マオイストからの迫害 (控訴審)原判決取り消し。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 名古屋高等裁判所判決/平成28年(行コ)第2号、判決 平成28年9月7日、LLI/DB 判例秘書について検討します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主   文

 

 1 原判決を取り消す。

 2 法務大臣が平成23年11月14日付けで控訴人に対してした難民の認定をしない処分を取り消す。

 3 訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。

 

       

 

 

 

 

 

事実及び理由

 

第1 控訴の趣旨

 1 原判決を取り消す。

 2 法務大臣が平成23年11月14日付けで控訴人に対してした難民の認定をしない処分を取り消す。

 3 訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。

 

 

 

第2 事案の概要(略語は,特記しない限り,原判決に従う。)

 1 本件は,ネパール国籍を有する外国人男性である控訴人が,入管法61条の2第1項に基づき本件難民認定申請をしたところ,法務大臣から,平成23年11月14日付けで,本件難民不認定処分を受けたため,その取消しを求める事案である。

   原判決は,控訴人の請求を棄却したので,控訴人が,本件控訴をした。

 2 前提事実,争点及び当事者の主張は,後記3に当事者の当審における主張を付加するほかは,原判決の「事実及び理由」の「第2 事案の概要」の「2 前提事実」(原判決2頁5行目から4頁9行目まで),「3 争点及び当事者の主張」(原判決4頁10行目から6頁15行目まで)に記載のとおりであるから,これを引用する。

 3 当事者の当審における主張

 

 

 

 

(控訴人の主張)

   平成18年(2006年)4月のネパール政府とマオイストとの停戦合意以降も,マオイストは,他の政党に対する襲撃行為等の暴力的活動を繰り返しており,本件難民不認定処分時である平成23年(2011年)当時においても,未だ解消されていなかった。

   マオイストは,控訴人の逃亡後,控訴人を政府軍のスパイと捉えているものと考えられる。マオイストは,政府軍のスパイと疑う者に対しては暴行を加えるなどしているところ,控訴人に対し,マオイスト訪問の事実を軍に言ったら殺すなどと脅迫していたから,控訴人が迫害の恐怖を抱くような客観的事情があった。

 

 

 

 

(被控訴人の主張)

   マオイストによる迫害に関する控訴人の主張は,①マオイストから寄付を要求された場所,②マオイストから食事の提供を求められた2度の機会において,マオイストが同一人物であったかどうかという基本的な事項において一貫性がなく,信用できない。

   また,マオイストが控訴人を政府軍のスパイであると疑い,情報収集をしている旨の控訴人の主張は,憶測にすぎず,控訴人の来日理由は,その供述によれば,本邦において稼働することにあったとしか考えられない。

   さらに,迫害の主体が国籍国の政府ではない場合において申請者が国籍国の保護を受けることができないというためには,政府が当該迫害を知りながらこれを放置ないし助長するような特別の事情が必要であるところ,本件難民不認定処分当時,ネパール政府は,マオイストの違法行為の取締りをしており,控訴人が,特定の個人または集団として意図的に監視され,生命の危険にさらされていたわけではなく,国の治安が徹底されていなかったというにすぎないから,ネパール政府が,マオイストによる控訴人への迫害を放置ないし助長していたとはいえず,控訴人は国籍国の保護を受けることができないものとはいえない。

 

 

 

 

 

 

 

第3 当裁判所の判断

 

1 難民の認定について

   入管法2条3号の2は,同法における「難民」について,難民条約1条の規定または難民の地位に関する議定書(難民議定書)1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうと規定する。そして,

 

 

難民条約1条A(2),難民議定書1条1及び2は,難民について,

 

 

「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないものまたはそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」と定義するところ,

 

 

上記「迫害」とは,通常人にとって受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃または圧迫であって,生命または身体の自由の侵害または抑圧をもたらすものを意味し,上記の「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,その者が主観的に迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているだけでなく,通常人がその者の立場に置かれた場合に迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることを要するものと解するのが相当である。

