難民性が認められた事例(1)

 

 

 

 難民の認定をしない処分取消等請求事件、東京地方裁判所判決/平成23年(行ウ)第73号、判決 平成24年4月13日、判例タイムズ1405号90頁について検討します。

 

 

 

 

 

 

【判示事項】

 

 ミャンマー国籍を有し,同国内の少数民族に属し,キリスト教牧師である外国人に対してされた難民の認定をしない処分が違法とされた事例

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主   文

 

 

1 法務大臣が平成20年9月1日付けで原告に対してした難民の認定をしない処分を取り消す。

 

2 東京入国管理局長が平成22年9月30日に原告に対してした出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく原告の異議申出は理由がない旨の裁決を取り消す。

 

3 東京入国管理局主任審査官が平成22年10月1日,原告に対してした退去強制令書発付処分を取り消す。

 

4 本件訴えのうち,東京入国管理局長が平成20年9月8日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項に基づく在留特別許可をしない処分が無効であることを確認することを求める訴えを却下する。

 

5 訴訟費用は,被告の負担とする。

 

       

 

 

 

 

 

 

 

事実及び理由

 

第1 請求

 1 主文第1項から第3項までと同旨

 2 東京入国管理局長が平成20年9月8日付けで原告に対してした出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項に基づく在留特別許可をしない処分が無効であることを確認する。

 

第2 事案の概要

 本件は,ミャンマー連邦共和国(以下「ミャンマー」という。)の国籍を有し,ミャンマー国内の少数民族であるチン民族に属しキリスト教の牧師である原告が,ミャンマーのチン州における反政府組織である「チン民族戦線」(Chin National Front。以下「CNF」という。)の活動を支援したことなどから,帰国すれば迫害を受けるおそれがあって,平成21年法律第79号による改正前の出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)2条3号の2,難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)1条,難民の地位に関する議定書1条にいう「難民」に該当すると主張し,法務大臣が原告に対してした入管法61条の2第2項に基づく難民の認定をしない処分は原告が難民であることを看過してされた違法なものであり,難民に該当する原告に対して東京入国管理局長がした入管法49条1項に基づく原告の異議申出は理由がない旨の裁決及び東京入国管理局主任審査官がした退去強制令書発付処分はいずれも違法であるとして,これらの各処分の取消しを求めるとともに,原告は難民に該当するのであるから,東京入国管理局長がした入管法61条の2の2第2項に基づく在留特別許可をしない処分には重大な違法があるとしてその無効確認を求めた事案である。

 

1 争いのない事実等(証拠により容易に認められる事実は,末尾にその証拠を掲記した。)

  

(1) 原告

 原告は,1976年(昭和51年)にミャンマーのチン州においてミャンマーの少数民族であるチン民族として出生したミャンマー国籍を有する外国人男性である(乙A23)。

  

(2) 原告の入国及び難民認定申請の状況等

 

ア 原告は,平成18年3月9日,成田国際空港(以下「成田空港」という。)に到着し,インド共和国籍の「A」なる人物の氏名が記載された偽造旅券を真正な旅券であるかのように偽装して上陸申請をし,東京入国管理局(以下「東京入管」という。)成田空港支局入国審査官から上陸許可印を受けて本邦に入国した。

 

イ 原告は,同月27日,難民認定申請(以下「本件難民申請」という。)をした。

 

ウ 原告は,同年9月14日,仮滞在許可を受けた。

 

エ 法務大臣は,平成20年9月1日,本件難民申請について,難民の認定をしない処分(以下「本件不認定処分」という。)をし,同月10日,原告にその旨を通知した。

 

オ 法務大臣から権限の委任を受けた東京入国管理局長(以下「東京入管局長」という。)は,平成20年9月8日,原告に対し,入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分(以下「本件在特不許可処分」という。)をし,同月10日,原告にこれを通知した。

 

カ 原告は,平成20年9月16日,法務大臣に対し,本件不認定処分について,異議の申立てをしたが,法務大臣は,平成22年7月28日,上記異議申立てを棄却する旨の決定をし,同年8月9日,原告にこれを通知した。

 

キ 原告は,平成22年10月14日,2回目の難民認定申請をした。

  

 

 

(3) 原告の退去強制手続

 

ア 原告は,平成18年5月10日,入管法24条1号(不法入国)該当容疑により東京入管の摘発を受けた。

 

イ 原告は,同年9月14日に,上記(2)ウの仮滞在許可を受けたことから,東京入管入国警備官は,同月25日,原告に係る違反事件を停止した。

 

ウ 東京入管入国警備官は,原告の仮滞在許可が平成22年7月28日に終了したことにより,同年8月9日,原告に係る違反事件を再開した。

 

エ 原告は,所定の手続を経て,平成22年9月27日,東京入管特別審理官による口頭審理を受け,東京入管入国審査官による原告が入管法24条1号に該当し,かつ,出国命令対象者に該当しない旨の認定に誤りがない旨の判定を受けたことから,法務大臣に対して異議の申出をしたところ,法務大臣から権限の委任を受けた東京入管局長は,同月30日,原告の異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をし,同日に本件裁決の通知を受けた東京入管主任審査官は,同年10月1日,原告に本件裁決を通知するとともに,退去強制令書を発付した(以下「本件退令発付処分」という。)。

 

オ なお,原告は,平成22年8月9日,東京入管収容場に収容され,その後,入国者収容所東日本入国管理センター(以下「東日本センター」という。)に移収されるなどしたが,平成23年5月27日,東日本センター所長から仮放免許可を受け,出所した。

