難民該当性を看過したことが裁決の違法事由となるか

 

 

 

 難民の認定をしない処分取消請求事件(第1事件)、退去強制令書発付処分取消等請求事件(第2事件)、東京地方裁判所判決/平成15年(行ウ)第645号、平成18年(行ウ)第189号、判決 平成19年8月31日、判例タイムズ1278号69頁について検討します。

 

 

 

 

 

 

【判示事項】

 

 

 難民不認定処分並びに出入国管理及び難民認定法61条の2の2第2項の在留特別不許可処分を受けた在留資格未取得外国人がした同法49条1項の異議の申出に対する法務大臣の裁決において,当該外国人の難民該当性を看過したことが裁決の違法事由となるか(積極)

 

 

 

 

 

 

 

主   文

 

 

1 東京入国管理局長が原告に対し平成17年8月31日付け(告知は同年10月24日)でした原告の出入国管理及び難民認定法49条1項に基づく異議の申出は理由がない旨の裁決を取り消す。

 

2 東京入国管理局主任審査官が原告に対し平成17年10月24日付けでした退去強制令書発付処分を取り消す。

 

3 原告のその余の請求を棄却する。

 

4 訴訟費用は,両事件を通じて3分し,その2を被告らの負担とし,その余を原告の負担とする。

 

       

 

 

 

事実及び理由

 

第1 請求

 (第1事件)

 被告法務大臣が原告に対し平成15年2月17日付け(告知は同年3月25日)でした難民の認定をしない処分を取り消す。

 (第2事件)

 主文第1項及び第2項と同旨

 

 

第2 事案の概要

 本件は,ミャンマー連邦(以下「ミャンマー」という。)国籍を有する原告が,出入国管理及び難民認定法(以下「法」という。)の規定に基づいて,被告法務大臣に対し,難民の認定の申請をしたところ,同被告から,難民不該当を理由に難民の認定をしない処分を受けたこと,また,原告に対する退去強制手続において,法務大臣の権限の委任を受けた東京入国管理局長(以下「東京入管局長」という。)から,法49条1項に基づく異議の申出には理由がない旨の裁決を受け,東京入国管理局(以下「東京入管」という。)主任審査官から,退去強制令書発付処分を受けたことについて,これらの各処分には原告が難民であることを看過するなどの違法があると主張して,その取消しを求める事案である。

 

1 本件の経緯に関する事実(当事者間に争いがない。)

  

(1) 原告の国籍及び入国状況等

 

ア 原告は,1944(昭和19)年4月*日,ミャンマーにおいて出生したミャンマー国籍を有する外国人女性である。

 

イ 原告は,他人名義の旅券を行使し,平成14年5月11日,シンガポールから航空便で広島空港に到着し,広島入国管理局広島空港出張所入国審査官から在留資格「短期滞在」,在留期間90日の上陸許可を受け,本邦に不法に入国した。

  

(2) 難民認定手続に関する経緯

 

ア 原告は,平成14年7月9日,東京入管において,被告法務大臣に対し,難民の認定の申請をした。被告法務大臣は,平成15年2月17日,原告の当該申請について,難民の認定をしない処分(以下「本件不認定処分」という。)をし,同年3月25日,原告にこれを告知した。

 

イ 原告は,本件不認定処分を不服として,平成15年3月25日,被告法務大臣に対し,異議の申出をした。被告法務大臣は,同年8月6日,原告の異議の申出は理由がない旨の決定をし,同年9月8日,原告にこれを告知した。

 

ウ 原告は,本件不認定処分の取消しを求めて,平成15年12月5日,第1事件に係る訴えを提起した。

 

エ 法務大臣の権限の委任を受けた東京入管局長は,平成16年法律第73号(以下「法律第73号」という。)附則7条,同法による改正後の法61条の2の2第2項に基づき,平成17年8月31日,原告について,在留特別許可をしない処分(以下「本件在特不許可処分」という。)をし,同年10月24日,原告にこれを告知した。

  

(3) 退去強制手続に関する経緯

 

ア 東京入管入国警備官は,平成15年3月12日,原告を法24条1号(不法入国)該当容疑で立件し,平成17年4月21日,東京入管主任審査官から収容令書の発付を受け,同年4月28日,同令書を執行して,原告を東京入管入国審査官に引き渡した。東京入管主任審査官は,同日,原告を仮放免した。

 

イ 東京入管入国審査官は,平成17年4月28日,原告が法24条1号に該当する旨の認定を行い,原告にこれを通知したところ,原告は,同日,特別審理官による口頭審理を請求した。

 

ウ 東京入管特別審理官は,平成17年7月11日,原告について口頭審理を実施した結果,同日,入国審査官の認定は誤りがない旨の判定を行い,原告にこれを通知したところ,原告は,同日,法務大臣に対し,法49条1項に基づく異議の申出をした。

 

エ 法務大臣の権限の委任を受けた東京入管局長は,平成17年8月31日,原告の異議の申出は理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をし,その通知を受けた東京入管主任審査官は,同年10月24日,原告にこれを告知するとともに,原告に対し,送還先をミャンマーとする退去強制令書の発付処分(以下「本件退令発付処分」という。)をした。

 

オ 東京入管入国警備官は,平成17年10月24日,本件退令発付処分に係る退去強制令書を執行して,原告を東京入管収容場に収容した。東京入管主任審査官は,同年11月11日,原告を仮放免した。

 

カ 原告は,本件裁決及び本件退令発付処分の取消しを求めて,平成18年4月24日,第2事件に係る訴えを提起した。

 

2 争点及び当事者の主張

 本件の争点は,本件不認定処分,本件裁決及び本件退令発付処分の適法性であり,その前提として,原告の難民該当性が争われている。

  

(1) 原告の難民該当性について

 法において「難民」とは,難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)1条の規定又は難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうとされているところ(法2条3号の2),難民条約1条A(2)及び難民議定書1条2項は,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及び常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって,当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの」は難民条約の適用を受ける難民である旨を定めている。本件では原告がこのような意味での「難民」に該当するか否かが争われており,この点に関する当事者の主張は次のとおりである。

