裁判官個人に対する損害賠償請求訴訟

 

 

 

 

 東京高等裁判所判決/平成15年(ネ)第4565号、判決 平成16年2月25日、 判例時報1856号99頁について検討します。

 

 

 

 

【判示事項】 裁判官個人に対する損害賠償請求訴訟における裁判官提出の答弁書の「因縁をつけて金をせびる」旨の記載について、措辞として甚だ適切を欠くが、訴訟行為として相当性を欠くと断定し難いとし、名誉毀損の成立が認められなかった事例 

 

 

 

 

 

 

 

主   文

 

  一 原判決中、被控訴人甲野の敗訴部分を取り消す。

  二 控訴人らの被控訴人甲野に対する請求をいずれも棄却する。

  三 控訴人らの本件各控訴をいずれも棄却する。

  四 訴訟費用は、第一、二審とも、控訴人らの負担とする。

 

        

 

 

事実及び理由

 

 第一 控訴の趣旨

  

 

一 控訴人赤石及び控訴人池末

  

(1) 原判決を次のとおり変更する。

  

(2) 被控訴人甲野及び被控訴人国は、控訴人赤石に対し、連帯して一〇〇万円及び内金五〇万円に対する平成一四年一月二四日から、内金五〇万円に対する平成一四年三月八日からいずれも支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

  

(3) 被控訴人甲野及び被控訴人国は、控訴人池末に対し、連帯して一〇〇万円及び内金五〇万円に対する平成一四年一月二四日から、内金五〇万円に対する平成一四年三月八日からいずれも支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

  

(4) 訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人甲野及び被控訴人国の負担とする。

  

(5) 仮執行宣言

  

 

二 被控訴人甲野

  

(1) 原判決中、被控訴人甲野の敗訴部分及び裁判官の職権の行使に係る部分を取り消す。

  

(2) 控訴人赤石及び控訴人池末の被控訴人甲野に対する訴えのうち、裁判官の職権の行使に係る部分を却下する。

  

(3) 控訴人赤石及び控訴人池末の被控訴人甲野に対する請求のうち、被控訴人甲野の敗訴部分を棄却する。

  

(4) 訴訟費用は、第一、二審とも控訴人赤石及び控訴人池末の負担とする。

 

 

 

第二 事案の概要等

  

 

一 本件事案の概要は、次のとおりである。

  (1) 控訴人赤石が群馬県ほか一名を相手方として提起した損害賠償請求事件(前橋地方裁判所高崎支部平成八年(ワ)第八二号、同第二〇七号。以下「別件訴訟」という。なお、控訴人池末が控訴人赤石の訴訟代理人の一人になっていた。)において、同訴訟の裁判長である被控訴人甲野が行った違法な期日指定、期日変更申立ての却下、口頭弁論の終結及び判決の言渡しによって、控訴人らが精神的苦痛を被ったして、また、

 

(2)控訴人らが上記精神的苦痛に対する慰謝を求めて被控訴人らを相手方として提起した本件訴訟において、原審第一回口頭弁論期日で陳述が擬制された被控訴人甲野の答弁書(原判決別紙答弁書)における主張の内容が控訴人らの名誉を毀損したとして、控訴人らが、被控訴人甲野に対しては民法七〇九条の不法行為による損害賠償請求権に基づき、被控訴人国に対しては国家賠償法一条一項による損害賠償請求権に基づき、連帯して、控訴人らそれぞれにつき、

 

(1)による慰謝料五〇万円、

 

(2)による慰謝料五〇万円の合計一〇〇万円及び内金五〇万円に対する不法行為後の平成一四年一月二四日(訴状送達の日)から、内金五〇万円に対する不法行為の日(上記答弁書が陳述擬制された日)である同年三月八日から、それぞれ支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。

 

 

 原審は、別件訴訟における被控訴人甲野の一連の行為について、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があるとは認められないとしたが、本件訴訟につき被控訴人甲野が提出した答弁書における一部表現行為は、正当な訴訟活動として是認されるものとはいえず、控訴人らの名誉を毀損する不法行為に該当するとして、控訴人らの本件請求のうち、被控訴人甲野に対する請求を一部認容するとともに、被控訴人甲野に対するその余の請求及び被控訴人国に対する請求をいずれも棄却したので、控訴人ら及び被控訴人甲野がそれぞれ控訴したものである。

  

 

二 「争いのない事実等」及び「争点」

  次のとおり、控訴人ら及び被控訴人甲野の当審における主張を付加するほか、原判決の「事実及び理由」第二の一及び二〈編注・本誌一八四〇号三四頁三段一四行目から四五頁一段二七行目まで〉に摘示のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決中、「当庁」、「当裁判所」を「前橋地方裁判所」に、「時期に後れた」を「時機に後れた」に、原判決一九頁一八行目の「権利の侵害」を「権利」に、それぞれ改める。)。

  

 

(控訴人らの当審における主張)

 

  (1) 公務員の個人責任について

 公務員の個人責任について、従来の最高裁判所の判例は、公権力の行使に当たる国の公務員が、その職務を行うにつき故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、国が賠償の責に任じるのであって、公務員個人はその責めを負わない旨判示しているが、控訴人らが原審において主張しているとおり、公務員に故意又は重大な過失が存する場合には、当該公務員個人にも損害賠償責任を肯定するのが相当であり、この限りにおいて上記最高裁判所の判例法理は変更されるべきである。

 

