国税滞納処分による差押と民法第177条

 

 

 最高裁判所第3小法廷判決/昭和29年(オ)第79号、判決 昭和31年4月24日、最高裁判所民事判例集10巻4号417頁について検討します。

 

 

 

 

 

【判決要旨】

 

1、国税滞納処分による差押については、民法第177条の適用があるものと解すべきである。

      

 

2、国が国税滞納者に対する納税処分として登記簿上滞納者名義の不動産を差し押さえた場合において、差押の約3年6箇月前に右不動産の譲受人から移転登記の未経由にかかわらず該不動産がその所有に属する旨の財産申告を受け、これを前提として財産税を徴収した事実があつても、それだけでは、国は、登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者にあたらないとはいえない。(少数意見がある。)

 

 

 

 

 

 

 

 

主   文

 

 原判決中上告人に関する部分を破棄し、本件を名古屋高等裁判所に差し戻す。

 

       

 

 

 

理   由

 

 上告代理人杉本良吉の上告理由は、別紙記載のとおりであつて、これに対し、当裁判所は、次のとおり判断する。

 

 国税滞納処分においては、国は、その有する租税債権につき、自ら執行機関として、強制執行の方法により、その満足を得ようとするものであつて、滞納者の財産を差し押えた国の地位は、あたかも、民事訴訟法上の強制執行における差押債権者の地位に類するものであり、租税債権がたまたま公法上のものであることは、この関係において、国が一般私法上の債権者より不利益の取扱を受ける理由となるものではない。それ故、滞納処分による差押の関係においても、民法一七七条の適用があるものと解するのが相当である。

 

 そこで、本件において、国が登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者に当るかどうかが問題となるが、ここに、第三者が登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有しない場合とは、当該第三者に、不動産登記法四条、五条により登記の欠缺を主張することの許されない事由がある場合、その他これに類するような、登記の欠缺を主張することが信義に反すると認められる事由がある場合に限るものと解すべきである。

 

 ところで、本件においては、上告人富山税務署長は、訴外北陸鋳造株式会社に対する国税滞納処分として、登記簿上同会社名義となつていた本件不動産につき差押を実施したところ、たまたま、右不動産は、これよりさき、財産税実施の際に、被上告人からその所有不動産として財産申告があり、これに基き所轄税務署において財産税を徴収ずみであつたというのであるが、原審の認定事実によれば、本件差押に当つて、上告人富山税務署長は、財産税徴収当時の経緯を現実に熟知しながら、これを奇貨として差押を実施したとは考えられない。

 

 もちろん、財産申告書の調査その他の方法により右の経緯を確かめることはできたはずであるが、財産税が一回限りの申告納税であつて、本件差押当時財産税徴収の時からすでに約三年六箇月の日時を経過していたことを思えば、上告人が差押の実施に当つて、

 

 本件不動産が登記簿上右訴外会社名義となつていることを確かめ、かつ同会社についてその実質上の所有関係を調査した以上、

 

さらに、

 

財産税施行当時に遡つて右不動産が何人の所有として申告されていたかを調査しなかつたというだけで、

 

直ちに、本件において国が登記の欠缺を主張することが背信的であるということはできない。

 

もつとも、差押後これに対する不服申立の手続等において、上告人富山税務署長は、被上告人より財産税徴収の経緯を知らされているはずであるから、

 

その際に、さらに慎重な調査を遂げ、財産税徴収の誤りを認めて過納金還付の措置をとつた上で滞納処分を続行するか、

 

それとも、財産税の徴収を正当とし差押の誤りを認あてこれを解放するか、

 

いずれか一の措置を選ぶことが行政上妥当の措置であつたというべきであろう。

 

けれども、本件訴訟の経過からもわかるように、本件不動産の所有権の帰属を判定することは極めて困難な仕事であつて後に訴訟において争われる可能性のあることを思えば、

 

直ちに財産税還付の手続をとることなく滞納処分の続行を図つたとしても、

 

これをもつて背信的態度として非難することもまた行き過ぎといわねばならない。

 

 

