特殊詐欺(3)

 

 

 

 

 

 

 松江地方裁判所判決/平成27年(わ)第51号、判決 平成28年1月20日、【掲載誌】  LLI/DB 判例秘書について検討します。

 

 

 

 

 

 

 

【判示事項】

 

 

 被告人は,被害者であるAに名義貸しに係るトラブルは生じておらず,それを解決するために示談金を支払う必要はないのに,これらがあるかのようにAを欺いて金銭を交付させた詐欺被告事件。裁判所は,指示役Bから正当な会社業務と言われたのみで具体的な仕事の内容を明示されなかった点,被告が作成した預り証や宿泊カードに指紋を残していった点,Bと報酬の約束がなされていなかった点など個別に間接事実の推認力を検討したうえで,詐欺罪の刑事責任を問うための故意及び共謀が,合理的な疑いを容れない程度に立証されたとはいえないとして,被告人に対し無罪の言渡しをした事例 

 

 

 

 

 

 

 

 

主   文

 

  被告人は無罪。

 

        

 

 

 

理   由

 

 

第1 公訴事実の内容

   

 本件公訴事実は,「被告人は,A(当時87歳)がBを名乗る人物に対する名義貸しに係るトラブル解決のため,現金を発送していたことに乗じ,前記Aから現金をだまし取ろうと考え,氏名不詳者らと共謀の上,真実は,名義貸しに係るトラブルは生じておらず,それを解決するために示談金を支払う必要はなく,示談金の返還を受けることもないのに,これらがあるかのように装い,平成27年4月13日,○○市○○町○○所在の前記A方にいた同人に対し,

 

 

電話で,氏名不詳者がC協同組合のDを名乗り,

 

 

『Aさんが送ってくれたお金がまだ届いていません。金融庁に回収されたかもしれません。このままでは,C協同組合は営業停止になり,C協同組合の職員は生活に困ることになります。そしたら,C協同組合は,Aさんを訴えることになるんですよ。裁判になったら,Aさんは何億円も賠償金を支払うことになりますよ。それだけではなく,警察からも捜査されて,捕まるかもしれない。とにかく,上司と今後のことを相談します。』,

 

 

『上司と相談しました。示談書を作って金融庁と示談することで手を打とうと思います。それにはお金が必要です。示談金としてBさんに250万円,Aさんに1550万円を負担してもらいます。ただ,このお金は後でお返しできます。』

 

 

などとうそを言った上,さらに,氏名不詳者が前記Dの上司を名乗り,

 

 

『すぐに,Dに前に払ってもらった100万円と1550万円は松江まで持って行かせますから。』

 

 

などとうそを言い,前記Dを名乗る氏名不詳者が,会社の後輩のEに現金を取りに行かせる旨のうそを言い,前記Aをして,示談金を支払えば名義貸しに係るトラブルが解決し,示談金も返還されるものと誤信させ,よって,同日午後8時54分頃,同市朝日町472番地2所在の西日本旅客鉄道株式会社米子支社松江駅南口において,前記C協同組合のEを装った被告人が,前記Aから1550万円の交付を受け,もって,人を欺いて財物を交付させたものである。」というものである。

 

 

 

 第2 争点及び当事者の主張

   

 本件において,被害者が公訴事実記載の欺罔行為によりだまされ,被告人が詐欺被害金の入った紙袋を被害者から受け取った事実については,証拠上争いなく認められるが,その際,被告人に詐欺の故意があったか,詐欺組織との共謀があったと評価できるかが争点となっている。

   

 検察官の主張の骨格は,

 

①被告人は,被害者から受け取った紙袋の中身が現金1550万円であると認識しており,

 

②受取行為自体や指示役であるFからの指示の不自然さからして,その現金が何らかの犯罪に関係するものであると考えて然るべきであり,

 

③近年,高齢者を狙ったいわゆる特殊詐欺が横行していることは,被告人も認識していたことなどからして,「何らかの犯罪」には詐欺の可能性も含まれ,これを払拭する事情は認められないから,被告人に詐欺の故意及び共謀があったと認められるというものである。

