退去強制令書発付処分取消請求控訴事件

 

 

 

 

 

 

 

 

 大阪高等裁判所判決/平成26年(行コ)第106号、判決 平成27年11月27日 、 LLI/DB 判例秘書について検討します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

主   文

 

  

 

1 原判決を次のとおり変更する。

  

 

2 大阪入国管理局主任審査官が平成21年8月19日付けで控訴人に対してした退去強制令書発付処分のうち,送還先をイランと指定した部分を取り消す。

  

 

3 控訴人のその余の請求を棄却する。

  

 

4 訴訟費用は,第1,2審を通じてこれを2分し,その1を被控訴人の負担とし,その余を控訴人の負担とする。

 

        

 

 

 

 

事実及び理由

 

 

 

 

第1 控訴の趣旨

  

1 原判決を取り消す。

  

2 大阪入国管理局主任審査官が平成21年8月19日付けで控訴人に対してした退去強制令書発付処分を取り消す。

 

 

 

第2 事案の概要

  

1 事案の要旨

    

 本件は,イラン・イスラム共和国(以下「イラン」という。)の国籍を有する外国人である控訴人が,大阪入国管理局(以下「大阪入管」という。)入国審査官から出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)24条1号(不法入国)の退去強制事由に該当する旨の認定を受けて,これに服し,大阪入管主任審査官から送還先をイランと指定した退去強制令書発付処分(以下「本件退令発付処分」という。)を受けたところ,イランに送還された場合には,我が国において有罪判決を受けて既に服役した殺人罪により公開処刑されるおそれがあるから,送還先をイランと指定した本件退令発付処分は違法であるなどと主張して,その取消しを求める事案である。

    

 原審は,控訴人をイランに送還することができない事情があるとは認められず,控訴人の送還先をイランと指定した本件退令発付処分は適法であると判断して控訴人の請求を棄却したため,これを不服とする控訴人が控訴した。

  

2 前提事実(当事者間に争いのない事実並びに証拠及び弁論の全趣旨により容易に認められる事実)

   

(1) 控訴人の身分事項等

     

 控訴人は,1969年(昭和44年)○月○○日に出生したイラン国籍を有する外国人男性である(乙1の1・2)。

   

(2) 控訴人の入国・在留状況等

    

ア 控訴人は,平成12年7月26日,新東京国際空港(当時)に到着し,他人名義の偽造フランス旅券を行使するなどして,入国審査官から,在留資格を「短期滞在」とし,在留期間を90日とする上陸許可を受けて本邦に上陸した(甲1,乙2,17,20)。

    

イ 控訴人は,平成13年4月23日午前2時頃,名古屋市内の路上において,イラン人男性でありイスラム教徒である知人のA(以下「本件被害者」という。)に対し,殺意をもって,あらかじめ準備していた果物ナイフ様の刃物をその右側胸部,腹部等に突き刺し,よって,同日午前5時12分頃,本件被害者を失血により死亡させて殺害した(以下「本件犯行」という。甲1)。

   

 

(3) 本件退令発付処分の経緯

    

ア 控訴人は,平成13年10月15日,本件犯行により通常逮捕され,平成14年2月18日,名古屋地方裁判所において,殺人及び入管法違反(不法在留)の罪により懲役10年に処する旨の判決の宣告を受けた。同判決は同年3月5日確定し,その後,控訴人は大阪刑務所に収容された(甲1,乙3,7~9)。

    

イ 大阪入管入国警備官は,控訴人についての違反調査を実施した上,平成20年10月3日,控訴人に係る違反事件を大阪入管入国審査官に引き継いだ(乙17~19)。

    

ウ 大阪入管入国審査官は,平成21年8月18日,服役中であった控訴人に対して違反審査をした上,控訴人が入管法24条1号(不法入国)に該当する旨の認定をし,控訴人に対してその旨の通知をしたところ,控訴人は,同日,上記認定に服し,口頭審理の請求を放棄する旨の書面に署名した(甲2,3,乙20)。

    

エ 大阪入管主任審査官は,同月19日,控訴人に対し,本件退令発付処分をした(乙21)。

    

オ 控訴人は,平成23年6月16日,仮釈放された(乙8,22)。

   

 カ 大阪入管入国警備官は,同日,本件退令発付処分に係る退去強制令書を執行して,控訴人を大阪入管収容場に収容した(乙21)。

    

キ 控訴人は,同年8月23日,入国者収容所西日本入国管理センター(以下「西日本センター」という。)に移送,収容された(乙21)。

    

ク 控訴人は,平成24年7月3日,仮放免の許可を受け,西日本センターを出所した(乙32)。

   

 

(4) 本件訴訟の提起

     

 控訴人は,平成23年12月15日,本件訴訟を提起した(顕著な事実)。

   

(5) イラン・イスラム刑法の概要

     

 イラン・イスラム刑法は,国家主権を害する一定の罪等以外の罪をイラン国外で犯したイラン人がイラン国内で見つかった場合には,イランの刑法によって処罰される(7条),

 

 故意による殺人は同害報復刑(キサース)の対象となり,被害者の相続人は,最高指導者の許可の下,所定の条件にしたがって報復することができ(205条)

 

 イスラム教徒が殺された場合には殺人者は報復の対象となる(207条),

 

 ある殺人者に同害報復刑が宣告され,被害者の相続人の同意がある場合には,当該殺人者は殺される(219条)と規定する。

 

 

 他方において,同法は,故意による殺人は同害報復刑の対象となるが,殺人者と被害者の相続人との合意により,所定の「血の代償金」の支払によって代替することができる(257条)とも規定する。

 

 なお,ここでいう「血の代償金」(ディーヤ)とは,殺人の被害者の相続人等に対して支払われ,又は譲渡されるべき資産をいう(同法294条)とされている。(甲6の2,甲9の4,乙45)

  

 

 

3 争点及び当事者の主張

    

 控訴人が入管法24条1号に該当することについては,当事者間に争いがない。本件の主な争点は,送還先をイランと指定した本件退令発付処分が適法か否かであり,上記争点に関する当事者の主張は,以下のとおりである。

  

 

 

 

 

(控訴人の主張)

   

(1) 本件退令発付処分の違法性について

    

 以下に述べるとおり,控訴人の送還先をイランとすることは違法である。そして,送還先の記載は退去強制令書の効力発生要件というべきであるから,送還先の記載に違法があれば本件退令発付処分全体が違法となり,その全部が取り消されるべきである。また,仮に本件退令発付処分全体が違法とならないとしても,控訴人については,入管法53条3項に列挙する場合に準ずるものとして同条2項の「送還することができないとき」に該当し,本件退令発付処分のうち送還先をイランと指定した部分は違法なものとして取り消されるべきである。

   

(2) 控訴人が送還後において死刑に処せられる蓋然性について

   

 ア 控訴人は,イランに送還された場合,本件犯行により死刑に処せられる蓋然性が高い。

      

 すなわち,イラン・イスラム刑法においては,殺人罪を犯した者は同害報復刑(キサース)の対象となり,被害者の相続人が「血の代償金」(ディーヤ)を受け入れない限り,被害者の相続人又は司法当局により命を奪われる。同法には,外国において既に刑の執行を受けた者に対する刑の減免について定めた規定はなく,むしろ,同法によれば,イラン国外で罪を犯した者は,イランの刑法にしたがってイラン国内で裁判を受けるものとされている。そして,本件被害者の相続人は,報復・処罰感情が峻烈・強固で,かつ,裕福であることから,「血の代償金」を受け入れて控訴人を宥恕する可能性はない。そうすると,本件退令発付処分の当時,控訴人がイランに送還されれば,本件犯行により死刑に処せられる蓋然性が極めて高い状況にあったことは明らかである。

