難民不認定処分取消請求事件

 

 

 

 

 

 

 東京地方裁判所判決/平成26年(行ウ)第356号、判決 平成27年11月17日、 LLI/DB 判例秘書について検討します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主   文

 

  1 原告の請求を棄却する。

  2 訴訟費用は原告の負担とする。

 

        

 

 

事実及び理由

 

 

 

第1 請求

    

 処分行政庁法務大臣(以下「法務大臣」という。)が平成22年12月20日付けで原告に対してした難民の認定をしない処分を取り消す。

 

第2 事案の概要

  

1 本件は,ウガンダ共和国(以下「ウガンダ」という。)国籍を有する外国人である原告が,出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)61条の2第1項に基づく難民認定申請をしたが,法務大臣から難民の認定をしない旨の処分を受けたことから,同処分には原告が難民であることを看過した違法がある旨主張し,同処分の取消しを求める事案である。

  

2 関係法令の定め

   別紙2「法令の定め」のとおりである。

  

3 前提事実(当事者間に争いがないか,文中記載の証拠及び弁論の全趣旨により容易に認定することができる事実)

   

(1)原告の身分事項等

     

原告は,1972年(昭和47年)○○月○○日,ウガンダにおいて出生した,ウガンダ国籍を有する男性である。(争いがない事実)

   

(2)原告の入国及び在留の状況等

    

ア 原告は,平成19年5月8日,関西空港に到着し,大阪入国管理局関西空港支局入国審査官から,在留資格「短期滞在」,在留期間「90日」の上陸許可を受けて本邦に上陸した。(争いがない事実)

    

イ 原告は,在留資格の変更又は在留期間の更新を行うことなく,在留期限の平成19年8月6日を超えて本邦に不法残留した。(争いがない事実)

   

 

(3)原告に係る退去強制手続

    

ア 東京入国管理局(以下「東京入管」という。)入国警備官は,平成21年12月3日及び同月7日,原告に係る違反調査をそれぞれ行った。(争いがない事実)

    

イ 東京入管入国警備官は,平成21年12月21日,原告が入管法24条4号ロ(不法残留)に該当すると疑うに足りる相当の理由があるとして,東京入管主任審査官から収容令書の発付を受け,同月24日,同令書を執行し,原告を東京入管主任審査官に引き渡した。(争いがない事実)

    

ウ 東京入管入国審査官は,平成21年12月24日,原告に係る違反審査を行い,原告が入管法24条4号ロ(不法残留)に該当し,かつ,出国命令対象者に該当しない旨認定し,原告にその旨通知したところ,原告は,同日,東京入管特別審理官による口頭審理を請求した。東京入管入国審査官は,同日,原告に対し,仮放免を許可した。(争いがない事実)

    

エ 東京入管特別審理官は,平成22年1月4日,原告に係る口頭審理を行い,その結果,入国審査官の上記認定に誤りがない旨判定し,原告にその旨通知したところ,原告は,同日,法務大臣に対し,異議の申出をした。(争いがない事実)

    

オ 入管法69条の2に基づき法務大臣から権限の委任を受けた東京入管局長は,平成23年7月26日,上記異議の申出には理由がない旨の裁決をし,同日,東京入管主任審査官に同裁決を通知した。(争いがない事実)

    

カ 上記通知を受けた東京入管主任審査官は,平成23年8月19日,原告に対し,上記裁決を通知するとともに,退去強制令書を発付し,東京入管入国警備官は,同日,原告に対し,同退去強制令書を執行し,東京入管主任審査官は,同日,原告に対し,仮放免を許可した。(争いがない事実)

   

 

(4)原告に係る難民認定申請手続

   

ア 原告は,平成21年7月23日,法務大臣に対し,入管法61条の2第1項に基づき難民認定申請(以下「本件難民認定申請」という。)をした。(争いがない事実)

    

イ 東京入管難民調査官は,平成22年8月11日及び同年11月22日,原告に対し,事情聴取をそれぞれ行った。(争いがない事実)

    

ウ 法務大臣は,平成22年12月20日,本件難民認定申請について,原告に対し,難民の認定をしない旨の処分(以下「本件難民不認定処分」という。)をした。(争いがない事実)

    

エ 入管法69条の2に基づき法務大臣から権限の委任を受けた東京入管局長は,平成23年1月4日,原告に対し,入管法61条の2の2第2項による在留特別許可をしない旨の処分をし,同月7日,本件難民不認定処分と併せてこれを通知した。(争いがない事実)

    

オ 原告は,平成23年1月7日,法務大臣に対し,本件難民不認定処分について異議の申立てをした。(争いがない事実)

    

カ 東京入管難民調査官は,平成25年12月18日,原告に係る口頭意見陳述及び審尋を行った。(争いがない事実)

    

キ 法務大臣は,平成26年2月14日,難民審査参与員の意見を聴いた上で,上記異議の申立てを棄却する旨決定し,同年3月19日,原告にこれを通知した。(争いがない事実)

   

 

(5)その後の事情

    

ア 原告は,平成26年4月8日,法務大臣に対し,2回目の難民認定申請をした。(争いがない事実)

    

イ 原告は,平成26年7月31日,本件難民不認定処分の取消しを求める本件訴えを提起した。(当裁判所に顕著な事実)

  

 

 

4 争点

    

 本件の争点は,本件難民不認定処分の適法性であり,具体的には,原告が入管法所定の「難民」に該当するか否かである。

 

 

 

 

 

 

 

 

第3 争点に対する当事者の主張

  

 

(原告の主張)

  

1 難民条約上に定義される「難民」の意義

   

(1)「迫害」の意義

     

 難民条約上に定義される「難民」とは,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないものをいうところ,ここで「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧のみならず,その他の人権の重大な侵害をも意味するものとして広く解すべきである。

   

(2)「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」の意義

     

 難民条約が規定する「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」の解釈については,国連難民高等弁務官(UNHCR)が作成した難民認定基準ハンドブックにおいて「必ずしも申請人の個人的な経験に立脚している必要はない。例えば,友人,親族,及び同一の人種的又は社会集団の他の構成員に起こったことからみて,早晩,申請人も迫害の被害者になるであろうという恐怖は十分に根拠があるといえることもある」,「『恐怖』という用語は,現に迫害を受けている者のみでなく,迫害の危険を伴うような状況を逃れたいと思う者にも及ぶ」と指摘されていることなどを参考とし,本国政府が特に当該申請人を迫害の対象としていることが明らかになるような個別的で具体的な客観的事情があることまでは必要ないと解すべきである。

