法律行為における動機の錯誤

 

 

 

 

 

  最高裁判所第3小法廷判決/昭和35年(オ)第507号、判決 昭和37年12月25日、 訟務月報9巻1号38頁について検討します。

 

 

 

 

 

【判決要旨】 動機の錯誤が法律行為の無効を来たすためには、その動機が明示又は黙示に法律行為の内容とされていて、若し錯誤がなかったならば表意者はその意思表示をしなかったであろうと認められる場合でなければならない。 

 

 

 

 

 

 

 

 

主   文

 

  本件上告を棄却する。

  上告費用は上告人の負担とする。

 

        

 

 

理   由

 

  

 

 上告代理人小田久蔵、同椎原国隆の上告理由について。

  

 上告人(控訴人)は原審第一回口頭弁論期日において、新たに「本件土地売買についてはこれにより上告人に賦課されるべき譲渡所得税額を第一審で主張した程度に低額にされることの合意が上告人と被上告人国との間に存したのであり、若しその合意がなかつたとすれば右契約上の意思表示の要素に錯誤あるに帰し本件売買契約は無効である」旨主張したことは原判決事実摘示のとおりである。

 

 所論は審理不尽、理由の不備、齟齬をいうので按ずるに、右上告人の主張の趣旨が、

 

 所論の如く税額の減額化が本件契約の縁由ないし動機をなしその点に関し錯誤があつたから本件契約は無効であるというにあるとみられるとしても、

 

 およそ、動機の錯誤が法律行為の無効を来たすためには、その動機が明示又は黙示に法律行為の内容とされていて、若し錯誤がなかつたならば表意者はその意思表示をしなかつたであろうと認められる場合でなければならない。

 

 従つて動機が表示されても意思解釈上動機が法律行為の内容とされていないと認められる場合には、動機に存する錯誤は法律行為を無効ならしめるものではない。

 

 されば、「本件売買契約にはその縁由ないし動機について表意者たる上告人に要素の錯誤があつた」という右上告人の主張も、

 

 特段の事情のないかぎり、

 

 上告人が税金の減額を受けるという上告人主張の縁由ないし動機が本件売買契約の内容にまでされていたとの趣旨を含むものであると解することの方が上告人の主張に副いこれを意味あるものと解して活かす所以であるからこの点に関する上告人の主張についての原審の解釈判断は(上告人に不利益でもなく)相当である。

 

 そして原判決は上告人の右主張につき税金の減額化が動機であるか否かを判示しなかつたとしても、上告人の右主張に関して重要なのは本件売買契約においては右税金が上告人主張の程度に減額されないならば上告人は本件契約を締結しなかつたであろうというほどの関係において税金の減額化が契約の内容とされていたか否かの点であるから、

 

 原判決は直接この点について

 

 

 「譲渡所得税の賦課に関しては被上告人側において税務署と折衝して法律上可能な限り税額を低きに止めるように努力するとの旨の諒解事項があつたに過ぎない、右言明が上告人主張の如き本件売買契約の内容にまでなるというような強い効力を持つものであつたとの事実は証拠上認められない」との趣旨を判示したのである。

 

 

 換言すれば、右諒解事項の言明は上告人に対する譲渡所得税を税務署に対する被上告人側の折衝によりできるだけ上告人主張の程度に低額に決定徴收させる約束を含むことや、かような言明がなかつたならば上告人は本件売買契約を締結しなかつたであろうという如き関係において、右言明が本件売買契約の内容にまでされていたこと等については、これを認めるに足る証拠がないから、

 

 上告人の右主張は採用し難い、というのが原判示の趣旨とするところであると解される。

 

 してみれば、右原判示は上告人の主張を善解の上その主張に関する証拠を検討した結果右主張事実を認めるべき証拠はない旨判断したものであること明らかであり、原審の判断には所論の違法なく、論旨は理由がない。

  

 

 

 上告代理人江川庸二の上告理由第一点、第二点について。

  

 本件売買契約の内容とされていなかつた事項に関してはたとえ上告人主張の如き錯誤があつても法律上これを要素の錯誤として契約の無効を来たすものとはいえないことは上告代理人小田久蔵、同椎原国隆の前記上告理由について説示したとおりである。

 

 原判決はこれと同趣旨の見解に立つて、附加の上第一審判決の事実認定を是認引用して、判示税金の減額化は証拠上、第一審判決説示のとおり本件売買契約の内容にまでなつていたと認むべきでない、としたのであるから原審の右判断には何ら「売買契約の内容」の意義の誤解その他所論の違法はない。

  

 その余の論旨は原審の証拠の取捨判断、事実認定の非難に過ぎず、上告適法の理由とならない。

  

 同第三点について。

  

 所論は憲法三二条違反をいうが、実質は原審の証拠の取捨判断、事実認定の非難にほかならず、上告適法の理由とならない。

  

 よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

  

(裁判官 垂水克己 河村又介 石坂修一 五鬼上堅磐 横田正俊)

