マオイストからの迫害

 

 

 

 

 

 

 難民不認定処分取消請求事件、 名古屋地方裁判所判決/平成26年(行ウ)第129号、判決 平成27年11月30日、LLI/DB 判例秘書について検討します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主   文

 

 1 原告の請求を棄却する。

 2 訴訟費用は原告の負担とする。

 

       

 

 

 

 

事実及び理由

 

 

第1 請求

   法務大臣が平成23年11月14日付けで原告に対してした難民の認定をしない処分を取り消す。

 

 

第2 事案の概要

 1 事案の要旨

 本件は,ネパール連邦民主共和国(以下「ネパール」という。)の国籍を有する外国人男性である原告が,出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)61条の2第1項に基づき難民認定申請をしたところ,法務大臣から,平成23年11月14日付けで,難民の認定をしない処分(以下「本件難民不認定処分」という。)を受けたため,その取消しを求めた事案である。

 2 前提事実(当事者間に争いがない事実並びに掲記の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実。以下,書証番号は枝番を含む。)

 (1) 原告の身分関係等

 原告は,昭和31年(1956年)○月○○日にネパールにおいて出生した同国の国籍を有する外国人男性である。(乙1,2)

 (2) 原告の本邦入国及び在留状況

 ア 原告は,平成14年10月12日,在留資格を「短期滞在」,在留期間を「90日」とする上陸許可を受け,本邦に上陸した。(乙1,3,4)

 イ その後,原告は,在留期間の更新又は変更を受けないで,上記アで許可された在留期限である平成15年1月10日を超えて本邦に不法残留した。(乙3,弁論の全趣旨)

 (3) 本件難民不認定処分に至る経緯等

 ア 名古屋入国管理局(以下「名古屋入管」という。)入国警備官は,平成23年10月12日,原告の居住地において原告を摘発し,名古屋入管主任審査官から発付を受けた収容令書を執行して,原告を名古屋入管収容場に収容した。(乙6,8)

 イ 原告は,平成23年10月13日,入管法61条の2第1項に基づき,難民認定申請(以下「本件難民認定申請」という。)をした。(乙21)

 ウ 法務大臣から権限の委任を受けた名古屋入国管理局長(以下「名古屋入管局長」という。)は,平成23年10月25日,原告の仮滞在を許可しない処分をし,同月26日,これを原告に通知した。(乙23)

 エ 名古屋入管入国審査官は,平成23年10月28日,原告が入管法24条4号ロ(不法残留)に該当し,かつ,出国命令対象者に該当しない旨認定し,これを原告に通知した。これに対し,原告は,同日,名古屋入管特別審理官に対して口頭審理を請求した。(乙11,12)

 オ 法務大臣は,平成23年11月14日付けで,本件難民認定申請について,本件難民不認定処分をし,同月17日,これを原告に通知した。(甲1,乙25)

 カ 名古屋入管特別審理官は,平成23年11月15日,名古屋入管入国審査官がした前記エの認定には誤りがない旨判定し,これを原告に通知した。これに対し,原告は,同日,法務大臣に対して入管法49条1項に基づく異議を申し出た。(乙13ないし15)

 キ 法務大臣から権限の委任を受けた名古屋入管局長は,平成23年11月15日,入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない処分をし,同月17日,これを原告に通知した。(乙26)

 ク 法務大臣から権限の委任を受けた名古屋入管局長は,平成23年11月17日,原告がした前記カの異議の申出には理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)をし,これを名古屋入管主任審査官に通知した。同通知を受けた名古屋入管主任審査官は,同日,原告に対して本件裁決を通知するとともに,同日付けで,原告の国籍国であるネパールを送還先とする退去強制令書(以下「本件退令」という。)を発付する旨の処分をした。(乙16ないし19)

 ケ 名古屋入管入国警備官は,平成23年11月17日,原告に対して本件退令を執行し,原告を引き続き名古屋入管収容場に収容した。(乙19)

 コ 原告は,平成23年11月17日,法務大臣に対し,入管法61条の2の9第1項1号に基づき,本件難民不認定処分につき異議申立て(以下「本件異議申立て」という。)をした。(甲2,乙27)

 サ 名古屋入管局長は,平成23年11月24日,本件異議申立てに係る事件を大阪入国管理局(以下「大阪入管」という。)に移送した。(乙28)

 シ 名古屋入管入国警備官は,平成24年3月14日,原告を入国者収容所大村入国管理センター(以下「大村センター」という。)へ移送した。その後,大村センター所長は,同年10月26日,原告を仮放免した。(乙19,20)