 

ア 原告の主張

 ミャンマーでは,軍事政権による強権的な支配の下,民主化運動に対する弾圧が続き,基本的人権は抑圧され,政治囚等に対する拷問も日常化している。

 原告は,ミャンマーの第一工業省に勤める公務員であったところ,1988(昭和63)年の民主化運動の高揚の時期に,職場に結成された職員組合の書記長を務め,デモやハンガーストライキを指導したため,その後,MI(軍情報局)に身柄を拘束されて尋問を受け,職場を解雇された。また,原告は,上記民主化運動の高揚の時期に,民主化組織を結成して暫定政権実現のために奔走し,同年9月18日の軍事クーデターの後は,総選挙での勝利を目指す政党の中央執行委員に就任し,同政党から立候補した夫のための選挙活動等に従事した。その他,原告は,政治囚の家族や学生運動への支援,軍関係者に対する手紙の投函などの活動も行った。さらに,原告は,来日後も,日本にあるミャンマーの民主化団体に加入し,反政府デモ等に参加した。

 したがって,原告は政治的意見を理由に本国政府から迫害を受けるおそれのある難民に該当する。

 

イ 被告らの主張

 原告の難民該当性に係る主張ないし供述は,それを裏付ける客観的証拠が乏しい。原告の供述は,不合理な変遷や,自らの民主化運動ヘのかかわりを誇大に強調する供述態度がみられることなどから,信用できない。原告が旅券の発給を受け問題なく出国していること,原告が本国出国後長期間にわたり庇護を求めていないこと,原告の家族らが本国において平穏に生活していることなどからすれば,原告が本国及び本邦において何らかの反政府活動を行っていたとしても,それらの活動は本国政府が迫害の対象とするほどのものではなく,原告が本国政府から迫害の対象として関心を寄せられているとは考え難い。

 したがって,原告が本国政府から迫害を受ける個別具体的かつ客観的な事情が存在するとはいえないから,原告を難民と認めることはできない。

  

(2) 本件不認定処分について

 本件不認定処分については,上記(1)記載の本件不認定処分時における原告の難民該当性(これが肯定されれば,本件不認定処分は原告の難民該当性の判断を誤った違法な処分となる。)のほか,理由不備の違法の有無が争われている。後者(理由不備の違法)に関する当事者の主張は次のとおりである。

 

ア 原告の主張

 本件不認定処分に付された程度の理由では,なぜ難民の認定がされないのかが不明確であり,求められている立証がどの程度のものであるかも不明である。本件不認定処分を行うに当たっては,原告に対するインタビューが行われ,証拠が提出されているにもかかわらず,証拠がないとの理由で難民不認定処分をするのであれば,提出された証拠,証拠の評価,要求される立証の程度,提出された証拠では立証として足りないと判断される理由などが示されなければ,慎重な判断の担保とはなり得ないし,的確な反論をすることもできない。

 したがって,本件不認定処分には理由不備の違法がある。

 

イ 被告法務大臣の主張

 本件不認定処分は,原告の主張する難民該当性を立証する具体的な証拠がないという理由でなされたものであるところ,原告に交付された通知書の理由欄には,その旨が明らかに記載されている。

 難民該当性の認定判断は,申請者が提出した資料に基づいて行われ,難民であることの立証責任は,申請者が負うものであるから,難民不認定処分においては,一定の事実関係の存在を積極的に認定した上でその旨の処分をするのではなく,申請者が主張する難民であることを基礎付ける事実関係について,証拠関係を総合してもこれを立証する具体的な証拠がないと判断してその旨の処分をするのである。そうすると,難民であると認める具体的根拠がない旨を記載すれば,理由付記としては十分である。

  

(3) 本件裁決について

 本件裁決については,上記(1)記載の本件裁決時における原告の難民該当性のほか,そもそも本件裁決の違法事由として原告の難民該当性を主張することができるか否かが争われている。後者(本件裁決の違法事由として難民該当性を主張できるか)に関する当事者の主張は次のとおりである。

 

ア 原告の主張

 原告は難民に該当し,ノンルフールマンの原則(法53条3項,難民条約33条1項)によって退去強制の対象とされるべきではないから,本件裁決は違法である。本件裁決に在留特別許可に関する法50条1項が適用されないことと本件裁決の適法性とは別問題であり,対象者が難民であることについて判断を加えない退去強制手続は違法といわざるを得ない。

 また,本件不認定処分及び本件在特不許可処分において原告を難民ではないと誤って判断していることで,本件裁決に至っているのであるから,本件裁決はこれらの先行処分の違法を承継している。

 

イ 被告国の主張

 法律第73号による法改正で,難民認定申請をした在留資格未取得外国人については,法49条の法務大臣裁決の際,法50条1項により,当該外国人に対して在留特別許可をするか否かを判断することはなくなった(法61条の2の6第4項)から,法務大臣裁決の際に,当該外国人が難民として在留特別許可を付与されるべきか否かは,考慮する余地のない事情であり,かかる事由は裁決の違法事由とはならない。

 また,原告が本件訴訟に本件在特不許可処分の取消訴訟を併合提起し,その中で原告が難民と認められ,在留特別許可をしないとの判断が裁量権の逸脱となるとして,本件在特不許可処分が取り消される場合には,法61条の2の6第1項により,本来,退去強制手続を行ってはならないのにこれを行ったことになるから,その場合の異議の申出に理由がない旨の裁決は,同項に違反する違法な処分となると解されるが,本件ではそのような取消訴訟は併合提起されていないから,このような意味でも原告の難民該当性が本件裁決の違法事由となることはない。原告は,違法性の承継を主張するが,在留特別許可をしない処分と法49条の裁決とは別個独立の処分であり,前者と後者との間に違法性の承継は認められず,前者の取消判決がないままで,法61条の2の6第1項にいう「許可を受けた」といえる状態が生ずるものではない。

