大島訴訟(高裁)

 

 

 

 

 

 大阪高等裁判所判決/昭和49年(行コ)第36号、判決 昭和54年11月7日、 行政事件裁判例集30巻11号1827頁について検討します。

 

 

 

 

 

 

【判示事項】

 

 

 旧所得税法(昭和22年法律第27号、昭和40年法律第33号による改正前)の給与所得に関する9条1項5号、11条の6、11条の7、11条の9、11条の10、12条、13条、38条及び40条の諸規定は、給与所得者に対し、その他の所得者に比べて著しく不公平な所得税の負担を課しているとはいえないから、憲法14条1項に違反しないとした事例 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主   文

 

  本件控訴を棄却する。

  控訴費用は控訴人の負担とする。

 

        

 

 

事   実

 

 

(申立)

 

一 控訴人

 (一)原判決を取消す。

 (二)被控訴人が控訴人に対し昭和四〇年一〇月二二日付でなした昭和三九年分所得税決定および無申告加算税賦課決定(大阪国税局長の昭和四一年五月二六日付審査裁決により取消された部分を除く)を取消す。

 (三)訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

 

二 被控訴人

  主文同旨。

 (主張および証拠関係)

  当事者双方の主張および証拠の関係は、次のとおり付加するほかは、原判決事実摘示のとおりであるからこれを引用する。

 

一 控訴人の陳述

 

1 原審において控訴人(同志社大学商学部教授)は、次のような理由を挙げ、昭和三九年分の所得に対する本件課税処分(原判決の請求原因(一))の違法を主張した。

  

(一)右処分の根拠となつた昭和三九年当時の所得税法(以下単に旧法または旧所得税法と呼ぶ)のうち給与所得に対する課税を定めた法条(以下本件課税規定と呼ぶ)は、他の所得者に比べ、給与所得者に対し著しく不公平な重課税をなす点において憲法一四条一項に違反し、無効である。右不公平な点を掲記すれば、

   

(1)他の所得については、収入金額から「必要経費の実額」を無制限に控除すべきもの、とされているのに、給与所得については「実額」よりはるかに低い「法定の給与所得控除(本件では僅かに一三万五〇〇〇円の控除)」が許されるのみである。

     たとえば、事業所得において控除を認められる必要経費の率は、最低の場合でも収入金額の三〇パーセント以上、また医業・歯科医業の場合には実にそれが七二パーセントにも達しているに拘らず、控訴人に対して認められる給与所得控除額の収入金額に対する割合は僅かに七・九パーセントにすぎない。給与所得についても、希望者に対しては、必要経費の実額控除を許すべきである。

  

(2)給与所得の捕捉率は、他の所得たとえば事業所得に比べ極めて高い。しかるにこの著しい格差が放任されているため、結果的には事業所得者に比し給与所得者が著しく不利益な重課税を受けている。

    右捕捉率の著しい格差という不公平は、すでに二〇年以上も恒常的に存在する。これはもはや単なる事実問題ではなく、制度それ自体が著しい不公平を惹起する違法なものとして憲法的評価に親しむというべきである。

  

(3)各種の租税特別措置たとえば

  

(イ)医業・歯科医業を営むものの受ける社会保険診療報酬の所得計算の特例

  

(ロ)農家が受ける米穀の予約売渡代金の一部非課税の特例

   

(ハ)利子所得に対する分離課税の特例

   

(ニ)証券投資信託の収益の分配にかかる配当所得に対する分離課税の特例

   

(ホ)小額配当の支払調書免除の特例等はいずれも関係の所得課税を著しく減免し、当該納税義務者を保護しているところ、これらは全く理由のない保護であるため、これら特別措置は、当該所得に対しその課税上不当な優遇を与えている。これらに比較すると、給与所得に対する本件課税規定は、同所得者に対してのみ著しい本利益を強制する極めて不平等な規定である。

 

(二)給与所得者に対する本件課税規定は、租税法律主義を定めた憲法三〇条および八四条に違反するため無効である。

   およそ租税法規は、公平・明確でありかつ一義的であることを要するにも拘らず、本件課税規定における「給与所得控除制度」は、目的および内容ともに明瞭ではなく、殊に同控除の額も極めて不合理である。したがつて、必要経費の実額控除を認めない本件課税規定は、結局、内容空疎な幻の基準により「取り易いところから取る」ための権力むき出しの規定というべく、明らかに租税法律主義に違反する。

 

(三)給与所得と雑所得に対する旧法の各課税規定は、憲法九八条二項によりその遵守を要求される世界人権宣言二二条、二七条一項および国際連合教育科学文化憲章(以下ユネスコ憲章と呼ぶ)前文の基本的精神に違反する。

    控訴人のような大学教授は、他の芸術活動参加者と共に国の文化の担い手であるから、本来の職務である研究と教育に専念できるよう、その所得に対しては、平均的な生計費相当部分につき免税等の優遇措置を講ずべきである。しかるに国はこれを怠り、他の一般の給与所得および雑所得と同列に取扱つているため、これら課税規定を全体的にみれば、同規定は、控訴人のような文化人に対し税の重圧を課して文化活動を阻害すると共に、日本の文化水準を引下げるという悪しき結果を招いている。したがつて、これら課税規定は一括して、世界人権宣言およびユネスコ憲章に違反し、かつ憲法九八条二項にも違反する。

 

 

 2 原判決に対する批判

 

(一)総括的批判

  

