不法入国し建設会社で土木作業員として稼働中負傷し,後遺症が残存。

 

 

 

 東京地方裁判所判決/平成26年(行ウ)第547号、判決 平成28年3月11日、LLI/DB 判例秘書について検討します。

 

 

 

 

 

 

【判示事項】

 

 

 

 外国籍(スリランカ民主社会主義共和国)の原告が,入管審査官から不法入国の認定を受けた後,入国管理局長から入管法49条1項に基づく異議の申出は理由がない旨の裁決を,入管主任審査官から退去強制令書発付処分を各受けたことから,本件裁決および本件退令発付処分が無効であることの確認を求めた事案。裁判所は,原告が自ら出頭して不法入国の事実を申告したことによって直ちに不法入国や不法労働を正当化できるものではなく,建設会社で土木作業員として稼働していたころ負傷し,後遺症が残存しているものの,本国に送還された後も,障害補償年金を受給することができ,スリランカにおける治療も十分可能などとして,本件裁決は無効とはいえず,これを前提とした本件処分も無効とはいえないとして,請求を棄却した事例

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主   文

 

 1 原告の請求をいずれも棄却する。

 2 訴訟費用は原告の負担とする。

 

       

 

 

 

 

事実及び理由

 

第1 請求

 1 裁決行政庁が平成18年10月6日付けで原告に対してした出入国管理および難民認定法49条1項に基づく異議の申出は理由がない旨の裁決が無効であることを確認する。

 2 処分行政庁が平成18年10月6日付けで原告に対してした退去強制令書発付処分が無効であることを確認する。

 

 

 

第2 事案の概要

   本件は,スリランカ民主社会主義共和国の国籍を有する外国人男性である原告が,出入国管理および難民認定法(以下「入管法」という。)所定の退去強制手続において,入管法24条1号(不法入国)に該当すると認定され,東京入国管理局長から入管法49条1項に基づく異議の申出は理由がない旨の裁決(以下「本件裁決」という。)を受け,東京入国管理局横浜支局主任審査官から退去強制令書発付処分(以下「本件退令発付処分」という。)を受けたことについて,原告においては,長期間平穏に在留して本邦に定着しており,また,本邦における労働災害により負傷し,その障害につき治療を継続している等の事情があるにもかかわらず,原告に対して在留特別許可をしないでされた本件裁決は,裁量権の範囲を逸脱し,又はこれを濫用したものとして違法であり,本件退令発付処分も違法であって,いずれも違法の程度は重大であるなどと主張し,本件裁決および本件退令発付処分が無効であることの確認を求める抗告訴訟(無効等確認の訴え)である。

 

 

1 前提事実(当事者間に争いがない事実)

  (1) 原告の身分事項

    原告は,1976年(昭和51年)○○月○日,スリランカ民主社会主義共和国(以下「スリランカ」という。)において出生したスリランカ国籍を有する外国人男性である。

  (2) 原告の入国および在留の状況

   ア 原告は,平成7年10月4日,航空機により新東京国際空港(現在の成田国際空港)に到着し,本邦に不法入国した。

   イ 原告は,平成11年5月19日,茨城県鹿島郡鉾田町長に対し,居住地を「茨城県鹿島郡(以下略)」,氏名および世帯主を「X1」,続柄を「本人」とする外国人登録法(平成21年法律第79号による廃止前のもの。以下「外登法」という。)3条1項に基づく新規登録の申請をし,その旨の登録を受けた。

   ウ 原告は,平成14年8月13日,神奈川県鎌倉市長に対し,居住地を「神奈川県鎌倉市(以下略)」とする外登法8条1項に基づく変更登録の申請をし,その旨の登録を受けた。

   エ 原告は,平成23年5月12日,神奈川県鎌倉市長に対し,居住地を「神奈川県鎌倉市(以下略)」とする外登法8条2項に基づく変更登録の申請をし,その旨の登録を受けた。

  (3) 本件裁決および本件退令発付処分に至る経緯等

   ア 原告は,平成17年3月23日,東京入国管理局横浜支局(以下「東京入管横浜支局」という。)に出頭して,不法入国の事実を申告した。

   イ 東京入管横浜支局入国警備官は,平成17年3月23日および4月27日,原告に係る違反調査をした。

   ウ 東京入管横浜支局入国警備官は,平成17年8月11日,原告が入管法24条1号(不法入国)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして東京入管横浜支局主任審査官から収容令書の発付を受け,同月16日,同収容令書を執行して,原告を東京入管横浜支局収容場に収容し,東京入管横浜支局入国審査官に引き渡した。