  

(4) 本件退令発付処分について

 本件退令発付処分については,上記(3)記載の本件裁決の適法性(本件裁決が違法な処分として取り消されるべきものであれば,これを前提として行われた本件退令発付処分も違法な処分となる。)のほか,本件退令発付処分に固有の取消事由の存否が争われている。後者(本件退令発付処分固有の取消事由)に関する当事者の主張は次のとおりである。

 

ア 原告の主張

 原告は難民に該当し,ノンルフールマンの原則によって退去強制の対象とされるべきではないから,本件退令発付処分は違法である。難民条約上の義務を負うのは,法務大臣やその権限の委任を受けた地方入国管理局長のみではなく,退去強制手続に関わるすべての担当者であるから,主任審査官自身の処分にも難民条約違反の固有の瑕疵があるというべきである。特に,送還先の指定等は主任審査官においてもなし得る行為であり,かかる見地からも違法といわざるを得ない。

 また,本件不認定処分及び本件在特不許可処分において原告を難民ではないと誤って判断していることで,本件退令発付処分に至っているのであるから,本件退令発付処分はこれらの先行処分の違法を承継している。

 

イ 被告国の主張

 主任審査官は,法務大臣から法49条1項の異議の申出は理由がないとの裁決をした旨の通知を受けたときは,同条6項の規定により速やかに退去強制令書を発付しなければならず,裁量の余地はないから,本件裁決が適法である以上,本件退令発付処分も当然に適法である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第3 当裁判所の判断

 

1 原告の難民該当性について

 

(1)証拠(〈証拠等略〉)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。

 

ア ミャンマーの一般的情勢

 

(ア) 原告の本国ミャンマーでは,

 

1962(昭和37)年以来のビルマ社会主義計画党(BSPP)による支配体制の下で,

 

1988(昭和63)年に民主化を要求する反政府運動が激化し,

 

同年8月8日には学生,市民らによるゼネストが全国で展開されたが,

 

同年9月18日に軍事クーデターが起こり,国家法秩序回復評議会(SLORC)が全権を掌握した。

 

1990(平成2)年5月27日,SLORCが公約した複数政党参加による総選挙が実施され,アウンサンスーチーの率いる国民民主連盟(NLD)が485議席中392議席を獲得して圧勝したが,SLORCは政権委譲を拒否し,以来,軍政府当局によるNLD関係者など民主化活動家に対する逮捕,投獄などが続いている。

 

(イ) また,軍事政権下のミャンマーでは,政治活動家らの行方不明,公正な公開裁判の否認,政府・国軍当局による国民のプライバシー,家庭生活,通信等ヘの恣意的な干渉などが常態的にみられ,特に政治囚に対する拷問,虐待がしばしば行われていることが,米国国務省レポート(甲2),アムネスティ・インターナショナル報告書(甲4)などによって報告されている。

 

イ 原告の来日までの経緯

 

(ア) 原告は,

 

1966(昭和41)年9月にヤンゴン経済大学を卒業し,

 

1967(昭和42)年からはミャンマーの国家行政機関である第一工業省に勤務し,

 

1988(昭和63)年当時には同省産業計画局の課長職にあったが,

 

1989(平成元)年3月31日をもって同省を退職した。

 

 

(イ) 原告の夫レガーチャオは,

 

1990(平成2)年5月27日の総選挙に際し,ウーヌ元首相らの組織する民主平和連盟(LDP)から立候補したが,落選した。LDPは,原告の夫を含め190人ほどの候補者を立てたものの,一人の当選者を出すこともできず,

 

1991(平成3)年2月4日には選挙管理委員会によって非合法とされた(甲57)。

 

 

(ウ) 原告は,

 

1993(平成5)年6月18日付けで,ミャンマー政府から,原告名義の旅券の発給を受け(乙5),

 

同年8月11日,空路本国を出国し,タイを経由して,同年8月14日,マレーシアに入国した。マレーシアでは,入国後1か月で査証の期限が切れ,不法残留の状態になったが,ブローカーに依頼して旅券に査証印を偽造し,不法滞在を続けていた。

 

(エ) その後,マレーシアでは,不法滞在中の外国人でも,罰金の支払と雇用主の推薦を条件に就労目的の滞在が認められることとなったため,

 

原告は,ブローカーに依頼して旅券の生年月日欄の「1944」を「1964」に変造し(乙5の5頁,乙6),

 

年齢を偽って1996(平成8)年1月4日付けで就労許可を取得し(乙5の17頁),

 

以後同許可の有効期間の更新を繰り返して(乙5の21頁,23ないし25頁及び27頁),

 

デパートの靴売り場等に勤務するなどしていた。

 

 

(オ) その後,マレーシアにおける外国人就労者の取扱いが改められ,

 

原告は,2002(平成14)年8月までに同国を出国しなければならなくなったため,

 

一旦タイに向けて出国し,同国で約10日間滞在し,その間にブローカーから新様式の他人名義の偽造旅券(乙4)を取得して,

 

空路タイを出国し,シンガポールを経由して,同年5月11日,本邦に到着した。

 

 

 

ウ 原告の本邦での活動状況

 

(ア) 原告は,来日後しばらくの間は,ミャンマーの民主化組織が主催する式典や演説会に参加して(甲36の1,甲38),

 

日本におけるミャンマー民主化活動の様子をうかがっていたが,

 

平成15年6月8日,国民民主連盟解放区(NLD-LA)日本支部に入会した。

 

平成16年5月8日には,NLD-LA日本支部の総会において,執行委員(会計担当)に選出され(甲47),以後現在まで同役職に就いている。

 

 

(イ) また,原告は,

 

平成15年5月25日に東京都内で行われた1990(平成2)年5月27日の総選挙の結果の実現を求めるデモ行進に参加し(甲36の1の写真62ないし65),その後もミャンマーの民主化を求めるデモ等にしばしば参加している(甲36の1)。

