教唆犯(3)





 本日は最高裁判所第3小法廷 平成17年(あ)第302号 法人税法違反,証拠隠滅教唆被告事件 平成18年11月21日 判決、判例タイムズ1228号133頁 を検討します。




 




理   由



  弁護人五木田彬の上告趣意は,違憲をいう点を含め,実質は単なる法令違反,事実誤認,量刑不当の主張であって,刑訴法405条の上告理由に当たらない。


  なお,所論にかんがみ,職権で判断する。


  1 原判決及びその是認する第1審判決の認定並びに記録によれば,第1審判決判示第2の事実に関する事実関係は,以下のとおりであると認められる。



  (1)被告人は,スポーツイベントの企画及び興行等を目的とする株式会社Kの代表取締役として同社の業務全般を総括していたものであるが,同社の平成9年9月期から同12年9月期までの4事業年度にわたり,架空仕入れを計上するなどの方法により所得を秘匿し,虚偽過少申告を行って法人税をほ脱していたところ,同社に国税局の査察調査が入るに及び,これによる逮捕や処罰を免れるため,知人のAに対応を相談した。



  (2)Aは,被告人に対し,脱税額を少なく見せかけるため,架空の簿外経費を作って国税局に認めてもらうしかないとして,Kが主宰するボクシング・ショーに著名な外国人プロボクサーを出場させるという計画に絡めて,同プロボクサーの招へいに関する架空経費を作出するため,契約不履行に基づく違約金が経費として認められることを利用して違約金条項を盛り込んだ契約書を作ればよい旨教示し,この方法でないと所得金額の大きい平成11年9月期と同12年9月期の利益を消すことができないなどと,この提案を受け入れることを強く勧めた。



  (3)被告人は,Aの提案を受け入れることとし,Aに対し,その提案内容を架空経費作出工作の協力者の一人であるBに説明するように求め,被告人,A及びBが一堂に会する場で,AがBに提案内容を説明し,その了解を得た上で,被告人がA及びBに対し,内容虚偽の契約書を作成することを依頼し,A及びBは,これを承諾した。



  (4)かくして,A及びBは,共謀の上,BがKに対し上記プロボクサーを上記ボクシング・ショーに出場させること,KはBに対し,同プロボクサーのファイトマネー1000万ドルのうち500万ドルを前払すること,さらに,契約不履行をした当事者は違約金500万ドルを支払うことなどを合意した旨のKとBとの間の内容虚偽の契約書及び補足契約書を用意し,Bがこれら書面に署名した後,K代表者たる被告人にも署名させて,内容虚偽の各契約書を完成させ,Kの法人税法違反事件に関する証拠偽造を遂げた。



  (5)なお,Aは,被告人から,上記証拠偽造その他の工作資金の名目で多額の資金を引き出し,その多くを自ら利得していることが記録上うかがわれるが,



 Aにおいて,上記法人税法違反事件の犯人である被告人が証拠偽造に関する提案を受け入れなかったり,その実行を自分に依頼してこなかった場合にまで,なお本件証拠偽造を遂行しようとするような動機その他の事情があったことをうかがうことはできない。



  2 このような事実関係の下で,被告人は,A及びBに対し,内容虚偽の各契約書を作成させ,Kの法人税法違反事件に関する証拠偽造を教唆した旨の公訴事実により訴追されたものであるところ,所論は,Aは被告人の証拠偽造の依頼により新たに犯意を生じたものではないから,Aに対する教唆は成立しないというのである。



  なるほど,Aは,被告人の相談相手というにとどまらず,自らも実行に深く関与することを前提に,Kの法人税法違反事件に関し,違約金条項を盛り込んだ虚偽の契約書を作出するという具体的な証拠偽造を考案し,これを被告人に積極的に提案していたものである。


 しかし,本件において,Aは,被告人の意向にかかわりなく本件犯罪を遂行するまでの意思を形成していたわけではないから,Aの本件証拠偽造の提案に対し,被告人がこれを承諾して提案に係る工作の実行を依頼したことによって,その提案どおりに犯罪を遂行しようというAの意思を確定させたものと認められるのであり,被告人の行為は,人に特定の犯罪を実行する決意を生じさせたものとして,教唆に当たるというべきである。


