税理士補助者に対する所長の退職勧奨

 

 

 

 

 東京地方裁判所判決/平成26年(ワ)第26275号、判決 平成27年12月22日、LLI/DB 判例秘書について検討します。

 

 

 

 

【判示事項】

 

 

 税理士試験に合格して被告経営の税理士事務所に勤務する原告が,被告による退職合意の成立を理由とする労務提供の拒否について,被告に対し,労働契約上の権利を有する地位の確認及び賃金の支払並びに違法な勧奨退職による損害賠償の支払を求める事案において,原告による確定的な退職の意思表示がなかったとして退職合意の成立を否定して上記地位確認及び賃金支払請求を認容し,違法な勧奨退職による不法行為の成立を認めずに上記損害賠償請求を棄却した事例 

 

 

 

 

 

 

 

 

主   文

 

  

1 原告が被告に対し,労働契約上の権利を有する地位にあることを確認する。

  

2 被告は原告に対し,平成26年3月10日から本判決確定の日まで,毎月10日限り月額16万円の割合による金員及びこれらに対するそれぞれ支払期日の翌日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

  

3 原告のその余の請求を棄却する。

  

4 訴訟費用は,これを6分し,その1を原告の,その余を被告の負担とする。

  

5 この判決は,第2項に限り仮に執行することができる。

 

        

 

 

事実及び理由

 

 

第1 請求

  

1 主文第1項同旨

  

2 主文第2項同旨

  

3 被告は原告に対し,56万2353円及びこれに対する平成25年12月27日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 

 

 

 

第2 事案の概要

  

1 本件は,税理士事務所を営む被告に税理士業務の補助として雇用されていた原告が,被告から既に合意退職していることを理由に労務提供を拒否されているとして労働契約上の権利を有する地位の確認,平成26年2月分以降の賃金として同年3月から毎月10日限り月額16万円及びこれらに対する各支払期日の翌日から支払済みまでの民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払,並びに違法な退職強要による不法行為に基づく損害賠償金56万2353円及びこれに対する不法行為日以降である平成25年12月27日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求めている事案である。

  

2 前提となる事実(認定証拠等は括弧内に掲記した。)

   

(1) 当事者等

    

ア 原告は,税理士試験に合格し,税理士事務所で実務経験を積んでいる者である(弁論の全趣旨)。

    

イ 被告は,Y1税理士事務所の名称で登録して税理士業務を行っている税理士である(争いがない)。

   

 

(2) 労働契約の締結

     

 原告は,平成24年6月頃,被告との間で下記の条件で労働契約を締結した(以下「本件労働契約」という。)(争いがない)。

 

          記

      業務内容 被告の税理士業務の補助

      契約期間 期間の定めはない

     賃金   月額16万円

      支払方法 毎月末日締め翌月10日払い

  

(3) 原告は,平成25年12月27日,被告から平成26年1月末日までの自宅待機を命じられ,同月以降,被告に対して何度か労務の提供を申し出たが,被告からは,平成25年12月4日の退職合意の存在を理由に労務の提供を拒絶されている(甲12,13ないし18(いずれも枝番省略),19ないし21,弁論の全趣旨)。

   

(4) 被告は原告に対して平成26年1月分の給与は支払済みである(甲27)。

  

 

3 争点及び当事者の主張

   

(1) 退職合意の成否

    

(被告の主張)

     

 原告は,平成25年12月4日,被告事務所において,被告に対し,翌年1月末日の退職を申し出て,被告はこれを承諾したため,退職の合意が成立した(以下「本件退職合意」という。)。その経緯は以下のとおりである。

     

 原告は,情緒面での不安定さがあり,日頃から他の事務員との間でコミュニケーションがとれない,協調性がない,嫌がらせをするなどの問題行動や対応があり,他の事務員との間で軋轢が生じていた。

 

 そうした中,平成25年12月3日,被告が外出先において顧客に対する情報提供のため事務所に業務上の電話をかけ問い合わせをした際,本来なら迅速に対応すべきところ,原告は5分以上も電話を保留状態にしたため,顧客に迷惑をかける事態となった。