 

 

 

 

 

 

 

 

2 争点

  (1) 原告は「難民」に該当するか否か

  (2) 本件裁決は違法であるか否か

  (3) 本件退令発付処分は違法であるか否か

  (4) 本件在特不許可処分は無効であるか否か

 

3 争点に関する当事者の主張の概要

  

(1) 原告は「難民」に該当するか否か

 

(原告の主張)

 

ア ミャンマー政府は,チン州における反政府組織であるCNFと連絡を取っていると疑う人に対し,逮捕,拷問,強制労働などの人権侵害行為を行い,裁判なしに死刑を執行している。

 また,ミャンマー政府は,チン州において,キリスト教を弾圧しており,宗教規制やミャンマー政府の要求に従わないチン民族の宗教指導者やクリスチャンたちを,逮捕,投獄し,あるいは殺害することもある。

 

イ 原告は,ミャンマーのタントラン郡サイカ村のサイカバプティスト教会に勤めていたキリスト教の牧師であったところ,2004年(平成16年)5月,サイカ村の元村長であった原告の父と共にミャンマー政府の軍により3日間身柄を拘束され,その駐屯地に連行されて,様々な拷問を受けた。そして,身柄を拘束された原告を解放するために,サイカ村の村民らが軍に5万チャットという大金を持参し,原告,原告の父及び当時の村長の3人が,今後はCNFとの関わりを持たないことなどを誓約する旨の書面に署名したことから,ようやく解放された。

 原告がこのような身柄拘束や拷問を受けたのは,原告はキリスト教の牧師であって,ミャンマー政府との間で宗教的に対立する存在である上,教会は人が集まることから目立ちやすく,さらに原告が牧師をつとめていた教会はタントラン郡にあるところ,CNFの活動家はタントラン郡出身の者が多く含まれていることから,軍に反政府組織であるCNFとの関係を疑われやすい存在であったからである。

 

ウ 原告は,2005年(平成17年)の12月下旬から翌年1月上旬ころの間,CNFの依頼に応じて,聖職者としてCNFのキャンプに出かけたが,そのことが原因で,原告の父及びサイカ村の村長が軍によって連行され,村長は数日後に解放されたもののその日に吐血して死亡した。このときに軍が原告の父や村長を連行したのは,原告が,2004年(平成16年)の身柄拘束を解かれる際に署名した誓約書の内容に違反して,CNFのために説教をしに行くという行動をとったことによるものであって,仮に原告がそのときサイカ村にいれば,原告も同様に連行され,拷問や長期の身体拘束を受けていたであろう。

 2006年(平成18年)1月初旬,CNFのキャンプにいた原告は,父親やサイカ村の村長の身柄拘束等の事情を知ると共に,母親から,危険だから戻ってくるなという連絡を受け取り,CNFの計らいでインドに逃げ,CNFが手配した偽造のインド旅券を用いて,日本に入国し,難民認定申請をした。

 

エ 原告は,本邦に入国した後も,日本に滞在しているチン民族のキリスト教徒によって結成されたチン・クリスチャン・フェローシップ(Chin Christian Fellowship。以下「CCF」という。)において,常駐の牧師として活動しており,ミャンマーにいたころと変わらず,牧師としての地位を確立している。また,日本におけるチン民族のコミュニティにおいても活動しているところである。

 

オ 以上のとおりであって,原告には,チン民族であるという「人種」,そしてキリスト教とその牧師という地位に基づく「宗教」,さらにはCNFへの協力という点から「政治的意見」により,迫害のおそれが認められる。

 

 

 

 

(被告の主張)

 

ア キリスト教の牧師である原告が,チン州において,キリスト教徒であることや教会活動に関係していることのみをもって,ミャンマー政府に把握され迫害の対象となることはない。

 

イ 原告は,2004年(平成16年)にCNFとの関係を疑われ軍に身柄を拘束され,原告の父親も逮捕されて,誓約をして解放されたことや,2005年(平成17年)にCNFから依頼を受けてCNFのキャンプに滞在していたところ,原告の父及び村長が軍に連行されたことなどを主張するが,これらの点についての原告の供述は変遷し,不自然な点が含まれており信用できない。また,仮に,このようなことがあったとしても,いずれも原告とCNFとの関係を理由に行われたとは考えられず,ミャンマー政府が原告を迫害の対象として原告に関心を寄せていた事情となるものではない。

 

ウ また,原告は本邦において,牧師として活動し,さらに,在日チン族協会(Chin National Community-Japan)において活動していることを難民該当性を基礎付ける事情として主張するようであるが,これらはいずれもミャンマー政府が原告を迫害の対象として原告に関心を寄せるようなものとはいえない。

 そして,原告が偽造旅券を行使して本邦に入国したことも,難民該当性を基礎付ける事情となるものではない。

 

エ かえって,原告の家族が,原告主張の2006年(平成18年)の事件があった後,ミャンマー政府から迫害を受けた事実は認められないのであって,これは,原告の難民該当性を否定する事情である。

 

オ 以上によれば,原告を難民と認めることはできない。

  

 

 

 

 

 

 

 

(2) 本件裁決は違法であるか否か

 

(原告の主張)

 上記(1)に主張したとおり,原告は難民である以上,ミャンマーに送還することはできないから,本件裁決は,このことを看過してした違法なものである。

 