 したがって,原判決が維持した第1審判決が,Bに対してだけでなく,Aに対しても,被告人が本件証拠偽造を教唆したものとして,公訴事実に係る証拠隠滅教唆罪の成立を認めたことは正当である。



  よって,刑訴法414条,386条1項3号により,裁判官全員一致の意見で,主文のとおり決定する。


  (裁判長裁判官・那須弘平,裁判官・上田豊三,裁判官・藤田宙靖,裁判官・堀籠幸男)























以下 出展 判例タイムズ1228号133頁から引用




 弁護人の上告趣意は,教唆犯が成立するためには,被教唆者において,教唆者からの教唆行為により,新たに犯罪意思を形成することが必要であるところ,被告人の行為は,既に「内容虚偽の契約書等」を作成する犯罪意思を固めているA及びBに対して,事実行為として最終的にその依頼をしたものにすぎない,それにもかかわらず,教唆犯の成立を認めたのは,罪刑法定主義を定めた憲法31条に違反する,というものであった。


4(1)まず,教唆行為該当性については,刑法61条1項の教唆といえるためには,被教唆者はいまだその犯罪に対する実行の決意をしていないものであることを要し,既に実行の決意を有する者に対しては,その意思を強めるという意味での幇助が問題になるにすぎないと解されている


(大判大6.5.25刑録23輯519頁ほか,団藤重光編『注釈刑法(2)Ⅱ』775,781頁,大塚仁ほか編『大コンメンタール刑法(5)(第2版)』473頁等)。


そして,教唆犯と幇助犯の区別の問題につき,特定の犯罪を実行する「決意」を生じていない限り被教唆者たり得ること,すなわち,


①既に犯罪的な意思を抱いていても,それが行為傾向にすぎなかったり,


②まだ心が揺れ動いていたり,あるいは,


③犯罪請負人のように,場合によっては犯罪の実行をする用意があると言って申し出ている者,


④どんな場合でも一定の犯罪行為を遂行すると単に一般的に決意している者であっても,


これらの者に対する特定の犯罪実行の決意を抱かせる働きかけは,いずれも教唆に当たると解される(宮川基「条件付故意について(2)(完)」法学63巻4号561頁参照)。



しかし,共謀共同正犯を肯定している我が国においては,人に働き掛けて犯罪行為をさせる場合,その者に犯罪の決意を生じさせたかどうかにかかわらず,共謀共同正犯と認定できる場合が多いため,



実務上は,正犯者に犯罪の決意を生じさせたかどうかをメルクマールとして教唆か精神的幇助かを論ずる実益に乏しく,この点がストレートに問題にされることもなかったように思われる



(例えば,XがYの死を望んでいることを知った殺し屋Zが,報酬を支払うならばYを殺害しようと申し出,これに応じてXがZに報酬を約束ないし供与し,Zが実行に及んだ場合のXの罪責は,教唆か幇助かという観点からは,教唆というべきである(宮川・前掲576頁)が,実務上は,Xに自己の犯罪として加功する意思が認められる以上,Zの決意惹起の先後とはかかわりなく,共謀共同正犯と扱われることになろう)。





 (2)ところが,刑法104条の証拠隠滅罪においては,構成要件上,


犯人自身が自己の刑事事件に関する証拠を隠滅しても犯罪を構成しないものとされる。


そして,判例上,犯人自らが他人を教唆して証拠隠滅を行わせる場合には,同罪教唆犯として可罰的であるとする解釈が確立している


(大判明45.1.15刑録18輯1頁,大判昭10.9.28刑集14巻17号997頁,最一小決昭40.9.16刑集19巻6号679頁,判タ183号139頁。犯人蔵匿罪につき,最二小決昭35.7.18刑集14巻9号1189頁,判タ108号45頁など。)。



しかし,犯人自身が他人による証拠隠滅行為に加功することが共同正犯や幇助犯としても可罰的であるかどうかについては,これを正面から認めた判例はこれまで見当たらない



(犯人隠避罪につき共同正犯の成立する余地を明示的に否定するものとして東京高判昭52.12.22刑月9巻11=12号857頁がある)。






 (3)本件では,被告人は,Aらに証拠偽造の実行を依頼しただけでなく,自らも虚偽の契約書に署名してこれを完成させる行為をしているが,共同正犯として立件されず,実行の依頼を教唆と構成して教唆犯として起訴されたのは,このような従来の判例に照らし,可罰性が問題とされることのない法的構成によったものであろう


