プライバシー権(3)




 先日の裁判、理由を検討します。






【判決要旨】


 いわゆるプライバシー権は私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利として理解されるから、その侵害に対しては侵害行為の差し止めや精神的苦痛による損害賠償請求権が認められるべきものであり、民法第七〇九条による損害賠償の原由となる。 




 







 理   由






  一、争いのない事実




   (一) 請求原因一のとおり小説「宴のあと」が連載され、のち単行本として刊行されたこと、同小説は請求原因二のような梗概のものであること、小説「宴のあと」が原告および畔上輝井の経歴のうち社会的に周知の事実ならびにニユースに着想し、ストーリーを構成し、創作されたものであること、したがつて同小説に登場する「野口雄賢」および「福沢かづ」に関する描写のなかには原告および畔上輝井の経歴、職業その他社会的活動と似通つた部分があること、(請求原因三(一)関係)原告の略歴および畔上輝井が「般若苑」の経営者であり、原告と結婚し、原告の選挙に際し尽力したこと。「般若苑」を売却しようとして果さなかつたこと、原告主張の怪文書が配布されたこと。都知事選挙で原告が敗れたのち畔上輝井は原告と離婚し「般若苑」を再開したこと(請求原因三(二)関係)、他方小説「宴のあと」には別紙「連想部分の指摘表」同「侵害箇所の指摘表」に挙げられた各描写があること、



   (二) 「宴のあと」が単行本として刊行発売されるに際し、請求原因三(三)の(1)ような広告が出され、また被告佐藤、同新潮社が請求旅因三(三)(2)、(3)のような広告をしたこと、



   (三) 原告が昭和三五年八、九月頃小説「宴のあと」を連載中の中央公論社に対し、同小説を単行本として出版しないようにと申し入れたこと、また同年一〇月末頃被告新潮社に対しても同様の申し入れを行つたが、同被告はこれを拒み、同年一一月一五日付で単行本として出版したこと(請求原因六(一)、(二)関係)、の各事実は当事者間に争いがない。












  二、小説「宴のあと」が発売されるまでの経緯





  証拠(省略)を総合すると、




   (一) 被告平岡は昭和三一年に戯曲「鹿鳴館」を発表した頃から政治と恋愛との衝突というようなテーマを小説としても展開してみたいと考えていたところ昭和三四年の春から夏にかかる頃中央公論社から連載小説の執筆の依頼を受けた。



その当時たまたま原告の都知事選挙出馬とそれをめぐる様々な話題が新聞、雑誌等に現われ、とくに原告の選挙とそれをめぐる原告夫婦の破局が同被告のあたためてきたテーマを展開するのに好個の材料であると思われたので、すでに公開されていた原告およびその妻であつた畔上輝井の手記、談話の類その他の報道記事、刊行物等を資料として集める一方、小説の構想を練り、同年秋頃漸く、胸中に小説の決定的契機ともなるべきものをとらえることができたように思えた。



そこで被告平岡は中央公論社に対し「般若苑のマダムについて右のようなテーマで書きたいが、それでよいか」とただしたところ、同社は「異存はないがあまりになまなましい事件であるから少くともモデルとされる畔上輝井さんに会つてその意向をうかがつたうえで掲載の運びにしたい」との意見を述べ、被告平岡も小説の構想が女主人公を中心に立てられていたので、その必要性を認め、中央公論社の社長嶋中鵬二、同社の担当記者青柳正己と共に料亭「般若苑」で畔上輝井に会つた。被告平岡はこの当時はまだ女主人公を中心に小説を展開し、男主人公は傍系としてとどめる構想であつた。





   (二) 右席上で被告平岡は畔上輝井に対し、自分の念頭にあるのは政治と恋愛との対立というような主題で、



私は小説の女主人公に非常に美しいイメージをいだいており、


小説では一つの理想の姿、肯定的な人間像をあなたを通して描いてみたいという趣旨の話をしただけで、


その構想の具体的な内容、梗概などは話題に上らず、また中央公論社側も小説の具体的な内容については被告平岡に委ねてあり、般若苑のマダムがモデルになるという程度にしかその構想を知つていなかつたので、


原告との関係で本件小説がどのように展開されるかなどの問題については格別説明しなかつた。





この申し入れに対し、畔上は自分がモデルにされることの可否については即答を留保し、原告の意向もたずねてみたいとの態度であつたが、被告平岡には会談の空気から推して彼女に本当の自分の姿を書いてもらいたいという気持が動いていたように推察された。






そして被告平岡ないし中央公論社と畔上との間でこの件について何度か交渉があつて漸く同女もモデルとされることについて明確な承諾を与えたので、小説「宴のあと」は雑誌中央公論の昭和三五年一月号から同年一〇月号まで一〇回にわけて執筆連載される運びになつた。



