米国の正義 Do the right thing ? (6)




本日は第17節 平等を求める傾向 から











 教育が経済の効率や社会福祉以外に


 自己が帰属する社会の文化、社会運営への参画を可能にし、それを通じたおのれの価値に関する確固とした感覚を与える役割を果たすべきである。




 社会システムは人間のコントロールを超えた変革不可能な秩序ではない。



 「自由、平等、友愛」  最後の友愛が社会の基礎構造の決定的な要求事項を課する。



 テクノクラートたちエリートの文化は、力と富という国家目的への奉仕への見返りゆえに安定する。



 社会は時間をかけ、少なくとも生来の能力の一般的水準を維持し、重大な(不平等、格差といった、筆者加筆)諸欠陥の拡散を防止するための方策を講じるべきである。







 

 

 先日の西部邁塾後、柴山先生のピケティ騒動の後始末で、疑われざるデモクラシーとして、デモクラシーの矛盾や腐敗を語る者が少ないのはなぜか?という点につき、酔った勢いでからんでみたが、


 

 

 それは相対的に社会が莫大な時間をかけ、少しずつ進んでいるからであって、

 

 

 

 仮に社長や平社員や子供たちが同じようにスマホをいじっている姿を嘆いてみせるよりは、社長や平社員や子供たちが銃や爆弾を仕込んだベストをいじっているよりはましな社会であって、

 

 しかし、そのような無数の財にあふれたわが国のような社会で損なわれていくものは確かにあり、それが何なのかを議論すべきである、と筆者は思っていたのです・・・・。