スプーンに盛った塩を口に押し込む暴行

 

 

 福岡高等裁判所判決/平成26年(う)第142号、判決 平成27年7月15日、 LLI/DB 判例秘書

について検討します。

 

 

 

 

【判示事項】

 

1 介護施設運営会社の社長である被告人による同施設入所中の91歳の認知症の男性に対する暴行の事案において、「スプーンに盛った塩を口に押し込む暴行を加えた」旨の訴因には、スプーンごと塩を口の中に押し込むことだけでなく、塩を口の中に押し込むために必要な有形力の行使も含まれているとされた事例 

 

      

2 介護施設運営会社の社長である被告人による同施設入所中の91歳の認知症の男性に対する暴行の事案において、「スプーンに盛った塩を口に押し込む暴行を加えた」旨の事実は証明されていないとして無罪を言い渡した原判決には事実誤認があるとして破棄し、「塩をその口の中に入れようとして、塩が載ったスプーンを同人の口付近に押し当て、中に差し入れようとする暴行を加えた」旨の事実を認定の上、被告を懲役1年2月の刑に処した(自判した)事例 

 

 

 

 

 

 

 

主   文

 

  原判決を破棄する。

  被告人を懲役1年2月に処する。

  原審における未決勾留日数中320日をその刑に算入する。

  原審における訴訟費用は被告人の負担とする。

 

       

 

理   由

 

  本件控訴の趣意は,佐賀地方検察庁検察官検事嶋村勲作成名義の控訴趣意書および福岡高等検察庁検察官検事山内峰臣作成名義の控訴趣意の補充書に記載されたとおりであり,これに対する答弁は主任弁護人出口聡一郎,弁護人東島浩幸および同中尾中連名作成名義の答弁書および主任弁護人出口聡一郎作成名義の平成26年12月19日付け意見書(22頁の12行目以下を除く。)に記載されたとおりであるから,これらを引用する。

  論旨は,訴訟手続の法令違反および事実誤認の主張である。

 

  当裁判所は,原判決には,訴訟手続の法令違反は認められないが,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認があって破棄を免れないと判断した。

  

 

第1 本件公訴事実

 

  本件公訴事実の要旨は,次のとおりである。

  

1 被告人は,平成24年4月22日午後7時30分頃から同日午後8時頃までの間,佐賀県伊万里市□□□□□□□□□□所在の介護施設「□□□□□□□□」(以下「A」という。)において,同所に入所中のV(当時91歳,以下「被害者」という。)に対し,スプーンに盛った塩を口に押し込む暴行を加えた(同年11月20日付け起訴状記載の公訴事実第1。以下「第1暴行」という。)。

  

2 被告人は,同年5月28日午前9時30分頃,同所において,同所に入所中の被害者に対し,スプーンに盛った塩を口に押し込む暴行を加えた(同年10月22日付け起訴状記載の公訴事実。以下「第2暴行」という。)。

  

3 被告人は,同月29日午前9時30分頃,同所において,同所に入所中の被害者に対し,スプーンに盛った塩を口に押し込む暴行を加えた(同年11月20日付け起訴状記載の公訴事実第2。以下「第3暴行」という。)。

 

 

 

第2 原判決の判断

  原判決は,第1暴行については,それを目撃したと述べる原審証人の供述は信用できず,第2暴行および第3暴行については,原審証拠上認定できるその前後の状況等の間接事実を総合しても,公訴事実にいう暴行の存在を認めるには合理的な疑いを差し挟む余地があるとして,被告人に対して無罪の言渡しをした。

  その判断の要旨は以下のとおりである(以下,年の記載ない場合は平成24年である。)。

  

1 第1暴行について

 

 第1暴行については,これを目撃したという原審証人W(□□□□□以下「W」という。)の供述(受命裁判官の尋問調書,以下「W原審供述」という。)以外に証拠がないところ,W原審供述によると,被告人は,デザートを食べるサイズのスプーン2,3杯分程度の量の塩を被害者の口に入れたことになるが,その場合,被害者が直ちに塩を吐き出そうとしたり,口をゆすぐため水を求めたりするなどの行動に出ることが自然であるのに,W原審供述には,そのような行動の描写が欠けている。また,Wの介護職員としての立場からみると,被告人がその場から立ち会った後,被害者に塩を吐き出させるなどの行動をとるのが自然なのに,W原審供述によると,Wはそのような行動をとらなかったというのであって,この点も不自然である。Wは,翌日,同僚職員2名(C(以下「C」という。)およびE(以下「E」という。))にその話をしたと供述し,Eのスケジュール帳にはそれに沿うかのような記載もあるが,同記載は,「塩をなめさせられたと聞く」というもので,目撃内容と整合しているとはいい難いし,同僚に同様の話をしていたとしても,W原審供述の不合理性からの疑念を払拭できない。

 

  W原審供述には,上記のような疑義,取り分け,被害者の口の中の塩に対する対応について説明し難い疑義があり,他に第1暴行を認める証拠はないから,同事実を認定するには合理的な疑いが残る。

 

  なお,第2暴行,第3暴行に関する間接事実は,W原審供述の信用性を高めるものであるが,後記のとおり,これらの間接事実をもっては,第2暴行,第3暴行を推認するに足りないのであるから,これらは,W原審供述の信用性を第1暴行の認定を可能にするまで高めるものではない。

  

 

2 第2暴行および第3暴行について

 

 Cらの公判供述によれば,第2暴行に関し,被告人が,塩の容器とスプーンを持って被害者がいるトイレに入ると,被害者のうめき声が継続的に発せられ,その後,被告人が,Cらに,「被害者が血を出している,ちょっとやりすぎた」などと述べて掃除を指示し,Cらがトイレに行くと,被害者が,下唇から垂れるように出血し,同人の頬や口の周りには塩が付着するなどしていた事実や,第3暴行に関し,被告人が,塩を載せたスプーンを持って台所から出て行った後,トイレで,被害者が,上唇辺りから出血し,口の下にも血が付いて下に垂れている状態でいて,塩が被害者の洋服の胸やズボンに付着し,床に散乱していたことや,その直後に,被告人が,介護職員のF(以下「F」という。)に対し「ちょっとやりすぎたかな,唇の中切れとっとやろ,スプーンの上唇に当たったとやろ」と述べた等の事実を認めることができる。

 