 ス 大阪入管難民調査官及び難民審査参与員は,平成25年12月16日,原告に対し,口頭意見陳述及び審尋(以下「本件審尋等」という。)を実施した。(乙35)

 セ 法務大臣は,平成26年6月6日,本件異議申立てを棄却する旨の決定をし,同年7月4日,これを原告に通知した。(甲3,乙36)

 (4) 本件訴えの提起

 原告は,平成26年11月28日,本件訴えを提起した。(顕著な事実)

 

 

 

 

 

 

 

 

3 争点及び当事者の主張

 本件の争点は,本件難民不認定処分の適否であり,この点に関する当事者の主張の要旨は,下記のとおりである。

 (1) 原告の主張

 ア 入管法61条の2第1項によれば,難民認定申請をした外国人が難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)上の難民に当たる場合には,法務大臣は,当該外国人が難民である旨の認定をしなければならない。

 下記イないしオのとおり,原告は,その政治的意見を理由として,ネパール共産党毛沢東主義派(その青年組織である青年共産主義者連盟を含む。以下「マオイスト」という。)から迫害を受けるおそれがあるから,難民条約上の難民に当たる。したがって,原告が難民である旨の認定をしなかった本件難民不認定処分は違法である。

 

 イ 原告は,ネパールのガンダギ県カスキ郡ディクロポカリ6区で生まれた者であるところ,

 

同地区にはマオイストが多く,

 

平成14年頃には,マオイストとネパール軍の治安部隊が極めて激しく争っていた。

 

そのような状況の中で,原告は,同年初め頃,自宅近くの市場に買物に行った際,マオイストから寄附を要求され,その意に反して50ネパールルピーを徴収された。

 

 

ウ マオイストは,

 

平成14年5月又は6月頃から,昼はジャングルに身を潜め,夜になると近所の住人に対して食料を要求するなどしていたところ,

 

原告の家にも,同年6月又は7月頃,マオイスト3名が自宅の扉を開けて勝手に侵入してきた。そして,原告は,これらのマオイストから食事を要求されたところ,断ると何をされるか分からないと考えて家族の夕食用に用意してあった食事を提供した。このとき,原告は,マオイストから暴行を受けることはなかったが,「自分達が訪問したことを軍に言ったら殺す。」などと脅迫された。さらに,原告は,その1週間後にも,別のマオイスト3名の訪問を受け,その意に反して食事を提供させられた。

 

 

エ 上記ウの出来事の後,原告は,軍の治安部隊の隊員三,四名の訪問を受け,「マオイスト達はどこにいるのか」,「なぜ彼らに食事を提供しているのか」,「マオイストのスパイではないのか。」,「今度またマオイストに食事を提供したら殺す。」などと脅迫された。原告は,軍の治安部隊が原告の家に立ち寄ったことをマオイストが知れば,マオイストから軍のスパイであると疑われて殺され,また,マオイストが食事を求めて原告の家を訪問した際に要求を断れば,マオイストに殺害され,他方,マオイストに食事を提供すれば軍の治安部隊に殺されるという状況から,どのようにしても殺害されるなどと考えて,直ちに,自宅からバスで1時間程度の距離にあるポカラ市に逃げ,住む場所を確保した後に妻子を呼び寄せた。

 

 

オ 原告は,ネパール国民民主党(以下「RPP」という。)の信条や活動歴を有しており,マオイストとは政治的意見を異にする。そのため,原告がネパールに帰国した場合には,マオイストから迫害を受けるおそれがある。

 

 

 

 

 

 

(2) 被告の主張

 ア 難民の定義における「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧を意味し,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であるところ,下記イ及びウによれば,原告が難民に当たらないことは明らかである。

 

 イ 原告は,在留期限である平成15年1月10日を超えて本邦で不法残留を続け,ネパールに送還されるおそれがあったにもかかわらず,実際に難民認定申請に及んだのは本邦入国から約9年も経過し,しかも,入管法違反(不法残留)容疑で摘発された後の平成23年10月13日である。これほどまでの難民認定申請の遅延は,迫害の恐怖から逃れるために本国を出国し,本邦に滞在せざるを得ないほどの切迫した状況にあった者の取る行動としては極めて不自然・不可解である。

 