 

 

 

   また,難民の認定における立証責任は,難民認定申請をする者にあると解されるものの,難民条約が,国際連合憲章及び世界人権宣言が人間は基本的な権利及び自由を差別を受けることなく享有するとの原則を確認していること等を考慮して協定されたこと(前文)からも明らかなように,

 

難民の保護は,単なる恩恵ではなく,普遍的権利に基づく人道上のものとして,締約国に要請されたものであり,難民認定申請をする者は,非常に不利な状況に置かれているのが通常であるから,立証責任を厳格に解することにより保護を受ける必要のある難民が保護を受けられなくなる事態が生ずることがあってはならない(国連難民高等弁務官駐日事務所作成の「難民認定基準ハンドブック」(以下「難民認定ハンドブック」という。)において,

 

 

「難民の地位の認定を申請する者は,通常,非常に不利な状況に置かれていることが想起されねばならない。そのような者は慣れない環境の中にあって,しばしば母国語以外の言葉で,外国の当局に自らの事案を申請するについて技術的及び心理的な重大な困難を経験するかもしれない。」(52頁),

 

 

「申請を提出する者に立証責任があるのが一般の法原則である。

 

 

しかしながら,申請人は書類やその他の証拠によって自らの陳述を補強することができないことも少なくなく,むしろ,その陳述のすべてについて証拠を提出できる場合のほうが例外に属するであろう。

 

 

・・・立証責任は原則として申請人の側にあるけれども,関連するすべての事実を確認し評価する義務は申請人と審査官の間で分かちあうことになる。」(54頁),

 

 

「証拠の要件は,難民の地位の認定を申請する者のよってたつ特殊な状況に起因する困難さにかんがみ,あまりに厳格に適用されることのないようにしなければならない。」(55頁)などとされていることは,顕著な事実である。)。

 

 

 

処分行政庁(法務大臣)は,締約国として,迫害のおそれのある者を,みだりに送還してはならず,難民認定手続を,難民保護のために実効性があるものとして公正に行うことが求められているのであって,取消訴訟における当事者としての主張立証に当たっても,同様の要請が及ぶというべきである。

   

 

そして,迫害を免れるため出国した申請者は,出国時の自らの周辺状況については,自ら把握でき,これを立証することも直ちに困難とはいえないが,その時点での全国的な状況,その後,相当期間が経過した後の状況については,把握することも,これを立証することも困難である。

 

 

特に,国内が混乱し,政府の力が及ばず,武装勢力等によって国民が迫害を受ける恐れのある状況であったものが,その後,治安を取り戻し,迫害を受ける恐れがなくなったかどうか,政府の保護を受けることができるかどうかといった事実については,国外へ離れた申請者の側か把握,立証することは,非常に困難といわざるを得ない。

 

 

これに対し,処分行政庁が,在外公館や外交ルートを使うなどして,申請者の出国時及び処分時の国籍国の具体的な政治情勢や治安状況を把握し,立証のための資料収集をすることは,容易にできることなのである(そもそも,処分行政庁は,処分を行うに際し,資料を収集した上で,具体的根拠に基づいて,公正な判断をすることが求められているのである。)。

   

 

そうすると,処分行政庁は,単に申請者の主張立証を争えば足りるというものではなく,自ら積極的な主張立証を行うことが要請されているというべきである。

 

 

 

2 認定事実

   控訴人が難民に該当するか否かに関し,前記前提事実,証拠(甲5~9,19,28,36~38,乙1~7,11,21,30,35,37~49,60~62,82~95,控訴人本人,書証について枝番があるものはこれを含む。)及び弁論の全趣旨を総合すると,次の各事実が認められる。

  

 

(1) ネパールの一般情勢等

   

 

ア ネパールにおいては,トリブバン国王が昭和26年(1951年)に王政復古を果たして立憲君主制を採用した。

 

その後,ビレンドラ国王の下,主権在民などを定めた新憲法が平成2年(1990年)に公布され,

 