     東京入管横浜支局主任審査官は,同日,原告に対し,仮放免を許可した。

   エ 東京入管横浜支局入国審査官は,平成17年8月16日,原告に係る違反調査をし,その結果,原告が入管法24条1号(不法入国)に該当する旨認定し,原告にその旨通知したところ,原告は,同日,東京入管横浜支局特別審理官による口頭審理を請求した。

   オ 東京入管横浜支局特別審理官は,平成18年9月6日,原告に係る口頭審理を行い,その結果,上記エの認定に誤りがないと判定し,原告にその旨通知したところ,原告は,同日,法務大臣に対し,異議の申出をした。

   カ 法務大臣から権限の委任を受けた東京入国管理局長(以下「東京入管局長」という。)は,平成18年10月6日,上記オの異議の申出には理由がない旨裁決(本件裁決)し,東京入管横浜支局主任審査官に本件裁決を通知した。

     東京入管横浜支局主任審査官は,同日,原告に対し本件裁決を通知するとともに,退去強制令書(以下「本件退令」という。)を発付し(本件退令発付処分),東京入管横浜支局入国警備官は,同日,本件退令を執行し,原告を東京入管横浜支局収容場に収容した。

     東京入管横浜支局主任審査官は,同日,原告に対し,仮放免を許可した。

   キ 東京入管横浜支局主任審査官は,平成24年6月21日,原告の仮放免期間延長許可申請を不許可として,原告にその旨通知し,東京入管横浜支局入国警備官は,同日,原告の仮放免期間が満了したことから,本件退令を執行し,原告を東京入管横浜支局収容場に収容した。

   ク 東京入管横浜支局入国警備官は,平成24年10月19日,原告を入国者収容所東日本入国管理センター(以下「東日本センター」という。)に移収した。

   ケ 東日本センター所長は,平成26年4月7日,原告に対し,仮放免を許可した。

 2 争点および争点についての当事者の主張

   本件の争点は,①本件裁決が無効であるか否か(争点1)および②本件退令発付処分が無効であるか否か(争点2)である。

  

 

 

 

 

(1) 争点1(本件裁決が無効であるか否か)について

   

 

 

 

 

 

(原告の主張の要旨)

   ア 在留特別許可に関する地方入国管理局長の裁量権

    (ア) 在留特別許可の許否判断

      法務省入国管理局は,在留特別許可を付与するか否かについて,「在留特別許可に係るガイドライン」(以下「ガイドライン」という。)を公表しており,平成21年7月10日付け法務省入国管理局長通達は,地方入国管理局長の裁決および在留特別許可の許否の決定は,ガイドラインを踏まえて行うものとしており,平成21年8月5日付け法務省入国管理局長通達(以下「平成21年8月5日付け通達」という。)は,ガイドラインに掲げる積極要素として考慮すべき事情が明らかに消極要素として考慮すべき事情を上回り,在留特別許可方向で検討することが相当と認められる案件について,業務を合理化した上で適正手続を確保しつつ,効率的な処理に努めるとしている。

      そして,ガイドラインは,在留特別許可の許否判断において考慮すべき事項として,当該外国人の個別事情のみを列挙しており,「国内の治安や善良な風俗の維持,保健衛生の確保,労働市場の安定等の政治,経済,社会等の諸事情,当該外国人の本国との外交関係,我が国の外交政策,国際事情等の諸般の事情および上記各事情が将来変化する可能性」などを考慮することは予定していない。

      そうすると,在留特別許可は,諸般の事情を総合的に考慮した上で決定される恩恵的措置であるとはいえず,法務大臣および法務大臣から委任を受けた地方入国管理局長(以下「法務大臣等」という。)に広範な裁量を委ねるものではない。

    (イ) 地方入国管理局長の裁量権

      仮に,在留特別許可の許否の判断に関して法務大臣に広範な裁量が与えられているとしても,地方入国管理局長は,法務省の内局である入国管理局の地方支部局の長にすぎず,出入国管理行政全般について国民や社会に対して責任を負う立場にないから,法務大臣から委任を受けた地方入国管理局長に法務大臣と同等の広範な裁量権を付与する根拠はない。

    (ウ) 以上からすれば,在留特別許可に関し,地方入国管理局長に広範な裁量権があるとはいえない。

   イ 原告が本邦に定着していること

     原告は,平成7年10月4日(当時19歳)に本邦に入国し,本邦において稼働し,日本語での日常会話を流暢にこなして大勢の友人を作るなどして,長期間本邦で生活してきた。