(1)原判決は給与所得につき、税の負担の不公平すなわち租税法規の不公平を認めているにも拘らず、その不公平が法の下の平等という基本理念の下においてなお許容される「合理的限界」を越えるものではない旨判示した。ところで、本件においては右にいう「合理的限界」 の内容ないし判断基準を審究し、それらを具体的に認定することこそ最も重要であるに拘らず、原判決にはこの点の説示がない。

   

(2)原判決が空疎な理念的判決に終つたのは、憲法訴訟における主張立証責任の分担問題につき、正当な理解を欠いていたためと思われる。

     控訴人は、給与所得に対する本件課税方式が単に徴税の便宜にのみ奉仕する違憲のものであることを主張立証した。これは憲法上の地位にもとづいて疑問を提示し、解答を求めたものであるから、それがなお合憲である旨の主張立証責任はもとより被控訴人が負うべきである。したがつて、原審としては、右(1)の不公平が許容される「合理的限界」の内容およびその判断基準等につき、被控訴人に対し、具体的な主張立証をさせたうえ、その適否を判断すべきであつた。

  

(二)給与所得控除と必要経費について

  

(1)原判決は、給与所得控除制度を設けた最大の理由を「必要経費の概算控除」であると断じ、その他の理由たとえば捕捉率の格差や担税力の差異等は重視するに足りないと判示した。しかしながら現実には、右格差や担税力の差異等が右控除制度において重要視されていること疑いはない。これと異る原判決の説示は明らかに不当である。

   

(2)原判決は、給与所得についても「必要経費の存在」を肯定し、かつ控訴人主張の経費の項目(被服費・研究費・学会関係費・学生関係費・交際費等)のほぼ全てが必要経費を構成する旨をも肯定した。しかるに原判決は、控訴人主張の経費額については立証がないとしたうえ、必要経費の実額控除を否定するところの給与所得控除制度(原判決はこれを必要経費の概算控除とみる)に依拠する本件課税制度をもつて合理性を欠くものではない旨判示した。

    したがつて、原判決によれば、控訴人が主張の経費額を十分に立証しても、それは「控除」とは全く無縁であり、現実に控除が許されるのは給与所得控除限度額一三万五〇〇〇円のみにすぎないため、これを越える必要経費と同額の収入につき、控訴人は「所得なくして所得税を課せられる」という不利益を強いられる。このような不合理に対し、原判決は何らの説明も加えない。

     また原判決は、右控除限度額をもつて「必要経費の概算額」であると言い、その数額も相当である旨判示しているところ、このような結論を導くためには、まず必要経費の費目を確定し、次いで統計等の資料により右控除限度額の妥当性を具体的に論証しなければならないにも拘らず、原判決にはこの点に関する説示が何もない。

  

(三) 捕捉率の格差について

  

(1)各種所得の間にはいわゆる捕捉率につき著しい格差があるにも拘らず、原判決は「その格差の程度は著しいものではない」と判示して事実を誤認し、更に「右程度の格差は未だ法的評価に親しむものではない」と判示して法的判断を誤つた。

   

(2)なお原判決は、捕捉率の著しい格差を示す個々の具体的事実については、いずれも控訴人主張のとおりその格差が著しい旨認定しているので、原判決としては、これら個々の格差を綜合し、給与所得と事業所得の間に捕捉率の著しい格差が恒常的に存続することを認定したうえ、そのような不公平を将来もなお除去することができない本件租税制度こそ、「著しく正義に反する」として、違憲の判断をなすべきであつたのである。

 

(四)租税特別措置について

   この措置の不合理性につき、原判決はほぼ全面的に控訴人の主張を容認した。したがつて、右の各特別措置がいわゆる負担の公平を害し、そのため給与所得者に対し不当に重税を課していることは原判決もこれを確認しているのである。しかるに原判決は、給与所得者の負担の軽減を図る方法としてこれら特別措置の違法を援用することは許されない旨判示した。不当な判示というべきである。

 

(五)租税法律主義について

   原判決の説示は、租税の賦課・徴収に関する法規が法律をもつて定められてさえいれば、租税法律主義の要請を満たし、その内容については、右主義と無縁であるというに等しい。しかしながら、租税法は、租税原則に照らし合理性・正当性の審査を免れないから、租税債務発生の原因が明確であることこそ最少限度の要件である。ところで、原判決のいうとおり給与所得についてその必要経費を肯定すると、これを給与収入から控除して始めて所得が捕捉でき、これに対する課税がようやく可能になるのであるから、必要経費の実額控除を認めない本件課税規定には著しい欠陥があるというべきである。同規定をもつて租税法律主義に適合するとみる原判決の判示は不当というのほかはない。

 

3 憲法二五条違反の主張(当審で追加)

   旧所得税法は、「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障するところの憲法二五条にも違反した無効な規定であるから、本件課税処分は、これを違法として取消すべきものである。

   およそ租税は、国民の最低生活費に喰込んで課税してはならない。ところが旧法は、各種の「所得控除」を認めてはいるが、それが少額に失するため、平均的な勤労国民の最低生活費に対しても重税を課しており、この点において憲法二五条に違反する。

   控訴人の昭和三九年分の最低生活費は年額一〇四万二三五六円である(これは総理府家計調査年表による昭和三九年の国民の実態生計費年額六九万五七四八円を正当に修正した標準的理論生計費年額と一致する)。これに対し必要経費控除後の控訴人の所得金額は一三五万五四三六円であるから、その差額三一万三〇八〇円のみが、本件課税所得金額となる理である。しかるに本件処分は控訴人に対し二〇万七〇五〇円(右課税所得の六七パーセント弱)という多額の所得税を課している。このほかに住民税等が賦課される点を考慮すると、右多額の所得税は、控訴人の前記最低生活費に喰込む不当かつ苛酷な課税というべく、したがつて、この重課税を強制する旧所得税法は、最低生活費非課税の原則を定めた憲法二五条に違反する。それが無効であるこというまでもない。