   

 

 これに対し,弁護人は,要旨,

 

(ア)被害者から受け取る荷物が詐欺の被害金であるとの未必の故意を推認させる事実は存在するものの,

 

(イ)Fからは,同人が立ち上げた仕事の関係で荷物を受け取って欲しいと言われていただけであり,

 

(ウ)動機も具体的な報酬約束もなく,初めてそれも唐突に受取行為に関与したことに加え,身元を隠そうとしていなかった点等を併せ考えると,荷物受取時点で詐欺の故意や共謀があったとまでは認められないと反論する。

 

 

 

第3 当裁判所の判断

  

1 本件の審理経過

    

 審理においては,

 

被害者の検察官調書(甲1),

 

被告人が被害者から荷物を受け取った前後の状況を録画した松江駅構内のカメラ映像(甲6),

 

被告人が記載して被害者に手渡した預り証の写し(甲3),

 

事件当日,荷物受取後,被告人が鳥取県米子市内のホテルに宿泊した際の宿泊カードの写し(甲8)等

 

の書証が取り調べられた上,

 

詳細な被告人質問がなされ,被告人が詐欺の故意及び共謀を認めていたことが窺われる捜査段階調書(乙3ないし5)は,

 

身上経歴等の調書(乙1,2)と共に撤回された。

 

 

 また,被告人の起訴後,Fが逮捕,起訴され,本件等事件について有罪判決がなされたが(公知の事実),本件審理においては,証人として請求はされなかった(第4回公判調書参照)。

  

 

2 関係証拠から認められる事実

    

 上記1で記載した審理の結果,取り調べられた書証並びに故意及び共謀の点を除く一連の事実経過に関する被告人質問の内容については,当事者間で争いがなく,それらの信用性を減殺するような証拠上の不自然さや相互矛盾も存在しなかった。

   

(1) 被告人は,受刑中にFと知り合い,平成26年7月に釈放された後も電話でやり取りしたり,被告人の住む○○県内で会ったりするなどしていた。同年12月頃,被告人は,Fから東京で会社を立ち上げたと聞かされ,その頃,会社で使用している「G」名義の携帯電話番号を登録するようにも言われた。

   

(2) 平成27年2月,被告人は,Fから東京へ仕事を手伝いに来て欲しいとの依頼を受け,これを了承して□□□の仕事を休んだが,結局,Fから来なくていい旨の連絡があった。その後,同年4月初旬頃,再度,Fから,東京での食事の誘いと仕事を手伝って欲しいとの依頼があり,被告人は,当初これを断ったが,交通費や□□□の仕事を休んだ分は補填するとの条件で応じた。その際,Fからは,人と会って欲しいからスーツを着て来るようにとの指示があった。

   

(3) 同月13日,被告人は,Fから交通費として1万2000円の振込を受け,東京へ向かった。午後1時半頃,東京駅改札口で落ち合うと,

 

 Fから,「申し訳ないが,会社の人間が急に行けなくなったので,島根の松江に行って人と会って,会社の書類と現金を預かってきて欲しい。」と依頼された。

 

 被告人は,遠方であるし日帰りを考えていたので断ったが,飲食代や宿泊費等を出すなどと懇願され,翌日の仕事も休めることが確認出来たので,結局応じた。

 

 その際被告人が,「荷物は送ってもらえばいいのではないか。」と尋ねると,Fは,「人とまた会ってもらわなくちゃいけないかもしれないので,取りに行かないとだめです。」と答え,具体的な仕事の内容は,被告人が乗車後に電話で説明する,今後は,G名義の携帯電話に電話するようになどと被告人に伝えた。

   

 

(4) 被告人は,Fから,松江までの切符,食事代1万円,宿泊代1万円,復路の交通費3万円及び経路が記載されたメモを渡され,新幹線に乗車した。

 

 移動中の車内でFと電話で連絡を取り合った際,1550万円を受け取った旨の預り証を書いて欲しいと依頼され,一旦は,

 