 かようにして滞納処分が続行され、公売が実施された以上、公売制度の信用を維持すべき国家の立場が、本件の事案の判断において、しんしゃくさるべき重要な要素の一つとして附加されることも、またやむを得ないところである。

 

これを競落人の立場からいえば、国家の実施する公売制度を信じて本件不動産を競落した競落人こそ、まつたく善意無過失であり、

 

競落人の利益こそ、もつとも保護に値するともいうことができる。

 

本件において、単に、競落人の立場と被上告人の立場とのみを比較してみても、滞納処分の開始される三年六箇月前に被上告人が本件不動産をその所有に属するものとして財産申告をし財産税を納付したという事実は、

 

競落人の利益をまつたく無視してよいということの理由になるものではなく、

 

また、この事実は、被上告人が一般に、不動産の所有権を所得した者が所有権移転登記の経由を怠ることにより取引上通常被ることあるべき損失を免れることの根拠となるものでもない。

 

 

 そこで、本件において、一方において一般国民のために租税を徴収し公売制度の信用を維持すベき国の公益的立場および善意無過失の第三者としてもつとも保護に値する競落人の立場と他方において同情に値するとはいえ、移転登記の経由を怠つていたことのために、これにより取引上通常被ることあるべき損失を被ることはやむを得ないものとされる被上告人の立場とを比較考量すれば、

 

本件において、国が登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者に当らないというためには、財産税の徴収に関し、原審の認定するような経緯があつたということだけでは足りず、

 

このためには、所轄税務署長がとくに被上告人の意に反して積極的に本件不動産を被上告人の所有と認定し、あるいは、爾後もなお引き続いて右土地が被上告人の所有であることを前提として徴税を実施する等、被上告人において本件土地が所轄税務署長から被上告人の所有として取り扱わるべきことをさらに強く期待することがもつともと思われるような特段の事情がなければならないものと解するのが相当である。

 

しかるに、原審が右特段の事情の存在につき何等判示することなく、本件において国は登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者に当らないと判断したのは、法の解釈を誤り、その結果審理不尽の違法に陥つたものといわねばならない。

 よつてその他の論旨については判断を省略し、民訴四〇七条に従い主文のとおり判決する。

 この判決は裁判官小林俊三の少数意見を除く外その他の裁判官の一致した意見によるものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 裁判官小林俊三の少数意見は次のとおりである。

 

 私は、本件は原判決が相当であるから上告を棄却すべきものと考える。

 

 多数意見の前提とする見解、すなわち民法一七七条が国税滞納処分による差押の関係においても適用があると解すること、従つて本件において国が登記の欠缺を主張するにつき正当の利益を有する第三者に当るかどうかが問題であると解することは、原判決も同趣旨と認められるところ、その結論に差を生じたのは、結局本件における「正当の利益を有する第三者」の解釈において、多数意見(末段参照)は、上告人が「財産税の徴収に関し、原審の認定するような経緯があつたということだけでは足りず」、さらに原審の触れていない「特段の事情」を審理判断しなければならないとしたところにある。何故さらにこのような事情を認定しなければ足りないかの理由を十分に納得することができない。国税そのものの公的意義の重いことはいうまでもないが、国といえども、ひと度租税債権者として納税人と私法の支配する関係に入つた以上、その特殊の性質から出て来る事項を除いては、法律の解釈適用についてすべて他の当事者と同等の地位に立つべきものである。このことは新憲法の下においては特に強調されなければならない。本件を考えるにはこのことを特に念頭におくことが必要であると思う。

 多数意見の要点は二つに帰する。一は、本件の場合は信義に反するとはいえないということ、他の一は、公売制度の信用を維持すべき国家の立場から競落人を保護しなければならないということである。そこでこの順序に従つて私見を述べる。

 