      

 また,イランにおいては,現在でも年間60件から70件(死刑執行数の1~2割)程度の公開処刑(絞首刑)が行われており,特に,イランにおいても重い罪と認識されていると考えられる殺人罪一般については公開処刑が行われる蓋然性が高いというべきところ,本件被害者の相続人は,上記のとおり,峻烈な処罰感情を有している上,裕福であり,社会や裁判官に対して影響力のある立場にあると考えられるし,本件犯行は,イランにおいても新聞で報道されており,社会的関心の高い事件であるといえることからすれば,控訴人に対する死刑の執行は公開の場で行われる深刻な危険があるというべきである。

    

イ イランの司法官の諮問組織である司法権法務室は,イラン人がイラン国外で罪を犯し,当該犯罪地でこれについて刑の執行を受けた場合には,イランにおいては当該犯罪によって刑に処せられないとの見解を示しているが,この見解はあくまで非拘束的意見であって,裁判所を拘束しない。イランの弁護士作成に係る意見書によれば,仮に裁判所がこれらの司法権法務室の見解に従うとの判断をしたとしても,これらの見解の適用は専ら公共性を有する犯罪に限定せざるを得ず,私的な当事者の利害が関わる犯罪をも含むような拡張適用をすることはできない。故意による殺人は被害者の相続人の利害が関わっているため,イラン法では私的側面を強く有すると考えられていることから,殺人を犯した者がイランで発見された場合,被害者の相続人の請求があれば,相続人が「血の代償金」として一定の金額を受け取って,殺人者の処刑を請求する権利を放棄しない限り,イラン・イスラム刑法の規定に従い,殺人者は死刑判決を受けることになる。

      

 専ら公共性を有する犯罪と当事者の私的な利害が関わる犯罪とが明確に区別されているイランでは,本件のような当事者の私的な利害が関わる犯罪である故意による殺人事件の場合,同害報復刑の制度に表れているように被害者の相続人の決定権が裁判所の決定権よりも優先されることになる。イラン・イスラム刑法のうち同害報復刑を含むイスラム経典に基礎を置く部分は,国家をもってしても本質的な変更を加えることができず,そのため裁判官は,犯罪の性質上そもそも司法権法務室の見解に拘束されないのである。

      

 上述したように,ある犯罪がイスラム法(シャリーア)に基づき定義され処罰可能な犯罪に含まれる場合,司法権法務室の見解は適用されず,他方,当該犯罪を行った者はなおイランで起訴され刑に処せられ得るとのイランの司法権司法部の見解は,上記の原則を確認するものである。この司法権司法部とは,司法権長補佐がその長を務め,法の定める範囲内で,特定の質問事項について裁判所及び司法官を拘束することになる指針又は指令を発することができる機関であって,その見解は権威を有している。

    

ウ 司法権長の命令により立ち上げられた和解委員会の活動により死刑の執行を免れる事例もあるとの指摘もあるが,同委員会の活動が死刑執行の回避においてどれだけ実効性を有しているかは疑問である。アムネスティー・インターナショナルの死刑に関する報告書によれば,イランにおいては年間360件を超える死刑の執行がされており,2007年3月21日から2008年3月19日までの1年間に和解委員会の活動により被害者の遺族の同意の下で死刑の執行を免れたという31人の被告人の数は,全体から見ればわずかにすぎない。大多数の死刑判決は,和解の努力が効を奏することなく執行されているものと理解するのが自然である。

    

エ 被害者の相続人の全員から宥恕を得なければ同害報復刑を免れることはできないところ,本件退令発付処分当時において,本件被害者の相続人の1人でも控訴人を宥恕していたといえる証拠はない。

      

 本件被害者の相続人としてはその父,母,妻及び長男がいるが,少なくとも本件被害者の母の控訴人に対する処罰感情は峻烈であり,今後も母から宥恕を得られる見込みはない。また,本件被害者の相続人は,控訴人からの「血の代償金」を受け入れない意思を明確に示しており,控訴人を宥恕する可能性はない。したがって,控訴人がイランに送還された場合には死刑に処せられる蓋然性が極めて高い。

    

オ 控訴人は,不法入国に該当する旨の認定の通知を受けて口頭審理の請求を放棄したが,その理由は,仮釈放の機会がある以上速やかにこれを得ようとしたためであるにすぎない。当時の控訴人には,口頭審理を請求し,更に異議の申出をすれば,在留特別許可を得られる可能性があるという知識はなかった。むしろ,控訴人としては,我が国で殺人罪を犯した以上,刑務所を出所した後は我が国に在留する可能性はないと考え,退去強制の執行の場面で,離婚した妻との間にもうけた長男が暮らすタイに送還されることに固執することしか選択肢が思い付かなかったとしても不自然ではない。したがって,控訴人が口頭審理の請求を放棄したからといって,そのことが,控訴人がイランに送還された場合に死刑に処せられる蓋然性は高くないとの判断を補強する事実になるものではない。

   

(3) 憲法13条違反について

   

ア 我が国においては,憲法13条により生命の権利が保障されている一方,死刑制度が存置されているが,死刑が人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪い去る冷厳な極刑であり,誠にやむを得ない場合における究極の刑罰であることに鑑みると,その適用は慎重に行われなければならない。すなわち,死刑制度を存置する現行法制の下では,犯行の罪質,動機,態様,殊に殺害の手段方法の執拗性・残虐性,結果の重大性,殊に殺害された被害者の数,遺族の被害感情,社会的影響,犯人の年齢,前科,犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき,その罪責が誠に重大であって,罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないと認められる場合に限って,死刑の選択も許されるものといわなければならないとされ(最高裁判所昭和58年7月8日第二小法廷判決・刑集37巻6号609頁参照),上記基準に基づき死刑制度が運用される限りにおいて憲法13条違反の問題は生じないとされている。

    

イ 我が国の刑事裁判所は,本件犯行について控訴人を懲役10年に処するのを相当とする判決を下し,これが確定した。同裁判所は,控訴人の罪状が死刑に値するものではないと判断し,控訴人の生命に対する権利を保障したのである。それにもかかわらず,控訴人は,本件退令発付処分に基づきイランに送還された場合には死刑に処せられる蓋然性が高いのであるから,被控訴人が控訴人をイランに送還することは,憲法13条で保障された権利の侵害に当たるというべきである。

   

(4) B規約違反等について

   

ア イランにおける死刑制度及び死刑存置国への退去強制

     

(ア) イランにおいては,本件犯行について死刑しか選択刑がない。選択刑が死刑しかない刑罰は,市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「B規約」という。)6条1項に違反し,また,被害者の遺族の宥恕がない限り裁判官が義務的に死刑を選択せざるを得ないイラン・イスラム刑法もまた,「死刑を廃止していない国においては,死刑は(中略)最も重大な犯罪についてのみ科することができる。」と規定する同条2項に違反する。

       