 

(被告の主張)

 

ア 原告は,本邦に不法入国した者であり,入管法24条1号所定の退去強制事由に該当するから,原告が法律上当然に退去強制されるべき外国人にあたることは明らかであって,本件裁決は適法である。

 

イ 原告は,自らが難民に該当することを前提として,本件裁決が違法であることを主張する。

 しかしながら,法務大臣等が退去強制手続の中で異議申出に対する裁決を行う際には,入管法50条1項の適用はなく,法務大臣等は,専ら,申立人が退去強制対象者に該当するか否かに係る特別審理官の判定に対する申立人の異議申出に理由があるか否かのみを判断するものであるから,難民認定申請者が難民であると認められたとしても,このことは異議申出に対する裁決の違法事由とはならず,原告の主張は失当である。

  

 

 

 

(3) 本件退令発付処分は違法であるか否か

 

(原告の主張)

 上記(2)に主張したとおり,本件裁決は違法なものであるから,違法な裁決に基づいてした本件退令発付処分も違法となる。

 

(被告の主張)

 法務大臣から権限の委任を受けた東京入管局長から「異議の申出には理由がない」との裁決をした旨の通知を受けた場合,主任審査官は,速やかに退去強制令書を発付しなければならず(入管法49条6項),その点に裁量の働く余地はないから,適法である本件裁決を前提とする本件退令発付処分にも違法はない。

  

 

 

 

(4) 本件在特不許可処分は無効であるか否か

 

(原告の主張)

 上記(1)に主張したとおり,原告は難民であるから,在留を特別に許可すべきであったといえ,難民に対し在留を特別に許可しなかった本件在特不許可処分には重大な違法があり,無効である。

 

(被告の主張)

 上記(1)に主張したとおり,原告が難民であるとは認められないから,そのことをもって本件在特不許可処分が違法とされる余地はない。

 また,ある処分が無効であるというためには,重大かつ明白な瑕疵がなければならないところ,本件在特不許可処分の瑕疵は明白ではないから,無効とはいえない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第3 当裁判所の判断

 

1 争点(1)(原告は「難民」に該当するか否か)について

  

(1) 入管法2条3号の2は,同法における「難民」とは,難民条約1条の規定又は難民の地位に関する議定書1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうとしているところ,難民条約1条A(2)及び難民の地位に関する議定書1条2項は,「難民」とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及び……常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」をいうとしている。

 

 そして,ここにいう「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味し(難民条約33条1項参照),「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的な事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも「迫害」の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解される。

  

 

 

 

(2) そこで,まず,本件不認定処分がされた平成20年9月1日ころまでのミャンマーの一般情勢についてみると,証拠(甲1,乙B1,5,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,

 

 

ミャンマーは,1962年(昭和37年)以来,独裁的な軍事政権による支配が続き,

 

1988年(昭和63年)の民主化運動の影響を受けて,

 

1990年(平成2年)5月に実施された選挙において民主化支持政党が圧勝した後も,軍事政権は,その選挙結果を無視して,軍事支配を続けていること,

 

ミャンマーの人口は5400万人程度であるところ,

 

インド国境と接するミャンマー北西部の山岳地帯に位置するチン州には,推計50万人のチン民族が居住していること,

 

ミャンマー出身のチン民族は,90パーセント以上がキリスト教で,米国バプテスト教会の教義を信仰していることがそれぞれ認められる。

  

 

 

 

(3) 次に,CNFについてみると,証拠(甲1,原告本人)によれば,CNFは,チン州におけるチン民族の民族自決権の保障と民主主義に基づく諸民族平等の連邦国家の樹立を目的として,

 

ミャンマーにおける民主化運動が激化した1988年(昭和63年)に結成されたチン州におけるチン民族による反政府運動の最大の地下組織であって,

 

その内部に「チン国民戦線」(Chin National Army。以下「CNA」という。)と呼ばれる軍事部門を有しており,CNF及びCNAともにメンバーの大半がキリスト教を信仰していることが認められる。

 

 

 そして,米国のニューヨークに本部を置く国家等による人権侵害を監視する非政府機関である「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」が,

 

2005年(平成17年)1月から2008年(平成20年)10月までの間にインドにおいて,

 

2008年(平成20年)にタイ及びマレーシアにおいて,

 

それぞれ主として2006年(平成18年)以降にミャンマーから避難したチン民族約140人を対象として,

 

無報酬かつ任意での聞き取り調査を行った結果をまとめ,

 

2009年(平成21年)1月付けで発表した報告書である

 

「忘れ去られた民のごとく(We Are Like Forgotten People)」(甲1)には,

 

まず,CNFやCNAに関するものとして,

 

2000年(平成12年)に,CNAや他の反政府集団と連絡を取ったことすらなかった者が,

 

ミャンマー政府の警察から,CNAへの関与を疑われて,CNAの情報を漏らすまではやめないと責められ,

 

棒や銃の台尻で殴られ,電気ショックを与えられるなどの拷問を何時間も繰り返されたこと,

 

2001年(平成13年)4月,チン州タントラン郡の村において,

 

牧師の家に交流礼拝にやってきたCNAのメンバー2人をミャンマー政府の軍が見つけたことから,

 

CNAを援助したとみなして,その牧師やその息子を殴り,その村人たち500人をも全員家から出して村の中央に集めて拷問し,

 

その牧師が村議会議員でもあったことから村議会議員全員とその家族を逮捕して監獄に収容したこと,

 