   

(3)立証責任及び立証の程度

    

ア 立証責任の所在

      

 難民該当性の判断に当たっては,証拠収集の困難性や難民申請者の心的問題等の複数の要因が存在しており,難民該当性についての立証責任を,通常の民事訴訟の立証責任と同様に解して難民申請者が自ら難民であることの立証に成功しなくては難民の認定を受けることができないとすれば,難民条約上の難民がその立証の負担ゆえに難民と認定されないという事態が多数生じることとなる。このような事態を避けるため,難民認定に必要な事実の確認や評価を行う義務は,難民認定者と難民認定機関とがともに負うべきである。このような解釈は,難民認定基準ハンドブックの解釈や難民法学者の見解からも支持される。また,入管法61条の2の14において,法務大臣は,難民の認定に関する処分を行うため必要がある場合には,難民調査官に事実の調査をさせることができる旨(1項),難民調査官は,前項の調査のため必要があるときは関係人に対し出頭を求め,質問をし,又は文書の提示を求めることができる旨(2項),法務大臣又は難民調査官は,1項の調査について,公務所又は公私の団体に照会して必要な事項の報告を求めることができる旨(3項)規定しているのは,難民調査官の調査等によって難民該当性を補おうとする趣旨であると考えられる。

    

イ 立証の程度

     

(ア) 通常の民事訴訟において,裁判例は,常に「合理的な疑いを容れない程度の証明」を要求しておらず,客観的な証拠が不十分な事件では,証拠の優越原則を適用する場合がある。難民不認定処分を争う訴訟では,客観的証拠が不十分であることがほとんどであり,申請者は,自己が難民であることについての証拠が優越すれば,立証に成功したといえる。

     

(イ) また,難民法独自の考え方として,「疑わしきは難民申請者の利益に」という「灰色の利益」の原則が存在しており,このような考え方は,難民認定基準ハンドブックの解釈,難民法学者の見解,海外の難民認定実務及び裁判例からも支持される。そして,この「灰色の利益」の原則が適用される結果,難民認定機関において申請者の主張が「真実ではない」という確信の域に達しない限り,申請者には灰色の利益が与えられるべきであり,難民該当性なしと結論付けられるべきではない。

  

2 ウガンダの一般情勢

    

 ウガンダにおいては,反体制派に対し,警察部隊による超法規的な拷問,脅迫,殺害等が日常的に行われており,また,政府に問題提起をする団体に対しては,同国政府により脅迫,嫌がらせ,懲罰的な干渉等が行われている。

    

 このような政治情勢の下において,同国政府から迫害を受けるおそれのある者は多数存在すると考えられるところ,原告は,まさにその一人である。

  

 

3 原告の個別事情

   

(1)原告が民主党(DP)の党員として政治活動を行ったこと

   

ア 原告は,2000年(平成12年)2月8日,ウガンダの野党である民主党(Democratic Party)(以下「DP」という。)の首都カンパラの(以下略)地区Bの議員,議長に選ばれ(原告が同議長に選ばれたとする同日付けのDPの任命状(乙3)がある。),政治に関わるようになった。

    

イ 原告は,2001年(平成13年)の議員選挙にDPの候補者として立候補し,ウガンダ政府に反対するキャンペーンを行った。原告は,落選したが,原告の地域住民に対する影響力は同国政府の着目するところとなり,同国政府から脅かされるようになった。治安部隊は,原告を反逆者と呼び始め,原告には,同国政府の大学院進学の奨学金,政府機関の仕事への紹介状,その他一般市民であれば自由に行使できるはずの権利が否定された。

   

(2)原告がイスラム教の指導者としてウガンダ政府に目を付けられていること

   

ア 原告は,同国政府の脅威から逃れるために転居し,イスラム教寺院のイマーム(指導者)のアシスタントとして,政治活動よりも心の平静を得るための宗教上の務めに取り組んだ。その後,原告は,イマームとなり,人々に民主的な政府を勧め,その影響力でDPに入党させるなどした。

    

イ その後,反政府勢力である民主勢力同盟(以下「ADF」という。)がウガンダで勢力を拡大し,イマームであった原告は,再び同国政府から目を付けられることになった。これは,ADFは,イスラム教徒が主導する組織であり,同国政府は,原告が人々を反政府運動に勧誘するためにイスラム教寺院の指導者となったと考えたためである。

    

ウ ウガンダでは,イスラム聖職者(イマーム等)の殺害が続いており,このことは,原告の供述とインターネット上の記事から明らかであるところ,このようなイスラム聖職者に対する殺害を止める手立てがない状況では,同国政府は,イマームに対する危害を放置,助長しているといってよい。

   

(3)学生の死亡事故に関して原告が無実の嫌疑で逮捕されたこと

    

 2006年(平成18年)10月,原告が設立した私立学校内で,学生同士の喧嘩で一人の学生が死亡したところ,ウガンダ政府は,死亡した学生の親族の通報により,原告が反逆者を養成するために学校を設立したと考え,死亡した学生が反逆グループに入ることを拒否したため原告に殺されたとの口実をつけ,原告を逮捕した。原告は,4日間の身柄拘束の後,賄賂を払って釈放されたが,その後,警察から原告の自宅,職場を見張られ,行動を監視されるようになった。このように被害者の親族の通報のみで原告が逮捕されたのは,原告が反政府勢力として当局から目を付けられていたからである。

   

(4)原告が反政府勢力の兵士の不正出国を幇助したこと

    

 2007年(平成19年)3月頃,原告は,当時のガールフレンドであったA(以下「A」という。)に依頼され,車でその兄を国境まで送り届けたところ,後に同人が反政府勢力である人民救済軍(以下「PRA」という。)の兵士であることを知り,図らずも原告の行為は,誰の目からも同国政府に反抗するために反逆者と協力した状況となった。そこで,原告は,ウガンダ政府による迫害を逃れるため,ウガンダを脱出した。原告は,来日後,その兵士の名前がB(以下「B」という。)であることを知り,本件難民認定申請後,東京入管に対し,Bがインターネットに投稿した手記(以下「Bの手記」という。乙4)を提出した。Bの手記には,原告の名前の記載はないが,Bがウガンダの国境を越えた状況が記載されており,原告の上記主張を裏付けている。

