遺産分割の錯誤(5)




被告の主張の要旨について検討します。







ア 租税法規は,経済活動ないし経済現象を課税の対象としており,それらは第一次的には私法によって規律されていることから,その私法上の法律関係が無効等であれば,その法律関係を前提に行われた申告は,原則として,「課税標準若しくは税額等の計算が国税に関する法律の規定に従つていなかつたこと」(国税通則法23条1項1号)に該当すると考えられる。


 したがって,遺産分割が一般の要素の錯誤により無効である場合には,そもそも遺産分割がされていない状態にあると解されるので,相続税法55条により法定相続分等に従って遺産を取得したものとして計算された相続税の税額よりも,「当該申告書の提出により納付すべき税額(中略)が過大であるとき」は,国税通則法23条1項1号による更正の請求が可能である(なお,その場合の手続につき,後記ウ参照)。



イ しかしながら,通常の錯誤と課税負担の錯誤は同列には論じられない。



 納税義務者は,納税義務の発生の原因となる私法上の法律行為を行った場合,当該法律行為の際に予定していなかった納税義務が生じたり,当該法律行為の際に予定していたものよりも重い納税義務が生じることが判明した結果,この課税負担の錯誤が当該法律行為の要素の錯誤に当たるとして,当該法律行為が無効であることを,法定申告期限を経過した時点で主張することは許されない。




 申告納税方式を採用し,申告義務の違反及び脱税に対しては加算税を課している結果,安易に納税義務の発生の原因となる法律行為の錯誤無効を認めて納税義務を免れさせたのでは,納税者間の公平を害し,租税法律関係を不安定なものとし,ひいては申告納税方式の破壊につながるからである。




 そもそも,申告納税制度の下では,自己の課税標準・税額等に関わる事情について最も精通した納税者自身が,自己の責任において,自己の課税標準・税額などについて精査・検討を尽くした上で正確な申告を行い,自己の納税義務を確定させることが期待されている。



 納税義務の成立から法定申告期限までに相当の期間が設けられているのも,かかる精査・検討を尽くすための時間的余裕を納税者に与える趣旨である。



 課税庁は,納税者が,ある法律行為が有効であることを前提に申告をした場合,当該法律行為が有効であることを信頼することが合理的であり,法定申告期限後に,課税処分又は修正申告の勧奨を受けるや,にわかに課税庁に対し,納税義務の発生原因となる法律行為に課税負担の錯誤があったとして法律行為の無効を主張することは,課税庁の合理的な期待・信頼を裏切るものである上,納税者自身が前提としていた当該法律行為の有効性を自ら翻すものであり,納税者について法定申告期限までに自己の課税標準や税額等について精査・検討をする機会が保障されていることにかんがみると,租税法上の信義則ないし禁反言の法理に反し,許されないものというべきである。






ウ また,遺産分割が一般の要素の錯誤により無効であり,納税者がこれを主張し得る場合でも,


 上記アのとおり,その場合にはそもそも遺産分割が行われていない状態にあるものと解されるので,



 更正の請求をするには,まず,相続税法55条の規定による法定相続分等に従った計算に基づき,修正申告,更正又は決定を経ることが必要であり,


 その上で,新たな遺産分割が行われた場合には,相続税法32条1号による更正の請求又は同法31条1項による修正申告をすることになるが,


 相続税法55条の規定による法定相続分等に従った計算による修正申告,更正又は決定を経ていないときは,相続税法32条1号所定の同法「第五十五条の規定により民法(中略)の規定による相続分(中略)に従つて課税価格が計算されていた場合において,その後当該財産の分割が行われ」た場合に該当しないため,相続税法32条1号に基づく更正を請求することはできない。



 なお,国税通則法23条2項に基づく更正の請求は,いったん適法に成立した課税関係がその後の後発的事情によってその課税の前提となった経済的成果の基因たる私法上の事実関係に変動が生じた場合に,


 変動後の事実関係に適合せしめるための納税者の救済措置制度であり,


 遺産分割による錯誤無効は,後発的無効に当たらないので,国税通則法23条2項及び国税通則法施行令6条に掲げる事由に当たらない。




エ なお,増額更正処分と更正の請求に対する更正すべき理由がない旨の通知処分がされた場合,


 増額更正処分の取消訴訟の中で,通知処分における減額更正をしない旨の判断の違法を主張して,


 申告税額等を下回る額にまで増額更正処分の取消しを求めることができることは,


 一般論としては異論はない。


 しかし,そのことは,更正の請求の理由の有無について,


 更正処分の取消訴訟において実質的に審理されることと同義ではなく,


 原告らは,申告税額等を下回る額にまで増額更正処分の取消しを求める方法として,


 端的に,


 本件各更正処分によって確定された税額が処分時に客観的に存在した税額を上回るか否かを問題とすべきである。