複数政党制に基づく総選挙が平成3年(1991年)に行われた。

 

その結果,ネパール会議派(コングレス党)政権が成立し,以来,複数政党による政権交代が繰り返された。

   

 

 

イ 統一共産党から分裂したマオイストは,

 

平成8年(1996年),武装闘争を開始した。

     

 

マオイストは,ロルパ,ルクム,サリヤン,ジャジャルコットなどの郡で,支配を強めるとともに,武装活動の規模を拡大し,

 

平成12年(2000年)9月には,初めて郡庁所在地(ドルパ郡のドゥナイ)への襲撃を決行した。

 

マオイストは,同年12月,全国で初めての郡レベルの人民政府をルクム郡で樹立した。

   

 

ウ マオイストは,平成13年(2001年)5月,ロルパ郡で,2番目の郡人民政府を樹立した。

 

同年6月1日,ビレンドラ国王らが皇太子に殺害されるナラヤンヒティ王宮事件が起こり,同国王の弟であるギャネンドラ国王が即位したが,マオイストは,これを契機として,これまでの活動域外であった都市部において,爆弾テロなどの反国王キャンペーンを活発化するようになり,全国で急拡大を始めた。

     

 

政府とマオイストは平成13年(2001年)7月に停戦し,

 

同年8月,9月,11月の3回にわたり交渉を行ったが,マオイストは,停戦成立までに,約10の郡で人民政府を作った。

 

 

マオイストは,同年11月に停戦を破棄し,国内各地で攻撃を再開した上,「ネパール解放軍」の結成を宣言するなどした。

 

 

マオイストは,停戦中に武器の購入や武装訓練,新兵のリクルート活動を強化しており,同年末までに,全部で75ある郡の約3分の1にあたる24の郡において人民政府を樹立した。

 

国王は,同年11月26日,憲法に基づいて非常事態宣言を発令し,国軍を中心として,マオイスト掃討作戦に乗り出した。

 

 

マオイストの反乱行為の結果,推定6600人が死亡したが,そのうち,954名が警察官,238名が兵士,102名が武装警察隊員,858人が民間人,4444人が反乱者であった。

   

 

エ マオイストは,平成14年(2002年),西ネパールの山岳地帯を中心に,大規模な襲撃を連続して行うとともに,

 

カトマンズを含む都市部で爆弾テロを頻発させ,さ

 

らに全国の村部で政府関連の建物,インフラ施設を破壊する活動を活発化させた。

 

 

この時期には,マオイストは,山岳地帯の村々だけでなく,平野部にも活動域を広げ,国土の7割から8割を支配しているとまで主張するようになった。同年には,地方議会や下院の選挙も開催できず,地方議会及び同年5月に解散した下院が空席となった。

     

なお,控訴人は,平成14年(2002年)10月12日,本邦に上陸した。

   

 

 

オ ネパール政府は,平成15年(2003年)1月,マオイストとの停戦合意を成立させた。

 

しかし,ネパール政府は,マオイストが,同年8月,一方的に停戦破棄を発表したことから,マオイストをテロリストに指定し,国軍による掃討作戦を再開した。

   

 

カ ギャネンドラ国王は,平成17年(2005年)2月1日,全国に非常事態宣言を発し,直接統治を開始した。

   

 

キ ギャネンドラ国王は,主要7政党の抗議が激化したことを受け,

 

 

平成18年(2006年)4月,民政復活を表明して下院の復活を宣言した。

 

下院議会は,同月28日に再開され,ネパール会議派(コングレス党)のコイララ党首が,同月30日,首相に就任し,同年5月18日,ネパール史上初めて,国王に代わって議会が国権の最高機関とされた。

 

 

また,ネパール政府は,

 

同月3日,マオイストに対するテロリスト指定を解除するとともに,マオイストと停戦することを決めた。

 

 

これを契機として,ネパール政府とマオイストによる和平交渉が行われ,

 

同年7月,ネパール政府は,国際連合に対して支援要請の書簡を発出し,国際連合が和平プロセスに関与していく方向が定まった。

 