 また,こうした刑法の規定が適用されることを認識しながら控訴人をイランに送還することは,生命の権利を保障するB規約6条及び非人道的な取扱いを禁止するB規約7条に違反する。

       

 B規約28条1項に基づいて設置される人権委員会(以下「人権委員会」という。)の一般的意見あるいは個別事案に対する見解は,B規約は死刑廃止を締約国に義務付けていないものの,死刑の許容性について送還を実施する国と送還先の国の制度が違う場合,送還を実施する国は自国における制度を前提として生命の権利の保障の要否を検討し,送還の可否を判断すべきであるというものである。したがって,各国ごとの刑事司法制度の違いをそのまま受け入れ,自国の制度・基準では死刑とならない外国人が送還先において生命を奪われることを許容することは,B規約違反となる。

     

(イ) また,人権委員会は,死刑廃止国は,犯罪人引渡しと退去強制とを区別せず,死刑不執行の保証を事前に得ることがB規約6条で義務付けられるとの解釈を採っている。これは,生命に対する権利を定めるB規約6条1項を一般規則とし,同条2項から6項までの規定は死刑について生命に対する権利の例外を設けたもので,これらの規定を利用できるのは死刑存置国のみであるとして,生命に対する権利を保障した同条1項の趣旨を強化したものである。

       

 我が国は死刑廃止国ではないが,死刑廃止国が無条件にB規約6条1項に基づき自国の管轄内にいる者の生命を保障する義務を負うのと同様,死刑存置国として,B規約6条2項から6項までの規定にしたがってのみ死刑を許容し,もって自国の管轄内にいる者の生命を保障する義務を負っている。

       

 被控訴人は,控訴人の生命に対する権利を保障すべき義務を有していることから,控訴人が死刑に処せられることが合理的に予想されるイランに控訴人を送還するに当たっては,イラン政府に対して死刑不執行の保証を取り付けなければならず,この保証なくして控訴人をイランに送還することは,生命の権利を保障するB規約6条1項及び2項違反並びに非人道的な取扱いを禁止するB規約7条違反となる。

    

イ 平等原則違反

      

 イランにおいては,被害者の相続人に「血の代償金」を支払うことによって死刑を免れることができるが,このように財産の有無により死刑の可能性が左右される規定は,B規約6条1項で保障された生命に対する権利に関するB規約2条1項及び26条の平等原則に違反する。

    

ウ その他のB規約違反

     

(ア) 控訴人は,我が国において本件犯行に係る服役を完了したにもかかわらず,イランにおいて本件犯行により死刑に処せられる蓋然性が高く,かつ,当該死刑が公開で執行される深刻な危険がある。このような事態を生じさせることは,非人道的な取扱いとして,「何人も,拷問又は残虐な,非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けない。」と規定するB規約7条に違反する。

       

 また,B規約7条の目的は,個人の尊厳と身体的,精神的完全性の双方を保護することにあり,同条における禁止は,身体的苦痛をもたらす行為だけではなく,精神的苦痛をもたらす行為にも及ぶから,B規約の締結国は,個人を犯罪人引渡し,追放又は送還によって他国への帰還の際における非人道的な取扱いの危険にさらしてはならない。すなわち,死刑の恐怖にさらされるおそれのある追放は,それ自体がB規約7条違反を構成するのであり,被控訴人がイラン政府から死刑を科さないことについての保証を得ることなく控訴人の送還先をイランとする本件退令発付処分をしたことは,控訴人を非人道的な取扱いの危険にさらすものとして,B規約7条に違反する。

     

(イ) 控訴人は,前記のとおり,イランに送還されて死刑の宣告を受けた場合,公開の絞首刑により死刑を執行される相当程度の蓋然性があるところ,公開の絞首刑は「品位を傷つける取扱い」であり,B規約7条に違反するから,そのような事態を生じさせる本件退令発付処分の送還先の指定は,非人道的な取扱いとしてB規約7条に違反する。

    

エ 二重処罰禁止違反

      

 B規約14条7項に関する人権委員会による解釈においては,同条項が2つ以上の締約国が裁判権を有する場合に関して一事不再理を保障するものではないことを認める一方で,この理解は,国際条約によって同じ刑事上の罪に対する再度の裁判を防ごうとする締約国の努力を阻害するものであってはならないとされている。

      

 日米犯罪人引渡条約,日韓犯罪人引渡条約においては,国家間における同一犯罪での二重処罰の禁止を引渡しの義務的拒否理由としており,被控訴人が自らの意思に基づいて締結したこれら犯罪人引渡しに関する条約において,国家間における同一犯罪についての二重処罰を明確に禁止している事実は,我が国が国家間における二重処罰の禁止を人権に基づく基本的要請であると認識していることを示している。また,逃亡犯罪人引渡法は,2条7号において,引渡犯罪に係る事件が日本国の裁判所に係属するとき,又はその事件について日本国の裁判所において確定判決を経たときを義務的な引渡拒否理由としており,国家間における二重処罰の禁止を明確に定めている。

      

 この理は退去強制手続にも妥当し,控訴人をイランに送還することは,我が国で犯した殺人の罪につき控訴人にイランで再度の処罰を受けさせるものであるから,このような結果を招く本件退令発付処分は,憲法13条に違反し,非人道的な取扱い及び刑罰を禁止したB規約7条にも違反する。

  

 

(被控訴人の主張)

   

(1) 本件退令発付処分の違法性について

    

 入管法は,

 

①容疑者が入国審査官の認定に服し口頭審理の請求を放棄したとき(47条5項),

 

②容疑者が特別審理官の判定に服したとき(48条9項),

 

③法務大臣が容疑者からの異議の申出には理由がないと裁決したとき(49条6項)等に主任審査官が退去強制令書を発付する旨を定め,

 

 同令書には,退去強制を受ける者の氏名,年齢及び国籍,退去強制の理由,送還先等を記載し,主任審査官がこれに記名押印しなければならないと規定する。このように,同法は退去強制事由の存否の判断と送還先の指定とを異なる者の権限としており,主任審査官による送還先の指定は,退去強制事由が存在し,その者が退去強制の対象となることを前提として,送還先を決定する手続である。したがって,仮に主任審査官による送還先の指定に違法があったとしても,主任審査官と異なる者が退去強制事由の存否を判断した退去強制部分の適法性に影響を及ぼすことはあり得ないから,退去強制令書発付処分全体が違法となるものではない。

     

 

 退去強制を受ける者の送還先は,原則として,その者の国籍又は市民権の属する国である(入管法53条1項)。控訴人については,その国籍国であるイランは同条3項各号に規定する国に該当せず,また,同条2項にいう「送還することができないとき」とは事実上送還が不可能な場合に限られるものと解されるところ,控訴人をその国籍国であるイランに送還することができない事情があるとも認められない。したがって,控訴人の送還先をその国籍国であるイランと指定した主任審査官の判断に何ら違法な点はない。

     

 なお,入管法は,退去強制令書において指定された送還先への送還が不可能であっても当該退去強制令書の効力が生ずることを予定していると解されるから,仮に控訴人をイランに送還することができない事情があったとしても,そのような事情によって送還先の記載が直ちに違法となるものではなく,送還先の指定部分が取り消されるべきであるとはいえない。

   

(2) B規約違反等について

   

ア イランにおける死刑制度及び死刑存置国への退去強制

     

