賃金等請求事件、大阪地方裁判所判決/平成27年(ワ)第6286号、判決 平成28年11月10日、LLI/DB 判例秘書登載について検討します。
主 文
1 被告は,原告に対し,310万8322円及びうち277万9206円に対する平成27年4月1日から,うち17万6958円に対する平成27年4月16日から,それぞれ支払い済みまで年14.6パーセントの割合による金員を支払え。
2 被告は,原告に対し,276万7648円びこれに対する本判決確定の日の翌日から支払い済みまで,年5分の割合による金員を支払え。
3 被告は,原告に対し,45万4260円及びこれに対する平成27年7月14日から支払い済みまで,年6分の割合による金員を支払え。
4 原告のその余の請求を棄却する。
5 訴訟費用はこれを3分し,その2を原告の負担とし,その1を被告の負担とする。
6 この判決は,第1,3項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
1 被告は,原告に対し,711万6832円およびうち675万8822円に対する平成27年4月1日から支払い済みまで年14.6パーセントの割合による金員を支払え。
2 被告は,原告に対し,675万8822円およびこれに対する本判決確定の日の翌日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被告は,原告に対し,165万4029円およびこれに対する平成25年4月16日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。
4 被告は,原告に対し,45万4260円およびこれに対する平成27年7月14日(訴状送達日の翌日)から支払い済みまで,年6分の割合による金員を支払え。
5 第1,3および4項につき,仮執行宣言
第2 事案の概要
1 事案の骨子
(1) 本件は,被告の元従業員であり,被告において,総菜や弁当の製造に従事していた原告が,
①割増賃金も支払われずに長時間の労務の提供をさせられたとして,賃金債権の消滅時効完成前のものについては割増賃金として,消滅時効完成後のものについては不法行為に基づく損害賠償として,それぞれその支払い,
②本件の割増賃金の不払いは悪質であるから,割増賃金と同額の付加金の支払いを命ずるべきであるとしてその支払い,
③被告は原告を被告を適用事業所とする社会保険(健康保険)に加入させる義務があったのにそれを怠り,その結果,原告には健康保険料の労働者負担分と国民健康保険料の差額相当額の損害が生じたとして,債務不履行に基づく損害賠償の支払い,を請求した事案である
(請求には,それぞれ請求の種類に応じて,法定利率年5分の割合による遅延損害金,賃金の支払の確保等に関する法律所定の年14.6パーセントの割合による遅延損害金,商事法定利率年6分の割合による遅延損害金の請求を含む。)。
(2) 被告は,原告に与えていた業務は,原告が主張するような長時間の労務の提供を要するものではない,割増賃金として残業代等の名目で金銭を支払っているから,その範囲では割増賃金は発生しない,本件において付加金の支払いを命ずるのは相当とはいえないなどとしてこれらの支払義務を争い,また,原告との間では社会保険に加入しない合意があったから,債務不履行も存在しないと主張している。
2 前提事実
(1) 当事者
ア 原告は,大韓民国の国籍を有する女性であり,平成18年ころから日本に継続的に滞在するようになり,平成20年にAと婚姻し,現在は日本人の配偶者等の在留資格で日本に滞在している外国人である。
イ 被告は,飲食店の経営等をする会社であり,「△△」の店名で飲食店や総菜店を出店している。
(2) 原被告間の雇用関係の内容等
ア 原告は,平成22年2月19日に被告と雇用契約を締結し,総菜販売等の厨房担当として稼働していたが,平成27年3月31日,被告を退職した。
本件で時間外勤務が問題となっている期間についてみると,原告は平成25年6月までは被告の西宮店に配転されていたが,同年7月から退職に至るまでは,被告の阪急うめだ店に配転されていた。
イ 原被告間では,雇用契約書(甲1,8)が作成されている。
なお,雇用契約書(甲8)には,