 ウ 原告は,本件異議申立てをする以前には,自身とRPPとの関係を何ら供述していなかったにもかかわらず,本件異議申立てをした後の平成25年12月16日に実施された本件審尋等の中で,突然,自身がRPPの党員である旨の供述を始めており,その供述を信用することはできない。また,原告は,本件審尋等の中で,RPPの信条や活動が原因となって迫害を受けるおそれがない旨を明確に認めているのであるから,RPPの信条や活動歴を有することを理由として,マオイストから迫害を受けるおそれがあるということはできない。

 

 

 

 

 

 

 

第3 当裁判所の判断

 1 入管法2条3号の2は,同法における「難民」の意義について,難民条約1条の規定又は難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいうと規定しているところ,難民条約1条A(2),難民議定書1条1及び2によると,

 

難民とは,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの」をいうものとされている。

 

 

 そして,上記の

 

「迫害」とは,通常人にとって受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃又は圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧をもたらすものを意味し,上記の「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,その者が主観的に迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているだけでなく,通常人がその者の立場に置かれた場合に迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることが必要であると解するのが相当である。

 

 

 また,難民の認定における立証責任については,「法務大臣は申請者の提出した資料に基づき難民の認定を行うことができる」旨を定める入管法61条の2第1項の文理に加え,難民の認定処分が侵害処分ではなく,いわゆる授益処分であることをも勘案すると,

 

申請者側(原告)にあるというべきである。そして,その立証の程度については,民事訴訟の例により(行政事件訴訟法7条),高度の蓋然性を要すると解するのが相当であり,

 

これを緩和すべき法的根拠は見当たらない。

 

 

 

 2 そこで,以上の見地から,原告が難民に該当するか否かについて検討するに,前記前提事実に掲記の証拠及び弁論の全趣旨を総合すると,次の各事実が認められる。

 

 

 

 

(1) ネパールの一般情勢等

 

 

ア ネパールにおいては,

 

 

昭和26年(1951年),トリブバン国王が王政復古を果たして立憲君主制を採用した。

 

 

その後,平成2年(1990年)には,ビレンドラ国王の下で,主権在民などを定めた新憲法が公布され,

 

 

平成3年(1991年)には,複数政党制に基づく総選挙が行われた。その結果,ネパール会議派(コングレス党)政権が成立し,以来,複数政党による政権交代が繰り返された。(乙37)

 

 

 

イ 統一共産党から分裂したマオイストは,

 

 

平成8年(1996年)から武装闘争を開始した。

 

 

ネパール政府は,平成13年(2001年)以降,マオイストに停戦を呼び掛け,同年8月末に政府代表団とマオイストとの会談が実施されたが,マオイストは,同年11月に政府との対話を打ち切り,国内各地で攻撃を再開した上,「ネパール解放軍」の結成を宣言するなどした。

 

 

これに対して,国王は,同月26日,憲法に基づいて非常事態宣言を発令し,国軍を中心としてマオイストの掃討作戦に乗り出した。

 

 

その後,ネパール政府は,平成15年(2003年)1月にマオイストとの停戦合意を成立させたが,同年8月,マオイストが一方的に停戦破棄を発表したことから,マオイストをテロリストに指定し,国軍による掃討作戦を再開した。(乙37ないし39,41)

 

 

 

 

ウ ギャネンドラ国王は,平成17年(2005年)2月1日,全国に非常事態宣言を発し,直接統治を開始したが,主要7政党の抗議が激化したことを受けて,

 

 

平成18年(2006年)4月,民政復活を表明して下院の復活を宣言した。

 

 

同月28日,下院議会が再開され,同月30日,ネパール会議派(コングレス党)のコイララ党首が首相に就任し,同年5月18日,ネパール史上初めて,国王に代わって議会が国権の最高機関とされた。

 

 

 

また,ネパール政府は,同月3日,マオイストに対するテロリスト指定を解除するとともに,マオイストと停戦することを決めた。これを契機として,ネパール政府とマオイストによる和平交渉が行われ,同年7月,ネパール政府は,国際連合に対して支援要請の書簡を発出し,国際連合が和平プロセスに関与していく方向が定まった。

 

 

ネパール政府とマオイストは,同年11月8日,「恒久平和の実現に向けた合意文書」に署名し,

 

 

平成19年(2007年)6月半ばに予定されていた制憲議会選挙の実施等のために,国際連合が国軍及びマオイストの武器管理の監視を行うこと等に合意した。

 

 