   

(5)原告がウガンダを出国した前後の状況について

   

ア 原告が正規の手続で出国したことについて

     

 原告は,ウガンダ政府から自己名義旅券の発給を受け,同旅券を使って正規の手続で同国を出国したものであるが,そのことと原告が難民であることとは,何ら関連性を有しない。そもそも,同国政府内部の連絡体制に不備があることもあり得るし,本国にいれば迫害の対象となる人物であっても,本国を出国するのであれば当局が容認することもあり得る。

    

イ 原告が本邦入国後の長期間,難民認定申請をしなかったことについて

     

 外国人には,日本の難民認定制度に関する情報,心理面の障害が存在し,難民認定申請までに長期間が経過してしまうことは,一般に起こり得るのであり,本邦入国後,速やかに難民認定申請をしなかったことが,申請人が迫害の恐怖を抱いていないことを事実上推認させるという経験則は,存在しない。したがって,原告が,本邦入国後,本件難民認定申請をするまでの約2年2か月の間,庇護又は保護を求めていなかったとしても,そのことをもって,原告の難民該当性を消極的に解すべき理由にはならない。

  

4 原告の主張のまとめ

   

 以上によれば,原告は,DP党員として政治活動を行ったことでウガンダ政府から着目され,以後,無実の罪で逮捕,勾留されており,同国に帰国した場合,反乱軍の協力者として再び逮捕され,不当に長期勾留されるなどの迫害を受けるおそれのあるという十分に理由のある恐怖があり,「難民」に当たるから,本件難民不認定処分は,原告の難民該当性の判断を誤っており違法である。

  

 

 

 

(被告の主張)

  

1 難民の意義

   

(1)「迫害」の意義

     

 難民条約及び難民議定書の趣旨は,人間の生存にとって根源的な生命又は身体の自由が危険にさらされている者に超国家的な庇護を与えることにあり,それ以外の法益等については,第三国が国籍国に代わって保護することは当然には想定されていない。このことに鑑みると,「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃ないし圧迫であって,生命又は身体の自由の侵害又は抑圧」を意味し,それ以外の経済的・社会的自由,精神的自由等の法益に対する侵害は含まれないというべきである。

     

 なお,UNHCRは,自らの規定に基づいて保護の対象とする者を確定する趣旨で独自に難民の認定を行うことがあることに照らすと,UNHCRの難民認定基準は,難民条約を解釈するための補足的手段にならない。

   

(2)「十分に理由のある恐怖」の意義

     

 「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」というためには,当該人が,迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱いているという主観的事情のほかに,通常人が当該人の立場に置かれた場合にも迫害の恐怖を抱くような客観的事情が存在していることを要し,その際,単に迫害を受けるおそれがあるという抽象的な可能性が存するにすぎないといった事情では足りず,当該申請者について迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱くような個別かつ具体的な事情が存することを要する。

   

(3)立証責任及び立証の程度

    

ア 立証責任の所在

      

 入管法61条の2第1項の文理,難民認定処分の性質(授益処分であること),難民認定のための資料との距離等に鑑みると,原告(申請者)が「難民」に当たることは,申請者が立証する責任を負うというべきである。

    

イ 立証の程度

      

 入管法に難民認定に関する立証責任を緩和する規定がないことに照らすと,民事訴訟法の一般原則に従い,原告(申請者)は,自らが難民であることについて合理的な疑いを容れない程度の証明をしなければならない。

  

2 原告が主張する個別事情について

  

(1)原告の主張3(1)(DP党員関係)について

   

ア この点に関する原告の主張については不知である。原告は,自らの主張を裏付けるため,DPの任命状(甲3)及び党員証(甲4)を提出する。しかし,原告は,本件難民認定申請書及び難民調査官の事情聴取において,DP党員としての政治活動について全く触れておらず,本件難民不認定処分に対する異議申立書においても,「私は政治活動など一切しておりません。」と記載したが,その後,原告代理人作成の平成23年4月18日付け「異議申立てに係る申述書に代わる書面」において,突如,DP党員としての政治活動歴について申述した。以上の経過からすれば,原告がDP党員として政治活動を行っていた旨の原告の供述の真偽は甚だ疑わしい。

    

イ 仮に原告の主張を前提としても,ウガンダは,平成17年に複数政党制に回帰し,ウガンダ議会にはDP所属議員が15人存在しており,DP党員は,同国において公然と政治活動を行うことができるのであり,このことに加えて,原告は,カンパラの(以下略)一行政単位において30人程度のDP党員の中からチェアマンに選ばれたというにすぎず,その程度のチェアマンであれば,同国内に多数人存在すると考えられることからすれば,原告が上記のようなDP党員であったと主張する2001年(平成13年)前後の短い期間における政治活動をもって,同国政府から迫害を受けるほど殊更に注視されていたとは考え難い。

    

ウ よって,この点に関する原告の主張は,原告の難民該当性を基礎付ける事情とはなり得ないというべきである。

   

(2)原告の主張3(2)(イマーム関係)について

   

ア この点に関する原告の主張については不知である。原告の供述以外に,同主張を裏付けるに足りる客観的な証拠はない。

    

イ 仮に原告の主張を前提としても,ウガンダにおいては,国家宗教は存在せず,信仰の自由は保護されている上,原告は,イマームであることを理由として同国政府に身柄を拘束されることはなかったというのであるから,同国政府からイマームとして殊更に注視されていたとは認められない。

      

 また,原告は,ウガンダにおいて,イマームが殺害される事件が複数発生しており,原告の身も危険である旨主張するが,これらの事件が無差別的にイマームを狙ったものとは認め難い上,同国政府は,殺害犯の逮捕に向けて総力を挙げて対応するとしており,これらのことからすると,同国政府がイマームに対する危害を放置,助長しているとは認められない。

    

ウ よって,この点に関する原告の主張は,原告の難民該当性を基礎付ける事情とはなり得ないというべきである。

   

(3)原告の主張3(3)(学生の死亡事故関係)について

   

