短期滞在の在留資格で来日し,難民認定の申請中覚せい剤取締法違反

 

 

 

 

 

 

 覚せい剤取締法違反(変更後の訴因 覚せい剤取締法違反,麻薬及び向精神薬取締法違反)被告事件、神戸地方裁判所判決/平成27年(わ)第1025号、判決 平成28年9月21日、LLI/DB 判例秘書

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主   文

 

 被告人は無罪。

 

       

 

 

 

 

 

 

理   由

 

第1 公訴事実

 

   訴因変更後の公訴事実の要旨は,被告人が,営利の目的で,分離前の相被告人A(以下「A」という。)と共謀の上,みだりに,平成27年9月16日,兵庫県尼崎市ab丁目c番d号ホテルef号室において,B,分離前の相被告人C及び同D(以下,姓のみを記載する。また,3人まとめて「Bら」という。)に対し,覚せい剤であるフエニルメチルアミノプロパン塩酸塩を含有する結晶約1キログラムと麻薬であるコカインを含有する固形物約97.9グラムを代金676万4000円で譲り渡そうとしたが,Bらが覚せい剤の品質を確認中に警察官が臨場したため,譲渡の目的を遂げなかった,というものである。

 

 

第2 争点等

 

   ところで,被告人の兄であるAが,Bらに対し,公訴事実のとおりに覚せい剤等を譲り渡そうとした事実(以下「本件犯行」という。)や,その場に被告人が立ち会っていた事実は証拠上明らかであり,被告人も争っていないが,被告人が共同正犯として刑事責任を負うかが争われている。

 

   ただ,被告人が,実行行為となる具体的な取引行為に直接関与したことを認めるに足りる証拠は提出されていないから,本件犯行の実行共同正犯と認めることはできない。また,被告人のAとの本件犯行についての共謀(意思の連絡)や,被告人自身の正犯意思を直接に裏付ける証拠も提出されていない。したがって,被告人が本件犯行の共同正犯であると合理的疑いなく認めるためには,本件犯行の当事者であるBらとAの各証言や被告人自身の供述から,被告人が共同正犯でないとすると説明できない,あるいは説明することが困難である事実が認められなければならない。

 

   そして,その点について,検察官は,①Aが,あえて取引現場に被告人を同席させ,相手方であるBらに対し紹介した事実,②その際,Aが,被告人を密売人として「1年かけて育てていく」旨発言した事実,③取引現場に警察官が臨場した後,Aが,被告人に対し,外国語で口止めを指示した事実からすると,被告人にAとの共謀と犯意を合理的に推認することができると主張する。これに対し,被告人は,事前に密売取引に行くことを知らされないまま現場に連れてこられた旨供述し,これに基づき,弁護人も,被告人はAと共謀しておらず,AがBらに被告人を紹介した事実はあるが,被告人を密売人として育てる旨発言した事実はなく,その他の検察官が主張する事情は,いずれも被告人の共謀や犯意を推認させるものではないと主張する。

 

 

第3 判断

 

 1 関係各証拠により認められる事実関係

 

  

(1) 被告人は,平成27年8月29日に短期滞在の在留資格で来日し,難民認定の申請をしていた。

  

(2) Aは,覚せい剤等を密売する組織の一員であり,平成27年7月頃以降,Bに対し,本件犯行を含め5回ほど,いずれもおおむねビジネスホテルの客室で,1回あたり800グラムから1キログラムの覚せい剤等を密売したが,その際,常に単独で行動し,ホテルのロビーまで女性を同伴したことはあっても,取引をする客室に他人を同伴したことはない。なお,Aは,決して流ちょうではないものの,ある程度日本語を理解し,Bとは,事前の電話を含め日本語でやり取りしていた。

  

(3) 本件犯行時,Aは被告人を伴って取引現場である客室(以下「客室」という。)を訪れ,先に来ていたBらに初対面となる被告人を引き合わせ,「弟,弟」,「日本語しゃべれない」,「今は使えない」,「1年かけて育てていく」,「育てるのに1年くらいかかる。」などと日本語で紹介した。

 

    この点,Aは,「育てる」とは言っていないと証言するが,そもそも弟である被告人をかばおうとする証言態度がうかがえるから,被告人に有利な内容に関する証言の信用性は高くない。