 

 そこで,被告は,翌4日,前日の問題行動のほか,日頃の問題行動も含めて本人に自覚を促し勤務態度を改めさせるため,原告を事務所内の応接スペースに呼び,注意を促した。その際,今後の事務所内の人間関係を壊さないように配慮するため,他の事務員との軋轢は説明せず,被告との認識や考え方の違いを中心に説明した。

 

 ところが,原告は,自身の勤務態度を反省しないばかりか,他の事務員を誹謗中傷したため,被告としてはより強く勤務態度の是正を求めざるを得ず,原告とは根本的な考え方が違う,認識の差を埋めることは難しい旨を伝えた。

 

 これに対して原告から翌年1月末まで様子を見て欲しい旨言われたが,これまでの経緯からすると1月末まで待っても評価が変わることは難しいであろうと伝えたところ,原告から翌年1月末日で退職する旨を申し出られた。

 

 被告は,確定申告の繁忙期を前に退職されることに躊躇を覚えたが,反省を促しても理解を示さない原告の態度に鑑みると他の事務員との軋轢を解消するのはもはや難しいと判断し,原告の退職の申し出を承諾し,これにより本件退職合意が成立した。

 

 その後,原告は,同日の内に,自分から他の事務員であるA,B,Cに来年1月末日で退職する旨を伝えた。また,同日,原告は,帰宅後,被告宛てに「退職理由がAさんではないのでご心配いただかないようお話しして参りました。」という退職を前提としたメールを送信した。

 

 そして,翌5日,原告は,特に変わった様子もなく平穏に職務を遂行していた。ところが,翌6日の夕方,原告は,退勤する間際,突然事務所出入り口付近に被告を呼び出し,退職の意思表示などしていないと言い出した。

 

 被告が本件退職合意の撤回に応じないでいると,撤回しない理由を詰問するに至った。そこで,翌週の月曜日である同月9日,

 

 被告は,AとBの立ち会いの上,原告と話し合いの機会を設け,被告から,過去の出来事を示しながら原告のコミュニケーション能力不足,協調性不足,他の事務員に迷惑をかけている実情等を説明し,原告の問題点を指摘しながら,本件退職合意を撤回できない理由を丁寧に説明したが,

 

 原告は,自らの問題点を見つめ直すどころか被告に対して詰問を繰り返すだけであった。話し合いの終了後,被告が自宅待機を求めると,原告は,1月末まで様子を見て欲しいと言ったのだから退職はしないと繰り返し述べ,被告事務所から退室しなかった。被告としては,かかる原告の態度からすると,同人をそのまま被告事務所で執務させると他の事務員に支障があると考えたため,その後も退職予定日まで自宅待機を継続させざるを得なかった。

    

 

 

 

(原告の主張)

     

 原告は,被告に対して退職の申し出をしておらず,本件退職合意は成立していない。その理由は以下のとおりである。

     

 原告は,被告事務所に入所した当初はパート労働者として税理士業務の補助に従事していたところ,その勤務態度や勤務成績が優秀であるため,

 

 平成24年6月初旬頃,被告事務所に正社員として採用され,

 

 同年7月1日以降,被告とは良好な関係を築きながら正社員として被告事務所で稼動していた。

 

 平成25年12月3日,原告が被告事務所で事務員のAにウォーターサーバーの取替方法を教示していた際,顧問先に訪問中の被告から電話があり,原告がこれに対応したが,対応するまでの保留時間が長くなったことで被告から注意を受けた。

 

 すると,翌4日午前9時半頃,原告が出勤した際,突然被告から応接スペースに呼び出され,上記電話の保留時間の件で責められるとともに,原告の性格についても責められ,直ぐにでも辞めて欲しい旨言われた。

 

 原告から仕事に何か問題があるのか質問したところ,被告からは特段仕事上の問題点は指摘されず,専ら原告の性格や人間関係について指摘され,取り付く島もない状態であった。