  しかし① 口の中に相当量の塩が入ったのであれば,被害者が何らかの対処行動をとってしかるべきなのに,それがないから,相当量の塩が口の中に押し込まれたことを推認することはできない,② 被害者の身体等や現場に残された塩や被害者の傷からすれば,そのような事態を引き起こした何らかの被告人の行為が推認されるが,被害者の口の中にスプーンを入れようとしてそうなったのか,口付近に意図的に塩を掛けようとしただけなのにそうなってしまったのか,スプーンを唇に押し当てるか近づけたときに被害者が抵抗してそうなったのかなど,種々の行為を想定できるところ,それらの可能性の高低については定かではない,③ 被害者は,塩に拒否的な反応を示していたことが認められるから,塩を盛ったスプーンを唇に押し当てるなどの行為に止まった場合でもうめき声を上げることが考えられる,④ 被告人の発言等についても,スプーンを唇に押し当てたに止まっていた場合などでもあり得ることであるから,前認定の事実をもってしても,第2暴行および第3暴行を推認するに十分ではない。

 

 

 第3 訴訟手続の法令違反の主張について

 

 

 

1 控訴趣意の要旨

  本件各公訴事実は,いずれも,被告人が被害者に対し「スプーンに盛った塩を口に押し込む暴行を加えた」というものであるから,量にかかわらず塩を口に押し込むとともに,スプーンごと塩を口の中に押し込むことその他の塩を口の中に押し込むために必要な有形力の行使が含まれるから,スプーンごと塩を口に押し込むために必要な有形力の行使が行われたか否かが問題とされるべきであるのに,原判決は,「相当量」の塩が被害者の口の中に入ったか否かのみを審理判断し,塩を口の中に押し込むために必要な有形力の行使について判断していない。

 

  裁判所は,公訴事実の内容に疑義が生じ,又は裁判所の理解と検察官の主張・立証との間で齟齬がある可能性が認められた場合,検察官に対し,本件各公訴事実について釈明を求め,主張を明らかにする訴訟法上の義務があったというべきである。本件は,介護施設内で,施設管理者が高血圧等の持病を持つ入居者に対して複数回悪質な暴行を行ったか否かが問われている重大事案であり,また,裁判所が検察官に対して釈明することは極めて容易であった。

 

  それなのに,原審裁判所は,検察官に,本件各公訴事実にいう暴行の内容について釈明を求めず,検察官の主張を明らかにさせるための措置もとらないまま,被告人が被害者の口の中に「相当量」の塩を入れた事実が認められないと判断しただけで直ちに本件各公訴事実が認められないとしたものであるから,釈明義務に違反し,必要な審理を尽くさなかったものであって,原判決には審理不尽による訴訟手続の法令違反の違法があり,これが判決に影響を及ぼすことは明らかである。

 

  

 

2 当裁判所の判断

 

  本件各公訴事実において,実行行為はいずれも,「スプーンに盛った塩を口に押し込む暴行を加えた」というものであるが,これが,① 量にかかわらず塩を口に押し込むとともに,② スプーンごと塩を口の中に押し込むことその他の塩を口の中に押し込むために必要な有形力の行使が含まれることは,所論指摘のとおりと思われる。

 

  すなわち,暴行罪にいう「暴行」は,人の身体に対する有形力の行使をいうから,人の身体に対する有形力の行使である限り,その一連の経過全体が暴行に当たるものということができる。

 

 例えば,「拳で人を殴打した」という場合であれば,「拳を振るって殴りかかる行為」(「暴行過程」と表現することもできる。)と「殴った結果」(「暴行結果」と表現することもできる。)の双方が当該暴行の不可欠の要素としてこれを構成しているということができる。

 

 そして,訴因の記載が,上記の暴行過程と暴行結果の双方を記載していると解される場合は,暴行過程と暴行結果が分析的に記載されていなくとも,その訴因は,暴行過程と暴行結果の双方を含むものと解するのが相当である。

 

 これを本件についてみると,「スプーンに盛った塩を口に押し込む暴行」は,実態的には「押し込もうとする行為」と「押し込んだ結果」とからなるものであり,日本語の通常の意味からしても,そのように理解されるものである。

 

 そうすると,本件の訴因は,「スプーンに盛った塩を口に押し込もうとする行為」と「押し込んだ結果」からなるものであり,さらに,「押し込もうとする行為」は,押し込もうとする行為に直接伴う行為である押しつけ,あるいは,押し当てる行為を内包していると解されるから(押し込むことを容易にするための行為,例えば,被害者の頭を押さえつける行為などは,当然には,内包されるとは解されない。),

 

 本件訴因は,「塩を盛ったスプーンを口付近に近づけて押しつけ,あるいは押し当てるなどした上,実際に押し込んだ」というものというべきである。

 

 

  弁護人らは,検察官の立証は,押し込んだ結果が発生したことを前提としていたと主張するが,検察官は,口の中に現実に塩を2,3杯押し込んだ事実を中心的な主張としてはいたものの,そのことを証明するため,被告人が,被害者の口に押し込もうとし,強いて口を開けさせて押し込み,また,被害者が被告人の一連の行為により出血していた等と主張立証していたのであって,弁護人らがいうように塩が口に入ったという結果のみを立証しようとしていたものではない。

 

 そして,押し込んだ結果そのものが認定できなかったとしても,押し込もうとした行為は認定できるというのであれば,訴因変更手続を要することなく,そのとおり認定できることは,通常の縮小認定の場合と異ならない。

 

 

  しかし,原判決が,被告人が被害者の口に「相当量」の塩を入れた事実が認められないと判断しただけで直ちに本件各公訴事実が認められないとしたという所論の主張には賛同できない。

 

 

  すなわち,原判決は,第1暴行については,これを証明する唯一の証拠であるW原審供述が信用できないから,公訴事実を認定することにはできないとしているだけであって,「相当量」の塩を入れた事実が認められないから,公訴事実が認められないとしているわけではない。

 

 

  第2暴行,第3暴行についても,相当量の塩が口の中に押し込まれたと推認することは困難であるとしてはいるものの,それだけで,上記各公訴事実が認められないとしているわけではなく,

 