   (三) 原告は小説「宴のあと」が中央公論誌上に連載される前に、畔上輝井から電話で三島由紀夫という小説家が般若苑のことを小説に書きたいと申し入れてきたがどうしたものだろうかという趣旨の簡単な問い合わせを受けたが、そのときはすでに畔上と離婚していたので「その問題については私としては諾否いずれとも返事をしない、お前がどう処置するかは私の関係するところでない」という意味のこれまた簡単な応答に終始し、原告がその作品のモデルとされる余地、その場合の問題などについてはなんらの意見の交換、打合も行われず、また被告平岡ないし中央公論社側から原告に対しこの点について原告の意向を直接打診するような措置はとられなかつた。



   (四) 畔上輝井は右(二)で認定したように一旦は小説のモデルにされるとを承諾したけれども、「宴のあと」が中央公論誌上に半ばほど発表された頃すなわち連載の第六回分が発表された頃、中央公論社に対し手紙で、「軽卒に承諾したがあのように自分が淫らな女として扱われている小説は全く心外であり、迷惑であるから、「宴のあと」の掲載は中止してもらいたい」旨を申し入れ、その頃から被告平岡の許にも幾度か同趣旨の申し入れがあつた。



しかし被告平岡は「小説は中途では否定的な箇所も現われるけれども結論として最後に残るイメージが重要なものであり、「宴のあと」も最後まで読んでもらえば肯定的な人間像として描かれていることが判るでしようから」と答え、連載中の同小説の執筆、発表を続けた。



ただ中央公論社の方では、畔上から掲載中止の要求がくり返されるので、連載についてはすでに同女の承諾を得たうえでのことではあり、作品も芸術的に秀れたものであるからこれを中止することはできないけれども、この小説にはモデルがない旨の断り書を中央公論誌上にうたうことで、一応畔上の抗議に応えることにし、同女にもその線で了解を求め、昭和三五年八月号、同一〇月号にその趣旨の断り書を附した。




   (五) 原告は「宴のあと」が中央公論誌上に連載されるようになつて暫くしてこの小説の中で原告もモデルとなつていることを知つたけれどれど(ママ)も、連載のはじめの数回を読んだところでは、とくに不快な感じもいだかなかつたので、安心していたが、回が進み同年四、五月頃からは原告をモデルにしたと覚しい男主人公「野口雄賢」の取り扱いに堪え難いものを感じるようになり、とりわけ「野口雄賢」と「福沢かづ」との間の肉体的交渉が描かれている部分や「野口雄賢」が「福沢かづ」を踏んだり蹴つたりする部分などには非常な不快感と憤怒を覚え、一時は連載を中止させたいとまで思つたが、すでに同小説も結末に近く、いまさらその連載の中止を要求したところで容れられる望みはないから、むしろ人の噂も七五日という諺もあることだしそのままにして騒ぎ立てない方が賢明であると判断し、中央公論誌上での連載については敢えて抗議を申し込まないでいた。




  しかしその後になつてこの連載小説が完結したあかつきには、あらためて単行本として出版されるということを耳にしたので、原告も、眠つた子を起すような行為はどうしても阻止しなければならないと決意し、連載が完結する直前頃青野秀吉その他の友人知己に「宴のあと」の発表によつて蒙つている苦痛を話し、この人々を介してまず被告平岡に単行本として出版することを思いとどまつてもらいたい旨を働きかけ、さらに、出版の件で直接同被告と会つて話をしたいと吉田健一、高木健夫を介して申し入れたが、いずれも被告平岡の容れるところとならなかつた。



そこで原告は昭和三五年八、九月頃出版を予定していた中央公論社の鳩中鵬二と会つて、この小説によつて原告が蒙る精神的苦痛、不快を縷々説明し、「宴のあと」がモデル小説でないといくら断り書をつけても受け取る方ではそうは取らないこと男主人公「野口雄賢」のような経歴を持つ者は原告一人であり、当然に一般の読者は「野口雄賢」が原告を指していると解釈すること、すでに政界を引退している原告の過去の問題をいまさら小説という形で公衆の前に引きずり出されるのは甚だ迷惑であることを訴え、単行本として出版することは思いとどまつてほしい旨を申し入れた。





   (六) 右の申し入れに対し中央公論社長嶋中は原告が迷惑を蒙つていることに同情の念を示し、中央公論社としては「宴のあと」が芸術的に秀れた価値をもつているので出版したいけれども、原告が蒙る迷惑は最小限度にど(ママ)どめたいと思う旨を答え、原告および被告平岡との間の話合による解決の途を残しておいて、あらためて被告平岡に会い、「宴のあと」の字句の訂正や単行本の発売を適当な時期まで延ばすというような方法で、いわば芸術家として許せる範囲で妥協できないものかとその意向を打診した。


しかし被告平岡は、出版社がその主たる雑誌に一旦掲載した以上は、作家の味方になつて単行本として後世に残すよう努力してくれるべき責務があるのに、原告の肩を持ち過ぎること、発売時期を遅らせるというけれども、その時期を明示しないことなどの点で、中央公論社は出版社としての責務に欠けるところがあると反論し、結局両者の話し合いは物別れになつた。




   (七) 被告新潮社は昭和三五年九月末頃被告平岡から、「中央公論社では単行本出版のふんぎりがつかないようなので、自分として同社からは出版したくない、ついては新潮社で出さないか」との問い合わせを受けた。


