税賠(9)



 本日は、岐阜地方裁判所大垣支部判決/昭和57年(ワ)第112号 、判決、 昭和61年11月28日、判例時報1243号112頁について検討します。





【判示事項】 税理士に対する所得申告手続の懈怠等の委任契約上の債務不履行を理由とする損害賠償請求が棄却された事例 





 









 事   実


  一 当事者双方の求める裁判



  1 原告



  「被告らは原告に対し金一四四八万五六五五円およびこれに対する昭和五七年一二月一七日(訴状送達の翌日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え」との判決および仮執行宣言





  2 被告ら



 主文第一項同旨の判決






  二 原告の請求原因事実




  1 原告は、設立の昭和四八年以降継続して被告吉田に対して毎年三月一日から翌年二月末日までを会計年度とする当該年度の営業に関する所轄税務署への所得申告等の税務申告手続事務を委任して来た。



  2 被告吉田は、右事務を事務補助として被告渡辺に処理させ、同被告の事務処理につき善良なる管理者としての注意義務あるいは使用者としての監督義務を負っていた。仮に被告吉田が単なる名義貸しに過ぎないとしても、これを許諾した被告吉田は、被告渡辺との連帯責任を免れることはできない。



  3 被告らは、原告の昭和五五年度(同五五年三月一日から同五六年二月末日までの分)の税務署に対する所得申告を所謂青色申告期限である昭和五六年四月末日までに履行しなかった。



  4 被告らの右申告手続の懈怠により、原告は以下の損害を蒙った。



   イ 解散を余儀なくされたことによる精神的苦痛を慰謝するに足るものとしては少なくとも金三〇〇万円が相当である。即ち、被告らが前記の期限までに申告手続を完了していれば、同年度については赤字が一億七〇〇〇万円に及んでいたから、当然税法上前年度における納付税額約四九〇〇万円の還付を受け得た筈であるが、昭和五五年度の申告が所定の期限になされなかったため、原告は、前記の還付金を受け得る方法として会社解散の方法を取らざるを得なくなり、昭和五七年二月二七日原告の株主総会において解散を決議し、同年三月一二日この旨の登記を了した。



   口 右解散により同年八月二〇日前年度納付の税から金四四四六万六八〇〇円の還付を受けたが、被告らが所定の期限までに申告手続を完了していれば、遅くとも同五六年八月二〇日までには同金額の還付を得られた筈であるので同金額について年一割二分の割合による通常銀行の融資金利相当の金五三三万六〇一六円の損害を蒙った。



   ハ 昭和五五年度確定申告懈怠により同年度の源泉徴収税が未納となり、これにより原告は同不納付加算税金八〇万円、同延滞税金六〇万八〇〇円を支払う破目に陥ったから、右合計金一四〇万四八〇〇円の損害を蒙った。



  5 被告らは、昭和五四年度決算の確定申告にあたり訴外鈴市商店および同出来鉄工所からの商品前受金三六六一万一〇六五円を売上金として計上したため法人税および地方税として金二二〇六万九〇二〇円を納付したが、被告らが原告の経理係に適切に指示し、これを前受金として処理しておれば、右納付義務はなかった筈であり、従って原告は、右税を納付した昭和五五年四月三〇日の翌日から前記還付金を受けるに至った昭和五七年六月三〇日まで同金額を利用し得なかったことになり、この間の同金額について年一割の割合の通常金利による損害金四七四万四八三九円の損害を蒙っている。




  6 以上のとおりで、原告は被告らに対し被告らの不誠実な事務処理によって蒙った損害金一四四八万五六五五円およびこれに対する本訴状送達の翌日からの年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。