     また,原告は,入管法違反のほかに違反歴および犯罪歴はなく,原告の在留状況に特段の問題はない。

     以上のとおり,原告は長期間平穏に本邦で居住することで,本邦に定着しているというべきであるにもかかわらず,本件裁決において考慮されていない。

   ウ 原告が右坐骨神経損傷の治療中であること

    (ア) 原告の健康状態

      原告は,平成13年7月に本邦における労働災害により右坐骨神経損傷を負い,平成15年1月17日に上記傷病の症状が固定された後も可動域の大きな制限や痛みに苦しみ続けており,腰背部から下肢にかけての痛みと機能障害のため,杖を用いずに歩行することが困難な状態にある。

      また,原告は,症状固定以降も,平成16年3月頃までは痛みの緩和のためにリハビリを受けており,リハビリの費用を捻出できなくなった後も,月に1回程度の医師の診察を受けるなど,極めて厳重かつ頻繁な症状確認,薬剤投与およびリハビリを要する状態であった。

    (イ) 本国において十分な医療を受けることができないこと

      本邦における原告に係る診療記録をスリランカの医療機関に引き継ぐことはできない上,スリランカにおける医療水準は本邦のそれと異なり,原告が服用している薬を全て処方してもらうことは不可能であり,スリランカには国外で障害を負った原告を受け入れてくれる病院はなく,仮にあったとしても原告は保険に加入することができないことなどからすれば,原告はスリランカで十分な医療を受けることができない。

    (ウ) 本国における障害者に対する配慮が不十分であること

      スリランカにおいては,公共機関,医療機関などにおけるバリアフリーが整備されておらず,障害者に対する社会的差別が存在するため,歩行が困難な状態にある原告が,日常生活を自立して行うことは困難である。

    (エ) 本国の家族による支援は困難であること

      原告の両親は高齢であり,妹は夫や子がいるため,本国の家族が原告の介護又は日常生活の支援を行うことは困難である。

    (オ) 航空機による送還が不可能であること

      原告は,本件裁決当時,1時間程度の座位で右下肢に耐え難い痛みが出現してくる状態にあり,航空機でスリランカまで送還することは不可能であった。

    (カ) 本国における内戦が激化していること

      スリランカでは,シンハラ人とタミル人との対立に起因する内戦が続いており,本国内の原告自宅が所在するキャンディ市は,対立抗争が激化しやすい地域にあり,本件裁決当時,身体の不自由な原告をスリランカに送還することは危険を伴うものであった。

    (キ) 以上のとおり,原告は,右坐骨神経損傷の治療中であり,本国では十分な医療を受けることができず,日常生活を自立して行うことが困難であり,航空機による送還が不可能であり,本国の内戦が激化しているにもかかわらず,本件裁決においてこれらが考慮されていない。

   エ 在留特別許可を付与しない判断がガイドラインに反していること

    (ア) 在留許可の許否判断の考慮事項

      在留特別許可の許否の判断は,個々の事案ごとに,在留を希望する理由,家族状況,素行,内外の諸情勢,人道的な配慮の必要性,我が国における不法滞在者に与える影響等,諸般の事情を総合的に勘案して行うこととされており,ガイドラインはその際の考慮事項を定めたものである。

    (イ) 積極要素

      ガイドラインにおいて,「当該外国人が,難病等により本邦での治療を必要としていること」を「特に考慮する積極要素」として挙げているところ,上記ウのとおり,原告は,日本において継続的な治療を要する重篤な障害を負っており,治療を継続中であった。

      また,ガイドラインにおいて,「当該外国人が,不法滞在者であることを申告するため,自ら地方入国管理官署に出頭したこと」を「その他の積極要素」として挙げているところ,原告は,平成17年3月頃,自ら地方入国管理官署に出頭し,自らに在留資格がない旨を申告するとともに,在留特別許可を求めたものである。

      さらに,ガイドラインにおいて,「当該外国人が,本邦での滞在期間が長期間におよび,本邦への定着性が認められること」を「その他の積極要素」として挙げているところ,上記イのとおり,原告は,19歳で本邦に入国して以来,本邦において生活し,稼働しており,本邦への高度の定着性がある。

      加えて,ガイドラインにおいて,「その他人道的配慮を必要とするなど特別な事情があること」を「その他の積極要素」として挙げているところ,上記ウのとおり,原告は,本邦における労働災害による障害の治療を継続しており,原告が本邦に残留して治療を継続する道を確保することが必要である上,スリランカは,本件裁決当時,内戦が激化した状態にあり,身体の不自由な原告を送還することは人道的配慮が必要である。

    (ウ) 消極要素

      原告は,他人名義のパスポートで本邦に入国したことについて,深く反省していることからすれば,かかる不法入国行為を消極要素として過大に評価することはバランスを失する。