 (一)民法一七七条について「正当の利益を有する第三者」という考え方を確立した大審院判例も、その意義を直接説明したことはなく、各事案に現われた事実によつて例示してゆく方法をとつて来たことは周知のとおりである。そして多くの実例から抽象し得る一つの要素に「信義に反する関係」のあることは多数意見とともにおそらく争のないところであろう。ところで本件事案において問題となる要点は、上告人国(当時魚津税務署長)は、昭和二一年二月一五日被上告人が本件土地の登記名義が訴外会社であることを示して、しかも自己の所有として申告したのに対し、これを承認し財産税を徴収しながら、その後に至つて国(当時富山税務署長)は、昭和二六年八月二一日前記事実と全く相反する訴外会社の土地として滞納処分による差押をしたという経過についてである。はじめに、多数意見がこれについて信義に反する関係を生じないと強調する背景に賛同できない二つの立場があることを述べておきたい。

 

 

その一つは、国(税務署長)は、国税の関係において国民に重大な利害ある事項であつても、それが国税徴収に利益がないかぎり、国民のために進んで積極的に調査し適切な措置をとる責務はないという見解に立つと思われる点と、

 

 

他の一つは、「信義に反する関係」というようなことは、個々の公務員または機関について別々に判断すべきであり、国について一体として考えるべきでないという見解に立つと思われる点である。

 

 

前者は、本件差押があつたとき、被上告人から滞納処分取消申請書を提出し取消を懇請したのにかかわらず、国(税務署長)は、結局これを無視し、はじめの財産税を徴収した関係について何の責任をも示さず滞納処分を続行した点において明らかにうかがわれ、

 

 

また後者は、被上告人の財産税徴収が魚津税務署長であり、訴外会社に対する滞納処分が富山税務署長であることによつて、「本件差押に当つて、上告人富山税務署長は、財産税徴収当時の経緯を現実に熟知しながら、これを奇貨として差押を実施したとは考えられない」とし、取消申請があつても署長が異なるからこれを無視することを当然とするような趣旨に受けとれることによつて認められる。

 

 

 

 そもそも納税は国民のもつとも重要な義務の一つであるが、それは国民各個人が正しき税額を正しく徴収されるという原則の上においてのみ認められるのであり、

 

国税に関する国家機関の責務もただこの原則に過誤なきを期する以外の何ものでもないと考える。

 

そして、本件において正しい税額を正しく徴収するということは、相異なる前後の税務署長の行為を一貫することであり、

 

後の差押に過誤あることを認めたなら、

 

前の措置と一致せしめることにほかならない。

 

また各行為の国家機関が前後異なつても(従つて公務員として別異な人間であろうとも)、国としてはすべて一体としての責任を負うべく、

 

本件土地についていえば、魚津税務署長の先行行為が、後に富山税務署長の全く相反する後行行為によつて理由なく無意義とされることは許されないのである。

 

試みに前示の本件事案の要点によつて、国税を私債権に、国を個人に置き換えて考えれば、その関係において背信という評価を受けるべきこというをまたないであろう。

 

そうとすれば、多数意見は、民法の適用を受くべき本件の関係においても、国なるが故に特例有利な地位に立つとする見解によつて、その結論に到達したものと見るのほかない。

 

このことは冒頭に「滞納者の財産を差し押えた国の地位はあたかも民事訴訟法上の強制執行における差押債権者の地位に類する」とし、また「滞納処分による差押の関係においても、民法一七七条の適用があるものと解するのが相当である」とした見解と矛盾するといわざるを得ない。

 

 

 

(二)前示のように、

 

本件の差押があつたとき被上告人は、冨山税務署長に、滞納処分取消申請書を提出したのであるが、多数意見も「上告人冨山税務署長は、

 

被上告人より財産税徴収の経緯を知らされているはずであるから、その際にさらに慎重な調査を遂げ」、

 

判示のいずれかの方法をとることが「行政上妥当であつたというべきであろう」ことを認めている。

 

そもそも本件において、土地所有権が訴外会社の登記名義であることを知りながら、被上告人の申告に基き被上告人を所有権者とする実質関係を認め、財産税を徴収したのは、国としての税務署長である。

 

しかるに多数意見は、

 

「本件訴訟の経過からもわかるように、本件不動産の所有権の帰属を判定することは極めて困難な仕事」であるから、同じ国としての税務署長(このときは冨山税務署長であるが)が、滞納処分を続行しても背信的態度として非難できないというのである。

