平成16年法律第14号附則27条1項と憲法84条(1)

 

 

 

 通知処分取消請求事件、千葉地方裁判所判決/平成19年(行ウ)第15号、判決 平成20年5月16日、税務訴訟資料258号順号10958について検討します。

 

 

 

 

 

【判示事項】

 

 租税法規については,罰則法規の場合と異なり,遡及立法の禁止を明文する憲法の規定は存在しないものの,租税法規について安易に遡及立法を認めることは,租税に関する一般国民の予測可能性を奪い,法的安定性をも害することになるから,特段の合理性の認められない限り,原則として許されるべきではなく,このことを憲法84条は,保障しているものと解されるとした事例

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主   文

 

 1 原告の請求を棄却する。

 2 訴訟費用は原告の負担とする。

 

       

 

 

 

事実及び理由

 

第1 請求

   

処分行政庁が平成18年2月17日付けで原告に対してした平成16年分所得税の更正請求に係る更正をすべき理由がない旨の通知処分を取り消す。

 

 

第2 事案の概要

   

本件は,原告が,平成16年4月1日に施行された改正後の租税特別措置法31条1項後段の規定(それまで認められていた土地建物等の譲渡損失を他の所得所得の金額から控除することを廃止する旨の規定)を同年1月1日以後に行う同条1項に規定する土地等又は建物等の譲渡について適用する旨の平成16年法律第14号(所得税法等の一部を改正する法律)附則27条1項が遡及立法に当たり,憲法84条に違反すると主張して,処分行政庁が同附則を原告が平成16年1月30日にした長期譲渡所得税対象土地の譲渡に適用して,その譲渡による損失の損益通算を認めず,原告の平成16年分所得税の更正請求に対し更正すべき理由がない旨の通知処分をしたのは違法であるとして,その取消しを求めている事案である。

 

1 関係法令の定め等

  

(1) 所得税法(平成18年法律第10号による改正前のもの)69条1項は,損益通算につき,総所得金額,退職所得金額又は山林所得金額を計算する場合において,不動産所得の金額,事業所得の金額,山林所得の金額又は譲渡所得の金額の計算上生じた損失の金額があるときは,政令で定める順序により,これを他の各種所得の金額から控除すると定めている。

  

(2) 租税特別措置法(ただし,平成16年法律第14号による改正後のもの。以下「改正措置法」という。また,租税措置法一般を呼称するときは,単に「措置法」という。)31条1項前段は,個人が,その有する土地若しくは土地の上に存する権利(土地等)又は建物及びその附属設備若しくは構築物(建物等)で,その年1月1日において所有期間が5年を超えるものの譲渡をした場合には,当該譲渡による譲渡所得(以下「長期譲渡所得」という。)については,他の所得と区分して,その年中の当該譲渡に係る譲渡所得の金額に対し,長期譲渡所得の金額の100分の15に相当する金額に相当する所得税(ただし,住民税5パーセントを含めれば20パーセントの税率)を課する旨規定している。

    

また,同項後段は,同項前段の場合において,土地等又は建物等(以下「土地建物等」という。)の譲渡所得の金額の計算上生じた損失があるときは,所得税法その他所得税に関する法令の規定の適用については,当該損失の金額は生じなかったものとみなす(すなわち,損益通算及び繰越控除を認めない。)旨規定している。

    

さらに,改正措置法31条3項2号は,同条1項の規定の適用がある場合の所得税法69条の適用については,① 同条1項中「譲渡所得の金額」とあるのは改正措置法31条1項に規定する譲渡による譲渡所得がないものとして計算した金額とする旨,② 「各種所得の金額」とあるのは同項の長期譲渡所得の金額を除いた金額とする旨規定して,総合課税の対象となる譲渡所得及び他の所得の金額の計算上生じた損失の金額がある場合でも,当該損失は,同項の長期譲渡所得の金額から控除することはできないこととしている。

    

なお,上記改正前の租税特別措置法(以下「改正前措置法」という。)31条1項は,長期譲渡所得の金額の計算上生じた損失の金額があるときは,所得税法69条の規定を適用し,他の各種所得の金額との損益通算を認める旨規定している。

  