      また,ガイドラインにおいて,不法就労目的の入国および不法就労の継続を消極的要素として挙げておらず,不法就労をもって出入国管理政策の根幹を揺るがすと評価することはできない。

    (エ) 以上のとおり,原告には,「特に考慮する積極要素」を含め,多くの積極要素がある一方,重視すべき消極要素は皆無であることからすれば,原告に対する在留特別許可を付与しない判断は,ガイドラインに反し,その違法性は極めて重大である。

   オ 小括

     以上によれば,東京入管局長は,本件裁決において考慮すべき重要な事項を考慮しておらず,在留特別許可を付与しない判断はガイドラインに反するものであり,本件裁決は重大な違法があるため,無効である。

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(被告の主張の要旨)

   ア 在留特別許可に関する法務大臣等の裁量権

     在留特別許可の許否判断には,法務大臣に広範な裁量権が認められていることから,在留特別許可を付与しなかった法務大臣の判断は,法務大臣の第一次的な裁量判断が存在することを前提として,法律上当然に退去強制されるべき外国人について,なお我が国に在留することを認めなければならない積極的な理由があったにもかかわらずこれが看過されたなど,在留特別許可の制度を設けた入管法の趣旨に明らかに反するような極めて特別な事情が認められる場合に限り,裁量権の範囲の逸脱又はその濫用に当たるとして,違法となり得る。

     そして,入管法69条の2は,増大する法務大臣の許可等の事務を迅速かつ的確に処理するため,それらの権限の一部を地方入国管理局長に委任することができるようにしたものであり,同条が,一定の重要な処分については委任を留保し,他方で在留特別許可等のその他の権限について何ら制約を付すことなく委任していることに鑑みれば,法務大臣から権限の委任を受けた地方入国管理局長がその委任を受けた権限について法務大臣と同様の裁量権を有することは明らかである。

   イ 原告の入国および在留状況が悪質であり,出入国管理行政上到底看過することができないこと

    (ア) 原告は本邦に不法入国したものであること

      原告は,違法な手段であることを認識しながら本邦に不法入国し,以後引き続き不法に残留していたものである。

      しかるところ,入管法は,不法入国者につき,不法残留者よりも出入国管理の基本秩序を害する程度が高く,悪質であると位置づけているのであって,原告が不法入国したとの事実だけをとってみても,原告の入国および在留状況は悪質というべきである。

    (イ) 原告が不法就労していたこと

      原告は,当初から本邦での不法就労を目的とし,本邦入国後平成13年7月頃までの間は,弁当製造会社や土木会社で稼働し,その後は,知人の中古車会社を手伝って多いときには5ないし6万円の収入を得ていた。

      しかるところ,我が国の在留資格制度は,外国人の就労活動に対する規制をその根幹に取り込んで成立しているのであって,在留資格のない外国人が我が国において就労するという事態は,我が国の出入国管理政策の根幹を揺るがすものであるから,原告が不法に就労する目的で本邦に不法入国し,本邦で不法就労を継続していたことは,それ自体,我が国の出入国管理政策を阻害する悪質な行為であるから,在留特別許可の許否の判断において消極要素として評価されるべきである。

    (ウ) 原告が外登法上の義務を怠っていたこと

      原告は,平成7年10月4日頃に本邦に不法入国してから平成11年5月19日までの約3年7か月もの間,外登法3条1項に基づく新規登録の申請をしていなかった。

      しかるところ,このような原告の行為は,本邦に在留する外国人の居住関係および身分関係を明確ならしめ,もって在留外国人の公正な管理に資することを目的とする外登法の趣旨に反し,罰則規定にも抵触するものであるから,在留特別許可をしない事情として斟酌することは当然である。

    (エ) 小括

      以上のとおり,原告の入国および在留状況は極めて悪質であって,出入国管理行政上到底看過することはできず,これらの事情は,原告に対して在留特別許可を付与すべきか否かの判断において,重大な消極要素として評価されるべきである。

   ウ 本邦への定着性に係る原告の主張が失当であること

     法務大臣等の在留特別許可の拒否に関する裁量の範囲は極めて広範なものである上,入管法は,在留特別許可を付与するか否かの判断に関して,特定の事項を考慮しなければならないとする規定を置いていないのであるから,原告が本邦において稼働するなどして長期間生活を継続していたとしても,違法行為が長期間に及んでいることを意味するものにほかならず,法務大臣等の裁量権を制約するものではない。