  

 

 

(2) 原告の来日前の活動状況について

 

ア 原告の供述の信憑性について

 原告の来日前の活動状況については,これに関する証拠として,原告の供述のほか,部分的にこれに沿う証拠が存在するものの,事実関係の詳細な認定は基本的には原告の供述によらざるを得ないので,まず原告の供述の信憑性について検討する。

 

(ア) 原告の供述の要点は,原告の政治活動のゆえに本国政府から迫害を受けるおそれがあるというのであり,

 

旅券を取得して本国を出国したいと考えた理由についても,

 

本国にいるのは安全ではなく,政治活動を続ければ逮捕されるから(乙9の3枚目)というのである。

 

しかしながら,原告は,前記認定のとおり,その希望どおり正規に旅券を取得して無事本国を出国することができたにもかかわらず,出国後長期間滞在していたマレーシアにおいて,同国政府や他の国際機関等に対し,何らの庇護も求めていない(本人尋問調書15頁)。

 

 

 前記認定のとおり,マレーシアへの入国当初においては,原告には1か月の在留期間しか与えられておらず,たまたまその2年余り後に同国の就労許可を得て適法に同国に滞在することができるようになったものの,

 

そうでなければ査証印の偽造により在留資格を偽装してまで不法残留を続けていかざるを得ないような状況にあったのであるから,

 

このような状況下において,真に本国での迫害を逃れてきた者としては,

 

不法残留が発覚して本国に送還されるという事態を避けるために,

 

在留資格が継続している期間中ないしはそれに近接した時期において,

 

滞在国政府や関係国際機関等に対し庇護を求めようとすることが,通常の対応であると考えられる。

 

 

しかも,英語が通じるから(乙9の5枚目)との理由でマレーシアを滞在先に選んだ原告にしてみれば,

 

マレーシア政府やUNHCR等の国際機関に対して庇護を求める行動に出ることがさほど困難であったとは認められない。

 

したがって,マレーシア入国後の原告の行動からは,本国政府からの迫害をおそれて出国した者の行動としての切迫感が感じられず,

 

このような原告の行動は,本国からの迫害を避けるためという出国の動機に関する原告供述の信憑性に疑問を抱かせるとともに,

 

そのような本国からの迫害のおそれを基礎付けるために原告が供述する事実関係そのものについてもその信憑性を大きく減殺させる事情であるといわざるを得ない。

 

 

 

 この点,原告は,マレーシア政府に庇護を求めなかった理由について,マレーシア政府がミャンマーの軍事政権と極めて親密な関係を持っており,

 

マレーシアでの生活にもかなりの危険があると感じていた旨を本人尋問で供述する(本人尋問調書15頁)。

 

しかしながら,このような供述は,マレーシアを出国先に選択した理由として,同国が安全であることを挙げていた難民認定手続での供述(乙9の4枚目)と矛盾するし,

 

 

仮に原告が,マレーシア政府とミャンマーの軍事政権とが極めて親密な関係にあり,

 

マレーシアでミャンマーの政治活動家が生活するのは危険であると認識していたにもかかわらず,

 

あえてマレーシアを出国先に選んだというのであれば,

 

このような原告の行動もまた,本国ミャンマーでの迫害を避けるために他国に避難したという原告供述の核心部分においてその信憑性を疑わせるものといわざるを得ない。

 

 

 また,原告は,マレーシアのUNHCR事務所に庇護を求めなかった理由について,本国から逃れてきたミャンマー人の学生達から「マレーシアのUNHCRは何もしてくれない」と聞いた旨を供述する(乙10の5枚目)。

 

しかしながら,このような風聞を得たというだけで,自ら同事務所に庇護の可能性を問い合わせることすらしなかった(乙10の5枚目)というのであれば,やはり本国からの迫害をおそれて出国した者の行動としては不自然といわざるを得ない。

 

 

 以上のことからすると,原告が自らの難民該当性に関して供述する内容を,全体としてそのまま採用することは困難であり,他の証拠と対照させて検討することにより,個別にその信憑性を検討する必要があるものというベきである。そこで,以下では,原告供述の主要な点について,個々にその信憑性を検討することとする。

 

 

 

 

 

(イ) ワーカーズユニオンの書記長として活動した旨の供述について

 原告は,1988(昭和63)年の民主化運動の高揚の時期に,第一工業省において結成されたワーカーズユニオン(職員組合)の書記長を務め,第一工業省の4万人に及ぶ労働者たちを導き組織して毎日のように活動を展開し,同職員組合によるデモやハンガーストライキを指揮し,デモのコースについての連絡やハンガーストライキの実施日の連絡,ハンガーストライキ参加者の健康管理等の役割を担当した旨を供述する。

 

 このような供述に沿う証拠として,当時第一工業省に勤務していたタニンラネの陳述書(甲58),NLD関係者からの原告宛ての書簡(乙21)及び42周年記念殉難者の日式典における行進と敬礼についての原告宛ての指令書(乙22)があり,タニンラネの陳述書には,1988(昭和63)年当時に民主化を目指す人たちの公務員ユニオンが第一工業省の中にでき,その人たちが中心になって100人以上の同省の公務員が参加してハンガーストライキが行われ,そのことが当時の新聞にも掲載されていたことが記載されており,後2者の書簡等には,原告のことをそれぞれ「総書記 職員合同組合(88)」,「職員合同組合元総書記」と表記している部分がある。

 

 

しかしながら,上記タニンラネの陳述書(甲58)によれば,タニンラネは,原告と同じ第一工業省に勤務し,1988(昭和63)年の民主化運動に参加し,デモにも参加したが,当時,原告が公務員ユニオンの中心にいたことは知らず,原告と面識がなかったと述べ,

 

また,タニンラネは,自分がデモに参加した様子がビデオに映っており,二度とそのようなことはしないと書いたが,

 

