川崎民商事件(2)




 東京高等裁判所判決/昭和41年(う)第959号、判決 昭和43年8月23日、 税務訴訟資料84号241頁について検討します。




【判示事項】


(1) 旧所得税法(昭和四〇年法律第三三号による改正前のもの)七〇条一〇号、六三条の規定は、憲法三一条に違反するか 


      

(2) 旧所得税法(昭和四〇年法律第三三号による改正前のもの)六三条にいう「収税官吏」の意義 


      

(3) 旧所得税法(昭和四〇年法律第三三号による改正前のもの)六三条にいう「所得税の調査」の意義 


      

(4) 旧所得税法(昭和四〇年法律第三三号による改正前のもの)六三条にいう「調査に関し必要あるとき」の意義 


      

(5) 事前調査の可否 


      

(6) 旧所得税法(昭和四〇年法律第三三号による改正前のもの)六三条にいう「納税義務者」の意義 


      

(7) 旧所得税法(昭和四〇年法律第三三号による改正前のもの)六三条、七〇条一〇号の規定は、憲法三五条、三八条に違反するか 


      

(8) 調査の具体的必要性が認められた事例 


      

(9) 被告人の検査拒否行為が団結権、結社権の行使とは認められないとされた事例 


      

(10) 調査の範囲 


      

(11) 調査日時等の事前通知の要否 


      

(12) 質問検査権の行使における身分証明書の提示の要否 


      

(13) 検査拒否の罪が成立するとされた事例 








 右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和四一年三月二五日横浜地方裁判所が言い渡した判決に対し被告人及び横浜地方検察庁検察官検事内堀美通彦から控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。


        


主   文


  原判決を破棄する。

  被告人を罰金一〇、〇〇〇円に処する。

  右罰金を完納することができないときは金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

  原審及び当審における訴訟費用は被告人の負担とする。


        


理   由


  本件各控訴の趣意は、それぞれ被告人本人、弁護人山内忠吉、同陶山圭之輔、同増本一彦(連名)及び横浜地方検察庁検察官検事内堀美通彦の各控訴趣意書記載のとおり、弁護士等及び被告人の趣旨に対する答弁は、東京高等検察庁検事丸物彰の答弁書に記載のとおりであるから、これを引用する。

  弁護人の控訴趣意第一及び被告人の控訴趣意第一点について、


  論旨は、原判決は被告人の本件所為に対し昭和四〇年三月三一日法津第三三号による改正前の所得税法(以下旧所得税法という)第七〇条第一〇号第六三条を適用して処断しているが、右第七〇条第一〇号の罪の構成要素をなす右第六三条はその規定する(質問)検査権の内容即ち「収税官吏」「所得税に関する調査」「調査について必要あるとき」「質問検査」「納税義務者」「納税義務があると認められる者」等の文言の意義が極めて不明確であつて客観性を欠き犯罪となるべき行為の態様、類型が明確に限定されていないから権力者の恣意的解釈と職権監用とを許し、行政上の取締本位にこれを拡張類推して解釈適用される余地を有し刑罰法規の保障機能、法的安定性を著しく阻害し基本的人権を侵害するものであつて、憲法第三一条に違反するものであるのみならず、憲法第三五条、第三八条は特にその適用を「刑事手続」に限定していないし、行政手続においても人権侵害が発生し得るのであるから最高裁判所の判決(昭和三〇年四月二七日大法廷)も容認しているように右第三五条、第三八条は行政手続にも適用されることが明らかであるところ、旧所得税法第七〇条一〇号、第六三条は一年以下の懲役または二〇万円以下の罰金という刑事制裁をもつて、裁判官の令状によらない(質問)検査権の行使を受忍させるものである点において、且つ本来任意調査であるべき旧所得税法第六三条の質問検査権を同法第七〇条第一〇号の罰則の裏打ちによつて無制限の強制調査及び質問権たらしめ調査の受忍、質問に対する答弁を強制している点において憲法第三一条、第三五条、第三八条第一項に違反して無効なものであることが明らかであり、原判決にはかかる無効の法令を適用した違法があるから、到底破棄を免れないというのである。


