本日は 第72節 原理の道徳性 から
正義感覚は人類愛と連続している。
人びとは自由で平等な道徳的存在としての自己の自然本性を表現する。
おのれの自然本性を表現することは人びとの善に属するので、正義感覚はより直接的に人びとの暮ら
しよさを目指しているといえる。
原理の道徳性は、正と正義の感覚に対応する道徳性と人類愛や自制に対応する道徳性という二つを帯
びる。
閑話、ロールズは、1995年雑誌Dissentに掲載した論文「Reflections on Hiroshima: 50 Years a fter Hiroshima(原爆投下はなぜ不正なのか?: ヒロシマから50年)」において、戦争における法(武力紛争法)に関する六つの原理を提示する。
1 民主社会が当事者となる正しい戦争の目標は、諸民衆の間(とりわけ敵との間 ) に成立すべき正しくかつ永続的な平和である
2 民主社会の戦争相手国は、民主的ではない国家である。このことは、民主的な民衆は相互に戦争を起こさないという事実から帰結する。
3 戦争を遂行する上で、民主社会は三つの集団 (1)相手国の指導者と要職者、(2) 兵士たち (3) 非戦闘員である住民 、を注意深く区別しなければならない。
4 民主社会は、相手国の非戦闘員、兵士の人権を尊重しなければならない。二つの理由がある。1)万民法に基づいて、民間人・兵士ともに人権を有しているから。2)戦時においても人権が効力を有するという実例を自ら率先することで敵国に人権を教えるべきだから。
5 軍事行動と(交戦国や国際社会に対する)声明において正義を自負できる民衆は、自分たちが目標とする平和がどのようなものであるか、自分たちが求める国際関係はどのようなものなのかについて、戦争中においてあらかじめ示すべきである。
6 戦争目的を達成するための軍事行動や政策が適切かどうかを判定するための思考様式は、つねに上述の五原理の枠内で構成され、これらの原理によって厳格に限定される。
ロールズはこのような原理を提示したうえで、原爆投下をその不要性から、「すさまじい道徳的悪行」という。トルーマンの「日本人を野獣として扱う以外にない」という発言において、ナチスや東條に率いられた日本軍部のみならず、一般市民までを含めていたことに対して、批判した。
またロールズは避けるべき二種類のニヒリズム的論法があるという。
1 地獄のような戦争を一刻でも早く終わらせるためならどんな手段でも選んでもよいとする論法。
2(戦争に突入した以上)私たちは皆有罪という同等の立場にあるのだから誰も他人(他国民)を非難できないとする主張。
ロールズは「正義を重んずるまともな文明社会(その制度・法律、市民生活、背景となる文化や習俗)はすべて、どんな状況においても道徳的・政治的に有意味な区別を行っており、その区別に絶対的に依存している、という事実」からして、このような論法が無内容であることが導かれるとした。
ウィキペディア より引用