2004年(平成16年),チン州Falam郡において,ミャンマー政府は,チンの村人に対し,

 

CNFやCNAの銃を捜させたこと,

 

2005年(平成17年)2月,チン州Falam郡において,ミャンマー政府の軍が,

 

CNFやCNAの一掃作戦を行ったこと,

 

2006年(平成18年)にミャンマー政府がCNAを捜してチン州Falam郡全域を調べ,地方村議会の代表を殴って射殺したことがあったこと,

 

2006年(平成18年)10月15日,ミャンマー政府の軍の諜報部員が,CNAに対し金銭を与えた者を逮捕,殴打し,刑務所に1か月勾留したこと,

 

2007年(平成19年)2月17日,農民が,自分の畑から帰る途中に,ミャンマー政府の軍の兵士らに引き留められて,その前日の晩に起きたCNFとミャンマー政府の軍の兵士らとの間の銃撃事件に関与したと言いがかりをつけられて逮捕され,殴打されたこと,

 

2007年(平成19年)3月にもミャンマー政府がチン州Matupi郡においてCNAの存在を報告せずにCNAを援助したとして3人の村長を処刑したことがそれぞれ記載されている。

 

 

 

また,同報告書(甲1)には,村の責任者に対する暴行等に関して,村の村長や村議会議員等には村の出来事を管理する責任があり,軍への情報提供を怠った村長,とりわけCNF等の反政府勢力を援助したと疑われる者は,ミャンマー政府によって投獄,尋問,殴打,拷問されること,

 

たとえば,2003年(平成15年)10月,チン州Matupi郡の村長が,CNFに対し食べ物や金を与えたところ,直ちにミャンマー政府の軍に逮捕,拷問され,一週間監獄に入れられて,耳を殴られるなどした後,再びCNFに食料を渡したり援助をした場合には逮捕,投獄されることになると記載された誓約書に署名させられた上釈放されたが,

 

その一ヶ月後にCNFが来たことを軍に報告しないでいたところ,軍が村長の再逮捕を発令したこと,

 

2006年(平成18年)にチン州Falam郡のある地域において,CNAがいるとミャンマー政府から疑われたために,村長が1人殺害され,他の12の村々でもそれぞれの村長が逮捕されて,その村長らを釈放するために20万チャットを政府に支払ったこと,

 

その村長らは,逮捕される際や監獄の中でミャンマー政府の軍に殴られ,また,釈放の際に,全員,村によそ者が来たときに通報するとの内容の誓約書に署名をさせられたこと,

 

2007年(平成19年)8月,チン州Paletwa郡の村人らがミャンマー政府の軍に払う金銭が足りなかったときに,その村の村長が,軍から激しく殴られたことがそれぞれ記載されている。

 

 

 

 

 これらの記載については,内容に特に不合理な点を見出すことができず,

 

またこれらを否定すべき証拠も窺えないのであって,

 

個々の事実がすべて真実であるかどうかはともかく,

 

ミャンマー政府が,本件難民不認定処分がされた2008年(平成20年)ころまでの間,チン州における反政府勢力であるCNF及びCNAを強く敵対視し,

 

これらの組織に協力した者のみならず,関与が疑われる者についても,身柄を拘束して暴行や拷問を行ったり,殺害をしたりし,

 

また,村長には,村にこれらの組織の関係者が来たことを軍に知らせるなどの責任を負わせ,それを守らなかった場合には村長に暴行や拷問を加えることなどがあったと認めることができる。

  

 

(4) そして,2008年(平成20年)9月19日付け米国国務省報告書(乙B1)には,

 

ミャンマーにおける宗教弾圧について,ミャンマーに正式な国教はないもののミャンマー政府は,独立以来2008年(平成20年)の時点においても,仏教を事実上優遇する一方で,その他の宗教の信仰を制約してきており,

 

その制約は,国家統一又は中央権力を脅かすものか否かという観点から行われる傾向があったこと,

 

ミャンマー政府当局は,宗教組織の会合と活動に潜入し,それを監視し,説教や宗教関連の出版物を管理し,検閲し,宗教団体の集会に干渉し,チン州のキリスト教会が宗教儀式を行うには数か月前に開催許可を受けなければならなかったこと,

 

一部の地域においては,キリスト教聖職者による改宗の活動を禁止し,キリスト教への新規改宗者の国民登録証が没収されたり,聖職者の逮捕,家庭教会の閉鎖及び宗教礼拝の禁止などキリスト教団体に対する措置を取り続けたことがそれぞれ記載され,

 

また,前記のヒューマン・ライツ・ウォッチ作成の報告書(甲1)には,ミャンマー政府は,単一国家性の創設のためにミャンマー族以外の民族の宗教を弾圧していること,

 

ミャンマー政府は,チン州において,キリスト教への改宗を制限して礼拝を妨害し,キリスト教の聖書及び文学の印刷や輸入を制限し,教会や十字架,その他の宗教的象徴を破壊して,教会建物の修復や建設を制限し,キリスト教徒の会議,祝祭及び行事を制限してきたこと,

 

宗教規制やミャンマー政府の要求に従わないチン民族の宗教的指導者やキリスト教徒は逮捕,投獄のみならず死の危険があり,

 

たとえば,2004年2月付けの資料によれば,宗教的指導者等がその信仰する宗教と活動を理由に逮捕された件数が136件以上あり,うち少なくとも2件は殺害があったとされていることがそれぞれ記載されている。