   エ 原告の健康状態に係る主張には理由がないこと

    (ア) 原告の負傷は,平成15年1月17日に症状固定となっている上,原告の障害の程度が重篤なものであったとはいえず,原告の障害についての治療内容は,本件裁決当時,投薬やリハビリ程度のものにとどまることからすれば,基本的には鎮痛薬等によって残存する痛みを抑えることで足りると考えられ,原告の症状について本邦での治療が必要であるとは認め難い。

      仮に治療が必要であるとしても,スリランカには,比較的設備の整った病院があり,比較的大きな手術が行われており,少なくとも神経障害に係るスリランカと本邦における医療水準について明確な差異は見い出し難いことからすれば,原告について,スリランカにおいて治療を継続することも十分可能である。

    (イ) また,仮にスリランカにおける医療体制等が我が国より劣る部分があるなどの事情があるとしても,外国人については,本邦に入国する自由が保障されていないことはもとより,在留する権利又は引き続き在留することを要求する権利が保障されているということもできないから,本邦においてその社会制度を前提とした医療を受ける地位が保障されているということもできない。

    (ウ) したがって,原告の健康状態を考慮したとしても,原告を本国へ送還することに特段の支障があるとは認められず,原告の健康状態に係る事情は,原告に在留特別許可を付与すべき積極的事情とはならない。

   オ 原告を本国へ送還することに特段の支障はないこと

    (ア) 本国での生活能力

      原告は,本国であるスリランカにおいて生まれ育ち,本国において教育を受けるなど,本邦に入国するまで,我が国とは何ら関わりのなかった者である。また,本邦入国後は弁当製造会社や土木会社で稼働し,労働災害で負傷した後も中古車会社で稼働するなど,稼働能力を有する成人男性である。

    (イ) 本国の家族との関係

      本国には,原告の両親および妹が居住しており,2ないし3か月に1回約10万円を母親に対して送金するなど本件裁決時において本国の家族との関係も保たれているから,家族の援助を受けるなどして本国で生活を営むことは十分可能である。

    (ウ) 本国の環境

      スリランカにおいては,障害者関連の政策や法律の強化に取り組まれており,原告は,本国における障害者への各種行政サービスを享受することが期待できる。

      国内の治安維持に関しては,本国政府が適切にすべき事柄であるところ,原告は,そもそも紛争被災者として来日したわけではないし,本件裁決当時,紛争による危害の現実的な危険性があり,原告を本国に帰国させることがおよそできない状況にあったとはいえない。

    (エ) 航空機による送還は可能であること

      入管法は,事実上送還が不能であっても,退去強制令書が発付されることを予定しているものと解されるものであり,そのことから直ちに退去強制令書発付処分が違法となるものではないし,原告の主治医が作成した診断書の記載内容を前提とすれば,原告は,ストレッチャー(簡易ベッド)を利用して横臥することにより航空機に搭乗することはでき,原告を送還することは可能である。

    (オ) 以上からすると,原告を本国であるスリランカに送還することに,特段の支障はないというべきである。

   カ ガイドラインに係る主張について

     在留特別許可は,諸般の事情を総合的に考慮した上で個別的に決定されるべき恩恵的措置であるところ,ガイドラインは,在留特別許可の拒否の判断に当たって考慮すべき当該外国人の個別的事情を,積極要素と消極要素に分けて類型的に分類し,在留特別許可方向で検討する例,退去方向で検討する例を一般的抽象的に例示したものであり,在留特別許可を付与するか否かはガイドラインに例示された事情だけで判断されるものではなく,ガイドラインは在留特別許可に係る一義的,固定的な基準とはいえない。

     また,平成21年8月5日付け通達は,入管法に係る違反審査および口頭審理に関し,これを円滑かつ効率的に行うため,ガイドラインに掲げる積極要素として考慮すべき事情が明らかに消極要素として考慮すべき事情を上回り,在留特別許可をする方向で検討することが相当と認められる案件および従前在留特別許可をすることが常態となっている案件についての措置方針を示したものにすぎない。

     したがって,仮に,ガイドラインに示された積極要素に該当すると評価できるような事情が存在したとしても,そのことだけで当然に在留特別許可を付与すべきであるということにはならず,在留特別許可をしなかったことが法務大臣等に与えられた裁量権の逸脱・濫用になるということはできない。

   キ 小括

     以上のとおり,本件裁決において,法務大臣等の極めて広範な裁量権を前提として,法律上当然に退去されるべき外国人である原告に在留を特別に許可しなければ入管法の趣旨に反するような極めて特別な事情があるとは認められず,本件裁決に裁量権の逸脱・濫用がないことは明らかであるから,本件裁決は適法であり,実体要件,手続要件ともに,処分の外形上,客観的に瑕疵が一見して看取し得るものとはいえない。