  三 被告らの答弁



  1 被告吉田


   イ 原告の請求原因1ないし5の事実はすべて否認する。


   口 被告吉田が同渡辺からの依頼があれば同被告が税務署に提出する書類について署名押印し、税務調査に立会うことにはなっていたが、被告吉田が原告から税務申告について委任を受けた事実も被告渡辺を雇傭した事実もない。原告はもと亡竹中税理士に税務書類の作成等を委任し、被告渡辺は同税理士と共同事務所を営んでいたようであるが、被告吉田は、昭和四七年八月に公務員退職後税理士業務を開始していたところ、同五〇年一二月に竹中税理士が死亡したため、間に入る人があって被告渡辺との間で同被告の取扱う事務の内個別的に特に求められた場合に税務調査に立会い、必要に応じ提出書類に目を通して署名押印することとし、報酬としては一年間九二万円程度を被告渡辺から受取るといったむしろ被告吉田が同渡辺の顧問的立場にあったに過ぎない。従って被告吉田は、原告と全く交渉がなく、原告は正規の資格のない被告渡辺を安く利用していたのみであり、被告吉田は、税務署との関係では税理士会の規約上被告渡辺を使用している旨の届出はしているが、こうしたことは税理士の実情としてはよくあることで、もともと原告と被告渡辺の間のことについて被告吉田が責任を負う理由はない。



   ハ 仮に被告渡辺の行為について被告吉田が責を負う立場にあったとしても、原告は、昭和五五年度申告に必要な資料を期限前の相当期間中に被告渡辺に交付していないから同被告に任務の懈怠はないし、原告の解散と同年度の期限内に申告がなかったこととは全く因果関係はない。







  2 被告渡辺

   イ 原告の請求原因1ないし3の事実は認める。


   ロ 被告渡辺には、税理事務処理上の義務の懈怠はない。税理士は、委任者から申告に必要な資料の全部の交付を受けて後およそ一箇月の整理をへて税務申告が可能となるのであって、昭和五五年度について見れば、原告は、同会社の経理を担当していた訴外山口陽子を通じて同年度の原始資料の一部を同五六年四月一五日に被告渡辺に届けてはいるものの全ての資料を届けたのは同年五月四日であって、従って被告渡辺が申告期限である同年四月末日までに原告に関する同年度の所得申告を完了することは不可能であり、然も被告渡辺は右山口陽子に対し事前に同年度の記録の持参を促していたにも拘らず、同五五年二月に原告の前社長が死亡したことに伴う法事等の個人的業務、会社の仕入発註先の整理、資金繰りに右山口が追いまくられて帳簿の整理に手が廻らず、被告渡辺に対する原始資料の交付が前記のとおり遅滞したのであって、被告渡辺の責任はない。被告渡辺は、同五六年五月以降鋭意記録を整理して漸く原告が同五五年度において一億三〇〇〇万円以上の赤字決算になることを知ったが、そのままの申告をすることが取引先の信用低下をもたらすことを考えて、右陽子と連絡したところ、同人が再調査すると言うのでそのままにしておく内に、原告の債権者らが原告の会計帳簿を調査するようになり、このため書類整理ができず、漸く同五七年三月になって前年度の法人税還付を含む同五五年度の申告手続をなすべく準備をしていたのであって、被告渡辺には税理士としての義務違反は全くない。



   ハ 原告の解散と同五五年度の法人税申告の遅滞とは何ら因果関係はない。原告の解散手続は同五七年二月二七日の株主総会においてなされ同年三月一二日に登記されているが、原告は、昭和五四年度(同五五年二月の前社長の死亡に伴う保険金受領の関係で黒字)を除いては経常的な赤字経営を続けていたのであって、解散は前年度法人税の還付金の支払を受けるためになされたものというべきである。






   ニ 被告渡辺は、源泉徴収税についてその申告依頼を受けたことはない。被告渡辺は、同五六年三月に各人が申告するよう話してあり、法人税の申告とは別個のものである。



   ホ 昭和五四年度の決算処理に当って原告主張の前受金を売上金から除外しなかったのは、原告が当該決算書作成前に前受金の明細を提出しなかったからであって、被告渡辺の義務違反には当らない。