(ア) 仮に控訴人がイランにおいて死刑に処せられるとしても,それはイランの刑法に基づく合法的な制裁であって,「拷問」には当たらないし,B規約6条2項は,「最も重大な犯罪」について死刑制度を存置することを容認している。そして,いかなる犯罪行為に対して死刑を科するかという個別の立法や個別の事案に対する刑罰法規の適用についても,当該国家の憲法や法律の範囲内で広範な裁量が及ぶものと考えられる。したがって,個別の殺人事件について,殺人者が我が国の刑事手続で死刑に処せられなかったからといって,我が国とは別個の主権を有する国家であるイランにおいて死刑を科することが許されないということにはならない。

       

 以上のとおり,仮に控訴人が本件犯行についてイランで死刑を科されることになるとしても,それは,本件被害者の遺族の被害感情が峻烈であるために控訴人が上記遺族から宥恕を得られなかった場合において,B規約6条2項に適合するイラン・イスラム刑法の規定に基づき,イランの広範な裁量によって処罰されるものであるから,同項に違反するものではない。

       

 また,そもそも,B規約6条2項及び7条は,いずれも,締約国がその国内においてこれらの条項に定める権利を保障すべきことを定めるものであって,外国人の外国における同条項所定の権利を保障するものではなく,そのような保障のない国に外国人を送還することを禁止する趣旨のものでもない。よって,控訴人をイランに送還することがB規約6条2項及び7条に違反するということはできない。

     

(イ) 人権委員会の一般的意見あるいは個別の事案における見解は,B規約の解釈・実施に当たって各締約国が参考とすることが求められているにすぎないのであって,我が国を法的に拘束するものではない。

       

 この点に関し,控訴人は人権委員会の一般的意見や見解を引用して独自の見解を述べているが,いずれも失当である。

     

(ウ) 控訴人は,犯罪人の引渡しに関する条約や逃亡犯罪人引渡法を根拠として国家間における二重処罰が禁止されているとし,これを前提に,控訴人を同人が二重に処罰されることが予想されるイランに送還することはB規約7条に違反する旨主張する。しかし,控訴人の主張は,退去強制令書の執行による送還が逃亡犯罪人の引渡しとは異なることを看過している。すなわち,犯罪人の引渡しは,他国に逃亡した犯罪人を訴追し処罰するために,犯行地国からの請求に応じて,容疑者等の被請求人の所在国が同人を請求国に引き渡すものであって,被請求国は請求国の領域主権に基づく刑事司法管轄権を尊重して,容疑者等の逮捕,勾留と引渡しに協力するだけであり,容疑者等の取調べ,起訴及び処罰は裁判地である請求国の法にしたがって行われるのが原則である。これに対し,退去強制令書による送還は,入管法24条各号所定の退去強制事由に該当する本邦にとって好ましくない外国人を本邦から退去させるものであるから,犯罪人の引渡しとはそもそもその目的が異なり,送還先の国において当該退去強制対象者が訴追され,処罰されることを前提としているものではない。そのため,退去強制令書による送還方法も,自費出国によるものがほとんどであり,国費送還の場合も含め,入国管理局職員が送還先の国まで同行することは稀である。

    

イ その他のB規約違反

      

 B規約7条は,締約国が締約国内において同条に定める権利を保障すべきことを定めるものであって,締約国が外国人をそのような保障のない国に送還することまで禁止する趣旨ではない。

    

ウ 二重処罰禁止違反

      

 国際的な二重処罰の禁止が基本的人権の一つに含まれるという国際的認識が形成されているということはできない。

   

(3) 憲法13条違反について

    

 控訴人がイランに帰国した後に死刑に処せられる事態が生ずるとしても,そのことをもって我が国政府が控訴人を死刑に処することになるということはできない上,後述するとおり,控訴人がイランにおいて死刑に処せられることが確実であるともいえないのであるから,本件退令発付処分と控訴人が死刑に処せられることとを同一視することはできない。したがって,控訴人をイランに送還すること自体が控訴人の生命に対する権利を侵害するものとして間接的に憲法13条違反に当たる旨をいう控訴人の主張は,理由がない。

     

 また,一般に憲法第3章の諸規定による基本的人権の保障は,権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き,我が国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべきであるが,我が国の主権の及ばない外国にいる外国人まで対象とするものでないことは明らかであるから,たとえ本邦から退去を強制された外国人が外国において死刑に処せられたとしても,憲法13条違反の問題が生ずることはない。

   

(4) 控訴人が送還後において死刑に処せられる蓋然性について

    

 控訴人は,同人がイランに送還された場合には死刑に処せられることが明らかであると主張する。しかし,以下の諸点からすると,控訴人がイランに送還された場合に,直ちに死刑に処せられることが明らかであるということはできないし,公開処刑のおそれがあるということもできない。

    

ア 控訴人が服役中に親族等から受領した手紙には,「ここ(イラン)でも刑務所に服役しないといけないそうです。」(甲11の3),「可能な限りイランに来ないで。残念ながらここでも服役しないといけないです。」(甲13の3)などと記述されているとおり,控訴人の親族等は,控訴人がイランに帰国した場合に刑務所で服役する可能性があると認識し,イランで再び服役することを避けるためイランに帰国しないよう控訴人に伝えたものと解釈できるのであって,死刑に処せられる可能性について明示するものはない。このことからすれば,控訴人の親族等は,被害者の遺族の宥恕を得られるので控訴人が死刑に処せられることはないものの,刑務所で服役することは避けられないため,控訴人に対してイランへの帰国を思いとどまるよう警告したものとみるのが自然である。なお,平成23年12月27日に控訴人が受領した控訴人の親族からの手紙(甲10の1・2)には,本件被害者の家族の宥恕が得られておらず,上記家族が控訴人の死刑を望んでいる旨が記載されているが,上記手紙は,控訴人が西日本センターに収容され,親族等と自由に連絡が取れるようになった後に送付されたもので,控訴人の意向を受けて作成された可能性を否定できないし,その点をおくとしても,本件退令発付処分後に作成されたものであるから,同処分の適法性に影響するものではない。

    

イ 控訴人は,違反調査及び違反審査の場面において,イランに帰国する意思を表明した上で,口頭審理の請求を放棄しているところ,イランに帰国すれば死刑になることを認識しながら,イランに帰国する意思を表明し,また,口頭審理の請求を放棄することは不自然である。控訴人は,平成19年12月20日の違反調査の時点では,送還先について,本邦入国前の居住地であり,長男が暮らすタイへの送還を希望していたが,後にこれを自ら撤回し,遅くとも平成20年4月24日の違反調査の際にはイランへの送還を希望したのであって,退去強制令書が執行される際にはタイへの送還に固執する意思が控訴人にあったとも認められない。

      

 これらの点からすれば,控訴人はイランに帰国しても死刑に処せられることはないと認識していたことが認められ,また,控訴人のそのような認識には何らかの合理的な根拠があったものと考えられるから,控訴人が大阪刑務所において服役中に,控訴人の家族と本件被害者の遺族との間で少なくとも「血の代償金」の支払についての合意が成立していたものと推認することができるのであって,控訴人がイランに帰国しても死刑に処せられる可能性はなかったものというべきである。

    