「何で俺が書かなくちゃいけないの。」と断ったが,

 

Fから,「受け取り済みのお金の預り証を渡しておらず書いてもらわないと困る。数日後に正式な預り証を渡すので,書いてもらった預り証は処分する。絶対迷惑はかけない。」などと言われ,結局応じた。

 

その際,被告人は,Fから,

 

「偽名でも何でもいいんで。」,

 

「Eでも何でもいいんで。」

 

とも言われ,受け取る現金の趣旨や1550万円も受け取るのかといった点を確認すると,

 

「そんな悪いことやってないから大丈夫だから。」,

 

「1550万円は前に預かったお金で,今日,取りに行くのは違うお金なんです。」

 

などとも言われた。被告人は,所携のメモ紙に,Fの指示どおり,

 

「平成27年4月13日 預り証 A様 金15,500,000円也 上記金額を預かった物とするC供同組合 E」と記載した(以下「本件預り証」という。)。

   

 

(5) 松江駅に到着後,被告人は,Fから電話で,

 

「白いカローラが止まっていませんか。」,

 

「その人から荷物預かってください。」,

 

「Dの代わりで来ましたって言ってください。」,

 

「預り証を渡してください。」,

 

「すぐ電車に乗ってもらうので,電話はこのままにしといてください。」,

 

「話はもう分かってるんで,余計なことはしゃべんなくていいですから。」

 

といった指示を受け,当時87歳であった被害者の車に近付いた。そして,被害者に対し,

 

「Aさんですか。Dの代わりで来ました。荷物預かるように言われてきたんですけど。これ受領証です。」

 

などと言い,本件預り証を手渡した。被害者は,Dを名乗る詐欺組織の男から後輩のEという男が現金を取りに行くとの連絡を受けていたところ,

 

「Dさんの使いの方ですか。これお願いします。」

 

などと言って,現金1550万円を入れて上部を隙間なくガムテープで留めた紙袋を被告人に手渡した。

   

 

 

(6) その後,被告人は,Fから,

 

「人と会うことはなくなった。米子に向かってください。」

 

などと言われて米子方面に向かう列車に乗り,車中で,受け取った紙袋について,現金だとしたらどの程度入っていそうか尋ねられ,

 

「1000万か1000万入ってないくらい。」

 

と答えた。また,被告人は,当日,米子市内のホテルに宿泊する際,

 

「H」と偽名を用いて予約を取り,宿泊カード(以下「本件宿泊カード」という。)の氏名欄にも「H」と偽名を記載したが,

 

住所欄には以前借りていた部屋の住所を記載し,

 

電話番号欄には自分の携帯電話番号を記載した。

 

翌14日,被告人は,東京駅でFと落ち合い,被害者から受け取った紙袋を手渡した。

 

Fの指示で,被告人がその紙袋を開封することはなかった。

 

Fからは,謝礼として10万円,被告人の娘に何か買ってあげて欲しいとの趣旨で2万円が手渡されたほか,○○県の自宅に戻るためのグリーン車の切符も手渡された。

   

 

(7) 捜査の結果,本件預り証と本件宿泊カードから,被告人の指紋が検出された。

  

 

 

 

 

 

3 検討

   

(1) 以上の事実関係によれば,被告人は,それなりに親しくしていたFから,当初,スーツを着て人と会う仕事とだけ聞いて上京し,上京直後の東京駅改札口で急に,Fが立ち上げた会社関係者の代わりに松江で書類と現金を受け取って欲しい,具体的な仕事の内容は車内で伝えると言われて,報酬の約束もないまま経費分の現金等のみ受け取ってすぐに松江に向かい,その後,仕事の内容としては,A宛ての本件預り証を偽名でもいいので記載し,松江駅近くでカローラに乗ったAから,Dの代わりに荷物を受け取り,本件預り証を渡すようにとの指示しかなされていない。Fの証人請求がなかったので真相は不明であるが,上記事実関係からは,詐欺組織に属するFが被告人に対し,依頼内容の詳細については明示しないまま,勿論詐欺であるなどとは言わずに,正当な会社業務であることを前提とした内容の指示や説明をして,いわばなし崩し的に被告人に依頼を承諾させていたと認められる。