 

二 被控訴人の陳述

 

1 原判決の批判に対する反論

  

(一)総括的批判について

  

(1)原判決は、租税法規の不公平がなお許容される「合理的限界」 について、「それが著しく不合理であることが明白な場合に限り、違憲となすべきである」と説示して、右合理的限界の内容ないし判断基準を適切に判示している。

   

(2)違憲訴訟において、それが違憲である旨の主張立証責任は、もとよりその主張者が負うべきである。殊に租税法規は合憲性の推定が極めて強いものに属するから、その違憲の主張者が立証責任を負うべきは当然である。

  

(二)給与所得控除制度の批判について

  

(1)原判決は「租税法規が著しく不合理なことが明白な場合に違憲が問題になり得る」との立場に立つたうえで、本件給与所得控除制度はなお合憲である旨を判示した。

   

(2)原判決のいう給与所得における必要経費は、被控訴人の考えとは異つている。ところで、原判決は、控訴人主張の必要経費について十分の立証があれば、また別箇の判断をするであろうとの趣旨を含んでいると解されるので、その論理に不明確な点はない。

 

(三)捕捉率の格差の批判について

 

(1)原判決は「給与所得と他の所得との捕捉率の格差は、僅少にしかすぎないとは俄に即断し難いものの、著しい格差があるとも認めることができない」として或る程度の格差を肯定する。しかしながら、ここにいう捕捉率の格差とは、税務当局がその職務に万全を尽しても事柄の性質上なお生じる「把握もれ」という意味であるから、もともと観念的なものであり、これを具体的・計数的に認識することは原理的に不可能である。したがつて、原判決の肯定する「捕捉率の格差の程度」が正当であるとは言い難い。

  

(2)もつとも原判決は、右格差の程度を計数的に把握すべく努力してはいるけれども、これはもともと観念として存在するにすぎないから、数値をもつて実証することは不可能である。

 

(四)租税特別措置の批判について

 

(1)原判決は、控訴人主張の右特別措置について「政策目的が薄れた」とか「税不担の不均衡をもたらす」とかの理由を挙げ、その合理的根拠に乏しい旨を説示する。しかしながら、これら特別措置については、単に租税政策の見地からのみではなく、広く社会状勢と国家経済との関連において国民生活の健全な維持発展を図るという観点から、合理性の存否を決すベきである。したがつて、租税政策のみを重視して、すでにその合理性を喪失したとみることは相当でない。これら特別措置は、現に存続するものはもち論、すでに廃止されたものでも、昭和三九年当時には十分の合理性を有したのである。

  

(2)仮に、これら特別措置がその合理性をすでに喪失しているとしても、控訴人に対する本件所得課税において、右合理性喪失を根拠に、控訴人が何らかの優遇措置を求めることは許されない。

 

(五)租税法律主義の批判について

  租税法律主義は、租税法規は法律をもつて定むべきこと、またその規定はできる限り明確であることを要請してはいるけれども、それ以上に進んで、同規定の拠つている理論的根拠や同根拠の内容までをも法律で規定すべき旨を要求しているものではない。したがつて、本件給与所得控除額一三万五〇〇〇円について、その理論的根拠や費目別の金額を規定していないからといつて、直ちにそれが租税法律主義に違反するとは言い得ない。

 

2 憲法二五条違反の主張について

 

(一)課税最低限

  

(1)憲法二五条は、国の責務とする国政の運営方針として、国民の生存権を保障するという理想を宣言したにとどまり、個々の国民に対し具体的権利を賦与するという趣旨のものではない。

  

(2)国は、右のような理想のもとにもろもろの活動を営むため財力を必要とするところ、その調達を確保すべく国民に対し納税義務を負わせている。

    旧所得税法は、広汎な合目的裁量権を有する立法府により早くも昭和二二年適法に制定され公布されたものであるから、同法による課税処分につき、違憲問題を生ずる余地はない。

  

(3)所得税の課税最低限は、どの程度の所得階層から所得税の負担を求めるかという限界を画するもので、納税者の選定基準となると共に、徴税費の節減を図る機能をももつている。したがつて、課税最低限は、主として徴税目的のためのもの、すなわち国民の最低生活の保障を目的とした制度ではないこと明らかである。

     ところで、控訴人は、右課税最低限が低額に失するため、控訴人の最低生活費に対しても所得税が賦課されているとなし、それが違憲であるかのようにいうけれども、このような主張は、租税政策の観点から、課税最低限の引上げを望む立法論としてならばともかく、実定法の解釈ことに違憲問題として司法審査の対象とするには余りにも具体性に欠けるというべきである。

  

(二)生計費

   

(1)控訴人は、その総収入から先ず必要経費を控除し、次で標準的理論生計費を控除し、その残額を課税所得となすべき旨主張するのであるが、右理論生計費の中には、前記必要経費をも含んでいるため、右主張には、いわゆる必要経費を重複して控除するという誤謬がある。

   

(2)控訴人主張の標準的理論生計費の額は、何らの裏付けもない架空の数字であり、またそれが憲法二五条にいう最低限度の生活を維持するために必要な費用額であることを示す資料もない。

   

(3)控訴人は、課税最低限が低きに失するため、課税が最低生活費に喰込む点において、同課税規定が違憲無効である旨主張するけれども、控訴人の所得は、一般国民の最低生活費をはるかに超えており、そのため控訴人自身が最低生活費に喰込んだ課税を受けることはあり得ない。控訴人による右の主張は不適法である。