被告新潮社はすでは(ママ)中央公論誌上に連載されたときから「宴のあと」の芸術的価値を認めていたので、同小説が巷間にモデル問題で論議を巻き起しつつあつたこと、同小説を一読すれば原告と畔上輝井が男女主人公のモデルであることは容易に判ることなどは充分認識していたけれども、むしろ中央公論社が連載中に同小説にはモデルがないなどと断り書を附した態度の方が曖昧であつて、第一級の文芸作品であるとの確信がある以上はモデル小説で押し通してはばかるところはない、中央公論社の態度には文学に尽す立場の者として信念が弱いのではないかという意見の下に喜んで「宴のあと」を単行本として出版することを引き受けた。その結果被告平岡は中央公論社の了解を得て、ここに単行本の出版権は連載小説として掲載した中央公論社ではなく被告新潮社が取得するという事態を生じるに至つた。




   (八) 原告はこの話を聞き前述した中央公論社の場合と同様に一〇月末頃から手紙およびその秘書を介して口頭で被告新潮社に対して「宴のあと」の出版を取り止めるよう強く訴えたが、被告新潮社はすでに同小説の出版を引き受けるときに、原告からこのような抗議が来るであろうことは予想していたところであり、前記(七)のとおり中央公論社のとつた措置には賛成できないとその態度を明らかにしていたので、原告のこの申し入れによつて既定の方針を左右するようなことは全くないどころか、「宴のあと」の広告にあたつては、むしろ積極的に正面からモデル小説であることをうたい、請求原因三(三)(1)(3)のような広告を出し、被告佐藤を発行者として昭和三五年一一月末にまず初版三万部を発売し、その後一万部を増刷発売したことがそれぞれ認定でき、これを左右する証拠はない。





  三、「宴のあと」のモデルについて、



   (一) すでに認定したように「宴のあと」は被告平岡が胸中にあたためていたテーマが原告の東京都知事選挙への立候補とその後の夫婦関係の破局という現実に発生した事件に触発されて小説という形式で具体化されたものであるが、


被告平岡公威尋問の結果によれば、被告平岡の意図したところは、政治的な理念と人間的な真実としての恋愛とが、ある局面で非常に悲劇的に衝突し、そこに人間の美しい真実が火花のようにひらめき現れるということ、



別な表現でいえば全く純粋な人間の魂と魂がじかに触れ合うということは、非常に難しく、


様々の外的な条件が制約となつてその触れ合いを妨げ、そこに起るギヤツプがいつも人間の悲劇を生み出すという思想に立つて、



たまたまその年の春、すなわち昭和三四年四月の都知事選挙を契機として社会的にも関心を惹いた原告と畔上輝井との間の夫婦の問題を、その主題を展開させる好個の材料と判断し、このような社会的に著名な事件を素材として借りながら、


小説としての構想をめぐらすにあたつては、男女の主人公にそのモチーフを展開するにふさわしい性格と肉づけを与えようと試みたこと、


したがつて、「宴のあと」の描写で原告がプライバシーの侵害として指摘する部分のごときは、被告平岡が小説家として本件小説のためは創作した情景であつて、


原告のいわゆる「侵害箇所の指摘表」に指摘されているような「野口雄賢」および「福沢かづ」に関する描写と同一の行為、感情が原告または畔上輝井に生起したかどうかは被告等の全く関知しないところであつたことを認めることができ、


右の指摘表にあるような描写に対応する事実が現実に生起したものであること換言すれば、本件小説の描写が原告や畔上の行動を敷き写しにしたものであることを認めさせるような証拠は存在しない。



   (二) このように本件小説はいわゆる暴露小説、実録小説などのように実在し、あるいは実在した特定の人物の私行を探り出しこれを公開しようとする意図の下に書かれた小説とは、その制作の動機および表現された内容において異質のものであることは否定できないところであり、本件小説の発表、刊行をもつて写真、報道記事の類もしくはいわゆる暴露小説、内幕物の類によつて他人の私生活、秘事を暴露、公開する行為と同一視することは正当ではない。



  しかし小説が写真や報道記事などと異り作家のフイクシヨン(創作)によつて支えられているものであるとしても、いわゆるモデル小説と呼ばれるものについて、そのモデルを探索し考証することが一つの文学的研究とさえなつていることは公知の事実であり、まして小説の一般の読者にとつてはモデルとされるものが読者の記憶に生々しければ生々しいほどその小説によせるモデル的興味(実話的興味と言い換えることもできよう)も大きくならざるを得ないのが実情であり、そうなればなるほどモデル小説といわれるものは小説としての文芸的価値以外のモデル的興味に対して読者の関心が向けられるという宿命にあることもみやすいところである。




   (三) しかも「宴のあと」が発表されたのは、原告が出馬した昭和三四年四月の東京都知事選挙から僅に一年前後を経過した時であり、同選挙がいわゆる般若苑マダム物語という怪文書事件や原告と畔上輝井との離婚事件、般若苑の売却、再開問題などでとくに世人の印象に深かつたことは公知の事実であるから、