(3) 改正措置法附則第27条1項(以下「本件改正附則」という。)は,「新租税特別措置法(改正措置法を指している。)第31条の規定は,個人が平成16年1月1日以後に行う同条第1項に規定する土地建物等の譲渡について適用し,個人が同日前に行った旧租税特別措置法第31条第1項に規定する土地建物等の譲渡については,なお従前の例による。」と規定している。

  

(4) 改正措置法は,31条1項後段の規定により,土地建物等の譲渡損失の損益通算を原則として認めないこととした上で,居住用財産を譲渡した場合の譲渡損失の金額の一部について,一定の要件の下に他の所得との損益通算及び繰越控除を認め(「居住用財産の買換え等の場合の譲渡損失の損益通算及び繰越控除」。改正措置法41条の5第1項,同第7項1号),あるいは,居住用財産を譲渡して買換えをせずに借家等に住み替える等の場合に,一定の要件の下に,当該譲渡によって生じた純損失の金額の一部について他の所得との損益通算及び繰越控除を認める(「特定居住用財産の譲渡損失の損益通算及び繰越控除」。改正措置法41条の5の2第1項,同第7項1号)こととしている。

  

(5) 改正措置法附則27条2項及び3項は,施行日前に死亡した者,施行日前に平成16年分の所得税につき所得税法127条(年の途中で出国する場合の確定申告)の規定による申告書を提出した者及び施行日前に同年分の所得税につき通則法25条の規定による決定を受けた者の同年分の所得税に係る措置法31条の規定を適用するに当たっては,土地建物等の譲渡による所得以外の他の所得との損益通算及び長期譲渡所得の100万円特別控除については,従前どおり適用する旨規定している。

  

(6) 本件改正附則と同様に暦年の途中から施行されながら,適用がその暦年の初日とされた法令の例

   

ア 昭和27年の税制改正により,退職所得が損益通算の対象外とされたときも(昭和29年の税制改正まで),当該改正法(昭和27年法律53号)は昭和27年4月1日から施行されている(同法附則1項)が,同年分以後の所得税について適用されている(同法付則22項)。

   

イ 昭和36年の税制改正により,趣味・娯楽の資産の譲渡による所得等の喪失について損益通算が廃止されたときも,当該改正法(昭和36年法律35号)は昭和36年4月1日から施行された(同法附則1項)が,同年分以後の所得税について適用されている(同法附則2項)。

   

ウ 昭和37年の税制改正により,生活に通常必要でない資産についての災害に係る雑損失と譲渡所得以外の所得との損益通算が廃止されたときも,当該改正法(昭和37年法律44号)は昭和37年4月1日から施行された(同法付則1条)が,同年分以後の所得税について適用されている(同法付則2条)。

   

エ 現行所得税法(昭和40年法律33号)においても,昭和43年の税制改正により,雑所得の金額の計算上生じた損失と他の所得との損益通算が廃止された際には,当該改正法(昭和43年法律21号)は昭和43年4月20日から施行された(同法付則1条)が,同年分以後の所得税について適用されている(同法付則2条)。

   

オ 改正法の施行日を含む年分の所得税について改正法が適用されているのは損益通算に係る場合だけでなく,所得税の課税対象への追加(昭和36年分以後の所得税に適用された,事業譲渡類似の有価証券の譲渡による所得等を譲渡益非課税から課税に変更措置)や各種控除の縮減・廃止(昭和55年分以後の所得税に適用された,給与所得控除率引下げ,平成12年分以後の所得税に適用された,年少扶養控除の廃止等,平成15年分以後の所得税に適用された,長期所有上場株式等に係る100万円特別控除の廃止)についても,同様に改正法の施行日を含む年分の所得税に適用されている。

 

 

2 前提事実(証拠等を掲記した事実以外は争いがないか明らかに争いがない。)

  

(1) 原告は,平成5年4月4日,佐倉市α×番22の宅地(以下「本件土地」という。)を4300万円で買い受け,これを平成16年1月30日,1750万円で譲渡する旨の契約を締結し,同年3月1日,本件土地を買受人に引き渡した(以下,この譲渡行為を「本件譲渡」という。)。その結果,2500万円余の譲渡損失(以下「本件譲渡損失」という。)が生じた(甲1ないし4,乙1)。