 

三 証拠(省略)

 

        

 

 

 

理   由

 

 (以下に旧法または旧所得税法と呼ぶのは、すべて昭和三九年当時の所得税法である。)

 

一 控訴人が同志社大学商学部教授であり、昭和三九年中に給与収入および雑収入を得たところ、これについて確定申告をしなかつたため、被控訴人が右給与収入を一七〇万七〇九〇円(給与所得控除額一三万五〇〇〇円)、また雑収入を五万○九五五円と査定したうえ、控訴人主張どおり本件所得税決定および無申告加算税賦課決定をなしたことは当事者間に争いがない。

   ところで、控訴人は、右各収入金額や雑所得の必要経費を争わず、本件課税処分の違法すなわち同処分の取消原因として、もつぱら旧所得税法の違憲無効のみを主張するので、以下これについて判断する。

 

二 本件課税規定(旧法の給与所得課税規定。以下同じ)が不公平であるとの主張について

  すべて国民は法の下に平等である。法の名で人を差別することは許されない。もし、法が合理的理由もないのに、一部の国民のみに対しその法益を剥奪し、あるいは義務を命じ、いわゆる明白な差別として法的不利益を強制する場合には、当該国民は憲法一四条にもとづき、右の不公平な差別法に対し、当然無効を主張することが許される。

  控訴人は、本件課税規定が他の所得ことに事業所得課税規定に比し事実上重税を課し、差別を生じているため不公平であり無効である旨主張するので、先ずこれについて検討する。

 

1 必要経費実額控除制度の不存在

  控訴人は、給与収入を得るためにも経費の支出を要するので、給与所得についても事業所得の場合と同様に、

  必要経費の実額控除を許さなければ不公平である旨主張する。なるほど本件課税規定は、他の所得ことに事業所得課税規定と異り「経費実額控除」を許す明文がない点において、法文上に差異のあること明らかである。そこで、この差異が果たして合理的理由のない差別に該るか否かを判断する。

 

(一)事業所得の必要経費と家事費

    右の必要経費とは、いわゆる源資を減少させる支出であり、かつ財貨の獲得を最終の目的とした支出であり、その後に発生する具体的収入との間に経済的因果関係ないし代償関係を有する支出である。

   

(1)源資からの支出と支出目的

     人はその所有する財産を直接に生活の資料として消費するほか、その増殖のために資本として利用する。この増殖のための財産(資本)がここにいう源資である。必要経費は、右源資からの支出であるから、源資のないところに必要経費を生ずる余地はない。

     また、必要経費は、殖産に必要な財貨の獲得をもつて終局の目的とした生産的支出である。右のような財貨獲得とは関係のない支出すなわち生活の利便を目的とした支出や趣味・嗜好を目的とした支出は、消費的支出であるから、それがいかに多額であつても後述の家事費であり、右の必要経費には該当しない。

 

(2)家事費・家事関連費

   理論的には、まず財貨の獲得という目的が設定され、それに沿う必要経費の支出(源資の減少)が先行し、それが原因となつて、収入たとえば事業収入を生じ、収入が源資の減少額を補つて余りがある場合に所得(経済的利益の増加)を生ずる。したがつて、右所得の処分にすぎない家事費の支出と源資からの支出(必要経費)とは全く別異のものであるが、現実の問題としては、この両者を判別することが困難なこともある。その事業を営むため、すなわち収入を終局の目的として直接あるいは間接に支出を余儀なくされたもののみを必要経費となし、それ以外の支出はすべて支出者の生活費すなわち家事費とみるのが相当である。

   なお、事業者による一個の支出が、その一部は明らかに業務上も必要であつたけれども、他の一部は事業者個人の生活上にも必要であつたという場合がある。これが「家事関連費」であるが、この場合は、業務と家事と双方の必要度を比較勘案し、それに応じて同支出を必要経費部分と家事費部分に按分し、いわゆる必要経費控除を許すのが相当である。

   したがつて、必要経費控除が許される事業所得者等は、その業務に関する支出につきすべて経費としての控除が許されるため、いわゆる生活費として支出を余儀なくされる家事費中に、職業に関する支出が含まれることは殆どない。このこととの均衡から、後述のサラリーマンの職業費について非課税(正確には職業費同額の給与収入の非課税。以下同じ)の要望が生ずるのは当然の事理である。

 

(3)源資の不可侵

   所得税は、いわゆる所得に対してのみ課税することが可能である。前述の源資に対する所得課税は絶対に許されない。したがつて、右の必要経費(源資減少)がある場合には、収入から右経費全額を控除してまず源資を回収し、残された所得(経済的利益の増加分)に対してのみ課税することが許される。もし、事業所得課税規定中に、経費全額控除を制限していわゆる定額控除を強制する趣旨の特別規定を新たに附加したとするならば、同特別規定は、控除を許されない必要経費を発生させ、「所得がないのに所得税を賦課する」という不合理(源資の侵害)を惹起する。このような特別規定は事業所得税の理念に背反し、財産権を不当に侵害するものとして、憲法二九条に違反するこというまでもない。

 

(二)サラリーマンの必要経費

   いわゆるサラリーマン(労働契約にもとづいて従属労働に従事する者。以下同じ)がその属する社会で、自己の地位の維持向上を図るためにはその地位に相応する各種の支出が必要である。すなわちサラリーマンは、他の納税者と同様の通常の生活費のほかに、その職務ないし職業のため、あるいはこれに関連して相当額の費用を負担するのが常である。これがサラリーマンの必要経費と呼ばれるものであり、多種多様の支出を含んでいるが、その支出目的からみて労働授受に関する立替金支出といわゆる職業費との全く異質のものに区分される。