このような社会的な状況の下に、


原告の主要経歴、政治的地位、選挙活動および畔上輝井の職業、両者の夫婦関係の破綻といつた事実をそのまま借りて「宴のあと」の主人公である「野口雄賢」および「福沢かづ」を設定する際に利用している以上は、この小説の読者が「野口雄賢」から原告を、「福沢かづ」から畔上輝井を連想することは避けられないところであり、


被告平岡公威もその尋問の結果の中でこのことを肯定している。



(なおすでに指摘したとおり「野口雄賢」および「福沢かづ」の描写のうちその経歴、職業、社会的活動が原告および畔上輝井のそれに着想したもので、したがつて彼此酷似するところが多いことは被告等も認めるところである。)



このように昭和三四年四月の都知事選挙をめぐる公知の事実と原告が別紙「連想部分の指摘表」に挙示した本件小説中の各描写部分(ただしB項を除く)とを対照し、これに(中略)の各証拠を総合すれば「野口雄賢」および「福沢かづ」がそれぞれ原告および畔上輝井をモデルとしたものであることと一般の読者にも察知させるに充分な内容のものであつたことが認定でき、


この意味において「宴のあと」がモデル小説であることは否定できない。


しかも「宴のあと」が発表、刊行された時期および社会的な状況が前述のとおりであるところ、このように世人の記憶に生々しい事件を小説の筋立に全面的に使用しているため、一般の読者が小説のモデルを察知し易いことは原告の実名を挙げた場合とそれほど大きな差異はないといつても過言ではない。以上の判断を左右する証拠はない。






  四、小説のモデルとプライバシー



  (一) すでに認定したとおり、原告がプライバシーの侵害として挙示する描写はいずれも原告の現実の私生活を写したものではなく、被告平岡のフイクシヨンになるものと認められ、そのかぎりでは「宴のあと」が原告の私生活を暴露、公開したとはいえない。




    1 しかしモデル小説の一般の読者にとつて、当該モデル小説のどの叙述がフイクシヨンであり、どの叙述が現実に生起した事象に依拠しているものであるかは必ずしも明らかではないところから、読者の脳裏にあるモデルに関する知識、印象からら(ママ)推して当該小説に描写されているような主人公の行動が現実にあり得べきことと判断されるかぎり、



そのあり得べきことに関する叙述が現実に生起した事象に依拠したものすなわちフイクシヨンではなく実際にもあつた事実と誤解される危険性は常に胚胎しているものとみなければならない。



ましてモデル小説の執筆にあたつて作家が当該モデルに関する様々の資料を入手し、執筆の参考に供していることは読書人の常識となつている実情にあるから、モデル小説の読者の既成の知識にない事柄の叙述が出てきた場合にこれを悉く作家のフイクシヨンと受け取るとはとうてい期待できないところであり、叙述された事象が読者のモデルに関する知識イメージなどから推して信じ難いようなものであれば別であるが、


あり得べきことであるかぎり一般的には読者のモデルに対する好奇心、詮索心によつて助長されてフイクシヨンと事実の判別は極めて難しくなるであろうことは明らかである。



もつとも、作者がそのような叙述の内容となつた事実についてなんらの資料、知識をも有しないことが一般の読者にも明らかであれば、全くのフイクシヨンであることは読者にとつても明らかであろうけれども、本件ではそのような事情が存在したことを窺うに足る証拠はない。



しかも被告平岡公威尋問の結果によつても明らかなとおり、被告平岡は「宴のあと」の構想、執筆にあたつて、小説の背景には現実感が必要であり、原告および畔上輝井をモデルとする以上は両者に関する公知の事実を小説上でわざわざ舞台を変えて設定することはかえつて不自然な感じを与えるから、小説の舞台は現実らしきものを設定して書かなければならないと考えていたことが認められるから、このような技法が一般の読者をして事実をフイクシヨンとの境界をますます判別し難くさせたであろうことは察するに難くない。


(もし事実とフイクシヨンが水と油のように分離して何人にもその区別が明らかな小説があるとすれば、そのような小説ではいわゆるモデルのプライバシーの問題は起り得ないであろう。)




    2 そしてモデル小説というものは必ずしも常に小説としての文芸的価値の面でのみ読者の興味を惹くとはかぎらず、



モデルの知名度言葉を換えればモデルに対する社会の関心が高ければ高いだけ、


モデル的興味(実話的もしくは裏話的興味)


が読者の関心を唆る傾向にあることは否定できないところであり、


このようなモデル小説は、味わうために読まれるばかりでなく知るために読まれる傾向が作者の意図とは別に否応なく生じるものである。



これが小説の正しい読み方であるかどらかの論議は別としてこのようなモデル的興味は好奇心、詮索癖という人間の心理的な特質に由来するかぎりにわかに消滅し去るものではない。