 

 

 これらの記載については,内容に特に不合理な点を見出すことができず,またこれらを否定すべき証拠も窺えないところ,

 

 

これらによれば,ミャンマー政府は,本件難民不認定処分がされた2008年(平成20年)ころまでの間,およそキリスト教徒であることから直ちにその生命や身体に対し危害を加えるようなことまではしていなかったものの,

 

宗教組織の会合や活動に潜入して監視や検閲を行うなどして,宗教活動に対してたえず警戒をし,軍政府の活動を脅かすような場合には改宗活動を禁止したり,家庭教会の閉鎖や宗教礼拝の禁止などキリスト教団体に対する措置を行い,宗教規制やミャンマー政府の要求に従わないチン民族の宗教指導者やキリスト教徒を逮捕して投獄したり,殺害したりしたことがあったことが認められる。

  

 

 

 

 

 

 

(5) 次に,原告の来日までの活動等について検討する。

 

 

ア 証拠(甲2,乙A5,6,11の1,12,20,22,23,25,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,

 

 

原告は,2003年(平成15年)3月からミャンマーのチン州タントラン郡サイカ村において牧師として活動してきたところ,

 

2004年(平成16年)5月,CNFへの関与が疑われて,原告の父と共にミャンマー政府の軍に逮捕されて,3日間にわたって身柄を拘束され,その間,CNF等の活動への協力についての尋問をされるとともに,繰り返し殴打されるなどの拷問を受け,村長が村人らから集めた5万チャットを軍に賄賂として渡し,原告が,今後村の外に出て説教をしない,説教をするときにCNFについては一切触れない,CNFとは関わりをもたないとの趣旨の誓約書に署名して,原告の父及び村長が原告の誓約を保証した後,釈放されたことが認められる。

 

 

 

 この点につき,被告は,原告がCNFに協力したとの疑いをもたれた理由に関して,当初原告はCNFとの関わりがなかったと供述していたにも関わらず,その後の尋問においてCNFのメンバーも原告の教会の礼拝に参加することがあったと供述を変遷させており,

 

CNFへの関与が疑われて逮捕されたとの供述は信用できないと主張する。

 

 

しかし,そもそも原告がCNFと関わりがなくとも,CNFのメンバーが教会の礼拝に参加することは十分にあり得ることであって,

 

それが供述の変遷であるとは必ずしも言い難いことはもとより,

 

前記(3)で述べたように,原告が実際にCNFに関与していなくとも,ミャンマー政府がその疑いを抱いて尋問や拷問をすることは十分に考えられるのであって,この点についての被告の主張は採用できない。

 

 

 

 また,被告は,原告が署名したとする上記の誓約書の内容に関する供述には変遷があるから信用できないと主張する。

 

 

この点,確かに,原告は,本人尋問において,誓約書にCNFと関係する内容があった旨供述したものの,

 

本人尋問より前の時点で,誓約書にCNFに関係する記載があったことを端的に述べてはいなかったことが窺える。

 

しかしながら,証拠(乙A5,12)によれば,

 

原告は,難民認定申請書の「亡命を求める理由」として,

 

CNFの政策を広める政治家であるとして告発され,逮捕されたが,多くの民衆を集めて神の御言葉を説かないという条件付きで解放された旨記載し,

 

また,異議申立ての審尋においても,

 

反政府組織と接触を持ったことにより軍事政権に拘束されて逮捕され,釈放される際「もう二度としない」という誓約書に署名をさせられたと述べているのであって,

 

反政府活動と疑われるような言動をしないという趣旨の誓約書を書かされて釈放されたということではほぼ一貫しており,

 

これらは本人尋問の際に述べた誓約書の内容と特に矛盾するものではなく,

 

この点をもって原告が身柄を拘束され暴行を受けたことに関する供述の信用性に疑いを抱かせるほどの変遷があったということはできない。

 

 

 

 さらに,被告は,2004年(平成16年)に元村長であった原告の父が身柄を拘束されたにも関わらず,

 

当時のサイカ村長が拘束されなかったことは不自然であるとも主張するが,

 

原告は,原告の父が原告と共に身柄拘束された理由として,原告の父が元村長であったことのみならず,原告が宗教活動を行っていた際に教会の指導者として原告の近くにいたことを理由として挙げており(乙A6,原告本人),

 

そのような状況下において直接原告の行為に関与したことが窺われない村長の身柄を拘束しないことも十分考えられるのであって,村長が身柄拘束されなかったことが不自然であるとはいえない。

 

 

イ 次に,その翌年である2005年(平成17年)12月ころの原告の行動についてみるに,証拠(甲2,9,乙A5,6,11の1,12,22,23,25,

 

 

原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,原告は,同年12月19日ころ,CNFのメンバーによる訪問を受けて,ミャンマーとインド共和国との国境近くにあるCNFのキャンプにおいてクリスマスと新年の礼拝・説教を行ってもらいたい旨の依頼されたこと,

 

原告としてはCNFと関わりを持つことで軍から厳しい処罰を受けるおそれがあることやサイカ村においてクリスマスや新年の行事を行いたいことなどから行きたくないと考えたものの,

 

自らの聖職者としての信念に基づき,インドにあるCNFのキャンプに行って,2006年1月上旬まで滞在し,キリスト教の牧師として礼拝・説教を行ったことがそれぞれ認められる。

 

 

 