   

(2) 検察官は,詐欺の故意及び共謀を推認する起点として,上記2(4)の本件預り証の記載内容,取り分け,作成日付が事件当日であることからして,被告人が被害者から受領した紙袋の中に1550万円の現金が入っていることを認識していたはずであると主張する。

 

 確かに,作成日付や被害者から1550万円が入った紙袋を受け取ったまさにその時点で,本件預り証を被害者に手交している点だけをみると,検察官の主張は合理的とも思える。

 

 しかしながら,証拠上,上記2(4)及び(6)のとおり,被告人自身,事件当日受領する荷物が1550万円なのかをFに確認し,1550万円は受け取り済みで,それとは別の現金であるとの説明を受け,紙袋受領後,Fとの間で,

 

 中身が全て現金であれば1000万円程度ではないかとのやり取りをしているし,本件預り証は,仮のものであって,後日正式なものを送付後に廃棄するとの説明を受け,偽名部分を除きFに言われるがまま記載したというのである。

 

 このようなFとのやり取りが存在したことを弾劾するような証拠はなく,上記3(1)で記載した本件の経緯やFの被告人に対する態度や姿勢に照らせば,むしろ自然で,納得のできるものである。そうすると,被告人が,被害者から受領した紙袋に現金1550万円が入っていると認識していたとまでは認められない。

   

 

(3)ア 次に,1550万円という具体的金額はともかくとして,被告人は,受領した紙袋に現金が入っていると認識していたこと自体は認めている上,相当な金額の経費を用いて現金の受け取りに向かい,高齢の女性から受け取り,偽名による本件預り証を作成して手交し,ホテルにも偽名で宿泊している。

 

この点,検察官は,Fの指示で受領する現金入りの荷物が,正当な取引に基づくものではなく,何らかの犯罪に関係するものと考えて然るべき状況が認められるとして,

 

①高額の現金を振込送金ではなく手渡しの方法で受領するのは不自然である,

 

②Fによる指示内容をみると,

 

(ア)被告人に依頼した仕事内容が「人と会う」というものから「会社の書類と現金を預かる」というものに変遷している,

 

(イ)連絡手段を普段使っている携帯電話から変えさせたのは不自然である,

 

(ウ)本件預り証について,偽名でもよいという指示内容や,そもそも高額の受領証なのに事前に準備されていないという点がおかしいと指摘し,スーツを着用させて詐欺行為を真っ当な事業と装わせようとしたものであることは明らかであると主張する。

    

 

イ そこで検討すると,本件を多額の経費をかけて高齢者から現金を受け取り,その際,偽名を用いながら装いはスーツで整えていたという外形的な側面で捉えると,被告人の詐欺の故意及び共謀を推認させることは,検察官指摘のとおりである。しかしながら,具体的な推認力については,上記2で記載した証拠上認められる事実関係に当てはめて検討しなければならない。

    

ウ まず,現金受取のために東京から松江まで泊り掛けで出向いた点をみると,被告人自身,上京直後,東京駅改札口でFから急な依頼を受けた際に,送付させればよいではないかと問い質しているが,荷物受取後,更に人と会う必要が生じる可能性があると言われて,松江まで受け取りに出向く必要があるのだと思ったというのである。

 

 上記2(2)のとおり,そもそも被告人は,Fから「人と会って欲しい」と言われて上京したのであり,書類と現金の受け取りだけであればわざわざ多額の経費を用いて出向くのは不自然で,送付させるのが合理的だが,更に人と会う可能性があるのならば出向いてもおかしくはないと考えることは,経験則等からみて不自然,不合理とまではいえない。

 