  (2)ア 別件訴訟における期日指定について

 裁判長が期日の指定及び変更をするに当たっては、憲法が国民に対して裁判を受ける権利を保障した趣旨、目的が十分に達成されるよう配慮されるべきものであり、民事訴訟法九三条は、期日の指定及び変更に当たっては、当事者の希望を聴取して行うべきことを要請しているものと解すべきである。このような観点から、民事裁判の実務においては、裁判所の期日照会に対する当事者からの回答が遅れている場合であっても、裁判長は、電話等によって当事者に適宜回答を促し、その上で当事者双方が出廷可能な日時を指定するという運用が慣行として全国の裁判所に定着しており、それは一種の慣習を形成しているものということができる。別件訴訟においては、裁判所が定めた回答期限を僅か一日経過しただけで、直ちに一〇日後の期日が指定されたものであって、被控訴人甲野の控訴人らに対する悪意が表れており、上記期日の指定は違法である。

 

  イ 期日変更申立ての却下について控訴人らが期日変更申立書に記載した「差し支え」の具体的な内容は、他の予定が既に入っているため出廷できないことを意味することは、別件訴訟の経緯から明らかである。民事裁判の実務においては、上記の記載につき、裁判所が更に詳細な理由の説明を求めることはせず、民事訴訟法九三条三項所定の「顕著な事由」についての記載がないとして変更申立てを却下することなく、申立てに基づいて期日を変更するという慣習があり、控訴人赤石の訴訟代理人は、上記のような慣習を踏まえて期日変更申立てをしたものである。また、期日変更申立ての却下を口頭弁論期日において行うことについて法律上制限がないとする原判決の見解は、極めて形式的な解釈を前提とするものであって誤っている。本件のように実務上の慣習とは異なる措置が採られた場合には、当事者に対して余りにも過大な要求を課することになり不当である。

 

  ウ 弁論終結及び判決言渡しについて

 民事裁判において、いつ口頭弁論を終結し、判決を言い渡すかは、もとより裁判所の裁量に属するものであるが、別件訴訟の第一九回口頭弁論期日において、被控訴人甲野が口頭弁論を終結し、その一五分後に判決を言い渡した経緯に照らせば、被控訴人甲野は、当初から同期日において判決を言い渡すべくあらかじめ準備していたものであって、控訴人らに最終準備書面を提出する機会を与える意思がなかったことが明らかである。これは、当事者に主張を出し尽くさせ、争点整理を行い、最終準備書面を提出させた上で口頭弁論を終結し、別の期日に判決の言渡しをするという民事裁判の実務慣行ないし慣習に反するものであり、裁量権の逸脱、濫用があるというべきである。

 

  (3) 国家賠償法一条一項の「公権力の行使」について

 本件訴訟は、被控訴人甲野の別件訴訟における裁判長としての職務行為について、その不法行為責任を追及するものであって、被控訴人甲野の私人としての不法行為責任ないし私的行為についての不法行為責任を問うものではない。本件訴訟における被控訴人甲野の応訴行為は、別件訴訟における職務行為の延長といえるものである。被控訴人国は、被控訴人甲野の別件訴訟における裁判長としての一連の行為について違法な点は存しないと主張して争っているのであって、被控訴人甲野がその職務行為の正当性を主張して応訴することは、裁判官としての職務行為そのものであり、当然公権力の行使に該当する。答弁書における被控訴人甲野の主張は、被控訴人甲野の応訴として行われたものであり、その中から名誉毀損の表現のみを捉えて被控訴人甲野個人の行為であるとするのは、全体としての訴訟行為の法的性格ないし位置付けを無視するものであって著しく相当性を欠くものである。

 

 

  (被控訴人甲野の当審における主張)

 

  (1) 本件訴訟のうち甲部分についての本案前の主張

  本件訴訟のうち、被控訴人甲野に対する五〇万円及びこれに対する平成一四年一月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払請求部分(甲部分)に係る訴えは、裁判官の職務行為の違法を理由に当該裁判官個人を被告として民法七〇九条に基づく損害賠償請求をする民事訴訟(以下「裁判官個人責任訴訟」という。)であって、以下のとおり訴権の濫用として却下されるべきである。

 

  控訴人赤石は、別件訴訟における被控訴人甲野の訴訟指揮(第一六回口頭弁論調書添付の証人等目録・備考欄の記載に係るもの)が違法であるとして、本件訴訟とは別に、国を被告とする国家賠償請求訴訟及び被控訴人甲野個人を被告とする裁判官個人責任訴訟を提起したが、第一審前橋地方裁判所は、平成一四年五月一〇日、請求をいずれも棄却し、控訴審東京高等裁判所は、同年一一月二七日、控訴を棄却し、さらに、最高裁判所は、平成一五年四月八日、上告を棄却し、本件を上告審として受理しない旨の決定をした。また、控訴人赤石は、平成一二年二月二四日、別件訴訟の裁判官三人に対して忌避の申立てをし、訴訟指揮等に違反があると主張したが、同忌避申立事件は、同年九月一一日、最高裁判所が特別抗告棄却決定をして終了した。さらに、控訴人赤石は、平成一三年四月三日、別件訴訟において、被控訴人甲野に対して再び忌避の申立てをしたが、同忌避申立事件も、同年九月四日、最高裁判所が特別抗告棄却決定をして終了した。ところが、被控訴人らは、平成一四年一月九日、更に本件訴訟を提起するに至ったものである。

 

  以上のような本件訴訟に至るまでの経緯等にかんがみると、控訴人らの被控訴人甲野を相手方とする本件訴訟の提起は、控訴人らが、およそ勝訴の見込みがないことを知りつつ、当該訴訟の提起が裁判官である被控訴人甲野の職権の行使を萎縮させることを認識・認容した上で、同裁判官個人に対する報復感情等を満足させるという不当な目的の下にされたものであり、訴権の濫用であることは明白である。

 