ア この点に関する原告の主張については不知である。原告の供述以外に,同主張を裏付けるに足りる客観的な証拠はない。

    

イ 仮に原告の主張を前提としても,原告の逮捕は,死亡した学生の親族が原告に殺された旨通報したことに起因していたのであるから,同通報の真偽はともかく,同通報を端緒として警察が原告を逮捕したこと自体は,正当な捜査の一環であったというべきである。原告の供述によっても,原告は,3,4日間の身柄拘束後に釈放され,その拘束中に暴行や拷問を受けたといった事情もなかったのであり,他に上記の逮捕に原告の難民該当性を基礎付けるほどの不当性があったと認めるに足りる客観的な証拠はない。

    

ウ よって,この点に関する原告の主張は,原告の難民該当性を基礎付ける事情とはなり得ないというべきである。

   

(4)原告の主張3(4)(不正出国の幇助関係)について

   

ア この点に関する原告の主張については不知である。原告は,自らの主張を裏付けるため,Bの手記(乙4)を提出するが,Bの手記の記載内容自体の真実性を裏付ける客観的証拠はなく,その内容を見ても,原告の名前をはじめとして,原告がBの出国の手助けをしたことを証する記載はないから,この点に関する原告の供述は信用できない。

    

イ 仮に原告の主張を前提としても,原告の行為は,Bの不正出国という違法行為の幇助というべきであるから,ウガンダ政府が,かかる違法行為に関連して原告の身柄を拘束することがあったとしても,それは同国国内の治安維持のための正当な警察権の行使にほかならない。また,原告がBの出国を手伝った際,原告が運転する車には政府軍の兵士が同乗していたという原告の供述を前提とすれば,Bの出国には,同国政府が関与していたことになる。そうすると,これらの原告が主張,供述する事情をもって,原告が同政府から迫害を受けるおそれがあるとはいえない。

    

ウ よって,この点に関する原告の主張は,原告の難民該当性を基礎付ける事情とはなり得ないというべきである。

  

 

3 原告の難民該当性を否定する事情について

  

(1)原告が自己名義の旅券の発給を受けてウガンダを出国したこと

    

 旅券とは,外国への渡航を希望する自国民に対し,当該国政府が発給する文書であり,その所持人の国籍及び身分を公証し,かつ,渡航先の外国官憲にその所持人に対する保護と旅行の便宜供与を依頼し,その者の引取りを保証する文書である。原告は,ウガンダ政府から自己名義旅券の発給を正規に受け,同旅券を使用して何の問題もなく同国を出国したことからすると,同国政府が,当時,原告を迫害の対象としていなかったことを強く推認させる。

   

(2)原告が本邦入国後,長期間にわたって難民認定申請をしなかったこと

    

 仮に原告がウガンダ政府による迫害を恐れて同国を出国したのであれば,本邦入国後,遅滞なく公の機関に庇護を求め,そうでなくても難民として保護を求めるための方策や手続についての情報を収集しようとするのが自然かつ合理的な行動であるところ,原告は,来日後,中古タイヤを混載する作業員としてその仕事を手伝い,本国の妻子にこれまで合計20万円を送金していたというのであり,また,原告は,英語に不自由せず,難民認定制度についても一定の知識を有していたと考えられるが,本邦入国後,本件難民認定申請をするまでの約2年2か月の間,庇護又は保護を求めるための具体的な行動を起こしていない。このような原告の行動に照らせば,原告は,迫害を受ける恐怖から国籍国の外にいる者とは到底いえないというべきである。

  

4 被告の主張のまとめ

   

 以上によれば,原告が主張する事実は,その事実が認定し難く,仮に認定できるとしてもウガンダ政府が原告を迫害の対象として関心を寄せるようなものではなく,原告が迫害を受けるおそれがあるという恐怖を抱くような個別かつ具体的な事情があるとは認められないから,本件難民不認定処分は適法である。

 

 

 

 

 

 

 

 

第4 当裁判所の判断

  

1 入管法所定の「難民」の意義等

   

(1)「難民」の意義

     

 入管法2条3号の2,難民条約1条A(2)及び難民議定書1条2によれば,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないものは,「難民」に当たることになる。

     

 そして,上記「迫害」とは,通常人において受忍し得ない苦痛をもたらす攻撃又は圧迫,すなわち,生命若しくは身体の自由又はこれに匹敵する重大な自由の侵害又は抑圧をいうと解するのが相当である。しかるところ,「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」場合とは,その者が主観的に「迫害」を受けるおそれがあるとの恐怖を有しているだけでは足りず,その者と同一の立場に置かれた通常人をして「迫害」を受けるおそれがあるとの恐怖を抱かせるに足りる事情がある場合をいうと解される。

   

(2)「難民」該当性の立証責任

     

 我が国における難民の認定に関する手続は,入管法61条の2以下が定めているところ,入管法61条の2第1項を受けて,出入国管理及び難民認定法施行規則55条1項は,難民の認定を申請した外国人が自ら難民に該当することを証する資料を提出しなければならないと定めている。

     

 加えて,難民の認定は,当該外国人が一定の法的利益を付与されるべき地位にあることを確認(公証)する性質を有する処分(入管法61条の2の2,61条の2の3,61条の2の11,61条の2の12参照)であるから,授益処分としての性質を有するものと解される。

     

 以上に照らすと,難民を認定しない処分の取消しの訴えにおいては,当該処分の名宛人(すなわち難民の認定を申請した外国人)である原告が,自ら「難民」に当たることを立証しなければならないと解される。

  

 

2 認定事実

    

 そこで,前提事実,争いのない事実,各項に掲記した証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。

   

(1)ウガンダの一般情勢

    

ア ウガンダの政治情勢等

     

(ア) ウガンダは,1962年(昭和37年),旧宗主国である英国から独立し,1963年(昭和38年)以降,共和制を採用しており,大統領を国家元首とし,首都はカンパラである。同国の人口は,2012年(平成24年)当時の推定で3562万1000人である。(乙18)

     

(イ) ウガンダでは,上記の独立以来,クーデター等が繰り返されたところ,ヨウェリ・カグタ・ムセベニ(以下「ムセベニ」という。)は,1986年(昭和61年)1月,国民抵抗運動(以下「NRM」という。)を率いて武力で首都カンパラを制圧して,大統領に就任し,1996年(平成8年)5月,国民の直接選挙により大統領に当選した。