そして,平成18年(2006年)11月21日,コイララ首相とマオイストの最高指導者であるプシュパ・カマール・ダハール議長(通称プラチャンダ。以下「プラチャンダ」という。)とは,恒久的な停戦,マオイストによる武器の使用や住民に対する金品強要の禁止等を盛り込んだ包括的和平協定を締結した。さらに,プラチャンダは,選挙の結果,王制廃止が否定されても,武装闘争には戻らない旨明言した。(乙37,38,42ないし45)

 

 

 

 

エ 平成19年(2007年)1月15日,暫定憲法が公布され,マオイストを含む暫定議会が発足し,同年4月1日には,マオイスト5閣僚を含む暫定政府が発足した。

 

 

同年5月9日,マオイストの青年組織である青年共産主義者連盟(以下「YCL」という。)がダーン・デウクリ郡下で警官隊と衝突すると,マオイスト議長のプラチャンダは,同月10日,同事件を遺憾とし,同党関係者の処分を約束した。

 

 

マオイストは,同年9月18日,連立政権から離脱したが,プラチャンダは,同年12月25日,「(マオイストは)絶対に武力闘争に戻らない。(マオイストが行ってきた恐喝等の暴力行為について)市民を強制的に従わせることのないよう指示を出した。」旨の表明をした。

 

 

平成20年(2008年)4月10日,制憲議会選挙が実施され,マオイストが第1党となった。制憲議会は,同年5月28日,連邦民主共和制への移行を宣言し,約240年間続いた王制は廃止された。

 

 

その後,プラチャンダは,同年8月15日,制憲議会において首相に選出され,同月31日に連立内閣を発足させた。そして,同年11月16日,制憲議会において新憲法制定に向けた作業日程が可決された。(乙38,42,45,47,48)

 

 

 

オ 平成21年(2009年)5月,マオイスト兵の国軍への統合問題をめぐる対立から,プラチャンダ首相が辞任し,統一共産党のマダブ・クマール・ネパールが新首相に選出されたため,マオイストは与党を離脱して野党に下った。

 

 

マオイストは,平成22年(2010年)5月,憲法制定作業に対する政府の取組が遅れていることを理由として強制ゼネストを行う旨表明したが,党内外からの批判を受けたため,強制ゼネストを中止した。

 

 

その後,ネパール首相が同年6月に辞任し,同年7月から同年11月まで計17回の首相選挙が実施されたものの,主要政党間での合意が得られず,首相を選出することができなかったが,

 

 

平成23年(2011年)1月,首相選挙の手続に関する議会規則が改定され,同年2月に新たに実施された首相選挙において,マオイストも支持した統一共産党のカナル委員長が首相に選出された。

 

 

同年8月,カナル首相は辞任し,マオイストのバッタライ副委員長が首相選挙で過半数の支持を得て首相に選出された。(乙38)

 

 

カ 平成23年(2011年)11月1日,マオイスト,統一共産党及びコングレス党の主要3政党の間で,軍の統合問題に関する合意が締結され,同合意により,1万9000名を超える元マオイスト兵は,

 

①国軍への統合を希望する者,

 

②社会復帰プログラムを希望する者,

 

③退職金の支払による自主除隊を選ぶ者の3グループに分けられた。

 

 

同合意では,マオイストが紛争中に占拠した家や土地などを持ち主に返却すること,YCLを解体し,YCLが占拠している建物や土地から撤退することも決められた。(乙38,49ないし51)

 

 

 

キ 米国は,平成24年(2012年)9月6日,マオイストをテロ組織リストから除外した旨を発表した。(乙54)

 

 

ク ネパール国軍の発表によれば,

 

 

平成24年(2012年)9月23日,合計1388名の元マオイスト兵が選定試験に合格し,国軍に統合されることとなり,

 

同年11月21日には,元マオイスト兵1462名が国軍に正式に入隊した。(乙55,56)

 

 

 

ケ カナダ移民難民局による情報提供によれば,ネパールでは,あらゆる文書を不正な手段で入手することが可能であり,このような不正な手段で入手することができる文書には,変造されたものや完全な偽造品などがあるとされている。(乙71)

 

 

 

(2) 原告に関する個別的事情

 

 

ア 本国における生活状況等

 

(ア) 原告は,昭和31年(1956年)○月○○日,ネパールのガンダギ県カスキ郡ディクロポカリ6区において,ネパール人父母の間に2人兄妹の第1子(長男)として出生し,ネパール国内で成育した後,ネパールの首都カトマンズ市内にある大学に進学したが,平成2年(1990年)頃に中退し,その後,平成6年(1994年)から平成11年(1999年)頃までは,ポカラ市内の事務所で稼働した。(甲28,乙1,2,7,11,原告本人,弁論の全趣旨)