 さらに,① 被害者の身体等や現場に塩が付着ないし散乱し,あるいは被害者が出血していたこと,② 被害者がうめき声を発していたこと,③ 被告人の発言の中に犯行を示唆しているようにみえるものがあったことなどの意義を検討し,それだけでは,被告人が被害者の口の中にスプーンを入れようとしてそうなったのかに,他の事情によってそうなったのか分からないなどとして,無罪の結論を導いているのであって,そこでは,「被告人が被害者の口の中にスプーンを入れようとしたかどうか」が判断のそ上に上っている。

 

 

  以上によれば,原判決は,第2暴行,第3暴行について,前記の暴行過程も審理判断の対象とした上,それでもなお,各公訴事実については証明がないとしたものと解するのが相当である。

 

 そして,第2暴行,第3暴行について,そのような判断構造を採用している以上,第1暴行についても,同様の判断構造を採用したものと推認するのが相当である。

 

 原判決が,第1暴行の有無を判断するに当たって,第2暴行,第3暴行に関する間接事実は,第2暴行,第3暴行を推認するに足りないのであるから,W原審供述の信用性を第1暴行の認定を可能にするまで高めるものではないと付加していることも,そのことを裏付けているものということができる。

 

 

  そうすると,原判決は,本件訴因を正当に理解した上,それでもなお,本件各公訴事実については証明がないと判断したものというべきであるから,原判決に所論のような違法があるとはいえず,論旨は理由がない。

 

 

第4 事実誤認の主張について

 

1 控訴趣意の要旨

  

(1) 原判決は,「相当量」の塩が被害者の口の中に入った事実が認められないから,本件各公訴事実を認定できないとしているが,本件各公訴事実は,いずれも,被告人が被害者に対して「スプーンに盛った塩を口に押し込む暴行」を加えたというものであるから,量にかかわらず塩を口に押し込む行為とともに,スプーンごと塩を口の中に押し込むために必要な有形力の行使があったことを暴行の内容とするもので,原判決は,判断の前提において誤りを犯している。

  

(2) 第1暴行について

 

 W原審供述は,素直に理解すれば,少なくはない量が口に入らなかったというものであるのに,原判決は,W原審供述は,少なくともスプーン2,3杯分程度の量の塩が被害者の口に入ったというものであるとの誤った評価をしている。

 

  その上で,原判決は,「被害者が,塩を口から吐き出そうとしたり,口をゆすぐため水を求めたり水場への移動を求めたりするなどの有害刺激に対処する行動」をとらなかったことを問題視し,

 

 認知症である被害者の能力や状況によれば,健常人が自らの意思で何ら物理的又は心理的圧迫を受けない状況で,塩を口に入れた場合と同一視できないのに,

 

 認知症の被害者とは心身の状況が全く異なる健常人である裁判長を被験者として口の中に塩を入れたときの反応等を目的として行った裁判長個人の主観に頼った「検証結果」を殊更に重視して健常人を基準とし,

 

かつ,

 

 被害者が認知症のため対処行動がとれなかった可能性はないという,我が国の精神医学界における一般的知見と反する精神科医師Dの証言を過度に重視し,

 

 W原審供述に上記のような反応が何ら出てこないというのは不自然であるとして,W原審供述の信用性を否定するという誤りを犯している。

 

 

  被告人が現場から去った後,Wが被害者の口の中の塩の処置をしなかったのは,被害者の出血を拭き,塩が散乱しているのを掃除することを優先し,被害者の口の中に対処することに思い至らなかったからであって,これも何ら不自然なことではない。

 

 

  W原審供述は,それ自体合理的で,EおよびCの供述並びにEのスケジュール帳等により裏付けられており,具体的かつ迫真的で,実際に体験したのでなければ供述し得ないものを含んでおり,供述態度は真摯で,虚偽の証言をする動機も利益もないから,極めて高い信用性があることは明白である。

 

  W原審供述の信用性を否定した原判決の判断は論理則・経験則に反している。

 

  そして,W原審供述によれば,第1暴行は優に認定することができる。

 

  

 

(3) 第2暴行,第3暴行について

 

 原判決は,第2暴行,第3暴行に関する間接事実自体を正当に認定しながら,塩が口に入ったことに対する被害者の対処行動がないことを過大に評価し,個々の間接事実を分断的に評価して,反対事実存在の抽象的可能性を殊更に重視し,第2暴行,第3暴行を認定するには十分でないとしている。

 

  しかし,上記間接事実を正当に評価すれば,被告人が第2暴行,第3暴行を行ったことは合理的疑いを入れる余地なく認定できるから,原判決の認定判断は,論理則・経験則に反している。

 

  

(4) 結論

  以上のとおり,被告人は,第1ないし第3暴行につき,いずれも有罪であるから,これを無罪とした原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある。

  

 

 

2 当裁判所の判断

 

  第1ないし第3の各暴行のいずれについても,被告人が,塩を載せたスプーンを被害者の口の中に入れようとして,被害者の口付近に押し当て,口の中に差し入れようとした限度では十分認定することができるから,いずれも犯罪の証明がないとした原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があり,破棄を免れない。

 

  その理由は,以下のとおりである。

 

  

(1) まず,関係証拠によると,以下の事実が明らかである。

  

ア Aは,佐賀県知事から通所介護を内容とする居宅サービス事業所の指定を受けた介護施設であるが,デイサービス利用者の他に宿泊利用者も受け入れており,被告人は,自宅兼施設として同所に居住してAを経営し,自身も介護福祉士として登録し,利用者の介護を行っていた。

  なお,本件当時,Aには,正社員としてW外1名がおり,パート職員として,E,C,F,G(以下「G」という。)がいた。

  

イ 被害者は,平成23年9月にAに入所したが,大正9年12月生まれと高齢で,認知症等のため要介護4と判定され,前立腺肥大による頻尿もあり,尿を漏らしたり,便座に腰掛けてもトイレの床を尿で汚したりすることが度々あった。なお,被害者は高血圧症でもあった。

  

ウ 被告人は,遅くとも4月頃から,被害者がトイレの床を尿で汚すなどしたときに,被害者に,塩をなめさせる等と言うようになった。

  

エ Cは,5月28日午後,伊万里市役所に,匿名で,「施設長が本人に対して身体的虐待を行っている。以前「(口に塩を)入れるぞ」と言われているのを聞いた。今日は「見ないほうがいい。来ないでくれ。」と言って本人をトイレの方に連れて行き,口に塩を入れているようであった。本人の唸り声が聞こえ,本人がいた場所に血が落ちていた。日頃,他の職員とも,どこかに相談したほうがいいのでは・・県に相談すべきなのか・・と話しているところであったが,今日の施設長の行為が怖いと思ったので電話した」旨通報した。