  よつて先ず、憲法第三一条違反の主張について考察するに、旧所得税法第七〇条第一〇号に引用され、その罪の構成要件要素をなす同法第六三条の規定は、収税官吏の質問検査権を規定したものであるが、同条の規定するところに特に明確を欠く点があるとは解せられない。即ち「収税官吏」の意義について旧所得税法にその定めのないことは所論のとおりであるが、大蔵省設置法第三章、大蔵省組織規程第三章の規定に徴し、なお国税徴収法第二条第一一号が「収税職員」についてその意義を定めているところによれば、「収税官吏」とは、税務署長その他税務官署の部課に所属して、直接、国税の賦課徴収に関する事務に従事する職員を指すものと解せられまた、所得税法は、申告納税制度を採用していて、納付すべき税額は納税者の行う申告によつて確定するのを原則とするが、その申告のない場合又はその申告にかかる税額の計算が所得税法に従つていない場合その他当該税額が税務署長の調査したところと異つている場合には、決定或いは更正による確定処分を必要とするものであつて、「所得税の調査」とはまさに右決定或いは更正による確定処分に必要な調査をいうものと解せられ、従つて旧所得税法第四五条の場合の調査を含むものであり、「調査に関し必要あるとき」というのも、右の申告のない場合、又は申告が適正になされていない合理的な疑いのある場合をいい、もとより当該収税官吏の恣意による調査が許される訳のものではなく、この調査が申告納税を担保し、適正な課税を実現するための純粋な行政手続であるところから、犯則調査の場合のように具体的な嫌疑のあることは要求されないが、そこに客観的な基準の存することは当然であつてかかる必要性があれば事前調査、現況調査、事後調査を行うことができ適正な申告、公平な課税を実現するための必要調査として質問検査権の行使が当然にできるのであり、従つてまた(「質問」の事項の範囲)「検査」の対象物件の範囲も自ら限定されるのであり、更に「納税義務者」とは、右の調査目的及び旧所得税法第六三条第一号が「納税義務者」のほか、「納税義務があると認められる者」又は「損失申告書を提出した者」を掲げていることにかんがみると、確定申告書を提出して納税義務のあることを申告した者を指すものと解せられ、かかる者について所得の申告洩れ等があつてこれを調査する必要のある場合があることは多言を要しないところである。以上、旧所得税法第七〇条第一〇号の罪の構成要件要素をなす同法第六三条の規定には趣旨明解を欠くところがあるとは認められず、従つて右規定の趣旨が不明確であるとの所論は結局独自の見解たるに過ぎないもので、その前提のもとに、収税官吏の恣意的解釈を許しその職権の濫用を誘発するものとして憲法第三一条違反を主張する論旨は失当である。



  次に憲法第三五条及び第三八条違反の主張について考察するに、これらは刑事手続に関する規定であつて、直ちに行政手続に適用されるものではないと解するのが相当であるから、行政調査手続を規定した旧所得税法第六三条には直接適用がないものといわなければならない(最高裁判所昭和三〇年四月二七日大法廷判決刑集九巻五号九二四頁参照)。仮りに憲法第三五条第三八条が行政手続についても適用ないし準用されるものとしても課税の適正公平を期し、これを阻害する国の課税権に対する侵害又はその危険を防止するため、収税官吏に納税義務者らに対する質問検査を許す必要のあることはもとより容認さるべきところであり、従つて納税義務者らにはこれを受忍すべき義務があつて、旧所得税法第六三条に規定する程度の任意調査を受忍し、質問に対して答弁すべきことは勿論であり、その実効を期し、これを間接に強制するため同法第七〇条第一〇号所定の罰則を設けて同法第六三条所定の質問検査権を賦与したことは、刑事手続と行政手続との本質的相違にかんがみ、あながち憲法第三五条及び第三八条に背くものではないものと解せられる。それ故、旧所得税法第六三条第七〇条第一〇号は憲法第三五条第三八条に違反し無効であるとの前提に立つ所論も到底採用し難い。



