本日は 第59節 市民的不服従の役割 から
市民的不服従(および良心的拒否)は、定義上は違法なものとされているけれども、憲法システムを安
定的なものとするための装置のひとつにほかならない。
自由で定期的な選挙や、憲法(それは必ずしも成文律とは限らない)を解釈する権限のある独立の司法
などと並んで、然るべき自制と健全な判断とをもって行使された市民的不服従は、正義にかなった制度
を維持し強化するのに役立つ。
法への忠誠の範囲内で正義にかなった憲法の安定性を維持するための最終的な仕掛けを発動するひと
つの理路として、市民的不服従の正当化を規定する条件を採択する。
こうした行為の様態は厳密に言うと法に反するものの、それでもなお立憲体制を堅持しようとするや
り方としては道徳的に間違っていない。
立憲主義的機関のそれぞれ、すなわち立法府、行政府、そして裁判所が、おのおのの憲法解釈とそれを特徴づける政治的諸理念とを提示している。
裁判所はどの個別ケースの裁定においても最終決定権を有するだろうが、その憲法解釈の見直しを迫る強大な政治的影響力から逃れられるわけではない。
裁判所は推論と論証を通じて自説を提示しているのであるから、その憲法の構想を持続させようとするならばその健全さについて市民たちの大部分を説得しなければならない。
最終の上告裁判所は、裁判所でも行政府でも立法府でもなく、選挙民全体である。
市民的不服従はこの団体に特別なやり方で訴えかける。
市民たちの正義の諸構想がどんなものかに関してじゅうぶん機能する合意があり、かつ市民的不服従
に打って出るための条件が重んじられている限り、無政府状態に陥る危険はない。
人びとは基本的な政治的諸自由が維持されている場合にそうした取り決めを結びかつそのような制限
を尊重できるということは、デモクラティックな政体に暗黙裡に含まれている想定である。