 この点について,被告は,原告がCNFのキャンプに行った理由が,依頼を断った場合の恐怖により仕方なく半ば強制的に連れて行かれたとの供述から,

 

民族的使命に駆られて行くこととした旨の供述に変遷していると主張するが,

 

原告は,CNFから依頼を受け,CNFのキャンプに行きたくないと思ったが,

 

最終的には聖職者としての信念から行くことにしたという趣旨のことを繰り返し述べ,

 

難民認定申請書にも,最初拒否したが,あまりに強く求められて,

 

牧師としての責任があるから,最終的に彼らの願いを受け入れたと記載しているのであって(乙A5),

 

 

原告がこのような心理的な葛藤を経た上でCNFのキャンプに赴いたことを,

 

それぞれ力点の置き方を変えて表現した場合には上記のような供述になることも十分に考えられるのであり,

 

 

むしろ原告の供述は,上記のとおりその中核部分においてほぼ一貫しているのであって,

 

上掲の各証拠に照らせば,表現ぶりに多少の差異が生じているからといって,原告がCNFのキャンプに行って礼拝や説教を行ったことを否定することにはならない。

 

 

 

 

 また,被告は,原告がCNFのキャンプに行くことについてCNFが村人に対して口止めを行ったと原告は供述する(乙A6,原告本人)が,

 

ミャンマー政府のスパイがいる可能性があるサイカ村においてそのようなことをすることは考えられず,

 

原告がCNFのキャンプに行ったことも信用できない旨主張するが,

 

上記のとおりCNFに関与する者が拷問にかけられることが少なくないチン州において,

 

サイカ村の村人たちを信頼して口止めすることもまた十分に考えられるのであって,

 

原告が口止めについて上記の供述をしたからといって,原告がCNFのキャンプに赴いたことが否定されることにはならないことはいうまでもない。

 

 

 

 

ウ そして,証拠(甲2,9,乙A5,6,11の1,22,25,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,

 

2006年(平成18年)1月2日ころ,サイカ村の原告の自宅に,ミャンマー政府の軍が,原告を逮捕しにやってきて,その場に原告がいなかったことから,原告の父及び村長を逮捕して,数日間にわたって拘束し,村長は,釈放後,死亡したことが認められる。

 

 

また,このサイカ村の村長の死亡は,村長が原告の父親とともに2004年(平成16年)に原告の誓約を保証した者であるところ原告がこの誓約を破ってCNFのキャンプにおいて礼拝を行ったことに加えて,村長が村の出来事の責任を負う立場にあり,CNFを援助したと疑われる村長はミャンマー政府によって投獄,尋問,殴打,拷問されるというミャンマーの上記一般情勢をも考慮すると,ミャンマー政府の軍がその身体に暴力等を加えたことによるものと推認される。

 

 

 

 これに対し,被告は,原告が供述する原告の父の身柄拘束期間が矛盾すると主張するが,

 

上記認定事実に関する原告の供述の核心は,原告の父及び村長の拘束や村長の死亡の事実の点にあり,

 

この点について原告の供述は一貫しており,

 

2004年(平成16年)に原告の行った誓約を村長が保証したことや,

 

ミャンマーにおいてはCNFなどの反政府組織の関係者が来たことを軍に知らせるなどの責任を村長に負わせることがあるとの一般情勢にも合致しているところであって,

 

原告の父親の正確な身柄拘束期間については,そもそも原告にその情報をもたらした原告の母親等ですら正確に認識していたのか疑問もあるから,

 

この点について正確性を欠くことをもって原告の上記供述の信用性を否定すべき事情であるということはできない。

 

 

 

 

 

 

 

エ また,証拠(甲2,9,乙A1,2,5,6,12,20,22,23,25,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,原告は,

 

2006年(平成18年)1月5日,CNFのキャンプにおいて,上記ウにみた原告の父及び村長の拘束,村長の死亡等の知らせを聞いたことから,サイカ村に帰ることはせずに,CNFの指示に従い,インドのミゾラム州アイゾールに逃げ,その後,CNFが用意した偽造のインド旅券を用いて,インドから,同年3月9日,飛行機で日本に渡航したことが認められる。

  

(6) 次に,原告の来日後の活動等について検討すると,証拠(甲2,4,11,乙A6,7,12,23,25,原告本人)及び弁論の全趣旨によれば,

 

原告は,2006年(平成18年)3月9日に日本に入国した後,

 

同月27日に難民認定申請をしたこと,

 

同月ころ,牧師である原告にもできることがあると考えて,ミャンマーのチン民族を代表して民主主義と人権のために活動している在日チン族協会に加入し,

 

その中央執行委員となり,その会合やデモに一般参加者として参加したこと,

 

原告は,在日ミャンマー連邦少数民族協会(Association of United Nationalities in Japan)に加入したこと,

 

原告は,平成18年8月20日,チン・クリスチャン・フェローシップ(Chin Christian Fellowship。以下「CCF」という。)の常駐の牧師に任命され,

 

それ以来,牧師としての活動を継続してきたこと,

 

また,原告は,平成19年11月17日に結成されたミャンマーキリスト教聖職者団体の役員の一人として活動してきたこと,

 

平成22年11月21日,CNF本部によって承認され,チン民族の自決権の保障と自由と民主主義に基づくミャンマー連合の樹立を目的とするCNFRCのアドバイザリー・ボードとして参加したこと,

 

原告は,来日後,ミャンマーの家族に送金したことはないことが,それぞれ認められる。

  

