病的酩酊の状態における公務執行妨害,傷害

 

 

 

 

 

 東京高等裁判所判決/平成25年(う)第78号、判決 平成25年3月28日 、LLI/DB 判例秘書について検討します。

 

 

 

 

 

【判示事項】 病的酩酊の状態における公務執行妨害,傷害の行為について,その行為当時,是非弁別能力と行動制御能力を欠いていた可能性を否定できず,心神喪失状態にあった疑いがあるとして,原判決を破棄して無罪を言い渡した事例 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第1 事実誤認の主張について

 

 原判決は,罪となるべき事実として,被告人は,平成23年9月10日午後11時53分ころ,被告人が居住する市営住宅(以下「本件市営住宅」という。)B棟の西側出入口前において,暴行事件の110番通報を受けて臨場したC警察官から職務質問された際,同警察官に対し,顔面を右拳で1回殴る暴行を加え,同警察官の職務の執行を妨害するとともに,加療約9日間を要する顔面打撲の傷害を負わせたものであるが,本件犯行当時,飲酒の影響により心神耗弱の状態にあった,との事実を認定している。

 

  これに対し,論旨は,要するに,被告人は,本件犯行当時,飲酒の影響により心神喪失の状態にあったから無罪であり,原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある,というのである。

 

  そこで原審記録を調査し,検討する。

 

  

 

 

1 原判決の認定,判断

  原判決は,被告人は,本件犯行当時,病的酩酊の状態にあった旨のD医師作成の鑑定書および同医師の原審公判供述(以下両証拠を合わせて「D鑑定」という。)の信用性を肯定しつつも,責任能力の点については,動機が了解可能であること等に照らすと,被告人は,本件犯行当時,是非弁別能力および行動制御能力を全く欠いている状態にあったとみることはできず,著しく減退した状態にあった,すなわち,心神耗弱の状態にあったと判断しているところ,その理由として,おおよそ次のとおり説示している。

  

 

(1) まず,原判決は,本件前後の事実関係として,事実認定の補足説明の項のとおりの事実を認定しているところ,この認定は経験則に適った合理的なものであって,是認することができ,これを補足して摘記すると以下のとおりである。

  

 

①被告人は,平成23年9月10日午後6時30分(以下同日の出来事は時刻のみを記す。)ころから午後11時ころまでの間,本件市営住宅B棟の知人女性(E)方で,同人および他の1名の知人女性(F)と飲酒した。被告人の飲酒量は,日本酒の4合瓶1本,一合瓶(ワンカップ)2本と約3分の2(合計すると日本酒約6合と3分の2合)であった。

 

②午後11時ころ,Fが帰ろうと被告人を促したが,被告人は憤った態度を示し,席を立たなかったので,Fは一人で帰宅した。

 

③Fを玄関まで送ったEが部屋に戻り,座ろうとすると,被告人は,「何で帰したんだ」と怒鳴り,Eに殴りかかった。Eは怖くなって部屋から逃げ出した。

 

④Eがいなくなると,被告人は,E方の障子を破ったり,衝立を倒すなど室内を荒した上,E方にあったダンボール箱(元来トマトを入れるための箱で,蓋がなく,底が浅いもので,Eが靴を入れて玄関脇に置いていたもの)にガラスのコップを入れ,それを持って外に出た。

 

⑤本件市営住宅B棟に住んでいたGは,午後11時過ぎころ,外に出ると,B棟西側の出入口前に被告人が長袖シャツ,ズボンを履き,ガラスのコップを入れた上記ダンボール箱を持って立っているのを見かけた。Gは,被告人がふらついて,呂れつが回っていなかったので,酒に酔っていると思い,関わりたくないと思いながら,被告人の前を通って自転車置き場の方へ歩いて行った。すると被告人は,ふらつきながら走って,「何だこの野郎」と叫びながらGの後を追いかけて来て,Gが振り返ると,いきなり手に持っていたダンボール箱をGの頭に向かって振り下ろし,額を叩いた。この時ダンボール箱に入れていたガラスのコップが落ちて割れた。

 

⑥被告人がもう一度ダンボール箱を振り上げて叩く格好をしたので,Gは逃げ出し,110番通報した。被告人は,本件市営住宅A棟前の道路まで追いかけてきたが,その後,居室に帰り,ダンボール箱を部屋に置いた。

 

⑦午後11時45分ころ,C警察官ほか2名の制服を着用した警察官が臨場し,Gと共に本件市営住宅の敷地内に入った。C警察官らがGから事情を聞いていると,被告人が本件市営住宅B棟の西側出入口から現れ,C警察官らに対して,「何の用だ」「何しに来た」などと怒鳴った。その時の被告人の格好は,白いシャツを着ていたが,下半身は下着もはかず裸の状態であった。C警察官は,事情を聞くために被告人に近づいて行き,約3m離れた所で「警察ですけど,ちょっと話聞かせてください」と声をかけ,さらに近づき約50cm離れた所で被告人と向き合った。C警察官は,被告人が下半身裸でいることについて「そんな格好じゃまずいんじゃないの」と言ったところ,被告人は,いきなり「てめえ何の用だ」と怒鳴りながら,同警察官の顔面を右手拳で殴った。同警察官は,被告人の両腕をつかみ,「何でこんなことをしたのか」と聞いたが,被告人は黙ったままであった。