 

一体国が、はじめ被上告人を所有権者とする前提に立つておきながら、後に登記が被上告人申告当時のまま訴外会社名義であるというだけで、反転して直ちに訴外会社の所有地と認め会社の滞納国税にかかつて行くというのは、「所有権の帰属を判定することは極めて困難な仕事」であるということと相容れないではないか。

 

もちろん税務署長が、前の所有権の承認が誤であるという明白な事由と証拠を発見したのなら問題は別である。

 

 

しかし所有権の帰属の判定が困難といいながら、前の承認とは逆に訴外会社の所有地として滞納処分を続行するのは、国税に関するかぎり本件土地が訴外会社の所有に属すと判定したのと同じことになるのではないか。

 

何故税務署長はこのように国として前の態度を自由に放棄し、後の滞納国税を徴収する方向に判断を変えて行くことができるかの理由を解することができない。

 

 

 

 おそらく多数意見の根拠は、国は、被上告人の所有権を積極的に承認したことはなく申告を受理したに止まるから、後に登記面の訴外会社の所有権を認めても背信的態度とはいえないというのであろう。

 

しかし本件において国としては前と後と税務署が異なり署長が異なることを理由とすることの許されないこと前示(一)に述べたとおりである。

 

被上告人の申告に基き被上告人の所有地として財産税を徴収したのは国であり、後に訴外会社の所有地として滞納処分をし、被上告人の取消申請をも無視しこれを断行したのも国である。

 

前の行為は、国が第三者として、わが民法一七六条のとる意思主義の原則に則り被上告人の所有権の実質関係を承認したのであり、

 

後の行為は、その国が同じ第三者として、対抗要件を定めた民法一七七条によつて被上告人に対し登記の欠缺を主張するのであつて、

 

国が同じ資格をもつて同じ土地に対し前後相反する行為をすることが背信的でないとどうしていい切れるであろうか。

 

もし国(税務署長)なるが故に前後二様の使い分が認められると解するならば、その根拠の説明がなければならない。そうでなければ国民は安んじて税務署長の指示承認を信ずることが困難となるであろう。

 

 

 

 また多数意見が「一方において一般国民の利益のために租税を徴収し、公売制度の信用を維持すべさ国の公益的立場」云々ということは、文言自体に異議はない。しかし公売制度の面は後に触れるとして((三)参照)

 

「一般国民」というものが国民各個人を離れて現実に存在するものではなく、そして「一般国民の利益」という中には、国税を納付する国民の側から見て、正しい税額を正しく徴収されることの利益を含むことを無視することは許されないこと前に述べたとおりである。

 

しかるに本件のような滞納処分をすることが、国として正しいことであるというならば、たとえ多数意見のいう「比較考量」をしても、租税債権者としての国は、「一般私法上の債権者より」特別利益な地位を認められると解するのほかない。

 

 また被上告人に対する関係において、国税滞納処分における国の地位が、一般私法上の債権者の地位に準ずべきことは多数意見のとおりであり、

 

従つて「国が一般私法上の債権者より不利益の取扱を受ける理由となるものではない」ことはいうまでもない。

 

しかしこの趣旨は「国は特に利益な取扱を受ける理由はある」という逆を含むものではあるまい。

 

そしてまた原判決の結論は決して国に一般私法上の債権者より不利益な地位を与えたものとは考えられない。

 

 

(なお本件の関係を私債権者の場合に置き換えて例をとつてみると、債務者が第三者から買い取つた家屋について、登記面はなお第三者名義のままで、その家屋から生ずる賃料を債務の支払に当てることを債権者に申出でた場合を考えることができる〔賃貸借その他の承継対抗等の諸関係はすべて適法有効に備われるものと仮定する〕。

 

この場合債権者が、登記面第三者名義であることを知りながら、債務者の不動産物権における実質関係を承認し、ある期間家屋から生ずる賃料を債務に充当することをつづけた後、

 

債権者は別にその第三者に対する債権があるので、今度は登記面により第三者の所有家屋として強制競売を申立てたとすれば、この関係をいかに判断ずべきであろうか。

 