 

(1)労働授受に関する立替金支出

  サラリーマンは従属労働者(労基法九条参照)であり「労働を給付する」ことのみを要求され、しかも、その労働給付が終つたのち、ようやく対償たる報酬(労基法一一条、民法六二三条)すなわち賃金の収受が許されるにすぎない(民法六二四条)。

 

したがつて、労働法規上では、サラリーマンは、いわゆる源資を所持しておらず、かつその労働給付終了に至るまで報酬(賃金)の所得を許されない無一物者であるから、

 

その労働終了までの間に、使用者による労働の受領を可能にするため、あるいは労働の功率を高めるため等の諸経費が必要になつたとしても、これをサラリーマンが支出することは不可能である。

 

 

そのため労働法規としては、労働の授受に関して支出を余儀される諸経費の負担につき、源資を所持する使用者(労基法一〇条)に対し、常にその全額を支弁すべき旨命じているものと解される。

 

 

  もつとも、現実には、サラリーマンがたまたま保有していた源資をもつて、右のような諸経費たとえば用務地への出張費や得意先の接待費等を立替えて支払うことも尠くはないが、このような場合、その支出者は、いわゆる源資の回収すなわち立替支出に対するその補償を期待しながら支出するのが常であるから、右諸経費の本来の負担義務者である使用者としては、何らかの方法で、かつ遅滞なくその立替金を償還すべきこと勿論である。

   右のように労働授受上の諸経費は、もともと使用者が負担すべきものであり、したがつて、サラリーマンが何らかの事情によりこれを支払つた場合には、源資による立替払いとなり、それに因つて生ずるであろう同額の回収金(費用償還金)との間に、前述の必要経費の関係を生ずること疑いはない。

 

(2)職業費(本質的には職業生活費)

   サラリーマンは、その所得に応じた通常の生活費(事業所得者の家事費に該当)のほかに、その職務ないし職業に関連し、右立替支出以外に各種の費用すなわち職業費を支出するのが常である。一般にサラリーマンは、将来長期間に亘りかつ継続して自己の労働を有利に提供できるよう常に自己啓発に努めそのための研修費等を負担しており、また自己の労働環境を快適なものにするための社内交際費等を負担するほか、従属労働者の地位向上のためにも若干の費用を支出している。これら多種多様の支出(立替支出を除く)を一括して「職業費」と呼ぶのであるが、これと前述の立替支出との差異は次のようなものである。

  

(イ)右立替支出は、使用者による具体的な特定の労働受領に関して発生する。

    したがつて、この立替支出を怠れば、当該労働の授受が不可能になるかあるいは特定の労働の功率が相対的に低下する。これに反し、職業費は、特定の労働授受とは関係がないため、この費用を全面的に廃止しても、使用者が「特定の労働の給付を受ける」につき、別段の支障を来さない。要するに右立替支出は主として使用者の利益のために行われるのに対し、職業費は、その支出者の利益のために支出される。

  

(ロ)右立替支出は、その補償を期待され源資から支出される。そのためそれに因つて生ずるであろう収入金(費用償還金)から必要経費として控除され、結局源資の回収が許されなければならない。これに反し、職業費の支出は、財貨の獲得を終局の目的としたものではなく、源資の減少は生じないから、同支出は、労働給付によつて取得した所得(賃金)の処分にすぎないものと解される。この職業費が事業所得における前述の必要経費と全く異質のものであることはいうまでもない。

     

 したがつて、右職業費は、サラリーマンにのみ特有の支出であり、本質的には一種の生活費(家事費)すなわち職業生活費であるが、もとより全廃することは事実上不可能なため、税法上で給与所得金額の算定方法を規定する場合には、他の所得税納税者との負担の公平を図る方法として、すくなくとも右職業費中の適正部分を下廻らない金額を、給与収入から控除し、いわゆる適正職業費の非課税を図ることが必要である。

 

(三)サラリーマンの給与収入と立替金の償還金収入

   サラリーマンは、使用者のため従属労働に従事し、時として前述の立替金を支出することがあるため、使用者から次のような金品の支払を受けるのが常である。

  

(1)労働の報酬である給与収入

    サラリーマンは、その給付した従属労働に対する対償として賃金等の給与を受けているところ、これが旧法九条一項五号に規定する給与所得である。労働者は、これを収受するにつき、労働を給付する以外には何らの不利益も強いられないから、右給与収入について、そのための「必要経費」を考慮する余地はない。右賃金等すなわち給与収入額はその全額が直ちに講学上のいわゆる「所得(経済的利益の増加)」に該当する。

  

(2)費用償還金である一時収入

    サラリーマンは、自己の源資をもつて労働授受に関する経費を立替えて支払うことがあり、その場合は、立替金に対する費用償還金を収受する。これは、前述の給与所得ではなく、旧法九条一項九号に規定する一時所得に係る収入に該当すると解されるが、常に同額の必要経費を支出しているため講学上の所得(経済的利益の増加)を生ずる理由はなく、したがつて同償還金収入は常に非課税であり、これに対し所得課税をなすることは許されない。(なお、サラリーマンが職務上の特定の支出に充てる目的で使用者から金員の前渡しを受け、その全額を右目的どおりに支出したときは、同金員の前渡しにつき所得の有無を論ずる余地はない。)

 