 

⑧その後も被告人は,腕を振り回すなどして暴れたため,午後11時53分,公務執行妨害,傷害罪で現行犯逮捕され,後ろ手錠をかけられた。被告人は,パトカーに乗せられ,警察署に連行されたが,その車内で,警察官に対し,「これは正当なものなのか」と聞いたり,「手が痛いので手錠を外してくれ」と言ったりした。

 

⑨同年9月11日午前1時34分ころに被告人の飲酒検知をしたところ,呼気1l中0.65mgのアルコールが検出された。

 

⑩なお,被告人はE方で飲酒している途中から警察官に押さえ込まれたまでのことを覚えておらず,また,二人の警察官から押さえ込まれて後ろ手錠をかけられたことや,パトカーに乗ったことなどは覚えているが,パトカー内での会話や飲酒検知の際のやり取りは覚えていない旨供述している。

  

 

 

 

(2) 原判決は以上のような事実関係を前提に,被告人の責任能力について,次のように判断している。

  

 

ア 本件犯行当時,被告人が相当量の飲酒をし,相当程度酔っていたと認められ,D鑑定(その要点は,下半身露出の理由が不明であるという前提に立てば,人格水準の著しい低下が認められ,病的酩酊と判断されるが,下半身を露出していたことについて合理的な理由があれば,人格水準の著しい低下を示唆しているとはいえず,病的酩酊という判断も覆り,血中アルコール濃度から考えて複雑酩酊と考えた方がよい,というものである。)については,同医師の鑑定能力および鑑定手法に疑いをはさむような事情は認められず,本件犯行当時,被告人が病的酩酊であったという結論は信用することができる。そして,被告人が下半身裸になっていた理由は断定できない。

  

イ しかし,本件は病的酩酊であったか複雑酩酊であったかの境界的な事例であり,

 

 病的酩酊であれば直ちに心神喪失状態にあったと断定できるものではなく,

 

 動機の了解可能性等を総合的に考察する必要がある。

 

そして,

 

①被告人が,C警察官を殴ったことについては,Fが帰宅したことに対する憤りの感情が継続し,周囲の者にその憤りをぶつけた行動として,その動機が了解可能であること,

 

②Gを殴った後,ダンボール箱を持って自宅に帰っていることや,C警察官に対する発言,パトカー内での会話等に照らすと,その場に即した合理的な行動を取っており,失見当識の程度は甚だしいとはいえないこと,

 

③被告人は,飲酒によって脱抑制が生じ,攻撃性を示すという性格傾向を有しており,本件のような飲酒した上での暴行は,被告人の元来の人格とかけ離れ,親和性がないとはいえないこと,

 

④本件犯行当時のアルコール身体保有量やアルコール血中濃度は少量ではないが,極度に多量ともいえず,鑑定における飲酒テストでも複雑酩酊にとどまったことなど,本件犯行当時被告人が下半身裸であったという1点を除けば,病的酩酊ではなく複雑酩酊であったとみるべき要因が多数ある。

 

 これらを全体的に考察すると,被告人が,本件犯行当時,病的酩酊の状態にあったというD鑑定は信用できるものの,責任能力の点においては,是非弁別能力および行動制御能力を全く欠いている状態にあったとみることはできない。

 

 もっとも,被告人は,本件犯行当時,相当程度酔った状態であり,アルコールの影響により脱抑制となりやすい傾向を有していたこと,本件犯行当時下半身裸であったという正常な状態とはみられない行動をとっていたこと,D鑑定において病的酩酊と判断されていることに照らすと,是非弁別能力および行動制御能力が著しく減退した状態,すなわち,心神耗弱の状態にあったと認められる。

  

 

 

 

2 原判決の認定,判断についての検討

 

  所論は,原判決の上記認定,判断について種々論難し,被告人は,

 

 

 本件犯行当時,是非弁別能力および行動制御能力を全く欠いていたと断定できないとしても,その可能性は否定し難く,「疑わしきは被告人の利益に」との刑事裁判の鉄則に則り,心神喪失を認めるべきである,というのである。

 

 

 

 

  以下,所論にかんがみ,原判決の上記認定,判断について検討する。

 

  まず,原判決の上記1の(2)のアの判断,すなわち,被告人が本件犯行当時,病的酩酊の状態にあったとの原判決の判断は,是認することができる。

 

  しかし,原判決の同イの判断,すなわち,被告人は,病的酩酊の状態にあったものの,責任能力を全く欠いている状態にあったとみることはできないという判断は,是認することができない。その理由は以下のとおりである。