 そうすると,Fからの依頼内容が送金ではなく受け取りに出向く手段を選択したものであったという事実が,直ちに被告人に対し,正当な取引に基づくものではなく何らかの犯罪に関係するものであるという認識を生じさせ得るものとはいえない。

    

 

エ 次に,Fの指示内容についてみると,依頼内容が変遷した点について,被告人は,Fから,立ち上げた会社のDという男が,急に松江に行けなくなったので代わりをお願いしたいと依頼されたというのである。

 

 また,指定された連絡用の携帯電話については,Fから,以前,会社で使っているものであると言われていた。これらの内容は,一応の筋が通っている。そうすると,検察官が指摘する変遷や携帯電話の点が,直ちに被告人に対し,正当な取引に基づくものではないとの認識を生じさせ得るものとはいえない。

      

 

 他方で,本件預り証については,Fが作成を指示した経緯や記載内容自体に加え,取り分け,Fが偽名を用いても構わないと指示した点は,正当な取引であればかなり不自然なものというべきであって,実際,被告人も一旦は作成を嫌がって断り,かつ,受け取る現金の趣旨を確認している。

 

 しかし,上記2(4)の本件預り証に関するやり取りをみると,被告人は,「C供同組合」に所属していないのに本件預り証を作成することに嫌気を感じたが,Fから本件預り証が仮のもので,後日正式なものを送付した後廃棄する,迷惑はかけないなどと言われ,かつ,受け取る現金の趣旨についても,「悪いことはしていない。」などと説明されて,結局作成に応じたというのである

 

 そして,その際,Fは,上記3(1)で述べたとおり,被告人に対しあくまでも正当な取引を前提とした指示や説明をし,仕事内容の詳細を明示しない姿勢でいたと認められ,他方,被告人は,Fからなし崩し的に依頼や指示を承諾させられ,荷物を受け取って本件預り証を渡す相手が高齢の女性であることも知らされず,今回の仕事の報酬の約束もなされていない状況にあった。そうすると,Fからの不自然な指示に基づき本件預り証を偽名で作成した事実は,被告人に対し,Fの仕事振りがいい加減なものであるとの認識を生じさせたに止まるか,受け取る現金の趣旨について一旦は不安を生じさせたが,犯罪に関わるものではないと考えたからこそ作成に応じたという経緯を推認させるに止まるという見方も十分に可能であり,

 

 そもそも正当な取引に基づくものではないとの認識を生じさせなかった,あるいは何らかの犯罪に関係するものとの認識までは生じさせなかった合理的な疑いが残るというべきである。

 

 このことは,前科を有する被告人が,本件預り証及び本件宿泊カードに自身の指紋を残している上,同カードには,偽名は用いたものの携帯電話番号は当時使用中のものを記載していることにも裏付けられている。

    

 

オ さらに,検察官は,論告で明示的には主張していないものの,この種事犯における故意や共謀を推認させる間接事実として重要な荷物の受渡しの際の状況についても検討する。

 

この点,上記2(5)の事実からすると,被告人は,カローラに乗ったAに声を掛け,降車したAと対面して,初めて高齢の女性であることを認識したと認められる。

 

そして,電話を通じてのFの指示どおり,Aとの間で「Dの代わりである。」といった短いやり取りをして荷物を受け取ったが,そのやり取りの内容自体に詐欺を疑わせる中身は含まれておらず,

 

FがAと連絡を取り合い,Fが被告人に指示して,被告人が述べるところの「出資金か何か」を受け取ったと考えたとしても成り立ち得るものであった。

 

しかも,既にみたとおり,被告人は,前科があるにもかかわらず本件預り証に指紋を残し,荷物受取後,すぐに米子に向かい,ホテルにチェックインした際,

 

本件宿泊カードに偽名は用いたものの,携帯電話番号は自身が使用中のものを記載し,やはり指紋も残しているのである。

 

そうすると,高齢の女性から現金の入った荷物を受け取ったという事実が,直ちに被告人に対し,正当な取引に基づくものではなく何らかの犯罪に関係するものであるという認識を生じさせたとはいえない。