ネパール政府とマオイストは,同年11月8日,「恒久平和の実現に向けた合意文書」に署名し,

 

 

平成19年(2007年)6月半ばに予定されていた制憲議会選挙の実施等のために,国際連合が国軍及びマオイストの武器管理の監視を行うこと等に合意した。

 

 

そして,平成18年(2006年)11月21日,コイララ首相とマオイストの最高指導者であるプシュパ・カマール・ダハール議長(プラチャンダ)とは,恒久的な停戦,マオイストによる武器の使用や住民に対する金品強要の禁止等を盛り込んだ包括的和平協定を締結した。

 

 

さらに,プラチャンダは,選挙の結果,王制廃止が否定されても,武装闘争には戻らない旨明言した。

   

 

 

ク 暫定憲法が,平成19年(2007年)1月15日,公布され,

 

マオイストを含む暫定議会が発足し,マオイスト5閣僚を含む暫定政府が,同年4月1日,発足したものの,マオイストの青年組織である青年共産主義者連盟(YCL)は,

 

同年5月9日,ダーン・デウクリ郡下で警官隊と衝突した。

 

プラチャンダは,同月10日,同事件を遺憾とし,同党関係者の処分を約束したが,マオイストは,同年9月18日,連立政権から離脱した。

     

 

プラチャンダは,平成29年(2007年)12月25日,「(マオイストは)絶対に武力闘争に戻らない。(マオイストが行ってきた恐喝等の暴力行為について)市民を強制的に従わせることのないよう指示を出した。」旨の表明をした。

   

 

ケ 制憲議会選挙が,平成20年(2008年)4月10日,実施され,マオイストが第1党となった。

 

制憲議会は,同年5月28日,連邦民主共和制への移行を宣言し,約240年間続いた王制は廃止された。

 

 

プラチャンダは,同年8月15日,制憲議会において首相に選出され,同月31日,連立内閣を発足させた。制憲議会において,同年11月16日,新憲法制定に向けた作業日程が可決された。

   

 

コ マオイスト兵の国軍への統合問題をめぐる対立から,

 

平成21年(2009年)5月,プラチャンダ首相が辞任し,統一共産党のマダブ・クマール・ネパールが新首相に選出されたため,マオイストは与党を離脱して野党に下った。

   

 

サ マオイストは,

 

平成22年(2010年)5月,憲法制定作業に対する政府の取組が遅れていることを理由として強制ゼネストを行う旨表明したが,党内外からの批判を受けたため,強制ゼネストを中止した。

 

その後,ネパール首相が同年6月に辞任し,同年7月から同年11月まで計17回の首相選挙が実施されたものの,主要政党間での合意が得られず,首相を選出することができなかった。

   

 

 

シ 首相選挙の手続に関する議会規則が,

 

 

平成23年(2011年)1月に改定され,同年2月に新たに実施された首相選挙において,マオイストも支持した統一共産党のカナル委員長が首相に選出された。

 

しかし,和平プロセスや憲法制定作業は,なお停滞し,主要政党がカナル首相の辞任を合意するなど,不安定な政治状況が続いており,治安上も不安定な状態が続いていた。

 

同年8月,カナル首相は辞任し,マオイストのバッタライ副委員長が首相選挙で過半数の支持を得て首相に選出された。

     

 

平成23年(2011年)11月1日,マオイスト,統一共産党及びコングレス党の主要3政党の間で,軍の統合問題に関する合意が締結され,同合意により,

 

 

1万9000名を超える元マオイスト兵は,

 

①国軍への統合を希望する者,

 

②社会復帰プログラムを希望する者,

 

③退職金の支払による自主除隊を選ぶ者の3グループに分けられた。

 

 

同合意では,マオイストが紛争中に占拠した家や土地などを持ち主に返却すること,

 

YCLを解体し,YCLが占拠している建物や土地から撤退することも決められた。

 

この時点において,一般には,その後数か月以内に統合が完了し,

 