  

オ 指定居宅介護支援事業所「H」のIケアマネージャーは,同月29日午後,Aを訪れた際,Cらから,被告人が被害者を虐待しているという相談を受け,伊万里市役所に,「Aの職員より,被害者が昨日・今日と2日続けて施設長より虐待を受けられたようで,口からの出血が見られた。今朝の朝礼では,「被害者はHの順番が来ている。褥瘡ができてもいい。みんなでいじめよう。」と言われた。数名の職員の間では,利用者がかわいそうで見ていられない。どうすればいいか,どこへ相談すればいいのか・・と話していると相談を受けた」旨連絡した。

  

カ CおよびEは 同月30日,Iとともに伊万里市役所を訪れて,本件各暴行を含むA内での不当な処遇について申告した。

 

  そして,Cは,同日辞意を表明した上,同月31日退職届を提出し,また,Eは,同年6月10日過ぎ頃辞意を表明して,いずれも,同月末でAを退職した。

 

  以上の事実が認められる。

 

  次いで,第1ないし第3暴行について,個別に検討する。

 

  

 

(2) 第1暴行について

 

ア Wの原審供述

 

  第1暴行については,これを目撃したというWが,原審において,その状況を詳細に供述している。その要旨は,以下のようなものである。

 

  「4月22日の夕礼のあった午後7時半から8時頃,被害者がトイレでおしっこを漏らしたことを被告人に報告すると,被告人から塩を持ってきてと言われ,被害者の居室へ,かねて被告人が用意していた塩が入った小皿とデザートを食べるサイズのスプーンを持って行った。被害者はベッド上に身体を起こしていた。被告人は,被害者の頭を押さえて,塩を口の中に押し込もうとしたが,入らなかったのか,今度は,左手で口の辺りを挟んでつかみ,口を開けさせて,塩を押し込む行為をしていた。被害者は,「すいません」と叫んだり,「あー」と言ったり,とても嫌がっている様子だった。被告人は,塩の量を調整している感じではなく,がさっとすくって,そのまま入れる感じだった。被告人が被害者の口に塩を押し込んだのは2,3回だった。塩は口の中に入ったと思う。塩を盛ったスプーンを口の中に入れているところを見た。スプーンを出したとき,塩はなくなっていた。被害者は下唇の左端辺りから垂れるように出血しており,口の周りに塩が付いていた。塩は,洋服とベッドの上と床にも落ちていた。被害者の血が出ているところを拭き,散らかっている塩を掃除した。翌日の午前中にEにその話をした。」

  

イ Wの原審供述の信用性について

 

 原判決は,W原審供述について,前記のとおり,「W原審供述は,2,3杯分程度の塩が入ったという第1暴行が加えられた場合に被害者が通常とるであろう行動についての描写が欠落しているのであって,W供述の信用性には,まずこの点から重大な疑義があり,また,Wの被害者に対する事後の対処が不自然である」旨説示するなどして,その全てについて,信用性を否定している。

 

  これに対して所論は,W原審供述は,素直に理解すれば,少なくはない量が口に入らなかったというものであり,スプーン2,3杯分の塩が口の中に入ったというものではなく,原判決は,この点で既に誤っている旨主張する。

 

  確かに,W原審供述中には,スプーン2,3杯分の塩が口に入ったと明言する部分はない。しかし,Wは,同供述中で,「被告人が被害者の口に塩を押し込んだのは2,3回だった。塩は口の中に入ったと思う。塩を盛ったスプーンを口の中に入れているところを見た。スプーンを出したとき,塩はなくなっていた。」と述べていたのであり,

 

 これをそのまま理解する限り,W原審供述は,スプーン2,3杯の塩が被害者の口の中に入ったというものと受け取るのが自然のように思われる。

 

 原審裁判所が,そのように理解していることは,原判決の判文自体から明らかであるが,Wの証人尋問後,弁護人が,スプーン2,3杯の塩が口に入ったときの反応を対象とする検証の請求をし,検察官も,「被害者が,塩を口に入れられたとしても,認知症のため,吐き出すなどの通常とる行動をとらない可能性があること等」を立証趣旨とする証人請求をしていることなどからみて,

 

他の当事者も同様の理解をしていたのではないかと思われる。そして,実際に証人尋問に立ち会った者全てがそのように理解したというのであれば,W原審供述自体は,やはりそのように受け取るべきものであり,この点に関する原審裁判所の判断が誤っているということはできない。

 

  そして,W原審供述が,口の中に塩をスプーン2,3杯入れた旨いうものであるとすると,被害者が認知症であったことを考慮しても,原判決が指摘するとおり,被害者が,直ちに塩を吐き出そうとするなどの刺激に対処するための行動に出ることが自然であるということができ,

 

W原審供述に,この点についての描写が欠けていることは,同供述の信用性を疑わせる事情ということができる

 

(なお,原審裁判所は,塩を摂取した際の反応について,裁判長自らを被験者とする検証を実施しているが,証拠化されることのない裁判長の個人的知見が判断に影響を与えかねないもので,そのような検証は不当なものであるし,裁判長がそのまま審理判決に加わることに対する疑義も否定できず,いずれにせよ不相当なものというほかない。)。

 

  したがって,原判決が上記の点を指摘して,W原審供述の信用性に疑問を呈したこと自体は,不合理とはいえず,実際,Wは,当審では,少なくない量の塩がこぼれており,被害者の口に入った量は分からないと供述している。

 

  しかし,原判決が,上記の疑問があることから,第1暴行に関するW原審供述全体が信用できないとしたことは,不合理で,是認できない。

 

  すなわち,第1暴行に関するW原審供述は,被害者の口にスプーン2,3杯分の塩が入ったという点を除けば,内容として,特に不自然・不合理なところはなく,被告人の行為や被害者の反応等も具体的で迫真性に富んでいる。

 

 W原審供述によれば,Wは,その時,被告人の横にいて,被害者の口に入れるための塩が入った皿を持ち続けていたということになるが,その行為は,第1暴行についての共同正犯ないし幇助犯の責任を問われかねないものであるから,Wが,全くありもしないのに,そうした事実をねつ造して供述する理由もない。

 