1991(平成3)年に辞職させられたと供述しており,

 

そのような原告と同じ省で活動し,原告と同様に辞職に追い込まれたタニンラネが,原告と面識はなく,原告が公務員ユニオンの中心にいたとは知らなかったというのであるから,

 

原告が供述するように,原告が,当時,第一工業省において結成されたワーカーズユニオン(職員組合)の書記長として,第一工業省の4万人に及ぶ労働者たちを導き組織して毎日のように活動を展開するなどの中心的役割を果たしていたと推認するには疑問が残る。

 

 

そして,上記の書簡(乙21)や指令書(乙22)には,原告について総書記又は元総書記という肩書きが記載されているように見受けられるが,

 

上記のように,第一工業省に勤務し民主化運動を行い辞職に追い込まれた者が,公務員ユニオンの中心人物として4万人の労働者を率いる総書記の名前を知らないということは考え難く,

 

これらの書面が真正に作成されたことについても確証はないのであって,

 

これらの証拠から,原告が,ワーカーズユニオンの書記長として,第一工業省の労働者たちを導き組織して毎日のように活動を展開する中心的人物であったと推認することはできず,

 

他に,この事実を推認するに足る客観的証拠は存しない。したがって,原告が,ワーカーズユニオンの書記長という中心的人物として,多数の労働者を導き組織して活動をしていたと認めることはできない。

 

 

 

(ウ) MI(軍情報局)から拘束されて尋問を受け,第一工業省を解雇された旨の供述について

 

 原告は,1989(平成元)年1月12日に職場に現れたMI局員に連行されて4日間身柄を拘束され,ワーカーズユニオンでの活動等について尋問を受けた後,同月15日の朝に釈放されたが,その後,他のワーカーズユニオンのメンバーらとともに,同年3月31日をもって退職許可の形式による事実上の解雇処分を受けた旨を供述する。

 

 この供述に関連する証拠として,第一工業省産業計画局が発した命令公布書(乙11),通達書(乙13)及び命令書(甲55)が提出されており,

 

これらによれば,原告ほか数名の職員が,「国家機関の職員として復職しない」ことを条件として,1989(平成元)年3月31日からの定年前の早期退職を当局から許可されたことが認められるところ,

 

希望退職を許可するという形式をとっているとはいえ,

 

公務員としての復職を一切認めないという厳しい条件付きであったことからすると,

 

当局が上記の者らの退職を認めたことには制裁的な意味合いが込められていたと推認することができ,

 

原告に対する事実上の解雇処分であったと推認することができるが,

 

その原因が,ワーカーズユニオンでの活動等の政治活動にあったかどうかは定かではない。

 

なお,原告は,職場からMI局員に連行されて4日間身柄を拘束されたという供述をしており,

 

これを裏付ける客観的証拠はないが,仮にそのような4日間の身柄拘束がされたとしても,

 

原告は,政治活動を行わないという誓約書も書かされず,

 

その後,ミャンマー政府から,身柄拘束をされたり,暴力を受けたことは認められないのであって,

 

当時,原告について,ミャンマー政府が,民主化運動の中心的人物として関心を有していたとは考え難い。

 

 

 

 

 

 

 

(エ) UDF及びLDPでの活動に関する供述について

 

 原告は,1988(昭和63)年の民主化運動の高揚の時期に,かつての1962(昭和37)年当時の学生運動の担い手であった者らを中心として統一民主戦線(UDF)という組織を結成し,

 

原告の夫が副議長,原告が会計を務め,民主化運動の指導者の一人と目されていたウーヌ元首相の暫定政権構想を支持し,

 

同構想についてアウンサンスーチーの賛同を取り付けるなどの活動を行っていた旨,

 

1988(昭和63)年9月18日の軍事クーデターの後,総選挙に向けて政党登録をしたUDFが他の40の組織とともにビルマ民主連合(DFB)という組織を結成してウーヌ元首相が指導する民主平和連盟(LDP)と連携することとなり,

 

原告は,LDPの中央執行委員に就任し,LDPから立候補した原告の夫のためにパンフレットを配布するなどの活動を行い,

 

さらに,NLDの副議長であるウーティンウーとも手紙のやり取りをした旨を供述する。

 

 

 

 これらの供述に沿う証拠として,原告の夫レガーチャオの選挙用パンフレット(乙18),

 

LDPの中央執行委員であるインガネの書簡(乙19),

 

NLDの印があるボダァフネの覚書(乙20),

 

前掲の書簡(乙21),

 

前掲の指令書(乙22)及び全ビルマ学生連盟のメンバーであったチャザブデエネの書簡(甲35)があり,

 

 

これらによれば,UDFがLDPの関連団体であること(乙19の用紙の冒頭にUDFの名称と事務所所在地の記載がある。),

 

原告の夫レガーチャオがUDFの副議長を務め(乙18),41の政党が結成したDFBにも協力者として参加したこと(甲35),

 

原告が夫ともどもLDPの党員となり(乙19),夫の選挙用パンフレットの作成ないし配布に関与し(乙18に手書きで「発行者」として原告名の記載がある。),

 

民主化運動に関わる記念式典での組織の指揮をまかされ(乙22),DFBでも会計を担当するなど(甲35),それなりの民主化活動の実績を有し,その積極性をLDPやNLDの活動仲間から好意的に評価されていたこと(乙19,乙21)が認められる。

 

 

しかしながら,原告がUDFにおいてウーヌ元首相の暫定政権構想についてアウンサンスーチーの賛同を取り付けるなどの活動を行っていたことや,原告がLDPの中央執行委員であったことまでを裏付ける証拠はなく,これらの点に関する原告の供述を直ちに採用することはできない。

 

 

(オ) その他の活動に関する供述について

 