①始業終業の時刻は9時ないし19時か9時30分ないし19時30分であること,
②休憩時間は2時間とすること,
③賃金は23万円であり,うち15万円は基本給,8万円は職務手当であって時間外手当相当分であること等が手書きで記載されているが,これらの記載は,原告が雇用契約書に署名・押印した時点では存在せず,事後に被告側が書き込んだものであった。
ウ 被告における賃金計算期間は,毎月1日から末日であり,賃金支払日は,翌月15日である。
平成24年6月から平成27年3月までの間に被告が原告に支払った賃金の名目や金額は,被告が原告に交付していた給与明細書によれば,別紙1のとおりである。なお,このうち,名目不明とあるものは,その金額が何らかの手当として支払われているが,その名目が給与明細書には何ら記載されていないものであり,平成25年12月分から平成26年7月分に限って支払われている。
エ 被告には,タイムカードレコーダーが設置されており,原告は,出退勤のころにタイムカードを打刻していたほか,打刻漏れ等があった場合には,手書きで書き加えるなどし,被告の担当者の確認印を受けていた。平成25年4月1日から平成27年3月31日の期間において,原告のタイムカードに記録されている出勤および退勤の時刻は,別紙2のとおりである。
オ 被告は,原告について,被告を適用事業所とする社会保険への加入手続きを取っていない。
3 争点および争点に関する当事者の主張
(1) 被告は割増賃金の支払義務を負うか(争点1)
ア 原告
(ア) 労働実体
平成25年4月から平成27年3月までの原告の始業時刻と終業時刻は,それぞれタイムカードに記録されているとおりであり,休憩時間は1時間である。
(イ) 計算について
a 割増賃金算定の基礎となる賃金
被告が原告に支給している賃金は,基本給や報奨金,残業手当等の名目からなるが,原告は,固定残業代として支払われる賃金があるとは聞いていなかったうえ,実際に発生した時間外賃金が残業手当等を上回る時の清算もされていなかった。
したがって,被告が原告に支給していた賃金は,すべて時間外手当算定の基礎となる賃金に該当する。
b 月平均所定労働時間
法定労働時間を基準とする。以下の計算式のとおりであり,平年は173時間となる(閏年は174時間)。
[計算式]
365日/7日×40時間/12ヶ月≒173時間
c 結論
以上を踏まえて本件の割増賃金の額を計算すると,別紙3のとおりであり,675万8822円となる。
イ 被告
(ア) 労働実体
原告は,出社し,タイムカードを打刻してから着替え,勤務態度も著しく不良であった上,退社時も着替えてから,さらには雑談をしてからタイムカードを打刻していた。
原告が担当している作業量は,休憩時間2時間との前提で,能率が悪いということを考慮に入れても,出勤時刻は午前8時ころ,退勤時刻は午後6時か遅くとも午後7時で十分に可能である。実労働時間としては,1日あたり8時間か多い時でも9時間も見積もれば十分である。
(イ) 計算について
a 被告が原告に支払っていた賃金は,基本給とその他の手当からなるが,基本給のうち1万4000円は,原告が被告の社会保険に加入しない代わりに被告が負担することとした社会保険料補助であり,基礎となる賃金から除かれる。
また,残業手当,深夜残業手当,報奨金および休日手当は,いずれも割増賃金として支払っているものであり,基礎となる賃金には含まれない。したがって,基礎となる賃金は,基本給から1万4000円を控除した金額である。
b 仮に出勤時刻を午前8時か午前9時,休憩時間を2時間として,退勤時刻をタイムカードに沿って本件の残業代を計算すると,被告が固定残業代として支払っている手当によって,割増賃金は,全額が支払済みである。また,タイムカードの打刻時間に沿って計算したとしても,被告が固定残業代として支払っている手当によって,割増賃金の大部分は支払い済みである。
(2) 付加金の支払いを命ずるのが相当か(争点2)
ア 原告
原告が長期間にわたって長時間労働を提供していたことは明らかであるうえ,被告は,雇用契約書を作成することなく,空白の雇用契約書に署名押印させ,被告に都合のよい内容を書き加えるなどしており,法を遵守する意識が著しく欠如している。したがって,本件では,未払割増賃金と同額の付加金の支払いを命ずるべきである。
