プライバシー権(2)




 本日は東京地方裁判所判決/昭和36年(ワ)第1882号 、判決 昭和39年9月28日、 下級裁判所民事裁判例集15巻9号2317頁について検討します。





 

【判示事項】



プライバシーの権利が認められた事例 




【判決要旨】



いわゆるプライバシー権は私生活をみだりに公開されないという法的保障ないし権利として理解されるから、その侵害に対しては侵害行為の差し止めや精神的苦痛による損害賠償請求権が認められるべきものであり、民法第七〇九条による損害賠償の原由となる。 






 










事   実





  第一、当事者の求める裁判




 (原告-請求の趣旨)




   


一、被告等はその費用をもつて原告のために、株式会社朝日新聞社(東京本社)発行の朝日新聞、株式会社毎日新聞社(東京)発行の毎日新聞、株式会社読売新聞社発行の読売新聞の各全国版社会面に、見出し三倍活字、本文一・五倍活字、記名宛二倍活字を使用して、左記の広告を一回掲載せよ。




    


謝罪広告



  作者三島由紀夫、発行者佐藤亮一、発行所株式会社新潮社として刊行した小説「宴のあと」は、貴殿のプライパ(ママ)シーを侵害し、非常に御迷惑をかけたことを、ここに深くおわび致します。同書は、直ちに絶版とし今後の発売を中止致します。また三島は、これを映画演劇化するようなことは致しません。



          三島由紀夫

          佐藤亮一

          株式会社新潮社


   有田八郎殿




   



二、被告等は連帯して原告に対し金一〇〇万円及びこれに対する昭和三六年三月二六日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。


三、訴訟費用は被告等の負担とする。

   

四、第二項は仮に執行することができる。





 (被告等)



   

一、原告の請求を棄却する。

   

二、訴訟費用は原告の負担とする。





  第二、原告の主張




   一、被告平岡公威は三島由紀夫のペンネームをもつ小説家であるが、雑誌「中央公論」の昭和三五年一月号から同年一〇月号にわたつて「宴のあと」と題する小説を連載執筆したのち、被告佐藤亮一を発行者、被告新潮者を発行所としてこれを一冊にまとめた同一題名の小説の刊行を許諾し、被告新潮社は昭和三五年一一月一五日付で右初版一四、〇〇〇部以上を刊行しその後も重版を刊行発売している。



   二、「宴のあと」の梗概は、『「野口雄賢」という妻を失つた独身の六〇才を過ぎた外交官出身の男であつて小国の公使をつとめたことがあり、外務大臣にもなり戦後衆議院議員に立候補して当選したが二度目は落選し、「革新党」の顧問となつていたが同党から推されて東京都知事選挙に立候補した。



この野口は都知事選挙の有力候補であつたので「保守党」の対立候補の擁立は人選難に陥り、現職の都知事は辞めそうでなかなか辞めない有様であつたところ、


野口の妻「福沢かづ」の経歴、行状を誹謗した怪文書「野口雄賢夫人伝巫山漁人著」がばらまかれたため野口は山の手方面で人気をおとし、また選挙資金を調達するため料亭「雪後庵」を売却することも「佐伯首相」に妨害されて野口は選挙の終盤戦で資金がなくなり、



反対に保守派からは買収の金が流れ出し、


さらに投票日の前日に「野口雄賢危篤」のビラがまかれたりして


結局都知事選挙は「敵の謀略と金の勝利」に帰し「二〇万ちかく引き離され」て野口は惜敗した。



野口の妻福沢かづは少女時代から「苦労のかずかず」を重ねてきた女で著名な料亭「雪後庵」の女将であつたが野口と結ばれ妻の座にすわり都知事選挙のために野口にかくれて「雪後庵」を抵当に入れて資金をつくるべく奔走し同料亭は休業するに至つた。



しかし怪文書がばらまかれ選挙が野口の敗北に終つたのち野口に背いて「雪後庵」を再開するため野口とは遂に離婚した。』というのである。






   三、(一) このように「宴のあと」に登場してくる主要人物には「野口雄賢」と「福沢かづ」という仮名が用いられているけれども以下に指摘するようにこの小説が一般読者に与える印象としては、「野口雄賢」が原告、「福沢かづ」が畔上輝井をさしていることは明らかであり、その効果は原告及び畔上輝井の実名を挙げた場合と異らない。《中略》




    (三) このことは被告等が「宴のあと」を一冊にまとめて刊行した際次のような広告を行つていることからも明白にされている。






     (1) 発売された「宴のあと」の帯に記載した広告として、本の背に当る箇所に「一九六〇年の傑作といわれるモデル小説」その右側(本の表側)に「臼井吉見氏評……作者は、なまなましい、泥くさい社会種を逆用して、思うさま作者の美的観念を展開してみせている。」、「平野謙氏評……モデル的興味だけに堕しやすい、天下公知の事実を材料にしながら、大人の鑑賞に耐える芸術作品に仕上げた。」との文句を用いて宣伝している。