いわんや被告新潮社、同佐藤が「宴のあと」を単行本として発売するに当つて行つた広告であることに争いがない請求原因三(三)の各事実およびこれらの広告である成立に争いない甲第一ないし五号証を総合すれば被告新潮社が内心どのように「宴のあと」を評価していたかは別として、


モデル的興味を惹き起すことに広告効果の重点が置かれていたものと認めざるを得ないのであり、モデル小説においては、このようなモデル的興味が潜在しているからこそ、このような広告効果を期待できるわけであり、それもモデルの知名度が高ければ高いほど大きいことは明らかである。



そして作者の被告平岡自身もこのような広告がますます原告の憤満をかうであろうことが予想できた旨同被告本人尋問の結果中で供述している。


被告佐藤亮一尋問の結果も右の認定を左右するに至らず他に反証はない。


とくに「宴のあと」の発表、刊行は原告の都知事選挙出馬とその後の離婚といつた社会的に著名な事件の発生から僅に一年前後を経過したにすぎない時であり、当時なお原告と畔上輝井の夫婦関係の破綻は世人の記憶に生々しく、週刊誌等でも大きく取り上げられたことは成立に争いない乙第一ないし八号証の各一、二にまつまでもなく公知の事実であつたから、モデルが原告および畔上輝井(もしくは般若苑のマダム)であることの確信とそれに支えられたモデル的興味とは今日とは比較にならないほど強かつたことは想像するに余りがある。





    3 このようにモデル小説におけるプライバシーは小説の主人公の私生活の描写がモデルの私生活を敷き写しにした場合に問題となるものはもちろんであるが、そればかりでなく、たとえ小説の叙述が作家のフイクシヨンであつたとしてもそれが事実すなわちモデルの私生活を写したものではないかと多くの読者をして想像をめぐらせるところに純粋な小説としての興味以外のモデル的興味というものが発生し、モデル小説のプライバシーという問題を生むものであるといえよう。



    4 これまで判断したように、「宴のあと」の中で原告がプライバシーの侵害として指摘するような私生活の各描写はいずれも被告平岡のフイクシヨンであると認めざるを得ないけれども、


原告の消息に特に通じた者を除けば、


一般の読者は、そのフイクシヨンと事実とを小説の叙述のうえで明確に識別することは難しく、


とくに「宴のあと」にあつては読者にとつて既知の事実が極めて巧に小説の舞台に織り込まれているだけに、


作者の企図した「現実感」という効果が読者に強く迫り、迫真性を帯びて来ることと、


この小説がモデルおよび事件に対する世人の記憶がまだ生々しい間に発表されたという時間的要素とが相乗的に作用し、


モデチ(ママ)的興味を唆ると同時に本来なら主人公の私生活の叙述であるにすぎないものがモデルである原告および畔上輝井の私生活を写しまたはそれに着想した描写ではないかと連想させる結果を招いていたことは否定できないところと認められ、



このような受け取られ方が、モデル小説、私小説をも含めて小説本来の正しい味わい方であるかどうかは別として、



主人公の私生活ないし心理の描写はすべて作者のフイクシヨンであるとか読者にとつて既知の事実でない部分はすべてフイクシヨンであると受け取られるほどには、今日のモデル小説に対する関心、興味は純化されていないと考えられ、いわばこれがモデル小説の今日おかれている社会的な環境ということができ、「宴のあと」の発表方法もその例外であることはできない。





   (二) したがつて、小説「宴のあと」が発表されたため、作者の本来の意図とは別に、そこに展開されている主人公「野口雄賢」の私生活における様々の出来事の叙述の全部もしくは一部が実際に原告の身の上に起つた事実ではないかと推測する読者によつて原告は好奇心の対象となり、


いわれなくこれら読者の端(ママ)摩臆測の場に引き出されてしまうのであり、これによつて原告が心の平穏を乱され、精神的な苦痛を感じたとしてもまことに無理からぬものがあるといわなければならない。



そしてこのようなことによつて原告が受ける不快の念は、小説に叙述されたところが真実に合致していると否とによつてさしたる径庭はない。(むしろ虚構の事実である場合の方が臆測をたくましくされたという感じをいだく点でより不快の念を覚えることさえ考えられないではない。)



  この点については、成立に争いない甲第二八号証の一、二、および証人嶋中鵬二の証言、原告本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すれば、



「宴のあと」の描写のなかで原告がとくに強く不快の念をいだいた点は、



(イ)妻を踏んだり蹴つたりする場面が詳細に叙述されていること(一六六頁ないし一七〇頁)、


(ロ)寝室での行為、心理の描写(とくに一三五頁、一三六頁など)、


(ハ)妻が料亭の再開にあたつて政敵から金銭的な援助を得たような描写の三点で、


このほか「野口雄賢」と「福沢かづ」夫婦の生活のあとを叙述する部分とくに接吻などの場面についても程度の差はあるが、


それが原告と畔上輝井の夫婦の間に起つた出来事として受け取られるおそれがあることを思うときは、


羞恥ないし不快の念を禁じることができなかつたこと、


なかんずく原告が憲法擁護国民連合に関与していたこともあつて、




(イ)のように女性を足にかけるような描写にはとくに強い憤満を感じたし、また総体的にも、原告は都知事選挙を最後に政界から引退し、余生を平穏に送るべく念願していたところに、「宴のあと」が発表され、再び公衆の面前に自分の全身をさらけ出されたような気持で、堪え難い苦痛を覚えたことが窺い知られ他に反証はない。