  

(2) 原告は,平成17年9月15日,給与所得,雑所得及び株式等に係る譲渡所得を平成16年分の所得と記載した同年分の所得税の確定申告書を処分行政庁に提出した。

  

(3) 原告は,平成17年11月16日,本件譲渡損失の金額は他の所得と損益通算すべきであるとして,これに基づき税額計算した結果,還付されるべき税金136万9400円が存在するとして,更正の請求書を提出したが,処分行政庁は,原告に対し,平成18年2月17日付けで,更正すべき理由がない旨の通知処分(以下「本件通知処分」という。)をした(甲2,乙2)。

  

(4) 原告は,平成18年2月22日,処分行政庁に対し,本件通知処分を不服として異議申立てをしたが,処分行政庁は,同年4月21日付けで,これを棄却する決定をした。

    

原告は,これを受けて,同月26日,国税不服審判所長に対し,審査請求をしたが,同所長は,同年9月19日付けで,これを棄却する裁決を行った。

    

本件通知処分,上記異議申立棄却決定及び上記裁決は,いずれも,本件譲渡には改正措置法31条の適用があり,そうすると,本件譲渡損失は,その他の所得の金額の計算上,生じなかったものとみなされること,すなわち,同損失については損益通算の処理ができないことを理由とするものであり,同法の適用を認める限り,本件通知処分のとおり,本件においては更正すべき理由がないことになる(甲2ないし4)。

    

原告は,平成19年3月15日,本訴を提起した。

 

 

3 争点

   本件改正附則は,憲法84条に違反するか。

 

 

 

4 争点に関する当事者の主張

 

(原告)

   

憲法84条が定める租税法律主義は,納税者の法的安定を図り,将来の予測可能性を与えることを目的にしているから,本件のような期間税である所得税についても,年度途中で年度の初めに遡って適用される租税改正立法については,年度開始前に納税者が一般的にしかも十分予測できる場合に限って許され,そうでない限り,納税者の信頼を裏切る遡及立法として,憲法84条に違反する。

   

しかるに,本件改正附則は,年度途中に施行された改正措置法を年度開始時に遡って適用することを定めるものでありながら,年度開始前にほとんど一般に周知されておらず,仮に納税者が年度開始前に知り得たとしても,その期間は7日程度の短期間に止まるのであるから,納税者に予測可能性があったとはいえない。その上,改正措置法が定める遡及適用を含む損益通算禁止は,正確な資料に基づかず,しかも財政上の必要性のないものであるから,本件改正附則は憲法84条に違反する。

 

(被告)

   

本件改正附則が,未だ平成16年分の所得税の納税義務が成立していない同年の途中で施行された損益通算廃止等を内容とする改正措置法を年度開始時点から適用することを定めているのは,所得税の期間税としての性質上むしろ当然のことであり,遡及立法禁止の原則に違反しない。

   

また,本件改正附則を含む改正措置法の立法目的は,現行の土地譲渡益課税制度を見直し,他の資産と均衡の取れた市場中立的な税体系を構築することにあり,そのため,土地建物等の譲渡所得に係る損益通算の廃止は税率引下げ等と一つのパッケージとされ,土地市場の活性化を図るために早急な実施が必要であった。

   

さらに,土地建物等の譲渡所得に係る損益通算の廃止及びそれが平成16年分以後の所得税について適用されることは,平成16年分所得税の課税期間が開始される以前からある程度国民に対して周知されていた。

   

これらの事情等に照らせば,本件改正附則の立法目的は正当であり,その内容はその立法目的との関連で不合理であることが明らかであるとは到底いえないから,本件改正附則は憲法84条に違反しない。

 

 

第3 当裁判所の判断

 

1 証拠(各認定事実ごとに末尾に掲記する)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。

  

(1) 平成16年税制改正の背景及び改正措置法の立法趣旨等(乙7,16,29の1ないし3,30ないし32)

    