  弁護人の控訴趣意第二及び被告人の控訴趣意第二点および第三点の(一)(二)について、

  所論は、収税官吏Aの行つた本件所得税確定申告調査は、国税庁長官の指令に基き東京国税局の直接指揮下に、被告人が所属するB民主商工会に対して川崎税務署、東京国税局各職員が直接実行した不当弾圧であり、被告人の行為は、かかる税務調査権の乱用による不当な権力行使に対し被告人の如き零細商工業者が勤労者としての組織行動によりこれに抗議し、これを阻止する目的に出でた団結権(憲法第二八条)、結社権(憲法第二一条)抵抗権(憲法第一二条)の行使にほかならないに抱らず、原判決はこの被告人の団結権、結社権、抵抗権に関する憲法の諸条項の解釈適用を誤り被告人を有罪として処断したものであるから、破棄を免れないというのである。


  しかし、なるほどCに対する証人尋問調書謄本(四通)によれば国税庁は民主商工会の介在が所属会員に対する適正な税務の執行、調査を妨げ、その会員の所得税確定申告の調査が不徹底に流れた結果、所属会員の納税申告額が一般の納税申告に比し低額になされている傾向があるとして、各国税局に対し、民主商工会員に対する所得調査を徹底的に行うべきことを指示し、よつて東京国税局は、川崎税務署に対しその旨伝達するとともに同年九月三日頃、東京国税局直税部所得税課所属のA等数名の職員に川崎税務署所得税第二課付の併任辞令を発して応援せしめ、この方針による調査を励行せしめるに至り、被告人に対する本件調査も、その一環として行われたものであることは認められるのであるが、原判決挙示の証拠特に原審証人Aの供述、昭和三五、三六、及び三七各年分の所得税確定申告書の各写の記載によれば、川崎税務署は、被告人の昭和三三年乃至昭和三七年分の各所得税確定申告につき、検討を加えた結果、被告人の昭和三七年分所得税確定申告につき過少申告の疑が存し、事後調査を行う必要があるものと認めたため、Aほか二名の収税官吏をして被告人の所得につき本件調査を実施せしめようとしたものであること、すなわち、本件所得税確定申告調査は、徴税の適正公平という税法上の要請に基づき被告人の所得税確定申告額につき個別的に検討を加えた結果、調査の具体的必要性を認めたため同法第六三条の正条に基いて行なわれた質問検査権の行使であることが認められ、被告人の主張し、原審証人Dの供述するところによれば、当日本件調査現場にはニユースカメラマンや私服警察官が居合わせたというのであるが、これが、川崎税務署乃至本件調査担当官A等において同行を命じ又は依頼したものと認むべき証左は存在せず、記録を精算しても、本件調査が単に概括的に被告人がB民主商工会員なるがために、これに弾圧を加えて民主商工会の組織を破壊するという不当な意図のもとに職権を乱用して無差別に調査を行つたものであることを認めるに由なく、当審における事実取調の結果に徴しても右結論を左右することはできない。弁護人等は「零細業者が金融営業、生活などの要求、税制の民主化、税務相談、記帳実務指導等を集団的に解決する組織を作り、一定の団体行動や請願をすること」は勤労者としての零細商工業者の団結権の行使であり、民主商工会にも当然かかる団結権の保障が与えられており、調査に名を籍(ママ)りた本件の不当弾圧に対する被告人の拒否行為は、その一環としてなされたものであると主張するが、なるほど、税理士法所定の税理士業務の制限に抵触しない限りは、憲法第二一条の保障する結社の自由は民主商工会員に対しても与えられるところであるが、ただ憲法第二八条の保障する団結権及び団体行動権は、使用者対被使用者の関係において経済上の弱者たる被使用者に対し対等の立場においてその利益を主張しその地位の向上に資するために認められたものであり、(最高裁判所昭和二四年五月一八日大法廷判決刑集三巻六号七七二頁以下参照)従つて勤労者といえどもその範囲内においてのみ右団結権等を有するものと解すべきところB民主商工会はE連合会下部のF民主商工会川崎支部に属し、中小零細商工業者を会員とし、税務行政の民主化、税制の研究、税務の指導相談、中小零細業者の経営、納税指導相談等、対税務署交渉等を主目的とする団体であり、かかる団体には憲法第二八条の団結権等は認められないのであつて、従つて被告人の本件調査拒否行為が同法条の保障する団体行動権の行使に該当しないことは多言を要しないところである。従つて、一方において民主商工会に憲法第二八条の保障する団結権、団体行動権があることを前提とし、他方において、本件調査は収税官吏A等の民主商工会の組織破壊を目的とする職権濫用の権力行使であるとの前提に立つて、被告人がこれに抗議抵抗したのは、憲法の保障する団結権、結社権の行使であつて憲法第一二条の精神に合致する行為であるとする弁護人の所論は到底是認することができない。論旨はいずれも理由がない。