 

 

(イ) 原告は,平成13年(2001年)3月5日,ネパール政府から自己名義の正規の旅券(乙1。以下「本件旅券」という。)の発給を受けた。もっとも,原告は,本件旅券を取得した後も,後記イ(ア)のとおり,平成14年(2002年)10月12日に本邦に入国するまでの約1年7か月間にわたってネパールでの滞在を続けているところ,原告は,原告本人尋問の中で,本邦に入国する直前に居住していたポカラ市内では,マオイストから迫害を受けることはなく平穏に生活していたが,家族を養ったり,子供に勉強をさせたりする必要があるなどという経済的な問題から,外国に行く必要があった旨の供述をしている。(乙1,2,原告本人,弁論の全趣旨)

 

 

(ウ) 原告は,ネパール人のブローカーに仲介料(100万ネパールルピー)を支払って日本国査証を取得するための手続を依頼し,平成14年(2002年)9月24日,在ネパール日本国大使館において,「短期滞在」の在留資格に係る日本国査証を取得した。(甲24,乙1,11)

 

 

イ 本邦入国及び在留状況等

 

(ア) 原告は,平成14年10月12日,日本国査証が付された本件旅券を提示し,在留資格を「短期滞在」,在留期間を「90日」とする上陸許可を受けて本邦に入国したが,入国審査の際,入国管理局の職員に対して,本邦における難民認定申請の手続について質問をしたり,庇護を求めたりすることはなかった。(乙3,11,弁論の全趣旨)

 

(イ) 原告は,本邦入国後,在留期間の更新又は変更を受けないで,許可された在留期限である平成15年1月10日を超えて本邦に不法残留した。原告は,不法残留中,日本国内を転々としながら不法就労を続け,これらの不法就労によって得た収入の中から,総額約150万円から200万円をネパール在住の家族に送金していた。(乙3,7,11,21,弁論の全趣旨)

 

 

 

ウ 本件難民不認定処分に至る経緯等

 

(ア) 原告は,平成23年10月12日,名古屋入管の職員により摘発された。(乙6)

 

(イ) 原告は,平成23年10月13日,法務大臣に対し,難民認定申請書(乙21。以下「本件申請書」という。)を提出して本件難民認定申請をした。本件申請書には,迫害を受ける理由として,ネパール滞在中,マオイストから金銭の要求を受けたことなどが記載されていたが,マオイストから逮捕,抑留,拘禁その他身体の拘束や暴行等を受けたことがあるかという質問に対しては,「いいえ」の欄に印がされていた。(乙21)

 

(ウ) 原告は,平成25年12月16日に行われた本件審尋等の中で,本邦に上陸した頃から難民認定申請をしようと考えていた旨の供述をした。(乙35)

 

 

 

 

 

3 上記2で認定した事実を前提として,原告が難民に該当するものと認められるか否かについて検討する。

 

 

(1) 原告は,ネパールに帰国すると,マオイストから迫害を受けるおそれがある旨主張し,自らの難民該当性を基礎付ける事情として,

 

①原告は,マオイストと政治的意見を異にするRPPの信条や活動歴があること,

 

②原告は,ネパール滞在中,マオイストから,金銭の寄附や食事の提供を強制されたことがあること,

 

③原告は,マオイストから,政府軍のスパイであると疑われていることを挙げ,原告の陳述書(甲28,乙30),本件申請書(乙21),異議申立てに係る申述書(乙29),名古屋入管入国警備官作成に係る原告の供述調書(乙7),名古屋入管入国審査官作成に係る審査調書(乙10,11),名古屋入管特別審理官作成に係る口頭審理調書(乙13),名古屋入管難民調査官作成に係る原告の供述調書(乙24),口頭意見陳述・審尋調書(乙35)及び原告本人尋問の結果中には,原告の上記主張に沿う供述記載部分ないし供述部分がある。

 

 

 

 

 

(2) しかしながら,上記(1)①の点については,原告本人尋問での原告の供述を前提としても,原告がRPPのメンバーとしてした活動は,村での細かい雑用程度のものにとどまり,しかも,原告は,ネパール滞在中,RPPの信条や活動を原因としてマオイストから迫害を受けたことは一度もないということを自認しているのであるから(原告本人尋問調書),原告がネパールを出国した日から9年以上が経過した本件難民不認定処分の時点(平成23年11月14日)において,RPPの信条を有していることや,RPPのメンバーの活動歴があることを理由として,マオイストが原告を迫害の対象としていたとは到底考え難い。