 

そして,BとDは,Aから被告人を「1年かけて育てていく」と紹介された旨一致して証言し,Cの証言もこれと矛盾しないところ,Bらが偽証罪で処罰される危険を冒してまで口裏を合わせて被告人に不利な虚偽の証言をする事情も見当たらないので,この点に関するBとDの各証言は信用できる。

 

したがって,Aが,Bらに被告人を上記のとおり紹介した事実を認めるのが相当である。なお,客室内には,本件犯行と無関係にBに会うためだけにやって来たEもいた。

  

(4) その後,AとBらは,本件犯行のために,客室のテーブルの上で,Aが持参した覚せい剤等が隠匿された缶の蓋を開けるなどしたが,その間,被告人は,そのテーブルの方をちらっと見る程度で取引を手伝ったり何か言葉を発したりもせず,終始ベッドのテーブルから離れた客室出入口側の角の辺りに座って下を向いていた。また,AやBらが被告人に声を掛けることもなかった。

  

(5) Aと被告人が客室に入った約4分後,あらかじめ待機していた警察官らが客室に突入してBに対する逮捕状を執行するとともに,その場にいたAや被告人,CやDらを制止し,テーブルの上に置かれた白色結晶粉末3袋について覚せい剤の予試験を実施した。そして,警察官らは,予試験の結果,2袋の白色結晶粉末が陽性反応を示したことから,客室内にいた被告人を含む6名全員を覚せい剤の営利目的共同所持罪の現行犯人として逮捕した。その際,Aは,警察官から話さないように言われたにもかかわらず,約30分間にわたり,被告人に対し,母国語であるペルシャ語で,「F,君は何も知らない。分かった。」,「F,君は何も言わないで。」などと話し掛け続けた。

 

 

 

2 検討

 

   そこで,以上の認定事実を前提に,被告人に,Aとの間の共謀や正犯意思が認められるかを検討する。

  

(1) 共謀(意思の連絡)の有無について

    まず,被告人が,事前にAから本件犯行について説明されていたか否かにつき検討する。

  

 

ア 前記認定のとおり,Aは,被告人を客室に同伴し,Bに対し,日本語で「1年かけて育てていく」と発言して紹介したが,密売組織が関わる覚せい剤等の取引現場において,密売人が取引の相手に対し「育てていく」と紹介するのは,「覚せい剤等の密売人として」と明示していなくても,密売取引における自分の後継者に育てる場合以外には考えられない。また,Bの証言によれば,Bは,本件犯行の数日前に,Aに対し,義弟を後継者として自分は密売をやめる旨言ったというのである。そうすると,Aは,Bらに対し,被告人を密売取引における自分の後継者として紹介したとみるのが自然である。そして,Aも,Bらにとって,取引の相手がどのような人物であるかが重要であることは十分理解していたはずであるから,Bらに対し,嘘や冗談でそのようなことを言うはずがない。そうすると,Aは,被告人を密売の後継者として育てるつもりで取引現場に同伴させたと認めるのが相当である。

 

     これに対し,Aは,被告人を客室に同伴したことについて,①日本に不慣れな被告人を一人にできなかったし,②被告人は本件犯行について何も知らなかったから,密売組織の了解を得ずに大事な取引現場に連れて行っても問題はないと思ったと述べる。しかし,①弟である被告人を巻き込みたくなければ,本件犯行が行われるわずかな間,乗ってきた自動車内やホテルのロビー等に待たせても支障はなかったはずであり,②A自身が,密売組織が取引失敗の場合に自分の家族に危害を加えかねないほどに危険であると述べていることからすると,被告人をわざわざ客室に同伴した理由についての説明には説得力がない。また,弁護人は,被告人に日本語を教えるという意味で「育てていく」という言葉を使った可能性があると主張するが,全くその場の状況にそぐわない解釈であり,採用できないというほかない。

 

     そして,被告人を自分の後継者にする認識ないし意欲を有するAが,実の弟に対し,本件犯行について事前に説明できない事情や,あえて事情を隠す理由は見当たらない。そうすると,Aが,密売取引の現場に,被告人を事前の説明なしに同伴したとは考え難く,むしろ,被告人に対し,事前に密売取引について説明した疑いが強いといわざるを得ない。