  弁護人の控訴趣意第三及び被告人の控訴趣意第三点の(三)乃至(七)について

 論旨は、原判決は罪となるべき事実として被告人が《川崎税務署収税官吏Aが被告人に対する昭和三七年分所得税確定申告調査のため帳簿書類等の検査をしようとするに際し「何回来るんだ、だめだ、だめだ、事前通知がなければ調査に応じられない」等大声をあげたり、又、あちらへ行こうとAの左上勝部を引張るなどし以て右検査を拒んだ》旨の事実を認定しているが、(一)収税官吏Aが被告人に対して行つた本件調査は、旧所得税法第七〇条第一〇号、第六三条の罪の構成要件要素をなす調査の必要性を欠くもの、すなわち根拠資料に基く過少申告の合理的な疑がないものであるのみならず、被告人において本件調査を拒否する正当な理由があつたものである。すなわち(二)本件調査は、調査に名を籍(ママ)りて、被告人がB民主商工会員なるが故に不当になされた弾圧行為そのものであり、(三)質問検査を行うについては、これを行う収税官吏において、如何なる根拠資料により確定申告の内容の如何なる点につき過少申告の疑があるかを「所得調査カード」や「法人税準備調査表」の選定理由欄の記載により確認していなければならないのに、A自身これを明らかに認識していないのであり、(四)質問検査権行使の範囲は、調査を必要とする事項(特定の所得理由及び所得の価格)につき当該確定申告の年度分の所得とそれを生み出した関係事実に限られるところ、本件調査において、Aはこの範囲を逸税し何年分の所得税につき調査をするのかを明らかにせず、しかも現在の売上げについてまでも質問検査をしようとしたものであり、(五)本件調査は任意の調査権であつて、相手方の同意承諾を条件とするから、抜打検査は違法であるのに、Aは事前通知をしないで本件調査を行つたのであり、(六)A等は旧所得税法施行規則第九三条に違反し関係人の請求による身分証明書乃至検査章の呈示をしなかつたのであり、(七)本件調査は、昭和三八年二月一八日川崎税務署と、B民主商工会との間に成立した協定において、自主申告を尊重し、事前の話合で問題を解決し、事後調査又は更正決定はこれを行わない旨の約束に違反して行われたものであつて、以上、いずれの点から見ても本件調査権行使は、その適法条件を欠く違法な調査であるから被告人がこれを拒否したのは正当であつて、旧法第七〇条第一〇号、第六三条の調査拒否の罪とならない。更に(八)原判決は、被告人が本件調査拒否行為においてAの左前膊部を引つ張つた旨の事実を認定しているが、被告人はかかる行為に出たことはない、


(九)仮りに被告人の本件行為が形式的に旧所得税法第七〇条第一〇号、第六三条の調査拒否行為に該当するとしても、右はB民主商工会員たる被告人に対し同会員たるが故に調査に名を籍(ママ)り不当弾圧を目的として行われたもので質問検査権行使の要件を全く欠く違法な質問検査権の行使であり、被告人はこれに抗議したものであるから、被告人の行為はAの職権乱用行為に対する正当防衛行為である。しかるに原判決は、以上(一)乃至(九)の事実をすべて看過し被告人がAの適法な質問検査権行使を拒否したものとして旧所得税法第六三条第七〇条第一〇号の罪の成立を認めたものであつて、右は判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認を犯し、ひいて法令の適用を誤つたものであるというのである。