早ければ平成24年(2012年)5月までに憲法制定作業が完了する可能性もあるが,予断は許さないものと考えられていた。

     

 

 

マオイスト及び同関連組織は,以前に比して少ないものの,

 

 

平成23年(2011年)の間,犯罪活動を続けており,日常的に企業,労働者,民間人及び非政府団体から金銭の恐喝を行っており,

 

 

他の党の活動家を襲撃するなどしていた。

 

 

また,マオイスト及び同関連組織は,包括和平協定の要求通り,以前に強奪した財産の一部を返還したが,

 

その余の違法に強奪した土地・財産は保有し続けており,

 

 

マオイストと密接な関連を有する諸組織は,さらにその他の財産を強奪した。

 

 

 

警察は,犯罪行為を行ったマオイストを逮捕したこともあるが,ほとんどの暴力事件に対応しておらず,特に,マオイストが関与する事件に対する対応は手薄であった。

 

 

ネパール弁護士フォーラム(AF)は,同年1月から6月の間の42件の拷問事件については,非政府機関によるものとし,そのうち25件はマオイスト,1件はマオイスト関連組織YCL,1件はネパール全国自由学生連合によるものと発表したが,政府は,非政府機関の残虐行為についての調査を十分に行っていない。

 

 

 

 

     なお,法務大臣は,平成23年11月14日付けで,本件難民不認定処分をした。

  

 

 

 

(2) 控訴人に関する個別的事情

   

ア 本国における生活状況等

    

 

(ア) 控訴人は,昭和31年(1956年)○月○○日,ネパールのガンダギ県カスキ郡□□において,農業を営むネパール人父母の間に2人兄妹の第1子(長男)として出生した。控訴人は,ネパール国内で成育した後,ネパールの首都カトマンズ市内にある大学に進学したが,平成2年(1990年)頃に中退し,平成6年(1994年)から平成11年(1999年)頃までは,ポカラ市内の事務所で稼働した。同事務所退職後は,実家に戻って農業に従事し,父,妻及び2人の子の生計を支えた。

    

(イ) 控訴人は,平成13年(2001年)3月5日,特に具体的な計画はなかったものの,機会があれば使用する目的で,ネパール政府から自己名義の正規の本件旅券(乙1)の発給を受けた。もっとも,控訴人は,本件旅券を取得した後も,平成14年(2002年)10月12日に本邦に入国するまでの約1年7か月間にわたってネパールでの滞在を続けていた。

    

(ウ) 控訴人は,平成14年(2002年)初めころ,自宅から歩いて15分くらいのところにある市場に買い物に行ったところ,マオイストから寄付を要求され,50ネパールルピーを徴収された。なお,このころ,マオイストは,昼にはジャングルに身を潜め,夜になると近所の家に食料を要求するなどしていた。

      

マオイスト3名が,平成14年(2002年)6,7月ころ,控訴人宅に侵入し,控訴人に対し,食事を提供するよう要求したため,控訴人は,マオイストに対し,食事を提供した。

 

この際,マオイストは,控訴人に対し,訪問したことを軍に言ったら殺す旨告げた。

 

その約1週間後,マオイスト(上記マオイストと同一かどうかは不明である。)は,控訴人宅を訪れ,控訴人に対し,食事の提供を要求するとともに,控訴人の以前の勤務先の名称を挙げ,勤務当時の給与額に言及した上で,寄付金も要求した。

 

その翌日,政府軍の治安部隊が,控訴人宅を訪れ,控訴人に対し,マオイストに食事を与えたことをとがめ,今後,マオイストに食事を与えるようであれば,殺す旨告げた。

 

控訴人は,マオイストが政府軍の訪問の事実を知った場合には身の危険があると考え,その数日後,自宅を出てポカラに逃げた。

 

控訴人は,さらに数日後,家族をポカラに呼び寄せ,自宅を放置することとなった。

 