 

   

イ しかし,前記認定のとおり,Bらの証言によれば,被告人は,AやBらが客室内のテーブルの上で覚せい剤等が隠匿された缶の蓋を開けて本件犯行に着手していたのに,隣にあるベッドのテーブルから離れた角の辺りに座って下を向き,犯行を手伝ったり言葉を発したりしなかったというのであり,そのような被告人の態度について,Dは,被告人は人見知りするような感じ,何のために連れてこられているか分かっておらず,自分の方を見ないでほしいという感じだったと証言し,Bも,被告人は自分たちの輪に入らなかったと証言した。そうすると,そのような被告人の言動,態度を見る限り,積極的に密売人の仕事を覚えようという意欲はもとより,覚せい剤等の取引に協力ないし関与している認識があったとは思われず,かえって,被告人が何も知らずにAに連れて来られて驚き,戸惑っていたと見ることも十分に可能である。

 

     また,本件犯行時,被告人は来日してまだ20日間程しか経っておらず,Dの証言によれば,被告人はAから日本語で紹介されている際,紹介されていること自体が理解できていなかったようであり,他に被告人が日本語を習得していたことをうかがわせる証拠は提出されていない。したがって,被告人が,AとBらとの間の日本語の会話内容を理解することができたとは考え難い。また,仮にAが事前に母国語で被告人に事情を説明し,被告人がそれを了解していたとすれば,本件犯行時にAが被告人に対し,母国語で,目の前の取引内容を解説ないし説明するはずであるが,Aと被告人との間に,そのようなやりとりは一切ない。

 

     そして,前記認定のとおり,警察官が客室に臨場した後,Aが被告人に対して口裏合わせともとれる指示をした事実は認められるものの,Aの発言内容や,それに対する被告人の応答振りを踏まえると,むしろ被告人が本当に何も知らないからこそ被告人を共犯者として巻き込まないように発言したと見ることもでき,被告人が密売現場に行くことを知らなかったことと矛盾するとはいえない。

 

   

ウ したがって,Aから被告人に対し,事前に密売取引に行く旨の説明があった疑いは相当強いものの,これを裏付けるようなAや被告人の言動が全く見当たらない以上,Aが本件密売取引の現場に被告人を同伴し,自分の後継者として育てるなどと紹介したからといって,被告人との間で本件犯行について意思の連絡があったと合理的疑いなく認定することができない。なお,被告人が,客室に入った後,AとBらとの間のやりとり等を見て密売取引に気付いた可能性はあるが,関係各証拠上そこまで認定することはできない上,仮にそうであっても,それだけでAとの間で本件犯行について暗黙のうちに意思を相通じたとみることも困難である。結局,提出された全証拠を総合しても,被告人が本件犯行について事情を分からずに客室のベッドに座っていた合理的疑いを払拭できない。

  

 

(2) 正犯意思について

 

    そして,前記認定のとおり,被告人は,本件犯行に立ち会っていたとはいえ,具体的な取引行為には何ら関与せず,Aの後継者として積極的に密売取引について学ぼうとした言動も一切見当たらない。また,そもそも被告人が本件現場に立ち会ったからといって,直ちに密売取引の後継者となることを了承したと認めることもできない。さらに,被告人が,本件取引に立ち会うことによってどのような利益を得るのか,例えば,Aから何らかの報酬を得ることになっていたのか等といった事情も一切明らかにされていない。

 

    そうすると,仮に被告人がAから事前に密売の事情を知らされていたとしても,事情を知って取引現場に立ち会っただけであれば,自分の犯罪として本件犯行に関与したとは到底認めることができず,正犯意思を認めることなど不可能である(ちなみに,Bら側のEは,事情を知って取引現場に同席したが譲受けの共犯とはされていない。)。

 

 

3 結論

 

   以上によれば,本件証拠関係からは,被告人が共同正犯でないとすると説明できない,あるいは説明することが困難である事実が認められないので,本件公訴事実については犯罪の証明がないことになるから,刑事訴訟法336条により,被告人に対し無罪の言渡しをする。

 

(求刑 懲役4年)

 

  平成28年9月21日

    神戸地方裁判所第1刑事部

        裁判長裁判官  平島正道

           裁判官  畑口泰成

           裁判官  高橋 有