平成16年税制改正は,現在,我が国が,少子・高齢化,グローバル化等の構造変化に直面している中で,公平な社会を構築し,将来にわたり持続的な経済社会の活性化を実現するため,税制を新たな社会に相応しい姿に再構築するための抜本的改革を進めていかなければならないとし,その際,①個人や企業の自由な選択を妨げず,経済活動に中立で歪みのない税制を基本としつつ,構造改革を推進し,経済社会の活性化を図るため必要な対応をすること,②経済社会の構造変化に対応しきれず,税負担の歪みや不公平感を生じさせている税制上の諸措置の適正化を図ること等の視点が重要であるとの基本的考え方に立っている。

    

そして,これらの視点に基づき,平成16年度改正においては,具体的に,個人資産の活用を促進し,資産デフレへの対応を図る観点から,住宅・土地税制等を見直す等の所要の措置を講じている。そのうち,土地税制に関しては,土地譲渡益課税につき,株式に対する課税とのバランスを考慮し,土地取引の活性化を後押しする観点から,長期譲渡所得の税率を引き下げている。

    

措置法関係の改正の内容は,上記前提事実(2)記載のとおりであるが,その改正の趣旨については,土地譲渡益課税について,使用収益に応じた適切な価格による土地取引を促進し,特に収益性の高い土地の流動性を高め,土地市場の活性化に資する観点から,株式に対する課税とのバランスを踏まえ,長期譲渡所得税の税率の引下げ及び他の所得との損益通算の廃止・繰越控除等を一つのパッケージとして措置することとされたものである。とりわけ,損益通算・繰越控除の廃止を採用した理由は,次のとおりである。すなわち,分離課税の対象となる土地建物等の譲渡所得に対する課税については,利益が生じた場合には比例税率の分離課税とされている一方で,損失が生じた場合には総合課税の対象となる他の所得の金額から控除することができるという主要外国に例のない不均衡な制度であるといったこと等の問題点が指摘されていた。このような問題に対処するため,今回の改正をする必要があったためである。もっとも,株式に対する課税との均衡を図るとはいっても,納税者の生活に大きな影響を与える居住用財産については,特別な配慮が必要であることから,改正措置法は,譲渡損失の損益通算及び繰越控除の特例の拡充・創設等の手当を施す等の措置を講じている。

    

そして,これらの改正は,平成16年1月1日以後に行う譲渡から適用することとされた(本件改正附則)。その趣旨は,仮に,関係改正規定の適用を1年間遅らせるとした場合,節税のための損益通算を目的とした安売りによる土地の売却を招いて,土地市場に不測の影響を及ぼすおそれがあることから,その適用を遅らせるのは適当ではないと判断したためである。実際にも,上記与党の「平成16年度税制改正大綱」の内容が報道された直後から,資産運用コンサルタント,不動産会社,税理士事務所等が開設しているホームページ上において,次々と値下がり不動産の年内駆け込み売却が勧められ,また,一部の税理士は,平成15年中にこの事態に対処していたと報じられていた。

  

(2) 改正措置法の立法に係る経緯は次のとおりである。

   

ア 平成12年7月,政府税制調査会において,「わが国税制の現状と課題ー21世紀に向けた国民の参加と選択ー」という報告書が作成されたが,その中で,損益通算に関し,租税回避行為への対応として,操作性の高い投資活動から生じた損失と事業活動などから生じた所得との損益通算の制限について検討が必要との指摘がされた(乙20)。

   

イ 平成14年2月18日,国土交通省の国土審議会土地政策分科会企画部会において,地価の上昇を前提としない土地税制や不動産に対する投資意欲の喚起のための不動産税制を考える必要があることなどが議論された(乙26の2)。

   

ウ 同年6月19日,国土交通省の「今後の土地税制のあり方に関する研究会」の中間取りまとめにおいて,バブル経済崩壊後の地価下落等の土地をめぐる環境の変化(利用価値に応じた価格形成)を踏まえた税制の構築,株式等他の資産と均衡を失しない市場中立的な税体系の検討等が必要であるとの指摘がされた(乙27)。

   

エ 平成15年8月31日,国土交通省は,平成16年度の税制改正について,株式等他の資産と均衡を失しない市場中立的な税体系を構築することにより土地への投資意欲を喚起するため,他の資産と比べて重く課税している土地譲渡所得に対する税率の引下げを要望した(乙28)。

   