イ 被告
被告に割増賃金の支払義務がないことは上記のとおりである。また,仮に被告に何らかの法違反が認められるとしても,被告は原告に対し,十分すぎる固定残業代を支払い,社会保険料も月額1万4000円の補助をしてきたのであり,被告には法違反をしたとの認識はなく,責められるべき点もない。
したがって,付加金の支払いを命ずるべきではない。
(3) 原告は割増賃金相当額の損害賠償請求権を有するか(争点3)
ア 原告
平成24年6月から平成25年3月までの,原告の始業時刻と終業時刻は,それぞれタイムカードに記録されているとおりであり,休憩時間は1時間である。
被告は,原告が恒常的に月100時間を超える残業をしていることを知りながら,これを改善することなく,長年にわたり違法に残業させ続けた。原告は,長年にわたり,過酷な労働環境で残業手当も支払われずに労務を提供しており,被告の違法性が極めて高いこと等に鑑みると,不法行為が成立することは明らかである。
当該不法行為によって,原告は,時効が完成している平成24年6月分から平成25年3月分までの未払割増賃金相当額の損害を被ったというべきところ,その額は,別紙4のとおり,150万4029円となる。また,弁護士費用相当額は,その1割の15万円である(合計165万4029円)。
イ 被告
原告の長時間労働の実態はないこと,被告が原告に支払っている固定残業代の金額が実際に発生している割増賃金の額を超えていることは上記のとおりである。
また,時効により消滅した債権について,不法行為に基づく損害賠償名目で請求することは,時効の制度趣旨を没却するものであり,許されない。
(4) 雇用契約に基づく債務不履行の有無および損害額(争点4)
ア 原告
(ア) 原告は,社会保険加入義務があったにもかかわらず,加入手続きを怠ったため,原告は国民健康保険料をすべて自己負担しなければならなかった。
(イ) 原告が負担した国民健康保険料の総額は,平成24年度から平成26年度までで105万8826円である。これに対し,社会保険に加入した場合の健康保険料の自己負担額は60万4566円であり,その差額の45万4260円相当の損害を被った。
イ 被告
被告は,原告の同意を得て,原告を被告を適用事業所とする社会保険に加入しない代わりに,平成22年5月分の賃金から,月額1万4000円を社会保険料補助として,基本給に含めて支給するようになった。
したがって,社会保険に加入することは,雇用契約の内容に含まれておらず,債務不履行にはあたらない。
第3 当裁判所の判断
1 争点1について
(1) 認定事実
ア 前提事実並びに証拠(甲3,4,11,乙1,原告本人)および弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
(ア) 原告は,平成22年に被告と雇用契約を締結し,当初は,被告の西宮店に配属されていたが,以後,堺北花田店,西宮店,堺北花田店と異動した後,平成24年10月に西宮店に異動し,平成25年7月には,阪急うめだ店に異動した。
(イ) この間のかなりの期間において,原告を担当する上司はB部長であり,原告はB部長の指示を受け,適宜B部長と相談しながら業務を行っていた。
(ウ) 原告は,西宮店では,午前8時30分ころに出勤することが多かった。
しかし,阪急うめだ店では,開店時刻までに弁当を作って並べておく必要があり,出勤後にお米を研いで炊き,弁当用のナムルやトッポギ,キムチチゲ,チヂミ等をある程度まとまった数量作る必要があったため,B部長の指示により,午前7時半ころまでには出勤するようになった。
(エ) 阪急うめだ店では,厨房を担当しているのは主として原告であったが,他の従業員1名が主として海苔巻きの製造を手伝うことがあった。厨房で製造している弁当の種類は全部で15種類程度であり,1日あたりの製造総数は100から150であった。
(オ) 原告は,阪急うめだ店では,昼過ぎには厨房から離れた場所で1時間程度の休憩を取っていたほか,開店時刻までに並べておく弁当の準備が一段落したころなど,1日に2回程度,厨房を出て,タバコ休憩を取っていた。
