隠ぺい又は仮装(25)

 

 

 

 本日は裁判所の判断を検討します。

 

 

 

 

 

(一) 営業権は、税法上の固有の概念ではないので、法人税法もこれについて直接規定をせず、一般に会計学や商法で用いている概念をそのまま使用しているが、会計学あるいは商法でいう営業権とは、のれん、しにせ権などともいわれているが、それは債権、無体財産権に属せず、いわゆる法律上の権利ではなく、財産的価値のある事実関係であつて、既設の企業が、各種の有利な条件または特権の存在により他の同種企業のあげる通常の利潤よりも大きな収益を引続き確実にあげている場合、その超過収益力の原因となるものをいい、その超過収益力の原因としては、既設企業の名声、立地条件、経営手腕、製造秘訣、特殊の取引関係または独占性などが考えられるが、営業権は、これらの諸原因、諸収益力を総合した概念であり、個々に分立した特権の単なる集合ではない。そして、超過収益力の諸原因は、企業が設立されてから創立当時の試練を経て過失がなく若干年経過することにより外部的には社会的認識を得、内部的にも従業員の経験、熟練度が増し、経営組織が完備することにより自然に発生するものである。

 

 

(二) ところで、会計学上、営業権の資産性については議論の存するところであるが、通説的見解によると、買入れのれん、すなわち他人から買い入れた場合に限つて資産への計上を認め、自然に発生したいわゆる発生のれんについては資産性を否定しており、また、商法も会計学の通説的見解に従い、有償で譲り受けまたは合併によつて取得した場合に限つて貸借対照表能力を認めている(商法第二八五条の七)。この点について、税法上は必ずしも明らかではないが、法人税法第九条の八第一項では、固定資産の減価償却の方法について「所得の計算上損金に算入すべき固定資産の償却額の計算については命令の定める方法によらなければならない。」旨規定し、これを受けて同法施行規則第二一条では「法人の固定資産の償却額は各事業年度の所得の計算上、損金に算入する」旨規定し、その第一項第八号に営業権を掲げており、営業権の耐用年数を一〇年とし(同規則第二一条の二第一項、耐用年数等に関する大蔵省令第一条、別表九)、残存価額を零として定額法により算出すべき旨規定している(同規則第二一条の三第一項、第四項)。これらの規定は、営業権の資産性を是認したうえでの規定と解されるから、税法上営業権の資産性を認めていることは明らかであり、なお、会計学や商法の立場と別意に解さなければならない特段の事情も存しないから、有償取得に限つて資産性を認めているものと解すべきである。

 

 

 

 

 

そこで原告の営業権、その譲渡の有無等について順次検討を加えることとする。

 

 

 

(一) 証人加藤清二郎、同小川謙受の各証言によると、原告角家旅館は、営業を譲渡した時点において、創業以来約八〇年以上の歴史を有するしにせであり、立地条件に恵まれ、長い間にかち得た信用も大であつて、あらゆる点で温泉旅館として最高の条件を備えていたことが認められ、

 

 

 また、成立に争いのない乙第五号証、第三二号証によると、(有)ホテル聚楽は、昭和三七年四月七日原告から営業の譲渡を受けるや、その翌日から原告が営業をしていた同一の場所で旅館営業を開始し、昭和三七年一二月三一日の決算では、営業用の固定資産の取得のため借用した金利に追われたことおよび開業費を支出したことなどにより、結局金二五、二九八円の当期損失を計上しなければならなかつたが、それにもかかわらず、右営業期間における営業利益として金六、六一五、二三七円を計上するなど順調な成績をあげ得たことが認められる。

 

 

 以上のことを総合すると、原告には営業の譲渡時において営業権が発生していたものと認めるのが相当である。

 

 

 

 

 

 次に、原告が前記の営業権を譲渡したものであるか否かについて判断する。

 

 

1 成立に争いのない乙第一九、二〇号証、中山辰郎名下の印影が同人の印章によつて顕出されたことについては争いがなく、矢萩忠吉名下の印影が同人の印章によつて顕出されたことについては証人矢萩信二郎の証言によつて認められ、証人加藤清二郎の証言によりその原本の成立および存在の認められる乙第一号証、同証人の証言により真正に成立したと認められる乙第二号証、証人武藤宏、同加藤清二郎、同矢萩信二郎、同中山宗の各証言および原告代表者尋問の結果(ただし、証人武藤宏以外の各供述部分中後記信用しない部分を除く)ならびに弁論の全趣旨を総合すると,次の事実が認められる。