オ 平成16年度税制改正の手続の流れは,次のとおりである。平成15年12月15日に政府税制調査会において「平成16年度の税制改正に関する答申」が,同年12月17日に与党において「平成16年度税制改正大綱」が取りまとめられ,平成16年1月16日には「平成16年度税制改正の要綱」が閣議決定された。この要綱に基づいて作成された「所得税法等の一部を改正する法律案」が,同年2月3日に国会に提出され,可決・成立し,同年3月31日公布された。

     

改正措置法を含む上記所得税法等の一部を改正する法律(平成16年法律第14号)は,平成16年4月1日施行された。なお,政府税制調査会による上記「平成16年度の税制改正に関する答申」には,土地建物等の長期譲渡所得について損益通算を廃止することは盛り込まれていなかったが,平成15年12月18日のA新聞に掲載された与党である自由民主党の上記「平成16年度税制改正大綱」には,土地建物等の長期譲渡所得について損益通算を廃止することが記載されていた。平成16年1月16日の閣議において決定された平成16年度の税制改正の要綱においても,土地建物等の長期譲渡所得について損益通算を廃止することが盛り込まれ,その内容が上記所得税法等の一部を改正する法律案となり,上記可決・成立したものである(甲7,乙7,21,弁論の全趣旨)。

 

 

2 以上1認定の事実及び上記前提事実を踏まえて,次に本件争点について検討する。

  

(1) 本件改正附則が遡及立法であるかどうかについて

    

原告は,本件改正附則が遡及立法に当たり,憲法84条の租税法律主義の規定に違反する旨主張する。

 

租税法規については,刑罰法規の場合と異なり,遡及立法の禁止を明文する憲法の規定は存在しないものの,租税法規について安易に遡及立法を認めることは,租税に関する一般国民の予測可能性を奪い,法的安定性をも害することになることから特段の合理性が認められない限り,原則として許されるべきではなく,このことを憲法84条は保障しているものと解される。

 

    

そこで,本件改正附則が遡及立法といえるかどうかについて検討する。確かに,上記第2の1(関係法令の定め等)及び2(前提事実)によれば,原告は,平成16年分の所得税の課税年度開始後に本件譲渡を行い,これによって多額の本件譲渡損失が発生した後に,譲渡による損失を他の所得の金額の計算上,損益通算することを禁止する規定を設け,その適用を年度開始時から行う旨の本件改正附則を含む改正措置法が同年度内に成立し,施行されたものであるから,同不動産の譲渡時を基準とする限り,少なくとも同附則は遡及立法に当たりはしないか問題となる。

 

実質的に考えても,本件譲渡がされた時点においては,その譲渡による損失を他の各種所得の計算上において損益通算できるとする改正前の措置法が効力を有していたのであり,一般納税者としては,その損益通算による利益をも予め考慮して譲渡に及ぶことが通常予想される。とりわけ,本件譲渡を行った者が租税の専門家とはいえない一般納税者の場合には,譲渡が行われた年度内に譲渡による損失の損益通算が廃止されることを予想して,その危険を回避する措置を期待することは必ずしも容易ではないとみられ,したがって,原告の場合,本件改正附則が本件譲渡にも適用されることによる不利益は決して少なくはないといえる。

    

しかしながら,遡及立法が禁止の対象とする行為は,過去の事実や取引を課税要件とする新たな租税を創設し,あるいは過去の事実や取引から生じる納税義務の内容を納税者の不利益に変更する行為であるところ,

 

 

 

所得税はいわゆる期間税であり,これを納付する義務は,国税通則法15条2項1号の規定により暦年の終了の時に成立し,また,その年分の納付すべき税額は,原則として所得税法120条の規定により確定申告の手続により確定するものであり,また,損益通算については,所得税法の関係規定によれば,所得税の納税義務が成立し,納付すべき税額を確定する段階において,その年間における総所得金額等を計算する際に,譲渡所得等の金額の計算上損失が生じている場合には,その金額を他の各種所得の金額から控除するという制度であり,個々の譲渡の段階において適用されるものではなく,対象となる譲渡所得の計算も,個々の譲渡の都度されるものでもなく,1暦年を単位とした期間で把握される(所得税法33条3項)ものである。

 

 

