入の金額時期等が明確で完全にこれらを把握できる状態にあることが明らかであり、従つて各年度別の現実収入につき課税すべきものとしても、その事務上殊更煩瑣さを増すものとは考えられない。

 

 

証人中原裕の証言(第一、二回)によれば、売主であるセツが特に一時に代金全額を必要としない事情にあつたことから本件のように長期にわたる分割支払を希望し、かつ右支払条件を考慮に容れて代金額が決定され、本件契約が成立したものと認められ、売買当事者間で格別に税金逋脱の意思を有していたとは認められない。

 

 

以上の諸理由を合わせ考えると、

 

本件においては権利確定主義の原則をそのままに適用すべきものではなく、例外的に現実収入主義適用すべき場合であると認めるのが相当である。

 

 

 

被告は、そのようにした場合には種々不合理が生じると言う。

 

 

 

しかしながら、収益費用対応の原則については、各年度の履行期到来の金額の割合に応じて経費等を各年度に分割して控除することによつて、これを貫くことができるものと考えられる。

 

 

本件のような場合は、社会経済生活上稀なことであろうから、法も予想していないところとみられ、特別控除額金十五万円を毎年控除することを避け得る規定がないので、この点は不公平にならざるを得ないし、累進税率になつている関係上所得の分散により税率が低くなるものと考えられるが、これらも前記諸理由と合わせ考えると

 

 

納税人の権利保護のうえからして現行法上止むを得ないものとせざるを得ない。

 

 

また、脱税を目的として長期の支払を約したようなことが明らかな場合には、原則にもどつて、権利発生時の所得として更正課税することが可能であろう。

 

このような事態が生ずることだけをおそれて本件のように真に脱税を目的としないで必要上代金分割払とされた売買についてさえも画一的に原則を貫くことは、納税人に余りに苛酷な取扱と言うべきである。

 

 

被告の主張も本件に現実収入主義を適用することを排除すべき充分な根拠とはならない。

 

 

そうすると、セツの昭和三十三年度における本件売買による収入金額は金百五十万円であると言わなければならない。

 

 

したがつて、売買代金全額を収入金額とする前提の下でされた本件更正は、その前提において誤りがあり違法であると言うべきである。

 

 

三、よつて、本件更生の取消を求める原告の請求は相当であるから認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

 

 

熊本地方裁判所民事第一部裁判長裁判官 仲 西 二 郎裁判官 西 沢   潔裁判官 森 林   稔