  しかしながら、収税官吏Aの行つた本件調査は、同人において、被告人の昭和三七年分所得税確定申告につき川崎税務署の公的資料に基き個別的に検討した結果、過少申告の合理的疑ありとの認識のもとに調査の必要性を認めてこれを行つたものであつて、被告人がB民主商工会員なるがため、同会の組織破壊を目的として無差別になされた職権乱用の不当弾圧行為とは認め難いことは、前段に説示したとおりであつて、原判決挙示の証拠によれば、調査の対象が昭和三七年分確定申告の内容に存したことは、収税官吏Aが認識していたところであり、また申告の内容の当否を的確に調査するためには、調査の対象たる年度の前後の年分における実績をも細査勘案する必要があることはしばしばであるから、昭和三八年度分の売上実績につき質問したからといつて調査の正当な範囲を逸税した不当の質問ということはできない。また、所論は本件調査に当つて事前通知がなかつたので調査を拒否することができると主張するが、元来税務調査に当つて事前通告を行つて来たのは税務調査の便宜上、税理士関与の事件につき特段の事由なき限りこれを認めたものであつて、税理士が関与している案件でも常に税理士に事前通知をしなければならぬものではなく、税務処理上必要ある場合は事前通知を行わずに調査を施行することができるものであり、現に同年一〇月一日、川崎税務署員Aが被告人方に調査に赴いた際も、拒まれてその目的を遂げなかつた事実が認められることからしても本件調査に当り事前通知をしなかつたのは調査の必要上やむを得なかつたものと認められ、その他川崎税務署とB民主商工会の本件関係者側との間においても事前通知を調査の必要条件とするような慣行先例が存していたものと認むべき証拠は存しない。所論は昭和三八年二月一八日川崎税務署とB民主商工会との団体交渉の結果、自主申告の尊重、確定申告に関する問題の話合い処理、事後調査乃至更正決定を行わぬことなどの協定が成立しているから、本件調査は右協定違反の違法調査であつてこれを拒むことができると主張するが、かかる協定成立の事実を認めるに足りる証左は存せず、原審証人Gの所論に副う供述は措信し難く、当審事実取調の結果に徴しても右認定を左右するに足りない。


  所論身分証明乃至検査章の不呈示も被告人において本件調査以前に、本件調査担当者が川崎税務署所属の収税官吏であることを知り、敢てこれが呈示を請求しなかつたものであることが証拠上明らかであるから、Aがこれを呈示しないで本件調査に着手しようとしたのは毫も違法ではない。


  されば収税官吏Aの被告人に対する本件所得調査は適正に行われたものというべく、所論のような各理由によりこれを拒否することはできないものであるところ、原判決挙示の証拠中、被告人の本件調査拒否行為に関する証人Aの供述はこれを信用するに足り、これと原判決挙示の爾余の証拠とを総合すれば所論において争つている、被告人があちらへ行こうと言つてAの左上膊部を引張つた事実を含めて、原判示罪となるべき事実を肯認するに十分であり、これを目して、Aの職権乱用行為に対する正当防衛行為ということのできないことはいうまでもないところであるから、被告人の本件行為は旧所得税法第七〇条第一〇号第六三条の罪を構成するものといわなければならない。原判決には所論の事実誤認乃至法令適用の誤はなく、論旨は理由がない。




  弁護人の控訴趣意第四及び被告人の控訴趣意第四点について。

  所論は、旧所得税法第七〇条第一〇号の内容をなす第六三条の質問検査権は、所得税確定申告の内容に合理的な根拠資料による過少申告等の疑がある場合に「所得調査カード」や「法人税準備調査表」の選定理由欄にその選定理由を記載してはじめて「所得税に関し必要があるとき」としてその調査を行うことができる、又かかる場合にのみ質問検査を受ける者は「納税義務があると認められる者」に該当し、質問検査の対象となるのである。ところが原判決は、いつ如何なる場合でも質問検査ができるものと誤つた解釈に基き、被告人の所得税確定申告については何等具体的な根拠資料による合理的な過少申告の疑も存しないのに、質問検査を行おうとしたAの本件質問検査は違法であることを看過して、これを拒んだ被告人の所為を有罪としたものであるから重大な法令適用の誤を犯したものであるというのである。