(四)償還金収入の非課税と本件課税処分

   前述の立替払いに対する費用償還金収入は、すでに同額の必要経費を支出しているため、同収入の全部あるいは一部を所得となし、これに課税することは許されない。そのため、控訴人の自認する本件給与収入一七〇万円余の中に、前述の費用償還金収入が含まれているとしたならば、その限度において本件課税処分は違法となり取消を免れないというべきである。そこで、控訴人の本件給与収入の中に、前述の償還金収入が含まれているか否かを判断する。原審における控訴人本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨によると、同志社大学は、昭和三九年頃、控訴人をして「研究・講義等の業務」に従事させその労働を受領するに当り、本来は、同大学で調達し控訴人に使用させるべき研究資料等の一部を控訴人の自費で調達させ、そのため相応な額の費用償還債務を同人から負担したことが推認できる。しかし、同大学がこの債務をどのような方法で消滅させたかは明らかでなく、殊に同償還債務弁済金を「給与」の名目をもつて控訴人に支払つたことを認めるに足る資料はない。したがつて、控訴人は右償還金収入の非課税を理由に、本件課税処分の取消を求めることは許されない。

 

(五)給与所得控除制度

   サラリーマンがいわゆる必要経費を支出して収受する費用償還金収入が給与所得に該当せず一時所得に係る収入に該ること、またその給与収入についてはいわゆる必要経費を考慮する余地がないことはすでに説示したとおりである。したがつて、本件課税規定の中に、サラリーマンの給与所得を対象とした必要経費控除制度を設けることは論理的に不可能である。もつとも、この給与収入の中から、前述の職業費実額を控除する方法により給与所得の額を定めること、すなわち職業費同額の給与を非課税とすることは、一種の所得控除であり、政策論としては可能であるけれども、この実額控除を給与所得控除制度と共に採用することは後述のとおり相当ではない。

   そこで、それ自体「講学上の所得」である給与収入をそのまま「税法上の所得額」とする旨規定しても、いわゆる源資不可侵の原則には抵触しないのであるが、しかし、近時の所得税法は次のような事情から他の所得税納税者との負担の公平を図るため、給与収入の一部を非課税とする制度すなわち給与収入に特有の給与所得控除制度を設けている。

  

(1)給与所得は他の所得に比しいわゆる担税力が弱いため、これを調整する必要がある。

  

(2)サラリーマンは、通常の場合、その地位と収入に応じて職業費を支出しているところ、それはいわゆる必要経費に該らないため法的には回収できないという不利益を受けている。他の所得たとえば職業費を必要としない不労所得や家事費以外の全支出を必要経費として控除している事業所得等との均衡上、右の不利益を調整する必要がある。

  

(3)給与所得の捕捉率はほぼ完全に近いと言えるのに反し、その他の所得の捕捉率は、比較的に低いと言つても誤りではない。この捕捉率の格差が給与所得者に対し法律上の不利益を与えているとは断定できないが、しかし、控訴人のようなサラリーマンの多数に対し不平等感や重税感を抱かせ、その納税意欲を減殺させている。このような結果を防止する必要もある。

  

(4)給与収入は、源泉徴収であるため他の所得税たとえば事業所得税よりも早期に納付しなければならない。この納期の差から生ずる金利の差額について、給与所得者の負担軽減を図る必要がある。

    前記の各必要に応ずるため、旧所得税法は、給与所得控除制度を設け収入の一部を控除して非課税となし、給与所得者とその他の所得者との税負担が実質的にみて均衡を保持するように努めている。したがつて、同控除制度は単に機械的に所得額を算出するための経費控除制度ではなく、既に算定されている講学上の所得から所得税法上において公平かつ妥当と評価し得る所得額を算出するための極めて政策的な控除すなわち給与所得に特有の「一種の所得控除」に該るものと解される。

 

 

(六)給与所得控除制度と適正職業費の非課税

 

(1)この控除制度と撰択的に、前示職業費の実額控除制度を設けることは、立法的には可能である。しかし、右職業費の支出は極めて恣意的でその膨脹と収縮は殆ど支出者自身の自由であるうえ、一般生活費との区別が極めて曖昧なこともあり、この実額控除を容認すると徴税事務の著しい輻輳を来すほか、多額の職業費支出に堪え得る裕福者ほど非課税給与部分が多額となり納税額が僅少になるという不合理を惹起する危険もある。したがつて、今ただちに職業費の実額控除制度を設けるのは適当でなか。

 

(2)しかしこのことは、立法府による給与所得控除額の決定が恣意的であることを許す趣旨では決してない。広汎な裁量権を有する立法府といえども、同控除制度を設けた目的に従い、その他の所得と比較し給与所得のみが不当な重課税を受けることのないよう、右控除額を、すくなくともサラリーマンの職業費中の適正部分を下廻らない額に決定し、かつその状態を実質的に維持しなければならないものというべきである。

   なお、右職業費中の適正部分すなわち適正職業費の額は、個々のサラリーマンの能力やその従事する業種・職種とは関係がなく、ただ給与収入額に対応し、一般的には、同程度の給与収入を有するサラリーマンがその一年間に支出するであろうと予想される職業費のうち、すべての観点たとえば社会状勢や経済状勢等の全事情を綜合的に検討して、適正妥当と評価し得る年間予想支出額と同額であると解される。

 