       

 その後,ウガンダでは,2000年(平成12年)6月,複数政党制導入の是非を問う国民投票が実施され,与党NRMによる一党統治体制が支持されたが,2005年(平成17年)7月の国民投票により複数政党制への回帰が決定された。2006年(平成18年)2月,複数政党制の下で選挙が実施され,ムセベニ大統領が三選を果たすとともに,与党NRMが勝利し,2011年(平成23年)2月に実施された選挙においても,ムセベニ大統領が四選を果たすとともに,与党NRMが勝利した。(甲8,乙18ないし22)

       

 一方で,ムセベニ大統領への権限集中と政権長期化による汚職の増大等の弊害も指摘されている。(甲8,乙21)

     

(ウ) ウガンダ議会は,一院制の国民議会であり,合計388議席のうち238議席が直接選挙で選出されるところ,2011年(平成23年)の選挙の結果,その議席は,与党NRMが264議席,民主変革フォーラム(以下「FDC」という。)が34議席,DP(民主党)が12議席,ウガンダ人民会議(UPC)が10議席などとなった。(乙20)

       

 なお,現在,ウガンダ議会の公式ホームページにおいて全議員の氏名,所属政党,顔写真,身分事項,経歴等の情報が公開されており,これによれば,同議会に15人のDP所属議員が存在している。(乙25)

    

イ ウガンダにおける主な反政府勢力

     

(ア) ウガンダの北部地域では,20年に及ぶ反政府組織である神の抵抗軍(LRA)との戦闘が続いたが,近隣国と共同の軍事掃討作戦及びアメリカ合衆国の支援を背景として,LRAはその勢力を縮小し,拠点をウガンダ国外に移した。2006年(平成18年)8月以降,北部地域の治安回復に伴い,一時は200万人に達した国内避難民の大半が帰還し,復興,開発に取り組んでいる。(乙18ないし22)

     

(イ) ウガンダの南西部では,イスラム原理主義者らで構成されるADF(民主勢力同盟)の活動が1995年(平成7年)まで盛んであったが,2002年(平成14年),ウガンダの治安部隊によってウガンダから追放され,コンゴに拠点を移しており,近年は活動が休止状態にある。また,他の反政府勢力としては,人民救済軍(PRA)等がある。(乙18,24,27,28)

    

ウ ウガンダにおける宗教の状況等

     

(ア) ウガンダの宗教人口は,国民の約75%がキリスト教徒,約15%がイスラム教徒,残りが伝統宗教等のその他の宗教である。(乙18)

     

(イ) 憲法又は法律は,信教の自由を定めており,ウガンダ政府は,いくつかの小さな制限はあるものの,実際にこの権利を概して尊重した。

       

 なお,首都カンパラのテロ防止警察は,2004年(平成16年)3月,イスラム教指導者らを反逆のかどで逮捕したところ,この件について,ウガンダ政府は,彼らを逮捕したのは彼らがADFの募集を行ったためであると述べた。(乙23,24)

     

(ウ) ウガンダでは,イスラム教の聖職者(イマーム)が多数存在しているところ,近年においても,イマームが正体不明の者に殺害される事例が報道されている。(甲11ないし15(枝番を含む。))

   

(2)ウガンダにおける原告の経歴及び活動に関連する事実

    

ア 原告は,1972年(昭和47年)○○月○○日,ウガンダにおいて出生した,ウガンダ国籍を有する男性である。原告の民族は,バガンダ族で,宗教は,イスラム教スンニ派である。(前提事実(1),乙5)

    

イ 原告には,1999年(平成11年)にウガンダで婚姻した妻がおり,妻との間に長男,長女及び二男の3人の子らがいるところ,この妻子らは,現在,首都カンパラの郊外に居住している。(乙5)

    

ウ 原告は,2004年(平成16年)2月20日,自己名義の正規旅券を取得し,2007年(平成19年)5月初旬頃,同旅券を行使してウガンダを出国した(乙1,5,17)

   

 

(3)本邦における原告の経歴及び活動に関連する事実

    

ア 原告の本邦上陸及び不法残留

      

 原告は,平成19年5月8日,関西空港に到着し,在留資格「短期滞在」,在留期間「90日」の上陸許可を受けて本邦に上陸したが,在留資格の変更又は在留期間の更新を行うことなく,在留期限である平成19年8月6日を超えて本邦に不法に残留した。(前提事実(2))

    

イ 原告の生活状況等

      

 原告は,来日した約3週間後から肩書住所地内のコンテナハウスに住み込み,ナイジェリア,ガーナ,スーダン等に輸出するための中古タイヤをコンテナに混載する作業員として,その仕事の手伝いをしており,本国の妻子に対し,これまでに合計20万円を送金した。(乙5)

    

ウ 本件難民認定申請

      

 原告は,平成21年7月23日,本件難民認定申請をし,難民認定申請書(以下「本件難民認定申請書」という。)を提出した。その中で,原告は,

 

① 本国に戻った場合に迫害を受ける理由はどれですかという質問に対し,人種,宗教,国籍,特定の社会的構成員であること及び政治的意見以外の「その他」と回答し,

 

② 上記①の点を理由とする逮捕をされたこと等がありますかという質問に対し,「はい」,カトウェ警察署に一人の生徒を殺害した容疑で拘留された旨回答し,

 

③ 本国政府に敵対する組織に属していましたかという質問に対し,「いいえ」と回答し,

 

④ 本国政府に敵対する政治的意見を表明したり行動をとったことがありますかという質問に対し,「いいえ」と回答し,

 

⑤ 本国に帰国するとすればいかなる事態が発生しますかという質問に対し,「私は,逮捕され,隠れ家に連れて行かれるでしょう。容疑は反乱軍の容疑をかけられた者の逃亡を支援したことです。おそらく他の者たちと同じように殺されるでしょう。」などと回答し,

 

⑥ 来日後6月以内に難民認定申請を行っていない理由として,「日本にこのUNHCRのサービスがあることを知らなかったからです。」などと回答し,

 

⑦ 来日時に使用した自己の旅券について,その後,盗まれてしまい所持していない旨申告した。(前提事実(4)ア,乙2)

    

 

 