そうすると,本件において,平成16年分の所得税の課税期間が開始したものの,その所得税の納税義務が成立する以前に行われた本件譲渡についても改正措置法を適用する旨を定めた本件改正附則は,厳密にいえば,遡及立法には該当しないといわざるを得ない。

 

 

このことは,上記第2の1(関係法令の定め等)の(6)のとおり,本件改正附則と同様に暦年の途中で施行されながら,その適用を暦年の開始時からする旨を定めた法令の立法がこれまで少数とはいえ行われてきたことからもうかがわれる。

 

また,改正措置法の施行日前に納税者の死亡等によって,既に所得税の納税義務が成立し,又は確定している場合には,既に成立した納税義務の内容を変更することがないよう,改正措置法附則27条2項及び3項において手当がされていることからも明らかなように,そのような場合に当たらず,課税義務が未だ成立していない場合については,本件改正附則が遡及立法に該当しないことを当然の前提にしているものと解される。

    

もっとも,期間税の場合であっても,納税者は,通常,その当時存在する租税法規に従って課税が行われることを信頼して各種の取引行為を行うものであるといえるから,その取引によって直ちに納税義務が発生するものではないとしても,そのような納税者の信頼を保護し,租税法律主義の趣旨である国民生活の法的安定性や予見可能性の維持を図る必要はある。

 

もっとも,期間税について,年度の途中において納税者に不利益な変更がされ,年度の始めにさかのぼって適用される場合とはいっても,立法過程に多少の時間差があるにすぎない場合や,納税者の不利益が比較的軽微な場合であるとか,年度の始めにさかのぼって適用しなければならない必要性が立法目的に照らし特に高いといえるような場合等種々の場合が考えられるのであるから,このような場合を捨象して一律に租税法規の遡及適用であるとして,原則として許されず,特段の事情がある場合にのみ許容されると解するのは相当ではない。

    

そうすると,本件のように厳密には租税法規の遡及適用であるとはいえないような場合は,後記のとおり,立法裁量の逸脱・濫用の有無を総合的見地から判断する中で,当該立法によって被る納税者の不利益をも斟酌するのが相当であるというべきである。

  

(2) 本件改正附則が立法裁量を逸脱・濫用したものかどうかについて租税法規において,国民の課税負担を定めるについては,財政・経済・社会政策等の国政全般からの総合的な政策判断を必要とするばかりでなく,極めて専門技術的な判断を必要とすることも明らかであるから,納税義務者に不利益に租税法規を変更する場合は,その立法目的が正当なものであり,かつ,当該立法において具体的に採用された措置が同目的との関連で著しく不合理であることが明らかでない限り,憲法違反となることはないと解するのが相当である。そして,当該立法措置が著しく不合理かどうかを検討するに際しては,それが厳密には納税義務者に不利益な遡及立法とはいえないとしても,不利益に変更される納税者の既得利益の性質,その内容を不利益に変更する程度,及びこれを変更することによって保護されるべき公益の性質,納税者の不利益を回避するためにあらかじめ取られた周知等の措置等を総合的に勘案すべきである。

    

そこで,この観点に立って,本件改正附則の憲法適合性について検討する。

   

ア 本件改正附則を含む改正措置法の立法目的について

     

本件改正措置法の立法目的については,本件譲渡との関係では,税率引下げによる土地取引の活性化を促すことが低迷する我が国経済の現状に鑑みて急務とされていたことに加えて,株式に対する課税との不均衡是正の見地(ただし,納税者の生活に大きな影響を与える居住用財産の譲渡のような場合は,政策的見地から譲渡損失の損益通算等の特別の配慮を施している。)から,土地建物等の長期譲渡所得に係る損益通算をできるだけ早期に廃止する必要があったことが挙げられる。そして,本件改正附則を設けたのも,措置法の改正において,損益通算の廃止は,長期譲渡所得税率の引下げと一体の措置として実施することを予定していたところ,仮に損益通算の廃止のみの施行時期を遅らせれば,駆け込み目的の安売りによる資産デフレの助長が懸念されたことから,改正措置法31条の規定を平成16年分の所得の課税開始時以後に行う土地等の譲渡について適用する必要性が高かったことによる。

     

