偽り、その他不正の行為(3)



裁判所の判断を検討します。




 


理   由




一、請求原因一ないし三の各事実は、当事者間に争いがない。


二、そこで、被告のした更正処分の適否について判断する。


 (一) 成立について争いのない甲第二号証の一、二、乙第一ないし第四号証、第七ないし第九号証および証人平野己之助、同永松昇の各証言、原告本人尋問の結果(但し、後記採用しない部分を除く)ならびに弁論の全趣旨によれば左記の各事実が認められ、同認定に反する原告本人尋問の結果の一部は採用できない。



1 原告は昭和三〇年一一月頃、名古屋ヤクルトを設立してその代表取締役となり、同社は愛知県下で初めて「ヤクルト」の製造および販売を行うようになつた(原告が昭和三〇年一一月頃、名古屋ヤクルトを設立してその代表取締役となつたこと、同社が「ヤクルト」の製造を行つていたことは当事者間に争いがない)



2 「ヤクルト」とは乳酸菌を培養して製造される醸酵乳の商品名であり、ヤクルト本社がその製造の特許権およびその商標権を有している。



3 ところが、名古屋ヤクルトの工場設備が狭少であつたため東山に土地を取得し工場を建築することにしたところ、同地域が緑地帯であつたところからそれができなくなり、しかも、県より始末書をとられたこと、名古屋ヤクルトの株主のうち半数に近い者が「ヤクルト」の類似商品である「カ-ラ六〇」という醸酵乳の製造、販売を計画し、株式を譲渡したと(名古屋ヤクルトの関係者が「ヤクルト」の類似品を製造するようになつたことは当事者間に争いがない)、などから、原告は昭和三二年初め頃、責任をとつて同社より退社し、当時ヤクルト本社の代表取締役であつた訴外永松昇の斡旋によりヤクルト本社の社員であり中部三県出張所長又は次長であつた訴外平野己之助が同年二月頃愛知ヤクルトを設立し、同社が名古屋ヤクルトの有していたヤクルトの製造権とともに名古屋ヤクルトの営業を承継した(原告が名古屋ヤクルトを退社したこと、訴外平野己之助が愛知ヤクルトを設立し同社が名古屋ヤクルトの事業を承継したことはいずれも当事者間に争いがない)。なお、名古屋ヤクルトは原告の退社後、間もなく解散した。



4 そこで、前記永松昇の斡旋によつて「ヤクルト」の販売開発につくした原告のそれまでの功績に対する謝礼として原告個人に対し、愛知ヤクルトから顧問料名義で月々金五万円の金員が支給されることになり、昭和三三年二月分から右金員の支給が始つたが、同社の役員会において出社もせず、営業の相談にもあずからない原告に対し右金員を支給するのは理由がないとされ、同年一二月分までで右金員の支給は打切られた(原告の退社後一時愛知ヤクルトから原告に対し顧問料名義で月々金五万円程度が支給されていたことは当事者間に争いがない)。



5 その後、原告が三重県に転出し、株式会社ヤクルト三重処理工場を経営し、愛知ヤクルトからヤクルトの原液を購入して「ヤクルト」の販売に従事するようになり、昭和三六、七年頃、経営資金数百万円を必要としたため前記永松に資金援助を相談していたが(原告が昭和三七年頃経営資金数百万円を必要としていたことは当事者間に争いがない)その頃原告が「ヤクルト」の販売のみならず再び製造関係にも復帰したいとの意向を示したり、前記4記載の顧問料名義の金員は終身、支給される約定であつたと主張したため前記平野との間に争いが生じてきた。



6 そこで、ヤクルト業界の関係者の斡旋により右紛争を解決するため、昭和三七年初頃、原告と愛知ヤクルトおよび平野己之助間で次のような合意がなされた。即ち、原告が中部三県において「ヤクルト」販売のためにつくした功績および原告が名古屋ヤクルトより退社することによつて「ヤクルト」製造権を事実上放棄したことに対する謝礼の趣旨で、平野己之助もしくは愛知ヤクルト側より、原告に対し金五〇〇万円を支払うこと、右金員の経理上の処理方法は、税務対策を考慮して、愛知ヤクルトが原告に対し貸付金名下に金三〇〇万円を支払い、他方、同社が原告に対して顧問料として月々金七万円を支給したことにし、同顧問料との相殺の方法によって金三〇〇万円を月々返済する形式をとること、平野己之助が原告に対し金二〇〇万円を支払うこと。


 そして、原告はその頃金五〇〇万円を受領した(原告が昭和三七年頃、金五〇〇万円を受領したことは当事者間に争いがない)。



7 右合意に基づき愛知ヤクルトは原告に支払つた金三〇〇万円を同社の経理上、同社の原告に対する貸付金として扱い、これを同社が毎月顧問料として原告に支払う月額七万円にて返還を受けているような形式を採つており(七万円支給の形式は昭和三七年三月から同四〇年九月までとられているが、それによる返還額は税引月額五万円余なのでいまだ三〇〇万円には充たない。)、かつまた、原告に対し、給与所得の源泉徴収票や給料明細表を交付していたが、同社が、原告に対し、顧問の辞令等を発令したことも、原告が同社に出勤したことも、或いは、相談役として、同社の経営に関与したこともなく、かえつて、原告は昭和三九年一月頃、ヤクルト本社と競争関係に立つ中部クロレラ販売株式会社を設立した。


 また、前記平野己之助から原告に対して支払われた金二〇〇万円については、その後税務署長の調査のとき、係官から同金員は愛知ヤクルトから支出すべきものであると指導され、右平野は同社より返済を受けたが、右平野も同社も、原告より返済を受けたことはない。





(二) 以上の認定事実によると、愛知ヤクルト側から原告に支払われた金五〇〇万円は、「ヤクルト」製造権や愛知ヤクルトが承継した名古屋ヤクルトの営業権(これは原告がその開発に力をつくしたものである)などに関する原告と愛知ヤクルト間の争いを解決するため愛知ヤクルトおよび右平野から原告に対し交付されたものというべき性質のものであつて、借受金ではない。


 また、原告は愛知ヤクルトから顧問としての辞令を受けたこともなければ、同社に出勤したこともなく、顧問として相談にあずかつたこともないのであるから、同社から顧問料その他の給与の支給を受ける理由もない。(従つて、原告の反論一(三)前段は失当である。)。



 したがつて、五〇〇万円を借受金とし、これを月々の顧問料で返済するというのは形式だけで、実質がない。よしんば、顧問料を受取るべき関係にあつたところで一時に支払われた金額に相当する顧問料の支払いと同時に打切りになるような顧問料であるならば、それはやはり名義だけで、実質は右一時金の支給のみが存在するにすぎない。


 したがつて法形式的には貸金と顧問料の支給が存在するとしても、経済的には原告が一時金の交付を受けたにすぎないのである。そうすると請求原因一項の申告において原告は右五〇〇万円の所得を申告すべきであつたと言わなければならない。