隠ぺい又は仮装(44)




引き続き裁判所の判断を検討します。








(二)技術派遣提供報奨について



 所論は、要するに、原判決は、技術派遣提供報奨(以下単に技術提供収入という。)についても利益配分金と同様の誤りをおかしているうえ、被告人が昭和四八年一〇月八日に現実に取得した一〇〇〇万円につき同年中の技術提供収入として計上しているけれども、これは同年中に発生した所得とすべきかどうかきわめて疑問である、というのである。



 よつて検討するに、関係証拠によると、技術提供収入は、M・P・Dとアラフラ真珠とがそれぞれ共同評価額の一〇〇分の五ずつを取得することとなつていたこと、


 アラフラ真珠が技術提供収入を取得するのはともかく、もともとM・P・Dが右収入を取得することは実体にそぐわないものであり、


 実際は被告人やM・P・Dの現地の役員であるスマントリーが個人的に利益の分配を受けるための方法として採用されたものであるので、


 M・P・D取得分については一応その一〇〇分の二を被告人が、一〇〇分の三をスマントリーが個人的に取得することになつていたのであるが、従来必ずしも右の割合どおりに配分されておらず、昭和四八年分については、同年一〇月八日、アラフラ真珠が預り金として取得していた金員のうちから被告人が技術提供収入として支払を受けるとともに後記一〇〇〇万円を受領しており、これらを同年中の所得として計上していること、


 昭和四九年分については、対スマントリーとの関係では被告人が取得することとなつている共同評価額の一〇〇分の二につき、実際は、インドネシア基金として一〇〇分の一、松沢ほか二名のM・P・D関係者に合計一〇〇分の〇・五、被告人に一〇〇分の〇・五とそれぞれ自動的に配分することになつていたので、


 各インボイスごとの評価結果報告書の日付の日に収入すべき金額が確定したものとして計上したこと、


 昭和五〇年分については、インドネシア基金として一〇〇分の一、被告人に一〇〇分の一とそれぞれ自動的に配分することになつていたので、


 前年同様各インボイスごとの評価結果報告書の日付の日に収入すべき金額が確定したものとして計上したこと、


 がそれぞれ認められる。


 このように、原判決は、共同評価額が決定した時点においてまだ配分割合が未確定であつた昭和四八年分については被告人の取得分が区分され現実に精算して支払を受けた時点でとらえているからまつたく問題はなく、また、昭和四九、五〇年分については、算出の根拠となる共同評価額が決定し、したがつて自動的に被告人の取得分が具体的な金額として算出される時点をそれぞれ本件技術提供収入の所得としての計上時期としているのであつて、先に認定した本件技術提供収入の性質からすると前記(一)において検討したところがそのままあてはまるのであり、本件技術提供収入の所得としての計上時期につき原判決には所論のような事実誤認はなく、論旨は理由がない。



 さらに、一〇〇〇万円の件についても、関係証拠によると、当初スマントリーと被告人の配分割合が不確定であり、アラフラ真珠において預り金として処理していたところ、被告人は自己の取得分とスマントリーの取得分を明確に区分する意図で昭和四八年一〇月八日スマントリーの預金口座を設けて同人の取得分を移し、残額である一〇〇〇万円を被告人の取得分として受領したものであることが認められるのであるから、これを昭和四八年中の所得として計上することはまことに正当であつて、論旨は理由がない。





(三) 配当収入について



 所論は、要するに、原判決添付の別紙(二)修正損益計算書中の配当収入の当期増減金額欄の金額のなかにはアラフラ真珠からの株式配当金一〇〇万円が計上されているところ、そのうち二五万円は鈴木馨および田島房市名義の株式からの配当金であり、かつ、現実にも右両名がそれぞれこれを受領しているのであつて被告人の所得ではないから、右二五万円をも被告人の配当収入として計上している点において原判決には所得税法一二条の解釈適用の誤りがあり、ひいては事実の誤認がある、というのである。



 よつて検討するに、被告人は大蔵事務官に対する昭和五一年一一月一九日付質問てん末書において、鈴木馨名義の三六〇株のうち六〇株および田島房市名義の四〇株がいずれも実際は被告人の所有であり、したがつて右合計一〇〇株分の配当金二五万円が被告人の所得であることを明確、かつ、具体的に供述しており、他に右供述の信用性を疑わせるような特段の事情はなく、被告人は原審公判廷においても右所論の点を争つていないことなどからすると、原判決が右質問てん末書をはじめ関係証拠により、右二五万円を被告人の配当収入と認め、これを計上したことは当裁判所においても優にこれを是認することができるのである。もつとも、前記質問てん末書によれば、右配当金が実際には株式名義人である両名に渡つていることがうかがえるが、証拠上それは被告人から両名へ新たな処分がなされたものとみられるから右認定の妨げとはならず、結局原判決には所論のような事実誤認ないし法令適用の誤りはなく、論旨は理由がない。