Wは,本件が衝撃的なものだったので,翌日,Eにそのことを話したと供述しているところ,そのことは,「Wから,「被害者がおしっこを漏らしたので,社長が口を押さえて,無理矢理塩を入れた。口から血が流れていた。」という話を聞いた。」というEの原審公判供述や,

 

「Eからその話を聞いてWに確かめたところ,「社長が被害者の顔を片手でつかんで,頭を壁に押しつけて,塩を無理矢理押し込んだ。」という説明を受けた。」というCの原審公判供述によって裏付けられている。

 

この点について,Eは,原審公判供述中で,Wの話を聞いて,当日,スケジュール帳にメモしたと供述しているところ,Eのスケジュール帳の4月23日の欄には,「A s塩をなめさせられたと聞く⇒Wちゃんから」と,正にそのことと符合する記載がある。

 

なお,相当量の塩が被害者の口に入ったことを前提とするのでない限り,被告人がその場を去った後,Wが,被害者の口の中について格別の処置をしなかったからといって,特に不自然とはいえない。

 

  こうした事情に照らすと,Wの原審公判供述は,スプーン2,3杯分の塩が実際に被害者の口に入ったと受け取れる部分を除き,その信用性は高いというべきである。

 

  もっとも,W原審供述によれば,被害者が嫌がる様子であったというのであり,嫌がる被害者の抵抗にあえば,スプーン上の塩がこぼれる可能性は容易に想定できるし,現に塩が視認可能な程度に散乱していたというのである上,スプーン上にあった塩の量がまずもって不明であるから,W原審供述によっては,被害者の口の中にどのくらい塩が入ったのか,あるいは,そもそも,被害者の口の中に塩が現実に入ったのかどうかも,明らかでない。

 

  また,Eのスケジュール帳の記載は「塩をなめさせられた」というもので,塩を入れたというものではないところ,Eは,原審公判供述中で,Wから聞いたまま書いた旨供述しているから,当時のWの説明はそのようなものであった可能性を否定できない。「なめさせる」ためにはスプーンに載せた塩を口に差し入れるなどする必要があるから,「塩を入れた」という説明と「塩をなめさせた」という記載が矛盾するとはいえないけれども,「なめさせた」という表現は,相当量の塩を口の奥まで入れたという表現とはそぐわない面があるから,当初の説明が「なめさせた」というものであるならば,塩を載せたスプーンは被害者の口先に押し当てられた状態から,さほど奥には差し入れられてはおらず,また,塩が口の中に入ったかどうかも定かでないというほかはない。

 

  以上によれば,Wの原審公判供述は,被害者の口にスプーン2,3杯分の塩が入ったと受け取れる部分は信用できないけれども,被告人が左手で被害者の顔をつかみ,塩を載せたスプーンを被害者の口に押し当て,中に差し入れようとしたという限度では,十分信用することができる。

  したがって,その部分の信用性まで否定した原判決の判断は不合理というほかない。

  

 

 

ウ 弁護人の主張について

 

(ア) 弁護人は,当審弁論において,Wの供述は信用できないとして,次のような主張をしている。

  

Ⅰ Wは,塩を入れようとした状況について,原審段階では,2,3杯程度入った旨供述していたのに,原判決後に作成された検察官調書では,「被害者が少ししか口を開けなかったので,被告人は,デザートスプーンの丸い部分を上唇と下唇の間に差し込んでスプーンを上下に動かして無理矢理口の中に押し込んでいたが,被害者が弱々しいながらも抵抗していたので,スプーンが揺れて塩がこぼれたと思う。ベッドや床・口の周りに塩が多く散乱し,口の中に入った量よりもこぼれた量が多かったと思う。」旨供述し(当審弁17),

 

 このうち,「デザートスプーンの丸い部分を上唇と下唇の間に差し込んでスプーンを上下に動かした」とする点については,当審期日外尋問(平成27年3月20日)では「覚えていないし,検事に話をしたこともない」としながら,当審第6回公判期日(同年4月22日)の証人尋問では,スプーンで口をこじ開けたところを見た旨供述するなど,供述の変遷が甚だしい。塩を入れようとした際の体の位置や姿勢などについても,供述が大きく変遷している。

  

Ⅱ Wは,自らの記憶では,第1暴行の日を特定できず,Eのスケジュール帳の4月23日欄の記載により初めてその日を特定し得たものであるが,そのE自身,伊万里市役所や警察の事情聴取の際,スケジュール帳の4月23日欄の前記記載を見たはずなのに,当初は,これと第1暴行とを結びつけることができず,10月19日付け警察官調書中で,突然,これが第1暴行に関する記載だと言い始めたもので,その経過は不自然であり,上記記載はもともと第1暴行とは無関係なものであった可能性が高い。

  

(イ) 弁護人の主張に対する判断

  しかし,弁護人の上記主張はいずれも採用できない。

  すなわち,

  

Ⅰ Ⅰの点について

 Wの供述に,上記のような変遷があることは,弁護人の指摘のとおりであり,Wについては,捜査官に対する迎合的な供述傾向があることを否定できない。

 

  しかし,Wの原審公判供述は,スプーン2,3杯分の塩が実際に被害者の口に入ったと受け取れる部分を除くと,その中核的部分は,前記のとおり,関係者の供述等によって裏付けられるなどしているから,相応の信用性があるというべきである。

 

  

Ⅱ Ⅱの点について

 

 Wが,Eのスケジュール帳の4月23日欄の記載によって第1暴行の日を特定していること,Eのスケジュール帳の当該記載に関する供述が同人の10月19日付け警察官調書(原審弁書24)まで見当たらないことは,弁護人の指摘のとおりである。

 

  しかし,原審で弁護人が提出した,WやEらの警察官調書によると,

 

本件については,EやCがその前後の状況を直接体験した第2暴行,第3暴行について捜査が先行し,

 

第1暴行については,Wは,当初,その記憶だけでは犯行日を特定することができなかったことがうかがえるから,

 

第1暴行を裏付けるものとしてEのスケジュール帳の4月23日欄の記載に到達するまでに相当の日時が経過したことも不自然とはいえないし,

 

Wは,捜査段階から,「初めて被害者が塩で虐待を受けているのを目の当たりにしたときは,あまりのショックで,その出来事を一人で抱えることができなかったことから,その翌日に一緒に勤務をしたEに伝えた。」旨供述し(Wの警察官調書(原審弁書21)),