 

私の解するところによれば、この債権者は正当の利益を有する第三者に当らないこというまでもないのである。

 

 

そしてこの設例は、国を私人に置き換えただけで、相互の基本関係は理において一致し異なるところはないと考える。多数意見は、この例の場合でも、債権者は右のような経過事実だけではいわゆる第三者の地位を否認されないという結論になるのであろうか。そうとすれば、多数意見の説示する「信義に反すると認められる事由」の解釈は異例であると考えざるを得ない。)

 

 

 

 

 

 なお参考として本件の判断に資すべき大審院判例がある。(昭和八年オ第二六一〇号同九年三月六日五民判決。民集一三巻三号二三〇頁)。

 

すなわちその事案は、

 

甲に対する村税滞納処分で甲の不動産が公売に附され、これを競落した乙が未だ移転登記をしない間に、丙が甲に対する債権でこの不動産を差押えた。

 

しかし丙はその前に右不動産の公売処分に立会い、公売売得金から甲に対する自分の抵当債権に対する配当を受けていたというのである。

 

大審院はこれに対し「村税滞納ニ因ル公売処分ニ於テ不動産ノ売得金ヨリ配当ヲ受ヶタル債権者ハ該公売処分ニ因ル不動産ノ取得者ニ対シ民法一七七条所定ノ登記欠缺ヲ主張スル正当ノ利益ヲ有スル第三者ト謂フヲ得ザルモノトス」と判示した。

 

この判例に対する批判において特に反対説を聞かない。もとよりこの事案における債権者丙の背信的態度は著しく積極的であつて、その程度からいえば本件には適切でないといえるかもしれない。しかし本件の国の地位を個人たる債権者に置き換えて、双方の事案の経路を要約してみると理において甚しく異なるとは考えられない。

 

 

 

(三)何人がもつとも保護するに値するかという面から考えてみる。いうまでもなく民法一七七条は、本来不動産物権の変動につき、登記という公示方法を信頼した第三者をその限度において保護し、よつて不動産取引の動的安全を保障しようとする制度である。

 

しかしその前提に、わが民法が意思主義をとり、当事者間においては物権変動について公示方法を必要としないという原則をとつていることを念頭におかなければならない。

 

いいかえれば静的安全が一応まず保障されることによつてはじめて動的安全の保障が意義を生ずるのである。

 

判例が文理に泥まず「正当の利益を有する第三者」の原則を積み重ねて来た趣旨もここにあるのである。

 

従つていわゆる正当の利益を判断するには、この観点から、何人がもつとも保護するに値するかを考察して定めるべきであり、このことがもつとも決定的な要素であることを忘れてはならないのである。

 

ところで本件を見ると、国(魚津税務署長)は、くりかえし述べるように、土地の登記面と異なる被上告人の所有権すなわち物権変動の実質関係を承認し、財産税を徴収したのであるから、わが登記制度の有する公示の効力を信頼し(すなわち訴外会社を所有権者として)それによつて租税事務を進めたという関係は全くない。

 

かえつて国は、被上告人の申告により、本件土地の登記に公示された訴外会社の所有権を信じないで、被上告人の実質上の所有権を信じたのである。

 

かかる関係においても国は登記という公示方法を信じた第三者として被上告人より以上に保護するに値する理由があるであろうか。

 

さらに正確を期するため被上告人側の経緯を調べてみよう。

 

原審の確定する事実と記録に存する資料によると、

 

(イ)被上告人が本件土地を買受け所有権を取得したのは、訴外会社が昭和二一年一月三一日、二月五日の二回にわたり北日本新聞に売却の広告をしたのでこれに応じたのであること(甲第五号証ノ一及び二)、

 

(ロ)被上告人は同年二月八日訴外会社代表者Aから本件土地を他の物件と共に金七万八千円也で買受けその所有権を取得したこと(甲第二号証)、

 