そうすると,本件改正附則を含む改正措置法の立法目的は正当なものということができる。

   

イ 立法目的との関連における本件改正附則の措置の合理性について

     

原告の主張は,要するに,改正措置法が施行される以前に認められていた土地建物等の譲渡による損失を他の所得金額の計算上,損益通算できる制度が,年度内に成立,施行された改正措置法の31条により廃止されたことにより著しい不利益を受けたものであり,また,このような不利益を受ける新たな制度(損益通算廃止)が設けられることの周知がされずに同法を年度開始時に遡って適用することを本件改正附則が規定していることから,納税義務者の予見可能性を奪うものであり,憲法84条に違反するというものである。そうすると,本件において合理性の有無が問題となる立法措置とは,①損益通算を廃止する改正措置法31条の措置及び②それを改正措置法の施行前の年度開始時以後の譲渡に適用する本件改正附則の措置ということになる。

     

そこで,これらの措置が著しく合理性を欠くかどうかについて,次に検討する。

    

(ア) ①の損益通算廃止措置について

      

居住者に対する所得税の課税は,すべての所得を合算した金額に対して行われるのが原則である(所得税法21条1項)が,所得税法では,退職所得及び山林所得に対しては,総合課税の例外としてそれぞれ分離課税とされ(所得税法22条),措置法においては,土地建物等の譲渡所得等に対する分離課税(措置法28条の4,31条,32条),株式等に係る譲渡所得等の課税の特例(措置法37条の10ないし37条の15)等の総合課税に対する多くの例外が定められている。これは,所得の性質からみて,ある所得の損失を他の所得から控除するのが相当ではないとみられ,それがために総合課税の対象外とされているものである。譲渡所得については,種々の特別措置が設けられているところ,土地建物等の譲渡所得については,土地政策等の観点から所得税本則による総合課税によらず,租税特別措置として,他の所得と区分して本則の負担よりある部分は軽課し,ある部分は重課するのが相当とされることから,分離課税とされている。

      

ところで,株式等に係る譲渡所得等に対する課税については,上記のとおり,措置法により,他の所得と区分して分離課税することとされているところ,利益が生じた場合には,原則として20パーセント(うち住民税5パーセント)の税率により課税され,損失が生じた場合には,当該損失の金額は生じなかったものとみなされている(措置法37条の10第1項)。他方,同じく分離課税とされる土地建物等の譲渡所得に対する課税については,株式等に係る譲渡所得等と同様に,資産の譲渡に係る課税であり,措置法により分離課税とされているにもかかわらず,利益が生じた場合には,26パーセント(うち住民税6パーセント)の税率による分離課税を行い,他方,損失が生じた場合には,最高税率50パーセントで総合課税の対象となる他の所得の金額から控除される損益通算が認められていたものであり,これが不均衡であり,適正な租税負担の要請を損なうおそれがあるとの指摘がされていた。

      

そうすると,土地建物等の長期譲渡所得について損益通算の制度を廃止することは,同所得に分離課税方式が採られていたこととの整合性を図り,かつ,損益通算がされることによる不均衡を解消して適正な租税負担の要請に応えるものとして,合理性があるということができる。

      

そして,平成16年度税制改正における譲渡所得についての損益通算の廃止は,長期譲渡所得の税率引下げ等の措置と相まって,使用収益に応じた適切な価格による土地取引を促進し,収益性の高い土地の流動性を高め,もって,土地市場を活性化させ,これにより土地価格の下落に歯止めがかかることが期待されたものであり,その目的に照らして,損益通算廃止措置は合理性を有するものと考えられる。もっとも,土地建物等の譲渡の場合は,株式等の資産の譲渡の場合とは異なり,居住用不動産の買換え等の必要から譲渡が行われる場合の損失について一定の政策的配慮が必要であるとみられるところ,この点については,上記のとおり,改正措置法において手当が施されており,したがって,上記合理性は確保されているものということができる。

    

(イ) ②の本件改正附則の措置について

      

原告が特に問題とする点は,上記(ア)の点よりもむしろ損益通算廃止措置を既に本件譲渡がされた日よりも前の年度開始日に遡って適用することを内容とする本件改正附則の合理性にあるものと解される。

      