  

 

 

 

 

 

 

(2) 争点2(本件退令発付処分が無効であるか否か)について

   

 

 

(原告の主張)

    本件裁決は裁量権の範囲を逸脱し,又はこれを濫用したものとして重大な違法があるため無効であり,無効な本件裁決に従ってなされた原告に対する本件退令発付処分もまた,当然に無効である。

   

(被告の主張)

    退去強制手続において,法務大臣等から異議の申出は理由がないとの裁決をした旨の通知を受けた場合,主任審査官は,速やかに退去強制令書を発付しなければならない(入管法49条6項)のであって,退去強制令書を発付するにつき全く裁量の余地はないから,本件裁決が適法である以上,本件退令発付処分も当然に適法であり,実体要件,手続要件ともに,処分の外形上,客観的に瑕疵が一見して看取し得るものとはいえない。

 

 

 

 

 

 

 

第3 当裁判所の判断

 

 

1 争点1(本件裁決が無効であるか否か)について

  

 

(1) 在留特別許可の許否の判断に関する裁量権について

    国際慣習法上,国家は外国人を受け入れる義務を負うものではなく,特別の条約がない限り,外国人を自国内に受け入れるかどうか,また,これを受け入れる場合にいかなる条件を付すかを自由に決定することができるものとされており,憲法上,外国人は我が国に入国する自由を保障されているものでないことはもちろん,在留の権利ないし引き続き在留することを要求することができる権利を保障されているものでもない(最高裁昭和29年(あ)第3594号同32年6月19日大法廷判決・刑集11巻6号1663頁,最高裁昭和50年(行ツ)第120号同53年10月4日大法廷判決・民集32巻7号1223頁参照)。

 

    そして,入管法50条1項の在留特別許可については,同法24条各号が定める退去強制事由に該当する外国人が同法50条1項各号のいずれかに該当するときにすることができると定められているほかは,その許否の判断の要件ないし基準とすべき事項は定められていない上,外国人の出入国管理は,国内の治安と善良な風俗の維持,保健・衛生の確保,労働市場の安定等の国益の保持を目的として行われるものであって,このような国益の保持については,広く情報を収集しその分析の上に立って時宜に応じた的確な判断を行うことが必要であり,高度な政治的判断を要求される場合もあり得ることを勘案すれば,在留特別許可をすべきか否かの判断は,法務大臣の広範な裁量に委ねられているというべきである。

 

    もっとも,上記の法務大臣の判断は,その裁量権の性質に鑑み,その判断の基礎とされた重要な事実に誤認があること等により判断が全く事実の基礎を欠き,又は事実に対する評価が明白に合理性を欠くこと等により判断が社会通念に照らし著しく妥当性を欠くことが明らかである場合には,法務大臣の判断が裁量権の範囲を逸脱し,又はこれを濫用したものとして,違法になるものと解される。そして,このことにし,入管法69条の2に基づいて法務大臣から権限の委任を受けた地方入国管理局長についても別異に解する理由はなく,上記と異なる原告の主張は採用の限りではない。

 

 

    以上の見地から,本件裁決における東京入管局長の判断が上記裁量権の範囲を逸脱し,又はこれを濫用したものと認められるか否かについて検討する。

 

 

 

 

  (2) 認定事実

    前記前提事実,争いのない事実,文中記載の証拠および弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

   ア 原告の身分事項および本国の家族の状況

    (ア) 原告は,1976年(昭和51年)○○月○日,スリランカにおいて,スリランカ人である父母の間に,2人きょうだいの第1子として出生した。(甲13,乙8)

    (イ) 原告の両親は,原告の妹,その夫および子と共に,スリランカに居住している(甲13,乙8)。

      原告は,スリランカに居住する家族に対し,2ないし3か月に1回,2万ないし20万円を送金していた。(乙3,8,9)

    (ウ) 原告は,母国語であるシンハラ語による読み書きおよび会話に不自由はない(乙3)。

   イ 原告の入国および在留の状況

    (ア) 原告は,スリランカの高校を中退後,日本で稼働することを目的として,スリランカ人のブローカーに50万円を支払って偽造旅券の作成を依頼し,平成7年(1995年)10月4日(当時19歳),有効な旅券又は乗員手帳を所持せず,かつ,法定の除外事由がないのに,本邦に不法入国した(甲13,乙9)。