  しかし原判決は、毫も旧所得税法第六三条の質問検査権の行使は無条件に許されると解したものと窺えるような判示をしておらず、却つて証拠を挙げて本件調査は収税官吏Aが被告人の確定申告に過少申告の疑があつたので質問検査の必要性を認めて適法に本件調査を施行しようとしたものと認め、これを前提として被告人の本件質問検査拒否行為を旧所得税法第七〇条第一〇号の罪に該当するものと認めているのであり、右調査の必要性認定の根拠資料は必ずしも所論の如き資料に限定されているものではないところ、原判決挙示の証拠により、右原判示前提事実は優に肯認できるところであるから、原判決には所論の如き法令適用の誤はなく、論旨は理由がない。


  弁護人の控訴趣意第五及び被告人の控訴趣意第五について。

  論旨は、弁護人は原審において(一)旧所得税法第七〇条第一〇号、第六三条は憲法第三一条に違反する無効の法津であるから被告人の本件行為は罪とならない旨の主張をし、また(二)被告人の本件行為は、被告人の所属する民主商工会の組織と団結を守るための団結権、結社権、抵抗権を行使したものであるから刑法第三五条により違法性のないものであり、また川崎税務署のなした質問検査に名を籍(ママ)りて不当弾圧に対する正当防衛行為である旨法律上犯罪の成立を妨げる理由の主張をしたのに、原判決はこれらに対する何等の判断をもなしていないから、判決に理由を附しない違法があるが、又は刑事訴訟法第三三五条第二項に違反し判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続上の法令違背があるというのである。


  しかしながら、刑事訴訟法第三三五条第二項により、判決に判断を示すべき、いわゆる「法律上犯罪の成立を妨げる理由となる事実」の主張とは、犯罪構成要件に該当する事実以外の事実であつて、その事実あるがための法律上犯罪が不成立に帰すべき原因となる事実の主張をいい、(最高裁判所昭和二四年一月二〇日判決、刑集三巻一号四七頁参照)所論(一)の旧所得税法第七〇条第一〇号第六三条ため帳簿類等の検査をしようとするに際し、被告人が検査を拒んだ旨の事実を認定しているが、右確いわゆる犯罪の成立を妨げる理由となる事実の主張に該当しないから、敢て判決理由中に、直接これに対する判断を示す必要はないのみならず、原判決は、被告人の本件所為に旧所得税法第七〇条第一〇号第六三条を適用して処断しており、右違憲立法の主張を排斥したものであることは明らかであるから所論の理由不備の違法はない。次に所論(二)の主張は右にいわゆる犯罪の成立を妨げる理由となる事実の主張に該当するところ原判決がこれに対する判断を明示していないことは所論のとおりであるが、刑事訴訟法第三三五条第二項の理由の主張に対する判断は判文上これを明示するのが相当であるが、これを否定する判断を示すことにより間接にこれを示しても敢て違法ではないと解すべきところ、原判決は弁護人の主張に対する判断の項において弁護人の本件調査が実は民主商工会の組織破壊をたくらむ弾圧でありもはや税務行政とは無縁な違法不当な権力行使で調査権の乱用である旨の主張に対し、川崎税務署は被告人の昭和三七年分所得税確定申告について過少申告の疑をもちAほか二名の収税官吏をしてその調査を実施せしめたものであつて結局右調査はこれを違法と断ずるを得ず、本件調査が民主商工会の組織破壊の目的をもつてなされた行為と認めることはできない旨判示して被告人の本件行為を有罪としており右判旨に徴し、所論(二)の各主張を排斥する趣旨であることは、自ら明らかであるから、これを明示しなかつたことをもつて刑事訴訟法第三三五条第二項に違反する訴訟手続上の法令違反として原判決を破棄する理由とするに足りない。論旨はいずれも理由がない。