 

 

 次に,上記(1)②の点については,原告が難民に該当するというためには,仮に,原告がマオイストから金銭の寄附や食料の提供を強いられたという事実があったとしても,これらの事実から直ちに原告の難民該当性を肯認することはできず,本件難民不認定処分がされた平成23年11月14日の時点で,原告にマオイストから迫害を受けるおそれがあるという客観的事情が存在していたことが必要となる。

 

 

 ところが,原告本人尋問における原告の供述を前提とすると,マオイストは,原告から寄附金を受領した事実とそれに対する感謝の意を記載した平成13年(2001年)4月3日付けの領収書(甲19。以下「本件領収書」という。)を原告に交付したというのであるが(原告本人尋問調書),このような本件領収書を原告に交付したマオイストが,寄附金を受領した日(平成13年4月3日)から10年以上もの期間が経過した本件難民不認定処分当時において,原告をなお迫害の対象としていたとは考え難い。

 

 

 

 しかも,原告の供述を前提としても,原告がマオイストから寄附金の支払を強制されたのは1回,食事の提供を強制されたのは2回にとどまる(原告本人尋問調書)上,

 

前記2で認定した事実及び証拠(原告本人)並びに弁論の全趣旨によれば,

 

 

(ア)原告は,ネパール滞在中,マオイストから暴行を受けたことは一度もなく,本邦に入国する直前に居住していたポカラ市内では,マオイストの迫害を受けることなく平穏に生活していたこと,

 

(イ)原告は,平成14年10月12日に来日して以降,政治活動や反政府活動に関与したことはないこと,

 

(ウ)原告は,本件難民不認定処分の時点で9年以上にわたって本邦に滞在し,その間,原告やネパール在住の家族がマオイストから暴行や脅迫を受けた事実はないことが認められ,これらの事情に鑑みると,本件難民不認定処分の時点で,原告がマオイストから迫害を受けるおそれのある客観的事情が存するとは認め難い。

 

 

 

 さらに,上記(1)③の点については,マオイストから政府軍のスパイであると疑われている旨の主張に沿う証拠は原告の供述以外に存在しない上,原告が政府軍のスパイとして活動した事実がないことは原告自身も自認するところであるから(第2回口頭弁論調書),政府軍のスパイであると疑われていることを理由として,原告がマオイストから迫害を受けるおそれがあるとは認め難い。

 

 以上によれば,原告の上記(1)の供述記載部分ないし供述部分はいずれも信用することができない。

 

 

 

 

(3) さらに,原告は,前記(1)の主張に沿う証拠として,

 

①平成23年(2011年)8月28日付けの証明書(甲20・乙34),

 

②同年12月22日付けの証明書(甲21・乙31),

 

③同年10月6日付けの証明書(甲22・乙32),④同日付けの証明書(甲23・乙33)などを援用する。

 

 

しかしながら,これらの文書については,

 

ア)いずれもネパールにおける作成や入手の経緯が明らかではないこと,

 

(イ)上記③及び④の各文書については作成名義が異なる政党であるにもかかわらず,作成日付と記載内容が全く同一であるなどの極めて不自然な点があること,

 

(ウ)ネパールでは文書の偽造や虚偽証明が横行していることが外国の政府機関から指摘されていること(前記2(1)ケ)などの事情に鑑みると,

 

 

上記各文書は,原告又はその家族がした供述をそのまま記載したものである疑いを払拭し難く,これらをそのまま文面どおりに受け取ることはできない。したがって,これらの文書の存在をもって,原告の難民該当性を肯認するに足りる事情であるということはできない。

 

 

 

(4) 以上によると,本件難民不認定処分がされた平成23年11月14日当時,原告が,ネパールにおいて,迫害を受けるおそれ(通常人が原告の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的な事情)があったということはできない。したがって,原告の難民該当性を肯認することはできないから,原告が難民であると認定しなかった本件難民不認定処分は適法である。

 

 

 

 

第4 結論

 

 以上の次第で,原告の請求は理由がないからこれを棄却することとして,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民訴法61条を適用して,主文のとおり判決する。

 

    名古屋地方裁判所民事第9部

        裁判長裁判官  市原義孝

           裁判官  西脇真由子

 裁判官富澤賢一郎は転補のため署名押印することができない。

        裁判長裁判官  市原義孝