(ハ)被上告人は昭和二二年二月一五日魚津税務署長に対し右土地を自己の所有である旨の財産申告をしたこと(すなわち甲第四号証「財産税課税価格等申告書」の第四枚目(記録七七丁)第三欄の本件土地の細目記載末項「摘要」に「登記面ハ北陸製作代表者A分」と記載されている)、

 

(ニ)税務署長は右申告に基き被上告人から財産税を徴収したこと、等が認められる。

 

 

従つて被上告人としては、税務署長が申告どおり本件土地が被上告人の所有であることを承認し財産税を徴収した以上、これを信頼し安心していたであろうことは十分に推認することができる。

 

従つてすべての角度から見て現在の取引通念においては責むべきものを認められない。

 

ただ一つ被上告人に不利な面は、移転登記を遅滞したことであるが(その理由は原判決ては必しも明らかでない)、前記の経過を見れば、被上告人は、税務署長が、前とは逆に訴外会社の土地として滞納処分をするなどとは予想もしなかつたであろうと思われる。かかる状況において遅滞ということが直ちに保護を受けるに値しないと断ずることはできない。

 

 また多数意見は、「公売が実施された以上」と前提して、公売制度の信用を維持すべき国家の立場が本件の事案において重視されなければならないという趣旨を強調する。

 

しかし不動産物権の変動における動的安全の保障は、まず静的安全を肯定し、その上の比較考量によつて生ずる原理である。

 

そうでなければわが登記制度が単に公示の原則に立つた趣旨を無意義とするであろう。

 

国は前に本件土地を被上告人の所有地として財産税を徴収したのであるから、本来後に訴外会社の土地として滞納処分などすべきではなかつたのであり、またそれは許されないはずである。

 

しかるに国は、被上告人から差押取消の申出があつたのに何の調査も措置もとらず公売処分を断行しながら、「公売が実施された以上」公売制度の信用を保つたあ競落人を保護しなければならない、というのは、あまりに独善専恣であり、またこの過誤の責任を他人に転嫁するものといわなければなるまい。

 

 

 本件においては被上告人は国を信じて行動して来たのであるから、まずこれを保護すべきである。

 

そして本件の競落人は、国の過誤により蒙つた損害について、公売代金の返還その他正当な補償を受けることができるから、希望した土地が得られなかつたことが、さほど酷であるとは思われない。

 

これに反し被上告人は、すでに代金を支払つて取得した土地所有権を失うが、その補償を何人に対し請求できるか、仮りに訴外会社に請求するとしても、同会社は国税を滞納しているほど窮状にあるのだからその実効はきわめて疑わしいといわなければならない。

 

 

 

 

(四)「対抗」ということとその手続の面から考えてみる。民法一七七条に定める「対抗」の意義については議論の存するところであり、判例もこの点に触れているものが多く存在するが、その趣旨において各々多少の相異があることは、学者の指摘するとおりである。

 

しかしこれらの判例を通じて理解し得る一つの趣旨は、第三者が民法一七七条の保護を受けようとするには、登記の欠缺を主張(すなわち物権変動の否認)しなければならない、ということである(明治四五年六月二八日、大正七年一一月一四日等の各判例参照)。

 

判例のこの趣旨が、「対抗」の意義についていかなる理論的立場をとると解すべきかは別として、少くとも第三者が登記の欠缺を主張することを要求していることは明らかである。

 

そしてこれが裁判上における主張の趣旨であることもまた異存はない。

 

しかしこの趣旨が、裁判外においてはいかなる制約もないという意味を含むものとは考えられない。

 

裁判外においては、第三者は、単にこの主張をしなかつたというだけで、直ちに同条の保護を放棄したと認められないことはいう裟でもない。

 

しかし裁判外において第三者が、積極的にこの主張をしないこと、すなわち民法の保護を受ける意思のないことを表示した場合、またはこれと同視すべき行為があつた場合でも、裁判上においては、いつでも無条件にいわば前言をひるがえし、改めて有効に登記の欠缺を主張することができるとはとうてい解することはできない。

 

反対の見解がありとすれば、判例が一貫して正当に判示する「正当な利益」という原則と相容れないものと考える。本件の場合国なるが故に前後相反する行為が是認され、それが信義に反しないというならば、特にその理由が示されなければならない。