控訴趣意第二について




 所論は、要するに、被告人は毎年所得税確定申告書の提出時期ころ海外に滞在するため自らこれを作成提出することができず、したがつて被告人の国内における所得を知悉している前田藤太郎に原判示昭和四八年分の、同じく鈴木馨に同四九、五〇年分の各確定申告書の作成提出事務一切を委せ、右両名に対し、ありのまま申告するように指示していたのであるから、被告人の国内における所得のうち申告漏れとなつた部分は右両名の単なる過誤に基づく結果としての過少申告にすぎず、被告人には右部分につきいわゆる逋脱の故意がなく、これにより免れた税額については所得税法二三八条一項の罪は成立しないのであつて、それにもかかわらず、被告人の国内における所得の申告漏れの部分をも含めて同罪の成立を認めた原判決には事実の誤認があり、右誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。



 そこで検討するに、関係証拠によると、被告人は自己の所得税確定申告書を提出すべき所轄税務署が和歌山県田辺税務署であるところから、昭和四八年分についてはアラフラ真珠の経理担当者であり地元に居住する前田藤太郎に、また、同四九、五〇年分については被告人の養子であり地元に居住する鈴木馨にそれぞれ右の確定申告書の作成、提出方を依頼したものであることが認められるところ、


 昭和四八年の不申告分は、いずれも関係会社などから東京にある被告人の取引銀行の口座に直接送金されているものやアラフラ真珠の東京営業所の帳簿を中心に処理され直接右同様被告人や妻久恵の東京の預金口座に送金されているものなど、地元にいる前田にとつて把握することが困難なものばかりであり、


 同四九、五〇年分についても右と同様のことがいえるうえ、アラフラ真珠の経営、経理に深く関与しているわけではない鈴木にとつてとうてい把握しきれないものばかりであつたことが認められるのであつて、


 このような状況にあつたにもかかわらず、被告人は積極的に両名に対して自己の所得の実情を説明して申告を指示したとの事跡はまつたく無く、


 また、M・P・D関係の所得を両名に知らせず、申告の意思がなかつた被告人がそれ以外の所得についてはすべて正直に申告するつもりであつたということはいかにも不自然であることなどをあわせ考えると、


 本件公訴事実を認める旨の被告人の原審公判廷における供述、被告人の大蔵事務官に対する昭和五一年一二月一七日付質問てん末書、被告人の検察官に対する昭和五二年二月三日付供述調書(原審記録三〇七丁以下のもの)をはじめ原判決挙示の証拠を総合すると、


 被告人自身は、M・P・D関係の所得ばかりでなく、前田や鈴木が把握しきれない所得については申告からはずされ、税を免れることを容認していたものを認めることができるのであつて、M・P・D関係以外の所得の不申告分についても逋脱の故意があつたことが明らかであり、したがつて、原判決には所論のような事実誤認はなく、論旨は理由がない。






三 控訴趣意第三について




 所論は、要するに、被告人に対する原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。



 よつて検討するに、本件は昭和四八年ないし同五〇年の三年間にわたる所得税の逋脱事犯であるところ、この種事犯の罪質に加え、逋脱税額が合計一億七〇〇〇万円余にもおよぶこと、その手段、態様は、海外会社から受ける利益配分金などをすべて除外するなど,和歌山県所在の所轄税務署において被告人の所得を捕捉することが著しく困難であることを巧妙に利用したものであること、


 申告所得額の実際所得額に対する割合が各年ともきわめて低率であることなどを考慮すると、


 その犯情は重いといわざるをえないのであり、本件の動機が私利私欲からのみ出たものではないこと、被告人が本件を反省し、本件発覚後、本税、過少申告加算税等を納付したことや、被告人の事業歴、年令など記録上うかがえる被告人のために酌むべき諸事情を十分に斟酌しても、被告人に対して原判決程度の懲役刑(執行猶予付)および罰金刑を科すことはまことにやむをえないところであつて、原判決の量刑が重過ぎるものとは認められず、論旨は理由がない。