本日は 第74節 道徳的態度と自然本性的態度との結びつき から
一般に、道徳上の原理はさまざまな理由に基づいて肯定・擁護されているが、そうした原理を受諾し
ているということは、道徳感情の存在を証明する。
契約説に基づくならば、正と正義の原理はある特定の内容を有しているのであり、そうした原理と合
致して行為するとは、人類に対する気遣いもしくは他の人びとの善に対する気遣いから行為することで
あると解釈されうる。
人は部分的には特定の自然本性的な態度から行為する、とりわけこうした態度が特定の個人に対する
愛着を含む場合に〔人は〕行為するのであって、たんに共感や厚意の一般形態から行為するのではな
い、ということをこの事実が示している。
人類愛や共通善を支持したいという欲求は、それらの対象を定義するのに必要なものとして、正と正
義の原理を含んでいる。
私たちの既存の道徳感情は多くの点で非合理であり、私たちの善にとって有害でありうる、というこ
と否定するものではない。
道徳的態度はしばしば懲罰的で無批判的である。
憤慨と義憤、罪責の意識と良心の呵責、義務の感覚と他の人びとからの非難はしばしば、屈折した、
破壊的な形態をとることがあり、理由もなしに、人間の自発性や喜びを鈍らせる。
たとえ、秩序だった社会の内部において正義感覚は自然本性的な人間的態度の通常の発達が生み出し
たものであるとしても、私たちの現在の道徳感情が理不尽で気まぐれになりやすいということも、やはり真である。
しかしながら、秩序だった社会に備わっている美点(徳)のひとつは、専横的・恣意的な権威が消滅し
た以上は、その成員たちが過酷な良心の重荷にそれほど苦しめられることはない、という点にある。
私見、正義のための戦争は存しない。集団的自衛であれ、個別的自衛であれ、戦争は悲しみと憎しみしか残さない。Homo sapiensが音声による会話能力を獲得した年代はホモ属の発生以降で、25万年以
上前とされている。ヒトには、言語獲得の能力が生得的に備わっていると考えられており、脳の言語野に損傷を持たない人間は幼児期の短期間に発話の能力を獲得する。
言の葉は今日の日差しのような光を浴び、美しい生命を生み出す。言葉は決して人を傷つけるためにあるのではない。
それとも、Homo sapiensはその25万年の歴史の最後の3千年でその幕を閉じるのか?