米国の正義 Do the right thing ? (14)



 本日からは再び米国の正義を検討する。西部邁塾のあとの酒場でジョンロールズ先生の著作について議論しようとすると、そんなもの議論の価値もないと総スカンを食らう感じもするが、このシンプルで力強いキーワードの検討なしに、近代そのものの理解と、損なわれゆくモノの確認ができないと筆者は考える。

 確かに猛毒であるということは認識しつつ・・・・(酒も百薬の長であるが、飲みすぎると毒になる。)




 この世も、後の世も、益あるべきわざならば、いかがはせん。この世に、あやまち多く、財を失ひ、病をまうく。百薬の長とはいへど、万の病は、酒よりこそ起れ。憂へ忘るといへど、酔ひたる人ぞ、過ぎにしうさをも思ひいでて泣くめる。後の世は、人の智慧を失ひ、善根を焼くこと火のごとくして、悪を増し、万の戒を破りて、地獄へ落つべし。「酒をとりて人に飲ませたる人、五百生が間、手なき者に生まる」とこそ、仏は説き給ふなれ。


吉田兼好 1330年 『徒然草』





ジョンロールズ先生前掲書  第20節 正義の構想の擁護論の性質 からです。










 「公正としての正義」は、適切に定義された初期状態における原初的合意の対象自身である。




 絶対的な最善はすべての人にとって最善となる。



 パレートの言葉を借りると、均衡は、自発的な取引者間で自由な合意がなされた結果である。


 その均衡が安定的だからと言って正義にかなっているとはいえない。



 原初状態というのも純粋な仮説である。それと類似する現実の状況はあり、そこで受け入れられる諸原理は一定の役割を果たしている。そこでの論証は演繹的となる。



 初期状態についての解釈は多数存在する。この中では多くの契約理論が存在し、「公正としての正義」はそれらのうちの一つに過ぎない。




 好ましい解は功利主義の最大幸福原理や、平均効用原理に至ることもある。