本日は 第64節 熟慮に基づく合理性 から
私たちの善は、将来が正確に予測され、想像において適切に理解されている場合に、十全な熟慮に基
づく合理性を用いて私たちが採用すると考えられる人生計画によって決定される。
合理的な個人はつねに、自らの計画が最終的にどのような結果になろうとも、自分を決して非難する
必要がないように行為すべきである。
素晴らしいめぐり合わせと幸運を与えられたことによって、ある人びとは生まれつき、熟慮に基づく
合理性を用いたならば採用すると予想される生き方とまさに期せずして出くわすかもしれない。
だが多くの場合、私たちはそれほど幸運ではないし、また自分自身を長期にわたる人生を生きるひと
りの人間として考え、認めるのでなければ、私たちはほぼ確実に自らの行為の成り行きを後悔するであ
ろう。
ある人が災難を引き起こすことなく、自分の自然本性的な衝動に依拠して成功しているときでさえ、
彼が本当に幸福であったのかどうかを評価するためには、彼の善についての構想(考え方)を私たちは依
然として必要とする。
彼は自分を幸福だと考えるかもしれないが、〔実際はそう思い込むように〕欺かれているかもしれな
い。
そしてこの重要問題を解決するためには、彼にとって行なうことが合理的であったと考えられる仮説
的な選択を
ーこのような〔計画の選択といった〕ことがらを気に病まないことから彼が得ていたかもしれないど
のような便益にも適切に配慮した上で-
吟味しなければならない。
すでに指摘したように、意思決定という活動の価値はそれ自体、合理的な評価の対象となっている。
意思決定を下すことに私たちが費やすぺき努力は、その他の多くのことがらと同様に、情況によって
左右される。
合理性としての善さは、この問題を個人とその当人がおかれている状況の偶発性とに委ねるのであ
る。
閑話、IMFは、為替相場の安定を図ることなどを目的に1944年7月にアメリカ合衆国ニューハンプシャー州のブレトンウッズで開かれた国際連合の「金融・財政会議」のブレトン・ウッズ協定によって、戦後復興策の一環として国際復興開発銀行と共に1946年3月に29ヶ国で創設された。
1947年3月にIMF協定が発効し実際の業務を開始し、国際連合と協定を結び国連の専門機関となった。世界銀行と共に、国際金融秩序の根幹を成す。
スティグリッツは以下のように述べる。(『世界を不幸にしたグローバリズムの正体』2002年)
IMFの構造調整政策
国家を現在の危機に対応させると同時に、もっと永続的な不均衡にも対応させる調整政策
は、多くの国で飢餓と暴動を生みだした。結果がそれほど深刻ではなく、どうにか一時期の成長をうながした場合でも、その恩恵の行く先は富裕層に偏り、下層の人びとはさらなる貧困に直面することがある。
だが、私がもっと驚いたのは、こうした政策に非常に重要な決定を下すIMF上層部の人びとが、誰も疑問をもたないことだった。
発展途上国の人びとが疑問をもつことはしばしばあっても、彼らはIMFの資金援助を失うのが恐ろしいため、そうした疑念の表明には最大の用心をし、たとえそうするにしても内々でしか表明しない。
IMFのプログラムにともなって生じる痛みなど、誰も歓迎していなかった。
にもかかわらずIMFの内部では、どんな痛みが生じるにせよ、それは国家が市場経済に移行する過程で経験しなければならない必要な痛みなのであり、自分たちの考えた措置は長い目で見れば、国家がやがて直面することになる痛みを軽減するはずだと見なしていたのである。
グローバリゼーションは貧困の軽減に失敗したが、それはまた社会の安定性を保持することにも失敗した。
アジアとラテンアメリカにおける危機は、あらゆる発展途上国の経済と社会の安定を脅かした。
経済危機は世界中に伝染する恐れがある。
ある新興市場の通貨が暴落すれば、他国の通貨も下落する。一九九七年から九八年にまたがるアジアの危機は、まさに世界経済に脅威をおよぼすかに見えた。
ロシアをはじめ、共産主義から市場経済への移行を進めているほとんどの国でも、グローバリゼーションと市場経済の導入は約束された結果をもたらさなかった。
これらの国は欧米から、新しい市場システムが前例のない繁栄をもたらすと言われていた。
しかし、実際にそれがもたらしたのは前例のない貧困だった。ほとんどの人びとにとって、市場経済は多くの面で、かつて共産主義の指導者が予言していたよりもよほど悪いものだったのだ。
多くの事例に見られるように、グローバリゼーションの恩恵はその提唱者が言うほど多くないとす
るならば、その代価はあまりに大きすぎる。
環境は破壊され、政治のプロセスは腐敗し、変化の急激なペースにその国の文化は適応できなくなるだろう。
その過程で、大量の失業者が生まれ、やがてはもっと長期的な、社会の崩壊という問題が生じてくる。
そのあらわれがラテンアメリカにおける都市部の暴動や、インドネシアなどに見られる民族の衝突である。
こうした問題は目新しいものではない。
だが、グローバリゼーション推進政策にたいする世界規模の猛烈な反対は意味深い変化である。ここ数十年、アフリカをはじめとする世界中の発展途上国の貧困層の危機を、欧米はほとんど意に介してこなかった。発展途上国の労働者は、何かが間違っていることを知っている。
金融危機がますますありふれたこととなり、貧困層がますます増えていくのを見てきたからだ。
だが、彼らにはルールを変えることも、そのルールをつくった国際経済機関に働きかけることもできない。
民主的なプロセスを重視する人なら、「条件制限」
外国の債権者が援助のかわりに押しつける条件
がいかに国家の主権を踏みにじるものであるかがわかる。そして、反グローバリゼーションの闘士たちが現われるまで、変化の望みや不満の捌け口はほとんどなかったのだ。
たしかに、一部の人びとはやりすぎた。発展途上国に保護貿易主義的な障壁を設けるべきだという王張もあったが、それでは彼らの苦境をさらに悪化させてしまう。そうした問題はあったけれども、途上国の開発計画に修正の必要性を唱えていたのは、プラハやシアトルやワシントンやジェノバの市街を行進した労働組合員、学生、環境保護主義者、主婦といった一般市民なのである。
IMFが報告する先は、世界各国の財務省と中央銀行である。そういう人びとに支配権をもたせているのは、主に第二次世界大戦終結時の経済力によって決まった複雑な投票システムである。
その後、いくつかの小さい修正がなされたが、IMFを取りしきっているのは主要先進国であり、有効な拒否権をもつのはたった一国、アメリカだけでしかない(この点では国連も同様だ。やはり歴史的な時代錯誤で、拒否権をもたせる国を、第二次世界大戦の戦勝国に決定した。だが少なくとも、国連は拒否
権を五力国に分散させている)。
発足からかなりの年月を経て、IMFは驚くほど変わってしまった。市場はしばしば有効に機能しないとする信念のもとに設立されたIMFが、いまでは市場至上主義者になって、熱烈にそのイデオロギーを信奉している。
設立当初は、各国にもっと拡大経済政策i経済を刺激するための支出の増大、減税、金利の引き下げなどをとらせるために国際的圧力が必要だと考えていたIMFが、いまでは赤字の削減、増税、金利の引き上げなど、経済の縮小につながる政策をとっている国にしか融資しない場合がほとんどである。