本日は 第35節 不寛容派に対する寛容 から
寛容派には不寛容派の自由を制限する権利があるのか?
公明正大な市民は自由それ自体とおのれの自由が危機にさらされていない限り、憲法とそれに付帯するすべての平等な自由を維持するよう努めなければならない。
市民たちは不寛容派を強要して他の人々の自由を尊重するようにして差し支えない。
自由な社会の市民たちは互いに正義感覚を有する能力があると想定される。
寛容派が自分たちの安全・安心および自由の制度の安全保障とが危険にさらされているときに限り、不寛容派の自由は制限されうる。
制限されるのは不寛容派の自由のみであり、それは正義にかなう憲法のもとにおける平等な自由のためになされる。
正義の原理が宗教および道徳上の多様な信念を調停するための協定と、人々が帰属する文化の諸形態とを規定する。
私見、このあたりが米国の正義論の中心であるように思う。