これによれば原告がとくに不快ないし羞恥、嫌悪の念を覚えたという(イ)(ロ)の部分およびこれにまつわる「野口雄賢」と「福沢かづ」の私生活の描写(とくに二二七頁ないし二二九頁)については、それがたとえ小説という形式で発表され、したがつて当然に作者のフイクシヨンないし潤色が施されていることが考えられるものであるにしても通常人の感受性を基準にしてみたときになお、原告がその公開を望まない感情は法律上も尊重されなければならないものと考える。




   (三) もつとも、被告等は私生活をみだりに公開されないという意味でのプライバシーの尊重が必要なことは認めるけれども、それが実定法的にも一つの法益として是認され、したがつて法的保護の対象となる権利であるかどうかは疑問であると主張する。



しかし近代法の根本理念の一つであり、また日本国憲法のよつて立つところでもある個人の尊厳という思想は、相互の人格が尊重され、不当な干渉から自我が保護されることによつてはじめて確実なものとなるのであつて、



そのためには、正当な理由がなく他人の私事を公開することが許されてはならないことは言うまでもないところである。



このことの片鱗はすでに成文法上にも明示されているところであつて、たとえば他人の住居を正当な理由がないのにひそかにのぞき見る行為は犯罪とせられており(軽犯罪法一条一項二三号)その目的とするところが私生活の場所的根拠である住居の保護を通じてプライバシーの保障を図るにあることは明らかであり、また民法二三五条一項が相隣地の観望について一定の規制を設けたところも帰するところ他人の私生活をみだりにのぞき見ることを禁ずる趣旨にあることは言うまでもないし、このほか刑法一三条の信書開披罪なども同じくプライバシーの保護に資する規定であると解せられるのである。



  ここに挙げたような成文法規の存在と前述したように私事をみだりに公開されないという保障が、今日のマスコミユニケーシヨンの発達した社会では個人の尊厳を保ち幸福の追求を保障するうえにおいて必要不可欠なものであるとみられるに至つていることとを合わせ考えるならば、その尊重はもはや単に倫理的に要請されるにとどまらず、不法な侵害に対しては法的救済が与えられるまでに高められた人格的な利益であると考えるのが正当であり、それはいわゆる人格権に包摂されるものではあるけれども、なおこれを一つの権利と呼ぶことを妨げるものではないと解するのが相当である。



   (四) 右に判断したように、いわゆるプライバシー権は私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利として理解されるから、その侵害に対しては侵害行為の差し止めや精神的苦痛に因る損害賠償請求権が認められるべきものであり、民法七〇九条はこのような侵害行為もなお不法行為として評価されるべきことを規定しているものと解釈するのが正当である。




  そしてここにいうような私生活の公開とは、公開されたところが必ずしもすべて真実でなければならないものではなく、一般の人が公開された内容をもつて当該私人の私生活であると誤認しても不合理でない程度に真実らしく受け取られるものであれば、それはなおプライバシーの侵害としてとらえることができるものと解すべきである。



けだし、このような公開によつても当該私人の私生活とくに精神的平穏が害われることは、公開された内容が真実である場合とさしたる差異はないからである。むしろプライバシーの侵害は多くの場合、虚実がないまぜにされ、それが真実であるかのように受け取られることによつて発生することが予想されるが、ここで重要なことは公開されたところが客観的な事実に合致するかどうか、つまり真実か否かではなく、真実らしく思われることによつて当該私人が一般の好奇心の的になり、あるいは当該私人をめぐつてさまざまな揣摩臆測が生じるであろうことを自ら意識することによつて私人が受ける精神的な不安、負担ひいては苦痛にまで至るべきものが、法の容認し難い不当なものであるか否かという点にあるものと考えられるからである。




  そうであれば、右に論じたような趣旨でのプライバシーの侵害に対し法的な救済が与えられるためには、公開された内容が



(イ)私生活上の事実または私生活上の事実らしく受け取られるおそれのあることがらであること、


(ロ)一般人の感受性を基準にして当該私人の立場に立つた場合公開を欲しないであろうと認められることがらであること、換言すれば一般人の感覚を基準として公開されることによつて心理的な負担、不安を覚えるであろうと認められることがらであること、


(ハ)一般の人々に未だ知られていないことがらであることを必要とし、このような公開によつて当該私人が実際に不快、不安の念を覚えたことを必要とするが、




公開されたところが当該私人の名誉、信用というような他の法益を侵害するものであることを要しないのは言うまでもない。



すでに論じたようにプライバシーはこれらの法益とはその内容を異にするものだからである。



  このように解せられるので、右に指摘したところに照らしても、本件「宴のあと」は少くとも前記(二)末尾で説示した範囲では原告のプライバシーを侵害したものと認めるのが相当である。(原告が掲げる侵害個所の指摘表挙示のその他の叙述については、後に判断する。)