控訴人は,ポカラでの生活において,マオイストから迫害を受けたことはなかったが,マオイストに対する恐怖から,また,自宅から離れたことによって農業を営めなくなり,生計の途を失った上,ポカラにおいても仕事がなかったことから,家族を養うため,上記のようにたまたま取得していた旅券を使用して外国に行こうと考え,他国よりも給料が高いであろうとの見通しの下に日本に行って仕事を探すことを決意した。

    

 

 

(エ) 控訴人は,ネパール人のブローカーに仲介料(100万ネパールルピー)を支払って日本国査証を取得するための手続を依頼し,平成14年(2002年)9月24日,在ネパール日本国大使館において,「短期滞在」の在留資格に係る日本国査証を取得した。

   

 

 

イ 本邦入国及び在留状況等

    

(ア) 控訴人は,平成14年10月12日,日本国査証が付された本件旅券を提示し,在留資格を「短期滞在」,在留期間を「90日」とする上陸許可を受けて本邦に入国したが,入国審査の際,入国管理局の職員に対して,本邦における難民認定申請の手続について質問をしたり,庇護を求めたりすることはなかった

    

(イ) 控訴人は,本邦入国後,在留期間の更新または変更を受けないで,許可された在留期限である平成15年1月10日を超えて本邦に不法残留した。控訴人は,不法残留中,日本国内を転々としながら不法就労を続け,これらの不法就労によって得た収入の中から,総額約150万円から200万円をネパール在住の家族に送金していた。

   

 

ウ 本件難民不認定処分に至る経緯等

    

(ア) 控訴人は,マオイストに対する恐怖から,ネパールに帰国することはできないと思っていたところ,平成23年(2011年)8月ころ,知人から難民認定申請手続について説明を受け,申請書をもらった。控訴人は,同年9月6日,名古屋入管に難民認定申請手続に赴いたが,外国人登録証を持っていなかったことなどから,申請は受理されなかった。控訴人は,同日,豊田市役所を訪れ,外国人登録申請を行った。控訴人は,外国人登録証の交付を受けてから,再度,難民認定申請を行うつもりであった。

    

(イ) 控訴人は,平成23年10月12日,名古屋入管の職員により摘発された。

    

(ウ) 控訴人は,平成23年10月13日,法務大臣に対し,本件申請書(乙21)を提出して本件難民認定申請をした。本件申請書には,迫害を受ける理由として,ネパール滞在中,マオイストから金銭の要求を受けたことなどが記載されていた。

    

(エ) 控訴人は,平成25年12月16日に行われた本件審尋等の中で,本邦に上陸した頃から難民認定申請をしようと考えていた旨の供述をした。

 

 

 

 

 

 

3 事実認定の補足

   

 

被控訴人は,マオイストからの脅迫等の事実に関する控訴人の供述は,基本的な事項について一貫性がないから信用できず,提出する書証(乙22,31~34)の記載内容も不自然で,信用性がない旨主張する。

   

 

しかし,控訴人は,マオイストから寄付金を要求されたこと,2回にわたり,自宅を訪問され食事を提供させられたことを一貫して述べているのであり,これら供述内容は,当時のネパールにおけるマオイストの活動状況にも合致しており,十分に信用できるものである。控訴人の供述が食い違っているようにみられるところについても,質問の仕方や,通訳の仕方,まとめ方によって異なり得る程度のものということができるのであって,これにより,被控訴人の上記供述の信用性を失わせるということはできない。

   

 

また,控訴人が提出した書証(乙22,31~34)は,確かに,平成23年になって作成されたものであり,その文面が類似していること等に照らすと,控訴人ないしその親族の求めるまま作成された可能性は否定できず,これらをもって控訴人がマオイストから脅迫等された事実の裏付けとなるとはいえないものの,控訴人の上記供述の信用性を直ちに否定するものとまではいえない。

 

 

 

 

 

4 控訴人の難民該当性について

  