 

 原告は,最終的にはとにかく改善するよう努力するから様子を見てもらいたい,それからまた話し合いをしたい旨お願いし,確定申告業務はやりたいのでそれまで様子を見て欲しいと伝えたが,被告から「確定申告はやらせない。」と断言された。

 

 原告は,翌年の2月末までの3か月間は様子を見て欲しいと伝えたが,被告から「ダメ。そんなに待てない」と言われたため,それでは翌年1月末まで様子を見て欲しいと伝えたところ,被告は「1月末ね」と言いながら立ち上がり応接スペースを出て,その日の会話は終了した。

 

 したがって,原告は,

 

 平成25年12月4日,改善するよう努力するので平成26年1月末まで様子を見て欲しいと言い,被告の退職勧奨に対してはこれを拒絶する意思表示をしたものである。

 

 その後,原告は,同月6日,同月9日の被告との会話でも一貫して退職の合意をしていない旨明確に述べ続けている。

     

 

 そもそも同月4日の状況は,原告は,前日まで退職について何ら話しが出ていない中で突然退職勧奨を受けているところ,納得できるような理由を示されないまま,その場で退職という重大な決断を下すことは通常では不可能である。また,当時原告は,個人の顧客,法人の顧客など,多くの顧客を担当し,やりがいを持って税理士業務の補助を担当し,翌年3月の確定申告に向けて準備作業を本格化させていたのであり,この状況下でこれらの業務を投げ出すはずがない。

 

 また,当時原告は,別の就職先の当てはない上,徒歩10分で通勤できる被告事務所には魅力を感じており,これより良い就職先など考えられない状況にもあり,この点でも原告が被告を退職することはあり得ない。さらに,本件退職合意があったとされるその日のうちに,原告は被告に送信したメールの中で,「頑張りますのでよろしくお願いいたします。」と伝えている点からしても当時退職の意思がなかったことがうかがわれる。

     

 

 確かに,原告は,平成25年12月4日の退職強要の後,午後から出勤したAとBに対し,今までの人間関係を謝罪するなどした上,翌年1月末日で辞めることになると思うと伝えている。

 

 しかし,これは,午前中に出勤のCから,あんな内容で辞めるのはおかしい,原告がいないと仕事が回らない旨言い,原告を慰めてくれたため,AやBにも状況を理解してもらい,Cと同様の発言をしてもらえれば,原告には人間関係の不和があるとの被告の誤解が解けると考えたため,両名にかかる伝え方をしたものであり,本件退職合意をした結果を伝えているのではない。

   

 

 

 

 

(2) 被告の違法な退職勧奨による不法行為の成否

   

(原告の主張)

    

ア 被告は,平成25年12月4日,原告に対し,

 

「最初から難しい人だと思っていた。」,

 

「根本的な考え方が違う。」,

 

「性格が合わない。」,

 

「みんながあなたに気をつかっている。」,

 

「あなたは苦なのよ。」,

 

「私にはあなたは無理。」

 

 など,原告の性格,人格を一般的抽象的に攻撃するような形で誹謗中傷発言をなし,退職強要を行った。

    

イ 被告は,平成25年12月5日,原告担当の顧客が被告事務所を訪れた際,原告に何の説明もしないまま原告から関係書類を持ち去り自分で顧客に対応した。

 

 原告は,翌年1月末までは様子をみてくれるものと理解していたため,顧客が去った後,被告に確認すると,「これ以上話し合う気はない。」,「どうして私の気持ちが分からないのか。私がダメになったら事務所がダメになるんだ。」と言われた。

    

ウ 被告は,平成25年12月6日,原告が出勤するなりその所持する事務所の鍵を回収した上,原告の使用するパソコンの会計ソフトやインターネットを切断し,メールやファックスを見ないよう指示するなど,原告から業務を剥奪し,退職強要を行った。

    

エ 平成25年12月6日の勤務時間終了後,

 

