確定申告(21)

 

 

 

 

 

 法人成りしたことに伴い個人事業を廃止した年分の必要経費に算入した従業員退職金について検討します。

 

 

 

 

 

 

 

(1)事案の概要

 

 本件は、審査請求人(以下「請求人」という。)が、その所得税に係る事業所得の金額の計算に当たり、個人事業を廃止していわゆる法人成りしたことに伴い、従業員退職金(預り金経理)を所得税法第37条《必要経費》第1項の規定によりその個人事業を廃止した年分の必要経費に算入することができるか否かが争われた事案である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当審判所が、双方の主張に基づいて審理した結果は、以下のとおりである。

 

(1)更正処分について

 

イ 認定事実

  原処分関係資料及び当審判所の調査によれば、以下の事実が認められる。

 (イ)本件退職金支払明細書に記載されている従業員52名(医師を除く)全員は、退職手当等の支払を受けることとなった日を平成10年4月30日と記載した退職所得申告書を、それぞれ自署、押印の上、請求人らに提出した。

 (ロ)法人成り以降に退職したL(平成11年3月31日付退職)、M(平成11年3月31日付退職)、N(平成11年4月27日付退職)及びR(平成11年7月10日付退職)ら4名(以下「Lら」という。)に係るG病院の退職金支給額の計算の基礎となる勤続年数には、個人事業時代の勤務期間も通算されて計算されているが、G病院の仕訳伝票には、Lらに対する退職金支給額のうち本件退職金支払明細書に記載された金額を「退職預り金」、残りの金額を「退職金」として借方に、相手科目を「普通預金」として貸方に記載した会計処理がなされている。

ロ 従業員の当審判所に対する答述の要旨は次のとおりである。

 (イ)Kの答述

A 本件退職金を支払うことについては、平成10年3月末の請求人ら、婦長及び責任者による会議(以下「定例会議」という。)で説明した。

B 上記1の(3)のトの(イ)及び(ロ)の内容については、平成10年3月末の定例会議で話をし、本件労使協定書は食堂に1週間から10日間掲示して従業員に周知した。

C 退職所得申告書については、平成10年4月上旬に各人ごとに面接し、退職金額を記入したメモ書きを示し、同月末ころまでに各人から署名、押印を受けた。

 (ロ)Hの答述

  本件労使協定書の内容は、定例会議でKから説明があり、各責任者が他の従業員に伝達しており、食堂にも掲示してあった。

ハ 本件退職金を必要経費に算入することの是非について

(イ)本件退職金に係る債務の発生について

A 原処分庁は、本件退職金支給規定には、法人成りによる雇用関係が終了し退職した場合について退職金を支給する旨は定められておらず、また、本件労使協定書により、従業員の有する全ての権利義務がG病院へ承継されているのであるから、従業員の有する退職金支払請求権は、G病院に引き継がれた後の退職金支給規定による支給要件、または、支給事由が生じたときに初めて発生すると解するべきであり、そうすると、本件退職金について支払債務が成立していたとは言えず、債務が確定していないから、所得税法第37条の規定により必要経費に算入できない旨主張する。

B ところで、個人事業主が法人を設立し、法人成りした場合、使用人に対し個人事業の廃止時点でその在職期間分の適正な退職給与を支払い、その個人事業主の最終年分の事業所得の必要経費に算入することは、一般的には何も問題はない。

  しかしながら、従業員に対する退職金の支払債務及びこれに対応する従業員の退職金支払請求権は、雇用契約の終了、すなわち退職の事実が生じたことにより当然に発生するというものではなく、あらかじめ労働協約、就業規則等でそれを支給すること及びその支給基準が定められているか、あるいは少なくとも明確な支給条件に従った支給慣行がある場合に発生すると解するのが相当である。

  けだし、退職金は、過去の継続的な勤務に対する報償ないしその間の労務の対価の一部の後払の性質を有する給与であるところ、その支給金額は、(本件退職金支給規定の記載内容がそうであるように)退職時のいわゆる基本給与月額に、勤続年数に応じた支給倍率を乗じて算出され、しかも、基本給与月額並びに支給倍率は勤続年数の経過につれて上昇することが一般的であることから、結果的に退職金の金額は、勤続年数に応じて弓形曲線状に逓増することとなる。

  仮に、このような一般的な退職給与規定を有する個人事業者が法人成りした場合に、その時点で退職金を支給するとすれば、従業員は、事業主の法人成りという一方的な都合によって、従業員にとっては勤務先や職務内容に実質的な変化がないにもかかわらず、法人成りがなかった場合に比して、全勤続期間を通ずる退職金額につき不利益を被る結果となる。

  このため、本件のように退職金支給規定の支払事由に法人成りが明示されていない場合で、法人成りに伴って退職金を支給するためには、労使における事前の協議が特に強く求められることは論を待たないところであり、また、その旨を従業員へ周知することがその時点における請求人の従業員に対する退職金の支払債務及びそれに対応する従業員の退職金支払請求権の発生のために特に必要なものとなる。

