隠ぺい又は仮装(3)

 

 

本日は、名古屋地方裁判所 昭和55年10月13日判決、税務訴訟資料115号31頁について検討します。

 

 

 

裁判所の理由から以下引用します。

 

 

 

 

 

 

 原告は、昭和三四年、三五年ごろから、大和証券株式会社名古屋支店を介して株式売買(信用取引)をするようになったが、当初は、さしたる規模のものではなかった。ところが、昭和四六年後半、同支店の椙村課長から、従前原告の所持していた割引金融債を売って株式を買うよう強くすすめられ、かつ、東急不動産、三菱地所等の有力株を買うよう助言を受け、これが動機となって有名な銘柄株を買うようになり、次第に売買株数をふやして行った。このように、原告は、右証券会社の係員が提供する情報、ないし右情報に基づく助言の下に売買する株式銘柄、株数等を決定していたのであって、従前、株式売買についての専門的な勉強はしたことはなく、定期的に日本経済新聞を購入している程度であり、東京証券取引所のダウ式平均株価の推移をグラフに図示することはしていたが、個々の銘柄の株価の変動をグラフ等に図示し、その変動の予想を自分なりに判断するというようなことはしていなかった。

 

 昭和四七年の株式売買が所得税法九条一項一一号、同法施行令二六条二項所定の非課税対象から除外される大量な取引となった理由は、前記ビル建設の資金の全額を三井銀行から低利で融資が受けられることになったことに伴い、約二、〇〇〇万円の手持資金に余裕が生じたためであり、右大量取引により、二、〇〇〇万円を超える純益(正確な純益額は後述)が生じた。

 

 右昭和四七年度の株式売買による益金は、税務当局の指導により雑所得として申告したが、昭和四八年度における株式売買における株式売買による純損失金については、原告の顧問税理士江原直弘に対する原告の「昭和四七年度分の利益は雑所得として申告し、相当額の税金を払ったのであるから、昭和四八年度分の損失金は、事業所得である歯科診療収入所得と損益通算できるよう事業所得として申告して貰いたい」との強い要望により、事業所得として申告がなされた。

 

 原告は、昭和四九年度以降も株式売買をしているが、その規模は、昭和四八年度における損失金が大きかった故か、所得税法上の非課税の範囲で行っている。

 

 

 

 

 

 本件株式売買における売買回数や売買株数は、所得税法施行令二六条二項に定める要件を大きく上回っており、本件係争年以前の昭和四七年も同様であったことからすれば、営利性、有償性及び継続性、反覆性は認められるけれども、原告は、先に認定したとおり「京極歯科」を経営する医師として、月曜日から金曜日までの毎日のほとんどの時間を医療行為にあてており、生活の資のほとんどすべてをこれから得ていること、株式売買のための人的、物的設備は設けておらず、証券会社係員の強い勧奨により大量の株式売買を始め、その提供する情報ないし助言に基づいて投機的目的のため行ったのであり、日本経済新聞の定期購読の外は、さしたる専門的調査をしておらず、自らの責任において企画を樹立し、これを遂行したり、相当程度の精神的肉体的労力を用いたものとは認められないこと、昭和四七年度分は、税務当局の指導により雑所得として申告したものの、昭和四八年度分は、多額の損失金が生じたことを理由に、歯科診療収入と損益通算することができるよう、事業所得として申告することを顧問税理士に強く要請し、事業所得としての申告をなしたのであり、自己の株式売買に事業性が具備されているか否かの点の認識に一貫性を欠く点が見られること等を併せ考えると、本件株式取引は、社会通念上いまだ所得税法施行令六三条一二号にいう事業と認めるに足りないというべきである。

 

 

 

 

 

 原告が、係争各年度の確定申告をした後である、昭和四八年六月から一二月に至る間、被告税務職員訴外花井ら数名の者は、六、七回に亘り原告方に赴き、関係書類の提出を求めて、税務調査をなし、原告は現金出納帳、諸勘定元帳、カルテ等を提示した。 

 

 税務職員が係争各年度のカルテを調査したところ、自由診療分のカルテの大部分につき、第一面下段に、鉛筆で記された文字が消しゴム等で抹消されていることを発見した。

 