 原告は,以上の活動のほかにも,政治囚の家族への支援,学生運動のリーダー達が国境地帯に逃亡することへの援助,軍関係者に対する手紙の投函などの活動を行い,マレーシア滞在中にも,学生運動や難民への支援活動,「パンダイン」という冊子の発行活動などを行っていた旨を供述する。

 

 しかしながら,前掲のチャザブデエネの書簡(甲35)の中に,原告が政治囚の家族への支援を続けている旨の記載があるほかは,原告が供述するようなこれ以外の活動の事実を裏付ける証拠はなく,この点に関する原告の供述を直ちに採用することはできない。

 

 

 

 

 

 イ 原告の来日前の活動とその評価

 

 以上のとおり,原告は,来日前においては,前記ア(エ)で認定した程度の政治活動の実績があったことが認められる。また,これ以外にも,前記ア(オ)に摘示したとおり,原告が政治囚の家族への支援を行っていたことをうかがわせる証拠があり,原告の供述によれば,7,8家族に対して2か月に1度くらいの頻度でお金や米を寄付していたとのことである(乙10の1及び2枚目)。

 

 しかしながら,原告の政治活動等の実績がこの程度のものであるとすると,原告の夫が自らLDPの候補者として選挙活動を行っていたことと比較して,その活動実績の点で原告の方が原告の夫よりも本国政府にとってより脅威的であったと評価するのは困難である。この点,原告は,原告がLDPの候補者とならなかったのは,LDPを組織するウーヌが総選挙後の再度の軍事クーデターの可能性を見越し,重要かつ有力なメンバーを候補者としないことによってこれらの者を逮捕から回避させようとしたためであると供述するが,これを裏付ける証拠はない。

 

 そして,原告の夫は,現在も本国ミャンマーに居住し,故郷であるニャウンレービンにおいて弁護士業を営むとともに,米の製粉所の経営なども手がけており(乙9の3枚目,乙10の2枚目,乙23の訳文3頁),総選挙の前後を通じて,政治活動を理由に身体の拘束等を受けたことがなく(乙10の7枚目,乙29の9頁),平穏な生活を送っていると認められることからすると,原告の夫が行っていた程度の政治活動でさえ,当局の注目を引き迫害の対象となるほどのものではなかったということができる。この点,原告は,原告の夫が逮捕を免れたのは,同人がこれ以上政治的な活動に関わらないことを承諾し,署名したからであると供述するが,これを裏付ける証拠はない。

 

 そうすると,原告の夫以上に本国政府に脅威を感じさせるような政治活動等を行っていたわけでもない原告については,なおさら本国政府が迫害の対象としていたとは認められないというべきである。

 

 また,原告は,ミャンマーを出国するために,1990(平成2)年に自ら旅券事務所を訪れたところ,担当者から,第一工業省を辞めさせられた者は1989年から3年間旅券を発給しないと言われた旨供述し(甲31,33,乙9),前記のとおり,それから3年以上経過した,1993年に原告名義の正規のパスポートによって出国しているところ,仮に,ミャンマー政府が,原告の行ってきた民主化運動のゆえに原告に迫害等を加えようとするような状況であったとするならば,原告が自ら旅券事務所を訪れて,担当者と問答したり,その後,3年間何事もなく経過し,原告は,原告名義の正規のパスポートによって,何の問題もなくミャンマーから出国したりということは通常考え難いのであって,これらもまた,原告のミャンマーにおける活動が,ミャンマー政府が迫害の対象とするものでなかったことを推認させるものである。

 

 

 

 

 

 

  

(3) 原告の本邦での活動状況について

 

 

ア 本件不認定処分時(平成15年2月17日)までの活動とその評価

 

 証拠によれば,原告が本邦において積極的にミャンマーの民主化活動に参加したのは,先に認定した平成15年5月25日のデモ(甲36の1の写真62ないし65)が最初であり,それ以前の活動は,式典や演説会に参加して様子をうかがうという状況にとどまっていたことが認められる。また,NLD-LA日本支部への入会の点についても,原告は,メンバーズカードの日付(平成15年6月8日)は本件不認定処分の後でも入会の申請はその前からしていた旨を供述するが,少なくとも本件不認定処分時(平成15年2月17日)までに原告がNLD-LA日本支部に入会していたことを認めるに足りる証拠はない。

 

 そうすると,原告の本邦におけるこの程度の活動状況をとらえてミャンマー政府が原告を反政府活動家として迫害の対象とするものとは考え難いから,前述した原告の来日前の活動状況を併せ考慮しても,本件不認定処分がされた平成15年2月17日当時においては,原告がその政治的意見を理由とする本国政府からの迫害に対して恐怖を有することに十分な理由があるといえるまでの客観的事情は認められず,この時点においては原告を難民と認めることはできないものというべきである。

 

 

 

 

イ 本件裁決時(平成17年8月31日)までの活動とその評価

 

 

 これに対し,本件裁決がされた平成17年8月31日当時においては,前記認定のとおり,原告は,NLD-LA日本支部に入会して会計担当の執行委員を務め,またミャンマーの民主化を求める反政府デモ等にも公然と参加していたことが認められる。ミャンマー政府は,その高度な情報収集能力を駆使して,ミャンマー国外における民主化運動,反政府活動のほぼ全容を把握し,その参加者についても,その氏名や活動内容の実態について,かなり正確に把握していると考えられていること(乙76)からすると,上記のような原告の活動状況も,ミャンマー政府によって把握されている可能性が極めて高い。

 

 そして,証拠によれば,NLD-LA日本支部は,ミャンマー政府からテロ行為を行う違法団体の一つと目されている(甲52)NLD-LAの日本支部であり,

 

平成17年2月12日に,タイのバンコクで,世界の主だったミャンマー民主化団体の代表者が集まって開催された,将来の民主化運動の在り方などについての基本原則を定める集会に,日本から唯一参加した団体であること(乙78),

 

同支部は,200名前後の会員を擁し(本人尋問調書41頁),執行委員は16名で,このうち,会計担当の執行委員は,共同書記長に次いで,序列第7位の地位にあること(甲47)が認められる。

