米国の正義 Do the right thing ? (55)





本日は 第61節 いっそう単純な事例に即した善の定義 から








 〈合理的な人生計画を抱いている人にとって、欲するのが合理的であるような諸特性をある対象が有

している〉ということがひとたび立証されるならば、


 その対象は彼にとって善であることが示されたことになる。


 そしてもしある種の事物が人びと一般に対してこの条件を充たすならば、当の事物は人間的な善〔人

間にとって普遍的な善〕に相当する。




 自由と機会および自分自身に価値があるという感覚がこの〔普遍的な〕善のカテゴリーに分類される。




 ものごとを善もしくは悪と判断する視点に関して、必然的に正当なものや道徳的に精確とされる視点は存在しない。



 ある男に関して、当人の技能を是認することなしに、彼は善いスパイだとか善い暗殺者だとか言明する人がいるかもしれない。



 善の定義をこの事例に適用するならば、ここで言及された個人はスパイや暗殺者が行なうと予期されていることを前提にした上で


 スパイや暗殺者に関して欲することが合理的であるような属性を備えている、


 と述べているのだと解釈されるであろう。


 だからといって、スパイや暗殺者に〔彼らが役割上〕為すことをするように望むのが適切だ、という意味合いが成り立つわけではない。


 その問いに答えるためには、彼がそのような仕事に打ち込んでいる大義や動機を私たちは判定せねばならない。







 善い父や善い妻、善い友人や善い同僚など……「善い」を形容詞に冠した表現は際限がないけれども、それらの特徴づけはもろもろの徳に関する理論に依拠しており、したがって正(正しさ)の原理を前提としている。



 それゆえこれらの特徴づけは完全理論に属する。


〈合理性としての善さ〉〔という善の定義〕が道徳的真価という概念にも当てはまるためには、(人びとが〔価値判断をなすのに〕不可欠な視点を採用しているときに)徳性とはお互いに関して欲することが当

人たちにとって合理的である特性に相当する。







 私見、善は簡単に損なわれないだろうか?あるいは、損なわせるものが何なのか?常に考える必要がある。


 前掲書(ジョセブ・E・スティグリッツ、『世界の99%を貧困にする経済』、2012、邦訳、楡井浩一、峯村利哉)を少し引用する。






 富の分配で上位を占めるのは、ビジネスにかんして天賦の才能を持っている人々だ。スティーヴ・ジョブズや、サーチエンジンの開発者や、SNSの発明者は、一部の人々に言わせれば天才かもしれない。


 《フォーブス》の世界長者番付では、生前のジョブズが110位で、〈フェイスブック〉のCEOマーク・ザッカーバーグが52位だった。しかし、ジョブズのような"天才"たちの多くは、先人の偉業の上にビジネス帝国を建設しており、〈ワールドワイドウェブ〉を発明したティム・バーナーズ=リーのような先人たちは、《フォーブス》の番付にはいっさい名前が出てこない。


 バーナーズ=リーは億万長者にならない道をみずから選択した。彼のアイデアは無料で利用できたため、インターネットの発展を大きく加速したのだった。



 富の分配で上位を占める人々の成功をくわしく見てみると、彼らの才能の決して少なくない部分が、

市場支配力や市場の不完全性をぞんぶんに利用するには、どんな仕組みをつくり上げればいいかという点に注がれているのがわかる。


 彼らは多くの場合、政治を社会全体のために機能させず、自分たちのために機能させる方法を模索するのである。