(3)したがつて、サラリーマンは、職業費実額の控除(実額非課税)を求めることはできないが、しかし、他の所得税納税者との間に実質的に平等な所得税の負担を期するため、憲法一四条にもとづき、国に対し、給与所得控除額を、適正職業費を下廻らない額に定めそれを実質的に維持するよう求める権利すなわち常に適正職業費の非課税を求める権利を有すると解するのが相当である。言い換えると、サラリーマンは、通常の場合、自己の職業費支出を給与所得控除額(原則として適正職業費以上である)の範囲内に縮減することができ、そのように支出縮減をすることにより職業費実額控除制度を実施した場合と同一の利益が受けられるのであるが、仮に職業費支出の急激な増大を余儀なくされ、その結果、右職業費支出を前記控除額の限度に縮減することはもはや相当でないという事態を招いたような場合には、サラリーマンとしては、まことに至難であるけれども、自己と同程度の給与収入を有するサラリーマン一般の現実の職業費支出額や物価上昇率その他の資料によつて、適正職業費の額を調査し、それが給与所得控除額を明らかに超えているという場合には、憲法一四条にもとづく不当な差別の廃止請求として、右控除額に拘らず、明らかな適正職業費全額について、その非課税を求めることができるものと解される。

    

(4)ところで、控訴人の本件給与収入一七〇万円余に対し、本件課税規定における給与所得控除額は僅かに一三万五〇〇〇円にすぎないから、同控除額が果して右収入に相応する適正職業費年額を下るものではないと言えるか否か甚だ疑問ではあるが、控訴人の全立証によるも、右控除額を超えるところの適正職業費額を認定することは困難である。したがつて、控訴人の本訴の主張が右にいう適正職業費の非課税を求める趣旨を含んでいるとしても、未だ右適正費用額の証明が充分でなく採用できない。

    以上にみたとおり、サラリーマンの給与収入はその全額が講学上の所得であるため「必要経費」とは親しまないものであり、また労働授受に関する立替金の支出も、その償還金収入のための必要経費にすぎず、給与収入を得るための必要経費ではないから、本件課税規定において、必要経費実額控除制度が存在しないのは当然である。また給与所得控除制度が設けられていることを考慮すれば、職業費実額控除制度が存在しない点にも十分の合理性が認められるから、「経費控除制度がないこと」を理由に、本件課税規定を不公平とみる控訴人の主張は理由がない。

 

 

2 捕捉率の格差

  控訴人は、給与所得と事業所得の間には、いわゆる捕捉率に著しい格差があるため、給与所得者が不利益を蒙り不公平である旨主張するので、これについて判断する。

 

(一)給与所得の場合には、その総収入を把握することが容易であり、かつ必要経費が存在しないこと前述のとおりであるから、その捕捉率は、ほぼ完全に近いと言つても誤りではないと思われる。これに対し事業所得の場合には、収入の一部を秘匿することが容易である場合が多いほか、必要経費につき多少の水増しをすることも可能であると言えるから、その者が脱税を意図する限りその所得を正確し捕捉することすなわち脱税を完全に防止することが困難なため、そこに格差を生ずることは十分考えられるところである。

    そこで、捕捉率に格差が生じ、しかも同格差は将来もなお永続することも考えられるのであるが、本件の場合、この格差の程度いかんを論ずることは必ずしも必要ではない。本件においては、格差の存在により被つている控訴人のような給与所得者の不利益が果して法律上のものであるか否か、すなわち法の保護に値するか否かを先ず判断することが必要である。

 

(二)右格差が控訴人を含む多数の給与所得者に対し、何らかの不利益感たとえば「事業所得者は脱税をして利得しでいるのに、給与所得者は脱税ができない。これでは正直者が損をする。」との感情を抱かせ、更に不平等感や重税感をも抱かせていることは考えられるにしてもこのような感情を余儀なくさせたからといつて、このことは、未だ控訴人の法益を侵害したものには該らないし、また右格差の存在が控訴人に対し、財産上において何らかの具体的な不利益を負わせていることを認めるに足る資料もない。

   したがつて、右格差の存在は、感情論としてはともかく、未だ控訴人に対し、何ら法的不利益を及ぼしてはいないから、右格差を根拠に、それが本件課税規定を不公平にしている旨の控訴人の主張は、その余の判断をするまでもなく理由がない。

 

 3 租税特別措置

   控訴人は、租税特別措置すなわち医業・歯科医業を営むものの受ける社会保険診療報酬の所得計算の特例等五箇の租税特別措置は、それらに該当する所得のみを不当に優遇し、給与所得者に対し著しい不利益を負わせており、不公平である旨主張するので、判断する。

  

(一)前記特別措置の中には、いわゆる不公平税制と呼ばれるものがあり、本件課税当時すでにその妥当性の喪失等を理由に改正あるいは廃止が論議されていたものをも含んでいること明らかである。

  

(二)そこで、これら特別措置の存在する結果として、給与所得者である控訴人が不利益な課税を受けたと感じたり、あるいは不平等感や重税感を抱いていたことは明らかであるけれども、しかし、このことが未だ控訴人の法益を害したものに該らないことは、前述2(二)の捕捉率の格差の場合と同様である。なお、これら特別措置が控訴人に対し、財産上において何らかの具体的不利益を負わせたことを認めるに足る資料もない。

    したがつて、右特別措置は、感情論は別として、給与所得者である控訴人に対し、未だ何らの法的不利益をも及ぼしてはいないから、右の特別措置が本件課税規定を不公平なものにしている旨の控訴人の主張は、その余の判断をするまでもなく理由がない。

  以上に述べたとおり、1経費実額控除制度の不存在は、給与所得の性質からみて合理的な「差別」であり、また

 

2 捕捉率の格差 3租税特別措置の各存在は、未だ控訴人の法益を侵害せずいわゆる「差別」には該らないから、本件課税規定が給与所得者に殊更重税を課して不当に差別する不公平な規定である旨の控訴人の主張はすべて理由がない。