      原告は,上記入国後,平成11年5月19日まで,外登法に基づく新規登録を申請していなかった(前記前提事実(2)イ)。

    (イ) 原告は,本邦に入国後,茨城県所在の弁当製造会社で約1年稼働した後,同県所在の建設会社で土木作業員として稼働していたところ,平成13年7月26日,工事現場において転圧作業中に負傷し,骨盤骨折および右坐骨神経損傷を負った(以下「本件負傷」という。)。その後,原告は,入院および通院により本件負傷について加療したものの,平成15年1月17日に症状が固定し後遺症(以下「本件障害」という。)が残存した。(甲13,15,16)

    (ウ) 原告は,本件負傷以降は土木作業員として稼働することなく,友人の会社を手伝うなどしてその報酬を受領していた(乙9)。

      また,本件負傷および本件障害について業務災害とされたため,原告は,療養補償給付および休業補償給付を受給し,平成15年1月17日に症状が固定した以降は,障害補償給付として2か月当たり約31万円の障害補償年金を受給している(労働者災害補償保険法7条1項1号,12条の8第1項参照。甲12,15,乙3,8)。

    (エ) 原告は,在留特別許可を受けて本件障害の治療を本邦で継続するために,平成17年3月23日,東京入管横浜支局に出頭して,不法入国の事実を申告した(甲13,乙2,9)。

   ウ 原告の健康状態

     原告は,本件裁決当時,本件障害により,右下肢痛並びに右股関節の屈曲および膝関節の伸展制限があり,これらについて治癒又は症状改善は見込めない状態であった。また,原告は,上記症状により,右下肢に装具を用いた上で杖による歩行を行っており,1時間以上座っていると右下肢に耐え難い痛みが出現する状態にあり,継続した診療が必要であった。(甲7,17,18(枝番を含む。),乙17)

     そのため,原告は,本件裁決当時,月に1回程度医師の診察を受け,末梢神経障害を改善する作用を有するメチコバール錠,胃粘膜を修復する作用を有するセルベックスカプセル,鎮痛作用を有するノイロトロピン錠および鎮痛・消炎作用を有するボルタレンサポを処方されていた。(甲14,18(枝番を含む。),乙8,9,21,22)

  

 

 

 

 

 

 

 

(3) 検討

   ア 原告の入国および在留状況について

    (ア) 原告は,上記認定事実イ(ア)のとおり,本邦に不法入国したことが認められ,入管法24条1号(不法入国)に該当し,原則として本邦から当然に退去されるべき法的地位にあるということができる。

 

      また,上記認定事実ア(イ),イ(ア),(イ)のとおり,原告は,平成7年10月4日に不法就労目的で本邦に入国した後,茨城県所在の弁当製造会社で稼働し,その後も平成13年7月26日に工事現場で負傷する(本件負傷)まで同県所在の建設会社で稼働し,これらの収入から本国の家族に定期的に送金するなどして,長期間にわたり不法就労に従事していたということができる。

 

      さらに,原告は,上記認定事実イ(ア)のとおり,平成7年10月4日に本邦に入国後,平成11年5月19日まで,外登法に基づく新規登録の申請を怠っていた。

 

    (イ) この点につき,原告は,自ら出頭して不法入国の事実を申告するなど深く反省している上,不法就労をもって出入国管理政策の根幹を揺るがすものといえないことからすれば,過大に評価すべきではない旨主張する。

 

      しかしながら,不法入国それ自体が出入国管理行政上看過することができない悪質なものであり(入管法24条1号,24条の3参照),入管法は在留資格制度において外国人の就労活動に対する規制を設けている(入管法7条1項2号,19条1項参照)ことも踏まえると,上記のような原告の入国および在留の状況は,出入国管理行政上看過することができない極めて悪質なものといわざるを得ず,在留特別許可の許否の判断において,原告が自ら出頭して不法入国の事実を申告していたということによって直ちに不法入国や不法就労を正当化できるものではないと評価されたとしても必ずしも不合理ということはできない。

 

      したがって,原告の上記主張は採用することができない。

 

 

 

 

 

   

イ 原告をスリランカに送還することによる支障について

 

    (ア) 上記認定事実ア(ア),(ウ),イ(ア)ないし(ウ)のとおり,原告は,スリランカで生まれ育ち,母国語であるシンハラ語について読み書きや会話に不自由はなく,スリランカの高校を中退後,本邦で弁当製造会社や建設会社で稼働しており,本件負傷以降も友人の会社の手伝いをして報酬を受領していることからすれば,原告の運動機能に制限はあるとしても,原告が稼働能力を失っているとまではいえず,本国において稼働することは不可能ではない。そして,原告は,上記認定事実イ(ウ)のとおり障害補償年金を受給しており,本国に送還された後も,障害補償年金を受給することができることからすれば,本国における生活に特段の支障があるとは認め難い。