 

Eも前記のとおり,Wから話を聞いた日にスケジュール帳にそのことを記載した旨供述しているところ,その記載内容も,第1暴行のことを記載したものとして,何ら不自然なものではないから,Eのスケジュール帳の前記記載が第1暴行と無関係なものであるなどとは,考えられない。

  

 

エ 小括

 

  以上の次第で,Wの原審供述は,被告人が左手で被害者の顔をつかみ,塩を載せたスプーンを被害者の口に押し当て,中に差し入れようとしたという限度では,十分信用することができるのに,その部分を含め,その供述全体の信用性を否定した原判決の判断は,論理則・経験則に反する不合理なものといわざるを得ず,是認することはできない。

 

  そして,相応の信用性を有するWの原審公判供述その他の関係各証拠を総合すれば,被告人が,被害者の口に塩を実際に押し込んだことまでは認定できないけれども,後記罪となるべき事実第1記載のとおり,少なくとも,被告人が,塩を被害者の口の中に入れようとして,塩が載ったスプーンを被害者の口付近に押し当て,中に差し入れようとした事実は優に認めることができる。

  

 

(3) 第2暴行,第3暴行について

 

ア 第2暴行,第3暴行に関する関係者の供述

  第2暴行,第3暴行については,Aの職員が,前後の状況について供述している。その要旨は,以下のようなものである。

  

(ア) C(原審公判供述)(第2暴行,第3暴行について)

  

Ⅰ 第2暴行について

 「5月の終わり頃の午前9時30分前後,W,Gとともに,トイレかリビングの辺りにいると,被告人が,被害者がトイレで床を尿で汚したことを知り,台所から塩の容器とカレー用のスプーンぐらいの大きさのスプーンを持ってきて,「あなたたちはちょっと外しといて,見ないほうがいいから。」と言ってトイレに入った。すると,被害者が嫌がっているうめき声みたいな声がずっと聞こえた。被告人がトイレから出てきて,「被害者の口から血が出ている。血は触らないほうがいいから,手袋を着けて着替えさせたりしてください。」と言った。Wと一緒にトイレに入ると,被害者が,ぼう然としたような感じで,口が半開きで,口から血を流していた。出血箇所は分からないが,下唇,下顎に血が付いていた。血は服にも付いていた。下唇の辺りに塩が付いていた。被告人に口から血が出ていますと言うと,被告人は,「おいはそがんひどうしとらんけどねえ,被害者はすぐなんか,ちょっとの刺激で血が出るからね。」と言っていた。着替えを持ってきて服を脱がせると,塩が落ちた。床にも塩が落ちていた。家に帰って,市役所に電話をかけた。入居者の施設の経営者が,入居者がおしっこを床に漏らしたということで,塩を口に入れたという話をしたが,具体的な話はしなかった。具体的な施設の名前は言わなかった。翌日出勤して,FとEに前日の出来事の話をした。」

 

 Ⅱ 第3暴行について

 

「第2暴行の翌日も,被害者がトイレで床に尿を漏らした。また塩を入れると思って怖くなり離れようと思って浴室に行った。しばらくして,Fが入ってきて,「塩塩」と言っていた。雑巾を取りに来た様子だった。」

  

(イ) W(原審供述)(第2暴行について)

  「第1暴行を見た日よりも後の日の午前9時半から10時頃,C,Gとリビングにいると,被害者がトイレで尿を漏らしたことを切っ掛けに,被告人が,台所から塩を持ってきて,Wらに,「ちょっと見よかんで(見ないでの意)」と言ってトイレに入った。すると,被害者の「すいません」とか,苦しげな「あー」とかいう大きな声が聞こえた。被告人は,トイレから出てきて,「血が出ている。手袋をはめて掃除をしてほしい。ちょっとやりすぎた。」と言った。その指示に従い,Cと2人で掃除をした。トイレの中では,被害者の下唇から血が出て,塩が口の周りに全体的に付いていた。塩は洋服とトイレの床にも落ちていた。被害者はきつそうで,だらっとなっていた。」

  

(ウ) E(原審公判供述)(第2暴行,第3暴行について)

  「5月の後半頃,出勤してすぐ,Cから前日の話として「被告人が,「お前たち見るな。」と言って,塩を被害者の口に無理矢理入れた。怖くて見ることができず,ぱって見たら,もう血が流れていた。「うううー」という被害者のうなり声も聞いた。」ということを聞いた。

  その日,台所で朝食の後の洗い物をしていると,被告人がスプーンに塩を盛って,「このぐらいでいいかな。」と言って,にやにやしていたので,被害者をまた攻撃すると思い,「あんまりじゃないですか。」と言うと,被告人は,塩を半分くらいにして,「これぐらいにしとこうか。」と言って出て行った。その後,Fが「塩塩」と言って来て,口から血を流していたというのを聞いた。

  Gに,被告人が塩を口に入れた話をすると,「前日もやったとよ」と言われた。

  当日,スケジュール帳の5月29日欄に「CさんとG(C)に聞く」「29日はC(C)から朝から血まみれ(口から)だった。社長が塩を被害者さんにやっていたからと聞いた。」と,前日と当日の分をまとめて書いた。」

  

(エ) F(第2暴行,第3暴行について)

  

Ⅰ 第2暴行について(原審公判供述)

  「Cから,被告人が被害者にこんなことしたという話を聞いたことがある。「うーっ」という被害者のうなり声が聞こえたと言われた。」

  

Ⅱ 第3暴行について

 

(原審公判供述)

  「トイレで,被害者が口辺りから出血しているのを見たことが1回ある。そのときは,私が被害者をトイレに連れて行った。一旦トイレを離れて戻ってみると,上唇に血が付いていた。出血したばかりの血だった。血が出ていることを被告人に言うと,「拭いとってねえ」などと言われた記憶がある。被告人が血が出てる原因について何か言っていた記憶はない。」

 

  (11月16日付け検察官調書)

 

  「被害者は,上唇辺りから出血しており,口の下にも血が付いて,下に垂れていた。垂れた血が服にも付いていた。白い粉末が胸の辺りやズボンの太もも上辺りに付いており,床にも,主として被害者の右足周辺に白い粉末が散乱していた。被告人に,血が出ていると言った,被告人は,「ちょっとやりすぎたかな。唇の中切れとっとやろ。スプーンの上唇に当たったとやろ。」等と言ってきた。実際,被害者の上唇は少し切れていた。被告人から,「血ば拭いとってね。血液触ったらいかんけん。手袋ばしてから拭かんばよ。」などと言われた。」