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 上告代理人小田久蔵、同椎原国隆の上告理由

 

 

第一点 原判決には審理不尽に基く理由の齟齬があるかないし理由不備がある。

   

 すなわち、原判決は原審第一回口頭弁論(昭和三十三年一月二十三日)における上告人(控訴人)の主張に基いたものと思われるが、事実の部において上告人の主張として「控訴人が被控訴人(被上告人)との間に本件売買契約を締結するに至つたのは本件売買による譲渡所得税の賦課について控訴人が第一審で主張したような合意があつたればこそである。従つて若しかかる合意がなかつたというのであれば法律行為の要素に錯誤あるに帰するので本件売買契約は無効である。」と摘示したうえ、この点につき判決理由の中で「右税額の減額化が本件売買契約の内容となつていたことを前提とする要素の錯誤の主張はこれを採用することはできない」と判示している。

   

 しかしながら、原審第一回口頭弁論における上告人の法律行為の要素の錯誤の主張の要旨は、同弁論調書の記載によつても明らかなように、

 

 本件土地売買につき、土地所有者である上告人との交渉、売買契約書原案の作成等事実上の事務処理について被上告人側を代行していた宮崎市土木課長日高重義において、土地売渡の結果売主となる上告人に対し賦課される譲渡所得税の減額(譲渡価格三十万円につき税額七千円程度)の件は当該税務署の諒解をとりつけあり右は必ず実現すると確言したので、上告人はこれを信用した結果本件土地を被上告人に売渡す契約を締結するに至つたのである。

 

 従つて右税額の減額化の件は、少くとも本件土地売買契約の極めて重要な縁由、動機となつていたものでこれが実現を条件として本件売買契約は締結されたものである。

 

 

 故に当初から右税額の減額化が実現不可能であるということが上告人に判明していたとすれば上告人は断じて被上告人との間に本件土地売買契約を締結しなかつたものである。

 

 

 言い換えれば上告人は本件土地売買に伴う譲渡所得税の賦課が一定額程度の僅少にて済むよう被上告人側において措置することを売買の条件として本件土地を宮崎地方検察庁敷地として被上告人国に売却譲渡することを承諾するに至つたものである(この事実は第一審における証人日高重義の証言、その他上告人が原審において援用した各証人の証言及び原審における上告人本人尋問の結果によつても極めて明瞭である。)。

 

 

 しかるに右税額の減額化は前記日高がこれを確言し、かつ上告人においてこれが実現するものと信用したにもかかわらず、結局実現不可能に陥つたものである以上、上告人は本件土地売買契約の縁由につき重大な錯誤があつたものというべく、この縁由、動機の錯誤は本件土地売買契約について要素の錯誤を来すものであるというに帰する。

   

 

 しかるに原判決はこの点につき上告人の右主張の本旨を十分審究することなく、軽卒にも上告人の法律行為の要素の錯誤の主張は右税額の減額化が本件土地売買契約自体の内容となつていたことを前提とする要素の錯誤の主張であると誤解し、単純に税額の減額化は本件土地売買契約の内容にまでなつていなかつたという理由のみにより上告人の要素の錯誤の主張を排斥している(第一審判決で税額の減額化が本件土地売買契約の内容となつていなかつたと判示しているのは本件土地売買契約自体の内容になつていなかつたという意味であることは明らかである。)。

 

 およそ法律行為の要素の錯誤の問題については、法律行為の内容自体についての錯誤の他、その法律行為をなすに至つた重要な動機の錯誤が法律行為の要素の錯誤となる場合のあることは大審院以来幾多の判例の示すところである。(明治四十三年十一月十七日大審院判決、大正八年十二月十六日大審院判決)

  

 

 原審が右の判例及び法理に思いを致すことなく、或る一定の事項が契約の動機ではあるが、それが契約自体の内容を為していないという理由のみによつて要素の問題として採りあげることができないと判示したことは明らかに審理不尽に基く理由不備ないし理由の齟齬を犯したものに他ならないと謂わざるをえない。

この点において原判決は破棄を免れないものと確信する次第である。 

 

以上

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 上告代理人江川庸二の上告理由

 

 

 第一点 理由不備又は理由齟齬の違法

  

 

 一、原判決は第一審判決の理由説示を援用して

   

 「しかし本件売買に伴う譲渡所得税の賦課に関しては被控訴人側において所轄税務署と接衝して法律上可能な限りその税額を低きに止めるよう努力するという趣旨の諒解事項が存しこそすれ、それがより強められて控訴人主張のような本件売買契約の内容にまでなつていたと認むべきでないことは原判決の説示するとおりであり」

   

 としているけれども第一審の判決を通じて「法律上可能な限りその税額を低きに止めるよう努力するという趣旨」の諒解にとどまつたとする証拠はどこにもない。即ちこの点に関して上告人の主張にそう証拠はあるがこれに反する主張は何処にも見当らないのである。

    

 原判決はたゞ日高重義の証言中

   