  (2) 名誉毀損について

 ア 名誉毀損が成立しないこと

 民事訴訟における主張立証行為は、裁判を受ける権利の行使として一般の言論活動以上に強く保障されなければならず、その主張立証行為に起因する社会的評価の低下は、原則として適法とされ、例外的に、訴訟の帰趨に関係がない点に関する場合、裁判所に採用される可能性がない場合、相手を誹謗中傷する目的の下にことさら粗暴な言辞を用いた場合等の特段の事情がある場合に限り違法となるものと解するのが相当である。

 

  答弁書の「因縁をつけて金をせびる」旨の記載部分の字義は、国語辞典類によれば「無理な理屈をつけて相手を困らせ、金を無理に求める」ほどの趣旨と理解すべきであり、同記載部分の印象もまた、この字義どおり素直に理解するほかない。このような理解を前提にすれば、同記載部分に、暴力団組員等の反社会的な人物が金銭をゆすり取るという字義は全くなく、また、そのような印象を与えることが社会通念であるといい切ることはおよそ不可能である。控訴人らの被控訴人甲野に対する裁判官個人責任訴訟は、およそ認容される余地のない無理攻めの金銭請求訴訟である。同記載部分は、被控訴人甲野が控訴人らの裁判官個人責任訴訟についての法的な客観的評価をありのまま素直に述べたものであって、有用かつ簡潔な表現であり、その理論的正当性は明らかである。訴訟における当事者の主張は、裁判所が判断するまでの暫定的な性格を有するものに過ぎず、一般人としても、当該主張は単なる当事者の言い分として受け取るものであるから、同記載部分によって、控訴人らの社会的評価の低下をもたらすものとはいえない。

 

仮に、社会的評価の低下をもたらすとしても、訴訟外の社会通念に照らし、本当のことを述べたものとして名誉毀損を構成するものではない。まして、民事訴訟における言論という場の特殊性を考慮すればなおさら名誉毀損とはならず、同記載部分は、法的に許容される範囲内にあるというべきである。仮に、同記載部分に被控訴人甲野の主張する以上の烈しさがあるとしても、弁護士がその業務として訴訟活動を行うに当たって弁護士倫理等の行為規範による制限を受けるのとは異なり、当事者本人についてはそうした制限が課せられることはあり得ない。本件訴訟は、原審においては被控訴人甲野の本人訴訟であり、法的に許容される範囲内にあるというべきである。被控訴人甲野による答弁書の作成及び原審裁判所への提出は、それが表現行為といい得るかが問われかねないほど社会への伝播力が弱く、表現行為としての態様はすこぶる微弱である。

  したがって、被控訴人甲野による上記行為は、民事訴訟における言論活動として適法と評価すべきである。

 

 

 

  イ 注意義務を果たしたこと

 被控訴人甲野は、答弁書の作成に際し、日本国語大辞典、広辞苑等の国語辞典類を引いて字義を確認しており、その一環として上記記載部分の字義についても確認した。その上で、同記載部分の前後関係を踏まえ、答弁書の記載の正当性、民事訴訟における言論活動の特殊性を順次確認して最終的に同記載部分を作成したものである。したがって、被控訴人甲野は答弁書の起案に当たって通常必要とされる注意義務を果たしたものであり、故意、過失は存しないというべきである。

 

 

  ウ 相当因果関係が存在しないこと

 本件訴訟において被告とされた被控訴人甲野は、答弁書を作成して原審裁判所に提出したが、答弁書は、原審第一回口頭弁論期日において擬制陳述されたのであって、同期日に被控訴人甲野は欠席しており、一言も陳述していない。答弁書は、本文が一頁当たり九六二字、全二〇頁であるが、その中で答弁書の「因縁をつけて金をせびる」旨の記載部分は僅か一一文字に過ぎない。同記載部分は、答弁書全体の分量に埋もれてしまい、法廷では、裁判長が答弁書を陳述したものと擬制する旨一言述べただけであるから、同記載部分が不特定又は多数人に流布される可能性は皆無である。被控訴人甲野は、同記載部分の流布はないと認識しているが、仮にあるとしても、それは控訴人らの行為によるものである。したがって、被控訴人甲野の行為と社会への流布、更には控訴人らの損害との間には相当因果関係がないというべきである。

 

 

 

 

 

 第三 当裁判所の判断

 

  当裁判所は、控訴人らの被控訴人甲野及び被控訴人国に対する本件各請求は、いずれも理由がないものと判断する。その理由は、次のとおりである。

 

 

  一 訴権の濫用について

 (1) 民事訴訟における訴えの提起が訴権の濫用として不適法とされる場合を一義的に定立することは、その性質上極めて困難であり、結果は個別具体的な事案に則して判断せざるを得ないものであるが、一般的には、提訴者が、実体的な権利の実現及び紛争解決を真に目的としているのではなく、専ら相手方を被告の立場に立たせ、訴訟上又は訴訟外において有形、無形の不利益等を課すること等を目的としており、自己の主張する権利又は法律関係が事実的・法律的根拠を欠き、あるいは権利保護の必要性が薄弱であるなど、民事訴訟制度の趣旨・目的に照らして著しく相当性を欠き、信義に反すると認められるような場合は、訴権を濫用するものとして、訴えを却下すべきであるということができるものと考えられる。しかし、いずれにしても、個別具体的な事案に則して、上記のような諸事情を総合的に斟酌した上で、当該訴えの提起が訴権の濫用に当たるか否かを慎重に判断すべきものであって、それが本件のような被控訴人甲野のいう裁判官個人責任訴訟の提起である場合においても、そのこと自体を理由として当然に訴権の濫用に当たるとすることはできないのであり、裁判官個人責任訴訟であるからといって上記判断枠組みの例外を肯認すべき根拠はなく、当該職務行為の性質及び訴え提起に至るまでの経緯等の個別的事情をも併せ考慮して判断すべきものと解するのが相当である。

 

 

  (2)ア そこで、これを本件についてみるに、≪証拠略≫によれば、上記争いのない事実等(原判決引用部分)のほかに、次の事実が認められる。

 