 原告が退職はしない,退職届は出せないと伝えたところ,

 

 被告は,原告の税理士登録に必要な在職証明書に自らの判子を押印できないとして脅迫し,同月9日にも,在籍期間は書くが必要な印鑑証明は出さないと脅迫し,退職強要を行った。

    

 

オ 平成25年12月6日,原告が帰宅直前に被告事務所内で話し合いをしていた際,被告は,突然席から立ち上がり,原告を室外に追い出すためにその身体に1回どんと突いた上,力ずくで押しやるという不法な有形力を行使し,これにより全治約10日間の右胸部打傷を負わせ,退職強要を行った。

    

 

カ 以上のとおり,被告の原告に対する退職勧奨は,様々な形で執拗かつ陰湿に1か月近くも続けられたものであり,社会的相当性を逸脱した違法なものであり,不法行為が成立する。

   

 

 

 

 

(被告の主張)

    

 

ア 被告は,平成25年12月4日,原告に対して退職勧奨をしていない。そもそも被告は,翌年2月以降の確定申告という繁忙期が控えているため,原告の勤務態度を改めさせ,事務所内の人間関係を改善してその繁忙期を乗り越えようとしていたのであり,原告との面談に際して退職勧奨は意図していなかった。

 

 被告は,事務所内の人間関係を壊さないよう配慮するため,原告との面談に際して他の職員からの苦情は告知せず,被告との認識や考え方の違いを述べながら反省を促したのであり,原告主張にかかる誹謗中傷発言はしていない。

    

 

イ 被告は,平成25年12月5日,原告担当の顧客が訪れた際,自分で対応したのは事実であるが,原告から業務を剥奪する意図ではない。被告事務所では,事務員が顧客との会議に出席するのは被告が不在の場合のみであり,通常は被告のみで対応している。また,当日の原告の態度は,何ら問題があるような様子ではなかった。

    

ウ 被告は,原告が平成25年12月6日の夕方以降,常軌を逸するような発言を繰り返し,被告に対して敵意を明らかにしたため,顧客に迷惑がかかる事態も想定した。そこで,原告が休日事務所に入り顧客情報を持ち出したりしないよう事務所の鍵を回収し,原告が使用するパソコンの会計ソフトやインターネットを切断し,メールやファックスを見ないよう指示し,電話対応や来客対応もしないよう指示したものであり,原告に対する退職勧奨のためにこれらの措置をとったものではない。

    

エ 被告は,原告の主張にかかる脅迫をしていない。

 

 被告は,原告の税理士登録に必要な在職証明書の押印を拒否したのではなく,

 

 本来なら原告は以前勤務していた別の会計事務所と被告事務所の勤務期間を通算すれば税理士資格の取得に必要な期間を充足できるのに,

 

 あえて被告事務所の勤務期間だけでこれを充足させようとして合意退職の撤回を求めてきたため(なお平成26年6月末までの被告事務所の在職証明があれば被告事務所の在職期間だけで要件を充足する。)

 

 これには応じられない旨回答したものであり,原告の税理士登録を妨害し脅迫しようとして押印を拒否したものではない。

    

オ 被告は,原告の主張にかかる不法な有形力の行使はしていない。平成25年12月6日の夕方,原告は突然退職の申し出を翻し,被告に対して本件退職合意の撤回を要求した。被告が,これに応じないでいると,なおも執拗に本件退職合意の撤回を迫られ,こうした態度に精神的に耐えきれなかったため,原告の肩を押して室外に出て行くよう促したものであり,不法な有形力の行使には当たらない。

   

 

 

(3) 不法行為の損害額

    

 

(原告の主張)

     

 原告は,被告による本件暴行により右胸部打傷を負い,その通院治療費として5940円の支出を余儀なくされた。また,被告の違法な退職勧奨により体調を崩し,その通院治療費として合計5290円の支出を余儀なくされた。そして,原告は,被告の退職勧奨により名誉を傷つけられ,やりがいのある業務を奪われるなどしたため,精神的苦痛を受け,その慰謝料は50万円を下らない。また,弁護士費用として5万1123円が相当である。したがって,被告の不法行為による損害は合計56万2353円である。