(近時,犯人自身の関与した犯人蔵匿・証拠隠滅につき,不可罰とされるのは,単純な自己蔵匿・隠避や自己の手による証拠隠滅に限られ,それを越えた行為は可罰的である(岩村修二・警論48巻9号160頁)としたり,消極的身分犯と構成(内田文昭「消極的身分と共犯」廣瀬健二=多田辰也編『田宮裕博士追悼論集(上)』430頁,安田拓人・法教305号80頁)することにより,共同正犯・幇助犯の成立を肯定する見解も主張されているが,なお少数にとどまるといえよう。)。



そして,そのことによって,本件は,他人に犯罪を働き掛けるという場面で,(共謀)共同正犯でなく,第1次的に教唆犯の成否を論じることができる希少な事例として,職権判断の対象に採り上げられることになったものと思われる。




  5(1)次に,教唆と精神的幇助とを分かつ正犯者の決意の有無の問題については,



最一小決昭56.12.21刑集35巻9号911頁,判タ464号94頁が,



殺人の共謀共同正犯の事案につき,「謀議された計画の内容においては被害者の殺害を一定の事態の発生に係らせていたとしても,そのような殺害計画を遂行しようとする意思が確定的であったときは,殺人の故意の成立に欠けるところはない」と判示しているところが参考になるものと思われる。この判例のいう犯罪遂行意思の確定の有無の問題は,まさに教唆と精神的幇助とを分かつ,被教唆者の決意・未決意の区別と同じ問題と考えられるからである。




 (2)もっとも,このような決意と未決意とを分ける基準について,上記昭56年判例及び同旨の最三小判昭59.3.6刑集38巻5号1961頁,判タ525号103頁は,


当該事案における「条件」が犯罪遂行についての条件にすぎず,犯罪計画を遂行しようとする意思自体は確定的であったとして,故意すなわち決意の成立を認めているが,何をもって「犯罪計画を遂行しようとする意思が確定」していると見るかについては,必ずしも基準が示されておらず,結局は事実認定の問題としているように思われる。



  この点,学説上は,ドイツにおける議論を参考にして,


(a)犯罪遂行意思が確定しているといえるためには,未確定な状態に対する将来の反応が最終的に確定していることを要するとする最終性説,


(b)行為者の犯罪遂行動機が犯罪抑制表象に優越していれば決意があると認められるとする優越的法益侵害意思説,


(c)法益侵害意思の優越に加え,付された条件が「犯罪事実に向けられた主体的な判断の下における意思形成」を損なうものかどうかを問題とすべきであるとする説などが唱えられている



(西村秀二「故意・過失概念と条件付故意」阿部純二ほか編『刑法基本講座(2)』175頁,塩見淳「条件付故意について」刑法30巻1号42頁参照)。




 (3)本件では,



Aが本件犯行を立案し,


これを積極的に被告人に提案していたなど,


被告人の依頼に先立ち,


Aに具体的に特定の犯罪を行おうとする一定の意思があったことが否定できず,



所論は,そのゆえにAが被教唆者たり得ないと主張していたものである。



これに対し,本決定は,理論的根拠の説明や抽象的基準の定立は示していないが,



被告人の承諾・依頼がない以上証拠偽造に及ぶメリットがAにない点をとらえ,


被告人の依頼前の段階では,


その犯罪遂行意思は確定してはいなかったと認め,


なお被教唆者たり得るとしたものと解される。


前記4(1)の③や「殺し屋」の設例と同じ類型の教唆犯肯定例ということができよう。




 (4)ところで,本決定の説示に照らすと,本件と同様の事例でも,


Aが,被告人の脱税事件に利害関係を有しているなど,


被告人の意向にかかわりなく本件証拠偽造を遂行する決意を固めていたと認められるような場合には,


教唆犯該当性が否定されることも含意していると解される。


このような場合には,


被告人の本件証拠偽造への関与について,


共同正犯又は幇助犯としての評価が可能か,


また,


その当罰性が認められるかという前述した大きな問題に直面することになろう。



本決定は,あくまで本件について検察官が定立した証拠隠滅教唆の訴因の枠内で,これが充足されるかどうかだけを判断するという姿勢を採っているが,これは上記問題について,今後の議論を制約することを避けようとしたものと思われる。