 

 

 原告は、福島興産から営業資金一、〇〇〇万円を借り受けていたところ、角家旅館が経営不振に陥り、弁済期が到来してもその支払いができず、別紙物件目録一の1、2、二の1ないし3、三、四記載の資産をもつて右一、〇〇〇万円の代物弁済に供したため倒産のやむなきに至つた。

 

 そこで古い歴史をもつ角家旅館が人手に渡ることを憂えた原告代表者の叔父中山宗は、昭和三六年一〇月ごろ、以前番頭として勤務したことのある国華酒造の代表取締役矢萩信二郎(先代)に対し、その善処方を懇願したところ、右矢萩は、旅館経営の経験がないので自からその任に当るのは適当でないと難色を示し、そのころ、親交のあつた大日本食堂代表取締役加藤清二郎に右の事情を説明し、角家旅館を買収して経営してくれるよう要望した。

 

 

 右加藤は、各所に旅館、食堂を経営していたが、たまたま飯坂においても旅館を経営したい希望を抱いていたときでもあつたので、右矢萩の申出でに乗気を示し直ちに買収交渉を始めた。

 

 

 そして、角家旅館の資産一切がすでに福島興産に渡つていたため、国華酒造が福島興産の出資の持分の全部を取得してこれを買収し、次いで昭和三七年四月八日、これを大日本食堂に譲渡したので、福島興産は、同日付で商号を「有限会社ホテル聚楽」、目的を旅館業、飲食業、物品販売業と変更し、

 

 さらに、昭和四〇年七月二〇日、「株式会社ホテル聚楽」と組織を変更して現在に至ってている。

 

 

 ところで、その際、右加藤は、右矢萩信二郎から原告の経営者であつた中山辰郎の更生について善処方を依頼されたが、中山辰郎の先祖が何代にもわたり経営してきたしにせで信用もあり、立地条件等にも恵まれている角家旅館の営業全部を有利に譲り受けて引続き経営することになつたので、

 

 できるだけ右依頼に応じようと考え、右中山辰郎が原告の経営から離れた後の収入、住居、更生資金にあてうるようにするため、前記営業資産の買収代価とは別に金一、五〇〇万円を交付することを約し、

 

 その会計処理について顧問税理士川口元雄に相談したところ、同人から営業権を有償で取得したものとして処理することが適当であろうとの回答を得たので、以後これに従つて会計処理をし、福島興産が原告から代金一、五〇〇万円でその営業権の譲渡を受けることとした。 

 

 

 なお、この点につき証人加藤清二郎、同矢萩信二郎、同中山宗、同太田政治の各証言および原告代表者尋問の結果中には、右加藤個人が中山辰郎およびその妻小夜子らに対し金一、五〇〇万円を交付することを約したものであつて、原告の営業権を取得した対価として交付することにしたものでない旨の供述部分があるが、右加藤が相当の資産家であるとしても、中山辰郎夫妻とは親戚関係にあつたわけではなく、本件営業譲渡の交渉を始めた昭和三六年一〇月ごろ初めて知り合つた中山辰郎夫妻に対し金一、五〇〇万円を更生資金として援助しなければならない特段の事情も認められず、

 

 成立に争いのない甲第二ないし第四号証は、原告が中山辰郎の更生資金の一部の受領を証するものと主張する金員領収証であるが、それには原告が(有)ホテル聚楽から受領した旨および同第四号証には営業権譲渡代金の一部である旨の記載があり(原告代表者尋問の結果によると、甲第二ないし第四号証のように記載したのは聚楽本社の事務員の指示によつたものであるとの供述部分があるが、仮りにそうだとすると、少なくとも(有)ホテル聚楽としては中山辰郎個人に金員を交付するつもりはなく、原告に交付する意思のもとにかかる指示をしたものと推測される。)、これらの事実および後記2ないし4で認定する各事実に対比すると、前記各供述部分は信用することができない。

 

 また甲第一号証には、前記供述部分と同趣旨の記載があるが、これも前記各供述部分以上に出るものでないから、これをもつて加藤清二郎が中山辰郎夫妻に対し金一、五〇〇万円の更生資金を交付することを約したものと認めることはできず、他に前記認定を動かすに足りる証拠はない。

 

 

 

 結果、課税処分の適法性が認められました。