  五、違法性阻却事由について



 プライバシーの保護がさきに指摘したような要件の下に認められるものとすれば、他人の私生活を公開することに法律上正当とみとめられる理由があれば違法性を欠き結局不法行為は成立しないものと解すべきことは勿論である。



   (一) しかし、小説なり映画なりがいかに芸術的価値においてみるべきものがあるとしても、そのことが当然にプライバシー侵害の違法性を阻却するものとは考えられない。


それはプライバシーの価値と芸術的価値(客観的な基準が得られるとして)の基準とは全く異質のものであり、法はそのいずれが優位に立つものとも決定できないからである。


それゆえたとえば無断で特定の女性の裸身をそれと判るような形式、方法で表現した芸術作品が、芸術的にいかに秀れていても、この場合でいえば通常の女性の感受性を基準にしてそのような形での公開を欲しないのが通常であるような社会では、やはりその公開はプライバシーの侵害であつて、違法性を否定することはできない。



もつともさきに論じたとおりプライバシーの侵害といえるためには通常の感受性をもつた人がモデルの立場に立つてもなお公開されたことが精神的に堪え難いものであるか少くとも不快なものであることが必要であるから、このような不快、苦痛を起させない作品ではプライバシーの侵害が否定されるわけでありまた小説としてのフイクシヨンが豊富で、モデルの起居行動といつた生の事実から解放される度合が大きければ大きいほど特定のモデルを想起させることが少くなり、それが進めばモデルの私生活を描いているという認識をもたれなくなるから、同じく侵害が否定されるがそのような例が芸術的に昇華が十分な場合に多いであろうことは首肯できるとしても、それは芸術的価値がプライバシーに優越するからではなく、プライバシーの侵害がないからにほかならない。





   (二) また被告等は言論、表現の自由の保障がプライバシーの保障に優先すべきものであると積極的主張二のとおり主張するけれども、本件についてはその主張するところは正当でない。



もちろん小説を発表し、刊行する行為についても憲法二一条一項の保障があることはその主張のとおりであるが、


元来、言論、表現等の自由の保障とプライバシーの保障とは一般的にはいずれが優先するという性質のものではなく、


言論、表現等は他の法益すなわち名誉、信用などを侵害しないかぎりでその自由が保障されているものである。



このことはプライバシーとの関係でも同様であるが、ただ公共の秩序、利害に直接関係のある事柄の場合とか社会的に著名な存在である場合には、ことがらの公的性格から一定の合理的な限界内で私生活の側面でも報道、論評等が許されるにとどまり、


たとえ報道の対象が公人、公職の候補者であつても、無差別、無制限に私生活を公開することが許されるわけではない。


このことは文芸という形での表現等の場合でも同様であり、文芸の前にはプライバシーの保障は存在し得ないかのような、また存在し得るとしても言論、表現等の自由の保障が優先さるべきであるという被告等の見解はプライバシーの保障が個人の尊厳性の認識を介して、民主主義社会の根幹を培うものであることを軽視している点でとうてい賛成できないものである。




   (三) 被告等は原告が右にいう公的存在であつたことを理由に侵害行為に違法性がないと主張する。



  なるほど公人ないし公職の候補者については、その公的な存在、活動に附随した範囲および公的な存在、活動に対する評価を下すに必要または有益と認められる範囲では、その私生活を報道、論評することも正当とされなければならないことは前述のとおりであるが、それにはこのような公開が許容される目的に照らして自ら一定の合理的な限界があることはもちろんであつて無差別、無制限な公開が正当化される理由はない。


とくに私生活の公開が公人ないし公職の候補者に対する評価を下すための資料としてなされるものであるときはその目的の社会的正当性のゆえに公開できる範囲が広くなることが肯定されるであろうけれども、本件のように、都知事選挙から一年前後も経過し、原告がすでに公職の候補者でなくなり、公職の候補者となる意思もなくなつているときに、公職の候補者の適格性を云々する目的ではなく、もつぱら文芸的な創作意慾によつて他人のプライバシーを公開しようとするのであれば、それが違法にわたらないとして容認される範囲はおのずから先の例よりも狭くならざるを得ない道理であり、おおむねその範囲は、世間周知の事実および過去の公的活動から当然うかがい得る範囲内のことがらまたは一般人の感受性をもつてすれば、被害意識を生じない程度のことがらと解するのが妥当である。



  そうであれば先に四(四)末尾で認定したような部分は、原告が被告等主張のような公的経歴を有していること(この点は争いがない)を考慮に入れてもなお原告が受忍すべき範囲を越えたものとして、


そのプライバシーの侵害は違法なものと認められる。


(もつとも侵害箇所の指摘表で原告が挙げるその他の部分は右に挙げた基準に照らし未だ原告のプライバシーを侵害したと認めるに充分ではない。なお、同表で侵害した部分として原告が挙げるもののうち野口雄賢に関する叙述がなく「福沢かづ」の心理、挙動を中心に描写した部分たとえば一四〇頁、一四一頁、一五九頁、二三九頁、二七五頁ないし二七七頁などについて、