  控訴人赤石は、平成一二年二月二四日、別件訴訟における担当裁判官三名について裁判官忌避申立てをし、その理由として、被控訴人甲野らが別件訴訟における控訴人赤石の立証活動を制限し、その訴訟指揮においても妥当を欠く行為を継続しているなどと主張したが、同裁判官忌避申立事件は、同年四月四日、前橋地方裁判所において申立て却下の決定がされ、同年五月一二日、東京高等裁判所において抗告棄却の決定がされ、さらに、同年九月一一日、最高裁判所において特別抗告棄却の決定がされた。

 

  控訴人赤石は、平成一三年三月一三日、別件訴訟において、口頭弁論調書に、その事実がないにもかかわらず、原告本人尋問の尋問事項を制限する旨の証拠決定が記載されたこと及び上記口頭弁論調書の記載に対する異論を述べたことが調書に記載されなかったことにより、裁判を受ける権利を侵害されたなどと主張して、国に対しては国家賠償法一条一項に基づき、被控訴人甲野に対しては民法七〇九条に基づき、損害賠償を求める訴訟を提起したが、同損害賠償請求事件は、平成一四年五月一〇日、前橋地方裁判所において控訴人赤石の請求をいずれも棄却する旨の判決がされ、控訴人赤石はこれを不服として控訴したが、同年一一月二七日、東京高等裁判所において控訴棄却の判決がされ、さらに、平成一五年四月八日、最高裁判所において上告棄却及び上告不受理の決定がされた。上記損害賠償請求訴訟の提起に伴い、上記争いのない事実等に記載のとおり、控訴人赤石は、被控訴人甲野には別件訴訟の審理を担当するについて忌避事由があると主張して、忌避申立てをしたが、同忌避申立事件は、同年九月四日、最高裁判所において特別抗告棄却の決定がされた。

 

  イ 本件訴訟は、上記認定事実及び争いのない事実等に記載されたような経緯により判決の言渡しがされた別件訴訟の原告本人及び原告訴訟代理人であった控訴人らが、平成一三年一〇月一日以降の被控訴人甲野の別件訴訟における裁判官としての一連の職務行為の違法を主張して、平成一四年一月九日に提起し(請求額は各五〇万円と遅延損害金)、さらに、被控訴人甲野の答弁書の記載が控訴人らの名誉を毀損すると主張して、同年五月一八日損害賠償請求を拡張したものである。

 

  被控訴人甲野の別件訴訟における上記行為は、訴訟の進行が久しく中断していた別件訴訟の審理が再開されたその最初の口頭弁論期日に、控訴人らが不出頭のままで口頭弁論を終結し、しかも、その一五分後に判決を言い渡したものである。これは、口頭弁論期日の指定及び口頭弁論の終結等が、当該訴訟の審理を担当する裁判所の判断に委ねられていることを考慮しても、それまでの訴訟経緯に照らして、いささか性急に過ぎた感は否めないところであって、当事者と比較的近い期日を調整等して期日指定をし円滑な訴訟進行を図る方法もあったのではないかと推測される。そうすると、控訴人らが、被控訴人甲野の上記行為を違法であるとし、本件訴訟を提起することによってそれを明らかにしたいと考えたことをもって、控訴人らが実体的権利ないし紛争解決を真に目的とするのではなく、被控訴人甲野をして不利益等を与えるなどの不当な目的を有していたものであって、民事訴訟制度の趣旨・目的に照らして相当性を欠くものということはできない。

 

  これについて、被控訴人甲野は、控訴人らの本件訴訟における裁判官個人責任訴訟の提起は、控訴人らがおよそ勝訴の見込みがないことを知りつつ、当該訴訟の提起が裁判官である被控訴人甲野の職権の行使を萎縮させることを認識・認容した上で、同裁判官個人に対する報復感情等を満足させるという不当な目的の下にされたものであると主張するが、そのような目的があったことを認めるに足りる証拠はなく、控訴人らとしては、被控訴人甲野の一連の行為が違法であると考えて責任を問うたものであって、被控訴人甲野の別件訴訟における一連の訴訟指揮権の行使等にやや性急に過ぎて妥当を欠く点があったことは否定し難いところであるから、控訴人らの不当な目的の下に本件訴訟が提起されたものということはできない。後記のとおり判例上争訟の裁判について違法が制限されており、裁判官の個人責任についても否定されているけれども、それを根拠として本件訴訟の提起が訴権の濫用であると断定することはできない。

 

  したがって、本件訴訟のうち、甲部分に係る訴えは訴権の濫用として却下されるべきであるとする被控訴人甲野の本案前の主張は、理由がないというべきである。

 

 

  二 裁判官の個人責任について

 (1) 控訴人らは、公務員に故意又は重大な過失が存する場合には、当該公務員個人にも損害賠償責任を肯定するのが相当であり、この限りにおいて最高裁判所の判例法理は変更されるべきであると主張する。

  しかしながら、公権力の行使に当たる国の公務員が、その職務を行うについて、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えた場合には、国がその被害者に対して賠償の責に任ずるのであって、公務員個人はその責を負わないものと解するのが相当である(最高裁判所昭和二八年(オ)第六二五号同三〇年四月一九日第三小法廷判決・民集九巻五号五三四頁、最高裁判所昭和四九年(オ)第四一九号同五三年一〇月二〇日第二小法廷判決・民集三二巻七号一三六七頁等参照)。したがって、控訴人らの上記主張は採用することができない。

 