    

(被告の主張)

     

 原告の主張は争う。

 

 

 

 

 

 

 

第3 当裁判所の判断

  

1 事実経過について

   

 前記前提となる事実及び括弧内の証拠によれば,以下の事実が認められる。

   

(1) 原告は,平成24年頃までD会計事務所に事務員として勤務していたが,同会計事務所は退職し,同年1月頃,求人広告を見て被告事務所に応募し,面接を受けた。そして,当初は被告の夫が代表取締役の有限会社Eのパート労働者として採用され,同年2月以降,就業場所を被告事務所として税理士業務の補助に従事していた。同年6月頃,被告から正社員採用の申出があったためこれを承諾し,同年7月1日以降は,被告の月給制の正社員として被告事務所で上記業務を継続していた。(甲2ないし5,6の1ないし6,7,26,原告本人1頁・16頁,弁論の全趣旨)

   

(2) 原告は,被告事務所に事務員として勤務を開始して以降,他の事務員との間でコミニュニケーションや協調性の関係で軋轢を生ずるようになっていた。そうした中,平成25年12月3日,被告が顧問先に提供する情報を取得するため,顧問先から被告事務所に電話をかけたが,この電話に応対した原告が数分くらい保留状態にしたため,顧問先に迷惑をかける事態となった。(乙2の1・2,3,4,証人A3頁,原告本人18頁,被告本人1頁)

   

(3) 被告は,平成25年12月4日の午前中,前日の顧問先に迷惑をかけた件で反省を促すのはもちろん,他の事務員との関係でも軋轢を解消するためには原告の勤務態度を改めさせる必要があると考え,原告が出勤した際に被告事務所内で同人と面談した。

 

 もっとも,他の事務員との人間関係に配慮する必要があるため,周囲から出ているクレームは伝えないようにして,あくまで被告との認識や考え方の違いを理由に勤務態度を改めさせようと試みた。

 

 ところが,なぜ前日電話を長時間保留にしたのか質問すると,原告は,事務員のAが悪い旨回答し,自らの対応の問題点を修正しようとしなかった。

 

 そこで,被告は,事務所内部の雑務云々よりも顧客対応の方が重要であることを気付かせる目的で,

 

「根本的な考え方が違う。」と指摘した。

 

すると,原告から「1月末まで様子を見て欲しい。」と言われたため,被告は,反省してくれたものと思い,再度電話を保留にした理由を質問した。

 

しかし,原告からは再度,Aが悪い旨回答されたため,被告は,原告の反省に疑問を持ち,「今のままでは1月末まで待っても無理だと思うよ。」と伝えた。

 

すると,原告は,「それでは来年1月までで退職したいと思います。」と言い出した。

 

被告としては,確定申告の繁忙期が迫っているため躊躇を覚えたが,原告に自らの問題点を理解してもらえない以上,他の事務員との軋轢を解消するのも難しいと判断し,これを承諾することにした。(乙2の1・2,4,被告本人2頁ないし6頁・20頁,弁論の全趣旨)

   

 

(4) 原告は,同日午後から出勤したAに対し,翌年1月末で被告事務所を退職する旨伝えた上,

 

「辞めるのはAさんのせいではなく」,

 

「忙しくなるのに」,

 

「大変な時期に申し訳ない。」などと言い,さらに,同じく午後から出勤したBにも退職の挨拶をした。(甲26,乙3,証人A2・3頁,原告本人23頁)

   

 

(5) 原告は,同日夕方帰宅後の午後4時21分,被告に対し,「本日は大変申し訳ありませんでした」と題するメールを送信し,

 