そこで,この点の合理性について次に検討する。

      

原告は,本件改正附則の適用により,既に行った本件譲渡による多額の損失を給与所得等の所得の金額の算定上,損益通算することができないことになり,損益通算がされた場合に受けられる多額の税金還付が受けられないという予期しない不利益を受けていることは明らかである。このような不測の不利益を納税者にもたらさないためにも,既存の損益通算制度を廃止する租税法規は,その施行前に納税者に予測可能性をもたらすものである必要がある。本件の場合,不動産譲渡による損失を他の所得の金額の計算上,損益通算する制度の問題性については,平成16年税制改正の数年前ころから政府税制調査会において既に度々指摘されていたものであり,これが自由民主党の決定した平成16年度税制改正大綱の中に損益通算制度廃止という内容で盛り込まれた。そして,その大綱の内容は,平成15年12月18日のA新聞に掲載され,その周知の程度は完全なものとはいえないまでも,平成16年分所得税から長期譲渡所得について損益通算制度が適用されなくなることを納税者において予測することができる状態になったということができる。したがって,平成16年1月1日からの土地建物等の譲渡時を基準とすると,確かに切迫していたことは否定できないものの,同日以降の土地建物等の譲渡について損益通算ができなくなることを納税者においてあらかじめ予測することができる可能性がなかったとまではいえない。加えて,上記のとおり,所得税は期間税であること等から,暦年の終了時に納税義務が生じるものであり,その前においては,たとえ当該年分の所得税の課税期間が開始していたとしても,従前の租税法規の内容が改正されて年度開始時に遡って適用される可能性がないとはいえず,特に本件の場合のように,税制大綱が年度前に公表され,年度開始後1箇月程度で改正措置法案が国会に提出されて可決成立しているのであり,このような場合に改正法が年度開始時にさかのぼって適用される可能性は否定できない。そして,現にこれまでもそのようなケースが決して稀ではなかったことをも勘案すると,所得税のような期間税の場合,年度が開始した後は年度開始時に遡って租税法規が納税者に不利益に変更される可能性が立法の必要性如何によってはあり得ることを納税者としても全く予測できないとはいえないと考えられる。

      

そこで,本件改正附則が成立時にそれまで認められていた損益通算の制度を,既に課税期間が開始した平成16年1月1日にまで遡って適用しなければならないとするまでの合理性又は必要性があるかどうかについて考える。上記のとおり,本件改正附則の立法目的は,土地取引の活性化と株式取引等との不均衡是正の見地から,従来認められていた合理的とはいえない損益通算の制度の廃止等と長期譲渡所得税率引下げをパッケージとして,できるだけ早期に実施する必要があったことに加えて,これらの実施を翌年度まで遅らせれば(少なくとも,改正措置法施行後9箇月間は実施できないことになる。),その間に節税をねらいにした不当な低価による土地取引が横行しかねず,これが資産デフレをもたらすとの懸念によるものであり,特に後者の点は,現にその与党である自民党の平成16年度税制改正大綱がA新聞に報道された直後ころから,年内の駆け込み土地売却を勧める税理士等の提案がインターネットのホームページに掲載される等の動きがみられたことからも,単なる懸念にとどまらず現実性を帯びていたものである。そうすると,本件改正附則のとおり,損益通算を廃止する等を内容とする改正措置法を成立・施行前の平成16年1月1日に遡って適用する合理性・必要性を肯定することができる。そして,その公益性と原告等の納税者にもたらされる不利益とを比較した場合,明らかに納税者の不利益が上回るということはいえず,少なくとも,本件改正附則の内容が立法目的に照らして著しく不合理であるということはできない。したがって,本件改正附則は憲法84条には違反しないから,その違反をいう原告の主張は理由がなく採用することはできない。

      

そうすると,本件においては,本件改正附則の適用があるから,本件通知処分は適法である。

 

 

第4 結論

 

   よって,原告の本訴請求には理由がないから,これを棄却することとし,主文のとおり判決する。

    千葉地方裁判所民事第3部

        裁判長裁判官  堀内 明

           裁判官  上田 哲

    裁判官西田昌吾は転補のため,署名押印することができない。

        裁判長裁判官  堀内 明