米国の正義 Do the right thing ? (54)





本日は 第60節 善の理論の必要性 から









〈公正としての正義〉にあって、正(正しさ)の概念が善(望ましさ)の概念に優先する。



 善〔基本財〕の理論は社会の最も恵まれない成員を明確にするために用いられた。


 格差原理〔の確定・執行〕はこれが可能であることを想定している。


 たしかに、この善の理論は福祉を基数的に計測する尺度を定める必要はない。







 道徳的真価は〔正と価値(善)に続く〕第三の主要な倫理概念であり、私たちは契約論的な見解の枠内にこの概念を据えるためのしかるべき場を見出さなければならない。



 〈善い人であることは当人にとっても善い(望ましい)ことであるのかどうか〉を考察しなければならないであろう。





 





 一方以下の現実の記述がある。ジョセブ・E・スティグリッツ、『世界の99%を貧困にする経済』、2012、邦訳、楡井浩一、峯村利哉 より



 


 公平性の一側面である機会均等は、アメリカ的価値観とは切っても切り離せない。アメリカはつねに

みずからを"機会均等の地"とみなしてきた。ホレイショ・アルジャーの小説のような立身出世物語は、

アメリカの民俗の一部になっていると言っていい。



 しかし、アメリカン・ドリームはたんなる夢物語になりつつある。立身出世はもはや逸話や秘話の中

だけに存在し、具体的データに裏付けられたものではない。実際のところ、アメリカ国民が底辺から頂

上にのぼり詰める可能性は、ほかの先進工業諸国より低い。





 




 私見、Start with nothing、それは筆者の境遇でもあり(いまだにwith nothingだが・・・)、米国のアメリカン・ドリームほどはいかないまでも、実現可能性や実行可能性は、わが国にのこっていると筆者は考えるが・・・