  四 証拠《略》










 理由


  第一 被告渡辺との関係


  一 原告の請求原因1ないし3の事実は、原告と被告渡辺との間において争いがない。


  二 原告は、請求原因3の申告期限までに税務署に対し申告を完了しなかったことをもって被告渡辺の義務違反に当ると主張するが、そもそも原告の主張する被告らの義務発生の根拠が明らかでなく、昭和四八年以降同五五年四月まで毎年被告渡辺が原告の年度末の法人税申告を続けて来たとしても、直ちに被告渡辺が昭和五六年四月末日までになすべき昭和五五年度の同申告手続を代行しなければならない義務を負うとは断定できず、更に税理士は税理士法に照らしても、本来依頼者の会計帳簿に基づいて所轄の税務署に対する税務申告を代行するについて受任関係に立つことをもって足り、またそれを超えることは許容されるものでなく、そうとすると税理士は依頼者の租税に関してあらゆる有利を計らなければならない準委任上の義務を負うものでなく、依頼された個別的な申告手続代行についてのみ善良な管理者としての注意義務を負うに過ぎないものと言うべきである。



 これを本件についてみるに、《証拠略》によれば、被告渡辺は、故竹中税理士の在世中から事実上原告の年度末(毎年三月一日から翌年二月末日まで)決算に基づく法人税の申告手続を原告から受任され、昭和五〇年に右竹中税理士が死亡して後は、税務署との関係では、被告吉田の事務補助者の形を取り、従って提出書類上は被告吉田を経由したものとし、立会調査においては被告吉田がこれに当るものとはしながら実際上は自らが昭和五五年まで毎年四月始めごろ原告から当該年度の確定申告に関する原始記録の交付を受け、所謂青色申告と称される各年度の確定申告を代行し、併せてその間原告からの税務に関する個々の相談にも応じて来たところ、



 昭和五六年に入って原告の昭和五五年度申告期限が近づいて来るや、原告の経理担当者山口陽子に対し同年度の申告に必要な書類の交付を促してはいたが同女が同五五年二月に死亡した原告の前社長鳥羽陽之助の法事および同女の育児上の手間等に加え、社長交替に伴う会社業務の混乱、経営危機等から会計帳簿の未整理を訴えられ、漸く同五六年四月一五日に至って原告の会計帳簿の一部を入手したのみで、すべての資料については同年五月四日になって始めて入手することができ、その後届けられた原始記録にもとづいて鋭意申告書の作成に当り、同年五月末に一応申告が可能となったが、その結果同年度の原告の赤字が億を超えることになり、これでは原告の対外的信用を著しく損うことになるので、この点を右山口陽子と相談したところ、同女の返事も会社帳簿を精査の上赤字原因を再調査し度いとのことであり、どうせ赤字決算を免れないとすれば、申告遅延も原告に不利となるものでなく、同年度の赤字については、前年度の黒字分を繰りのべる方法も考えられたので、直ちに同年度の申告を実行しないでいるうちに原告の経営危機を知った原告の大手債権者が原告の会計帳簿の調査に入り、更に右債権者の援助および会社経営の合理化を通して原告の経営立直しを画策しているうちに漸く同五七年三月になって原告からの要請を受け、同五五年度の欠損一億三三五三万円余りの確定申告および昭和五四年度の税金還付申告書を作成の上、


 原告代表者を通して直接税務署に提出したが正式に受理されず、


 そこで原告は、残された前年度法人税の還付を受ける方法として会社解散の道を選択することとし、日を遡らせて同五七年二月二七日解散決議のあったものとして同年三月一五日その旨の登記を了して清算手続に入り、


 被告らとは別の税理士に委任して同五七年七月一六日遅滞税差し引きの法人税の還付金三四七四万四九七八円の支払を受けていることが認められる。


 右事実から考えるに原告の被告渡辺に対する昭和五五年度の確定申告委任は、必要とする原始記録が全部被告渡辺に届けられた同五六年五月四日に成立すると言うべきであって、それまでの原告の経理係山口陽子と被告渡辺との交渉、記録の一部交付の段階は右準委任成立までの準備段階と考えるべきで、とすれば昭和五六年四月末日までに委任事務を処理することは全く問題にならず、被告渡辺には右期限徒過について義務違背を論じる余地は全くないと言う外ない。