(1)ア 上記認定事実によれば,控訴人は,平成14年(2002年)初めころ,自宅近くの市場でマオイストから寄付を要求され,50ネパールルピーを徴収され,同年6,7月ころ,控訴人宅に来たマオイストから,食事を提供させられ,訪問したことを軍に言ったら殺す旨脅迫を受け,その約1週間後にも,マオイストの訪問を受けて食事を提供させられ,控訴人の以前の勤務先の名称及び給与額に言及された上で,寄付金の要求を受けたこと,

 

その翌日,政府軍の治安部隊から,マオイストに食事を与えたことをとがめられ,今後,マオイストに食事を与えるようであれば,殺す旨脅迫を受けたことから,マオイストが政府軍の訪問を知った場合には政府軍側の立場であるとみなされ,身の危険があると考え,その数日後,自宅を出てポカラに逃げたというのである。

 

 

そして,控訴人は,ポカラにおいては,マオイストから迫害を受けたことはなかったが,マオイストに対する恐怖から,また,自宅を離れたことにより生計の途を失い,ポカラにおいても仕事がなかったことから,家族を養うため,日本に行くことを決意し,ネパールを出国したというのである。

     

 

 

上記認定に係るネパールにおけるマオイストの活動状況等によれば,控訴人がネパールを出国し,本邦に入国した平成14年(2002年)当時において,控訴人が,ネパールを出国しなければ,政府軍側の立場であるとしてマオイストから迫害を受けるおそれがあると考えたこと,本件難民不認定処分がされた平成23年(2011年)当時において,控訴人が,ネパールに戻れば迫害を受けるおそれがあると考えることにはいずれも合理性があり,これは客観的にみて耐え難い状況であって,通常人が控訴人の立場におかれた場合に迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在しているものというべきである。

   

 

 

イ これに対し,被控訴人は,控訴人が,本邦に入国する直前に居住していたポカラ市内では,マオイストから迫害を受けることはなく平穏に生活していたが,家族を養ったり,子供に勉強をさせたりする必要があるなどという経済的な問題から,外国に行く必要があった旨の供述をしていることや正規の旅券を所持していた事実から,庇護を求めるのではなく,稼働目的で本邦に入国したものである旨主張する。

     

 

確かに,控訴人は,ポカラにおいてはマオイストと接触しておらず,生活のために本邦に行くことを決意したというような供述もする。

     

 

しかし,その当時のマオイストの活動状況からは,ポカラにおいてもマオイストからの迫害の危険はあったというべきであり,控訴人がマオイストと接触しなかったのは,ポカラでの生活が,3か月程度であったためであるに過ぎない。

 

そして,マオイストの迫害から逃れるという目的と家族を養うことのできる仕事を探すという目的とは両立するものである上,

 

そもそも家族を養うことができなくなったのが,マオイストからの迫害を恐れ,生活の本拠を出てポカラに逃れたため,それまで営んできた農業ができなくなったことによるものであることに照らすと,

 

控訴人の上記供述をもって,庇護を求める目的の存在を否定することはできないというべきである。

 

 

また,正規の旅券を所持していた事実は,本件のように,その所持に至ったのが迫害とは無関係の具体的な必要性に基づくものではなく,また,難民認定申請の理由が政府からの迫害に対する恐怖を理由とするものではない場合においては,庇護を求める目的を否定するような事情となるものではない。

   

 

ウ 以上によれば,控訴人は,政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であると認められる。

  

 

(2)ア 被控訴人は,難民該当性における迫害主体と国籍国の保護について,迫害の主体が国籍国の政府ではない場合において申請者が国籍国の保護を受けることができないというためには,政府が当該迫害を知りながらこれを放置ないし助長するような特別の事情が必要であるところ,

 

 

本件難民不認定処分当時,ネパール政府は,マオイストの違法行為の取締りをしており,控訴人が,特定の個人または集団として意図的に監視され,生命の危険にさらされていたわけではなく,国の治安が徹底されていなかったというにすぎないから,ネパール政府が,マオイストによる控訴人への迫害を放置ないし助長していたとはいえず,控訴人は国籍国の保護を受けることができないものとはいえない旨主張する。

   