  (2) 本件訴訟のうち、別件訴訟における被控訴人甲野の一連の行為が違法であるとして損害賠償を求める部分は、控訴人らが、別件訴訟の裁判長である被控訴人甲野のした期日指定、期日変更申立ての却下、口頭弁論の終結及び判決言渡しが違法であるとし、違法な職務行為によって被った精神的苦痛を慰謝するため、被控訴人甲野に対し、民法七〇九条に基づき損害賠償を求めているものであり、公権力の行使に当たる国の公務員である被控訴人甲野が、裁判官として職務を行うにつき故意又は過失によって違法に控訴人らに損害を与えたとして、当該裁判官個人である被控訴人甲野に対して損害賠償を求めているものである。そうすると、上記のとおり、本件訴訟のうち、被控訴人甲野に対し、別件訴訟における裁判官としての一連の行為が違法であるとして損害賠償を求める部分に係る請求は、いずれも理由がないというべきである。

 

  三 裁判官の職務行為の違法について

 (1) 裁判官がした争訟の裁判に上訴等の訴訟法上の救済方法によって是正されるべき瑕疵が存在したとしても、これによって当然に国家賠償法一条一項の規定にいう違法な行為があったものとして国の損害賠償責任の問題が生ずるわけのものではなく、上記責任が肯定されるためには、当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判をしたなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があることを必要とすると解するのが相当である(最高裁判所昭和五三年(オ)第六九号同五七年三月一二日第二小法廷判決・民集三六巻三号三二九頁参照)。

 

  控訴人らは、本件において、別件訴訟における被控訴人甲野の裁判官としての期日指定等一連の行為が違法であるとして国家賠償を請求しているものであり、それは判決、決定等の争訟の裁判そのものを対象としているものではないが、裁判官の職務行為についての違法性が、上記判例の説示するとおり一定の範囲に限定される所以のものは、基本的には裁判官の独立の理念に由来するものであると考えられることに照らせば、それが争訟の裁判であるか又はそれ以外の職務行為であるかによって、違法性の判断基準に特段の差違を設けるべきではないと考えられるから、本件についても、上記判例が妥当するものと解するのが相当である。そこで、以下において、控訴人ら主張の行為の違法性の有無について順次検討する。

 

  (2) 期日指定

  上記争いのない事実等に記載したとおり、別件訴訟の担当書記官である大澤書記官は、控訴人赤石の訴訟代理人で弁護団長を務める石田弁護士に対し、平成一三年九月一八日、別件訴訟に係る口頭弁論期日の照会書を送付したが、控訴人赤石の訴訟代理人らは、高崎支部に対し、裁判所が定めた同月二八日の回答期限までに口頭弁論期日の希望日を示した回答書をファックスで送信しなかった。そこで、被控訴人甲野は、同年一〇月一日、別件訴訟の口頭弁論期日を同月一一日午後一時三〇分に指定したというのである。

 

  期日は、申立てにより又は職権で、裁判長が指定するものであり(民事訴訟法九三条一項)、裁判長が期日を指定するに当たり、当事者の希望を聴取することは法律上要求されていない。上記のとおり、被控訴人甲野は、控訴人らに対し、期日の希望の聴取を試みたにもかかわらず、一切その回答がなかったことから、期日を指定したものであるから、その期日指定には何ら違法はなく、まして被控訴人甲野が違法又は不当な目的をもって期日の指定をするなど、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情は全く認められない。

 

  これについて控訴人らは、民事裁判の実務においては、裁判所の期日照会に対する当事者からの回答が遅れている場合であっても、裁判長は、電話等で適宜回答を促し、その上で両当事者が出廷可能な日時を指定するという運用が慣行として全国の裁判所に定着しており、それは一種の慣習を形成しているなどと主張するが、控訴人らが主張するような慣行ないし慣習が存在することを認めるに足りる証拠はなく、控訴人ら独自の見解であって、被控訴人甲野の期日指定には何ら違法は存しない。

 

 

  (3) 期日変更申立ての却下

  上記争いのない事実等に記載したとおり、別件訴訟における控訴人赤石の訴訟代理人である控訴人池末らは、指定された平成一三年一〇月一一日の口頭弁論期日に出頭することができないことから、同月四日、「差し支え」と記載された口頭弁論の期日変更申立書を高崎支部あて内容証明郵便で郵送し、同内容証明郵便は、同月五日、高崎支部に到達した。被控訴人甲野は、他の二名の陪席裁判官とともに、同月一一日午後一時三〇分に別件訴訟の第一九回口頭弁論期日を開廷し、その際、上記期日変更申立てを口頭で却下したというものである。

  口頭弁論の期日の変更は、顕著な事由がある場合に限り許すべきものであるところ(民事訴訟法九三条三項)、上記期日変更申立書には、その事由として「差し支え」との記載があるのみであり、差し支えの理由が全く明らかにされていないのであって、これだけでは顕著な事由があるか否か自体をそもそも判断することができず、到底顕著な事由がある場合に当たるとはいえないから、期日変更申立ての理由がないことが明らかであり、被控訴人甲野が上記期日変更申立てを却下したことには何ら違法はなく、さらに、期日変更申立ての却下を口頭弁論期日において行うことについて法律上何らの制限もない。したがって、被控訴人甲野による期日変更申立ての却下には違法はなく、被控訴人甲野が違法又は不当な目的をもって期日変更申立てを却下するなど、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情は認められない。