エ 原告が本件難民認定申請時に提出した陳述書

      

 原告は,平成21年7月23日,本件難民認定申請の際,東京入管に対し,陳述書(以下「申請時陳述書」という。乙3)を提出し,次のとおり供述した。すなわち,原告がウガンダを離れた理由は3つあり,

 

① 第1に,原告が開設した私立学校において,2005年(平成17年),学生が納付した試験料の一部が副校長によって盗まれる事件が発生し,試験の登録がされなかった学生らとその両親らが,校長である原告に対して過激な行動を起こし,警察が中に入って騒動は収まり,文部省の取り計らいで事件は収まったが,原告及び家族に対する脅威は,2006年(平成18年)になるまで続き,この間,警察の保護を受けられなかった,

 

② 第2に,2006年(平成18年)10月頃,上記学校の学生同士の喧嘩により,一人の学生が死亡したところ,死亡した学生の叔父が,警察に対し,原告が棒で学生を殴ったとの虚偽の申告をし,原告は,カトゥエ警察署に連行されて4日間拘留され,政府に顔の利く学生の親(C)の口利きにより賄賂を支払って保釈された,

 

③ 第3に,2007年(平成19年)2月から3月にかけて,前のガールフレンドであるAに頼まれ,事情を知らずに彼女と3人の男を車でルワンダとの国境まで連れて行き,男の一人が国境を越えた後,残りの者とともにカンパラに戻ったところ,後に国境を越えた男が反政府運動家であることを知り,Cの助けにより日本行きのビザを取得し,ウガンダを出国した(来日後,原告は,国境を越えた男がBといい,FDCの活発な会員で,PRAと太い繋がりを持つ者であることをCから聞かされた。)。

    

オ Bの手記の提出

      

 原告は,平成21年11月2日,東京入管に対し,「難民認定申請後にインターネットで見つけたものをダウンロードした」として(乙5),Bの手記を提出した。これは,「声 亡命者フォーラム」に2007年(平成19年)4月又は同年5月に掲載されたもので,「ウガンダ刑務所におけるD氏及び同志容疑者への拷問 ウガンダにおける『安全な家』の想像を絶する存在」と題する手記であり,Bの義理の妹としてAとの名前のほか,Bの親戚と友達がBの解放のために助けてくれ,兵士らがウガンダとルワンダの国境までエスコートして国境を越えさせてくれたこと,Bは,その兵士らから彼らの安全のために彼らの身分を誰にも話さないことを誓わされたことなどが記載されている。(乙4,5)

    

カ 難民調査官の事情聴取(1回目)の内容等

      

 原告は,平成22年8月11日,東京入管難民調査官による1回目の事情聴取において,次のとおり供述した。すなわち,原告は,2007年(平成19年)3月頃,Aから頼まれて,ある兵士の男を車でルワンダとの国境付近まで送り届けたところ,原告は,Cから,同年4月頃,Aが殺された旨を聞かされるとともに,来日後,その兵士の名前がBである旨を聞かされた。(前提事実(4),乙5)

    

キ 難民調査官の事情聴取(2回目)の内容等

      

 原告は,平成22年11月22日,東京入管難民調査官による2回目の事情聴取において,次のとおり供述した。すなわち,

 

① Bは,FDCのリーダーに近いレベルの一般メンバー及びPRAメンバーであり,原告は,彼が反乱軍兵士であると知らずに彼を国境付近に送った,

 

② 原告は,来日後の平成20年,Bに対し,原告が難民認定申請をする上で必要であるとして,原告が彼を国境まで連れて行った人物であると証明する書面を依頼する電子メールを4回送ったが,Bからは1回も返信が来なかった,

 

③ 原告の妻は,2007年(平成19年),当局から原告の所在及び生活資金の出所についての事情を聴取されたが,それ以外に事情聴取されたことはない,

 

④ 原告は,FDCの一般メンバーであるが,PRAのメンバーでも支持者でもない。(前提事実(4),乙6)

      

 なお,原告は,自らをFDCの一般メンバーとする上記供述④について,原告はFDCの一般メンバーでなく,FDCと現政権に反対する立場で共通していたにすぎないとして上記供述を訂正した。(原告本人)

    

 

ク 本件難民不認定処分に対する異議申立て

     

 原告は,平成23年1月7日,本件難民不認定処分に異議を申し立て,同申立てに係る異議申立書において,不服の理由として,「私は,政治活動など一切しておりません(I have never been active in politics)。難民とは何らかの形で権威の下に処刑されてしまうと恐れる人のことです。逃亡した反政府分子を助けたということで私は犠牲者となり,非難が私に向けられたのです。」と記載した。(前提事実(4)オ,乙9)

    

ケ 異議申立て後の陳述書等の提出

      

 原告は,平成23年4月18日,東京入管に対し,原告訴訟代理人が作成した「異議申立てに係る申述書に変わる書面」(以下「代理人申述書」という。)及び原告の陳述書(以下「異議後陳述書」という。)を提出した。原告は,これらの書面において,初めて,2000年(平成12年),DPの「カンパラ(以下略)」の議員・議長に選ばれて政治に関わった旨の経歴について言及した。(乙10ないし11)

    

 

コ 異議申立手続における口頭意見陳述及び審尋

      

 原告は,平成25年12月18日,難民調査官が実施した口頭意見陳述及び審尋において,次のとおり供述した。すなわち,

 

① 原告は,2000年(平成12年)にDPの(以下略)チェアマンに選ばれ,活動的であったのは2002年(平成14年)と2003年(平成15年)であり,その後,DPのメンバーを辞めた,

 

② 2006年(平成18年)に学生が死亡した事件に関し,死亡した学生の叔父は,学生がADFに入ることを拒んだため原告がその学生を殺したと言いがかりを付け,警察に通報した,

 

③ 原告は,イスラム教の指導者(イマーム)であり,ウガンダで政府に反することをすると生きていられない,

 

④ 2007年(平成19年)に兵士を国境付近まで送った件に関し,原告が,PRAのメンバーであるとは知らずにその兵士の不正出国を手伝ったことが,結果的に政治的な行動になった。(前提事実(4)カ,乙15)

  

 

 

 

3 原告の難民該当性に関する検討

   

(1)争点に対する原告の主張3(1)(原告がDP党員として政治活動を行ったこと)について

   