 

 

(7) 以上を踏まえて,原告の難民該当性について検討する。

 

 上記にみたとおり,原告は,2004年(平成16年)ころ,サイカ村バプティスト教会の牧師として,礼拝等の宗教活動を行っていたところ,同年にミャンマー政府からCNFへの協力を疑われたことから,逮捕され,厳しい拷問にあったものであるが,同時点では,軍の示した誓約書への署名と,原告の父及びサイカ村の村長の保証,村人の集めた5万チャットの賄賂の支払によって釈放されたものであり,その後,2005年(平成17年)12月に至るまでの間,原告が軍から拘束等を受けていないことや,実際にもその間原告がCNF等の反政府勢力に協力したことは窺われないことからすると,2005年(平成17年)12月までの間の事情の下では,通常人が原告の立場に置かれた場合に,迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していたとはいえない。

 

 

 しかしながら,その後の原告の来日までの活動についてみると,

 

上記にみたとおり,原告が,2006年(平成18年)12月に,CNFのキャンプに赴いて礼拝等を行ったところ,

 

軍政府の関係者が,その直後である2007年(平成19年)1月ころ,原告の自宅を訪れて原告の父親及び村長を拘束して,村長を拷問して死亡させ,

 

キャンプに滞在していた原告が,そのころ,その知らせを聞いたことから,ミャンマーのサイカ村に戻ることなく,CNFの協力を得て,CNFが用意した偽造のインド旅券を用いて,インドから日本に渡り,渡航後約2週間で難民認定申請をせざるをえなくなったものである。

 

 

そして,そのころのミャンマー政府は,反政府組織であるCNFを強く敵対視し,その協力者あるいは協力者と疑う者の身柄を拘束し,暴行を加え,拷問をし,場合によっては裁判を経ないで死刑にするなど厳しい対応をとっていたことに加え,

 

キリスト教などの少数民族が信仰する宗教を弾圧しており,宗教規制やミャンマー政府の要求に従わないチン民族の宗教的指導者の身柄を拘束し,暴行を加え,拷問し,場合によっては殺害するなどやはり厳しい対応をとっていたのであって,

 

そのような状況の下では,上記のような原告の活動は,まさにCNFに対して協力を行ったものであり,

 

しかもCNFはそのメンバーの大半がキリスト教を信仰している反政府組織であることから,

 

ミャンマー政府としては看過し難い事態と認識せざるを得ず,

 

現に,ミャンマー政府としても原告のそのような活動を把握して原告に制裁を加えることを企図して原告の自宅を訪れており,

 

そのような緊急事態にあったからこそ,サイカ村において牧師として平穏に活動していた原告も,わざわざインドを経由し偽造の旅券を用いるなどの不法な手段を用いて出国し,日本において保護を求めなければならなかったものということができるのであって,

 

原告が,本国に帰国すれば,CNFに協力するチン族の宗教的指導者として,ミャンマー政府から逮捕,拷問,裁判を経ない死刑等の制裁を受けるであろうと認められる。

 

 

 

 しかも,原告は,来日後に,在日チン族協会,在日ミャンマー連邦少数民族協会といったチン民族又はミャンマーの少数民族のための団体に加入し,

 

CCF,ミャンマーキリスト教聖職者団体において牧師として活動するなど,

 

ミャンマーの少数民族たるチン民族の中における牧師としての信念をいささかも揺らがせることなく持ち続けて公然と活動しているのであって,

 

これらの活動をミャンマー政府が把握する可能性は十分ある上,これらの活動は,ミャンマー政府からみると,原告がミャンマー出国後も活発に自らの信念に基づいてチン民族の自決権等のために活動していることを示すものといえ,

 

原告に対する制裁の必要性を強く感ずるものであるといえる。

 

なお,本件不認定処分後の事情ではあるが,原告は,CNFRCのアドバイザリー・ボードにも名を連ねるに至っており,これも原告がCNFへの協力の姿勢をさらに強固にするものとして,ミャンマー政府に,原告に対するさらなる制裁の必要性を感じさせるものである。

 

 

 そして,原告自身,来日後まもなく難民認定申請を行い,難民認定申請時から原告本人尋問に至るまで,一貫してミャンマー政府から迫害を受けるおそれがあると供述しており,

 

来日後も,上記にみた在日チン族協会や牧師等の活動を行っているものの,ミャンマーへの送金等をしていることは窺われず,

 

難民認定申請に関する手続きおいても,牧師として働けなくなったことを悲しく思い,ミャンマーが民主化され,迫害のおそれがなくなったら,ミャンマーに帰りたいとすら述べている(乙A6,25)のであって,

 

原告の言動に,難民に藉口して稼働その他の目的で我が国に入国したことを窺わせるものは見出し難い。

 

 

 

 以上のとおり,上記にみた平成20年9月1日当時のミャンマーの一般情勢の下での原告の活動に照らすと,原告については,チン民族の自決権保障等のために活動する反政府勢力であるCNFのキャンプにおいてキリスト教の宗教的指導者として礼拝等を行った者として「人種」,「政治的意見」及び「宗教」を理由に,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的な事情はもとより,通常人がその立場に置かれた場合にも,ミャンマー政府から,その生命又は身体の自由を侵害され又は抑圧されるおそれを抱くような客観的な事情が存在しているということができるから,原告は難民であると認められる。

 

 

2 争点(2)(本件裁決は違法であるか否か)について

  