 

 

 多数意見は、「上告入が差押の実施に当つて、本件不動産が登記簿上右会社名義となつていることを確かめ、かつ同会社についてその実質上の所有関係を調査した以上」というが、

 

国ははじめ本件土地につき被上告人の申告に基き被上告人の実質土の所有権を承認し財産税を徴収しておきながら、後に訴外会社の滞納国税の関係となるや、急に態度を変じ、今度は訴外会社について登記面の所有権を主張するのみならず、

 

さらにその「実質上の所有権を調査」云々というのは、納得しかねる論理である。

 

そして「さらに、財産税施行当時に遡つて右不動産が何人の所有として申告されていたかを調査しなかつたというだけで、直ちに、本件において国が登記の欠缺を主張することが背信的であるということはできない」というが、

 

前示のように被上告人は滞納処分取消申請書を提出したのであるから、税務署長としては調査する責務があると考えられる。

 

しかるにこれを無視し、国税のために利益である方に責務を転ずるという態度は、むしろ国なるが故に採るべきでなく、国民の信をつなぐゆえんでないと考えたい。

 

 

 

 

(五)なお最後に、多数意見の「特段の事情」について触れておきたい。特段の事情として例示されていることは「所轄税務署長がとくに被上告人の意に反して積極的に本件不動産を被上告人の所有と認定し」、あるいは「爾後もなお引き続いて右土地が被上告人の所有であることを前提として徴税を実施する等」というのである。

 

 

この設例は、前後一連の関係にあると認められるが、これを本件に当てはめてみると、前段の場合は、税務署長が訴外会社の登記ある本件土地につき独自の調査の結果、被上告人からはなんの申告もなく、また被上告人の否定にもかかわらず、被上告人の所有と認定したようなことを指し、

 

また後段の場合は、右のような認定の下に、その土地に基く税を引全つづいて徴収したというようなことを指すものと認められる。

 

しかしこのようなことが容易に現実に起り得るとは考えられない。

 

財産税は、不動産についても、納税人の申告によつて課税するものであるから(財産税法三七条ないし三九条、同施行規則第四章、同細則一二条一三条、一七条等)、

 

自ら申告する以上、台帳の登録または登記簿上の記載と一致することを通例とするが、仮りに一致しない場合でも、税務署長は、申告の理由を否認すべき特段の事由のない限り、申告者を納税義務者として徴税すれば足りるのである。(本件の事案のはじめの経過はこれに当る。)

 

前記設例の場合を強いて仮想すれば、不動産の所有権を取得した者が、自己が国税を滞納しているため、その公売処分を避ける意図をもつて移転登記を遅滞しているようなことが考えられる。

 

かかる場合税務署長が、所有権変動の実質関係を確認したときは、その所有者に対し適法な手続によつて徴税を追行することを妨げないであろう。

 

しかし本件の場合は逆であつて被上告人が自ら申告し、課税を求めたのであるから、全く当らない。

 

これに反し国税を滞納している甲がその所有の不動産を乙に譲渡し、乙が移転登記未済のまま自己の所有不動産として申告しても、税務署長はこのときこそ登記の欠缺を主張し、甲の不動産として滞納処分をすることがむしろその責務であり(本件の場合は、かえつて申告者たる被上告人の所有権を承認して徴税した)、また乙がいち早く自己の名義に移転登記をしても、税務署長は詐害行為取消権を行使することをなんら妨げられるものではない(国税徴収法一五条)。

 

かく考えてくると、本件の場合、多数意見のいう「特段の事情」を審理することが、何故特に国について必要とされるか、その理由を解することができない。税務署長は、徴税手続に関し、前後相反する行為をしても許されると解すべきいかなる根拠もないと考える。以上のとおりの理由により本件上告を棄却すべきものである。

 

 

 

     最高裁判所第三小法廷

         裁判長裁判官    島           保

            裁判官    河   村   又   介

            裁判官    小   林   俊   三

            裁判官    本   村   善 太 郎

            裁判官    垂   水   克   己