  

 

 

 

(1) すなわち,

 

 

 まず①についてみると,被告人が関係者に暴力を振るった動機として,Eに殴りかかったことについては,同人がFを帰したと思い,それに憤ったからであるということは了解できなくもないが,被告人とはほとんど面識がなく,たまたま通りかかったにすぎないGを殴ったことについては,その動機ないし理由は理解困難というほかない。そして,被告人は,事情を聞くために近づいて来ただけのC警察官をいきなり殴っているのであるが,C警察官が被告人に対して不穏当な発言をする等したわけでもないのに,いきなり殴るというのはいかにも唐突であるとの感を免れ難い。

 

 

  次に②についてみると,被告人は,E方の室内を荒らし,E方にあった靴を入れていたダンボール箱にコップを入れて持ち出し,それでGを殴打し,そのダンボール箱を自宅に持ち帰っている。そして,C警察官らが本件市営住宅に臨場すると,下半身裸になった状態で,わざわざ外に出て警察官の前に現れ,本件暴行に及んでいる。上記行動のうち,ダンボール箱にガラスのコップを入れて持ち歩く行為や,下半身裸のままうろつく行為は,理解し難い行為というほかなく,本件犯行当時,被告人の失見当識の程度は甚だしいものであった疑いがあり,また,下半身裸であった点はD鑑定のいうように著しい人格の低下を示すものというべきである。

 

 

  原判決は,被告人がGを殴った後,自宅に戻っていることを失見当識の程度が甚だしいものではなかったことの根拠としているが,被告人がGを殴ってから自宅に戻るまでの行動範囲は被告人が平素生活している本件市営住宅付近に限定されているのであるから,このことを根拠にするのは妥当とはいい難い。また,原判決が根拠として挙げるパトカー内の会話などは,逮捕時に組み伏せられたことや手錠を掛けられたことなどによる痛覚刺激によって被告人の意識レベルが一時的に上がったことによるものと考えられるから,その点を根拠にすることも妥当とはいい難い。

 

 

  さらに,③についてみると,D鑑定によれば,被告人は,外罰的で,攻撃性が強く,普段は抑えていても,飲酒で抑制が弱くなった時は行動化しやすいという人格面の問題があることが認められ,平成23年8月にE方で飲酒した際も,言葉が乱暴になり,威嚇するような言葉を発したことが認められる。しかし,被告人は,その時もEらに対し暴力を振るっているわけではなく,また,被告人には粗暴犯前科はなく,他人に対して暴力を振るったことをうかがわせる証拠もない。

 

 他人に対して威嚇的,攻撃的な言葉を発することと実際に暴力を振るうこととは質的に異なるものといえ,飲酒した上での暴行が被告人の元来の人格と親和性があるともいえない。

 

 原判決は,被告人が平成23年8月にE方で飲酒した際に威嚇的な言葉を発したことをもって,本件が被告人の元来の人格と親和性がないとはいえないことの根拠としているが,この説示は威嚇的な言葉と暴行との質的相違を無視するものであって,妥当ではない。

 

 

  最後に④についてみると,本件犯行当時のアルコール身体保有量やアルコール血中濃度が極度に多量といえないことは原判決が説示するとおりであるが,D鑑定によれば,酩酊の度合いは,その時の気分や腹の空き具合,血糖値,心理的要因等により著しく左右されるものであり,飲酒テスト時と本件犯行時ではこれらの要素が違うので,飲酒テストにおいては病的酩酊には至らず複雑酩酊にとどまったものと考えられる。

 

したがって,原判決が④で指摘する点も,被告人が心神喪失の状態になかったことの根拠として重視できるものではないというべきである。

 

 

  そして,被告人が,本件犯行当時,病的酩酊の状態にあったことに加え,本件の動機が了解不能であること,被告人の失見当識の程度は甚だしいものであった疑いが残ること,特に,被告人が下半身裸であった点については,合理的理由が考えられず,人格水準が著しく低下していると認められること,飲酒した上での暴行という本件犯行が被告人の元来の人格と親和性があるものとはいえないこと,著しい健忘が認められること,

 

などに照らすと,被告人は,本件犯行当時,是非弁別能力および行動制御能力を欠いていた可能性を否定できず,心神喪失の状態にあった疑いがあるというべきである。

 

  

 

(2) 以上みてきたとおり,原判決は,被告人が本件犯行当時,心神喪失の状態になかったことの根拠として挙げる諸点についての評価はいずれも妥当とはいい難く,ことに前記のようなダンボール箱にガラスのコップを入れて持ち歩く行為や下半身裸のままうろつく行為についての判断は経験則に反した不合理なものというべきであり,原判決は,本件犯行当時の被告人の責任能力について,事実を誤認したものというべきである。

 (後略)

 

 

     【主文は出典に掲載されておりません。】