その本文は,「お疲れ様です。本日は,お忙しい中お時間を割いていただきましてありがとうございました。午後,Aさんに深く謝罪して,また,退職理由がAさんではないのでご心配いただかないようお話しして参りました。Aさんは,優しくお応えして下さり,私の誤解だったと痛感致しました。この度は皆様にご迷惑をおかけして大変申し訳ありませんでした。お忙しい中すみませんでした。明日,またよろしくお願いいたします。」という内容である(甲9の1,原告本人31頁・32頁,弁論の全趣旨)。

     

 また,その約1時間後である午後5時29分,原告は被告に対し,再度「度々すみません」と題するメールを送信し,その本文は,「お疲れ様です。度々すみません。先ほど書き忘れてしまいましたが,CさんとBさんにも謝らせていただきました。ただ,みなさんには,1月末まで様子をみていただいてそれからということまでお伝えしておりません。頑張りますのでよろしくお願いいたします。」という内容である(甲9の2,26)。

   

(6) 原告は,翌5日も被告事務所に出勤し,勤務時間中に原告担当の顧問先が被告事務所を来訪したが,被告が1人でこれに対応した。同日の原告の様子は特段変わった様子はなく,Aをランチに誘うなどしていた。(乙3,証人A5頁,被告本人8頁,弁論の全趣旨)。

   

(7) 原告は,翌6日も被告事務所に出勤し,勤務時間中は特段変わった様子は見られなかった。ところが,原告は,退勤しようとする際,

 

 突然、被告に対し,税理士登録をするのに必要な在職証明書について登録に必要な在籍期間を被告事務所だけで取ることを希望した。

 

 これに対して被告は,前職のD会計事務所と被告事務所で通算すれば足りるのであり,被告事務所の在籍期間だけでは期間が足りないため,前職の会計事務所との通算を勧め,被告事務所ではその実際の在籍期間の範囲でしか書類に押印できない旨回答した。

 

 そうした会話の中,原告は,退職しないと言い出し,これに対して被告が,信頼関係が崩れているため雇うことはできない旨回答し,そのうち被告が原告に帰宅するよう促したが,原告はなかなか引き下がらず,しばらく押し問答が続いた。(甲10の1・2,乙4,証人A5頁・6頁,被告本人9頁,弁論の全趣旨)

   

 

(8) 被告は,平成25年12月6日の会話の状況からすると再度話し合った方が良いと考え,翌週の月曜日である同月9日,AとBも立会いの上,被告事務所内で原告と面談した。その際,被告は,具体的な過去の出来事を挙げながら原告のコミュニケーション能力不足,被告が退職の合意の撤回に応じない理由として協調性がないことや他の事務員に迷惑をかけていることを説明した。しかし,原告の理解は得られず,むしろ被告に対して詰問を繰り返し,このまま執務を続けた場合に被告事務所の業務に支障があると考え,被告は,翌日以降の自宅待機を命じるに至った。(甲26,乙2の1・2,被告本人11頁,弁論の全趣旨)

   

(9) 被告は,平成25年12月11日,原告に対して翌12日からの出勤を命じた。もっとも,被告は,同月6日以降の原告の状況からすると,原告が顧客情報を持ち出すなど顧客に迷惑がかかる事態にも不安を感じていたため,遅くとも同月9日以降には,原告から被告事務所の鍵を回収した上,原告が使用するパソコンの会計ソフトやインターネットを切断し,また,メールやファックスを見ないよう,電話対応や来客対応もしないよう指示した。(甲26,被告本人11頁・16頁・17頁,弁論の全趣旨)

   

(10) 被告は,平成25年12月27日,原告に対して平成26年1月末日までの自宅待機を命じ,以降,原告は自宅待機を継続している(前記前提となる事実)。

  

 

2 退職合意の成否

    

 被告は,平成25年12月4日に本件退職合意が成立した旨主張しているところ,確かに,原告は,同日の午前中に被告事務所において,被告との会話の中で,翌年1月末に退職する旨発言し,同じ日に同僚である他の事務員らにも同旨を口頭で伝え,帰宅後には被告に対して退職を前提にしたメールを送信し,同月5日,翌6日の勤務時間中は何事もなく推移し,同日の退勤間際に退職しない意思を表明し本件退職合意の存在を否認しているため,外形的には同月4日に本件退職合意が成立して同月6日に退職の申し出を撤回しようとしているようにも見える。