 そこで、同職員は、昭和四八年度の診療継続中の自由診療分のカルテの第一面下段の鉛筆書の文字及び、前記係争各年度のカルテ中抹消された部分に残されている筆圧痕から、抹消された文字の読みとれるカルテ等を対比して、右各カルテの抹消部分には、自由診療分についての診療方法及び入金状況(代金額とその支払状況)の記載がなされていたことを知り、右各カルテを子細に検討し、昭和四六、七年分については、抹消部分のあるカルテの枚数を月別に集計し、総カルテ枚数との割合を算出し(昭和四六年度分は、抹消部分のあるカルテ三三九枚、総カルテ二、一七九枚、昭和四七年度分は、抹消部分のあるカルテ七〇二枚、総カルテ二、五四三枚)、かつ、抹消部分のあるカルテ中筆圧痕から、入金状況の読みとれる分の復元作業をなし、その結果を書面に作成し、右調査に基づき、昭和四六年、七年分の現金出納帳中自由診療収入分との比較対照を行ったところ、右抹消部分あるカルテから復元できた自由診療収入分のほとんどは、右現金出納帳の自由診療収入部分に記載されていないことが判明した。昭和四五年度分については、右のような書面化の作業は行わなかったが、その調査結果は、昭和四六、七年度分とほぼ同様に、抹消部分のあるカルテで復元可能な自由診療収入分の大部分は、昭和四五年度の現金出納帳に記載されていないことが認められた。

 現金出納帳の記載によれば、自由診療収入金は昭和四五年度二二〇万九、九九六円、昭和四六年度二七一萬八、四五〇円、昭和四七年度七二八万八、一二九円であった。

 その結果、税務職員は自由診療収入金につき、現金出納帳の記載にもれている(確定申告にもれている)相当多額な収入金の存在を物語る有力な証拠として前記各抹消部分のあるカルテを評価するに至った。

 なお、昭和四七年一月分の抹消部分のあるカルテにつきその入金状況が復元できた分は、患者二二名、入金二五口、入金合計一二六万七、三七五円であり、その内、現金出納帳に記載されているのは、一月二〇日の入金八万六、四〇〇円、他に三口九、五五〇円にすぎないこと、雪山金七、榊原義雄、篠田喜美代、外山輝一、川崎とし子、神谷行雄等のカルテにつき被告が本訴提起後行った反面調査によれば、これらの者のカルテの抹消部分の筆圧痕から読みとれる数字は、これらの者が自由診療代金として現実に支払っていること、ところが、現金出納帳に記載されていないことは、被告主張のとおりであり、また被告のなした前記反面調査の結果、上靖子、大角歌子、後藤豊、水野あや子、阿部はる江、野村かよ子、相木沙加代、竹内京子、神谷行雄の自由診療分についても、右各人が現実に支払っている代金は現金出納帳に記載されていないことが判明している。

 

 

 

 

 

 

 また、税務職員は、原告の株式売買の取引先である大和証券名古屋支店に赴き調査したところ、原告は、安川、北川等の仮名による多額な債券の購入を秘匿していた事実の外、昭和四七年度において、松山哲三なる仮空名義を使用し、売買回数合計五五回、売買数量合計三二〇万一、〇〇〇株、以上の売買により生じた一、〇四七万七、九三三円の株式売却益を秘匿していることを発見した。なお、右各仮空名義による取引口座は、原告の取引であることを秘匿する手段として原告が大和証券に対し申し出て、開設されるに至ったもので、大和証券が、原告に無断で原告のなす取引につき仮空名義を使用したものではなかった。

 そこで、税務職員は、これら事実を、資料を示して原告に質したところ、原告は、これら事実をすべて認めた。

 

 

 

 

 国税通則法六八条は、不正手段による租税徴収権の侵害行為に対し、制裁を課することを定めた規定であり、同条にいう「事実を隠ぺいする」とは、課税標準等又は税額の計算の基礎となる事実について、これを隠ぺいしあるいは故意に脱漏することをいい、また「事実を仮装する」とは、所得財産あるいは取引上の名義等に関し、あたかも、それが真実であるかのように装う等、故意に事実を歪曲することをいうと解するのが相当である。

 

 

 

 

 

 以上に認定した事実によれば、原告は、係争各年度の自由診療収入分につき、真実は、入金のあったカルテにつき、計画的にカルテの入金状況欄を抹消し、これを現金出納帳に記入せず確定申告にもこの分を申告せず、右収入金額を故意に秘匿し、税務職員の調査において、カルテ中右抹消部分につき説明を求められたときも、自由診療に応じなかった患者のカルテであるなどと虚言を言い、反面調査が実施される状況に至って、患者への影響(別言すれば、自己の患者に対する信用の損なわれる結果の発生)をおそれ、そのとりやめを懇請し、税務職員の認定した自由診療収入もれ分を、そのとおり承認し、修正申告に応じたというのであり、また、松山哲三なる仮空名義口座は、原告が株式売買益を秘匿する意図をもって大和証券名古屋支店に要請し開設したものであり、右名義による株式売却益についても、税務職員が大和証券名古屋支店に赴き、調査して発見するまでは、これを秘匿し、確定申告もなさず、税務職員の裏付資料を示しての質問を受けるに及んで、はじめて、これを認め、修正申告に応じたというのであるから、確定申告時において、原告に国税通則法六八条所定の、事実の隠ぺいないし仮装の所為あったことは明白である。