ア 原告は,2001年(平成13年),DP党員として,ウガンダの議員選挙に立候補し,政府に反対するキャンペーンを行ったところ,結果的に落選し,原告の地域住民に対する影響力が同国政府に着目され,同国政府から脅かされるようになった旨主張する。

    

イ しかし,仮に原告が,2000年(平成12年)2月8日付けで,DP所属の候補者として,DPの(以下略)地区(以下略)の議員(a Councillor)及び議長(a Chairman)に任命され(甲3の1,2,甲4の1,2),一定の政治活動を行ったことがあるとしても,

 

原告の供述(原告本人,甲9の1,2)によれば,DPの(以下略)地区Bの議長は,ウガンダ国内に数多くある行政区画の一つに対応する地区の議長にすぎず,その影響力は限定的とみられるし,

 

原告は,2001年(平成13年)の上記議会議員選挙において落選し,DP党員として活動的であったのは,2000年(平成12年)と2001年(平成13年)の限定された期間であって,その後はDP党員として活動していないというのであり,

 

異議申立手続における口頭意見陳述及び審尋においては,DP党員を辞めたとも供述していた(認定事実(3)コ)。

      

 

 また,上記の2001年(平成13年)当時は,2000年(平成12年)の国民投票により与党NRMの一党統治体制となっていた時期であるが(認定事実(1)ア(イ)),その後,2005年(平成17年)7月の国民投票により複数政党制へ回帰し,同国議会にDPに在籍する議員も存在するなど(認定事実(1)ア(ウ)),DP党員は公に活動することが可能であると認められる。

      

 

 以上に鑑みれば,本件難民不認定処分当時の同国政府が,原告が上記の程度の内容によりDP党員として政治活動を行ったことを直接又は間接の理由として,原告を迫害する客観的なおそれがあったとは認め難い。

    

 

ウ さらに,認定事実(3)アないしク,証拠(乙2ないし6,9ないし11)及び弁論の全趣旨によれば,原告は,本件難民認定申請書,申請時陳述書及び難民調査官の事情聴取において,DP党員としての政治活動歴に全く言及しておらず,本件難民不認定処分に対する異議申立書においても,政治活動を一切していない旨を記載しており,その後の代理人申述書及び異議後陳述書において初めて自らがDP党員であったことに言及したことが認められるのであって,他に,原告は,本件訴訟においてDP党員としての政治活動歴をもって本国政府から迫害される直接的な理由とする趣旨でない旨主張していること(平成26年12月9日付け準備書面)にも鑑みれば,原告自身,自らのDP党員としての政治活動歴をもって,同国政府から迫害されるおそれに当たる事由として重視していなかったと認められる。

    

エ したがって,この点に関する原告の主張(原告がDP党員として政治活動を行ったこと)は,原告の難民該当性を基礎付ける事由には当たるとは認められないというべきである。

      

よって,この点に関する原告の主張は採用できない。

   

 

 

 

 

(2)争点に対する原告の主張3(2)(原告がイマームとして同国政府に目を付けられていること)について

   

ア 原告は,イスラム教寺院のイマームとなって,人々に民主的な政府を勧め,その影響力でDPに入党させた旨主張,供述する。

    

イ しかし,原告は,自らがDP党員であったことについては,上記(1)のとおりDPの任命状等の一定の客観的証拠を提出するのに対し,自らがイマームであったことについては,何らの客観的証拠を提出しておらず,他に,原告がウガンダにおいてイマームとして活動していたことを認めるに足りる的確な証拠はない。

      

 また,認定事実(3)ウないしコ,証拠(乙2ないし6,9ないし11,15)及び弁論の全趣旨によれば,原告は,本件難民認定申請書,申請時陳述書,難民調査官の事情聴取,代理人申述書及び異議後陳述書において,イマームとしての活動歴に全く言及しておらず,その後の口頭意見陳述及び審尋に至って初めて自らがイマームであったことに言及したことが認められるのであって,このことに鑑みると,原告自身,ウガンダにおける自らのイマームとしての活動歴をもって,同国政府から迫害されるおそれに当たる事由として重視していなかったと認められる。

    

ウ 仮に原告の主張を前提としても,ウガンダにおいては,国家宗教は存在せず,憲法又は法律により信仰の自由は保護の対象とされている上(認定事実(1)ウ(イ)),原告の供述(原告本人,甲9の1,2)によれば,イスラム教の聖職者とされるイマームは,ウガンダ国内に多数人存在しており,原告はその中の一人であったにすぎず,しかも,2008年(平成20年)以降はイマームでなくなったというのであり,イマームであることを理由として同国政府に身柄を拘束されることはなかったこと(乙5)からすると,原告が,同国政府からイマームとして殊更に注視されていたとは認められない。

      

 また,ウガンダにおいて,イマームが正体不明の者に殺害される事件が発生していることが認められる(認定事実ウ(ウ))が,当該事件においてイマームが殺害された理由は不明であり,無差別的にイマームを狙ったものであると認めるに足りる的確な証拠はなく,また,同国政府は,殺害犯の逮捕に向けて総力を挙げて対応するとしており(乙13の2),これらのことからすると,同国政府がイマームに対する危害を放置ないし助長している状況にあるとは認められない。

    

エ したがって,この点に関する原告の主張(原告がイマームとして同国政府に目を付けられていること)は,原告の難民該当性を基礎付ける事由に当たるとは認められないというべきである。

      

 よって,この点に関する原告の主張は採用できない。

   

 

 

 

 

(3)争点に対する原告の主張3(3)(学生の死亡事故に関して原告が無実の嫌疑で逮捕されたこと)について

   

ア 原告は,2006年(平成18年)10月,原告が設立した私立学校内で,学生同士の喧嘩で一人の学生が死亡したところ,ウガンダ政府は,死亡した学生の親族による虚偽の通報により原告を逮捕し,原告の身柄を3,4日間拘束した旨主張,供述するが,これを裏付ける客観的な証拠はない。

    