    

 しかし,本件で確定的な退職申し出の意思表示があるか否かを検討するに,

 

 平成25年12月4日当時,原告はこれまで被告から退職勧奨を受けたことはなく,退職に関して全く問題意識がないまま被告との面談を開始していること,面談中も原告自らが退職を発言するまで退職の話題は全く出ていないこと,当時は正社員として被告事務所に勤務していたものであり,簡単に退職を決意するような動機も見当たらないこと,その発言に至る経緯を見ると,

 

 同日,原告は出勤した際に被告から前日の電話保留時間の件や勤務態度の件で問題点を指摘され反省を求められ,これを素直に受け入れることができないでいる中で突如として退職の申し出を述べているのであり,熟慮の上で発言しているとは考えられず,むしろ自己の非を指摘されてその反発心から突発的になされた発言と理解するのが素直であること,

 

 発言後の経緯を見ても,同日午後,原告は他の事務員にも退職する旨を伝えているが,同時に,上記保留電話の件に関係するAに対して謝罪し,自分が退職するのはAが原因ではない,これから確定申告の時期で繁忙期なのに申し訳ないなど,他の事務員との関係を修復しようとする態度が強調され,

 

 また,同日帰宅後に被告に対してメールを送信しているところ,その内容は,被告に対し,時間を割いてもらい感謝する意思を丁重に表明した上,Aを含む他の事務員にも迷惑をかけたことを謝罪する内容であり,原告が被告から指摘された問題点を反省して今後は努力する旨をあえて強調している様子がうかがわれ,

 

 この状況からは,軽率に退職を発言したことを後悔しつつも自分からは退職申し出の撤回を言い出すことができず,周囲が自分を理解して退職を引き留めてくれるのを期待している心情も読み取れること,同日に退職する旨発言してから,翌5日は通常どおり勤務し,翌6日の夕刻に退職しない旨発言しているところ,その間に退職を前提とした手続が取られた形跡はないことに鑑みると,本件では,被告の発言をもって確定的な退職の意思表示があるとはいえず,本件退職合意の成立は認められない。

    

 

 以上から,本件合意退職が認められない以上,本件労働契約は存続しており,原告の請求のうち,労働契約上の権利を有する地位の確認,並びに,原告の労務提供の申し出に対し被告が就労を拒否しているため,民法536条2項により,被告は,平成26年2月分以降の賃金として同年3月から毎月10日限り月額16万円及びこれらに対する各支払期日の翌日から支払済みまでの民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払義務は免れない。

  

 

3 被告の退職勧奨による不法行為の成否

   

(1) 原告は,被告が前記3(2)原告の主張ア記載の誹謗中傷発言をして違法な退職勧奨をした旨主張し,その証拠として甲8のメモ書きを提出し,原告本人も同旨供述する。

 

 しかし,上記メモ書きは原告自身の作成によるものであり,その信用性には慎重な検討を要するところ,原告が供述するところの翌年1月末まで様子を見るという約束(原告本人32頁)は,原告にとって重要な約束であるにもかかわらず上記メモ書きには記載されていないこと,また,上記メモ書きの記載内容からは被告が原告をかなり厳しく誹謗中傷していることになるが,これを作成した直後に被告にメールを送信しているところ(甲26,原告本人5頁・31頁・32頁),その内容は前記(第3の1(5))のとおり原告が被告に対して感謝の気持ちとともに反省の意思を伝えているものであり,同じ時間帯に作成されたものとしては明らかに矛盾する内容であり,上記メモ書き及びそれと同旨の原告本人の供述はにわかに信用できない

 

(なお「根本的に考え方が違う」との発言の存在は認められるが,顧問先への対応よりも事務所内部の雑務を優先する態度を戒めた発言と理解する方が自然である。)。そして,他に原告主張の誹謗中傷発言を認定するに足りる証拠はなく,これによる違法な退職勧奨は認められない。