(カ) 原告の賃金は,当初は23万円前後であり,その内訳は,15万円前後が基本給であり,その余は残業手当とされていた。
しかし,その後,不定期に報奨金という名目で数万円の金銭が支給されるようになり,平成23年4月ころからは,恒常的に報奨金が一定額支払われるようになった。
平成24年6月から平成27年3月までの間に被告が原告に支払った賃金の名目や金額は,被告が原告に交付していた給与明細書によれば,別紙1のとおりである。
イ 事実認定に関する補足説明
(ア) 労働時間について
被告は,原告が担当している作業量からすれば,能率が悪いことを考慮しても,実労働時間として8ないし9時間程度見積もれば十分であると主張する。
しかし,原告が担当している作業量が少ないとはいえないし,
このような作業は,能率的かどうか等によって,
要する時間に相当な差が生ずることは考えられるところであり,
作業量から原告の労働時間が明確に推認できるものとはいえない。
かえって,
①原告がタイムカードの打刻のころに出退勤していたことは被告も争っておらず,
②阪急うめだ店においては,休憩時間等を除けば,原告は基本的には,地下1階の厨房にいたことが認められ,
③原告には適用されていないものの,被告においては,厨房担当の専門職の賃金は,基本給と職務手当がほぼ同額とされており(甲9),
それだけ長時間の時間外労働があることが予定されていたことが窺われる。
これらの事実に照らせば,原告は,タイムカードに記録されている出勤時刻から退勤時刻までのうち,休憩時間を除く時間については,労務を提供していたと認めるのが相当である。
そして,本件で,原告の能率がいいとはいえず,それゆえ労働時間がある程度長時間に及んでいた可能性は否定できないものの,
実際に時間外労働に及んでいたのであれば,それに相応する割増賃金を支払うのは当然であって,
労働者の能力不足や能率の悪さを割増賃金を支払わない正当理由とできるものではない。
本件でも,作業量を前提として,実労働時間を8ないし9時間程度と見積もることはできない。
また,被告は,原告の労務の提供は,被告の指揮監督に基づかないとも主張するが,B部長との相談で出勤時刻を取り決めたことは上記のとおりであり,指揮監督に基づかないものと評価することはできない。
(イ) 休憩時間について
本件の休憩時間について,原告は1時間であると主張し,被告は雇用契約書の記載も根拠に2時間であると主張する。
そこで検討すると,まず阪急うめだ店については,原告が昼休みとして1時間の休憩時間を取得していたことは争いがなく,
また,それ以外にも,原告本人の供述によれば,タバコ休憩を1日に2回程度取得していたことが認められる。
原告は,生理現象としてのトイレに行くついでであって,タバコを吸った本数も1,2本であるから,休憩と評価できるようなものではないと主張するが,
厨房から離れた場所に行っており,呼び出されればいつでも対応しなければならない等の事情があったことまでは伺われないうえ,
原告自身,朝の業務が一通り終わった後に一息つこうと思い,トイレに行くついでにタバコを吸っていたと供述しているのであるから,
勤務時間の合間に,休憩する意思をもって,一時的に労務の提供を中断していたと評価せざるを得ない。
そして,阪急うめだ店における原告の拘束時間が1日あたり12,3時間に上り,その間の休憩時間も拘束時間に対応してある程度長いものであったと考えられること,
開店時に並べるお弁当を作った後はただちに取り掛からなければならない作業に追われていた様子までは窺われず,
それ以降もお弁当の追加や翌日の作業等はあったものの,
大量の作業に追われていた様子までは窺われないこと等の本件の事情も総合すれば,
原告は,昼の休憩時間1時間のほか,タバコ休憩として,1日2回,1回あたり10分程度の休憩時間を取得していたとみるのが相当である
(なお,被告は,雇用契約書(甲8)や他の従業員の供述を根拠に原告が1日2時間程度の休憩時間を取得していたと主張するが,
甲8の休憩時間は事後に書き込まれたものであり,これが原被告の雇用契約の内容となっていたと認めることはできないうえ
(そもそも甲8に記載されている賃金の内訳や名目は,
被告が乙1で主張する雇用契約締結当初の賃金の内訳や名目と齟齬しており,