 確かに原告と被告渡辺の永年の交際上、被告渡辺はその職務、知職から原告に対して税法上の各種の助言をしたことも有り得るし、あるいは原告としてもこれを期待することも無理からぬ点もあるけれども、前記のとおりの税理士の性格上こうしたことは単なるサービスであって義務の問題ではなく、更にこれを義務づけるに足る包括的な税法に関する顧問契約が原告と被告渡辺の間に存したことを認めさせる証拠はない。まして昭和五五年度において原告が赤字を出すかどうかは必要な資料がすべて整理されてから言えることであって、然も、よしやそうであってもこれをどのように処理するかは原告自体の選択の問題であって、その具体的指示がない以上、税理士が見込のままで白地申告をして後に修正申告するような姑息な事務処理をなすべき義務があるとは、税理士の公益的性格に照らして到底容認し難いと言わねばならない。




  三 原告は、被告渡辺が速やかに昭和五五年度の確定申告および還付金請求事務を遂行していれば少くとも同年八月二〇日までに還付金四四四六万六八〇〇円の支払を受けていた旨主張するけれども、前記のとおりの税理士の性格上、被告渡辺は、原告から依頼された昭和五五年度の確定申告を代行することをもって足り、還付金請求手続については特にその旨の明示の依頼を受けたこともなく、然も前判示のとおり昭和五六年五月当時同五五年度の赤字を税法上如何ように処理すべきかが未定であって、赤字原因を原告の経理係の訴外山口陽子に確認を依頼したりしているうちに原告の債権者が事実上の会社管理に入っていたのであって、同五七年三月に原告代表者らの要請を受けて更めて税務署に対する同五五年度決算書を提出していたが、その際原告代表者およびその関係者から特別の問責があったと認め難く、昭和五五年度の確定申告の遅延には相当の理由があって直ちに被告渡辺の委任事務処理上の義務違背と認めるには充分と言い難い。


 もっとも世上往々に見られるような後日の修正申告を前提として早急に概算ないしは零申告手続をなすことにより還付金の支払を受ける方法をとることも考えられないでもないが、還付金の支払は赤字申告が所定の期限にまでなされたものについて例外的に認められる恩典であって、むしろ法を潜る方法としては考えられても、受任税理士の義務の範囲に属するとは到底考え難い。以上のとおりで、原告の還付金の支払受領が遅れたことは、被告渡辺の責任によるものと認められず、これを理由とする原告の慰謝料、金利相当の損害金の請求はすべて失当である。



  四 更に原告は、昭和五四年度の確定申告上の事務処理の不当性を挙げるけれども、税理士は、本来所与の会計帳簿に依拠して申告手続をなすべきものであり、会計帳簿上の記載を調整するのは会計士のなすべきことであって、税理士の義務権限の外にあり、原告の会計帳簿上売上金を前受金として処理することが税理業務を行う被告渡辺の義務であるとは到底理解し難い。



  五 以上のとおりで、原告の被告渡辺に対する同被告の昭和五五年度確定申告手続についての義務違背を理由とする請求はいずれも失当として棄却を免れない。




 第二 被告吉田との関係


  被告吉田が被告渡辺に同被告の取扱業務中税務署との関係でその提出書類に自己の名を使用させることを許容し、税務署の調査については自らが立会っていることは争いがなく、こうしたことが税理士法を潜脱するものとして非難すべきは明らかであるが、本件についてみれば、被告渡辺に帰責されるべき理由のないこと前記のとおりである以上、原告の被告吉田に対する請求もその余の点を判断するまでもなく、また理由がないと言わざるを得ない。




 第三 結び


 以上のとおりで、原告の被告らに対する本訴請求をすべて棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用の上、主文のとおり判決する。

          

(裁判官 松島和成)