本日は 第40節 公正としての正義に関するカント的解釈 から
カントは人々を自由かつ平等な理性的存在者として性格づけ、この条件下で道徳的立法が合意されるとする。
シジヴィックによるカントの見解では聖者と悪党の生活は等しく自由な選択の結果である、とし、悪党が自らの性格特性と自由に選択された自我を表現しない理由を、カントは説明していない、とする。
カントにとって不正な行為は、自尊心に打撃を与える、「恥」という経験を与える。
公正としての正義 は カントのように人間を理性的存在者ととらえない。人間の自由は自然本性的な制約にさらされており、公正としての正義 は人間的な正義の議論である。