   なお、右の結論は、すでに発生している所得捕捉率の格差やすでに妥当性を失つている租税特別措置を、そのまま放任してもよいという趣旨では決してない。国としては、控訴人のようなサラリーマンの多数が抱いている不平等感や重税感を和らげるため、いわゆる不公平税制の是正を強力に推進するはもちろん、その罰則の強化を含め徴税技術の向上に尽力して所得の捕捉に万全を期すると共に給与所得控除額の適正化等についても常に格段の意を払わなければならない。

 

 

 三 租税法律主義に違反するとの主張について

 

  控訴人は、本件課税規定が租税法律主義に違反する旨主張するので判断する。租税法律主義とは、租税債務を具体的に発生させる要件は細大もらさずいわゆる法律をもつて規定しなければならない、ということである。言い換えると、その法文を読むだけで直ちに納税義務者が明確となり、その租税額も容易に算定できなければならない、ということである。本件課税規定はこの要件を満たしており、本件課税規定だけで、すべての給与収入に対する所得税納税義務者とその税額を明白にすることができるから、いわゆる租税法律主義に適合していること疑いはない。

 

仮に、控訴人のいうように、給与収入にも事業収入の場合と同質の必要経費があるとすれば、その全額控除を容認しない本件課税規定は、所得がないのに所得税を賦課する危険を生じ、あるいは事業所得課税規定との間に不公平を生ずる危険があること勿論ではあるけれども、このことは、租税法律主義とは関係がない。

 

 

なお、給与収入についていわゆる必要経費の存在する余地がないことは前述した。

   したがつて、本件課税規定が租税法律主義に違反する旨の控訴人の主張は理由がなく、採用できない。

 

 

 

四 世界人権宣言とユネスコ憲章に違反するとの主張について

  控訴人は、世界人権宣言ならびにユネスコ憲章は、憲法九八条二項により国内においても誠実に遵守さるべき実定法であるとの前提に立ち、本件課税規定等がこれら宣言、憲章(その前文)に違反するため、憲法にも違反する旨主張する。

   しかしながら、右人権宣言は条約ではなく、確立された国際法規にも該当しないから、これに違反しても違憲の問題は生じないし、また控訴人主張の各課税規定がユネスコ憲章殊にその前文の基本的精神に違反するとはとうてい認められないから、これまた違憲の問題は生じない。

   要するに、主張の各課税規定は、人権宣言に拘束されるものではなく、またユネスコ憲章とも別段矛盾するものではないから、右宣言や憲章を根拠に、本件課税規定等を違憲とする控訴人の主張は全く理由がない。

 

五 憲法二五条に違反する旨の主張(当審の新主張)について控訴人は、本件課税規定が平均的な勤労国民である控訴人の最低生活費年額一〇四万円余に喰込んで課税している点において憲法二五条に違反する旨主張するので、判断する。

  

1 所得税のうち、給与所得税は、最も典型的な人税であり、源資の所有と無関係な勤労者が、従属労働を続けた後にようやく収受したその賃金(給与)に対して課税する。したがつて、社会政策面からみる限り、同課税は、右労働の永続を不可能にするほど苛酷であつてはならず、常に同労働力の維持に必要な最低限度の生活費を留保するものでなければならない。

  

2 そこで、旧所得税法における課税最低限が、所得税納税者の労働力を維持するに足る年間最低生活費として果して妥当であるか否かを検討することも徒事ではないと思われるが、本訴において控訴人は、自己の最低生活費を年額一〇四万二三五六円と設定し、本件課税処分による所得税二〇万円余とそれに伴う住民税の一部が右生活費に喰込む点を非難し、それが憲法二五条に違反する旨主張しているので、この点について検討する。

    

 憲法二五条により保障された生存を維持するための生活資金であるいわゆる最低生活費は極めて低額であるから、所得税法としても社会政策面を考慮し、そのような生活資金に対して課税することのないよう、適正な課税最低限を設定するのが相当である。このことは、右生存権を具体的に保障している生活保護法により給付される保護金品に対しては、すべての租税や公租公課の賦課が禁止されている点(同法五七条)に徴し疑いはない。

    

 

 ところで控訴人は、憲法二五条により保障された生存を維持するための最低生活費は年額一〇四万円余である旨主張する。しかし控訴人を含む国民一般に対し、憲法が生活保護法をもつて保障している最低生活費は、それと比較にならないほど低額であることは、一般職の職員の給与に関する法律の昭和三九年末における行政職俸給表(二)の最低の俸給月額(これは最低生活費に比しはるかに高額である)が一万二一〇〇円(年額一四万五二〇〇円)であることに徴し、疑う余地はない。

    

 

したがつて、控訴人がその非課税を求め得る最低生活費の額は、その主張額よりもはるかに低額(右一般職の最低俸給よりも低額)であること勿論であるから、控訴人がその給与収入一七〇万円余をもつて、主張の必要経費や本件所得税および住民税を支弁したとしても、控訴人のもとに留保される給与所得(生活資金)はなお憲法上の最低生活費の数倍に達すること明らかである。

   

 よつて、本件課税処分が控訴人の憲法上の最低生活費を侵害することは不可能であるから、本件課税規定が憲法二五条に違反し無効である旨の主張は、その余の判断をするまでもなく理由がない。

 

 

六 以上に説示したとおり、本件課税規定および雑所得課税規定をもつて違憲無効とする控訴人の主張はすべて理由がないから、それを前提として本件課税処分を違法となし、その取消を求める本訴請求はこれを認容するに由がない。

  よつて、控訴人の請求を棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから棄却すべく、控訴費用は敗訴の控訴人に負担させるものと定め、主文のとおり判決する。

 

 

(裁判官 山田義康 岡部重信 藤井一男)