  これについて控訴人らは、被控訴人甲野は、期日変更のより具体的理由等につき、控訴人らに釈明権を行使すべきであり、期日変更の申立てを却下するのであれば、平成一三年一〇月一一日の口頭弁論期日よりも前に行うべきであったし、民事裁判の実務においては、「差し支え」との記載につき、詳細な説明を求めることはせず、申立てに基づいて期日を変更するという慣習があるなどと主張する。しかしながら、別件訴訟において、控訴人赤石は弁護士を訴訟代理人に選任しており、控訴人池末は、弁護士として訴訟を追行していたのであるから、口頭弁論期日の変更には顕著な事由の存在が必要であることを当然に知り又は知るべき立場にあったから、控訴人らにおいて、顕著な事由の存在を具体的に明示することが本則であって、そのことは極めて容易なことであり、被控訴人甲野が期日変更のより具体的な理由等につき、控訴人らに釈明権を行使しなかったことを非難するのは当を得ないものであって、それにより期日変更申立ての却下が違法になるとは到底いえない。また、上記のとおり、期日変更申立ての却下を口頭弁論期日において行うことについて法律上何ら制限がない上、期日変更の申立てを容れて指定済みの期日の取消し、変更がされるまでは、既に指定済みの期日が依然として有効であることはいうまでもないから、当事者はそれを前提に準備し行動すべきことは当然であり、控訴人らとしては、別件訴訟における平成一三年一〇月一一日の口頭弁論期日が開かれることを前提として準備し行動すべきものであったといえるから、これを怠った控訴人らが不利益を被ることがあったとしても、それはやむを得ないことである。そうすると、被控訴人甲野が平成一三年一〇月一一日の口頭弁論期日よりも前に期日変更の申立てを却下しなかったことに何ら違法はない。さらに、控訴人ら主張の慣習が存在することを認めるに足りる証拠はない。

 

 

  (4) 口頭弁論終結及び判決言渡し

 上記争いのない事実等に記載したとおり、被控訴人甲野は、合議体を構成する他の二名の陪席裁判官とともに、平成一三年一〇月一一日午後一時三〇分から別件訴訟の第一九回口頭弁論期日を開廷し、控訴人赤石による期日変更申立てを口頭で却下した上、口頭弁論を終結し、一五分間休廷した後に開廷し、別件訴訟の判決を言い渡したというのである。

  裁判所は、訴訟が裁判をするのに熟したときは、終局判決をすることとされており(民事訴訟法二四三条一項)、いつ口頭弁論を終結して判決を言い渡すかは、専ら裁判所の裁量判断に属するものである。≪証拠略≫及び上記認定事実によれば、別件訴訟の第一九回口頭弁論期日が開かれた時点では、採否未了の人証はおらず、別件訴訟がそれまで半年以上もの長期間にわたって口頭弁論期日が開かれないままの状態で推移していたことが認められる。裁判所は、民事訴訟が公正かつ迅速に行われるように努め、当事者は、信義に従い誠実に民事訴訟を追行しなければならないのであり(民事訴訟法二条)、民事訴訟の適正かつ迅速な審理は、裁判所及び当事者双方に課せられた極めて重要な責務である。このような観点からすれば、別件訴訟の裁判所が、第一九回口頭弁論期日が開かれるまでの間に、裁判をするのに熟したものと判断し、同期日に口頭弁論を終結した上、その一五分後に判決原本に基づいて判決を言い渡したことには何ら違法はなく、裁量権の逸脱、濫用は存しないものというべきである。確かに、長期間にわたって審理が中断していた別件訴訟が再開された最初の口頭弁論期日に、一方当事者の控訴人らが不出頭のままで結審し、その一五分後に判決を言い渡したことについては、上記のとおりやや性急に過ぎたとの感が否めないところであって、更に口頭弁論を続行して次回口頭弁論期日に終結する方法、あるいは判決期日を別途指定する方法等も選択肢としてはあり得たものと考えられるが、しかしそれは、審理を担当する裁判所の裁量判断に属する事柄であり、被控訴人甲野の上記措置に何ら裁量権の逸脱、濫用はなく、被控訴人甲野が違法又は不当な目的をもって口頭弁論を終結し、判決を言い渡すなど、その付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情は何ら認められない。

  これについて控訴人らは、被控訴人甲野は、当初から別件訴訟の第一九回口頭弁論期日において判決を言い渡すべく準備し、控訴人らに最終準備書面の提出をさせる機会を与える意思がなかったことは明らかであって、これは民事裁判の実務慣行ないし慣習に反するものであると主張する。しかしながら、控訴人らは、第一九回口頭弁論期日が開かれることを前提に準備し行動すべきであったにもかかわらずこれを怠ったのであるから、自らの責によって最終準備書面を陳述する機会を逸したものといわざるを得ないし、判決に熟している事件の判決起案を口頭弁論の終結前に行うことは、裁判所としてはむしろ望ましいことであり、また、控訴人ら主張のような慣行ないし慣習が存在することを認めるに足りる証拠はなく、独自の見解である。

 

 

  (5) 裁判を受ける権利

  控訴人らは、別件訴訟における被控訴人甲野の一連の行為により、裁判を受ける権利を侵害されたと主張する。

  しかし、憲法三二条において、何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪われない旨規定されている趣旨は、すべて国民は憲法又は法律に定められた裁判所においてのみ裁判を受ける権利を有し、裁判所以外の機関によって裁判をされることはないことを保障したものである。そして、民事訴訟において、実体上又は手続上の過誤によって当事者が誤った判決を受けた場合には、当該判決に対する上訴によってその是正を図る機会が制度的に保障されているのであり、別件訴訟において控訴人らの裁判を受ける権利が現に侵害されたと認めるべき事情は存しない。

 

 

  (6) 以上によれば、別件訴訟における被控訴人甲野の裁判長としての一連の行為について、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認め得るような特別の事情があるとは認められないから、本件訴訟のうち、被控訴人国に対し、別件訴訟における被控訴人甲野の一連の行為が違法であることを理由とする国家賠償法一条一項に基づく損害賠償請求は、いずれも理由がないというべきである。

 

 

  四 答弁書の陳述と公権力の行使について

 

 (1) 控訴人らは、本件訴訟は、被控訴人甲野の別件訴訟における裁判長としての職務行為について、その不法行為責任を追及するものであって、被控訴人甲野の私人としての不法行為責任ないし私的行為についての不法行為責任を問うものではなく、被控訴人甲野がその職務行為の正当性を主張して応訴することは、裁判官としての職務行為そのものであり、「公権力の行使」に当たると主張する。