  

 

イ 第2暴行,第3暴行に関する関係者の供述の評価

  

(ア) 第2暴行,第3暴行に関する関係者の供述の評価

  第2暴行,第3暴行に関するC,W,E,Fの供述は,基本的部分で相互に符合し,被告人に対してかねて反感を抱いていたことがうかがえるCらだけでなく,そのような事情の認められないFらも同様の供述をしている上,Eのスケジュール帳の記載(Eのスケジュール帳には同人の前記供述どおりの記載がある(捜査報告書(原審甲書10))。)や,EやCの関係機関への通報申告状況,同人らの退職状況等とも自然に整合している。関係証拠によると,EやCが,5月30日の伊万里市,その後の同市や警察官らに対する説明でもおおむね前同旨の説明をしていたことや,Fが,弁護人の事前の聴取においておおむね前同旨の説明をしていたことも認められる。こうした事情に照らすと,この点に関する,Cらの前記供述の信用性が高いことは明らかである。

  

(イ) 弁護人の主張について

 これに対して,弁護人は,当審弁論において,第2暴行に関するCの供述,第3暴行に関するFの供述は信用できないとして,次のような主張をしている。

  

Ⅰ 第2暴行に関するCの供述について

 Cの公判供述は,① 塩が被害者の口に入ったとき当然想定される被害者やCの対処行動に関する供述が欠けている,② 当日,被害者はベッドで尿を漏らしていると認められるのに,その点についての供述が欠けている,③ 当日の市役所への通報記録は,「本人がいた場所に血が落ちていた」というもので,被害者が口から出血していた,口の周りに塩が付いていた,床に塩や尿が落ちていたなどという記載がない,④ 虐待についての供述が日時の経過とともに拡張する方向に変遷しているなどの事情があるから信用できない。

  

Ⅱ 第3暴行に関するFの供述について

 Fの供述は,① 被害者がトイレで尿を漏らしたという内容が欠けている,② トイレでの虐待の状況を確認した者がいない,③ 事件の発生時刻が捜査段階と公判段階とで変遷している,④ 公判廷では第3暴行の事実を否定していることなどの事情があるから信用できない。

 

 

  しかし,弁護人の主張はいずれも採用できない。

  

 

Ⅲ 第2暴行に関するCの供述について

 

 まず,①の点については,被害者の抵抗等により,塩が口の中に入らなかったものともみられるから,特に不自然とはいえない。②の点については,被害者が朝起きたときにベッドに尿を漏らしていたとしても,被害者は前立腺肥大で頻尿の傾向もあったのだから,その後,更にトイレで尿を漏らすことも十分に考えられ,そうすると,ベッドで尿を漏らしていたことは,その後の第2暴行とは関係ないことになるから,その点についての供述が欠けている点も特に不自然とはいえない。③の点については,当日の市役所への通報記録の内容は弁護人の主張のとおりであるが,当該通報記録は簡潔なもので,Cの発言の全てが記録されているとは解されないし,その内容も,厳密にいえばCの原審公判供述と完全に一致しているわけではないが,被害者が出血していたという点では共通しており,問題とすべきほどの食い違いがあるとはいえない。④の点については,Cは当初から第2暴行,第3暴行の点を問題にしており,虐待についての供述が日時の経過とともに拡張する方向に変遷しているなどとはいえない。

 

 

Ⅳ 第3暴行に関するFの供述について

 まず,①の点については,朝,トイレ掃除は被告人がするというのだから(被告人の原審公判供述),当日,まず,被告人が,被害者がトイレで尿を漏らしたことに気付いたとしても不思議ではない。②の点については,当時,Aで勤務していたのは,F,E,Cの3名であるところ(勤務日程表(原審弁書2)),Fはトイレから離れており,Eは台所で洗い物をし,Cは浴室の掃除をしていたというのだから,虐待の事実を確認した者がいなくても不自然ではない。③の点については,事件から相当経過後のささいな時刻の変更に過ぎず,供述の信用性に影響するようなものとは考えられない。④の点については,Fは,原審供述当時もAの職員であったから,被告人の面前で被告人に不利な供述をすることが困難だったことによるものと考えられ,検察官調書中の供述のほうこそ信用できるというべきである。

 

  したがって,弁護人の主張はいずれも採用できない。

  

 

ウ 関係者の供述によって認められる第2暴行,第3暴行の前後の状況

  Cらの前記各供述によると,原判決同様に,第2暴行については,「被告人が,被害者がトイレで尿を漏らしたことを知り,塩の入った容器とスプーンを持って被害者がいるトイレに入ると,被害者の嫌がるような,苦しく叫ぶうめき声が継続的に発せられ,その後,被告人が,Cらに,「被害者が出血した,やりすぎた」などと述べて掃除を指示し,Cらがトイレに行くと,被害者が,下唇から垂れるように出血し,頬や口の周りに塩が付着し,洋服やトイレの床に塩が散乱していたことや,被告人が,Cに「おいはそがんひどうしとらんけどねえ,被害者はすぐなんか,ちょっとの刺激で血が出るからね」と述べた」等の事実が,第3暴行については,「被告人が,塩の載ったスプーンを持って台所から出て行った後,トイレで,被害者が,上唇辺りから出血し,口の下にも血が付いて下に垂れている状態でいて,塩が被害者の洋服の胸やズボンに付着し,床に散乱していたことや,その直後に,被告人が,Fに,「ちょっとやりすぎたかな,唇の中切れとっとやろ,スプーンの上唇に当たったとやろ」と述べた」等の事実を認めることができる。

  

エ 原判決の判断について

 原判決は,前記のとおり,上記のような間接事実を認めながら,① 被害者に対処行動が認められないから,相当量の塩が口の中に押し込まれたことを推認することはできない,② 被害者の身体等や現場に残された塩や被害者の傷,被害者のうめき声,被告人の発言等については,スプーンに載せた塩を被害者の口に入れようとした場合以外でも起こり得るなどとして,これだけでは第2暴行および第3暴行を推認するに十分ではないと判断している。

 

  しかしその判断は,不合理なものといわざるを得ない。

 