原被告間で雇用契約が締結されたころに手書きの部分が補充されたかどうかについても疑いを抱かざるを得ない。),
昼の1時間以外の休憩が被告においてどのような形で与えられていたかは不明確であり,2時間の休憩時間を取得していたとまで認めることはできない。)。
これに対し,西宮店については,原告はタバコ休憩や家族との電話をすることがあったことは認められるものの,
昼の休憩時間も含めて休憩取得の実情は明確とはいえない。
また,阪急うめだ店のような形態であれば,タバコ休憩や昼休憩は休憩としての実体を有していたものといえるが,
西宮店の実情は不明確であり,タバコを吸う等している時間であっても,手待ち時間と評価される可能性も否定できない。
そうすると,西宮店の休憩取得の実情は不明確といわざるを得ず,原告が主張するとおり,1日1時間を休憩時間とするのが相当である。
(2) 判断
ア 労働時間について
以上認定したところによれば,本件では,出退勤時刻はそれぞれタイムカードを打刻した時刻であり,休憩時間は,平成25年4月から6月は60分,同年7月以降は80分である。
イ 割増賃金の計算について
(ア) 基礎となる賃金および固定残業代該当性
a 原告は,基礎となる賃金は,通勤手当以外のすべての賃金と主張し,被告は,基本給のうち1万4000円を除いた額であり,残業手当,深夜残業手当,報奨金および休日手当等は固定残業代に当たると主張する。
b そこで検討すると,本件の賃金のうち,残業手当については,当該手当の名称からも明らかなとおり,固定残業代として支払う旨の使用者の意思は明確であり,他方,これを残業代(割増賃金)以外の賃金とするような当事者間の合意を認めるに足りる証拠もないから,いわゆる固定残業代であって,割増賃金の既払いに該当すると認めるのが相当である。
原告は,固定残業代に関する合意はなかったと主張し,原告本人も契約締結時に被告代表者から賃金は20万円という説明しかなく,
固定残業代に関する説明はなかったと供述するが,
一定額が残業手当として支払われていることに異議を述べた様子はないうえ,
本件で割増賃金を請求されている期間をみると,
平成25年4月分と平成27年1月分を除き,残業代を除く賃金額は20万円を上回っている。
そうすると,原告の供述を前提としても,契約締結当時はともかく,本件の割増賃金請求期間についてみれば,少なくとも合意された賃金のほか,残業手当名目での賃金が支払われていると評価すべきものであり,
かかる賃金について,名目から使用者の意思を忖度し,割増賃金として支払っていると評価することが不当とはいえない。
また,原告は,実際に発生した割増賃金が残業手当を上回る時の清算がされていなかったことを根拠として,
固定残業代と認めることはできないとも主張する。
しかし,労働者は,清算合意の有無にかかわらず,未払いの割増賃金を請求できるから,
当該合意の有無や清算の実績は,当事者間の権利関係に何らの影響も及ぼすものではなく,
このような合意の存在を固定残業代が認められるための要件と解することはできない。
c 次に残業手当以外の部分を検討すると,被告は,
①基本給のうち1万4000円については,社会保険料の補助として支払っているから基礎となる賃金から除外すべきであり,
②深夜残業手当,報奨金および休日手当(精勤手当の扱いは被告の主張でも不明確であるが,他の手当として同様に扱う趣旨と解される。)も固定残業代にあたると主張する。
しかし,①については,原告は1万4000円が社会保険料補助として支払われたことを否認しているうえ,
仮に,社会保険料補助として支払われたものであるとしても,除外賃金(労働基準法施行規則21条)のいずれにも該当しないから,基礎となる賃金から除外する理由とはならない。
また,②については,深夜残業手当や休日手当は,もともとは報奨金として支払っていたものが,ある時期を境として名目が付されなくなり,
その後,休日手当となり,その一部が深夜残業手当に振り替えられたことは,賃金額の推移から明らかである。
また,原告は,深夜の割増賃金が発生する時間帯に労務を提供することはほぼなく,休日も就業規則で定められた最下限の日数(4週を通じ4日以上)は概ね取得できていたものである。