    

 

カ なお,既に記したとおり,調書としては撤回されたものの,被告人質問によると,捜査段階においては,詐欺の故意を有していたことを認める内容の調書が作成されていたことが認められる。

 

 しかしながら,被告人は,取調べに当たった警察官から,否認すると裁判官の心証が悪くなると言われたことや,結果的に詐欺に加担してしまったとの申し訳なさから,そのような調書の作成に応じてしまったと述べており,この弁解を否定する証拠もないことに加え,論告でも何等指摘がなされていなかったので,自白調書が作成されていた点は,故意及び共謀の存否に関する判断の素材とはしなかった。

   

 

(4) 以上,検察官の主張を中心として個別に間接事実の推認力を検討してきた。このような検討手法に対しては,間接事実の積み重ねによる推認力の高まりを無視しているのではないかとの指摘があり得るので,さらに,この点の検討を進める。

 

既に述べたとおり,

 

多額の経費をかけて高齢者から現金を受け取り,

 

その際,偽名を用いながら装いは整えていたという事実関係は,それだけをみれば,詐欺の故意及び共謀を推認させるものというべきである。

 

しかしながら,検討してきたとおり,

 

本件においては,各間接事実の持つ推認力を評価するに当たり,

 

それぞれ推認力を減殺する事実関係が存在し,

 

しかも,それらの事実関係は,

 

Fが被告人に対し,具体的な仕事の内容を明示せず,勿論詐欺とも告げず,正当な会社業務であることを前提とした指示や説明をし,なし崩し的に依頼を承諾させる姿勢でいたという本件の軸となる事実によって,一つの線となって納得のできるストーリーとして評価することが可能である。

 

証拠上,このような評価を否定する事情は見当たらず,むしろ,被告人の一連の行動,すなわち,急な遠方への出張依頼や所属していない団体名義での本件預り証の作成を結局のところ承諾し,荷物受取後,自身の身元を一部明らかにする形で宿泊した上,前科を有するにもかかわらず本件預り証や本件宿泊カードに指紋を残しているといった諸点は,被告人が正当な会社業務であるというFの指示や説明について,それを信じていたか,あるいは少なくとも犯罪であるとの疑いは抱いていなかったことと整合する。

 

 

検察官は,特殊詐欺の横行は公知の事実であり,被告人もその点の認識を有していたと認めているとも指摘するが,被告人がそれなりに親しくしており会社を立ち上げたと聞いていたFからの依頼である上,急な依頼であったという本件の経緯,上記のとおりのFの被告人に対する姿勢,荷物を受け取る相手方が高齢の女性であることは被害者に会って初めて認識したと認められることや,報酬の約束がなされていなかった点に加え,被告人が本件のような受取行為に関与するのは初めてのことであり,Fがこうした受取行為を常習としていたのかどうかについて認識を有していたとも認められないことからして,被告人が,Fの依頼による自身の行動について,被害者から荷物を受け取るまでの間に,何らかの犯罪である,まして詐欺罪に該当する行為であると未必的にでも認識していたとは証拠上認められず,弁護人が主張するとおり,事後,Fから思いがけず多額の報酬等を受け取った時点や,あるいは逮捕された時点で,初めて詐欺であったとの認識を有するに至った合理的な疑いが残ると判断した。

  

 

4 結論

 

    特殊詐欺を撲滅する社会的要請が極めて高いことは検察官指摘のとおりであり,本件の共犯者であるFについては,既に述べたとおり,本件も含む罪で重い判決が下されているが(控訴中,公知の事実),被告人については,民事責任はともかく,詐欺罪の刑事責任を問うための故意及び共謀が,合理的な疑いを容れない程度に立証されたとはいえないので,刑訴法336条により,被告人に対し無罪の言渡しをするものである。

 (求刑 懲役4年6月)

 

   平成28年1月20日

 

     松江地方裁判所刑事部

         裁判長裁判官  大野 洋

            裁判官  園部伸之

            裁判官  小島 務