  国家賠償法一条一項にいう「公権力の行使」は、国又は公共団体の純然たる私経済作用及び同法二条に規定する公の営造物の設置管理作用を除く、国又は公共団体のすべての作用で、権力的作用のほか非権力的作用も含むものと解するのが相当であるところ、被控訴人甲野の本件訴訟における答弁書による主張行為は、被控訴人甲野を被告としてその個人責任を追及した訴訟において、被控訴人甲野があくまでも個人としてこれに応訴し、被控訴人甲野個人の意見を自ら表明したものにほかならないから、同行為はいかなる意味においても国の作用とは全く無関係であり、国家賠償法一条一項にいう「公権力の行使」に該当しないことは明らかである。

  したがって、被控訴人甲野の上記行為が「公権力の行使」に当たることを前提とする控訴人らの主張は、被控訴人国に対する請求の関係では主張自体失当であるといわざるを得ない。

 

  (2) そうすると、控訴人らの本件請求のうち、被控訴人国に対し、本件訴訟における被控訴人甲野の答弁書によって名誉を毀損されたとして損害賠償を求める部分は、いずれも理由がない。

 

 

  五 答弁書による名誉毀損の成否について

 (1) 本件訴訟における被控訴人甲野の答弁書の記載内容は、原判決別紙「答弁書」(ただし、添付されている別紙資料部分を除く。)のとおりであり、そのうち、本件においても控訴人らが問題としている部分は、「本件訴訟は、裁判所の適法な訴訟活動に対し、因縁をつけて金をせびる趣旨であり、荒れる法廷と称する現象が頻発した時代にもあまり例がないような、新手の法廷戦術である。」(以下「本件表現」という。)というものであり、そのうち「因縁をつけて金をせびる」という記載部分が、高等学校の教師をしている控訴人赤石及び弁護士である控訴人池末の社会的評価を低下させ、名誉を毀損するというものである。

  

(2) 不法行為の被侵害利益としての名誉とは、人の品性、徳行、名声、信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価のことであり、名誉毀損とは、この客観的な社会的評価を低下させる行為にほかならない。そして、ある表現が人の社会的評価を低下させるか否かは、一般人の普通の注意と読み方とを基準として判断すべきものである。

 

  これを本件についてみると、本件表現のうち「因縁をつけて金をせびる」という記載部分は、その前後の記載と併せて読めば、一般人の普通の注意と読み方を基準とした場合には、本件訴訟は、裁判官(被控訴人甲野)の適法な訴訟活動について、およそ認容される余地がないにもかかわらず、あえて提起されたものであって、いいがかりをつけて裁判官に金銭を無理にねだる趣旨であるかのような印象を与えるものであり、控訴人らの客観的な社会的評価を低下させるものとして控訴人らの名誉を毀損するものということができる。

 

  これに対し、被控訴人甲野は、本件表現のうち「因縁をつけて金をせびる」の字義は「無理な理屈をつけて相手を困らせ、金を無理に求める」ほどの趣旨と理解すべきであり、何ら名誉を毀損するものではないなどと主張するが、同記載部分をそのような趣旨に理解することはできないのであって、被控訴人甲野が主張するような趣旨であれば、端的に「無理な理屈をつけて相手を困らせ、金を無理に求める」と表現すれば足りるのであり、それをあえて「因縁をつけて金をせびる」という表現を用いたことは、被控訴人甲野においてそれ以上の意味内容を含むことを認識していたものと解さざるを得ない。

 

  被控訴人甲野は、答弁書は、原審第一回口頭弁論期日において擬制陳述され、同期日には被控訴人甲野は欠席して、一言も陳述していないし、本件表現は、答弁書全体の中に埋もれてしまっており、本件表現が不特定又は多数人に流布される可能性は皆無であり、被控訴人甲野の行為と流布、更には控訴人らの損害との間には相当因果関係がないと主張する。しかし、特定の記述による名誉毀損にあっては、これが不特定又は多数人の知り得る状態になった時点において、当該記述の対象とされた者の客観的な社会的評価を低下させるものであるから、名誉毀損による損害はその時点で生ずるというべきである。したがって、被控訴人甲野が答弁書を原審裁判所に提出し、それが第一回口頭弁論期日において適法に擬制陳述されたことにより、被控訴人甲野が同期日に出頭していたか否かにかかわらず、その時点で控訴人らの名誉が毀損されたものというべきである。

 

  (3) ところで、民事訴訟は、私的紛争をその対象としており、紛争の当事者が互いに攻撃防御を尽くして事実関係を究明するとともに、法律的見解について論争を展開し、裁判所が双方の主張・立証活動を踏まえて判断を示すことにより法的紛争を解決する制度である。したがって、法的紛争が深刻になればなるほど当事者間の法律上又は事実上の利害関係が鋭く対立し、勢い相互の利害や感情の対立も激しくなるという傾向があり、時には一方当事者の主張・立証活動が激越になって、相手方当事者及びその訴訟代理人その他の関係者の名誉・信用を損なうような事態を招くこともある。しかし、それは、あくまでも法的紛争を解決するための訴訟手続の過程における当事者の暫定的あるいは主観的な主張・立証活動の一環に過ぎず、もしもそれが一定の許容限度を超えるものであれば、裁判所がそれを指摘して適切に訴訟指揮権を行使することによって適宜是正することが可能である。また、相手方には、それに反駁し、反対証拠を提出するなどの訴訟活動を展開する機会が制度上保障されている。そして、当事者の主張・立証の当否等は、最終的に裁判所の裁判によって判断されるから、これによりいったんは損なわれた名誉・信用を回復することができる仕組みになっている。