ウ イランにおいて司法官の請求により非拘束的意見を提供する諮問機関である司法権法務室は,イラン人がイラン国外で罪を犯し,当該犯罪地でこれについて刑の執行を受けた場合には,イランにおいては当該犯罪について刑に処せられないとの見解を明らかにしており,イランの裁判所が司法権法務室の上記見解に従う可能性がある。

    

エ イラン・イスラム刑法に基づく同害報復刑による死刑は,被害者の遺族が「血の代償金」を放棄した上,

 

①被害者の遺族の請求により,

 

②裁判が行われ,

 

③裁判所が判決を下して初めて実施されるものであるところ,

 

 控訴人の親族と称する者からの手紙によっては,本件被害者の遺族が「血の代償金」を受け入れる意思を持っていないかどうかは不明であり,上記の裁判の請求があったとも認められない。かえって,控訴人の仮釈放に際して作成された身上調査書には,控訴人がイラン国内にいる本件被害者の遺族に対して慰謝料を支払ったと記載されており,当該慰謝料は「血の代償金」に相当するものと考えられる。そうであれば,控訴人がイランに帰国した場合に死刑に処せられる蓋然性が高かったとはいえない。

      

 また,イランにおいては,司法権長の命令により検察庁判決執行支部に和解委員会が立ち上げられており,同委員会の活動によって,同害報復刑の判決を受けた者についてさえ,遺族の同意の下にその執行を免れる事例もある。

    

オ イランにおいて公開処刑が一般的に行われていると認めることはできない。公開処刑の対象となるのは,法益を大きく侵害し悪質と認められる犯罪であるのみならず,一般予防の必要性が高く,かつ,世論の関心が高い犯罪であるところ,本件犯行は,個人的な動機に基づく犯罪であり,また,我が国において人目の少ない深夜に行われたものであるから,一般のイラン国民の関心が高いとは考えられず,あえて公開処刑にするような事例であるとは考え難い。

 

 

 

 

 

 

 第3 当裁判所の判断

  

1 本件退令発付処分に関する違法性判断について

   

 控訴人が平成12年7月26日,他人名義の偽造旅券を行使するなどして本邦に不法に入国したこと,大阪入管入国審査官が平成21年8月18日,控訴人が入管法24条1号(不法入国)に該当する旨の認定をし,控訴人に対してその旨の通知をしたところ,控訴人は同日,上記認定に服し,口頭審理の請求を放棄する旨の書面に署名したこと,これらを受けて,大阪入管主任審査官が同月19日,控訴人に対して本件退令発付処分をしたこと,以上の事実は前記前提事実のとおりである。

    

 ところで,入管法47条3項及び5項によれば,入国審査官は,審査の結果,容疑者(同法24条各号の1に該当すると思料される外国人)が退去強制対象者に該当すると認定したときは,速やかに理由を付した書面をもって,主任審査官及びその者にその旨を知らせなければならず,

 

この場合において,

 

容疑者がその認定に服したときは,主任審査官は,その者に対し,口頭審理の請求をしない旨を記載した文書に署名させ,速やかに退去強制令書を発付しなければならないものとされている。

 

これらの規定によれば,主任審査官は,入国審査官から容疑者が退去強制対象者に該当すると認定した旨の通知を受け,かつ,容疑者がその認定に服して,口頭審理の請求をしない旨を記載した文書に署名したときは,速やかに退去強制令書を発付しなければならないのであって,これらの事実が存するにもかかわらず,主任審査官が退去強制令書を発付するか否かをその裁量により判断する余地はないものといわなければならない。

 

 

 

 

    

 もっとも,退去強制令書には,退去強制を受ける者の氏名,年齢及び国籍,退去強制の理由等のほか,送還先を記載しなければならないところ(同法51条),

 

送還先に関しては,同法において,退去強制を受ける者の国籍又は市民権の属する国を原則とした上で,これらの国に送還することができないときは,

 

本人の希望により,

 

①本邦に入国する直前に居住していた国,

 

②本邦に入国する前に居住していたことのある国,

 

③本邦に向けて船舶等に乗った港の属する国,

 

④出生地の属する国,

 

⑤出生時にその出生地の属していた国,

 

⑥その他の国のいずれかに送還されるものとすると定められていて(53条),

 

 

 主任審査官が退去強制令書を発付するに当たっては,当該定めに従い退去強制を受ける者の送還先を決定した上でこれを同令書に記載すべきこととなり,その限りにおいて,主任審査官には一定の合理的な裁量判断が求められているものと解することができる。

 

 また,退去強制を受ける者の側でも,我が国からの退去を強制されることは免れないにしても,その際には,同条の定めに従った送還先,あるいは自らの正当な権利利益が侵害されるおそれのできる限り少ない送還先に送還される法律上の利益を有しているものというべきである。

 

 さらに,同法52条4項が退去強制令書に記載された送還先とは異なる送還先への送還を許容し,同条5項が「退去強制を受ける者を直ちに本邦外に送還することができないときは,送還可能のときまで,その者を入国者収容所,収容場その他法務大臣又はその委任を受けた主任審査官が指定する場所に収容することができる。」と定め,

 

同条6項が「退去強制を受ける者を送還することができないことが明らかになったときは,住居及び行動範囲の制限,呼出に対する出頭の義務その他必要と認める条件を附して,その者を放免することができる。」と定めていることからすると,

 

入管法は,退去強制令書発付処分そのものの効力と,同処分のうち送還先を指定した部分の効力とを明確に区別して定めているものと解される上,

 

退去強制令書発付処分の違法性を判断するに当たり,同処分のうちの送還先を指定した部分をその余の部分から切り離して判断対象とすることに格別の不都合があるとも認め難い

 

(なお,退去強制令書発付処分のうち送還先を指定した部分のみを違法とする判断があり得るとの解釈を採った場合,同処分そのものの効力が失われない以上,退去強制を受けた者は同処分の効力により入国者収容所等に無期限に収容される事態が起こり得ることになるが,そのような事態は,送還が可能となるまで退去強制を受けた者を収容することができる旨を定めた同条5項の容認するところであると解さざるを得ない。)。

    

 

 これらの点を考慮すると,主任審査官が入国審査官から容疑者が退去強制対象者に該当すると認定した旨の通知を受け,かつ,容疑者がその認定に服して口頭審理の請求をしない旨を記載した文書に署名した場合であっても,

 

 これらを前提に退去強制令書を発付するに当たり,同令書に記載する送還先の指定についての主任審査官の判断に,入管法53条の規定あるいは退去強制を受ける者の正当な権利利益に照らして合理的な裁量権の範囲の逸脱又は濫用があると認められるときは,退去強制令書の発付そのものが違法な処分に当たるとはいえないものの,退去強制を受ける者は,当該退去強制令書のうち送還先を指定した部分が違法であるとして,当該部分の取消しを求めることができるものと解するのが相当である。

    

 

 この点につき,被控訴人は,退去強制令書において指定された送還先への送還が不可能であっても,当該退去強制令書の効力が生ずることが予定されているから,送還先の指定部分が取り消されるべきであるとはいえないと主張する。しかし,前記説示のとおり,退去強制を受ける者は,送還先について,退去強制を受けるか否かとは別個の法律上の利益を有しているというべきであり,このことからすると,被控訴人の上記主張を採用することはできない。

    

 

 そこで,本件退令発付処分において大阪入管主任審査官が送還先をイランと指定したことにつき,同主任審査官の判断に裁量権の範囲の逸脱又は濫用があったと認められるか否かについて,以下検討する。