 

このようなNLD-LA日本支部の性格及び同支部における原告の地位のほか,ミャンマーにおいてはNLDの活動家等に対する迫害が行われているという一般的状況にも鑑みると,ミャンマー政府が危険視する団体の幹部の一員であり,反政府デモ等にも積極的に参加し,本国においてもある程度の政治活動歴を有していた原告が,本件裁決時に仮にミャンマーに帰国した場合には,我が国及び本国における活動を理由として,身柄を拘束され,不当な処遇や不当な処罰を受ける現実的な危険性があったであろうことは否定し難いものといわざるを得ない。

 

 そうすると,本件裁決時においては,原告がその政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという恐怖を有することには十分な理由があったというべきであるから,原告は,その時点において,難民に該当していたものということができる。

 

 

 

2 本件不認定処分の取消請求について(第1事件)

  

(1) 難民該当性の判断を誤った違法について

 前記1のとおり,本件不認定処分時においては,原告が難民に該当していたとは認められないから,本件不認定処分に原告の難民該当性の判断を誤った違法はない。

  

 

(2) 理由不備の違法について

 

ア 証拠(甲1,乙24)によれば,本件不認定処分の通知書には,「あなたは,『政治的意見』を理由として迫害を受けるおそれがあると申し立てています。しかしながら,①あなたが所持する旅券によれば,あなたが迫害を受けたとする時以降,あなたは,ミャンマーを合法的に出国し,旅券の延長を3回受けていること,②あなたの供述によれば,あなたと同じ政党に所属した夫は本国での総選挙立候補後現在まで身柄を拘束される等の迫害を受けた事実が認められないこと,③あなたの日本における政治活動については,あなたは特定の組織には加入していないなど,ミャンマー政府から個別に把握されているとは認められないこと等からすると,申立てを裏付けるに足りる十分な証拠があるとは認め難く,難民の地位に関する条約第1条A(2)及び難民の地位に関する議定書1条2に規定する難民とは認められません。」との理由が付記されていたことが認められる。

 

イ 法61条の2第2項(法律第73号による改正前においては同条3項)が難民不認定処分に理由の付記を求める趣旨は,法務大臣の判断を慎重ならしめてその恣意を抑制するとともに,申請者に対し難民不認定処分に対する異議の申出及び取消訴訟の提起に関して判断資料を与えるところにあると解されるところ,本件不認定処分に付記されていた上記の理由によれば,これによって上記の理由付記の目的は一応達せられているものということができるから,本件不認定処分を法の求める理由付記に欠ける違法な処分ということはできない。

  

(3) 以上のとおりであるから,本件不認定処分の取消しを求める原告の請求は理由がない。

 

 

 

3 本件裁決の取消請求について(第2事件)

  

(1) 本件裁決時における原告の難民該当性について

 前記1のとおり,本件裁決時においては,原告は難民に該当していたことが認められる。そこで,裁決の違法事由として難民該当性を主張することができるか否かについて検討する。

  

(2) 裁決の違法事由として難民該当性を主張することの可否について

 

ア 法53条は,退去強制を受ける者は,その者の国籍又は市民権の属する国に送還されるものとし(1項),その国に送還することができないときは本人の希望によりその他の国に送還されるものとするが(2項),法務大臣が日本国の利益又は公安を著しく害すると認める場合を除き,退去強制を受ける者が送還される国には「難民条約第33条第1項に規定する領域」の属する国を含まないものとする(3項)と定めている。ここで「難民条約第33条第1項に規定する領域」とは,

 

難民条約33条1項に規定する「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域」のことであるから,

 

国籍国の政府等による迫害のために難民条約の適用を受ける難民に該当すると認められる者を我が国から当該国籍国等に送還することは,法務大臣が日本国の利益又は公安を著しく害すると認める場合でない限り,法53条3項に違反する違法な行為となる。

 

 このような法の規定によれば,退去強制手続においては,退去強制を受ける者の送還先を誤らないために,送還時においてその者が難民に該当するかどうか,そしてその送還先は当該難民の生命又は自由を脅威にさらす領域ではないかについての判断が常に求められているというべきであり,

 

しかも,本件の場合のように,難民認定手続における難民該当性判断の時期と退去強制手続における送還可能性判断の時期とに時間的な隔たりがあり,

 

前者の時期には難民に該当していなかった者が後者の時期には難民に該当していたということが十分にあり得ることを考えれば,

 

送還時における難民該当性の判断は,難民認定手続とは別に,退去強制手続の中で独自に行われなければならないものというべきである。

 

 

そして,退去強制手続の中でそのような判断を行う権限が誰に帰属するかについては法に明文の規定がないが,

 

 

そもそも難民認定手続においては,高度な判断が要求されることなどに鑑み,法務大臣が難民該当性の判断を行うこととされており(法61条の2第1項),

 

退去強制手続においても,入国審査官の認定(法47条),

 

特別審理官の判定(法48条)を経て,

 

最終的には異議の申出に対する法務大臣の裁決(法49条)によって退去強制の可否が判断される仕組みになっていること,

 

退去強制手続において,異議の申出に理由がない旨の法務大臣の裁決が行われたときは,主任審査官は速やかに退去強制令書を発付しなければならないとされ(法49条6項),

 

また,入国警備官は退去強制令書を執行して速やかに退去強制を受ける者を法53条に規定する送還先に送還しなければならないとされており(法52条3項),

 

法務大臣の裁決後に退去強制を実際に行う主任審査官及び入国警備官には,難民であると主張する者の難民該当性や送還先の適否について十分に検討することができるだけの時間的な余裕は与えられておらず,

 

また,法務大臣のように難民調査官を指揮して事実の調査(法61条の2の14)を行うことができる権限も与えられていないのであって,

 

これらの者に難民該当性を判断させることを法が予定しているとは考え難いこと,

 