 「売買契約をするとき税金を安くするように努力するという話しはありましたが三十万円につき七千円位いにならない時には売買契約を破棄するという様な約束はありませんでした」とあるを採用したものと考えられるのである。然し右証言は同証言中の他の部分即ち

   

 

 「検察庁の事務局長から税務署と話合いは大体できたから買収をすゝめてくれと話しがありました」

    

 

 「同事務局長は税務署から三十万円について七千円位ならという意向だとの話しがありました」

    

 

 「被告のところえは税金については大体了解ができたからと話しをして売渡の承印を貰いました」

    

 

 「私は被告の方に対しては税金をまけてくれというのは法律が許されないので非課税を多くすることで話しがついたから売つてくれと話し猶又松永事務局長の話しにより税務署も税金は七千円位になるだろうという確信を持つたのでその見当の税金になるから売つてくれと話しました」

   

 

 とある部分にてらせばこれを単に「税金がやすくなるよう努力するという趣旨にとゞまつた」とみることはできないことは明白である。

 

 

 

 これは万人考うるところの事実の見方であると信ずるのである。そして以上は間接であるが荒川岩吉等の証言についてもいえるところである。

   

 

 「三十万円につき七千円位にならない時には売買契約は破棄するという様な約束はありませんでした」というがそれは相手方が検察庁であり、而も税務署との話合いがついたということであつたからそれを信じて破棄云々の事がでなかつたものである。

 

 

 話がついていない単に努力するということで契約が成立しなかつたであろうことは右証言の外いずれの証言よりみるも又税金のために買取りが難航したという事実、登記が何れも数年遅れた事実、売主が何れも約束が違うと抗議した事実、更に検察庁が税金分として上告人の他の売主に後日提供している事実等争いのない事情からみて十二分に認められるところである。

    

 

 原判決はこの重大な部分について何等具体的な理由を述べていない。証拠中どの部分をどの様に考えたか常識的に判断のつく場合は格別本件の如く何等上告人の主張と相反する様な証拠がないのに原判決の如く合理的に説明を与えないのは結局理由を附さない又は理由齟齬の違法あるものといわざるを得ないのである。

 

 

 

第二点 理由を附せず又は法令に違反すること

  

 原判決は前記引用の原判決の如く説示すると共に

 

 ……その他に右認定の妨げとなる証拠はないのでそうすると右税額の減額化が本件売買契約の内容となつていたことを前提とする要素の主張はこれを採用することができない

 

と判示する。

   

 

 然し売買契約内容とは何であろうか。結局法律行為要素の錯誤と関連した問題であるけれども法律行為の要素の錯誤とは「取引の安全を害しないという点に於て制限されるけれどもそれなかりせば法律行為が成立しないであろうことが何人をその立場においても首肯される場合」ということができ、(大正三年十二月十六日民録一一〇一頁等)

   

 そしてそれは「各個の法律行為につき意志表示の内容と取引上の通念によつて具体的に判断さるべきもの」(大正七年十月三日民録一八五二頁)でなければならない。

   

 本件契約の締結は売買価格と関連する税金の問題について難航した。そして相手方も仲介する宮崎市もその点の解決に全力をつくした。売主の条件もその一点に関心があつた。これが売買契約の内容に非ずして何であろうか。

   

 売買契約の内容とはそれが契約書自体に示されることを必要とするものではなく以上の如くそれなかりせばその契約は成立しないであろうと何人をその立場においても考えられる場合であり本件について税金のことが契約の内容であつた事は疑ないところである。

   

 

 原判決は「売買契約の内容」の意義を誤つた点において法令の違反があり又かゝる抽象的な意義についてはその見解を明らかにすべきところこれをしない点に於て理由不備の違法がある。

 

 

 

第三点 同じく理由を付せざる違法について、憲法第三十二条違反について

  

 原判決は証人岩瀬儀作、荒川久、田中伊右エ門の各誓及び控訴人(上告人)本人尋問の結果も原判決引用の証拠にてらして信用できない……という。

   

 然しながらその信用出来ない根拠は何等示されていない。

   

 これも以上述べたところと同様であるけれども右証人等の証言に相反する証拠なきにこれを措信しないの一言を以て排斥する理由を付せざる違法を冒すものである。

  

 「何人も裁判を受ける権利を奪われない」という憲法第三十二条の規定は常識人に於てその勝敗にかゝわらず首肯できる理由が一応示される事を要求するものである。

 

 然しながら第一点に述べた上告人と被上告人間の争いない事情に照しても右証人の証言を信用できない事実は何もないと上告人は尠くとも考える。被上告人がこの点について如何なる証拠を示したか、何もない。又その他にもどこにもない。

 

   民事訴訟法第三九五条第六号に判決に理由を付せざるを絶対的上告理由としたのは正に以上の点をいうものである。

   

 合理的な尠くとも一面の考え方によつて合理的と考えられる理由が判決には示されなければならない。

   

 民主主義の憲法は正にこれを強く要求しており法治国家である所以もそこにあると信ずる。 以上