  

 

2 控訴人のイランにおける処刑の蓋然性について

  

 

(1) 認定事実

     前記前提事実並びに証拠(甲6の2,甲7,8の1・2,甲9の4,甲10の1・2,甲11の1~3,甲12の1~3,甲13の1~3,甲14~16の各1・2,甲19の1・2,甲27及び28の各1・2,甲30の1・2,甲42,46の1・2,甲48~55の各1・2,甲57の1・2,乙44の1・2,乙45,52,53,控訴人本人)及び弁論の全趣旨によれば,次の事実が認められる。

    

 

ア イラン・イスラム刑法の内容等

     

 

(ア) 国外犯の処罰

       

 イラン・イスラム刑法7条は,国家主権を害する一定の罪等以外の罪をイラン国外で犯したイラン人がイラン国内で見つかった場合には,イランの刑法によって処罰されると規定する。

       

 なお,イランにおいては,司法官の請求により非拘束的意見を提供する諮問機関である司法権法務室が存在しており,司法権法務室は,イラン人がイラン国外で罪を犯し,当該犯罪地でこれについて刑の執行を受けた場合には,イランにおいては当該犯罪について刑に処せられないとの見解を明らかにしている。しかし,その見解はその性質上,諮問的かつ非拘束的であり,司法権法務室の見解を求めた司法官に対してですら拘束力を有するものではないとされている。

       

 他方,司法権長補佐がその長を務め,法の定める範囲内で,特定の質問事項について裁判所及び司法官を拘束することになる詣針又は指令を発することができる組織である司法権司法部は,上記の場合において,当該犯罪がイスラム法(シャリーア)に基づき定義され処罰可能な犯罪に含まれるときは,犯罪者はなおイランにおいて起訴され刑に処せられ得るとの見解を有している。(甲9の4,乙45)

     

(イ) 殺人罪

       

 イラン・イスラム刑法205条は,故意による殺人は同害報復刑(キサース)の対象となり,被害者の相続人は,最高指導者の許可の下,所定の条件にしたがって報復することができる(最高指導者は,同害報復刑の実行を司法当局の長官等に委ねることができる。)と規定し,同法207条は,イスラム教徒が殺された場合には殺人者は報復の対象となるとし,同法219条は,ある殺人者に同害報復刑が宣告され,被害者の相続人の同意がある場合には,当該殺人者は殺されるものと規定する。なお,上記の許可は,故意による殺人であることを証する裁判所の判決が下され,被害者の相続人から請求があった場合,司法権長が,当該事件に手続上の違反があると自ら判断しない限り,自動的に与えられる。(甲6の2,甲9の4,乙45)

     

(ウ) 「血の代償金」(ディーヤ)

       

 イラン・イスラム刑法257条は,故意による殺人は同害報復刑の対象となるが,殺人者と被害者の相続人との合意により,所定の「血の代償金」(殺人の被害者の相続人等に対して支払われ,又は譲渡されるべき資産をいう(同法294条)。)の支払によって代替することができると規定する(甲6の2,甲9の4,乙45)。

    

イ イランにおける死刑の執行方法及び実施状況

      

 イランにおいては,死刑の執行は,通常,絞首刑の方法で行われる。なお,裁判官が,犯罪状況,地域,犯罪の重要さ,社会の状況等を調査し,世論の動向や一般的な犯罪予防の必要性等をも考慮して,その裁量により,当該絞首刑を,建設用クレーンを用いるなどして公開で行うことを決定することもある。(甲8の1・2,甲27の1・2,甲28の1・2,乙44の1・2・,乙45,53)

      

 イランにおいては,2008年(平成20年)に司法権長が公開処刑を原則として禁止する旨の通達を発したが,2010年(平成22年)には少なくとも19件が,2011年(平成23年)には360件の死刑執行のうち少なくとも50件が,2012年(平成24年)には約500件の死刑執行のうち約60件が,公開の方法で執行された。他方,2007年(平成19年)頃には,司法権長の命令により,検察庁判決執行支部に和解委員会が設けられ,その活動により,同年3月から2008年(平成20年)3月までの間に同害報復刑の判決を受けた31人が被害者の遺族の同意の下に死刑の執行を免れている。(甲7,8の1・2,甲30の1・2,乙52)

    

ウ 本件被害者の相続人の宥恕について

    

(ア) 控訴人に対する有罪判決が確定し,控訴人が仮釈放になるまでの服役中及び控訴人が西日本センターに収容されている間に控訴人が親族等から受領した手紙における本件被害者の相続人の動向等に関連する記述は,次のとおりである。

      

 

① 平成15年2月27日受領・控訴人の弟からの手紙(甲48の1・2)

        

 あなたは絶対にイランに行くべきではない。何を言っているのか分かりますよね。母国には来るべきではないです。被害者の家族は,あなたのことを許さないと思います。

      

② 2005年(平成17年)2月26日付け・控訴人の弟からの手紙(甲16の1・2)

        

 私たちはA(本件被害者)の家に行きましたが,彼らはこの問題について同意しません。

      

③ 平成21年9月17日受領・控訴人の姉からの手紙(甲11の1~3)

        

 いつ出所するのか分からないけど,イランに送還されないように挑戦してみて。なぜなら,法律によると,ここでも刑務所に服役しないといけないそうです。

      

④ 平成21年10月21日頃受領・カナダ在住の知人からの手紙(甲12の1~3)

        

 君の家族と連絡を取っています。できる限りイランに帰国しないようにと君の兄弟が言っていた。なぜかというと,イランは独自の法律を持っているからです。また,君はそこで個人的に告訴人を持っている。そのため再び刑務所に入る危険等もある。告訴人は金持ちなのでどんなことでもできるから,君の命が危険にさらされる。

      

⑤ 平成21年11月11日受領・控訴人の弟からの手紙(甲50の1・2)

        

 早く釈放されるようにと願っています。しかし,できればイランに来ないで。イランの法律を知っているでしょう。イランに送還されないことを望んでいます。

      

⑥ 平成21年11月26日受領・控訴人の姉からの手紙(甲13の1~3)

        

 可能な限り,イランに来ないで。彼らは同意してくれないと思います。残念ながらここでも服役しないといけないです。つまり,そこで服役しても,ここでも法律が執行されるのです。もし同意してくれなかったら後々どうなるか明確ではないです。できたら他国に行って,イランには絶対来ないで。

      

⑦ 平成23年12月27日受領・控訴人の親族からの手紙(甲10の1・2)

        

 私たちの努力もむなしく,A(本件被害者)の家族からは受け入れられていません。私たちはこの大きな問題を解決するためにあらゆる力を注いでいます。しかしながら,相手の家族はただ報復と死刑のことしか考えていません。Aの母親は,(控訴人の)母を見るや血相を変え,モスクの前で,大勢の人々の前で,母に対して,息子がイランに帰って来ないように祈っておけと言いました。もし彼がイランに帰って来るようなことがあれば,私のこの手でロープで死刑にしてやる,と。現状では,何年も経ったにもかかわらず,状況はあなたがイランに帰って来られるほど良くはなっていません。

     

 

(イ) 控訴人は,これらのほかにも,受領した日は明確ではないが,服役中に親族から,イランに帰国すべきではない旨警告する内容の手紙を多数受領した(甲14の1・2,甲49の1・2,甲51~55の各1・2)。

