本日は 第77節 平等の基礎 から
一部の著者たちは平等を次の二つに区別してきた。
すなわち、特定の財の分配
そうした財のいくつかは、ほとんど確実に、より恵まれている人びとに対して高い身分や威信を付与することになる
との関係において引き合いに出されるものとしての平等と、人びとに対して、彼らの社会的な地位に
関わりなく払われなければならない尊敬(尊重)に関する平等である。
最初の種類の平等は、社会的な協働が実効的かつ公正であるように、組織と分配上の取り分の構造を
統制する正義の第二原理によって規定される。
しかし、二番目の種類の平等が基底的な平等である。
この平等は正義の第一原理によって、そして相互尊重の義務のような自然本性的な義務によって、明
確に規定される。
すなわち、この平等は道徳的人格としての人間に帰せられるのである。平等の自然本性的な基礎は、この二番目の平等が有するより切実な重要性を説明する。
第二原理に対する第一原理の優先権によって、私たちは場当たり的な仕方で平等についての二つの構
想の兼ね合いが図られることを避けうる。
格差原理を承認することを通じて、〈リベラルな平等〉のシステム内部で構想されてきた社会的不平
等の諸要因の見直しが迫られる。
そして、友愛と矯正(正義回復)の原理〔格差原理〕に対して相応しい重要性が付与されるならば、生
来の資産の分配・分布および社会的情況の偶発性は、より容易に受け入れられるものに変わる。
すべての社会的障壁が取り除かれさえすれば、私たちは他の人びととともに平等なチャンスを享有す
ることになり、それゆえ社会的不平等は、私たちの暮らし向きがもっと良かったらと反実仮想して意気
消沈するようなものではなく、むしろ私たちの相対的利益となるべく構成されている。
したがって今や私たちの幸運について立ち入って議論する用意が整っている。この正義の構想はーこ
の構想が真に実効的であり、そうしたものとして公共的に認められているとすればー〔功利主義や卓越主義といった〕その競争相手よりも、実社会を眺望する私たちの視座を変容し、自然秩序の配剤や人間
の暮らしの条件を私たちに受け入れさせる可能性がはるかに高いように思われる。