   

(2) 原告は,平成25年12月5日,被告が原告担当の顧問先に自ら対応し,原告から業務を剥奪するとともに,これ以上話し合う気はないなどの発言をして違法な退職勧奨をした旨主張し,原告本人も同旨供述する。しかし,前記認定のとおり,同日,原告と被告との間で退職の関係で揉め事が存在した形跡は認められず,むしろ顧問先が税理士事務所を訪れた際,税理士である被告がこれに自ら対応するのは理解できるところであり,原告本人の供述はにわかに信用できず,他に原告主張の退職勧奨を認定するに足りる証拠はない。

   

(3) 原告は,被告から被告事務所の鍵を回収された上,原告の使用するパソコンの会計ソフトやインターネットを切断し,メールやファックスを見ないよう指示されるなど,原告から業務を剥奪され,違法な退職勧奨をされた旨主張する。しかし,前記認定のとおり,平成25年12月6日の退勤間際に原告が退職しない旨を言い出して被告との間で紛争が生じている状況があり,しかも週明けの同月9日の面談でも話し合いが平行線のまま終了し原告に対して自宅待機を命じている状況からすると,当時の被告は原告を信用できない状態に至り,顧客情報の安全や顧客対応させることに不安を感じ,上記措置をとるに至ったものと推認され,これをもって違法な退職勧奨をなしたものと認めることはできない。

   

(4) 原告は,被告が税理士登録に必要な在職証明書に押印しないと述べるなど,脅迫する発言をして違法な退職勧奨をした旨主張する。しかし,前記認定のとおり,被告は,被告事務所での在職期間だけでは税理士登録に必要な期間に足りず,むしろ以前勤務していたD会計事務所での在職期間と通算することを勧めた上,被告事務所の在職期間だけで登録に必要な在職期間を満たした在職証明書の作成には協力できない旨を述べたものと理解され,脅迫したものとは認められない。

   

(5) 原告は,平成25年12月6日の退勤直前に被告事務所内で話し合いをしていた際,被告が突然席から立ち上がり,原告を室外に追い出すためにその身体に1回どんと突いた上,力ずくで押しやるという不法な有形力を行使し,これにより全治約10日間の右胸部打傷を負わせた旨主張する。

 

 しかし,当時の会話(甲10の1・2)を見ると,

 

原告の退勤間際に,在職証明書や退職の件で長時間押し問答が続いた上,

 

被告が「とりあえず,帰って下さい。帰って。」と言い,

 

これに続いて被告(ママ)が「押さないでください。パワハラじゃないですか。頼みます。力ずくで追い出さないでくださいよ。」と言い,

 

これに続いて被告が「もう,いいです。帰ってください。ほんとに帰ってくださいよ,頼みますよ。」と言っており,

 

 この状況からすると,被告は原告に退職勧奨する中でかかる行動に出たというよりも,その日は原告に早く退勤してもらいたいと思う中で,原告に対して言葉で懇請する際に付随する行為として多少身体に触れたものと推認され,

 

 それほど強い有形力の行使があつたものとは考えがたい。また,右胸部打傷の診断書(甲11)が提出されているが,上記会話(甲10の1・2)を見ても,押された際にそれほど痛がっている気配はない上,

 

 それどころかその後も原告と被告の会話が継続している状況であり,上記診断書記載のとおりの負傷をしているとはにわかに考えがたい。

 

 したがって,被告が原告の身体を多少押した程度の有形力を行使したとしても,違法といえる程度の有形力の行使があるとは認められない。

   

(6) 以上から,被告による違法な退職勧奨は認められず,原告が主張する不法行為は認められない。

  

4 よって,原告の請求は主文の限度で理由があるからこれを認容し,その余は理由がないからこれを棄却し,主文のとおり判決する。

 

 

     東京地方裁判所民事第36部

            裁判官  遠藤東路