さらに,難民条約33条1項の領域の属する国に送還することが例外的に許される

 

「日本国の利益又は公安を著しく害する」場合に当たるかどうかの判断権限も,

 

法務大臣に与えられていることなどを合わせて考えれば,

 

法は,退去強制を受ける者が送還時に難民に該当するかどうかの判断権限を法務大臣に与えていると解すべきである。

 

 

そうすると,法務大臣は,法49条1項の異議の申出を受けたときは,退去強制事由に該当すると認められる場合であっても,

 

その者が国籍国の政府等から迫害を受けるおそれのある難民に該当すると判断したときは,

 

法50条1項若しくは法61条の2の2第2項の規定に基づき(法61条の2の2第2項の規定による在留特別許可を与えない処分が既にされているときはそれを取り消した上で),

 

その者に在留特別許可を与えるか,又は,在留特別許可を与えないのであれば,

 

 

裁決において,当該国籍国等にその者を送還することはできないこと,あるいは,その者を本邦外に送還しなければ日本国の利益又は公安を著しく害するため法53条3項にかかわらず当該国籍国等への送還が許されることなどを明らかにし,

 

その後の退去強制令書の発付及び執行において違法な送還先が指定されることがないようにする義務があると解するのが相当である

 

(なお,退去強制手続対象者が入国審査官の認定又は特別審理官の判定に服したときは,法務大臣の判断を経ることなく退去強制令書の発付・執行が行われることとなるが(法47条5項,法48条9項),

 

この場合は,法務大臣の判断を経るまでもなく,その者が難民でないことが事実上推定され,特段の事情のない限り難民条約33条1項の領域ヘの送還という問題を生じない場合であるということができるから,

 

このような例外的な場合に法務大臣の判断を経ない取扱いが許されるからといって,法務大臣裁決が行われる通常の場合にまで退去強制手続対象者の難民該当性に関する法務大臣の判断が不要であると解さなければならない理由はない。)。

 

 

 

 したがって,法務大臣が法49条1項の裁決を行うに当たり,当該外国人が難民に該当するにもかかわらず,その判断を誤り,送還先について,法53条3項,難民条約33条1項に違反する誤った判断をした場合には,当該裁決は,違法な処分として取り消されることになるというべきであり,このような意味において,当該外国人の難民該当性を裁決の違法事由として主張することは許されるものというべきである。

 

 

イ 被告国は,法改正によって,難民認定申請をした在留資格未取得外国人については,法49条1項の異議の申出に対する裁決の際,法務大臣が当該外国人に対して在留特別許可をするか否かを判断することがなくなったため,その者の難民該当性については裁決の中でおよそ考慮する余地がなくなったかのように主張する。

 

しかしながら,これは,本来,在留特別許可の判断と難民該当性の判断とは区別されるべきものであるにもかかわらず,これらを混同する主張であって,失当である

 

 

(在留特別許可の判断と難民該当性の判断とが別物であることは,法が難民の認定を受けた者に対しても在留特別許可が付与されない場合があり得ることを想定していると解されることからしても明らかであり,入国管理当局自身がこれまでの類似の訴訟においてこのことを繰り返し主張していたことは当裁判所に顕著な事実である。)。

 

 

 また,被告国は,本件訴訟に本件在特不許可処分の取消訴訟を併合提起すれば,本件在特不許可処分が取り消される場合に,

 

本件裁決も同時に法61条の2の6第1項に違反する違法な処分として取り消されることになるから,

 

難民該当性を主張して裁決の取消しを求める者はこのような訴訟形態を選択すべきである旨を主張する。

 

 

しかしながら,本件在特不許可処分が裁判によって取り消されても,

 

法律第73号附則7条,法61条の2の2第2項の在留特別許可についての判断がいまだ行われていないという状態に復するだけで,

 

その後実際に在留特別許可がされない限り原告が在留特別許可を受けたことにはならないから,

 

本件在特不許可処分の取消しによって直ちに本件裁決が法61条の2の6第1項に違反する違法な処分になるということはできない。

 

 

また,法61条の2の2第2項の在留特別許可をしない処分と法49条の法務大臣裁決ないし退去強制令書発付処分とは別個独立の処分であり,

 

出訴期間が個々に進行するものであるから,

 

これらの取消訴訟の併合提起が制度的に常に可能であるわけではない

 

(現に,法61条の2の2第2項の在留特別許可をしない処分があったにもかかわらず,その後6か月が経過しようとしてもなお法49条の法務大臣裁決及び退去強制令書発付処分が行われないとして,

 

出訴期間遵守のためにやむなく在留特別許可をしない処分のみの取消しを求めて訴えを提起する事例が頻発していることは,当裁判所に顕著な事実である。)。

 

 

したがって,この点に関する被告国の主張も理由がない。

  

 

 

(3) 以上によれば,本件裁決は,原告の難民該当性についての判断を誤り,送還先の判断を誤った違法な処分といえるから,本件裁決の取消しを求める原告の請求は理由がある。

 

 

 

 

4 本件退令発付処分の取消請求について(第2事件)

 

 退去強制令書は,法49条1項の異議の申出に理由がない旨の法務大臣の裁決が適正に行われたことを前提として発付されるものであるところ,本件退令発付処分の前提となる本件裁決が取り消されるべきものであることは前記3のとおりであって,退去強制令書の発付もその根拠を欠くものであるから,その余の点について判断するまでもなく,本件退令発付処分は違法なものとして取消しを免れない。

 したがって,本件退令発付処分の取消しを求める原告の請求は理由がある。

 

 

第4 結論

 

 以上によれば,本件裁決及び本件退令発付処分の取消しを求める原告の請求(第2事件)はいずれも理由があるから認容し,本件不認定処分の取消しを求める原告の請求(第1事件)は理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条,64条本文を適用して,主文のとおり判決する。

 

 (裁判長裁判官・定塚 誠,裁判官・古田孝夫,裁判官・工藤哲郎)