     (2) 被告新潮社等が朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、東京新聞等に掲載した広告は大同小異であるが、昭和三五年一一月一八日付毎日新聞朝刊に掲載された広告は「宴のあと」「注目の長篇モデル小説」「トツプクラスの批評家が“モデル小説の模範”というのです。素材になつた元外相と料亭の女主人、そして都知事選挙という公知の現実が、これほど作品の中で変貌し、芸術的に昇華すると、読者は文句なしに、相寄り相容れなかつた二つの人間像に、そして女主人公の恋の悲劇に感動するでしよう。」といつた表現を用い、前述の批評家の評及び河上徹太郎、中村光夫の評を掲載している。




     (3) 被告新潮社の手で昭和三五年一一月頃東京都内の書店等に無料で多数配布された扉付宣伝用マツチの広告には、表に「長篇小説、宴のあと、三島由紀夫」と印刷し、表の扉を開けると『御挨拶 この度私の夫野口雄賢は都知事選挙に革新党より立候補することになりました。御存知の事とは存じますが、私は料亭「雪後庵」を経営しております関係上、夫の革新党よりの立候補を意外に思われるお方も多いと思います。その間の事情は、三島由紀夫先生の最新の長篇小説「宴のあと」お読みの上、何卒来るべき選挙に、お力添え給ります様お願ひ申し上げます。一一月吉日 料亭「雪後庵」女主人福沢かづ」、裏に「注目のモデル小説 宴のあと、三島由紀夫、定価三九〇円、新潮社版」とそれぞれ印刷している。




   四、(一) このように「宴のあと」は原告及び畔上の実名を挙げたモデル小説と異るところがないものであり、


原告が畔上とはじめてあうところから最初の接吻(被告新潮社発行の「宴のあと」の六五頁)、


最初の同衾(同八三頁)、


結婚後の夫婦の愛情と確執(同全般)、


妻に背かれる夫(同二四六頁ないし二八九頁)を描写し、


原告と畔上との閏房についてまで想像をめぐらして具体的な描写を加え(同一三六頁)、


その間に前述のような世間周知の事実を交えて原告がモデルであることを読者に意識させながら空想あるいは想像によつて原告の私生活を「のぞき見」するような描写を行つている。《中略》




   五、(一) 被告等がこのような原告の私生活を「のぞき見」し、もしくは「のぞき見したかのような」描写を公開したことによつて、原告はいわゆるプライバシーを侵害されたものである。《中略》



   七、このように「宴のあと」は原告の私生活をほしいままにのぞき見し、これを公表したものでありこれによつて原告は平安な余生を送ろうと一途に念じていた一身上に堪えがたい精神的苦痛を感じた。


そこで「宴のあと」の作者、発行者、発売者である被告等は共同して原告に精神的苦痛を与えたものとして、原告に対し損害を賠償すべき義務があるが、原告の損害を填補するには被告等が共同で請求の趣旨第一項記載の謝罪広告を掲載し、且つ慰藉料として少くとも金一〇〇万円を支払わなければならない。



  よつて被告等に対し共同して請求の趣旨記載のとおりの謝罪広告および慰藉料ならびに後者に対する本件訴状各送達の後である昭和三六年三月二六日からその支払済まで年五分の割合による民法所定の遅延損害金の支払を求める。《中略》










  第三、被告等の主張



 (請求原因の認否)


   一、請求原因一の事実は認める。


   二、同二の事実は認める。


   三、(一)同三(一)の事実は否認する。


もつとも「宴のあと」が原告および畔上輝井の経歴のうち社会的に公知の事実ならびにニユースに着想し、ストーリーを構成し、創作した小説であること、


したがつて「野口雄賢」および「福沢かづ」の描写のなかには、実在する右両者の経歴、職業や社会的活動と似通つた部分があることは争わないが「野口雄賢」および「福沢かづ」は被告平岡が抱いている人間観、社会観を表現する媒体として創作した芸術創作上の人物であり、その言動や心理の描写は、あくまで「野口」なり「福沢」なりのそれであつて原告もしくは畔上輝井の言動や心理の描写ではなく両者は次元を異にしている。《中略》




    (三) 同三(三)の事実のうち(1)の事実は認める。同(2)、(3)の事実は被告佐藤および被告新潮社が行つたものであることは認めるが、被告平岡は無関係である。《中略》



   四、(一)、同四(一)の事実は否認する。《中略》


   五、(一)、同五(一)の事実は否認する。《中略》




   七、被告等に損害賠償義務があるとの主張は争う。



  仮に、原告主張のプライバシーの権利が実定法上成立し得るとしても、その侵害に対し謝罪広告を請求できるとする根拠はないし、ましてその内容として今後の中止と映画、演劇化の禁止とを宣言するような謝罪広告を請求できるとは考えられない。《中略》