  弁護人の控訴趣意第六及び被告人の控訴趣意第六について。


  論旨は、原判決は川崎税務署収税官吏Aが被告人に対する昭和三七年分所得税確定申告調査のが違憲立法であつて、被告人の行為がこれに該当するとしても罪とならない旨の主張の如きは、右に(ママ)定申告調査の必要性を決すべき過少申告の疑の存在を直接証明する証拠は、直接にその選定事務を担当した職員即ち被告人の同年分所得税確定申告書の点検をし過少申告の疑あるものと認定した当該職員の供述証拠が、又はその職員自ら「所得調査カード」の選定理由欄にその旨を記載したその「所得調査カード」の書面証拠かのいずれかでなければならないところ、原判決はこれらの証拠によらず、直接調査対象の選定に当つた者ではなく、これらの者の作成した資料(書面)に基き間接に調査の必要性あることの認識を得たに過ぎないAの公判延(ママ)における供述(証言)を唯一の証拠として本件調査の必要性の存在を認定しており、右Aの証言は伝聞証拠であつて証拠能力のないものであるから、原判決は、証拠なくして調査の必要性を認めたものにほかならず結局採証法則を誤り虚無の証拠に基き被告人の犯罪事実を認定した訴訟手続上の法令違反を犯したものであつて、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるというのである。



  記録によれば、なるほど原判決は確定申告調査対象の選定事務を担当した職員の供述又は右担当職員が記入した「所得調査カード」の記載を証拠として取り調べず、所論Aに対する証人尋問の結果のみにより、本件調査の必要性を決定すべき被告人の所得税確定申告における過少申告の疑の存在を認定していることは所論のとおりである。しかし所論の調査の必要性の存在は、旧所得税法第七〇条第一〇号第六三条の罪の構成要件要素ではあるが、これを証明すべき証拠は必ずしも所論のような供述証拠又は書面証拠に限定されるものではなく、証拠間能力のある証拠であれば、直接証拠たると接証拠たるとを問わないものといわなければならない。


  しかし原判決が証拠とした所論の証人Aの供述は所管税務官署の公用書類に基いて被告人の昭和三七年分所得税確定申告につき過少申告の疑あることを確認したというのであり、右供述は同人の直接経験事実及びこれに基く判断を述べたものであつて、これが同人自ら直接に根拠資料を調査した結果、右過少申告の疑あることを認めたものであると、他の調査対象選定事務担当者が根拠資料を調査した結果右過少申告の疑あるものと判断してその旨を記載した書面より間接にこれを認めたものであるとを問わず証拠能力があり、且つ爾余の証拠と対比してこれを信用するに足りるものと認められるから、原判決がこれを証拠として本件調査の必要性あることを認定したのは相当であるといわなければならない。原判決に所論の違法はなく論旨は理由がない。



  検察官の控訴趣意第二について。


  所論は、原判決は、被告人を罪金一万円(但し二年間執行猶予)に処しながら、これを完納することができない場合の換刑処分である労役場留置の期間の言渡をしていないが、右は刑法第一八条第四項の適用を誤つた違法があり破棄を免がれないというにある。


  よつて検討するに、原判決は被告人を罰金一万円(但し二年間執行猶予)に処しながらこれを完納することができない場合の換刑処分である労役場留置の言渡をしていないことは所論のとおりであつて右は刑法第一八条第四項の適用を誤つたものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから論旨は理由があり原判決は破棄を免がれない。


  よつて被告人の本件控訴は理由がないが、検察官の本件控訴はその理由があるから、検察官のその餘の論旨につき判断をするまでもなく刑事訴訟法第三九七条第三八一条に則り原判決を破棄するとともに同法第四〇〇条但書に従い被告事件につき更に判決をする。


  原判決が確定とした罪となるべき事実及びこれに適用した法令に従い、所定刑中罰金刑を選択し、本件行為の罪質、態様にかんがみ、その金額範囲内において被告人を罰金一〇、〇〇〇円に処し、刑法第一八条を適用して、この罰金を完納することができないときは金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場留置すべく、原審及び当審における訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文に則り全部被告人にこれを負担させることとする。


  よつて主文のとおり判決する。

  検察官検事  丸物 彰 公判出席

   昭和四三年八月二三日

     東京高等裁判所第五刑事部

         裁判長判事  遠藤吉彦

            判事  吉川由己夫

            判事  酒井雄介