 

      また,上記認定事実ア(イ)のとおり,スリランカには両親と妹が居住しており,原告が定期的に送金するなどして,本国の親族との交流が保たれているといえることから,原告は両親および妹から一定の支援を受けることもできる。

 

      以上からすると,原告がスリランカに送還された場合,本国での生活に特段の支障があるとはいえないという評価が不合理であるとは認め難い。

 

 

    (イ) この点につき,原告は,原告が本件障害の治療を継続しており,スリランカにおいては十分な治療を受けることができない旨主張する。

 

      しかしながら,上記認定事実ウのとおり,原告は,本件障害について継続した診療が必要な状態にあるものの,本件裁決当時,医師による診察および末梢神経障害を改善する作用,消炎・鎮痛作用等を有する薬の処方を受けていたにすぎず,診断書を発行した医師の証明書(乙17)によれば,原告は,必ずしも本邦で治療を継続しなければならない状態ではないとされている。

 

      また,スリランカの医療事情(乙18ないし20)によれば,スリランカの中心都市であるコロンボには比較的設備の整った病院が複数存在し,理学療法や投薬により本件障害に伴う痛みを緩和する治療を受けることが十分可能であるし,スリランカの医師の意見書(甲21,22)によっても,本件障害の治癒又は症状改善が見込めない場合に,スリランカにおける理学療法や投薬により本件障害に伴う痛みを緩和する治療が不可能であるとまでは認められない。

 

      そうすると,原告が本邦において本件障害の治療をしなければならないとは認めがたく,スリランカにおける治療も十分可能であるから,原告の上記主張は採用することができない。

 

 

    (ウ) また,原告は,スリランカにおいては障害者に対する配慮が不十分であること,内戦が激化した状態にもあることからして,スリランカに身体の不自由な原告を送還することについて,人道的配慮が必要である旨主張する。

 

 

      しかしながら,証拠(甲6,13,14,23,乙23)によれば,スリランカにおいては資金,人的資源,サービス等の不足,内戦による障害者数の増加等の理由により障害者への対応に困難が生じてはいるものの,障害者の権利保護法,物理的環境へのアクセシビリティ促進等の法律が整備され,障害者への適切なサービスの提供,社会における様々な場所へのアクセシビリティーを保証する基準やガイドラインの設置などが定められ,障害者関連の政策や法律の強化の取り組みは行われていることが認められるところ,

 

原告を本国に送還することが人道的配慮に欠けるとまでの状況にあるといえるほどの具体的な事情はうかがわれない。

 

 

また,証拠(甲6,13,14,20)によれば,本件裁決当時,スリランカ政府とLTTE(タミル・イーラム解放の虎)の武力衝突が再燃していたことが認められるものの,原告が紛争による危害を被る可能性につき人道的配慮が必要とされるほどの具体的な事情があることを認めるに足りる証拠はない。

      したがって,これらの事情をもって原告を本国に帰国させることにつき人道的配慮が必要であると認め難く,原告の上記主張は採用することができない。

 

 

    (エ) さらに,右下肢の痛みのため原告をスリランカまで航空機で送還することは不可能である旨主張する。

 

      しかしながら,前記医師の証明書(乙17)によれば,原告は,右下肢の痛みに考慮があれば,飛行機の搭乗も可能な状態であるとされており,航空会社の案内(乙24,25)によれば,ストレッチャーを利用して臥位での搭乗が可能であり,原告をスリランカまで航空機で送還することは十分可能であるというべきである。

      したがって,原告の上記主張はその前提を欠き,採用できない。

 

 

 

   ウ 小括

     以上を総合的に考慮すれば,原告に対して在留特別許可をしなかった東京入管局長の判断が,全く事実の基礎を欠き,又は社会通念上著しく妥当性を欠くことが明らかであるなど,裁量権の範囲を逸脱し,又はこれを濫用したものであるとはいえないから,本件裁決が無効であるとは認められない。

 

 

 2 争点2(本件退令発付処分が無効であるか否か)について

   主任審査官は,法務大臣等から入管法49条1項に基づく異議の申出は理由がない旨の裁決の通知を受けたときは,同条6項に基づき速やかに退去強制令書を発付しなければならず,この点には裁量の余地がない。そして,上記1のとおり本件裁決は無効であるとはいえないから,本件裁決を前提とした本件退令発付処分も無効であるとは認められない。

 

 

 

 3 結論

   よって,原告の請求はいずれも理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して,主文のとおり判決する。

    東京地方裁判所民事第38部

        裁判長裁判官  谷口 豊

           裁判官  平山 馨

           裁判官  大西正悟