 

イ しかし,迫害の主体が国籍国の政府ではない場合において申請者が国籍国の保護を受けることができないというための特別な事情としては,

 

被控訴人が主張するような,政府が迫害を知りながらこれを放置ないし助長するといった事情のほか,迫害の主体が公然かつ広範囲に迫害行為を繰り返し,政府がこれを制止し得ず,制止し得る確実な見込みもないという事情も含まれると解すべきである。

     

 

そして,上記認定のとおり,控訴人がネパールを出国し,本邦に入国した

 

平成14年(2002年)当時,ネパールでは,マオイストが勢力を拡大し,大規模な襲撃を連続して行うとともに,カトマンズを含む都市部で爆弾テロを頻発させ,さらに全国の村部で政府関連の建物,インフラ施設を破壊する活動を活発化させており,

 

マオイストは,国土の7割から8割を支配しているとまで主張するようになっており,地方議会や下院の選挙も開催できず,地方議会及び同年5月に解散した下院が空席となるなど,混迷を極めていたのであるから,マオイストが公然かつ広範囲に迫害行為を繰り返しているにもかかわらず,ネパール政府はこれを制止し得ず,制止し得る確実な見込みもなかったというほかない。

     

 

 

また,本件難民不認定処分がされた平成23年(2011年)当時も,マオイスト及び同関連組織は,以前に比して少ないものの,

 

犯罪活動を続け,日常的に企業,労働者,民間人及び非政府団体から金銭の恐喝を行っており,

 

他の党の活動家を襲撃するなどし,包括和平協定の要求通り,以前に強奪した財産の一部を返還したが,

 

その余の違法に強奪した土地・財産は保有し続けており,

 

 

マオイストと密接な関連を有する諸組織は,さらにその他の財産を強奪した。

 

 

警察は,犯罪行為を行ったマオイストを逮捕したこともあるが,ほとんどの暴力事件に対応しておらず,特に,マオイストが関与する事件に対する対応は手薄であった。

 

 

ネパール弁護士フォーラム(AF)は,同年1月から6月の間の42件の拷問事件については,非政府機関によるものとし,そのうち25件はマオイスト,1件はマオイスト関連組織YCL,1件はネパール全国自由学生連合によるものと発表したが,

 

政府は,非政府機関の残虐行為についての調査を十分に行っていなかった。

 

 

他方,同年11月1日,マオイスト,統一共産党及びコングレス党の主要3政党の間で,軍の統合問題に関する合意が締結され,同合意により,1万9000名を超える元マオイスト兵は,①国軍への統合を希望する者,②社会復帰プログラムを希望する者,③退職金の支払による自主除隊を選ぶ者の3グループに分けられた。同合意では,マオイストが紛争中に占拠した家や土地などを持ち主に返却すること,YCLを解体し,YCLが占拠している建物や土地から撤退することも決められたが,予断は許さないと考えられていた。

 

 

これらの事実に照らすと,マオイストは,公然かつ広範囲に迫害行為を繰り返していたにもかかわらず,ネパール政府は,これを制止し得ず,制止し得る確実な見込みもなかったと認めるのが相当である。

   

 

ウ 以上によれば,控訴人は,国籍国の保護を受けることができない者に該当すると認められる。

  

 

 

(3) 以上のとおりであり,控訴人は,本件難民不認定処分の当時,政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由にある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,国籍国の保護を受けることができない者であったというべきであるから,難民に該当するものと認められる。

 

 

 

5 結論

   以上によれば,控訴人は難民に該当するから,本件難民不認定処分は違法なものであり,取消しを免れない。

   よって,本件難民不認定処分の取消しを求める控訴人の請求は,理由があるから認容すべきであるところ,これと結論を異にする原判決は不当であるからこれを取り消した上,控訴人の上記請求を認容することとして,主文のとおり判決する。

 

 

 

    名古屋高等裁判所民事第4部

        裁判長裁判官  藤山雅行

           裁判官  上杉英司

           裁判官  丹下将克