そして,発端となる報奨金という手当の名目は,一般には時間外手当としての性質を有する名称とはいえないことも総合すれば,
これらの手当は,もともとは基礎となる賃金を構成するものを被告の都合で恣意的に名称を変更し,深夜残業手当や休日手当の名称を付したにすぎず,これらの手当としての実体を有するものとはいえない。
そうすると,これらの手当(精勤手当も含む。)は,すべて基礎となる賃金に含まれると解するのが相当である。
(イ) 月平均所定労働時間について
本件では,所定労働時間は不明確であり,法定労働時間をもって所定労働時間とする(なお,本件で割増賃金が問題となっている期間についてみると,173時間48分である。)。
(ウ) 計算
以上を踏まえ,本件の割増賃金の額を算定すると,別紙5のとおり,295万6164円となり,
退職日における既発生の遅延損害金(商事法定利率年6分)の合計額は15万2158円となる
(なお,本件では一部に深夜割増賃金が発生する日があるが,原告の請求には,深夜割増賃金は含まれていないので,深夜割増賃金は計上していない。また,被告の就業規則では,特定の曜日を休日とする旨は定められていないから,1週のうちに労務を提供していない曜日があれば,その日を法定休日と扱うことになると解される。
別紙5の計算では,原則として,日曜日を起算日とする週の最終日の土曜日を法定休日としているが,土曜日に出勤があり,他の日に出勤がない週は,出勤がない日を法定休日としている。)。
なお,原告は,退職日以降については,年14.6パーセントの遅延損害金を請求しているが,平成27年3月分の割増賃金(17万6958円)については,同年4月15日の経過によって遅滞に陥るので,この部分については,遅延損害金の計算始期は同月16日であり,この範囲で認容することとなる。
2 争点2について
本件の原告の時間外労働の時間が著しく長時間に及ぶこと,未払いの割増賃金の額が多額に上ること,被告はタイムカードによって,原告の拘束時間が長時間にわたっていることは把握できた状況とあるところ,
割増賃金の支払義務がない根拠として被告が掲げている点は,合理的根拠に乏しいこと等の本件の事情を総合すれば,本件では,未払賃金と同額の付加金の支払いを命ずるのが相当である。
ただし,付加金については,訴え提起の時点ですでに2年が経過しているものは除斥期間が経過しているので(なお,本件の訴え提起日は平成27年6月25日である。),本件の付加金支払いの対象となる部分は,平成25年6月分以降の割増賃金となり,
その額は,別紙5のとおり,276万7648円である。
3 争点3について
(1) 原告は,割増賃金のうち,消滅時効が完成したものについて,不法行為に基づく損害賠償の請求として,割増賃金相当額を請求している。
しかし,時間外労働については,それに相応した割増賃金請求権が発生しているから,時間外労働をしたことによって,損害があるとはただちに評価できないし,
消滅時効が完成した結果,割増賃金請求権が行使できなくなったとしても,それは時効の援用による結果であって,それ自体を不法行為と観念することはできない。
(2) そうすると,不法行為を理由とする原告の請求は,それ自体失当である。
4 争点4について
(1) 雇用契約書(甲1,8)には,試用期間経過後は,被告を適用事業所とする社会保険に原告を加入させる旨が明記されており,本件雇用契約は,原告を被告を適用事業所とする社会保険に加入する旨の合意を含むものであったと認められる。
被告は,このような合意はなく,むしろ社会保険に加入しないことで合意し,社会保険料補助として1万4000円を基本給に加えて支払ったと主張するが,かかる合意を認めるに足りる証拠はない。
(2) そうすると,社会保険に加入しないことは債務不履行にあたり,証拠(甲6)によれば,原告は,これによって平成24年4月ないし平成27年3月分の国民健康保険料として105万8826円の支出を余儀なくされたと認められる。
原告は,上記金額からこの間の労働者負担分の健康保険料相当額60万4566円を控除した45万4260円の支払いを請求しており,かかる請求は全部理由がある。
第4 結論
よって,主文のとおり,判決する。
大阪地方裁判所第5民事部
裁判官 前原栄智