イ 仮に原告の主張を前提としても,原告の上記逮捕は,死亡した学生の親族により原告が当該学生を殺害したとの通報がされたことに起因しており,同通報を端緒として警察が原告を逮捕したこと自体は,ウガンダにおいて一般的に行われている捜査の範疇であったと評価する余地があり,しかも,原告の供述(原告本人,甲9の1,2)によれば,原告は,原告の支援者らからの抗議もあって,逮捕された3日後に釈放されたというのであり,原告は,上記の身柄拘束中において暴行等を受けた旨の供述はしていないことからすると,原告の難民該当性を基礎付ける事情とは認め難い。

    

ウ したがって,この点に関する原告の主張(学生の死亡事故に関して原告が無実の嫌疑で逮捕されたこと)は,原告の難民該当性を基礎付ける事由に当たるとは認められないというべきである。

      

 よって,この点に関する原告の主張は採用できない。

   

 

 

 

(4)争点に対する原告の主張3(4)(原告が反政府勢力の兵士の不正出国を幇助したこと)について

   

ア 原告は,争点に対する原告の主張3(4)に係る原告の主張のとおり,原告は,2007年(平成19年)3月頃,Aに依頼され,PRAの兵士であると知らずにある人物(B)を国境まで送り届け,不正出国を手助けしたため,結果的にウガンダ政府に反抗したことになり,このことはBの手記(乙4)により裏付けられている旨主張,供述する。

    

イ しかしながら,原告が国境まで送り届けたとする人物がBであったとする根拠は,AないしCから聞いたとするのみであり(原告本人),これを認めるに足りる客観的な証拠はない。

      

 また,認定事実(3)オ及び証拠(乙4)によれば,Bの手記には,Bがウガンダから出国する場面とは別の場面において,Aという名前が記載された箇所があるが,その人物が原告のガールフレンドであったとされる女性(A)と同一人物であるのかは不明である上,Bがウガンダから出国する場面において,原告及びAとみられる人物についての言及はみられない。この点,原告は,Bの手記について,本件難民認定申請(平成21年7月23日)の後にインターネットで見付けてダウンロードしたものである旨供述するが(乙4),Bの手記は,その記載上,平成19年4月又は5月には既にインターネット上に掲載されていたものであり(認定事実(3)オ),本件難民認定申請前に既に原告の目に触れていた可能性があることからすると,原告の上記供述の真偽も不明といわざるを得ない。

      

 そうすると,Bの手記をもって上記アの原告の主張,供述を裏付けることはできず,他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。

    

ウ したがって,この点に関する原告の主張(原告が反政府勢力の兵士の不正出国を幇助したこと)は,原告の難民該当性を基礎付ける事由には当たるとは認められないというべきである。

      

 よって,この点に関する原告の主張は採用できない。

   

 

 

(5)原告が来日後の約2年2か月にわたり難民認定申請をしなかったこと

    

 原告は,平成19年5月8日,本邦に上陸し,在留期限である同年8月6日を超えて不法残留し,平成21年7月23日になって本件難民認定申請をしたところ(認定事実(3)ア,ウ),この間,原告は,中古タイヤを混載する作業員としてその仕事を手伝い,本国の妻子にこれまで合計20万円を送金していたというのであるが,原告は,UNHCR等の難民制度一般についての知識は有していたとみられ(甲9の1,2,乙3,原告本人),また,英語の使用に不自由はないことからすると,我が国において難民として庇護を求める手段を早期に調査することがそれほど困難であったとは思われない。

 

 このように,原告が,本邦に上陸後,約2年2か月にわたり難民としての庇護を求めることなく,不法残留後は常に退去強制される可能性がある状態で在留を継続したことは,真にウガンダ政府からの迫害をおそれて国外にある者であれば当然に持つであろう同国政府に対する恐怖や切迫感と相矛盾するところがあると評価せざるを得ない。

     

 よって,この点に関する原告の主張は採用できない。

  

 

4 争点のまとめ

   

 以上によれば,原告は,本件難民不認定処分の時点(平成22年12月20日)において,「人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有する」者ということはできず,入管法所定の「難民」であるとは認められないから,本件難民不認定処分は適法である。

  

5 結論

    

 よって,原告の請求は理由がないから棄却することとし,訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条,民事訴訟法61条を適用して主文のとおり判決する。

     

東京地方裁判所民事第38部

         裁判長裁判官  谷口 豊

            裁判官  工藤哲郎

            裁判官  和久一彦

 

 

 

別紙1

        指定代理人目録

 西尾学   濱中淳一 下村祐子  石川直人 大槻茂樹

 佐々木恭子 清水俊幸 山口さつき 井坂武博 小西達三

 佐藤志麻  木村仁美 村山哲史  安部知佳

                               以上

 

 

別紙2

        

法令の定め

 

 

 

1 出入国管理及び難民認定法

 

(定義)

  2条 出入国管理及び難民認定法及びこれに基づく命令において,次の各号に掲げる用語の意義は,それぞれ当該各号に定めるところによる。

    一~三 略

    三の二 難民 難民の地位に関する条約(以下「難民条約」という。)第1条の規定又は難民の地位に関する議定書第1条の規定により難民条約の適用を受ける難民をいう。

    四以下 略

 

 

(難民の認定)

  61条の2

   1項 法務大臣は,本邦にある外国人から法務省令で定める手続により申請があったときは,その提出した資料に基づき,その者が難民である旨の認定(以下「難民の認定」という。)を行うことができる。

   2項 略

 

 

 

 

 

 

 

 

2 難民条約(難民の地位に関する条約)

 

 

 

  1条 「難民」の定義

   A この条約の適用上,「難民」とは,次の者をいう。

    (1)略

    (2)1951年1月1日前に生じた事件の結果として,かつ,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために,国籍国の外にいる者であって,その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの(以下略)

   B以下 略

 

 

 

 33条 追放及び送還の禁止

   1 締約国は,難民を,いかなる方法によっても,人種,宗教,国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見のためにその生命又は自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放し又は送還してはならない。

   2 略

 

 

 

 

 

3 難民の地位に関する議定書(以下「難民議定書」という。)

  

  1条 一般規定

   1 略

   2 この議定書の適用上,「難民」とは,3の規定の適用があることを条件として,難民条約第1条を同条A(2)の「1951年1月1日前に生じた事件の結果として」…という文言が除かれているものとみなした場合に同条の定義に該当するすべての者をいう。

   3 この議定書は,この議定書の締約国によりいかなる地理的な制限もなしに適用される。(以下略)