     

(ウ) 控訴人が本件被害者の相続人に慰謝料を支払ったことはない(甲59の1・2)。また,控訴人訴訟代理人弁護士は,イランの弁護士に対して本件被害者の相続人との交渉を依頼していたところ,同弁護士から,本件被害者の相続人からの宥恕を得るには至っていない旨の手紙を受領している(甲46の1・2,甲57の1・2)。

   

(2) 控訴人が死刑に処せられる蓋然性について

   

ア イランの法制度は前記認定のとおりであって,外国で刑事裁判が行われ,既に刑罰に処せられた犯罪であっても,一事不再理効があるとの立場は採用されていない。

      

 この点に関し,イランの司法権法務室は,イラン人がイラン国外で罪を犯し,当該犯罪地でこれについて刑の執行を受けた場合には,イランにおいては当該犯罪について刑に処せられないとの見解を明らかにしているものの,その見解が法的拘束力を有するものとはされておらず,かえって,裁判所及び司法官に対して拘束力のある指針等を発し得る組織である司法権司法部は,国際的な二重処罰に当たる場合であっても,当該犯罪がイスラム法に基づき定義され処罰可能な犯罪に含まれるときは,犯罪者はなおイランにおいて起訴され刑に処せられ得るとの見解を有しているところである。

      

 また,イラン国外で行われた犯罪について既に他国で裁判が行われて犯罪者が刑に服した場合に,イランに帰国した当該犯罪者に対しイランにおいても裁判が行われ,刑に処せられ得るとの上記原則に対する例外が現実に存在することの立証はない。

     

  以上によれば,上記のとおりの法制度の下では,控訴人がイランに帰国した場合,本件犯行によりイランにおいて再び起訴されて裁判が行われ,刑に服する蓋然性は極めて高いものと認めざるを得ない。

    

イ 前記認定のとおり,イランにおいては,故意による殺人罪は同害報復刑の対象となる旨規定されており,同害報復刑が宣告された場合においてこれを免れるには,犯罪者と被害者の相続人との合意により,犯罪者が被害者の相続人等に対して所定の「血の代償金」を支払うことが必要である。

      

 そして,既に認定した控訴人の親族等から控訴人宛てに送付された手紙及び控訴人訴訟代理人が本件被害者の相続人との交渉を依頼したイランの弁護士からの手紙の内容からすると,同弁護士は本件被害者の相続人との賠償に関する交渉に成功しておらず,その宥恕は得られていないこと,むしろ,本件被害者の親族は強い被害感情と控訴人について厳罰を求める意向を有しており,そのことを認識しているイラン在住の控訴人の親族等は,控訴人がイランに送還された場合には控訴人に対して再び裁判が行われ,控訴人が刑に服することを強く危惧していることが認められる。

      

 なお,被控訴人は,平成23年12月27日に控訴人が受領した控訴人の親族からの手紙(甲10の1・2。前記(1)ウ(ア)⑦)について,その記載内容は信用し難い上,本件退令発付処分後に作成されたものであるから同処分の適法性には影響しない旨主張する。しかし,上記手紙が控訴人の意向を受けるなどして書かれた内容虚偽のものであると疑うべき事情は見当たらないし,上記手紙そのものは本件退令発付処分後に書かれたものであっても,そこに書かれた内容を基にして本件退令発付処分当時に存在した事実を認定することが妨げられるものではないから,上記主張を採用することはできない。

    

ウ 以上の事実によれば,本件退令発付処分の執行により控訴人がイランに送還された場合,控訴人に対しては,本件犯行につき,イランにおいて,イラン人でありイスラム教徒である本件被害者を故意により殺害した殺人罪として再び起訴されて裁判が行われ,その結果,同害報復刑が宣告され,また,「血の代償金」の支払について本件被害者の相続人の同意が得られないために,控訴人が死刑に処せられる蓋然性は極めて高いものと認めざるを得ず,かつ,そのことは,本件退令発付処分がされた当時においても同様の状況にあったものというべきであって,この認定判断を左右するに足りる事情や証拠を見出すことはできない。

      

 これに加えて,イランにおける死刑の執行方法に関する前記認定事実のほか,本件被害者の相続人が強い被害感情と控訴人に対する厳罰の意向を有していることなどの事情を考慮すると,控訴人に対する上記死刑の執行は,公開の場における絞首刑の方法で行われる可能性も相当程度あるものと認められる。

   

(3) 被控訴人の主張について

   

ア 上記の点に関し,被控訴人は,控訴人の親族等からの手紙では,イランにおいて再び裁判が行われて服役することになる危険のあることが示唆されているにとどまり,それらの手紙の記載によって,控訴人が本件犯行により死刑に処せられる危険のあることまで認めることはできないし,控訴人が違反調査においてはイランへの帰国の意思を表明していたことや,入国審査官から入管法24条1号に該当する旨の認定通知を受けた際,上記認定に服し口頭審理の請求を放棄していることからすると,控訴人自身,合理的な根拠の下に,イランに帰国しても死刑に処せられることはないとの認識を有しているものと認められるのであり,現に控訴人の仮釈放に際して作成された身上調査書には,控訴人がイラン国内にいる本件被害者の遺族に対して「血の代償金」に相当すると思われる慰謝料を支払ったと記載されている旨主張する。

      

 しかしながら,控訴人の親族等が上記手紙を書いた際,あるいは控訴人が違反調査において供述を行った際に,イランにおける法制度や刑法等の規定及び運用についてどの程度正確な認識を有していたかは明らかでないし,これらの者が行った上記手紙の記述や意思の表明がどの程度の具体的な根拠に基づいたものであるかも明らかではない。また,控訴人の親族等の手紙については,死刑に処せられる危険のあることを明記することで控訴人に過度の恐怖感を与えることを避けようと配慮した結果であると考えることも可能であり,控訴人が違反調査の際にイランへの帰国の意思を表明し(乙17,18,20),あるいは退去強制事由がある旨の認定に服した点については,退去強制や送還先のことを現実的な出来事として考えるよりも刑務所から仮釈放されることを優先して考えたためであるとも解されるから,控訴人の親族等からの手紙に「服役」という文言が用いられており,また,控訴人がイランに帰国する意思を表明し,上記認定に服するなどした事実があるからといって,控訴人がイランにおいて刑務所に収容される危険はあるものの,死刑に処せられる危険まではないと認めることはできない。むしろ,既に認定したイランの法制度等に照らすと,控訴人につき,本件犯行によりイランにおいて起訴され裁判が行われる以上,同裁判において死刑以外の刑罰が宣告されることは考え難いというほかはない。さらに,控訴人の仮釈放に際して大阪刑務所において作成された控訴人の身上調査書(乙71)には,確かに「イラン国内の遺族に対し,慰謝料を支払った」との記載が存するものの,それ以上の具体的な記述は存在せず,上記の記載によっては,いつ,誰がどのようにして,いくらの慰謝料を支払ったのかが全く明らかでないし,当該供述が聴取された状況についても明らかでなく,かえって,前記認定に係る控訴人の親族等からの手紙や控訴人作成の陳述書(甲59の1・2)によれば,控訴人からもその親族等からも,本件被害者の遺族に対する慰謝料や賠償金の支払はされていないものと認めるのが相当である。

    