原告は、妻の私行や妻の肉体の描写も夫である原告のプライバシーを侵害したことになると主張するけれど、両者は別個の人格であるから、原告に関する叙述がないかぎり原告のプライバシーを侵害したとは認め難い。)これらの判断を覆すに足る証拠はない。




   (四) さらに被告等は「宴のあと」の執筆について原告が承諾を与えていたと主張するけれども、これを認めるに充分な証拠はない。《中略》



   (五) なお被告平岡は右に認定したとおり少くとも「宴のあと」を中心(ママ)公論誌上に連載してからかなりの間は原告も承諾を与えてくれたものと誤信していたのであるから、直接原告に承諾を求めるとかあるいは畔上その他第三者に明確に原告の承諾を得てもらいたい旨を依頼するなどの積極的な措置を講じないまま、このように誤信した点で過失の責任は免かれないとしても、故意はなかつたものと認めるのが相当である。


しかし前記二(五)で認定したところから、被告平岡は「宴のあと」の連載が完結する頃には原告が承諾を与えていなかつたことを察知できたものと認められるから、本件で問題とされる被告新潮社からの単行本としての出版については他の両被告と共に故意があつたものと認めて妨げない。



  被告佐藤及び被告新潮社は「宴のあと」が中央公論社に連載された後に単行本として刊行される段階において関与するに至つたものではあるが、前認定の事情の下で原告からの出版の中止方の要請に対してこれを拒みモデル小説としての広告を敢てなした上で単行本として出版したものであるから被告平岡のなした原告のプライバシー権の侵害行為に加担したものというべく、被告平岡と共同して出版により新に原告に精神的苦痛をあたえたものといえるから被告平岡と共に原告のプライバシー権の侵害による損害賠償義務あるものと解するのが相当である。





  六、請求の当否について



  (一) 以上判断したとおり、被告等の主張は結局採用することができないので、被告等は「宴のあと」の発表及び単行本としての出版によつて原告が蒙つたプライバシーの侵害に対し損害を填補すべき義務があるものといわなければならない。


  原告は本件損害の賠償請求として、謝罪広告および金銭による損害賠償の二つを請求するけれども、私生活(私事)がみだりに公開された場合に、それが公開されなかつた状態つまり原状に回復させるということは、不可能なことであり名誉の毀損、信用の低下を理由とするものでない以上は、民法七二三条による謝罪広告等は請求し得ないものと解するのが正当である。



   (二) そこで金銭賠償の請求について判断すると、原告が本件「宴のあと」の発表及び単行本としての出版によつて蒙つた精神的な不安、苦痛は前記二(五)、四(二)、(四)で認定したとおりであること、しかしながら「宴のあと」が中央公論誌上に連載される過程では、被告平岡に署名入りの自著を贈呈したり、また連載分について承認を与えたわけではないが積極的に抗議もしなかつたというような事情があつて、被告平岡をして、原告の承諾があつたかのように誤信させると同時に、これによつて被告新潮社から単行本として発売される以前に、すでに「宴のあと」は広く発表されていたこと、他方、被告新潮社および被告佐藤は前記二(七)(八)、四(一)、2で認定したように、


出版業に従事する者としての信念に基づくとはいうものの原告の重ねての出版中止の要求を拒否し、そのうえ積極的にモデル小説であることを広告したというより、モデル的興味を喚起するのが主眼であるとしか考えられないような広告を出すことによつて、とくに世人の注意を惹き、原告のプライバシーに対する侵害を著しくしたこと、


そして被告新潮社が出版した部数は合計四万部に達することその他本件で認定した諸事実を合せ考えると、「宴のあと」を執筆し発表し出版をさせた点で被告平岡の責任が最も大きいもののようにもみえるが、



プライバシーの侵害という観点からみれば、被告新潮社の販売方針とみられる前示のような広告の内容が著しく影響していることは看過することができない事実である。



このような点を考慮すれば、中央公論誌上に発表した点で被告平岡の行為は他の被告等よりも侵害の態様、期間において大きい(この部分については被告新潮社および被告佐藤は関与していない)けれども、その他の被告等の責任との間に結局甲乙はないものというべく被告等は連帯して原告の受けた精神的苦痛を慰藉するに要する金員として八〇万円を支払うべき義務があると認めるのが相当である。この損害額の算定を左右するに足る証拠はない。




  七、結論


  以上のとおり判断されるので、本訴請求のうち慰藉料の支払を求める部分は八〇万円およびこれに対する各訴状送達の後であること記録上明らかな昭和三六年三月二六日から完済まで年五分の割合による民法所定の遅延損害金の範囲で認容し、その余の部分および謝罪広告を命じる請求はいずれも棄却することとし、民事訴訟法九二条九三条一項但書、一九六条を適用し主文のとおり判決する。



 (裁判長裁判官石田哲一 裁判官滝田薫 裁判官山本和敏は転官のため署名捺印できない。)