(1) 被告は,原告が難民であると認められたとしても,このことは異議申出に対する裁決の違法事由とはならないと主張する。

 

 しかしながら,入管法53条は,退去強制を受ける者は,その者の国籍又は市民権の属する国に送還されるものとし(1項),その国に送還することができないときは本人の希望によりその他の国に送還されるものとするが(2項),法務大臣が日本国の利益又は公安を著しく害すると認める場合を除き,退去強制を受ける者が送還される国には「難民条約第33条第1項に規定する領域」の属する国を含まないものとする(3項)と定めており,難民条約の適用を受ける難民に該当すると認められる者を我が国から国籍国に送還することは,法務大臣が日本国の利益又は公安を著しく害すると認める場合でない限り,入管法53条3項に違反する違法な行為となる。

 

 このような入管法の規定によれば,退去強制手続においては,退去強制を受ける者の送還先を誤らないために,送還時においてその者が難民に該当するかどうか,そしてその送還先は当該難民の生命又は自由を脅威にさらす領域ではないかについての判断が常に求められているというべきであり,送還時における難民該当性の判断は,難民認定手続とは別に,退去強制手続の中でも行われなければならないものというべきである。そして,退去強制手続の中でそのような判断を行う権限が誰に帰属するかについては入管法に明文の規定はないが,そもそも難民認定手続における難民該当性の判断は,高度な判断が要求されることなどにかんがみ法務大臣がそれを行うこととされ(入管法61条の2第1項),退去強制を実際に行う主任審査官及び入国警備官には,時間的な余裕も難民調査官を指揮して事実調査をする権限も与えられておらず,これらの者に難民該当性を判断させることを入管法が予定しているとは考え難いことや,難民条約33条1項の領域の属する国に送還することが例外的に許される「日本国の利益又は公安を著しく害する」場合に当たるかどうかの判断権限も,法務大臣に与えられていることなどを合わせて考えれば,入管法は,退去強制を受ける者が送還時に難民に該当するかどうかの判断権限を法務大臣に与えていると解すべきである。そうすると,法務大臣は,入管法49条1項の異議の申出を受けたときは,退去強制事由に該当すると認められる場合であっても,その者が国籍国の政府等から迫害を受けるおそれのある難民に該当すると判断したときは,その後の退去強制令書の発付及び執行において違法な送還先が指定されることがないようにする義務があると解するのが相当である。

 

 したがって,法務大臣が入管法49条3項の裁決を行うに当たり,当該外国人が難民に該当するにもかかわらず,その判断を誤り,送還先について,法53条3項,難民条約33条1項に違反する誤った判断をした場合には,当該裁決は,違法な処分として取り消されることになるというべきであり,このような意味において,当該外国人の難民該当性を裁決の違法事由として主張することは許されるものというべきである。

  

(2) 原告が難民に該当することは前記のとおりであり,そうすると,この点について判断を誤った本件裁決もまた違法であると言わざるを得ない。

 

 

 

 

 

3 争点(3)(本件退令発付処分は違法であるか否か)について

 本件退令発付処分に先行する本件裁決が違法であることは前記のとおりであるから,これに基づいてされた本件退令発付処分もまた違法である。また,本件退令発付処分は原告の送還先をミャンマーにしていると認められるところ(乙A31),原告は難民であるのに送還先としてミャンマーを指定することは,入管法53条3項に照らして違法となると解すべきである。

 よって,本件退令発付処分もまた違法であり,取り消されるべきである。

 

 

 

4 争点(4)(本件在特不許可処分は無効であるか否か)について

 本件において,東京入管局長は,入管法61条の2の2第2項に基づく在留特別許可は認められないとする本件在特不許可処分をした。

 しかし,法61条の2の2第1項は,法務大臣が難民の認定をする場合は原則として「定住者」の在留資格の取得を許可するものとしており,例外的に同項1号ないし4号のいずれかに該当する場合には,同条2項により在留特別許可をすべき事情があるか否か審査し,在留特別許可をすることができるとしている。そして,本件においては,原告が同項1号ないし4号に該当することを認めるに足りる証拠はないから(なお,2号についても,本邦に入国するために第三国を経由したに過ぎない場合は,これに該当しないと解されている。),原告は,法61条の2の2第1項により,「定住者」の在留資格の取得を許可されることになると解される。

 すなわち,本件において,原告について難民不認定処分が取り消され,その拘束力によって法務大臣が原告を難民と認定することになれば,原告については法61条の2の2第1項により「定住者」としての在留資格の取得が許可されることになるのであって,そもそも法61条の2の2第2項により在留特別許可についての審査や判断は必要がなかったことになり,本件在特不許可処分は自庁取消しされることになるにすぎない。

 そうであれば,本件においては,本件在特不許可処分が無効であるか否かについて確認をする必要がないことに帰結するのであって,本件在特不許可処分の無効確認の訴えは確認の利益がなく却下すべきである。

 

 

 

5 結論

 以上によれば,本件の訴えのうち,本件在特不許可処分が無効であることの確認を求める部分は不適法であるから却下することとし,その余の訴えに係る原告の請求はいずれも理由があるから,これらをいずれも認容することとし,訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条,64条ただし書を適用して,主文のとおり判決する。

 

 

 (裁判長裁判官・定塚 誠,裁判官・菅 洋輝 裁判官・波多江真史は異動のため署名押印することができない。裁判長裁判官・定塚 誠)