C これを本件についてみると、上記ロの(イ)のA、B及び(ロ)より、定例会議において本件退職金を支給する旨の話があったこと、定例会議には各部門の責任者が出席し、会議の内容を他の従業員に伝達していたこと及び本件労使協定書が食堂に掲示され、従業員がいつでも読める状況であったことが認められ、本件退職金を支給すること及び本件労使協定書の内容について従業員への周知がなされていたと認められる。

  そして、上記イの(イ)及びロの(イ)のCのとおり、従業員52名が請求人らに提出した退職所得申告書に全員が自署、押印している事実が認められ、このことは、通常であれば、何らの説明も受けることなく書類に自署、押印するとは考えられず、法人成りに伴う退職金の支給について、請求人らから何らかの説明があったから自署、押印したものであると認められる。

  そうすると、法人成りに当たり、労使において事前の協議が整い、従業員にその協議内容を周知し、従業員の了解の下に退職所得申告書の提出を受けたと認められることから、平成10年4月30日現在において、請求人の従業員に対する本件退職金の支払債務は成立していると判断するのが相当である。

  なお、本件退職金支給規定の記載及び本件労使協定書の記載から、法人成りは退職金の支給事由に予定されていないことになり、請求人らの退職金支払債務が成立したとすることができない旨の原処分庁の主張については、ことさら本件労使協定書の一部のみを取り上げて債務の成立がないと判断することはできず、請求人らの退職金支払債務の成立については上記の判断のとおりである。

  したがって、この点に関する原処分庁の主張には理由がない。

 (ロ)本件退職金が預り金処理されていることについて

A 原処分庁は、本件退職金は預り金処理されているが、実質的には未払金であり、しかも、長期間これを支払わず放置することは経済的に見て不合理であり、このことは本件退職金の債務が確定していないことの証左である旨主張する。

B ところで、法人成りの場合、個人事業主と法人とは別個の独立した法人格を有し、法人成りの前後で、経営主体及び納税主体が法的に異なるものであるから、使用人に対する退職給与が、個人事業主と法人のどちらの収入又は収益を得るために必要な経費であったといえるかという見地から、個人経営時の在職期間に対応する退職給与は、個人事業主の事業所得の必要経費に、法人経営時の在職期間に対応する退職給与は法人の損金とすべきものであり、これは、個人経営時の在職期間に対応する分が未払退職給与として法人に引き継がれているという事情によっても左右されない。

  すなわち、法人成りの際の事業の引き継ぎの法律関係についてみてみると、〔1〕個人事業主の側からすると、個人事業主は法人に対し、今後の営業活動に必要な事業資産及び財産を、金銭、医療未収金等の債権及び現物出資等により出資するのであるが、法人が使用人に対する未払退職給与等個人事業主の業務上の債務も引き継ぐ場合には、その分を差し引いて個人事業主(出資者)に持分が与えられるのであり、この段階で、個人事業主はその債務を支払ったのと同様の経済効果を受けるので、その分個人事業主の事業所得の計算上必要経費とみるべき実質があり、他方、〔2〕法人の側からすると、出資された正の資産及び財産の額から、引き継がれた負の財産(債務)を差し引いた額が、出資者の「持分」に変わっただけであり、出資された資産及び財産の額が収益とされない(したがって、法人の所得としては課税されない。)のと同様、引き継がれた債務を支払ったとしても、法人の損金とはならないものである。

C これを本件についてみると、本件退職金は、上記(イ)で述べたとおり、債務が成立しており、所得税法第37条に規定する確定債務として、従業員各人別に金額が明確にされて、今後の営業活動に必要な事業資産とともにG病院に引き継がれ、法人成り後にG病院を退職したLらに対しては、上記イの(ロ)のとおり、法人成り後の退職金支給規定に基づいて退職金が適正に支払われており、また、G病院の勤務期間に係る退職金部分のみG病院の損金にする経理処理がされているのであるから、原処分庁が主張するような経済取引としての合理性を欠くということまではいえない。

  したがって、この点に関する原処分庁の主張には理由がない。

 (ハ)以上のことから、平成10年分の事業所得の金額の計算上、本件退職金の2分の1の額を必要経費として算入できるとする請求人の主張には理由があり、これに反する原処分庁の主張は採用できない。

ニ 事業所得の金額

  そうすると、平成10年分の事業所得の金額は、更正処分に係る事業所得の金額から本件退職金の2分の1の金額31,814,360円を減算した金額で、損失の金額5,233,414円となる。

ホ その他の所得の金額

  平成10年分の不動産所得の金額、配当所得の金額及び給与所得の金額は、請求人及び原処分庁の双方に争いがなく、当審判所の調査によっても相当と認められ、不動産所得の金額は3,815,732円、配当所得の金額は639,262円、給与所得の金額は13,075,152円である。

ヘ 総所得金額

  そうすると、平成10年分の総所得金額は、上記ニの事業所得の金額と上記ホの金額との合計で、12,296,732円となり、確定申告に係る総所得金額を下回るから、更正処分はその全部を取り消すのが相当である。

 

(2)過少申告加算税の賦課決定処分について

 

 過少申告加算税の賦課決定処分については、上記(1)により更正処分の全部が取り消されることに伴い、その全部を取り消すのが相当である。

 

(平13.10.17裁決、裁決事例集No.62 76頁)