 

 

  このような民事訴訟における訴訟活動の特質及び仕組みに照らすと、当事者の主張・立証活動について、相手方及びその訴訟代理人等の名誉等を損なうようなものがあったとしても、それが直ちに名誉毀損として不法行為を構成するものではなく、訴訟行為と関連し、訴訟行為遂行のために必要であり、主張方法も不当とは認められない場合には、違法性が阻却されると解するのが相当である。そこで、本件表現について違法性が阻却されるか否かについて検討する。

 

  被控訴人甲野の答弁書は、

 

「第三 当被告の主張」「一 判決に必要な事実」「二 公務員の個人責任はない」「三 行為を欠く」「四 違法性を欠く」「五 本件訴訟の公共性」「六 本件審理に関する意見」の各項目について全一九頁にわたって述べたものである。

 

本件表現は、「五 本件訴訟の公共性」の項の冒頭に記載されており、上記答弁書の本件費用減の直前の部分には裁判官の争訟の裁判につき国家賠償法一条の責任が肯定されるための要件について判示した最高裁判所の判例を引用した上、被控訴人甲野の行為に違法はないとする記載があり、

 

次いで、「五 本件訴訟の公共性」として本件表現の記載があり、これに続いて、「確定した最高裁判所判例により、裁判官個人は個人責任を負わないのにあえて当被告を被告とすることは、裁判官を恫喝する効果を有する。これは、ことなかれ主義よろしく裁判官の萎縮を招く等、司法全体の健全性を損なう所業である。」等の記載があり、更に「本件での『実質勝訴』は、裁判官忌避が排斥された後の代替手段として裁判官個人を被告とする国家賠償訴訟を提起する法廷戦術を社会へ普及させることに大きく手を貸す結果を招く。」「本件受訴裁判所及び周囲の関係者は、本件訴訟の前記政治性と公共性をよくよく深慮し、司法の将来を誤ることのないよう、迅速かつ的確な判断をすべきである。」「これ(註・答弁書を指す。)を作成した所以は、相被告の便宜のためのほか、司法の将来を憂える心からに尽きる。」との記載がある。

 

本件表現は、別訴訴訟における被控訴人甲野の行為が違法であることを理由とする控訴人らの損害賠償請求が、およそ認容される余地のない損害賠償請求訴訟であることを個々の根拠を挙げて主張した後のまとめの部分の冒頭に記載されたものであり、特に別件訴訟における行為の適法性、判例における争訟の裁判に係る国家賠償責任の違法性の限定及び裁判官の個人責任の否定等を重要な根拠として挙げた上、請求棄却の判決を求めたものであり、

 

その後の準備書面(平成一四年七月一二日付け)において、被控訴人甲野の職務行為に係る本件訴訟が訴権の濫用である等として訴えの却下を求めるに至ったものであって、

 

被控訴人甲野の上記主張は、本件における訴訟行為の中心的部分を構成するものとして位置付けられているものであって、本件訴訟と関連性があり、必要性もあるということができる。そして、上記説示のとおり、

 

(1)別訴訟における被控訴人甲野の職務行為には何ら違法は存しないこと、

 

(2)最高裁判所の確定した判例法理により、争訟の裁判の違法性は、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いて行使したものと認められるような特別の事情がある場合に限られるとされていること、また、

 

(3)最高裁判所の確定した判例法理により、裁判官の個人責任は否定されていることに照らせば、

 

いずれの観点からしても、被控訴人甲野に対する損害賠償請求が認容される余地が全く存しないことは明らかであり、それにもかかわらず、あえて被控訴人甲野個人を被告として本件訴訟が提起されたことの意味は必ずしも明らかではない。

 

このような事情にかんがみ、被控訴人甲野は、本件訴訟の趣旨について、およそ損害賠償請求が認容される余地のない不当なものであることを強調するために、本件表現を用いたものと推認されるのであり、本件訴訟を離れて直接控訴人ら自身の性格、行状等を誹謗中傷したり、虚偽の事実を述べたものでもない。そして、控訴人らの被控訴人甲野に関するこれまでの一連の訴訟等の経過は上記認定のとおりであり、控訴人らの主張及び被控訴人甲野の訴訟指揮等は従前から激しく対立しており、それに伴って互いに高度の緊張関係にあり、時に激しい隠当を欠く表現が用いられてもやむを得ない状況にあった上に、本件表現は、本文だけで全体で一九頁に上る答弁書のごく一部に過ぎず、単なる金銭目当ての不当訴訟という趣旨で述べられたものではないことは答弁書全体の内容及び本件表現の前後の文脈から明らかである。

 

もとより裁判官は、その職務を離れた私人としての生活においても、その職責と相いれないような行為をしてはならず、また、裁判や裁判所に対する国民の信頼を傷つけることのないように、慎重に行動すべき義務を負っており、被控訴人甲野としては慎重に訴訟活動すべきであったということはできるが、職務行為の違法を理由に裁判官個人に対して提起された訴訟においては、一般私人と同等の訴訟活動が保証されるべきであると考えられるから、上記裁判官の義務を理由として直ちに本件の違法性を根拠付けることはできない。以上によれば、本件表現のうち「因縁をつけて金をせびる」という記載部分が一般人に与える印象において措辞として甚だ適切さを欠くものであることは否定できないが、訴訟行為として相当性を欠いた表現であるとまでは断定し難いから、違法性は阻却されるというべきである。

  

 

 

六 結論

  よって、以上と異なる原判決中、被控訴人甲野の敗訴部分を取り消し、同部分に係る控訴人らの請求をいずれも棄却し、控訴人らの本件各控訴は、いずれも理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。

 

 

(裁判長裁判官 大藤 敏 裁判官 高野芳久 佐藤道明)