  すなわち,確かに,前認定の間接事実によっても,被害者の口の中に実際に塩が入ったのか,入ったとすればどのくらいの量が入ったのかは認定できないから,対処行動がないことを理由とする点はともかく,原判決が,相当量の塩が口の中に押し込まれたことを推認することができないとした点は,結論的に不合理とはいえない。

 

  しかし,前認定の事実によれば,第2暴行,第3暴行のいずれについても,被告人が,塩の容器とスプーンないし塩が載ったスプーンを持って,被害者がいるトイレに入った後,被害者のうめき声等が聞こえ,その後,被害者が口付近から出血し,口の周りに塩が付き,周囲にも塩が散乱していた上,被告人自身それが被告人の行為によるものであることを認める発言をしていたというのであるから,被告人が,塩とスプーンを利用して,被害者の口付近に出血を生じさせるような有形力を行使したことは明らかであり,塩とスプーンを利用した口付近への有形力の行使としては,塩を載せたスプーンを被害者の口に押し入れようとすること以外に想定できないから,上記事実から,被告人が,塩を被害者の口の中に入れようとして,塩が載ったスプーンを被害者の口付近に押し当て,中に差し入れようとしたことが容易に推認されるのであって,上記事実の全てを合理的に説明できる他の事実の現実的可能性など到底想定することができない。

 

  原判決の上記②の判断は甚だ不合理なものといわざるを得ない

 

  

オ 小括

  以上の次第で,関係者の供述によって認められる間接事実を総合しても,第2暴行,第3暴行のいずれについても,被告人が,① 被害者の口に塩を実際に押し込んだことはもとより,② 塩を被害者の口の中に入れようとして,塩が載ったスプーンを被害者の口付近に押し当て,中に差し入れようとした事実も認められないとした原判決の判断は,②の事実が認められないとした点において,論理則・経験則に反する不合理なものといわざるを得ず,是認することはできない。

  そして,上記間接事実を総合すると,第2暴行,第3暴行のいずれについても,被告人が,被害者の口に塩を実際に押し込んだことまでは認定できないけれども,後記罪となるべき事実第2,第3記載のとおり,少なくとも,被告人が,塩を被害者の口に入れようとして,塩が載ったスプーンを被害者の口付近に押し当て,中に差し入れようとした事実は優に認めることができる。

  

(4) 結論

  以上のとおり,原判決は,第1暴行については,証拠の評価を誤り,第2暴行,第3暴行では,間接事実からの推認判断を誤り,いずれも,公訴事実に内包された,被告人が,塩を被害者の口の中に入れようとして,塩が載ったスプーンを被害者の口付近に押し当て,中に差し入れようとした事実は認定できるのに,その点を含めて,公訴事実の全てが認定できないとしたのであるから,原判決には,判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるといわざるを得ない。

 

  論旨は理由がある。

 

 第5 破棄自判

 

  よって,刑訴法397条1項,382条により原判決を破棄し,同法400条ただし書により,被告事件について,当裁判所において更に次のとおり判決する。

 

 

 

 

 

 (罪となるべき事実)

 

  被告人は,

 

 第1 平成24年4月22日午後7時30分頃から同日午後8時頃までの間,佐賀県伊万里市□□□□□□□□□□所在の介護施設「A」において,同施設に入所中のV(当時91歳)に対し,塩をその口の中に入れようとして,塩が載ったスプーンを同人の口付近に押し当て,中に差し入れようとする暴行を加え,

 

第2 同年5月28日午前9時30分頃,同所において,同施設に入所中の同人に対し,塩をその口の中に入れようとして,塩が載ったスプーンを同人の口付近に押し当て,中に差し入れようとする暴行を加え,

 第3 同月29日午前9時頃,同所において,同施設に入所中の同人に対し,塩をその口の中に入れようとして,塩が載ったスプーンを同人の口付近に押し当て,中に差し入れようとする暴行を加えた

 ものである。

 

 

 

(証拠の標目)(括弧内の番号等は,原審の検察官の請求証拠番号)

  判示事実全部について

  原審公判調書中の原審証人F(原審第3回公判),同E(原審第4回公判),同C(同前)の各供述部分

   原審証人Wに対する原審受命裁判官の尋問調書

   Fの検察官に対する供述調書抄本(原審甲書12)

   検証調書(原審甲書1)

   捜査報告書(原審甲書10)

   捜査関係事項照会回答書抄本(2通,原審甲書5,19)

 

 

 (法令の適用)

  罰条        判示各所為につき いずれも刑法208条

  刑種の選択     判示各罪につき  いずれも懲役刑を選択

  併合罪の処理    刑法45条前段,47条本文,10条(犯情の最も重い判示第3の罪の刑に法定の加重)

  未決勾留日数の算入 刑法21条

  訴訟費用の処理   刑訴法181条1項本文(原審訴訟費用のみ負担)

 

 

(量刑の理由)

  本件は,介護施設を経営し自らも介護業務を担当していた被告人が,施設利用者で認知症等のため要介護4の状態にあった当時91歳の被害者に対し,平成24年4月から5月にかけて,前後3回にわたり,塩をその口に入れようとして,塩が載ったスプーンを同人の口付近に押し当て,中に差し入れようとする暴行を加えたという事案である。

 

  本件犯行は,その犯行態様に照らし,当時91歳と高齢の被害者に対して,相当の苦痛を与えたものと考えられる上,なにより,被告人は,介護施設経営者でありながら,その立場を利用し,被害者が頻尿傾向で尿を漏らすとして,生活全般を被告人らに依拠せざるを得ない無抵抗の被害者に対して本件各犯行に及んだのであって,誠に卑劣・悪質な犯行である。介護施設におけるこのような犯行に対しては,厳しく処断して再発防止を図る社会的要請も大きい。

 

  こうした事情に照らすと,被告人に対しては,一定期間の実刑を科すのが相当であり,いずれの犯行でも,実際に塩が被害者の口の中に押し入れられたとまでは認められないことなども考慮した上,被告人に対しては,主文の刑を科するのが相当と判断した。

 

  よって,主文のとおり判決する。

 

 (求刑 懲役2年)

 

 検察官山内峰臣 公判出席

   平成27年7月16日

     福岡高等裁判所第1刑事部

         裁判長裁判官  福崎伸一郎

            裁判官  向野 剛

            裁判官  三澤節史