イ また,被控訴人は,イランにおいては,イラン人がイラン国外で罪を犯し当該犯罪地でこれについて刑の執行を受けた場合には,イランにおいて重ねて刑に処せられないとの司法権法務室の見解がイランの裁判所に採用される可能性があること,司法権長の命令により設けられた和解委員会の活動により,被害者の遺族の同意の下に死刑の執行を免れている事例もあることを主張する。

      

 しかしながら,イランにおいて司法権法務室の見解が法的拘束力を有するものとはされておらず,かえって,裁判所等に対して拘束力のある指針等を発し得る組織である司法権司法部はこれと異なる見解を有していることは既に認定したとおりである。また,上記和解委員会の活動により死刑の執行を免れている事例があるとはいっても,それらはあくまで,被害者の遺族の同意があることが前提となっているものと認められるから,既に認定した本件被害者の遺族の被害感情等に照らすと,控訴人が上記和解委員会の活動により死刑の執行を免れることになるとは考え難い。

    

ウ さらに,被控訴人は,イランにおいて公開処刑が一般的に行われているとはいえず,本件犯行が公開処刑の対象とされるような事例であるとも考え難いと主張するが,上記主張は憶測の域を出ないものであり,既に認定したイランにおける公開処刑の運用及び現状,本件被害者の遺族の被害感情等に照らせば,控訴人に対する死刑の執行が公開の場における絞首刑の方法で行われる相当程度の可能性があることを否定することはできない。

    

エ 以上のとおりであるから,控訴人が死刑に処せられる蓋然性等に関する被控訴人の主張は,いずれも採用することができない。

  

 

3 本件退令発付処分の適法性について

  

(1) 退去強制を受ける者(以下「被送還者」という。)の送還先について定めた入管法53条は,

 

1項において,被送還者はその者の国籍又は市民権の属する国に送還される旨定めた上で,

 

2項において,国籍又は市民権の属する国に送還することができないときは,本人の希望により,

 

①本邦に入国する直前に居住していた国,

 

②本邦に入国する前に居住していたことのある国,

 

③本邦に向けて船舶等に乗った港の属する国,

 

④出生地の属する国,

 

⑤出生時にその出生地の属していた国,

 

⑥その他の国のいずれかに送還されるものとすると定め,

 

さらに,3項において,上記の1項及び2項の国には,難民の地位に関する条約33条1項に規定する領域の属する国,拷問及び他の残虐な,非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約3条1項に規定する国,強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約16条1項に規定する国を含まないものとすると定めている。

 

これらの規定の趣旨についてみると,被送還者にとっていずれの国に送還されるかは極めて重大な関心事であるところ,同法53条1項が原則的な送還先として国籍国等を定めているのは,これらの国は被送還者が本邦に入国する前に居住していた国であり,また,家族等の身寄りも多い国である場合が多いことに鑑み,通常の場合には被送還者の利益と希望に最も適った送還先であると考えられることによるものであると解される。

 

 

また,同条2項が,被送還者をこれらの国に送還することができないときは,本人の希望により,本邦に入国する直前に居住していた国等に送還する旨を定め,同条3項が,被送還者の生命,身体及び自由が脅威にさらされるおそれのある国への送還を禁止する旨を定めているのも,送還に際しての被送還者の利益に配慮し,特に生命等の重要な権利については最大限の考慮を払うことを要するとの趣旨に出たものと解することができる。

 

     

 これらの規定の趣旨からすると,同条2項にいう国籍国等に「送還することができないとき」とは,送還先の国が戦争状態にあるなどの事情により事実上送還することが不可能な場合が主としてこれに該当すると解されるものの,

 

そうした場合に限られるわけではなく

 

被送還者を国籍国等に送還するときは被送還者の生命に対する差し迫った危険が確実に予想されるような場合もこれに含まれるものと解するのが相当である。

 

 

このように解することは,生命に対する固有の権利を保障し,死刑存置国においては死刑は最も重大な犯罪についてのみ科することができる旨を定めたB規約6条1項及び2項の趣旨にも合致するものということができる。

 

そうすると,主任審査官が被送還者の国籍国を送還先に指定したことにより,被送還者が国籍国に送還された場合には,被送還者の生命に差し迫った危険の発生することが相当程度の蓋然性をもって予想され,かつ,その結果が我が国の法制度や刑罰法規の定め及び刑事手続の運用等に照らして到底容認し難いものといわざるを得ないようなときは,たとえ,それが送還先となる国の法令の定めに従い,裁判等の適正な手続を経た上で行われる合法的な処罰であっても,入管法53条2項にいう「送還することができないとき」に当たるものというべきであり,主任審査官がそのことを看過して被送還者の国籍国を送還先に指定したときは,当該指定部分は,合理的な裁量権の範囲を逸脱したものとして違法となると解するのが相当である。

   

 

(2) これを本件についてみると,前記2で認定判断したとおり,控訴人については,本件退令発付処分がされた当時,同処分の執行によりイランに送還された場合には,同国において本件犯行につき,イラン人でありイスラム教徒である本件被害者を故意により殺害した殺人罪として再び起訴されて裁判が行われ,

 

その結果,同害報復刑が宣告され,また,「血の代償金」の支払について本件被害者の相続人の同意が得られないため死刑に処せられる蓋然性が極めて高いと認めるべき状況にあったものである。

 

そして,既に認定した事実を基にすれば,控訴人は,我が国において既に,本件犯行に係る殺人等の罪により懲役10年に処する旨の判決の宣告を受け,現在ではその刑の執行を終えていること(なお,本件退令発付処分がされた時点では上記刑の執行中であったものの,控訴人が退去強制前にその執行を終えることになることは,同時点において確実であった。),本件犯行に係る犯情,殊に被害者の数に照らし,我が国の裁判所において,控訴人が本件犯行に係る殺人罪により死刑に処せられる現実的な可能性はなかったこと,これらに加えて,イランにおける控訴人に対する上記死刑の執行は,公開の場における絞首刑の方法で行われる可能性も相当程度考えられることがそれぞれ認められる。

     

 これらの事情からすれば,本件退令発付処分の執行により控訴人をイランに送還するときは,控訴人の生命に差し迫った危険の発生することが相当程度の蓋然性をもって予想され,かつ,その結果は,我が国の法制度や刑罰法規の定め及び刑事手続の運用等に照らして到底容認し難いものであるといわざるを得ない。

     

 そうすると,本件については,入管法53条2項にいう国籍国等に「送還することができないとき」に該当する事情があるものというべきであり,それにもかかわらず,大阪入管主任審査官がそのことを看過して,本件退令発付処分において控訴人の送還先をイランと指定したことは,合理的な裁量権の範囲を逸脱したものとして違法であると認めるのが相当である。

 

 

第4 結論

    

 以上によれば,控訴人の請求は,大阪入管主任審査官がした本件退令発付処分のうち送還先をイランと指定した部分の取消しを求める限度において理由があるから,その限度で認容すべきであり,その余は理由がないから棄却すべきところ,控訴人の請求を全部棄却した原判決は一部不当であって,本件控訴は上記の限度で理由がある。

    

 よって,本件控訴に基づき,原判決を上記のとおり変更することとして,主文のとおり判決する。

     

 

 大阪高等裁判所第13民事部

         裁判長裁判官  石井寛明

            裁判官  小堀 悟

            裁判官  真鍋麻子