第7章 格差と集中ー予備的な見通し
多くの人が、現代の経済成長では当然ながら相続よりも労働、そして出自よりも能力が重んじられると信じている。
相続や結婚で得た財産の規模が、第一次世界大戦まで、主要な問題であった。 この例外が米国であった。しかし、南部では奴隷、土地という資産が相続財産と同様、重要視された。
資本の格差は、労働の格差よりも常に大きい。
しかし、一番稼ぐ「1パーセント」は、一番所有している「1パーセント」とは違う。
富の格差は賃金の格差より大きい。
富の格差は歴史的に見て、縮小はしていない。
第8章 二つの世界
格差は「自然」な均衡状態へと向かう抑えがたい規則的な傾向などない。
20世紀に過去を帳消しにしたのは、民主主義ではなく、戦争であった。
今日まで第一次世界大戦前の極端な不労所得者社会復活を食い止める助けになったのは、累進性の高い所得税と相続税である。
相当の資産を持つ者のほうが、所得階層の最上位には到達しやすい。
タックスヘイブンの存在が、所得税申告の限界点である。
短期トレンドは最終的には元に戻ってしまうことが多いが、その時代を生きた人々にとって、それこそがその時代のもっとも重要な現実となる。
経済成長が低い場合、格差の拡大は、下層、中間層の賃金に実質的な停滞をもたらす。
マクドナルドで働く人やデトロイトの自動車工場で働く人は、人生の一年を米国の大企業の重役として過ごしたりしない。
私見、デフレの中で生き残れるのは、職と名目賃金を失わずに済んだ個人、というが、高齢化する労働市場の急激な新陳代謝が行われていたと筆者は考える。しかし、金融緩和を行ったところ、人手不足や原材料高騰という問題に適時に対応できないのは市場の失敗であるようにも思える。それは金融政策の失敗ではない。